本書『雲の果』は、あさのあつこの人気シリーズ『弥勒シリーズ』第八弾で、文庫本で343頁の長編のミステリー時代小説です。
『雲の果』の簡単なあらすじ
小間物問屋・遠野屋の元番頭が亡くなった。その死を悼む主の清之介は、火事で焼けた仕舞屋で見つかった若い女が殺されていたと報される。亡くなった女の元にあった帯と同じ作りの鴬色の帯が番頭の遺品から見つかり、事件は大きく展開する。北町奉行所定町廻り同心の木暮信次郎と“仇敵”清之介が掴んだ衝撃の真相とは―。緊張感溢れるシリーズ第八弾。(「BOOK」データベースより)
目次
仕舞屋が焼け、腹を深々と刺された女の死体がひとつ見つかった。
伊佐治は遠野屋の廉売に行きたいという女房おふじの頼みに応じ清之介のもとへとやってきていたが、事件の話をし、焼け跡から見つかった鶯色の焼け残りの帯の切れ端を預ける。
ところが、同じ織の帯が先日亡くなった遠野屋の筆頭番頭の喜之助の遺品の中から出てきて、事件は思わぬ方向へと展開するのだった。
『雲の果』の感想
本書の主人公である北町奉行定町廻り方同心木暮信次郎と元暗殺者の小間物屋遠野屋清之助という、ともに心に深い闇を持つ人物の心象を、ときには辟易するほどの緻密さで描写し人気となっているこのシリーズですが、本書もまたその例にもれず、この二人に伊佐治を加えた三人の心象描写に満ちています。
とくに、本書では伊佐治の内心についてよりしつこく描いてあります。
伊佐治は女房のおふじと息子夫婦に店を任せ、自分は信次郎の手下として岡っ引きという仕事に魅入られています。
そしてその様を、「信次郎の岡っ引きとして生きている限り、人が隠し持つ闇を知ることができる。人という生き物の深さにふれることができる」こと、「江戸の巷にうごめく人々の表と裏を垣間見る」ことが面白いと言うのです。
こうした伊佐治の内心を、ほとんど八頁にもわたる文章を費やしておふじや信次郎と交わす会話の間にちりばめながら、つまりは人間が“面白い”と言わせているのです。
このように伊佐治の内面を描写するのと同時に、信次郎の清之介に対する、同心という権力者の商人に対するいじめとも言えそうな物言いを通じて、信次郎と清之介との奇妙な心の交流をも描き、何とも不思議な空間を紡ぎだす、それがこのシリーズの大きな魅力になっていると思われます。
本来、私は登場人物の心象を緻密に描写する作品はあまり好きではありませんでした。例えば、2017年本屋大賞にノミネートされた西加奈子の『i(アイ)』は最後まで読みとおすのがやっとでした。ここまで主人公の内心だけを追求されると読書という行為自体を苦痛に感じかねないのです。
同様のことは藤崎彩織のふたごという作品でも感じました。この作品は、「SEKAI NO OWARI」という人気バンドのメンバー藤崎彩織が書いた初の小説であり、第158回直木賞の候補作となった小説です。主人公の内面をこれでもかと描写するこの作品もまた『i(アイ)』ほどではないにしろ、私の好みからは外れた作品でした。
ところが、本シリーズではそうした忌避感は起きません。それどころか、シリーズ内での似たような心象描写について若干のマンネリ感を感じはしても、物語自体には惹きこまれています。
それはやはりエンターテイメント小説として書かれているか否かということに帰着するのでしょう。
先に例として挙げた二冊は人間そのものを描くことが目的だと思われ、それに対し、本シリーズの場合やはり物語自体が主役であり、その手段としての人間描写であると思うのです。
本書は、シリーズ内の他の作品にあるような清之介の過去を探るとか、信次郎の過去へ遡るなどの人物像の探究という場面はなく、純粋に仕舞屋の火事と、その焼け跡から見つかった刺殺された女という事件についての探索が描かれるミステリーです。
その探索は、焼け跡に残された帯の切れはしに遠野屋が絡み、そして信次郎の動物的な勘が働いて隠された事実を暴き立てることになります。
まさにミステリーであるはずなのですが、ミステリー小説と言うにはためらいもあります、
それはやはり、あさのあつこという作家の心象描写、とくにこのシリーズでの濃厚な心象描写が、単なる謎解きというには深すぎるというところにあるからだと思います。
とはいえ、信次郎と清之介という二人のキャラクターの面白さは変わりません。互いに抱える心の闇をどのように引きずりだし、互いに血を流すのか、今後の展開が待たれます。