あと数年後には確実な死が待っている、そういう状況で、人はいかに生きるか、生きることができるか、を問う連作の短編小説です。「太陽のシール」、「籠城のビール」、「冬眠のガール」、「鋼鉄のウール」、「天体のヨール」、「演劇のオール」、「深海のポール」の、全部で八編の物語が収められています。
まず、この舞台設定がうまいですね。三年後の小惑星の衝突で全人類は滅亡します。でも現在ではその事実が分かってから既に五年が過ぎているのでパニックも収まり、社会はそれなりの平穏を取り戻しています。つまりは、通常の平穏な日常の中で、三年後には全員の死が確実な状況での、普通の人達の生き様はどのようなものか、が語られるのです。
例えば最初に語られる「終末のフール」はありふれた夫婦と娘の話です。ただ、父親は母親に対し何かにつけ「馬鹿」と言い続けていて、反発した娘は家を出ています。「出来そこない」と言われていた息子は娘が家を出て二ヶ月後に自殺しています。その娘が、息子の死後10年ぶりに、この時期に帰ってくる、その様が描かれています。
この設定自体は何ら特別なものではありません。ただ、誰もが残り三年の寿命しか無いという異常な状況で、久しぶりの親子の会話が交わされるのです。そうした状況下で人間はどの様な行動を取るものか。その異常な状況下で繰り広げられる展開の決定打は、馬鹿と言い続けられてきた母親の一言でした。
いかにも重く、暗い話のようですが、決してそのようなことはないホームドラマです。娘が最後に発した「三年もある」という言葉を父親は重く受け止めます。そして、物語は小さな感動を残してくれました。その感動は、三年という限定された全員の命に対しての、母親の明るさに対する敬意でもあります。
このほかに七編の小さな感動をもたらしてくれる短編からなっている本書ですが、伊坂幸太郎という作家の力量を思い知った物語でもありました。