本書『祝祭と予感』は、直木三十五賞と本屋大賞をW受賞した『蜜蜂と遠雷』のスピンオフ作品です。
本書は、各頁の余白が広く、全186頁という薄さもあり、すべてを読み終えるのにそうは時間がかかりません。
ただ、その薄さ、短さゆえかもしれませんが、登場人物などについての説明は全くなく、『蜜蜂と遠雷』を読んでいないとその意味は全く分からないと思います。
大ベストセラー『蜜蜂と遠雷』、待望のスピンオフ短編小説集!大好きな仲間たちの、知らなかった秘密。入賞者ツアーのはざま亜夜とマサルとなぜか塵が二人のピアノの恩師・綿貫先生の墓参りをする「祝祭と掃苔」。芳ヶ江国際ピアノコンクールの審査員ナサニエルと三枝子の若き日の衝撃的な出会いとその後を描いた「獅子と芍薬」。作曲家・菱沼忠明が課題曲「春と修羅」を作るきっかけになった忘れ得ぬ教え子の追憶「袈裟と鞦韆」。ジュリアード音楽院プレ・カレッジ時代のマサルの意外な一面「竪琴と葦笛」。楽器選びに悩むヴィオラ奏者・奏へ天啓を伝える「鈴蘭と階段」。巨匠ホフマンが幼い塵と初めて出会った永遠のような瞬間「伝説と予感」。全6編。(「BOOK」データベースより)
先に書いたように本書はスピンオフ作品であり『蜜蜂と遠雷』を読んだ人でも登場人物の名前や細かな設定などを詳しく覚えている人などそうはいないと思われ、少なくとも簡単な紹介文くらいは欲しいと思います。
そうした点を除けば、こうしたスピンオフ作品は本体物語のファンにとってはたまらなくうれしいものがあります。
「祝祭と掃苔」
「掃苔」(そうたい)とは墓参りのことだそうです。『蜜蜂と遠雷』で描かれた芳ヶ江国際ピアノコンクール後に栄伝亜夜、マサル、風間塵の三人で行った綿貫先生の墓参りの様子が描かれます。
栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、風間塵の三人は「芳ヶ江国際ピアノコンクール」の出場者であり、このほかにもう一いた人高島明石という出場者が本書では描かれていません。
綿貫先生とは亜夜が幼いころに通っていたピアノ教室の先生であり、マサルも亜夜に連れられてこのピアノ教室へ行っています。
何故かこの墓参りに塵も同行しており、三人の音楽などに関する無邪気な会話が心地よく感じられる話です。
「獅子と芍薬」
その髪型から「獅子」と呼ばれたナサニエル・シルヴァーバーグの、着ていた着物の柄から「芍薬」と例えられた嵯峨三枝子との、出会いから、その後の結婚、別れ、そして今に至る、回想の話です。
共に「芳ヶ江国際ピアノコンクール」での審査員であった二人の馴れ初めの話をメインに、コンクールでの一番を目指していた若き二人の青春が語られます。
「袈裟と鞦韆」(ブランコ)
芳ヶ江国際ピアノコンクールでは演奏者たちは課題曲として「春と修羅」という楽曲が与えられますが、この「春と修羅」の成り立ちについての話です。
『蜜蜂と遠雷』で強烈な印象を残していたのが「春と修羅」のカデンツァ、つまり演奏者の「自由に即興的な演奏をする部分」でした。
宮沢賢治の詩の中でも私が一番好きだといえるこの詩をモチーフにした演奏は一度聞いてみたいと思った場面です。その作品の誕生の話で、若干センチメンタルではありますが、感動的な話でもありました。
「鞦韆」とはブランコのことです。作曲家の菱沼忠明が黒澤明の「生きる」の中の名場面を連想したところから来ています。
「竪琴と葦笛」
先にも登場していたマサルがナサニエル・シルヴァーバーグと出会い、師事するに至る話です。
ナサニエルは嵯峨三枝子のかつての夫として「獅子と芍薬」に登場しました。ジュリアード音楽院の教授であり、塵を見出し育てたユウジ・フォン=ホフマンの数少ない弟子のひとりでもあります。
「鈴蘭と階段」
浜崎奏は亜夜が通う音楽大学でヴァイリオンを学ぶ二年先輩で、この大学の学長の娘でもあります。ヴィオラに転向したその奏が楽器選びに苦労する話です。
演奏家が楽器と親しむその様子、心象が細かに描かれています。
「伝説と予感」
この二月に亡くなったピアノ演奏の大家であるユウジ・フォン=ホフマンと養蜂家の息子であった塵との出会いの話です。
十数頁しかない短さで、ホフマンが塵と出会ったときの衝撃を、戦慄を描いてある作品です。