美しき愚かものたちのタブロー

すべては一枚の絵画(タブロー)から始まった。あのモネが、ルノワールが、ゴッホが!国立西洋美術館の誕生に隠された奇跡の物語。(「BOOK」データベースより)

 

本書『美しき愚かものたちのタブロー』は、「松方コレクション」の来歴を物語として読ませてくれる第161回直木賞の候補となった長編小説です。

タイトルの「タブロー」とは「絵画」のことであり、「絵画」にとりつかれた男たちの物語です。

 

松方コレクション」とは、川崎造船所(現・川崎重工業)の社長であった松方幸次郎が、本物の芸術に触れる機会が無い日本国民のために美術館をつくろうと思い立ち、そのために集めた数多くの美術品のことを言います。

芸術音痴の私は「松方コレクション」という言葉は知っていたのですが、松方美術館のような専用の美術館があるものと思い込んでいました。ところが、上野の西洋美術館が「松方コレクション」の受け皿であることを本書で知り、驚くしかありませんでした。

松方コレクション」については、

川崎重工業サイト内のギャラリー 「日本人に、本物の芸術を。松方幸次郎」

を参照してください。

 

そういう意味では本書は、国立西洋美術館の成り立ちを明らかにした小説でもあります。そのことは著者自身がインタビューに答える中でおっしゃっていることでもあります(原田マハ公式ウェブサイト : 参照)。

そこでは、「設立60周年に合わせて「松方コレクション」を巡る小説を上梓することで、私から国立西洋美術館への餞(はなむけ)の一冊にしたい」と書いておられます。

 

本書は、この作者の『暗幕のゲルニカ』や『楽園のカンヴァス』のようなピカソやルソーといった画家自身を描き出した作品群とは異なり、「松方コレクション」の成り立ちという、いわば“近代史”を描いていると言っても良さそうな物語になっています。

 

 

そういう意味でも本書に登場する人物は基本的に実在の人物です。

本書の中盤に登場し、重要な役割を果たす日置釭三郎も、松方幸次郎の商売を助け、コレクション蒐集に助力した鈴木商店ロンドン支店長高畑誠一も実在した人たちです。

しかし、本書の語り手として登場する田代雄一という美術史家は日本における西洋美術史家の草分けである矢代幸雄という人物をモデルとした、作者原田マハが作り出した架空の人物だそうです(原田マハ公式ウェブサイト : 参照)。

この人物が松方幸次郎が美術品を買い求める際の助言者の一人になり、戦後の「松方コレクション」返還交渉にも重要な役割を果たしています。

本書のキーマンとして架空の人物を設定し、架空の人物であるがゆえに自由に動かすことができ、物語に幅を持たせたのでしょう。

 

本書は先にも述べたように、歴史的な事実を基礎に描かれています。

本書の真の主人公とも言えそうな松方幸次郎が総理大臣も務めた松方正義の息子であることや、「松方コレクション」が日本への移送もできず海外に留め置かれていたこと、第二次世界大戦後吉田茂総理が「松方コレクション」の返還に尽力していたことなど、まったく知らないことばかりで、驚きに満ちていました。

そういう私にとっては、本書はある意味ミステリー的な側面を持つ小説でもありました。

本来、本書に書かれている事柄は基本的に歴史的な事実であり、芸術、特に絵画に詳しい方々にとっては自明のことであるかもしれません。

しかし、芸術とのことは全くわからない私にとって、本書で描かれている事実は未知の事柄であり、次第に明らかにされていく「松方コレクション」の実情はまさにミステリアスなことだったのです。

 

原田マハの、特に絵画に関する書籍群は、面白い小説としても、また知識的な側面でも、どの作品も一読に値する作品だと思います。

キネマの神様

39歳独身の歩は突然会社を辞めるが、折しも趣味は映画とギャンブルという父が倒れ、多額の借金が発覚した。ある日、父が雑誌「映友」に歩の文章を投稿したのをきっかけに歩は編集部に採用され、ひょんなことから父の映画ブログをスタートさせることに。“映画の神様”が壊れかけた家族を救う、奇跡の物語。(「BOOK」データベースより)

映画に対する愛情がいっぱいの、ファンタジックな長編小説です。

 

歩はシネマコンプレックス建設プロジェクトのチーフだったのですが、会社内部の抗争に敗れて退社し、今勤めている「映友」という映画関係の会社に拾われて、映画に関する雑文を書いています。それは、父親が送った歩の文章が認められて採用に至ったものでした。

その父親は麻雀や競馬などのギャンブルが好きで母親を泣かせてばかりでしたが、ただ一つ、映画だけは大切にしていました。その父親が書いた映画に関する文章を映友のサイトに載せたところ、大反響があったのです。

それは、ローズ・バッドという人物の父親の文章に対する書きこみと、それに対する父親の反論というやり取りが人気になり、「映友」のサイトが世界的なブレイクを見せたものでした。

 

本書は映画好きにとってはたまらない作品です。まず、本書の序盤に出てくる映画が「イタリアの離島の小さな映画館を舞台にした、映画技師と少年の友情物語。」の「ニュー・シネマ・パラダイス」であり、主人公の歩がこの映画についてのエッセイを書く、という形で登場します。

この映画はエンニオ・モリコーネの音楽も素晴らしく、名画を特集する映画番組では必ずと言っていいほどに取り上げられる作品であって、また映画音楽でもあります。

「夏の夜空に咲く花火を・・・・・・、川の匂いと夜風を感じる川辺で見上げればひときわ美しいように、映画館で観れば、それはいっそう胸に沁みる。名画は、大輪の花火である。」と締めくくるその文章は映画好きの胸を打たないではおられません。

小説が好きで、そして漫画が、映画が好きでこのサイトで駄文を書いている私にとって、本書のような作品は夢のような物語です。映画に対する思いを文章で表現し、感動的な小説として成立しているのですから、作家という人種の凄さをあらためて感じます。

本書のように映画をテーマにした作品として 金城一紀の『映画篇』という作品があります。この小説も映画を取り上げてあり、映画に対する作者の想いが溢れている作品でした。

東京で学生生活を送った私はあちこちの名画座によくいきました。残念ながら名画を見たいから名画座に通ったわけではなく、名画座は入場料が安かったのです。ほとんど三本立てで三百円前後であったと覚えています。もしかしたら金額は間違っているかもしれません。それほどに遠い昔です。

蛇足ですが、 原尞の『そして夜は甦る』という作品を読んでいたら、高田馬場の「早稲田松竹」という映画館が物語の舞台になっていたのには驚きました。名画座と言えるかは疑問ですが、学生時代によくいった映画館の一つだったのです。

本書でも名画座が重要な要素として出てきます。「テアトル銀幕」というその名画座は主人公の父親の親友が経営している映画館であり、主人公も通った映画館です。

先に書いた文章でも述べられているように、本来、映画は映画館で見るべきだと思います。現在は懐具合との兼ね合いで、安く見ることのできるレンタルDVDでの映画鑑賞しかできていない私ですが、映画作品は、映画館の音響と、映画館の画面を前提に作られているものであり、本来映画館で見るべきものだと思うのです。

 

本書の物語は、こういう人が身近にいたら大変だろうと思うような、ギャンブルにはまった大人が書いた文章が世界的な人気となるという、このごろのインターネット社会では全く絵空事とまでは言えないものの、ファンタジーとしか言えない物語です。

でありながらも、そこで述べられている『フィールド・オブ・ドリームス』を始めとする文章はそれだけでも一読に値すると思います。

本書自体は、共に本屋大賞候補作となった本書の著者である原田マハの『暗幕のゲルニカ』や『たゆたえども沈まず』などの絵画小説とは異なります。

どちらかというと、『阪急電車』の 有川浩のような印象を受ける作品です。それだけ、文章のタッチが軽く感じられるということだと思います。

それはやはりテーマが、絵画に比べより娯楽性の強い映画に関わるものだからでしょうか。少なくとも、上記の絵画に関する作品は、画家本人の人間像に迫るというアプローチであるのに対し、本書は映画を受動的に楽しみ、その中から映像や音楽の美しさを堪能する、という作者の姿勢にあるような気がします。

いずれにしろ、映画という一般庶民の娯楽をテーマに、肩の凝らない読みやすい家族の物語として仕上げてある作品です。是非一度読んでもらいたい作品の一つです。

たゆたえども沈まず

19世紀末、パリ。浮世絵を引っさげて世界に挑んだ画商の林忠正と助手の重吉。日本に憧れ、自分だけの表現を追い求めるゴッホと、孤高の画家たる兄を支えたテオ。四人の魂が共鳴したとき、あの傑作が生まれ落ちた―。原田マハが、ゴッホとともに闘い抜いた新境地、アート小説の最高峰。ここに誕生!(「BOOK」データベースより)

本書は、日本でもファンの多い、フィンセント・ファン・ゴッホと、その弟テオドルス・ファン・ゴッホ兄弟の物語であり、当時パリで活躍していた林忠正という日本人画商と、そのもとで働く加納重吉という日本人二人が加わった話となっています。また、2018年本屋大賞のノミネート作品でもあります。

 

十九世紀後半のヨーロッパでは、日本美術に対する関心が高まり、その日本趣味は「ジャポニスム」と呼ばれていました。特に浮世絵に対する関心は高く、西洋美術に大きな影響を与えたと言います。

浮世絵に影響を受けた画家たちのなかに“印象派”と呼ばれる新進の画家たちがいました。しかし、当時のパリでは、アカデミー所属、若しくは推薦の画家が描いたテーマも構図も決まった絵画こそが美術であるとして、単に印象を起こしたにすぎない絵はなかなか絵画として認められにくい状況にあったのです。

こうした時代背景のもと、日本美術を海外に紹介し、日本では二束三文であった浮世絵を手広く売りさばいていたのが林忠正でした。

加納重吉は、この林忠正のもとで、とあるパーティーで当時グーピル商会の支配人をしていたテオドルス・ファン・ゴッホと知り合い、ゴッホ兄弟と林忠正跡の間を取り持つ役割を担うようになるのでした。

 

もとは兄フィンセントがグーピル商会に勤めていたのですが、テオがグーピル商会に勤めて数年後にフィンセントはグーピル商会をやめ、曲折の末に絵を描き始めるようになります。

印象派の画家たちが次第に世間に認められ始めていくなか、フィンセントを売り出す機会を狙っているテオは、なかなかそのタイミングを見つけられないでいたのです。

テオは家族を養いながら、フィンセントの画材、絵具、生活費を送り続けていました。しかし、フィンセントは弟の心を無視するように酒におぼれ、次第に精神を病んでいきます。

自分の画が世の中に認められずに苦悩するフィンセント、なんとか彼の画を世の中に認めてもらおうと苦労する弟テオ。兄は弟を愛しながらも自分の画にのめり込み、弟は兄の才能を信じながらも、無頼な生き方をする兄をたしなめるのです。

 

この兄弟間の愛情と憎悪は本書の一つのヤマでもあるようです。原田マハという作家は人間の心情の描き方がうまい作家だということを、こうした場面で知らされるのです。

ゴッホ兄弟と林との懸け橋となるのが、架空の人物である重吉です。重吉はそんなテオに手を差し伸べ、林にフィンセントの画を見てもらおうとします。

日本へ連れて行って欲しいというフィンセントの現状を見抜いた林は、フィンセントにアルルへ行くようにと勧めます。その後ゴーギャンをもフィンセントのもとへと送りこみ、フィンセントに明るく自由な環境での創作を期待するのです。

 

ゴッホたちに大きな影響を与えたと言われる日本の浮世絵。その浮世絵が幕末から維新期にかけて欧米に大量に流出した、という話は聞いたことがあります。そして、浮世絵が西洋絵画に大きな影響を与えた、という話もまた聞いたことがあります。

しかし、音楽も含めていわゆる芸術作品には疎い私は、ゴッホの絵画作品の中に浮世絵自体の模写であるとか、背景に浮世絵を配置した絵があるという話は知りませんでした。

ゴッホによる安藤広重の浮世絵の模写としては

印象派と浮世絵 (1) – 印象派の技法とは – 浮世絵ぎゃらりぃ

に画像と共に詳しい解説も載っています。

また、溪斎英泉の浮世絵の模写としては

花魁(溪斎英泉による – ゴッホ展 巡りゆく日本の夢

に載っています。

 

日本の浮世絵をテーマにした作品としてすぐに浮かぶのは、 朝井まかての『』です。北歳の娘で、“江戸のレンブラント”と呼ばれた葛飾応為こと“お栄”を書いた作品はいくつかあるのですが、お栄の姿をここまで生き生きと描き出している作品は他にはないと思います。

この作品には上記の渓斎英泉も北歳の弟子として登場していて、お栄が心惹かれる男として描かれているのです。

また、明治浮世絵の三傑の一人に数えられ、最後の浮世絵師と呼ばれた小林清親の物語である、 杉本章子の『東京新大橋雨中図』という作品もありました。この作品は小林清親の眼から見た東京が描かれ、光線画という新しい手法で注目を得、人気絵師として成長していく小林清親像を、その内面をも含めて描写していて読みごたえがありました。

梶よう子によるヨイ豊という作品は、上記作品と同様に幕末から明治初期の市井の様子を交えながら、浮世絵が忘れられていく姿が丁寧に描かれている長編小説です。第154回直木賞の候補作品です。

この作品は三代目歌川豊国の死去にあたり、その後を継ぐか否かで迷う弟子の清太郎を主人公とし、失われていく江戸の町を前に「江戸絵」を書きたいという絵師たちの哀しみを描き出す物語です。

 

こうした小説で描かれている浮世絵作家たちは、自分らの作品が海外に流出することは勿論、海外で高い評価を受けることなど、夢想だにしなかったことでしょう。

本書の最後、林忠正は「日本の美術は、新しい芸術家たちに・・・フィンセント・ファン・ゴッホに、、光明を投げかけたのだから。私は、そのことを誇りに思います。」とテオの妻に告げています。この言葉はとりもなおさず、作者の心の声であるのでしょうし、私たち日本人の思いでもあるようです。

 

蛇足ながら、本書とは、小説のジャンルも勿論描かれている内容も全く異なる小説を思い出してしまいました。単にゴッホの「ひまわり」という絵画をモチーフにしているというだけの繋がりです。

藤原伊織という冒険小説作家の作品であり、格調高い文章でハードボイルド小説の第一人者といえる、私の大好きな作家です。『ひまわりの祝祭』というその小説は、本作品とは全く関係はありませんが、一読の価値ありと思います。

カフーを待ちわびて

もし絵馬の言葉が本当なら、私をあなたのお嫁さんにしてください―。きっかけは絵馬に書いた願い事だった。「嫁に来ないか。」と書いた明青のもとに、神様が本当に花嫁をつれてきたのだ―。沖縄の小さな島でくりひろげられる、やさしくて、あたたかくて、ちょっぴりせつない恋の話。選考委員から「自然とやさしい気持ちになれる作品」と絶賛された第1回『日本ラブストーリー大賞』大賞受賞作品。

本書が小説家デビューである作者のファンタジックな長編恋愛小説で、日本ラブストーリー大賞を受賞している作品です。

「作家としての経験を積んでおきたかった」という作者が、当時勤めていた「六本木ヒルズからいちばん遠い世界を書こうと思って」書き始めたのが、取材旅行で足をのばした伊是名島での、カフーという犬を連れた人との出会いだったそうです。そのことが、「『カフーとは幸せという意味です』と聞いた時に、私のなかでカキーンと何かがヒットしました。」という作者の言葉に表れています。( 作家の読書道 : 参照 )

家の近くに青い空と海、そして白い砂浜があるという、絵にかいたような沖縄のとある村に住む明青は、ある日突然に「幸」という女性からの手紙を受け取ります。それは、明青が旅先で戯れに残した「嫁に来い」という絵馬を見たという女性の、「結婚してください」という内容の手紙でした。

この手紙を受け取ってからの幸が現れるまでの明青のほのぼのとした様子など、とてもデビュー作だとは思えない出来です。

明青のもとに現れた幸は、いつか自然に明青らの仲間になり、明青の裏の家に一人住む島唯一人のユタであるおばあと共に、明青は愛犬カフーと幸との暮らしを続けるのでした。

しかし、そうした絵にかいたようなパラダイスにも開発業者の手は伸びてきます。生活という現実のもとで、土地を売らなければならない人も出てくるのです。

そんな中でも明青は、幸との暮らしを維持しようとする努力すらもしないのでした。

沖縄の美しい自然の中での生活があり、そこに突然に美女が現れ一緒に住み始める。そんな展開はあり得ないだろう、という思いもあったのですが、だからこそのファンタジーであり、美しさと、人の善意を強調した恋愛小説なのだろうと納得したものです。

たまにはこうした毒のない美しい物語もいいものだと思える小説でした。

本書のような恋愛小説は私の得意とするところではなく、あまり読んだことはないのですが、それでも 井上荒野の直木賞受賞作である『切羽へ』は、官能の香りを漂わせる大人のための恋愛小説として、「性よりも性的な、男と女のやりとり」を醸し出している佳品との文言が適切な、こういう物語もあるのだと、小さな驚きを持って読んだ小説でした。

また 雫井脩介の『クローズド・ノート』は、引っ越した先のクローゼットに置き忘れられた一冊の日記をめぐる物語で、そのノートの中で息づく一人の女性とその女性に対する主人公の女性の想いが、テンポのいい文章で描写されており、思わず惹きこまれてしまいました。

これらの小説はファンタジックな要素が満載の本書『カフーを待ちわびて』とは少々異なりますが、恋愛小説という意味では、読んでいてこうした小説もたまにはいいものだと思わせられた小説でした。


なお、本書を原作として、有羽なぎさという人の画によるコミックも出ています。この人の画がどういう画かは分かりませんが、装丁画を見る限りは、ファンタジックなタッチのような気がします。

また、明青を玉山鉄二、幸をマイコという配役で映画化もされています。私は未見ですが、いつか見て見たいと思っています。

楽園のカンヴァス

ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンはある日スイスの大邸宅に招かれる。そこで見たのは巨匠ルソーの名作「夢」に酷似した絵。持ち主は正しく真贋判定した者にこの絵を譲ると告げ、手がかりとなる謎の古書を読ませる。リミットは7日間。ライバルは日本人研究者・早川織絵。ルソーとピカソ、二人の天才がカンヴァスに篭めた想いとは―。山本周五郎賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

この作者の『暗幕のゲルニカ』を読んだときにも思ったのですが、この作者の絵画に愛する愛情をしっかりと感じることのできる作品でした。

美術館のキュレーターをするほどの人ですから、絵画に対する思い入れ、知識が深いのは当たり前のことだとは思います。しかしながら、その愛情を一般の人に対して文章で表現する能力までをも有する人はそうはいないでしょう。

その稀有な才能を十分に生かしきった作品として本書『楽園のカンヴァス』があり、以前読んだ直木賞候補にもなった『暗幕のゲルニカ』があると思うのです。

本書の主人公は早川織絵とティム・ブラウンという二人の人物です。共に幼いころからルソーに魅せられ、ルソーの研究を尽くしてきた研究者でもあります。その二人が、一人の富豪の持つ絵画の真贋を判定して欲しいという依頼に応じ、スイスまでやってくるのです。そこで見せられた書き物には、書き手不明のルソーの物語がありました。

この書き手不明のルソーの物語という劇中劇のような形で、ルソーの物語と現代の二人の物語との二重の話が進みます。こうした書き方は『暗幕のゲルニカ』と同様の手法であり、原田マハの心酔する芸術家の人生を同様の構造の物語で追いかけているのです。

構造の類似と言う点では、ミステリーという形式をとっているという点でも同じです。二人が真贋の判定を任された絵画と判定の根拠となる物語自体の信憑性、そして、早川織絵という人物が現在の立場に至っている歴史、そのそれぞれが次第に明かされていく過程は引きこまれずにおられません。

原田マハという作家は伊藤忠で働いていたそうで、その時に早稲田の第二文学部に美術史学科に通っているのですが、その倍率が四十倍だったそうです。その時に勉強した本に、E・H・ゴンブリッチの『美術の歩み』という書物があったそうです。「『楽園のカンヴァス』の根底にあるアートへの愛情は全部ゴンブリッチさんから受け継ぎました。」( 作家の読書道 4/5 : 参照 )とまで言っているのです。絵画に対してそこまで思い入れのあるわけでもない私ですが、この作者の一つの側面を垣間見た気がします。

「ルソーのことをずっと考えていた」作者は、「MoMAに派遣された時にはチャンスだと思いましたね。あそこには「夢」と「眠れるジプシー女」の二点があるので、毎日観にいきました。あとは資料室に行ってルソー関係の資料を全部コピーして。その時すでに小説にするつもりだったんです。キュレーターをやりながら二兎を追ってもいいんじゃないかと思っていました。」( 作家の読書道 5/5 : 参照 )といいますから、ルソーに対する思い入れは相当なものだったようです。

これらの思い入れ、そして努力の上に本書は出来上がっていることが良く分かる話でした。

暗幕のゲルニカ

反戦のシンボルにして20世紀を代表する絵画、ピカソの“ゲルニカ”。国連本部のロビーに飾られていたこの名画のタペストリーが、2003年のある日、忽然と姿を消した…。大戦前夜のパリと現代のNY、スペインが交錯する、華麗でスリリングな美術小説。(「BOOK」データベースより)

本書はミステリーと言っていいのでしょうが、若干の迷いもあります。惹句に美術小説とあるように、本書はミステリアスな構成になってはいるものの、その内容は、「ゲルニカ」という非常な政治的メッセージを含んだ絵画を通して、ピカソという人物像を描こうとしているとも読めるからです。

まず、本書ではキュレーターという耳慣れない職種を理解する必要があります。キュレーターという職種については、「英語由来の外来語である。英語の元の意味では、博物館(美術館含む)、図書館、公文書館のような資料蓄積型文化施設において、施設の収集する資料に関する鑑定や研究を行い、学術的専門知識をもって業務の管理監督を行う専門職、管理職を指す。(※curate―展覧会を組織すること)。」を言うそうです。( ウィキペディア : 参照)

作者が本書を書く動機として次のような文章がありました。「ついにアメリカを中心とした連合軍がイラク空爆に踏み切るという前夜、当時のブッシュ政権パウエル国務長官が国連安保理会議場のロビーで会見したのですが、そのとき背景にあるべきゲルニカのタペストリーに暗幕が掛けられていたんです。前代未聞の光景で、ほぼリアルタイムで見ていた私は、非常にショックを受けました。」「パウエル長官が暗幕の前で演説する写真に添えてバイエラー氏のメッセージがありました。ピカソの真のメッセージは暗幕などでは決して隠せない。誰かがピカソのメッセージに暗幕を掛けたのであれば、私がそれを引きはがすまでだ、って。」パウエル長官は当時のアメリカ軍のトップですし、バイエラー氏とはピカソと親交があった大コレクターです。( 東洋経済 ブックス・レビュー : 参照 )

そして、ピカソの「ゲルニカ」とは、1937年4月26日、スペインの内戦時にフランコ反乱軍を後押しするドイツ軍がバスク地方の一都市ゲルニカ(Guernica)を空爆したことを聞いたピカソが、パリ万国博覧会のスペイン館用の壁画のテーマを変更し、油彩よりも乾きが速い工業用ペンキを用いて描き上げた大作です。( 「有名な絵画・画家」参照 )

ここでスペインの内戦とは、1936年から1939年にかけて共和国軍とフランコ将軍率いるファシズム陣営との間で戦われたスペインでの内乱のことです。当時はヘミングウェイが人民戦線政府側としてスペイン内戦に参戦し、その経験をもとに『誰がために鐘は鳴る』や『武器よさらば』を著わしましたが、西欧の知識人たちは共和国軍を支持し、ピカソもその中にいたのです。

スペイン内戦に関しては「共和国側民兵部隊に参加した体験に基づく臨場感あふれるルポルタージュ」であるジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』が有名です。私も古本屋でこの本を見つけ購入したもののとうとう現在に至るも読まないままです。目の前の本棚に眠っています。

本書は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のキュレーターである八神瑤子という女性と、1930年代のパリにおけるピカソの恋人の一人と言われるドラ・マールという女性の二人の行動を章を違えながら追いかけ、現代においてはピカソの描いた「ゲルニカ」を借り出し自ら企画したピカソ展を成功させようとする瑤子を、1930年代においてはドラ・マールを通して見たピカソの動向を、それぞれに描きながら、クライマックスの仕掛けへと突き進んでいく物語です。

「この作品は、物語の根幹を成す10%の史実でフレームを固め、その上に90%のフィクションを載せるスタイルを取っています。」( 東洋経済 ブックス・レビュー : 参照 )という著者の言葉そのままに、以上のような歴史的事実の上に本書はなりたっているのです。ドラ・マールとピカソとの生活など、判明している事実を織り交ぜ組み立ててありま

そして、芸術と戦争というテーマのもとに展開されているように思えていた物語は、いつしか八神瑤子らの企画する展示会の成否へと重点は移り、そして「ゲルニカ」という絵画の持つ芸術性、そしてピカソという巨人が描いた「ゲルニカ」という絵画の持つ意味へと重点が移っているように思えます。それは結局は芸術と戦争という冒頭のテーマへと戻っているのかもしれません。

作者の原田マハ氏は、10歳でピカソと出会い、40歳で上記の事件でのあらためての衝撃があって、50歳を超えて本書を書かれたそうです。そして、本書の作者である原田マハ氏の経歴を見ると、「ニューヨーク近代美術館に勤務後、2002年にフリーのキュレーターとして独立」という言葉が出てきます。( ウィキペディア : 参照 )本書はこの作者の経歴があってこその物語だとよく分かります。