『アンダードッグス』とは
本書『アンダードッグス』は、202年8月にKADOKAWAから刊行され、2023年9月に角川文庫から512頁の文庫として出版された、第164回直木賞にもノミネートされた長編の冒険小説です。
この作家の作品はスケールの大きい面白い作品ばかりですが、本書もその例に漏れないよく練られた作品です。
『アンダードッグス』の簡単なあらすじ
1996年、元官僚で証券マンの古葉慶太は顧客の大富豪・マッシモにある計画を強要される。それは中国返還直前の香港から運び出される機密情報を奪取するというものだった。かつて政争に巻き込まれ失脚した古葉は、自分を陥れた者たちへの復讐の機会と考え現地へ飛ぶ。待っていたのは4人のチームメンバーと、計画を狙う米露英中の諜報機関だった。策謀と銃弾飛び交う香港で“負け犬たち”は世界に牙を剥く!究極のエンタメ巨編。(「BOOK」データベースより)
『アンダードッグス』の感想
本書『アンダードッグス』は、元農林水産省官僚で、今は証券マンである古葉慶太という男が主人公です。
と同時に、古葉慶太の義理の娘である古葉瑛美というスキゾイドパーソナリティ障害をもつ女性もまた時代を変えた主人公として設定してあります。
香港が中国に返還されたのは1997年ですが、本書のメインの物語であるコン・ゲームは、香港が返還されるその年1997年の香港を舞台に繰り広げられます。
中心となる登場人物は、古葉のチームとして元銀行員のイギリス人ジャービス・マクギリス、元IT技術者のフィンランド人イラリ・ロンカイネン、政府機関に勤める香港人林彩華(リンツァイファ)、それに古葉たちのチームの警護役として雇われたオーストラリア人のミア・リーダースです。
それに、皇家香港警察總部の督察(ドウチャ 警部)である雷楚雄(ルイコーハン)や、イタリア人大富豪マッシモの秘書だったクラエス・アイマーロ、アメリカ合衆国通商代表部のフランク・ベローなどきりがありません。
彼らが厳重に守られた香港の銀行からフロッピーディスクや書類を奪おうとし、それを巡って騙し合い、殺し合うのです。
そして第二の視点として、20年以上の時を経た2018年の古葉瑛美を中心とした物語があります。
ここでも古葉瑛美がまず逮捕される場面から始まり、そして古葉慶太が数年前に火事のためにすでに死んでいる事実が明らかにされることで驚かされます。
こうして、読者は驚きと共に激流のような物語に放り込まれることになるのです。
この古葉慶太の物語と、古葉瑛美の現代での物語が交互に語られることで、少しずつ瑛美の秘密が明らかにされるとともに、過去の古葉慶太の行動で語られていなかった謎が明らかにされていきます。
この物語の流れは読む者の関心を惹きつけないではおられません。本書の帯に書いてあったいろいろな人の惹句は決して大げさではないということがすぐにわかります。
ここで、古葉瑛美が罹っているというスキゾイドパーソナリティ障害とは、本書本文には、人づきあい自体が大きな精神的負担となる病気だとの説明がありました。
この病にかかっているという設定については、何故このような設定にしたのかはよく分かりませんでした。しかし、その点は大きな問題ではありません。
本書『アンダードッグス』をひとことで言えば、頁を繰るごとに思いもよらない展開が待っているスケールの大きな痛快冒険小説ということになるのでしょうか。
とにかく、先の展開が読めません。意外性に満ちたそのストーリーは、詳細な調査に裏付けられた緻密な描写ともあいまって、スピーディーに、それも圧倒的なリアリティを持って展開されるのです。
繰り返しますが、本書はどれほど言葉を費やしても、結局は、先の読めないとか、スケールの大きなといった形容詞で紹介される小説です。
多数に上る登場人物のほとんどを誰も信じることができず、裏切りに次ぐ裏切りが続きます。
それでいて、これほどに複雑で登場人物が多い小説は、普通はストーリーが分かりにくく、筋を追うことが難しくなると思うのですが本書ではそれがありませんでした。
本書『アンダードッグス』の描写の緻密さについては、「いまと昔のガイドブックや資料を山ほど読みました」という著者本人のインタビューに応えた言葉がありました。
香港の細かな状況描写や現地の人、少なくとも現地に詳しい人でなければ知っていないであろう情報などを駆使して逃走劇を繰り広げるのですから、現地をほとんど知らないという作者の言葉は単純には信じられないほどです。
そういえば、この作者の大藪春彦賞を受賞した『リボルバー・リリー』という作品も緻密な描写に裏付けられている物語でした。
昭和初期の東京の街を舞台に戦闘行為を展開するのですから、その街の状況は調べるしかないわけです。
それでも圧倒的なリアイリティを持って描かれるその戦いは読む者を引き付けて離さないのです。
圧倒的なリアリティのもとに描かれる作品と言えば、月村了衛の機龍警察シリーズ』もそうでした。
コミックやアニメでかなり人気を博した「機動警察パトレイバー」の小説版、と言ってもいいほどに世界観が似た小説です。
しかしながら、単なるアニメ類似の作品として捉えていては大きな間違いを犯すことになるほどに重厚な世界観を持った作品です。
本書『アンダードッグス』の作者長浦京という作家は、次の作品が待ち遠しい。そう思わせてくれる作家さんです。
本書は残念ながら第164回直木賞の受賞はなりませんでしたが、次回作を待ちたいものです。