本書『ツバキ文具店』は、鎌倉にある代書屋さんの日常を描いた、新刊書で270頁弱の長さの長編小説です。
2017年本屋大賞で第4位になった作品で、ほのぼのとした心温まる気持ちのいい作品でした。
ラブレター、絶縁状、天国からの手紙…。鎌倉で代書屋を営む鳩子の元には、今日も風変わりな依頼が舞い込む。伝えられなかった大切な人への想い。あなたに代わって、お届けします。 (「BOOK」データベースより)
鶴岡八幡宮を左に見て鎌倉宮の方に二階堂川沿いに登っていくと「椿文具店」があります。
この家に住む二十代後半の雨宮鳩子という女性は、若い頃は反発していた代書屋であった亡き祖母を先代と呼びながら、祖母の代書屋さんを継いでいるのです。
「代書屋」とは、本人に代わって書類や手紙等の代筆を行う職業を言います。
本書『ツバキ文具店』で主人公が営む「代書屋」さんには、離婚の報告書やペットの猿を亡くした知人へのお悔やみ状、また自分は生きているとそれだけをかつての恋人に伝えたり、更には借金要請に対する断り状など様々な依頼があります。
本書の主人公の鳩子は、それらの依頼者の望み通りに、依頼の内容に応じた字体、文体で仕上げていきます。
勿論、手紙を書く上での作法もきちんとしていなければならず、そうした点もおこたりありません。本書では、そうした仕事の内容の実例を交えながら描写してあります。
つまりは手紙の代筆依頼であれば、依頼者の気持ちになり切って手紙の文章を考え、中身に応じた便せん、筆記具を選び、書体も変えて文章を書くのです。
毛筆であれば墨の種類や墨の濃さまで考え、万年筆であれば万年筆事態の選択からインクの色までを考慮するとありました。
以上のような事柄が、主人公の雨宮鳩子という二十代後半の女性の日常を描く中で描いてあります。その様が、実にゆったりとした時間の流れに乗せられているのです。
その一例として本書冒頭の文章を挙げると、
「着替えをして顔を洗ったら、まずはヤカンに水を入れてお湯を沸かすのが朝の日課だ。その間に床を箒で掃いて、水拭きする。台所、縁側、お茶の間、階段と、順々に清める。 この時、必ず途中でお湯が沸くので、そこでいったん掃除の手を休め、お茶っ葉を入れたティーポットにたっぷりお湯を注ぐ。お茶を淹れている間、再び雑巾を手に床を磨く。」
ということになります。
この文章のような雰囲気のままに物語は進みます。
その上で、鳩子の隣人であるバーバラ婦人やパンティーという渾名の小学校教師の楠帆子、それに着物姿が粋な男爵らという登場人物との軽妙な人間ドラマが展開されているのです
主人公は、幼いころから祖母カシ子の手で厳しく育てられたのだそうで、友達が遊んでいるときも字の練習をしなければならない毎日であり、後には祖母との確執を抱えるようになって、祖母の死に目にも会えないままでした。
そうした鳩子も、先代を継いで日々の仕事をこなしていくうちに、次第に祖母の心に寄り添っていく自分に気がついていきます。
そのような祖母の気持ちが良く分かる心あたたまる挿話が、本書『ツバキ文具店』第三章にあたる「冬」の章の終り近くにありました。
この場面は感傷過多に陥ることもなく、ある種俯瞰的に描き出してありこの本の一つの山場ともなっているところです。山場でもあり、小さな感動をもたらしてくれる場面でもありました。
これまで読んだ小説の中で本作品に似たタッチの作品をと探してみましたが、このジャンルの作品は私はあまり読んでいないこともあって、少なくともすぐには浮かびませんでした。
強いて言えば中島京子の『小さいおうち』という作品でしょうか。
主人公であるタキという女中の、昭和という時代と主人である中島家の奥様への思いにあふれたこの作品は、本書とはタッチも物語展開自体もかなり異なります。
ただ、主人公の女性が日常での出来事を、一方は中島家という他者について、他方は自分自身について、一人称で語るという点でのみ共通しているだけです。
この作品は山田洋次監督、松たか子主演で映画化され、第38回日本アカデミー賞で優秀作品賞他多くの賞を受賞しています。
中でも助演の黒木華は、第64回ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞し、更には日本アカデミー賞で最優秀助演女優賞を受賞するなど、かなりの高評価を得た作品として仕上がっています。
ちなみに、本書『ツバキ文具店』は続編が書かれています。それは、『キラキラ共和国』という作品です。
「前作よりも少しプライベートに迫ってみました」という著者の言葉もあるように、「登場人物たちとの関係を継承しつつ、鳩子自身の素顔がより深く描かれ、そして「あ、そうくるか!」という新たな関係が築かれ」ているそうです( SUNDAY LIBRARY 著者インタビュー : 参照 )。
また本書『ツバキ文具店』はNHKでドラマ化もされていました。
私もほんの少しだけ見たのですが、事前に知っていた主演の多部未華子はイメージが違うような気がしていたものの、さすがは役者さんですね、上手いものです。思いのほかに見入ってしまいました。