『いのちがけ 加賀百万石の礎』とは
本書『いのちがけ 加賀百万石の礎』は、講談社から2018年2月に刊行されて2021年5月に講談社文庫から464頁で文庫化された、長編の歴史小説です。
加賀の殿様となる前田利家に仕える村井長頼の目を通してみた戦国の世、そして前田家の盛衰を記した、実に読みやすく面白い作品でした。
『いのちがけ 加賀百万石の礎』の簡単なあらすじ
加賀藩の祖・前田利家が流浪した若きころから大名になった後まで付き従った、股肱の臣・村井長頼。桶狭間、長篠、賎ヶ岳…名だたる戦場を駆け抜け、利家の危難を幾度も救う。主君の肩越しに見た、信長、秀吉、家康ら天下人の姿。命懸けで忠義を貫き通し、百万石の礎を築いた男を、端正な文体で魅せる傑作。(「BOOK」データベースより)
『いのちがけ 加賀百万石の礎』の感想
本書『いのちがけ 加賀百万石の礎』の主人公は、その生涯を利家に捧げた前田家の重鎮である村井長頼という人物です。
この人物についてウィキペディアには、はじめは織田氏家臣の前田利久に仕えていましたが、利久の弟の前田利家が織田家から追放されていた時に長頼も従い、織田信長の命により弟の利家が前田家を継ぐと、それに従って利家の家臣となった、とありました。
ほかに、下記サイトでに簡単に紹介してあります。
ここで本書の構成をみると大きく三つに分けられています。
まず「壱之帖」では利家の織田家追放の間の出来事があり、美濃攻めでの利家の信長からの帰参の許しが出るまでが描かれています。
次いで「弐之帖」では利家が前田を継ぎ、長篠の戦をへて賤ヶ岳の闘いまで。
そして「参之帖」では時代は一気に飛んで秀吉の朝鮮出兵時の名護屋城での出来事から、秀吉晩年の醍醐の花見を経て家康が権力を握り、利家の妻まつが人質となり江戸へと下るまでが描かれています。
歴史上の出来事をある特定の時期を濃密に描いて他の期間は飛ばしてしまうという手法がとられているのです。
でも、そうした手法より、何よりも本書がデビュー作であるにも関わらず、登場人物の個性や人物相互の関係性が明確に描かれているという、作者の筆の確かさに驚かされます。
そのことは本書冒頭の「壱之帖 いのちがけ」で、まだまだ年若く律儀で一本気な長頼と、若武者でありながら既に武人としての風格を備えている前田利家、そしてこの二人の関係性が語られる中ですぐに思い知らされます。
この力の入らない読みやすい文章、そして登場人物の個性の明確化、という点が砂原浩太朗という作家の一番の魅力ではないかと思います。
近時の作家さんでいうと、葉室麟の硬質で斬りつけられるような文章、青山文平の清冽で無駄のない文章というよりは、語りかけるようなタッチであり、野口卓の文章に近いと言えると思います。
それぞれの作家ごとに違った魅力があるのですが、本書での砂原浩太朗という作家の文章は、とくに戦国期の各武者の個性をうまく書き分け、新たな武者像をつくりあげているようです。
この人の文章は説明的でなく、文章のうまい作家は皆そうではあるのですが、その行動なり背景描写なりを描くことで間接的にその時の人物の心象を明らかにしています。
例えば、前田利家の妻のまつの懐妊の折のまつの言葉を言う利家の言動など、決して難しい言葉や表現ではなく、わかりやすい普通の言葉で表現してあるところが小気味よく、心地よいのです。
また、たまには「好かぬ奴」の項にあるよう、に奥村助右衛門に対する長頼の思いなどのコミカルなタッチも取り入れてあり、そのさまはとても好感が持てるのです。
結局、この人の文章は激しく燃え上がることはなく、全編をたんたんと歩み続けそのうちに目的地に着いている、そんな優しい、しかしはっきりとした意思を持った文章だと言えます。
そして、そういう文章だからこそ私はこの人の文章が好きなのだと思うにいたりました。
この作家の作品としては現時点(2021年11月8日)では、本書の他に作品は第165回直木賞と第134回山本周五郎賞という両賞の候補作となった『高瀬庄左衛門御留書』しかないようです。
この『高瀬庄左衛門御留書』という作品がまた静かで落ち着いた雰囲気を持つ物語であり、私の最も好む文章と世界観を持った作品であって、こうした心に沁みる作品をもっと読みたいと強く思ったものです。
その思いは本書を読んでより強くなり、次なる作品が出版されるのを心待ちにしているのです。
ちなみに、2024年11月末の現時点で砂原浩太朗の小説作品としては、未読の『冬と瓦礫』を加えて全八冊の作品が刊行されているようです。