大学病院で過酷な勤務に耐えている平良祐介は、医局の最高権力者・赤石教授に、三人の研修医の指導を指示される。彼らを入局させれば、念願の心臓外科医への道が開けるが、失敗すれば…。さらに、赤石が論文データを捏造したと告発する怪文書が出回り、祐介は「犯人探し」を命じられる。個性的な研修医達の指導をし、告発の真相を探るなか、怪文書が巻き起こした騒動は、やがて予想もしなかった事態へと発展していく―。(「BOOK」データベースより)
2019年本屋大賞にノミネートされた、純正会医科大学の付属病院を舞台とした長編の医療小説です。
純正会医科大学付属病院の心臓外科に属する医局員の平良祐介は、心臓手術を数多くこなすことのできる富士第一病院への出向を希望していました。
しかし、心臓外科学講座教授である赤石からは、出向のためには今度くる研修医三人のうち少なくとも二人の入局を条件とすると言い渡されます。
彼ら三人に心臓外科の現実を教えるべきか否か悩みつつも、日々の業務のなかで次第に彼ら三人の研修医との関係を模索する祐介です。
そうした中赤石教授を告発する文書が出回り、今度はその文書の犯人探しまで命じられるのでした。
良くも悪くも大学病院の医局を舞台にした小説で、絶対権力者の教授を頂点とする階層社会の中で苦闘する青年医師の姿が描かれています。
こうした医局の問題点を記した作品として山崎豊子の名作『白い巨塔』がありますが、この時代と現代とは若干医局の構造も変わっているとは聞くものの、絶対権力者としての教授の地位や、地方医療の担い手としての医局の意義などはあまり変わってはいないようです。
そうした医局制度の現状なども本書には詳しく描写してあります。
医療をテーマにした小説、または現役のお医者さんが書かれた小説は少なからず出版されていますが、本書は現役のお医者さんが書いた医療小説です。正面から医療現場を描き、患者の命と医者としての技術の向上、その先にある出世への道との狭間での悩みなどが描かれています。
現役の医者ならではのリアリティに満ちた医者の話し合いや手術の現場の様子が綿密に描写され、さらには救急医療の現場の様子までも描かれていて、読者が感情移入しやすく、また軽いユーモアも交えて読みやすく配慮されています。
このように、本書は直接的には医療そのものが、間接的には「命」がテーマになっていて、確かに感動的な物語として仕上がっています。
しかしながら、今一つ心に残りません。読みながら涙する場面もあるにもかかわらず、読後に心に残るものがあまりありません。
同じようなテーマで書かれた小説としては、夏川草介の『神様のカルテシリーズ』があります。このシリーズの場合、主人公は地方医療の現場で働くお医者さんであり、大学の医局とはまた異なるとは思いますが、読了後の印象はこちらのほうが心に残ります。
この感想は多分に個人の好みが入っており、優劣の問題ではないと思います。しかし、本書『ひとつむぎの手』の場合、登場人物のキャラクターがあまりに型にはまりすぎていると思うのです。
主人公のキャラクターからして、自分の医者としての出世を望むことから教授の頼みを引き受けるという一面を持ちながら、緊急時の医者としての対応力などは一流のものを持つ実力者として描いてあり、自分の夢と医療の現実との狭間で思い悩む人物であって、そこでの煩悶の描写はありがちです。
心臓外科医局長の肥後太郎という人物など、この手のドラマとしては典型的なキャラクタ―であり、人物像としては物足らなく感じたものです。
繰り返しになりますが、本書は医療というものを正面から描いている点ではとても好感が持てる作品です。ミステリー味を加味してエンターテイメント小説としてもうまく仕上がっている作品だとの感想を抱きました。
ただ、若干物語としての深みが薄かったというだけです。しかし本屋大賞の候補作としてノミネートされているのですから、私の感想は個人的なものにとどまると考えたほうがいいとも思われます。