東京都墨田区Y町。つまみ簪職人・源二郎の弟子である徹平(元ヤン)の様子がおかしい。どうやら、昔の不良仲間に強請られたためらしい。それを知った源二郎は、幼なじみの国政とともにひと肌脱ぐことにするが―。弟子の徹平と賑やかに暮らす源。妻子と別居しひとり寂しく暮らす国政。ソリが合わないはずなのに、なぜか良いコンビ。そんなふたりが巻き起こす、ハチャメチャで痛快だけど、どこか心温まる人情譚!(「BOOK」データベースより)
本書の主人公は有田国政と堀源二郎という二人の爺さんです。「政」は銀行員上がりの堅物で、「源」はつまみ簪職人の破天荒男。正反対の性格をした二人は幼馴染で、東京下町で暮らしています。
三浦しをんという作家の作品にはよく『まほろ駅前シリーズ』の多田と行天、『神去シリーズ』の勇気と与喜のように迷コンビが登場し、読者を楽しませてくれます。これらの登場人物は実に個性的で魅力的です。そして何となく身近にもいそうな親近感を感じていました。
ところが、本書の二人に関してはその親近感をあまり感じなかったのです。本書の二人も他の作品のコンビのようにコミカルで、親しみやすい感じはするのですが、何となく軽いのです。主役がそうですから、脇役に至ってはなおさらです。特に、源二郎の弟子としている元ヤンの徹平とその彼女マミがまた能天気です。
普通であれば脇役の気楽さは作品の読みやすさに結びついてよさそうなのですが、本書の場合は主人公らに厚みを感じない分、更に作品の軽さに結びついてしまったのではないでしょうか。
加えて、本書のイラストがまた軽いという印象を持つ一因ではないかと思われます。このイラストが少女漫画のそれであり、み目麗しい爺さん二人がカバー装丁として構えているのはいただけませんでした。
ただ、読後本書についての記事を読んでみると少女雑誌に連載されていた作品だということでした。とするならば対象読者層に合わせての物語であり装丁でしょうから、本書の内容について浅く感じたのも当然なのかもしれません。それは逆に、少女雑誌というメディアにおいても三浦しをんという作者の魅力を十全に開花させた作品だということになるのでしょう。
また、作者の本書についてのインタビュー記事に、本書の舞台となる墨田区のY町は全く架空の街だそうで、ですからスカイツリーもあえて全然登場させていないのだそうです。更に言えば本書の舞台を流れる水路に関しても、現実の下町に現役の水路は存在しなくて作者の想像で描き出したものだとありました。
特に目についたのは、つまみ簪の描写も参考書をもとにした想像だそうで、その点について、小説の中の種々の設定はあくまで架空のものであるから、村上春樹が現実には「ラジエーターが故障するフォルクス・ワーゲン」は現実には無いけれど、「作品世界のなかでは、ビートルにラジエーターが存在すると考えてほしい」と反論していた話を引いていたのが印象的でした。
であるのならば、これまで小説を読んだ中でリアリティーを感じない一因として、現実と異なること、を挙げていた私の読み方も少し修正すべきことになりそうです。