『ペッパーズ・ゴースト』とは
本書『ペッパーズ・ゴースト』は、新刊書で387頁の長編のエンターテイメント小説です。
この作者の『殺し屋』シリーズタッチとよく似た作品で、ニーチェの言葉をベースとした、いかにも伊坂幸太郎の作品らしい会話の飛び交う作品でした。
『ペッパーズ・ゴースト』の簡単なあらすじ
未来を観て、人生を取り戻す。ある不思議な能力を持つ中学教師の檀。サークルとよばれるグループと壇先生が交差し、世界は変転を始める。(「BOOK」データベースより)
中学校の国語教師である檀千郷は飛沫を浴びた相手の視点で未来を見ることのできる「先行上映」と呼んでいる能力を持っていた。
しかし、そのことを生徒の父親である里見八賢に知られてしまい、ある騒動に巻き込まれる。
ある日突然、成海彪子という女性から、里見と連絡が取れないという連絡が入ってきた。
成海たちはかつて起きた「カフェ・ダイヤモンド事件」で殺された被害者の家族で構成されているサークルの仲間だと言い、里見もそうだというのだ。
その後、成海彪子と野口勇人という男と会い彼らの飛沫を浴びた檀は「先行上映」で、野口と思われる男の視点でトイレに閉じ込められている里見の姿を見るのだった。
そのうちに里見を探す檀自身が正体不明の一味にさらわれ、里見と同様にまた別のトイレに繋がれてしまう。
そこに壇の生徒が書いている小説に登場していた二人組と同じ名前のロシアンブルとアメショーと名乗る「ネコジゴハンター」が現れ、助け出されるのだった。
『ペッパーズ・ゴースト』の感想
本書『ペッパーズ・ゴースト』の主人公は、他人の目を通して未来を垣間見ることができるという特殊能力を有している檀千郷という名の三十五歳の中学校国語教師です。
そして、かつて起きた「カフェ・ダイヤモンド事件」で殺された被害者の家族で構成されているサークルのメンバーが起こすある事件を自分の能力を使って阻止しようとする様子が描かれます。
このサークルのメンバーとして成海彪子や野口勇人、庭野といった人物がいます。
里見八賢もこのサークルに参加していたようですが、里見から何かあった時は「段田」さんに連絡を取るようにと檀の番号を教えられたということから、檀は彼らの行動に巻き込まれていくのです。
ここで、もう一組の登場人物として、アメショーとロシアンブルというコンビが重要な意味を持ってきます。
彼らはある大金持ちの依頼をうけて、かつてネット上で猫を虐待した動画を上映していた《猫ゴロシ》を応援し、視聴していた通称ネコジゴと呼ばれていた<猫を地獄に送る会>の人たちに、彼らが猫に加えたと同様の仕打ちを与えています。
特にこの二人が彼の描く『殺し屋シリーズ』に登場してくる殺し屋のコンビのようでもあります。
物事を悲観的にしか見れないアメショーと、反対に常に楽天的に考えるロシアンブルという二人の掛け合いはリズミカルであり、独特の世界観をつくりあげるのに役立っています。
ユニークなのは、この二人が本書冒頭から登場しているのですが、それが生徒の書いた小説の中の人物として登場していることです。
ところがこのコンビが壇の危機に際し、現実の世界にあらわれて檀を助け、結果的には里見を助け出す助力をすることになるのですからなんとも不思議な物語です。
そしてもう一点、この物語の特質としてはニーチェの言葉をテーマとしていることが挙げられます。
私の若い頃にも世間ではニーチェの本が話題になることありましたが、私自身は読んだことが無く、またあらためて読む気もなかったのでニーチェと言われてもその意味すらよく分かりません。
ただ、本書内ではニーチェの本質を「永遠回帰」や「同じことが永遠に繰り返す人生」という言葉で説明してあります。
この「同じことが永遠に繰り返す人生」を取り上げ、悲惨な体験をした成海らのサークルの仲間たちは何度生き直してもまた同じ体験をしなければならないという諦念に陥ってしまうのです。
それがこのサークルの仲間の行動原理になっていくのですが、そのサークルの中でもまた意見の対立があるらしく、その点もまた物語の展開にひとひねりを加えることになっています。
ただ、このニーチェの言葉によって動かされていく、という設定はどうにも受け入れがたい設定ではありました。
一人の哲学者の言葉を既成事実のようにして考え、行動するという前提を素直には受け入れられず、普通はそうは考えないのではないかと思ってしまいました。
ともあれ、物語はこの前提で進んでいきますが、そうしたこともあってか、何となくの違和感を感じるようになりました。
本書『ペッパーズ・ゴースト』の序盤こそアメショーとロシアンブルの二人の行動が奇妙という点で関心は持ちましたが、この物語自体に対しては「冗長」とまではいわないにしても、私の感覚とは微妙にずれる印象を持つようになっていたのです。
本書の作者の伊坂幸太郎という人はベストセラー作家であり、その作品は数多く映像化もされているほどに人気があります。
ただ、やはり私の感覚とは合わない点があるのでしょう。本書の物語に引き込まれるという感覚はとうとう持ち得ませんでした。
このところ伊坂幸太郎作品が本屋大賞の候補作となることが続きました。
そしてそれらの『フーガはユーガ』や『逆ソクラテス』という作品はかなり面白く読んだものです。
さらに本屋大賞の候補となった『AX アックス』を読んだ時は昔と異なり惹き込まれる感覚がありました。
そこで『殺し屋シリーズ』を最初から読んでみたのですが、今度は『AX アックス』ほどの魅力は感じなかったのです。
そして本書『ペッパーズ・ゴースト』に至ったのですが、やはり惹き込まれる感覚はありませんでした。
私の感覚は、もしかしたら世間一般の感覚とはずれているのかもしれず、多分、伊坂作品はもう読まないのではないかと思っているところです。
ちなみに、本書のタイトルにもなっている『ペッパーズ・ゴースト』の意味は、「劇場や映像の技術の一つで、・・・照明とガラスを使い、別の場所に存在する物を観客の前に映し出す手法だ
」と本文中にも書いてありました。
より詳しくは、ウィキペディアを参照してください。