本書『マーダーズ』は、市井にふつうに暮らしている殺人者を主人公にした、新刊書で396頁にもなる長編のミステリー小説です。
登場人物がかなりの数に上る上に、物語が複雑で、ストーリーが追えなくなる場面が少なからずある、評価のしにくい小説でした。
『マーダーズ』の簡単なあらすじ
この街には複数の殺人者がいる。彼らが出会うとき、法では裁き得ない者たちへの断罪が始まる―現代社会の「裏」を見抜く圧倒的犯罪小説!(「BOOK」データベースより)
阿久津清春は、同僚との集まりの帰りに、男に暴行をうけている顔見知りの柚木玲美という女性を助けた。
玲美は助けてくれた清春に対し、清春の友達であり小学校卒業を前に殺された倉知真名美のことを持ち出して来た。
事件の九年後に犯人の大石嘉鳴人や大石のアリバイを証言した関係者など全部で八人が死んだのは清春の仕業だというのだ。
そして、その証拠を公開しない代わりに自分の母親が死んだ本当の理由と、姉の行方を探して欲しいと言ってきた。
そんな清春を、一緒に探索をするように命令された則本敦子という警視庁組織犯罪対策第五課七係の警部補の女性刑事が訪ねてきた。
玲美によると、村尾邦弘という元刑事が二人の犯罪事実を探し出し、清春と則本に探索を頼むようにと言ったのだという。
意にそわないとしても、玲美の言うとおりに共同で捜査を進めなければならない二人だった。
『マーダーズ』の感想
本稿の冒頭に述べたように、本書『マーダーズ』では登場人物がかなりの数に上る上に、物語が複雑で、ストーリーが追えなくなる場面が少なからずある、評価のしにくい小説でした。
ただ前提として、本書中で指摘してある、犯罪白書という公的な資料から、警察が認知した殺人行為を犯しながらもつかまっていない人間が十年間で二百六人もいるという事実があります。
認知されずに死因不明の異常死とされる年間十七万人のうち九割近くが行政解剖も為されていない現実からしても、「被害者も加害者も実数はきっと何倍にもなる」という玲美の言葉は重いものがあるのです。
そんな現実を前に、一人の刑事が執念深くある誘拐事件を調べていく中で、彼は世に知られていない多くの殺人行為とその犯人を知ることになる、本書の出発点はここにあります。
本書『マーダーズ』の基本的な構造は、犯罪を犯しながらも刑に服することなく日常生活を送っている人を利用して、自分の母親の死の真相や行方不明の姉の消息などを調べさせるという点にあります。
つまり本書のユニークな着眼点として、ミステリーとしての面白さを持ちながらも、探偵役に犯罪を犯した人間を据えているところがあげられるのです。
未解決事件の犯人が何を考えているか、同じ犯罪を犯した人間が一番よくわかるというわけです。
そして本書は、北野武監督の映画「アウトレイジ」の惹句にあったように、登場人物が、罪を犯した者という意味で「全員悪人」です。
本書の探偵役も、その探偵役に探偵行為を行わせている人間も、そしてもちろん探偵役が探している犯人たちもみんな罪を犯しています。
本書『マーダーズ』の探偵役となるのは総合商社日葵明和に勤める阿久津清春というサラリーマンです。また、警視庁組織犯罪対策第五課七係主任の則本敦子もまた清春と共に探索にあたります。
清春と則本に探索を命じるのが建設会社亀島組経理部勤務の柚木玲美であり、玲美の指南役として村尾邦弘という元刑事がいます。
基本的にはこの清春、則本、玲美という三人が中心になって物語は進みます。
清春も則本も共に過去に殺人を犯しているもののその犯罪の事実は発覚していません。
玲美は誰も知らない筈の二人の過去を知っていて、玲美の母親の不自然な死の真相と、行方不明になっている姉の行方を探すように命令します。
玲美が何故二人の過去を知っているのかは、村尾という元刑事が探り出したということが明らかにされています。
つまり、元刑事の村尾はとある誘拐事件を調査する中で、世に知られていない様々な殺人事件の経緯を知ったのです。
村尾は、あるNPOで知り合った柚木玲美に元警察官として相談に乗るうちに、自分が知った殺人犯である清春と則本敦子とを選び出し、玲美の望みを叶えるように準備をしました。
こうした構造の底にあるのは村尾という元刑事の執念であり、清春と則本に共通する悲惨な過去と殺人を犯しながらもそれを隠し通す能力です。
玲美は清春らに対し、殺人を犯しながら誰にも知られず日常生活を続ける『技能』を伝えたい人間がいて、それを身につけたい人間もいる、そうした人間たちの接点を調べ、見つけ出して欲しいと言い二人を追い詰めます。
こうして、清春と則本の二人は玲美の母親の死の真相を探るために動き始めるのです。
ただ、なにせ物語自体も決して短いとは言えない上に、事案が複雑に絡み合っているためにストーリーを見失いがちになり、評価が難しいということになりました。
この長浦京という作者は、前作の『リボルバー・リリー』でもそうであるように、物語をじつに緻密に構成し、練り上げておられます。
そのこと自体は物語の真実味を増すことでもあり決して悪いことではないと思われます。
普通に暮らしている普通の人の中に人を殺したことのある人間がいるという物語の設定も、そのこと自体は大いにありうることだと思われ、事実、数字もそのことを示しています。
ただ、本書『マーダーズ』に登場してくる殺人経験者にリアリティを感じられないという思いは終始付きまとっていました。
物語の中心にいる清春の犯行動機が、幼い頃に恋心を抱いた相手が殺され、その犯人が噓の証言により逮捕すらされなかった、だから証言者らの家族も含め殺した、という点が納得いかなかったのです。
その点に関しては、清春の人間性や対人交渉能力などを強調してあることからすると、作者としては清春という個人の性質としたいのかもしれません。
また緻密な書き込みは、ミステリーとして構成された作品の場合、筋立てが分かりにくくなりがち、ということがあります。
本書『マーダーズ』はまさにそうで、探索が緻密に為され、増えた登場人物ごとに人物の来歴などがまた詳細に語られるとき、物語の筋道が見えにくくなるのです。
ただ、このことは多くは読み手の問題だと思われ、あまり強調すべきではないのかもしれません。
単に、私自身が読みやすい物語に流されていたために、本書のような濃密な書き込みのある作品を読みこなすことができなくなっているとも思われるからです。
ともあれ、本書『マーダーズ』が面白い作品であることは否定できません。
ただ、主人公の同期に若干の疑問点があったこと、また物語が少々複雑で、筋を追いにくくなったことがあった、というだけです。
それは人によってはなんの問題もないことでしょうし、単に個人の好みの問題に帰着するだけのことと思われるのです。