『さざなみのよる』とは
本書『さざなみのよる』は、2018年4月に河出書房新社から刊行され、2020年11月に河出文庫から248頁の文庫として出版された連作短編小説集です。
冒頭に亡くなってします一人の女性の思い出や言葉をめぐる読みやすく、しかし感動的な物語です。
『さざなみのよる』の簡単なあらすじ
富士山の間近でマーケットストア「富士ファミリー」を営む、小国家三姉妹の次女・ナスミ。一度は家出をし東京へ、のちに結婚し帰ってきた彼女は、病気のため43歳で息をひきとるが、その言葉と存在は、家族や友人、そして彼女を知らない次世代の子どもたちにまで広がっていく。宿り、去って、やがてまたやって来る、命のまばゆいきらめきを描いた感動と祝福の物語。(「BOOK」データベースより)
『さざなみのよる』の感想
本書『さざなみのよる』は、全部で二百四十頁を超える程度という薄さで十四話からなるこの作品は、文章も平易な日本語でありとても読みやすい連作の短編小説集です。
“小国ナスミ”という名の一人の女性が四十三歳という若さで亡くなります。
本書は、その“ナスミ”という女性の周りの人々の彼女との思い出、関わりを短編の形式で連ねた連作短編集ともいうべき物語です。
人の「死」を正面から見つめ、残された人々のその後をやさしい目で描いたこの作品は多くの人に感動を与えることでしょう。
本書はそういう作品であり、2019年本屋大賞の候補作となりました。
第二話以降、登場するのはナスミの姉の鷹子や妹の月子、鷹子の夫の日出男、祖母の笑子などであり、彼らの視点で語られていきます。
そこで語られているのはナスミの死でありながら、時には感傷的になりつつも時にはユーモラスにナスミという人間の姿が表現され、その上でナスミと共に語り手の姿が浮かび上がってきます。
上手いものであり、作者の筆の運びに感心するばかりです。
しかしながら、私はこのジャンルの作品を、あまり好みません。以前本ブログのどこかで書いた、「良い作品だけれども、私の好みではない」のです。
たしかに良い本です。でも、この本には哀しみはあっても、毒はないし、優しさはあっても、痛快感はありません。
私の好むのはやはりエンターテイメント小説であり、爽快感が欲しいのです。
とはいえ、本書を読み終えた今感じているのは、心地よさです。
こう書いてくるといかに矛盾に満ちた描き方をしているのかと、自分でもおかしくなります。しかし、それほどに決して好みの本ではない筈なのに惹かれるところもある作品でもあるのです。
本書が2019年の本屋大賞候補作となったのもよくわかります。
とくに、第十二話などはナスミの友人の好江の話ですが、貼られていた伏線を回収しながら若干ファンタジックな要素も入り小気味のいい物語として仕上がっています。
医療関連の作品を除けば、「死」を見つめ、“生きる”ということをこれだけ正面から、それも多面的にとらえている作品はあまりないかもしれません。まあ、私がこういう作品をあまり好まないので知らないだけと言った方がいいかもしれないのですが。
強いて言えば、かつて読んだやはり本屋大賞候補となった作品に川口俊和の書いた『コーヒーが冷めないうちにシリーズ』という作品がありました。
この作品も本書同様に、人の人に対する愛について書いてあるものの、そこに毒はなく、人に対する優しい視点だけがありました。単なるお涙頂戴というだけではない心に迫る物語でもあり、有村架純の主演で映画化もされました。
しかし、私の好みではなかったのです。
本書については、小説家でありエッセイストでもある山崎ナオコーラ氏のレビューが、納得できるものでありました。プロの眼の鋭さを思い知らされた文章でもあります。是非一読をお勧めします。
好みではないということばかりを書いてしまいました。
でも、繰り返しますが、殆どの人は本書を読んで感動することと思います。単なるお涙頂戴の物語ではない爽やかさすら感じることと思います。
それだけの作品であることに間違いはありません。