始まりの木

本書『始まりの木』は、『神様のカルテシリーズ』の著者による民俗学を通して学ぶこと、生きることの意味を考える長編小説です。

民俗学の准教授がフィールドワーク先の現場で行う大学院一年生に対しての心豊かな講義は必読です。

 

生きること、学ぶことの意味を問う、新世紀の“遠野物語”。“これからは、民俗学の出番です”。神様を探す二人の旅が始まる。(「BOOK」データベースより)

 

第一話 寄り道
古屋と千佳は、青森県弘前市へと向かい、古屋の知り合いの宿へと泊まる。翌朝目覚めた千佳は、岩木山を前に古屋から日本と西洋の夫々のの神の成り立ち、違いについて講義を受けるのだった。

第二話 七色
藤崎千佳はいつものように古屋神寺郎と京都に講演のために来ていた。そこで出会った一人の青年を鞍馬まで送っていくことになるが、途中の色彩の降り注ぐ駅で彼は降りた。

第三話 始まりの木
信州の松本駅前の店で倒れたものの翌日元気を取り戻した古屋は、千佳を連れて伊那谷へと向かう。そこで、古屋の民俗学の原点が示され、そして日本人にとっての神についての講義が始まった。

第四話 同行二人
古屋と千佳は、高知県宿毛市で調査中の仁藤仁のもとへと行く。翌朝の散歩の途中、ゆったりと響いてくる読経の声に誘われて横道に入った千佳らは、行き倒れている一人のお遍路さんを見つけた。

第五話 灯火
東々大学近くの輪照寺には道路拡張のために切り倒される樹齢六百年の見事な枝垂桜の老木があった。千佳は、輪照寺の住職からこの国の神の独特な在り方を、古屋からは民俗学の意義についての話を聞く。

 

本書『始まりの木』の主人公は、国立東々大学の民俗学者である古屋神寺郎(かんじろう)准教授の研究室で学ぶ、藤崎千佳という大学院一年生です。

千佳の二年先輩の仁藤仁が、古屋の言葉は「毒と皮肉でできている」と言うほどに古屋という人物は偏屈であり、要らざる敵を作ることに長けています。

そうした人物に付き従い、足の悪い古屋の世話をする千佳もまた少々変わった人物です。古屋と共にする日本中の旅が、いつも新鮮な発見と驚きとをもたらしてくれることがとても気に入っているのです。

自分の方向性も定まらないままに柳田國男の『遠野物語』を愛読する彼女は、ひょんなきっかけで聞くことになった古屋の講座に魅せられ、古屋の研究室に入る決心をしたのでした。

 

 

そうした二人ですが、古屋の「藤崎、旅の準備をしたまえ」という一声でいつも唐突なフィールドワークの旅へと旅立つことになります。

 

その旅先として本書『始まりの木』ではそれぞれの話で「青森県弘前市、嶽温泉、岩木山」、「京都府京都市(岩倉、鞍馬)、叡山電車」、「長野県松本市、伊那谷」、「高知県宿毛市」へと旅をし、最後に「東京都文京区」という大学近くで不思議な出来事に出逢います。

同時に、それぞれの話で千佳は古屋から、また別な人物から、日本の神について、生きるということについて得難い講義を聞くことになります。

例えば第一話では、日本人にとって生活の場そのものである自然はそのまま神の姿になった。それに対し、西洋では森や海は恐怖の世界との境界であるため森や海という自然を制圧することとなり、自らの心の中に人間的な神を作ることになった、という話でした。

自分の足で歩いて、自分の手で事物に触れ、自分の目で対象を見、そして実際に様々な出来事に遭遇することこそが大事なことに気付くのです。

彼らの旅では、鞍馬での色鮮やかな紅葉たち、高知での読経の見事な高僧、文京区での見事な枝垂桜など、自分で歩いたからこそ出逢える不思議な出来事に出逢います。

そして、古屋の講義は神と自然、日本の神と西洋の神のそれぞれの在りようを語り、千佳は日本人の生活、考え方、日本という国独特の神の考え方などについて学ぶのでした。

 

そうした講義は、ひいては読者である私たちの心の中へと響いてきます。日々の暮らしの中にある日本人特有の神についての考え方などを知るのです。

それは、押し付けでもなく、本書の作者である夏川草介の、日々命と向き合う医者という立場から学んだ事柄でもあるでしょう。

また、本書巻末に載せられた膨大な量の参考文献を読んで得られた「民俗学」や「神」についての考え方でもあるのでしょう。

夏川草介という作家の科学に対する考え方、科学万能主義に対する批判的な考えをもとに、自然の中に生きる我らの在りようを見つめ直したくてこの物語を書いたのではないかと思えます。

この考え方は、『神様のカルテシリーズ』などの夏川草介の他の作品の根底にも流れている思いのように感じるのです。

 

 

本書『始まりの木』の主人公のひとりである古屋という人物は、本書の文章を読んでいると、足が悪いという設定もあってかまるで初老の准教授といった趣があります。

それは、台詞が老成していることや、この作者の特徴の一つでもあるかと思うのですが、文章表現そのものが和風というか、古風、少なくとも現代風ではないことからも来ているのでしょう。

例えば、第三話で信濃大学教育学部の永倉教授が発した苛烈な言葉について述べている、「清風が名月を払うような爽やかさ」などという和風の比喩表現の巧みさなどはその典型だと思います。

しかし、多分、東々大学の次期教授を嘱望されている人物でもある彼はまだ五十歳にもなっていないのです。

 

いつもは主として派手なエンターテイメント小説を読んでいる私にとって、本書のような心に直接響いてくる小説は非常にありがたい作品でもあります。

日本人としての物ごとの考え方や、神という存在についてあらためて考えることなどまずない日々を送っていると、本書『始まりの木』のような作品はまさに自分をリフレッシュさせてくれる作品でもあるのです。

若干の感傷に浸る、そうした側面がないとは言いませんが、そうしたことも含めて自体自分にとっては代えがたい体験であるようです。

 

この作者の作品それぞれが、作者自身がいつも考えておられることであり、それを軽いユーモアで包みながら魅力的な登場人物に託して提供してくれています。

それを読者である私たちが受取り、咀嚼し、感動を得るという、普通でありながらもある意味得難い体験をさせてもらえていると思うのです。

本書『始まりの木』では痛切にそう感じました。

この作者の作品はいつも新たな感動をもたらしてくれます。

また新しい作品を提供してほしい、心からそう思う作家さんです。

勿忘草の咲く町で ~安曇野診療記~

本書『勿忘草の咲く町で ~安曇野診療記~』は、今年三年目の看護師と一年目の研修医を通してみた、地方の高齢者医療の現場を描き出す長編の医療小説です。

いかにもこの作者の作品らしく、かなり重いけれども心に響く物語でした。

 

命の尊厳とは何か―?答えのない問いに必死で向き合う若き研修医と看護師の奮闘を描いた、感涙の連作短編集。(「BOOK」データベースより)

 


 

本書『勿忘草の咲く町で ~安曇野診療記~』は、直接に終末医療を扱っているため、かなり重い物語でした。

それもそのはず、『神様のカルテシリーズ』の著者でもある夏川草介が、「神様のカルテシリーズ』に入れ込むには少々重すぎるので、書くとしたら別の物語でと考えていました。」と言っている作品だったのです。

 

 

今の社会は『死』と正面から向き合っていないのではないか」という思いから、「地域医療、とりわけ高齢者医療において、医療現場の外からはなかなか見えない隠された部分を書こう」と思っていたそうです。( カドブン : 参照 )

 

同じところで、「私は、読者にかっこいい人たちが登場する美しい物語を届けたい」とも書いておられます。

そしてその言葉のとおりに、安曇野の美しい風景を背景として、主人公である三年目になる看護師の月岡美琴と、一年目研修医の桂正太郎という初々しいカップルが、つらい現実を前にしながらもあたたかな関係を築いていく話になっています。

この作者の書く物語は、本書『勿忘草の咲く町で ~安曇野診療記~』も含め、読んでいて少々美しすぎるのではないか、本当の現場はもっとシビアで人間の嫌な面がはっきりと出てくるものではないか、などと感じることもありました。

しかし、先の著者の言葉はそうしたリアルな現実はあえて避けて、明るい側面を描いているのだと明言しているのです。それはそれで一つの選択であり、納得しました。

若い人たちにはまずは『理想』や『人としての美しさ』をきちんと見ておいてほしい。」という著者の意図は素晴らしいと思います。

 

医療小説としては、医療の厳しい現場をリアルに描き出す作品もあります。

例えば、 大鐘稔彦の『孤高のメス―外科医当麻鉄彦』(幻冬舎文庫全六巻)などはその系統に入るでしょう。確かに、主人公の医師が高い技術の持ち主過ぎるという側面が無きにしもあらずですが、リアルな医療現場を描き出してあるという評価がなされています。

 

 

また、 山崎豊子の『白い巨塔』(新潮文庫全五巻)も、大学病院を頂点とする医学界の現実をリアルに描き出している作品として高い評価を得ています。大学教授の椅子を巡る駆け引きに明け暮れる人間関係を描写した名作です。

 

 

本書『勿忘草の咲く町で ~安曇野診療記~』には四つの物語が収められています。

そのそれぞれの物語で、地域医療の現実、胃ろう、限られた医療資源、医療訴訟、延命治療、その他医療の素人の私達には直接的には関係の無さそうな、それでいて実は非常に密接な事柄である「命」にかかわる重大な問題が描かれています。

そして、そのそれぞれの場面で、登場人物のほとんどが医療に真摯に向き合っている医師や看護師らという善人で構成されているのです。

そこには裏のある人間は一人もおらず、入院患者でさえもあまりわがままを言いません。先に述べた「人としての美しさ」を描くための「理想」的な人間がいて、「理想」的な医療に近づけるべく努力する人たちがいます。

更には、主人公のひとりである研修医の桂正太郎は花屋の息子だから花に詳しいという設定で、物語の随所に「花」が重要なアイテムとして登場し、物語に彩を添えています。

 

ある意味『神様のカルテシリーズ 』の中の一編と言っても通りそうな物語ばかりです。

しかし、物語が看護師目線である場面が多いことや、「花」がキーワードとなっているという点などで『神様のカルテシリーズ 』とは異なっていると言えます。

ただ、テーマが少しだけ本書の方が重いというだけで、本質は同じと言い切ってもいいのではないでしょうか。

 

とはいっても別なシリーズとしてそれなりに存在感を持っているのであり、それは主人公の二人の明るい恋が描かれているところにあるのでしょう。

本書『勿忘草の咲く町で ~安曇野診療記~』の山場の一つであるカタクリの群生地での二人の様子などの美しい自然の描写が本書のテーマの重さをかなりの部分で和らげてくれています。

きれいごと、という批判もありそうですが、それでもなおこの作者の描く物語は読み手の心を温かくしてくれるのであり、作者の言う「理想」に少しでも近づこうとする医療関係者や患者らの支えになるのではないでしょうか。

本書『勿忘草の咲く町で』もシリーズ化されてほしいものです。

新章 神様のカルテ

本書『新章 神様のカルテ』は、「神様のカルテ」新シリーズ第一巻の長編の医療小説です。

舞台を大学に移して展開される栗原一止の医者としての苦悩が、ユーモラスな文章にのせて語られる私の大好きなシリーズ作品です。

 

330万部のヒット作、大学病院編スタート
栗原一止は、夏目漱石を敬愛する内科医だ。信州・松本平で「24時間、365日対応」を掲げる本庄病院から信濃大学医学部に入局し、早二年が過ぎた。消火器内科医として勤務する傍ら、大学院生としての研究も進めなければならない。そして「引きの栗原」は健在で、患者より医者の数が多いはずの大学病院で相変わらず多忙な日々を送っている。第四内科第三班の実質的な班長を務めている一止は、正義感に燃える研修医たちに共感しながらもいさめ、矛盾だらけの大学病院という組織にもそれなりに順応しているつもりであった。しかし、治療行為も万策尽き、最後のひと時を夫と子供とともに自宅で過ごすことを希望する29才の末期膵癌患者をめぐり、局内の実権を握る准教授と衝突してしまう。
内科医・栗原一止を待ち受ける、新たな試練!
シリーズ330万部のベストセラー、大学病院編スタート!
本編に合わせ、特別編「Birthday」も収録。(Amazon 書籍紹介より)

 

序章を読んだだけで、この人の文章は確実に私の琴線に触れる、とあらためて思いました。

全体的に情緒的であり、かなりの箇所で感情を揺さぶる場面があるのだけれど、その心情は私にとって心地よく、文章を素直にそのままに受け止めることができます。

このところ、2019年本屋大賞候補作である 知念実希人の『ひとつむぎの手』や、映画化もされたベストセラーである大鐘稔彦の『孤高のメス―外科医当麻鉄彦(全六巻)』などを読んでいたため特にそう思うのかもしれませんが、医療を考える点ではどの作品も同じでも、本書が一番しっくりと来るのです。

ひとつむぎの手』では直接的に大学病院の医局制度を批判し、その改革を主張していました。『孤高のメス―外科医当麻鉄彦』では、肝移植の問題を中心のテーマとして、現在の地域医療や医療制度のもつ弱点を指摘してありました。

 

 

本書『新章 神様のカルテ』の主人公栗原一止の場合、前巻までは地域の病院に勤務する医者としての立場からの地域医療を考える場面も少なからずありました。

しかし、命を救えない患者に対する医者としての苦悩など、医療制度というよりは医者個人としての思いを前面に出してあったと思います。

地域の患者に寄り添い、その一助となることを選んでいた一止でしたが、よりよい医療を提供するためには地域医療の現場を離れ、高度な医療を学ぶ必要があると判断し、大学へ戻る決心をしたのでした。

 

そして、本書からは大学病院での一止の姿があります。前巻から二年が経ち、一止も父親となっています。一止を「とと」と呼ぶその娘栗原小春は股関節に故障を抱えてはいるものの、概して順調に育っています。

そうした家族や、住まいである「御嶽荘」の老朽化による解体問題などの状況をサブストーリーとしてユーモラスに描きながら、第四内科で生じる様々な患者との触れ合いや医局内で生じる衝突などをもまたユーモアを交えて描き出してあります。

 

本書『新章 神様のカルテ』の魅力は、一止が属する消化器内科第三班の北条医師や、四年目の“利休”こと新発田大里医師、一年目研修医の“番長”こと立川栄太ほか、第一班班長の柿崎先生や、一止の天敵となる“御家老”または“パン屋”こと宇佐美准教授などの新たな登場人物が生き生きとしていることが挙げられます。

また、夏目漱石を心から愛する人物という設定もそうですが、その延長上にある主人公の古めかしい台詞回しもシリーズを通して生きています。

そして、何よりも一止が医師として真面目に生き、思うところを主張するその姿が一番の魅力だと思います。

 

その姿は、現実に言えるかは別として、例えば死を前に入院を拒む患者に「生きることは権利ではない。義務です。」と言い切る姿にあります。

また、終盤にある退院カンファレンスでの看護師たちに言った「不安を抱える御主人に向かって、・・・“我々が全力で支えるから心配するな”と」言わなければならない、という言葉であったり、パンの話が得意な宇佐美准教授に向かって「私はパンの話をしているのではないのです。私は、患者の話をしているのです。」という言葉だったりするのです。

「パンの話」については実際に本書を読んで確認してください。

そうした言葉の力はこの物語の中で実に重く、響いてきます。

それは 柚月裕子の『最後の証人』から始まる『佐方貞人シリーズ』の主人公の青臭いと言われかねない主張にも通じる爽快感をもたらしてくれるのです。

 

 

そして、他の医療小説で批判の対象となる大学の医局制度に対しても、本書『新章 神様のカルテ』での主張の仕方は少し異なります。

一止の属する第三班の班長である北条医師の口を借りて、「大学ってのはすごい場所なんだ」と言わせ、更に地域医療を守る医局制度の現実的な意義を説いています。その上で「今の医局には無理や無駄が多すぎるってのも事実だ。俺はそれを変えたいと思っている。」と言わせています。

 

また本書『新章 神様のカルテ』では、大学の教授も、民間病院や医院の先生たちも皆、医療に真摯に向き合い、そしてその地位に見合った人格と技量を持つ医者として描かれています。

そのことは、本書全体の持つ主張についてのバランス感覚も公平なものだと認識させてくれるようです。

本書の持つ心地よさは何物にも代えがたい価値を有すると、あらためて感させてくれる一冊でした。

本を守ろうとする猫の話

高校生の夏木林太郎は、祖父を突然亡くした。祖父が営んでいた古書店『夏木書店』をたたみ、叔母に引き取られることになった林太郎の前に、人間の言葉を話すトラネコが現れる。21世紀版『銀河鉄道の夜』! (「BOOK」データベースより)

 

神様のカルテシリーズ』の夏川草介による、本を好きな人に贈る長編のファンタジー小説です。

 

 

祖父を亡くした高校生の夏木林太郎は、祖父が残した「夏木書店」を閉じることになりました。

その日まで数日となったある日、一匹のトラネコが林太郎のもとを訪れてきます。ただ、この猫はヒトの言葉を話すことができ、そのうえ、林太郎を「4つの迷宮」のある不思議な世界へと連れて行くのです。

 

第一の迷宮「閉じ込める者」では、整然と配列された白いショーケースに整然と平置きされた本を前に、一度読み終えた本は二度と読まず、一万冊の本を読む人間よりも二万冊本を読む人間のほうが価値が高い、と断言する男が登場します。

読書した量こそ大事であり、また本を愛しているからこそ読み終えた本はその証として丁寧に並べておくのだそうです。

 

同じように読書量が大事だという男が第二の迷宮「切りきざむ者」でも登場します。

ただ、この第二の迷宮の男は読書の効率化こそが大事であり、読書量を増やすためには要約と速読が重要だと言います。例えば、「走れメロス」の要約は「メロスは激怒した」と要約できるのだそうです。

更には、難解な本は難解というだけでもはや書物としての価値を失う、とまで言うのです。

しかし、林太郎は亡くなった祖父の「読書には苦しい読書というものがある」という言葉を思い出していました。

 

次の第三の迷宮「売りさばく者」では、本は「売れることがすべて」という「世界一番堂書店」の社長が登場します。

「手軽なもの、安価なもの、刺激的なもの。読み手の求める本」が大事であり、本を好きだと言った以上は、好きじゃない本は作れなくなると言うのです。

刺激的で、読みやすいエンターテインメント小説を読みふけり、人間の本質を追求するような小説は敬遠している私ですから、ここで言われていることが一番身に沁みたような気がします。

同じような言葉は本書の終わり近くにもありました。それは「読んで難しいと感じたら、それは新しいことが書いてあるから難しい」のであり、「読みやすいってことは、知っていることが書いてあるから読みやすい」のだそうです。

ここで言われていることに対しては、私自身では未だ答えが出ていません。読みにくいと思う作品、例えばいわゆる純文学作品には手が出ないのです。

ただ、作者もエンターテインメント小説を否定し、純文学だけが読む価値があるなどと行っているわけではありませんし、そもそも純文学作品だけが価値があるとも言ってはいないのです。

そこには書物に対する愛情こそが大切だという作者の心情が述べられています。その上で読書という行為を通じて自ら考えることの大切さを言っているのでしょう。

 

そして第四の迷宮では学級委員長の柚木沙夜がさらわれ、林太郎は彼女を助けに再度迷宮へと踏み込みます。そこにはこれまでの三つの迷宮の住人たちが憔悴しきった様子で苦しんでいました。

林太郎のために彼等は苦しんでいます。本には心がある。しかし、本の心も歪むことがあり、そして暴走するのです。書物に対する理想と現実の狭間で林太郎は悩みます。

林太郎が柚木沙夜を助け出す様子はこの本の要ですから直接読んでもらうしかないでしょう。

 

本書はいわゆる「面白い」本かと言われれば、若干首をひねる作品です。

ファンタジーとしての面白さはあります。しかしそれ以上に、本を読むことについて考える、そのこと自体を要求してくる作品です。

本を好きだという人たちには是非読んでもらいたい一冊と言えます。

神様のカルテ 0

『神様のカルテ』シリーズの第四作目です。「有明」「彼岸過ぎまで」「神様のカルテ」「冬山記」の四作品が収められている短編集で、神様のカルテシリーズ本編に対するサイドストーリーです。主人公の一止が医学生であった頃から、本庄病院に勤務するようになった頃までが描かれています。

一止が学生時代を過ごした信濃大学医学部学生寮の「有明寮」での出来事を描いた第一話「有明」は、『神様のカルテ』シリーズにはおなじみのメンバーの青春記です。

本庄病院の大狸先生や古狐先生、それに金山事務長らのエピソードが語られる第二話「彼岸過ぎまで」。病院の合理化を進める金庫番の事務長と現場の医師との間では常に対立が絶えないのですが、事務長の心を開いてみると意外な言葉が出るのです。

本庄病院の一年目の研修医である栗原一止が初めて迎える夏の出来事を描いた第三話「神様のカルテ」。一止と國枝正彦という癌患者との会話は心に刺さり、忘れられないものでした。

そして山岳写真家でもあるハルこと片島榛名の心温まる物語である第四話「冬山記」。人生に絶望した中年男とハルさんとの会話も、ハルさんらしい言葉なのです。

このシリーズの持つ「重さ」は本作も同様です。しかしながら、その重さを感じさせないこの作家の文章の力は素晴らしいと、作品ごとに思わされるのです。一止という主人公にとどまらず、その妻であるハルさんや病院スタッフも含めたキャラクタ造形のうまさと、そのキャラクタたちが織りなす真摯な生き方、読み手に訴えかけてくる会話文の巧みさは、一般に受け入れられているからこそベストセラーにもなっているのでしょう。

命を扱う職業であるためにテーマも真摯なものになるといえば、命をかけて行う行為として登山、それも冬山登山が思い浮かびます。そして本書と同様に読みやすさも兼ね備えている小説としては 笹本稜平の『春を背負って』があります。山小屋を訪れる人々の人間ドラマを描いた感動な物語であると共に、清々しさも漂う、爽やかな読後感を持つ物語です。

次いで思い浮かんだ作品としては、決して明るくはない作品なのでここで紹介するのはちょっと違うかもしれませんが、患者側からの立場で書かれた作品があります。若年性のアルツハイマーに罹った男の悲哀、夫婦愛を描いた作品である 荻原浩の『明日の記憶』という作品です。この作品は渡辺健主演で映画化もされています。

神様のカルテ3

「私、栗原君には失望したのよ。ちょっとフットワークが軽くて、ちょっと内視鏡がうまいだけの、どこにでもいる偽善者タイプの医者じゃない」内科医・栗原一止が三十歳になったところで、信州松本平にある「二十四時間、三百六十五日対応」の本庄病院が、患者であふれかえっている現実に変わりはない。夏、新任でやってきた小幡先生は経験も腕も確かで研究熱心、かつ医療への覚悟が違う。懸命でありさえすれば万事うまくいくのだと思い込んでいた一止の胸に、小幡先生の言葉の刃が突き刺さる。映画もメガヒットの大ベストセラー、第一部完結編。(「BOOK」データベースより)

 

本作『神様のカルテ3』は、『神様のカルテ』のシリーズ三作目の、「夏祭り」「秋時雨」「冬銀河」「大晦日」「宴」という、全部で五つの章からなる長編小説です。

 

本書の主人公である内科医の栗原一止(くりはらいちと)の勤める本庄病院の消化器内科に、消化器内科部長である大狸先生の教え子である小幡奈美がやってきた。

一止は、十二年目のベテラン医師である奈美に「自己満足で患者のそばにいるなんて、信じられない偽善者」だと言われる。「医師という職責の重さ」を真摯に見つめる一止にとって、看過できない言葉であり、ある決心をするのだった。

 

シリーズを通して描かれてきたテーマである、最先端医療の勉強と、慢性の人手不足に陥っている地域医療という現場、そこにいる患者への対応という言ってみれば答えのない問いに対する一止なりの答えを出す物語でもあります。

同時に、プロローグとエピローグ共に一止の隣には妻のハルがいる、という構成からもわかるように、一止とハルの物語という側面も強く出ていると思いました。

常に医療に対し真摯に向き合う一止、そのそばにはいつもハルの姿があるからこそ医師という仕事に全力を傾けられるのです。

 

言い古された言葉ではありますが、医療という行為そものもが命と直に向き合う職業であるため、「山岳小説」もそうであるように、人間ドラマが描きやすいのだと思われます。

また、病院という施設を見るとそれはホテルと同じく人間の集まる場所であり、表現技法のひとつとして「グランドホテル方式」という名称が言われるほどに物語の展開に適した設定でもあります。

 

ただ、舞台設定や筋立てにリアリティーが無かったり、人間が描けていなかったりすると、単なる感傷に陥りやすい分野でもあるでしょう。

そうした難しさを乗り越えて読者の共感を得た物語は実に心に迫ってくるものがあります。そして、本書はまさに多くの読者の支持を得た心に残る作品に仕上がっていると思われるのです。

神様のカルテ2 DVD

夏川草介の同名小説を櫻井翔と宮崎あおい主演で映画化したヒューマンドラマの続編。妻・榛名の出産を心待ちに、本庄病院で仕事に励む一止。そんなある日、一止の大学の同期で「医学部の良心」と言われていたエリート医師・進藤辰也が赴任して来る。(「キネマ旬報社」データベースより)

神様のカルテ 【DVD】

櫻井翔、宮崎あおい主演の感動作。地方都市・松本で内科医として働く栗原一止は、同僚や隣人、そして最愛の妻・榛名に日々の疲れを癒されながら激務を凌いでいた。そんなある日、一止の前に大学病院から見放された末期ガン患者が現れる。通常版。(「キネマ旬報社」データベースより)

テレビ放映版を見たのだけれど、特別に良いとも感じなかったし、悪くも無かった、という、何とも半端な印象しか残っていません。

普通の医療ドラマであり、強いてケチをつければ、原作の一止の魅力、懊悩などはあまり感じられませんでした。

神様のカルテ

「24時間365日対応」。
若き内科医・栗原一止の勤務する本庄病院の信念だ。
苛酷な現場だがしかし、患者に寄り添い全力を尽くそうとする一止の元に、大学時代の親友、進藤辰也がやってきた。
喜びもつかの間、時間外勤務を一切受けつけない辰也と衝突してしまう一止。
医者とは?家族とは?生きるとは?
自らの生き方を考えたとき、一止が出した答えとは–!?
第一作の大ヒットの記憶も新しい、映画『神様のカルテ2』を完全コミカライズ!(Amazon紹介文より)

神様のカルテ

2010年本屋大賞第2位受賞作を漫画化!
「24時間365日対応」で地域医療の中核を担う松本市の本庄病院。ここに勤める内科医の栗原一止は、寝る間も休日もなく診察と治療に励んでいる。
人には寿命があるのだが、患者のために命がけで働く一止は、数々の奇跡を起こすのだった!
現代医療が抱える問題と命をテーマにしながら、決して重苦しくはならない、笑いあり涙ありのエンターテインメント作!(Amazon紹介文より)