『プリンシパル』とは
本書『プリンシパル』は2022年7月に544頁のハードカバーとして刊行された、長編のクライムサスペンス小説です。
太平洋戦争終結時、父である水嶽組組長の死去に伴い、やむを得ず水嶽組の跡目を継がざるを得なくなった女性の慟哭の数年間を描く、少々冗長と感じたもののさすがに面白さは抜群の作品でした。
『プリンシパル』の簡単なあらすじ
1945年、東京。関東最大級の暴力組織、四代目水嶽本家。その一人娘である綾女は、終戦と父の死により、突如、正統後継者の兄たちが戦地から帰還するまで「代行」役となることを余儀なくされる。懐柔と癒着を謀る大物議員の陥穽。利権と覇権を狙うGHQの暗躍。勢力拡大を目論む極道者たちの瘴気…。綾女が辿る、鮮血に彩られた闘争の遍歴は、やがて、戦後日本の闇をも呑み込む、漆黒のクライマックスへと突き進む。(「BOOK」データベースより)
終戦のその日、女教師である水嶽綾女は父親玄太の危篤の知らせを受け、玉音放送が流れるなか疎開先の長野から実家である渋谷の水嶽本家へと帰ってきた。
その夜、父水嶽組組長の玄太は逝き、綾女は未だ戦地にいる兄たちの代わりに喪主を務めるように言われるが、ヤクザを嫌っていた彼女はこれを受け付けないでいた。
しかしその夜、綾女が宿としていた青池家が襲撃を受け、青池修造とその嫁を除いて、乳母であったハツを始めとする青池家の皆は子供に至るまで拷問の末に殺されてしまう。
何とか生き延びることができた綾女は青池家の惨状を目の当たりにして復讐を誓い、そして水嶽組の跡目を継ぐことになるのだった。
『プリンシパル』の感想
本書『プリンシパル』は、二十三歳の女性教師が突然関東最大の暴力団の組長となり、戦後の混乱期を乗り越えていく話です。
お嬢さんが極道の家の跡継ぎになる話、というそのことだけで、ドラマ化もされ人気を博したコミックの『ごくせん』のようなコミカルなタッチの極道ものか、と単純に考えていたら大いに違っていました。
評論家の香山二三郎氏に言わせれば、赤川次郎の『セーラー服と機関銃』だと思っていたら、フランシス・フォード・コッポラによる映画化でも有名なマリオ・プーヅォの『ゴッドファーザー』だった、そうです( Book Bang : 参照 )。
それほどに、コミカルな点など全くない、全くシリアスな作品だったのです。
そういうシリアスな本書『プリンシパル』ですが、全体的に戦後日本の裏面史を俯瞰してみているようで、今一つ感情移入しにくい印象から始まりました。
主人公の綾女というキャラクターの描き方も、彼女自身の行動を追いかけているというよりは客観的に事実を報告している印象が強く、この点でも感情移入しにくいのです。
「水嶽商事の力の大きさ」を示すのに、日本政府も警察もハリボテ同然で使い物にならない、などの表現があるだけで具体的な絡みの場面はほとんどなく、会話の中などで水嶽組の評判を示すだけになっているためか、どうにも水嶽組の大きさを実感できません。
また、綾女の負った原罪ともいうべき青池一家の惨劇は常に綾女につきまとい、幽霊とも幻覚ともつかない存在が示されはしますが、それ以上に綾女の個々の行動の理由もよく分かりません。
この随所に現れる青池家族の亡霊らしき存在は、綾女への非難や怨念なのか、それとも彼女への暴力的な生き方への後押しなのか、よく分かりませんでした。
さらに、青池家の惨劇での、綾女を守るために青池家の幼い子までもが拷問に耐え、綾女の居場所を吐かないという設定も、少々真実味にかける印象でした。
さらに言えば、登場人物の多さも物語の筋を追いにくくしているように思えます。
水嶽家だけでも、長女の綾女から見て父親で組長の玄太、長兄の麟太郎、次兄の桂次郎、三兄の康三郎、義母の寿賀子、寿賀子の娘の由結子がいます。
そして、悲惨な目に遭う青池家には父親と母親のはつ、それに興造、修造、泰造、佳奈子という兄弟姉妹、修造の妻のよし江がいます。
株式会社となった水嶽組である水嶽商事の役員として赤松、須藤、堀内がおり、他に飛田という綾女のボディガード、生田目、日野といった親分衆が登場します。
ほかにも、水嶽組に敵対する三津田組や、廣瀬通商の熊川万里江、GHQ関係としてロイ・クレモンズ、レナード・カウフマン他が登場します。
ほかに歴史上の実在の人物をモデルにしていると思わせる存在として、水嶽組を食い物にする政治家の旗山市太郎、吉野繁美という衆議院議員がいますが、それぞれに鳩山一郎、吉田茂をモデルにしていると思われます。
さらに美空ひばりをモデルとしていると思われる美波ひかり、関西最大の暴力団である山口組の田岡一雄を思わせる竹岡組組長の竹岡義雄も忘れてはいけません。
主な人物だけを挙げてもこれほど多いのです。ほかにも多数の登場人物がおり、よくその名前と関係性を覚えていないと混乱してしまいます。
しかしながら中盤から終盤に入ると、これまでと同じような凄惨な攻防戦が続く展開ではあるものの、綾女のこれからの成り行きが気になり、次の展開が気になって仕方がなくなってもいました。
それほどに、戦後史という側面はありながらも、綾女という女性をめぐる物語としての面白さが勝ってきたのです。
終盤近くになり、戦後裏面史という体裁は単純に私の読み間違えで、ただ、水嶽綾女という女性の生き方を描き出した作品という方が正しいのだと思えてきました。
その歴史はもちろん水嶽組というヤクザ組織を背景にした、水嶽綾女という女性の暴力の積み重ねともいえるのです。
ところが、著者自身が「ノンフィクションに限りなく近い「真実」を描けた」と言っているように、本書『プリンシパル』自体は戦後史を描くことが主眼であったようです( PR TIMES : 参照 )。
とすれば、私が最初に感じた印象が正しかったということになりそうです。
ともあれ、当初感じた本書の感情移入のしにくさは、新たに解ってきたGHQの横暴さや政界とヤクザとの関係など、戦後史研究での新しい事実を物語の中に落とし込むうえである程度は仕方のないことだったのかもしれません。
そして、その作者の試みはある程度成功していると言えそうであり、エンターテイメント小説としても実に面白い作品として仕上がっていると言えそうです。
ただ、誰かが言っていた、「超弩級の犯罪巨篇」という言葉はそうだとしても、「著者集大成」という言葉はそのままには受け入れることはできないと思います。
とはいえ、クライムサスペンスとして面白い作品として仕上がっているということは言えると思います。