『藩邸差配役日日控 』とは
本書『藩邸差配役日日控』は、2023年4月に250頁のハードカバーで刊行された連作の時代小説集です。
いかにも砂原浩太朗の作品らしく、情感豊かに描き出される差配役としての一人の武士の日々の奔走ぶりが深く心に染み入る作品でした。
『藩邸差配役日日控 』の簡単なあらすじ
里村五郎兵衛は、神宮寺藩江戸藩邸差配役を務めている。陰で“なんでも屋”と揶揄される差配役には、藩邸内の揉め事が大小問わず持ち込まれ、里村は対応に追われる毎日。そんななか、桜見物に行った若君が行方知れずになった、という報せが。すぐさま探索に向かおうとする里村だったが、江戸家老に「むりに見つけずともよい」と謎めいた言葉を投げかけられ…。最注目の時代小説家が描く、静謐にして痛快な物語。(「BOOK」データベースより)
目次
『藩邸差配役日日控 』の感想
本書『藩邸差配役日日控 』は、神宮寺藩江戸藩邸の差配役である里村五郎兵衛という男を主人公とした情感豊かな時代小説です。
ここで「差配役」とは歴史上も存在した役職だと思っていたのですが、「江戸時代における総務部総務課として想定した架空の役目」だそうです( 本の話 : 参照 )。
「差配役」を具体的に言えば、「陰で何でも屋と言われている、藩邸の管理を中心に殿の身辺から襖障子の貼り替え、厨のことまで目をくばる要のお役
」だという説明がありました。
本書『藩邸差配役日日控 』が見事に面白い作品として仕上がっているのは、こうした架空の役目を設け、そこに主人公を据えたのが最大の要因だと思われます。
本書を読みながら思い出していたのが、藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』です。
この作品の主人公三屋清左衛門は、現役時代は用人として先代藩主に仕えていた人物で、現在は隠居をし国元で暮らしています。その人物が、持ち込まれる様々な出来事や事件の相談に乗る様子が語られます。
この両作品はまったく立場が異なる人物を主人公としていますが、本書の主人公五郎兵衛は何でも屋として、三屋清左衛門は隠居の身として、共に何らかのトラブルが持ち込まれる身であることが共通しているところから連想したものでしょう。
また、本書の著者の砂原浩太朗は、時代小説の大御所である藤沢周平と文章のタッチが似ています。
個人的には時代小説の中でも一番好きな作者の一人が藤沢周平なのですが、この人の文章は情景描写が抜きんで素晴らしく、登場人物の心象をも表現しているところに惹かれます。
一方、未だ新人に近い砂原浩太朗もその文章の運びがゆったりとしていて、場面の背景描写がこれまた丁寧で見事なのです。
特に、第四話「猫不知」での親子の場面など、映画の名場面のように視覚的であり美しく心に残るものでした。
付け加えれば、各話の運び方にしても軽く日常的な謎を設け、その謎を解明するために主人公らが動くというミステリータッチの運びが心地よいのです。
そしてその心地よい文章に乗せて運ばれるストーリーがよく練られています。
この点は書評家の杉江松恋が「優れた時代小説に必要な三つの要素」としてうまくまとめておられます。
第一は、登場人物たちの動きが、その時代ならではの価値観、倫理観に基づいていることであり、第二に死が身近であるがゆえの生の儚さが描かれること、第三は現代の世相を照射するような部分が物語にあること、だそうです。
そして、四番目として、五感のどこかに沁みるような、味わい深い文章があることを挙げておられます。
実にうまくまとめておられますが、その通りだと思うのです。そして、私が特に大事だと思うのが、第四番目の味わい深い文章だと思うのですが、砂原浩太朗という作者はまさにピタリとあてはまるのです。
「続編があるなら、宇江佐真理さんの『髪結い伊三次捕物余話』のようなファミリー・ヒストリーとして描いていきたいですね」( 本の話 : 参照 )という著者ですが、可能であるならばその言葉を現実のものにして欲しいと思います
その続巻を心待ちにしたいと思います。