本書『彼方の友へ』は、昭和十年代の少女向け雑誌の編集部を舞台に成長する一人の女性の姿を描いた長編小説です。
太平洋戦争突入前、時代の流れに逆らい全国の少女らに向けて雑誌を発行し続けた編集人たちを描き、第158回直木賞の候補となった感動作でもあります。
『彼方の友へ』の簡単なあらすじ
老人施設でまどろむ佐倉波津子に小さな箱が手渡された。「乙女の友・昭和十三年 新年号附録 長谷川純司 作」。そう印刷された可憐な箱は、70余年の歳月をかけて届けられたものだった―戦中という困難な時代に情熱を胸に歩む人々を、あたたかく、生き生きとした筆致で描ききった感動傑作。巻末に書き下ろし番外編を収録。第158回直木賞候補作。(「BOOK」データベースより)
少女雑誌「乙女の友」の大フアンであった十六歳の佐倉ハツは、思いがけなく「乙女の友」の編集部に雑用係として勤めることになります。
そこは高い教養と華やかなファッションに身を包んだ人たちの世界であり、小学校しか出ていないハツにとっては別世界でした。
しかし、あこがれの詩人有賀憲一郎や夢の世界を描く画家長谷川純司の側にいることのできる心躍る職場でもあったのです。
主人公の佐倉ハツの父親は大陸で失踪し、その消息は不明です。また母親も危機に陥ったハツを助け出してくれたりと、何ともその背景が分かりません。
ハツが「乙女の友」という雑誌の編集部に勤めるようになったのも、不可思議な力が働いた結果でした。
こうした何らかの力の正体が明かされないままに、ハツの頑張りは編集部のみなにも認められ、「乙女の友」に寄稿する作家たちからも信頼を得ていきます。
「乙女の友」は何と言っても長谷川純司の耽美的な画によるところが大きく、長谷川純司の画の描かれた雑誌の付録も全国の少女たちの全貌の的になるほどでした。
しかし、時代はそうした派手で目立つ付録の存在など許されなくなり、執筆陣にも夢の世界ではなく、戦意発揚に役立つものとの命が下るようになっていきます。
そうした中、購読者を「友」と呼ぶ「乙女の友」は、「友へ 最上のものを」という旗印の下、未来に希望を持ち得るような雑誌作りを続けていたのです。
しかし、時代は太平洋戦争へと突き進み、「乙女の友」も存続が難しくなっていくのでした。
『彼方の友へ』の感想
本書『彼方の友へ』は、少女向けの雑誌を作り続けた編集者たちの姿を一人の女性の眼を通して描き出してあります。
実在した実業之日本社から出されていた「少女の友」という雑誌の復刻版を手にした著者が、付録の素晴らしさに驚き、少女雑誌に興味がわいて本書を書いたそうです。
思想統制が厳しくなる時代においても、少女たちへ希望を届けようと、これまた実在の中原淳一という人物をモデルにした長谷川純司という画家を中心にした雑誌作りをする登場人物たちです。
そうした時代において、出征する有賀憲一郎を見送るハツの、「口に出してはいけない思いが、最近は多すぎる。」という内心を表した言葉は実に胸に迫ります。
「生きて帰ってきて」という当たり前の思いも、ましてや秘めた恋心など更に口にできるわけはなく、様々な思いが込められた一言なのです。
こうした秘めた想いを描き、時代背景も似た物語として中島京子の『小さいおうち』という作品がありました。
次第に思想統制が厳しくなっていく中、平井家に女中として住み込んでいる一人の女性の姿を通して、その想いと共に、太平洋戦争へ突入していこうとする昭和の時代を描き出している名作で、第143回直木賞を受賞した作品です。
勿論内容は全く異なり、こちらは一人の女中さんの眼を通して見た平井家の様子、とくに奥さまの時子とのやり取りを暖かな目線で描き出していました。
また太平洋戦争直前の世の中の様子の描き方も、平井家という世界から世の中を見ているため、通常描かれる殺伐とした世の中ではありません。
また、本書『彼方の友へ』のほうが、より情緒的だとも言えると思います。
しかしながら、『小さいおうち』の場合は、平井家に暮らす女中さんの目線で世間を見ていたのであり、本書『彼方の友へ』の場合は、軍の統制により直截的に接する出版という作業を通して世界を見ているのですから、より感情面に訴えることになるのかもしれません。
また、過去の出来事を回想の形式で語る、というこの手法に出会うと、必ずチャン・ツィーのデビュー作である『初恋のきた道』を思い出します。
ある若者の父親の葬式の場面から始まり、若者の母親が少女時代を回想するこの映画は、美しい中国の田舎の風景と、母親の少女時代を演じたチャン・ツィーというかわいらしい女優さんの姿が愛らしく、心に残る名作でした。
そして、この映画を見た当時は、私の母親もはちきれんばかりの青春時代があったのだと考えさせられる映画でもあったのです。
しかし、今の私があらためて考えると、何も母親のことではなく、自分自身の事柄として、この男にも青春時代があったのだと思われてもなにもおかしくはない年齢なのだ、ということに気付かされもする年代になっていました。
勿論、前にも書いたように少々情緒過多と思われること、母の背景など思わせぶりでありながら説明が何もなく気になる個所が何箇所かあること、など本書にも気がかりな点が無いわけではありません。
それでも、残念ながら本書『彼方の友へ』は直木賞を受賞することは叶いませんでしたが、私にとっては本書が受賞してもなにもおかしくはないのだと思う一冊でした。