架け橋 風の市兵衛

唐木市兵衛を相模の廻船問屋が言伝を持って訪ねてきた。相手は返弥陀ノ介の許から姿を消した女・青だった。伊豆沖で海賊に捕えられるも逃げだしたらしい。弥陀ノ介には内密にと請われ、市兵衛はひとり平塚に向かう。一方、弥陀ノ介は“東雲お国”と名乗る女海賊の討伐のため浦賀奉行所に派遣される。だが、お国は、弟を殺された哀しみで、復讐の鬼と化していた…。(「BOOK」データベースより)

風の市兵衛シリーズ第十八作目の作品です。

 

市兵衛が、深川油堀の一膳飯屋「飯酒処 喜楽亭」で飲んでいるとき、廻船問屋弓月の主の七衛門という男が、「青」との一文字だけが書かれた一通の手紙を抱え訪ねてきて、市兵衛に「助けてほしい。弥陀ノ介には言うな」との伝言を伝えます。

早速に、七衛門の船で青が待つ須賀湊へと向かった市兵衛は、お腹がそうとわかるくらいに丸くなっている青と再会します。話を聞くと、弥陀ノ介のもとを逃げ出した後、品川宿で上方商人に拾われ船で上方へ向かう途中に難破して海賊に拾われたものの、海賊の一人を斬って逃げだし、七衛門に助けられたと言うのです。

すぐに弥陀ノ介のもとへ連れ帰ろうとする市兵衛でしたが、弟を殺された海賊の首領東雲お国の復讐心は強く、その手下が市兵衛と共にいる青を見つけるのでした。

 

今回は久しぶりに物語の展開として新鮮に読むことができました。前巻でも「シリーズとしての普通の面白さ」しかないと書きましたが、本巻は痛快小説として、いつも以上に惹かれた作品でした。

それはやはり、異国の女剣士である“青”が再びこの物語に登場してきたことによるものでしょう。話自体は、青の復帰と復讐心に燃える海族との闘い、と言うに尽きるのですが、やはりいつもと異なる人物の登場によりシリーズの流れも雰囲気が変わると思われます。

本書自体もそうなのですが、弥陀之助と青との組み合わせが今後のこのシリーズにどのように関わってくるものなのか、そうした物語全体の流れに対する興味がかき立てられます。

 

合わせて、このシリーズのもう一つの魅力である、豆知識の披露があります。今回も前巻に続いて船の話です。

それは、弁財船と呼ばれる大坂と江戸とを結ぶ大型木造帆船の話であり、関東近辺の海運に用いられた五大力船という海川両用の廻船についての説明です。

本書では、廻船問屋弓月の五大力船と、海族の乗る、帆走・漕走併用の小型の高速船である押送船(おしょくりぶね)が物語の中心となっています。

 

本書ではもう一点、市兵衛の婿入りの話で盛り上がっている一膳飯屋「飯酒処 喜楽亭」の仲間の話もまた小さな山であるのかもしれません。始めて市兵衛の婿取りの話が本格的に進み、宮仕えをする市兵衛が誕生するかもしれないのです。

シリーズものの常として、若干の魅力度の落ちてきたことを感じないでもなかったこの物語ですが、今回は少しですが盛り返したような気がします。

 

ちなみに、シリーズも二十巻となり、“青”という新しいメンバーが増えたと考えていいものなのか、シリーズの二十一巻目には、気付いたら『風の市兵衛 弐』と名称に「弐」の文字が付加されていました。このシリーズも心機一転し、新たな展開が見られることを期待したいものです。

らくだ 新・酔いどれ小籐次 (六)

江戸っ子に大人気のらくだの見世物。駿太郎にせがまれて、小籐次もおりょうやお夕一家とともに見物に出向いた。そのらくだが二頭、何者かに盗まれたうえに身代金を要求された!興行主に泣きつかれた小籐次はらくだ探しに奔走するが、思いがけず己の“老い”に直面する事態となる。新たな局面を迎える、好評シリーズ第6弾!(「BOOK」データベースより)

新・酔いどれ小籐次シリーズの第六巻となる長編の痛快時代小説です。

 

今巷では両国広小路の“らくだ”なる珍しい見世物が話題になっているらしく、それを見に行きたいという駿太郎やおりょうの願いに応え、皆で見に行くことになります。元厩番だったからなのか、らくだになつかれていた小藤次たちでした。

後日、月二回の豊後森藩の剣術指南役としての役務を終えた小藤次には、帰りに寄った久慈屋で、大旦那の晶右衛門からお伊勢参りに同道して欲しいとの話が持ち上がります。

そこに、二頭のらくだが盗まれたとの話がもたらされ、興行元である藤岡屋から、らくだがなついていた小藤次なら探せると、らくだの探索を頼まれます。

らくだが寝泊まりしていた小梅村の農家を訪ねると、二百両を払えとの手紙が見つかります。大坂かららくだの世話をしてきた二人が怪しいとにらむものの、二人はもう帰ってしまったといいます。こうなれば、らくだの餌が大量にいるだろうし、野菜を仕入れる先から見当をつけようとする小藤次たちでした。

 

今回の小藤次は江戸では珍しい“らくだ”の盗難騒ぎに巻き込まれます。

その際、駿太郎がクロスケを連れ、らくだの匂いの後をたどるため、横川沿いに探索に出て、近所で野菜が盗まれている一角にらくだが隠されている農家を見つけるなど、いつものシリーズ内容とは少々異なり、ほのぼのとした雰囲気の漂う一編となっています。

また、特別に小藤次の魅力が発揮された一編だとは言えないかもしれませんが、駿太郎の見つけた“らくだ”を盗み出した一味を捕縛するために向かった際に落馬して腰を強打するなど、小藤次の老いを感じさせる場面も用意してあり、シリーズ内での小藤次の立ち位置が若干変わってきた一冊でもあるようです。

とは言え、あくまでスーパーマンである小藤次の魅力そのものは健在であり、駿太郎の成長とあわせ、心地よい読み物であることに間違いはなさそうです。

徒目付の指-口入屋用心棒(31)

母の田津と護国寺に参詣した帰り途、頭巾を被った侍に声をかけられた定廻り同心樺山富士太郎は、湯瀬直之進の亡骸が見つかったと告げられ驚愕する。だが、急を知らせに小日向東古川町の長屋に走った田津の前に現れたのは、当の直之進だった。忽然と姿を消した富士太郎の行方を追う直之進と中間の珠吉。富士太郎を誘き出した謎の侍の狙いは何なのか、そしてその正体とは!?人気書き下ろしシリーズ第三十一弾。(「BOOK」データベースより)

口入屋用心棒シリーズの第三十一弾の長編痛快時代小説です。

前巻の最後で、直之進の家を訪れた富士太郎の母親の田津でしたが、それは田津と富士太郎の二人に、富士太郎の知り合いらしい頭巾の侍から、直之進の死体が見つかったとの話を聞いたために確かめに来たというのでした。

早速話を直之進の死体が見つかったという場所に行ってみると富士太郎は、権門駕籠に乗せられてどこかへ拉致されたらしいのです。直之進は、富士太郎の中間の珠吉や琢之助らと共に、また倉田佐之助は独自に探索をすることになります。

一方、拉致された富士太郎の様子も語られ、自分を攫ったのは徒目付の山平伊太夫という男であり、富士太郎の父親が残したと思われる「北国米の汚職」の件に関する何かを探しているというのでした。

佐賀大左衛門が設立するという文武両道の学問所の話にはなかなかに行きつかないようです。今回も話はわき道にそれ、富士太郎が拉致されてしまいます。それも、富士太郎の父親の過去の仕事が絡んでいるというのです。

ともあれ、直之進らの探索と、佐之助の探索の模様、そして監禁されている富士太郎の様子という三つの流れで話は進みます。

ただ、拉致されている富士太郎に山平伊太夫が今回の拉致の事情を説明をする理由も分かりにくいし、あまりに順調に進む直之進らの探索など、奇妙に思うところも無いわけではありません。

ただ、何度も書いているところですが、本書のような痛快小説であまり厳密なことを言いたてるのも意味がないことだと思われ、実際そうした点を無視して読み進めてもあまり違和感を感じないのです。

中には野口卓の『軍鶏侍シリーズ』のように、このようなことをあまり考えさせないシリーズものもあるのですが、殆どの痛快時代小説は微妙なライン上にあると言えると思います。

目利きの難-口入屋用心棒(30)

文武両道の学問所設立を目指す佐賀大左衛門は、剣術指南方の師範代として湯瀬直之進と倉田佐之助の二人を迎え入れようとしていた。そんな折り、大左衛門の屋敷を旗本岩清水家の用人が訪い、若年寄遠藤信濃守に進呈するに相応しい刀の鑑定を依頼してきた。だがこの刀選びが元で、大左衛門の身にとんでもない災難が降りかかる。人気書き下ろしシリーズ第三十弾。 (「BOOK」データベースより)

口入屋用心棒シリーズの第三十弾です。

 

佐賀大左衛門が、その両の眼を切られたということを知ったのは、大左衛門が直之進と佐之助の二人との待ち合わせの場穂に来なかったため、二人が大左衛門の屋敷に行った折だった。

直之進は大左衛門の護衛につくことになり、佐之助と、ちょうどやってきた樺山富士太郎とに探索をまかせることになった。

 

旗本岩清水家の用人が、主人の猟官のために若年寄遠藤信濃守に刀剣を贈呈する、という話から、大左衛門に刀剣の鑑定を依頼してきたことがあり、その刀にまつわる経緯が大左衛門の災難に結びつき、更には刀剣の写し(模造)へと展開していきます。

このシリーズもやっと新しい展開になり、沈滞していたシリーズとしての面白さも期待できるかと思っていた矢先に、また普通の捕物帳としての展開になってしまいました。

それはそれで、悪くはないのですが、若干のマンネリ感を感じていた身としては、新しい環境での直之進らの活躍を期待していただけに、残念な気持ちもありました。

ただ、普通の捕物帳とは言いましたが、物語の最初に、大左衛門が斬られるおおまかな理由は示されていますから、ここでは「探索の物語」という意味での捕物帳ということになります。直之進、佐之助、富士太郎の三人がどのようにこの事実に迫っていくかという点が関心の対象になるのです。

本書の直接の敵役は、主のために尽くす用人と、その用人を手助けしようとする若衆ですが、人間としては道を踏み外す行為ということは分かっていながらも、主君に忠節をつくすことこそ侍のとるべき道と信じ、行動しています。その行為の一つとして刀剣の模造があるのです。

この物語自体は取りたてて言うほどのこともない、普通の物語なのですが、登場人物として例えば鎌幸のような、この物語の今後の展開に何らかの影響を与えそうな人物の搭乗があったりして、今後の物語の展開につなげる描き方が為されています。

本書の終わり方にしても、直之進のもとを、富士太郎の母親の田津が訪ねてくるところで終わり、次巻への連携が図られています。ありがちではありますが、一つの手法ではあるようです。

遠き潮騒 風の市兵衛

深川で干鰯〆粕問屋の大店・下総屋の主が刺殺された。玄人の仕業を疑った北町奉行所同心・渋井鬼三次は、聞き込みから賊は銚子湊の者と睨み急行する。同じ頃、唐木市兵衛は返弥陀ノ介の供で下総八日市場を目指していた。三年半前に失踪した弥陀ノ介の友が目撃されたのだ。当時、銚子湊では幕領米の抜け荷が噂され、役人だった友は忽然と姿を消していた…。 (「BOOK」データベースより)

風の市兵衛シリーズ第十七弾です。出版冊数としては十九冊目であり「風の市兵衛19」と番号が振られています、作品としては十七番目の作品です。

 

公儀小人目付役の返弥陀ノ介は、幼なじみである松山卓、寛治兄弟の父辰右衛門から、三年前に行方不明となっている卓らしき人物を見たとの知らせがあり、その確認に行って欲しいいと頼まれます。公儀御目付役の片岡信正の許しを得てすぐに旅立つ弥陀ノ介でしたが、その隣には信正から頼まれた市兵衛の姿もありました。

二人は、知らせをよこした船橋の了源寺の随唱という住持から、卓らしき者を見かけた八日市場の立つ九十九里の名主の十右衛門への紹介状を得ます。十右衛門から銚子湊の様子を聞き、翌日、務場で聞いた卓が身を投げたという屏風ヶ浦の断崖へ行くと、三度笠の男らに飯岡の助五郎という侠客のもとへと案内されるのでした。

丁度その頃、深川で干鰯〆粕問屋≪下総屋≫の主人善之助が殺された事件を追っている北町奉行所定町廻り方同心の渋井鬼三次もまた、聞き込みで犯人は銚子湊のものらしいとのあたりをつけ、北町奉行の許しを得、銚子湊へと向かうのでした。

 

本書は、江戸期の海上輸送路の一つである「東廻り航路」の中継地として要の港になる、銚子湊を舞台とした物語です。

この「東廻り航路」に「外廻り」と「内廻り」とがあることなど、何かのテレビ番組でかつて聞いたような気もしますが、そうした豆知識も本シリーズの魅力の一つとなっています。

ただ、本書の物語自体は、なんとなくお約束の、大衆受けのするお涙頂戴的な設定となっています。しかし、この作者の手にかかると通俗的ではあるものの、痛快時代小説としての面白い物語となっています。

ただ、それはあくまでもこのシリーズ内の一冊として普通の面白さを持っているということであって、決してそれ以上のものではありません。面白さゆえに本を置く暇もない、とまでの水準ではないのです。

今回の市兵衛はあまり活躍の場がありません。それは、物語の中心にいる筈の弥陀ノ介にしても同様で、単に、三年前に行方不明となっている松山卓の足跡をたどる旅になっています。

銚子湊の幕府務場の改役を務める楢池紀八郎と、楢池の相談役である二木采女にしても、何とも人物像が単純で、面白い物語では必須の魅力ある敵役とはとても言えない存在です。

本来であれば、本書には『天保水滸伝』でおなじみの飯岡の助五郎といった有名人も登場させているのですから、もう少し物語に幅があってしかるべきだと思うのですが、残念ながらこの点でも今ひとつでした。

好きなシリーズであるために、かなりハードルを高くして読んでいたのかもしれません。でも本来、その期待に十分に応えるだけの面白さを持ったシリーズです。

今後の更なる展開を期待したいと思います。

剣客春秋親子草 母子剣法

出羽国島中藩の藩士を二人、新たな門弟として迎えた矢先、道場破りと思しき三人の武士に立ち合いを挑まれた彦四郎。勝負は持ち越しとなるが、ほどなく門弟の川田たちが暴漢に襲われる。なぜ川田たちは狙われたのか?島中藩士の入門と何か関係があるのか?心中穏やかでない彦四郎のもとへ最悪の報せが届く。人気シリーズ、手に汗握る第二弾! (「BOOK」データベースより)

剣客春秋親子草シリーズの第二弾です。

 

出羽国島中藩主嫡男の長太郎の剣術の指南役の選定に、千坂道場の彦四郎にも妻の里美と娘の花も共に参加してほしいとの話が起きます。気弱なところのある長太郎君であり、里美と花の稽古の様子を見ればその気になるかもしれないというのです。

ただ、島中藩にはもともと鬼斎流という流派があり、また一刀流でも三橋道場と関山道場にも声をかけているのだそうです。

そうした中、千坂道場では、この話が起きる以前から正体不明の連中による道場破りや、稽古帰りの弟子たちが襲われ、殺害されるという事件が起きていました。

これらの正体不明の相手に対し、籐兵衛や弥八とその手下の佐太郎という岡っ引きらの力も借りて、正体を探り出し、自らの反撃をしようとする彦四郎でした。

 

前巻では、女剣士に関わり陸奥国松浦藩のお家騒動に巻き込まれましたが、今回は出羽国島中藩での剣術指南役選びを原因とする争いです。

今回の話では、幼い花も争いに巻き込まれますが、幼い花の剣術修行の様子などもあって、心あたたまる様子も描かれています。また、しばらく剣術から遠ざかっている里美も再び剣をとったりもします。

ただ、全体としてみると、彦四郎の危難に際し藤兵衛が助けに現れ、弥八や佐太郎らも専門である探索などの面で手助けをし、それぞれに活躍するというこのシリーズの一つの形に収まっているようです。

鳥羽亮作品での一番の見せ所とも言える剣戟の場面も盛り沢山でありますが、それ以上のものではなく、可もなく不可もない、という作品です。

剣客春秋親子草 恋しのぶ

義父・藤兵衛から道場を譲り受けた千坂彦四郎。だが、妻の里美、愛娘・花のためにも、立派な道場主たらんとする責任感が、知らぬ間に精神的重圧となって彼にのしかかる。ある日、兄の敵討ちのため、陸奥国松浦藩からやってきた女剣士・小暮ちさと出逢ったことが、彦四郎の人生に影を落とす…。(「BOOK」データベースより)

本巻から、このシリーズも新しくなっています。登場人物は別に変わることもこともないのですが、ただこれまで千坂藤兵衛がメインであった物語が、藤兵衛の娘の里美の婿である彦四郎中心の物語になったというだけのことです。

その彦四郎がかつての里美にも似た一人の女剣士を助けます。名を木暮ちさというその女剣士を助けたことから彦四郎は松浦藩のお家騒動に巻き込まれることになり、義父の藤兵衛らの力を借りてこれを解決する、というありがちな流れではありました。

ありがちな話ではありましたが、彦四郎が女剣士ちさに淡い恋心を抱くというエピソードも組みこまれています。

そしてこの点について解説の細谷正光氏によると、「『剣客春秋シリーズ』は、彦四郎のビルディング・スロマンにもなっていたのであ」って、このシリーズも新しくなり、彦四郎も千坂道場の主となったからといって、成長譚としての役割が終わったわけではなく、未だ成長し続けることを意味していると書かれていました。

新しいシリーズとなっても、千坂藤兵衛、彦四郎、里美、そして岡っ引きの弥八などの登場人物はこれまでと同様に活躍するこのシリーズです。これからも読み続けようと思います。

ノワール 硝子の太陽

ノワール 硝子の太陽』とは

 

本書『ノワール 硝子の太陽』は『ジウサーガ』第八弾の、文庫本で373頁の長編のエンターテイメント小説です。

本書は『姫川玲子シリーズ』と交錯する作品であって、個人的にはこのシリーズで一番面白く、またのめり込んで読んだ作品でした。

 

ノワール 硝子の太陽』の簡単なあらすじ

 

沖縄の活動家死亡事故を機に反米軍基地デモが全国で激化する中、新宿署の東弘樹警部補は、「左翼の親玉」を取調べていた。その矢先、異様な覆面集団による滅多刺し事件が発生。被害者は歌舞伎町セブンにとって、かけがえのない男だったー。『硝子の太陽N ノワール』を改題し、短篇「歌舞伎町の女王ー再会」を収録。(「BOOK」データベースより)

 

 

ノワール 硝子の太陽』の感想

 

本書『ノワール 硝子の太陽』は、作品としては『歌舞伎町セブン』などの作品がある「ジウサーガ」の中に位置づけられる作品です。

しかし、個別の作品として見ると、扱う主な事件こそ違いますが『姫川玲子シリーズ』の中の『ルージュ: 硝子の太陽』という作品と共通の事柄が扱われている非常にユニークな構成の作品です。

この両シリーズが同じ時系列に存在し、各々の登場人物がそれぞれの作品に少しずつではありますが顔を出します。

これはその事実だけでも誉田哲也作品のファンにとってはたまらない話でありますが、その上、個別の作品としての面白さも普通以上にあるのですから、何もいうことはありません。

 

 

ルージュ: 硝子の太陽』では祖師谷一家殺人事件という凄惨な殺人事件について姫川玲子らの捜査が行われることになります。

そこでの姫川らの捜査線上に重要参考人として浮かび上がってきたのが上岡慎介というフリーライターでしたが、その上岡が殺されてしまいます。

一方、本書『ノワール 硝子の太陽』において、沖縄で起きた活動家死亡事故に関連して「左翼の親玉」と呼ばれる矢吹近江を取り調べていた東弘樹警部補の捜査線上に、上岡が沖縄での反基地闘争に絡む一枚の偽造写真についての情報を掴んでいた事実が浮かんできます。

また、この上岡というフリージャーナリストは歌舞伎町セブンのメンバーでもあり、歌舞伎町セブンにとっては上岡殺しの犯人を挙げることが弔い合戦でもあったのです。

 

『硝子の太陽』の両作品で上岡殺しが重要な意味を持ってくる事件となっていて、姫川と東警部補との間での情報交換が為されたり、またガンテツと東警部補との間の過去の確執が明らかにされるなどの関わりが明らかにされます。

そのガンテツと東警部補との邂逅の場面が、歌舞伎町セブン主要メンバーである「欠伸のリュウ」こと陣内陽一の店で為されるのですが、このような緊迫した場面でのそれぞれの強烈な個性の衝突が明確に描かれていて、両シリーズのファンにとってはたまらないものがあります。

ちなみに、『ルージュ: 硝子の太陽』で勝俣がくすねた上岡のUSBメモリーの件もここで明らかにされます。

 

本書『ノワール 硝子の太陽』では、別なテーマとして日米安全保障条約に伴う日米地位協定の問題を取り上げてあることも忘れてはいけません。

本書での取り上げられている沖縄での活動家の死亡事故を機に起きた「反米軍基地」デモは、日本にとってこの日米地位協定の持つ意味を問題提起している側面もありそうで、自分の無知を知らされた作品でもありました。

 

本書『ノワール 硝子の太陽』と『ルージュ: 硝子の太陽』とで取られている世界観の共通という手法自体は決して特別なものではありません。

例えば、小説では『チーム・バチスタの栄光』から始まった、海堂尊の「桜宮サーガ」がありますし、映画ではいま流行りのマーベルコミックでの『アイアンマン』などの『アベンジャーズ』の世界観などがあり、漫画の世界では少なからず見られます。

 

しかしながら、本書『ノワール 硝子の太陽』のように物語の構造を計算し、丁寧に構築されている作品は私の知る限りではありません。

海堂尊の「桜宮サーガ」もかなりその世界観をきちんと描いているとは思いますが、それぞれの物語の世界を共通にするというだけであり、本書のようにまで物語の構造自体をリンクさせているさせているものではないようです。

いずれにしろ、本書『ノワール 硝子の太陽』と『ルージュ: 硝子の太陽』は個人的には近年の掘り出しものだと思っています。

棲月 隠蔽捜査7

棲月 隠蔽捜査7』とは

 

本書『棲月 隠蔽捜査7』は『隠蔽捜査シリーズ』第七弾で、2018年1月に刊行され、2020年7月に文庫化された作品で、文庫本は432頁の長編の警察小説です。

銀行のシステムダウンや非行少年絡みの殺人事件などがおき、加えて竜崎本人の異動の話や、家庭内での出来事などに動揺する姿を見せる竜崎の姿があり、面白く読んだ作品です。

 

棲月 隠蔽捜査7』の簡単なあらすじ

 

鉄道のシステムがダウン。都市銀行も同様の状況に陥る。社会インフラを揺るがす事態に事件の影を感じた竜崎は、独断で署員を動かした。続いて、非行少年の暴行殺害事件が発生する。二件の解決のために指揮を執る中、同期の伊丹刑事部長から自身の異動の噂があると聞いた彼の心は揺れ動く。見え隠れする謎めいた“敵”。組織内部の軋轢。警視庁第二方面大森署署長、竜崎伸也、最後の事件。(「BOOK」データベースより)

 

私鉄電車が止まり、すぐに、今度は銀行のシステムもダウンしたとの報告を聞いた竜崎は、すぐにその原因を探るために捜査員を派遣するが、第二方面本部の弓削方面本部長や警察本部の前園生活安全部部長から捜査員を引きあげるようにとのクレームが入る。

これを無視する竜崎のもとに直接の電話や訪問があるが、結局は竜崎の正論のもとに引き下がらざるを得ない両部長だった。

同じ頃、札付きの非行少年が殺される事件が起きて大森署に捜査本部がおかれ、いつものように陣頭指揮を執るために本部入りする伊丹俊太郎刑事部長の姿があった。

被害者と同じ非行グループの少年らは、尋問にも答えようとはしないが、それは単に警察が相手だからとは思えず、何か別な理由があるかのようだった。

そうした折、自身の異動の噂に意外にも動揺していることに妻の冴子からは「あなたも成長した」と言われ、また、息子のポーランド留学の話もあって、個人的にも何かと忙しい竜崎だった。

 

棲月 隠蔽捜査7』の感想

 

本書『棲月 隠蔽捜査7』でも、これまでのこのシリーズと同じく、他者の筋の通らない苦情などものともせずに原理原則を貫いて捜査を全うする竜崎の姿があります。

しかし、本書の一番の特徴は、何といっても竜崎の異動の話が持ち上がることだと思います。この情報はネタバレ気味かもしれませんが、本書の早くにその話題が出てくるので許される範囲でしょう。

なにせ、めずらしくも自分の異動の話に動揺する竜崎の姿があり、動揺している自分自身の姿にまた驚いている竜崎が描かれているのですから珍しい話です。

動揺する竜崎に絡み、竜崎が大森署に赴任してきてからの変化を感じさせながら、家庭では息子のポーランド留学の話が起き、妻の冴子には「大森署があなたを人間として成長させた」と言われ、また驚いているのです。

 

そうした普段とは異なる姿を見せる本書『棲月 隠蔽捜査7』での竜崎ですが、署長としての仕事はおろそかにしていません。

コンピュータのシステムダウンと少年が被害者の殺人事件という異なる犯罪を抱えながらも、事件解決のために原理原則を貫くといういつもの竜崎の姿がそこにはあります。

人間的な情に流されずに合理主義を徹底する、という姿を貫きながら、その裏では人間的な側面を見せ、だからこそ皆から慕われる竜崎でした。

そして、シリーズが進むにつれ、築きあげられてきた人間関係も安定し、居心地のいい場所となっていたのです。

でも、それは物語としてはマンネリへの道でもあります。

一つの道としては、映画『フーテンの寅さんシリーズ』やテレビドラマの『水戸黄門シリーズ』のように、偉大なるマンネリとして、定番の型をもつドラマとして生き残っていくという方法もあるのかもしれません。

 

 

しかしながら、推理小説の世界でそれを通すのはかなり難しいと思われます。

ことに、本『隠蔽捜査シリーズ』の場合は謎解きを中心にした物語というよりは竜崎個人の人間的な魅力に負うところが大きく、しかし、署長勤務の長い大森署ではその個性を発揮しにくくなっているのです。

今回の異動はシリーズを活性化させる物語展開であり、今後の展開を大いに期待したいものだと思います。

花を呑む

本書『花を呑む』は、『弥勒シリーズ』第七弾で、文庫本で353頁の長編のミステリー時代小説です。

 

花を呑む』の簡単なあらすじ

 

「きやぁぁっ」老舗の油問屋で悲鳴が上がる。大店で知られる東海屋の主が変死した。内儀は、夫の口から牡丹の花弁が零れているのを見て失神し、女中と手代は幽霊を見たと証言した。北町奉行所の切れ者同心、木暮信次郎は探索を始めるが、事件はまたも“仇敵”遠野屋清之介に繋がっていく…。肌を焦がす緊張感が全編に溢れる、人気シリーズ待望の第七弾。(「BOOK」データベースより)

 

海辺大工町の油問屋東海屋五平が、無傷ではあるものの深紅の牡丹がいくつも口に突っ込まれた状態で死んでいるのが見つかった。

その場にいた女中は「恨みを晴らしてやった」と言う幽霊を見たと言うが、その翌日、五平の囲い者である女も仕舞屋の庭にある牡丹の根元で白い襦袢を血のりで真っ赤に染めて死んでいるのが見つかる。

一方、伊佐治の家では、息子嫁のおけいが二度の流産により自分を見失い家を飛び出してしまう。

また清之介のもとでは、兄の家来の伊豆小平太が五百両という大金を借りに来るが、その借財の理由が兄の病だという出来事が起きていた。

五平の事件が起きた時、風邪で寝込んでいたためその後の探索が後手に回ってしまった信次郎と伊佐治だったが、脇筋とも思われる事柄が次第に一つの流れにまとまりを見せて行くのだった。

 

花を呑む』の感想

 

シリーズ第五弾『冬天の昴』、第六弾『地に巣くうと同心小暮信次郎をメインとした話が続いていましたが、本書『花を呑む』もまた小暮信次郎の話です。それも、本格的な捕物帳としての物語です。

もともと同心が主人公のこの物語であり、捕物帳として謎解きを中心とした物語であること自体に何の不思議なこともない筈なのですが、あまりに小暮信次郎と遠野屋の清之介の「闇」を抱えた男たちの人間ドラマが面白く、エンターテインメント小説としての本筋を忘れてしまっていました。

それだけこの物語のキャラクター造形の上手さが光っていると思われます。そして、この捕物帳がそれなりの面白さを持っているのですから何の文句もない筈なのですが、男たちの心象描写に捉われてしまっていたのでしょう。

 

相変わらずと言っていいと思うのですが、本書『花を呑む』でも心象描写はしつこいばかりに続きます。ただ、それを上回る物語の面白さがあるのです。

本筋の殺人事件があり、脇の流れとして清之介の兄の病の話があって、挿話的に伊佐治の息子嫁のおけいの家で騒動があり、それらの話が次第に一つにまとまっていく物語の運びは、この作者の上手さを見せつけられるようです。

そして、その過程で語られる信次郎を始めとする登場人物たちの心の闇を覗きこむかのような心象描写があります。

もう少し、この心象描写を軽くして物語の本筋を追いかけてもらえればと思うのですが、もしかしたら、そのようにしたらこの物語の面白さが無くなるかもしれないという恐れは感じます。

 

数日前に月村了衛の『機龍警察シリーズ』の最新巻を読んだのですが、そこで本『弥勒シリーズ』の闇を覗きこむかのような描写を思い出してしまいました。

この『機龍警察シリーズ』も、突撃隊員らの過去が重く、彼らの心象を描く場面は本『弥勒シリーズ』に通じる「闇」を感じるものなのです。

本シリーズは時代小説であり、あちらは現代のアクションシーン満載のSF的な警察小説と書かれている作品の内容は全く異なります。ただ、登場人物の闇を抱えた心象描写が豊富というその一点において共通するようです。

 

 

そう言えば、逢坂剛の『百舌の叫ぶ夜』を第一巻目とする「MOZUシリーズ」でも似たような重さを感じたことがありました。

ただ、個人の公安警察員を主人公とするハードボイルドで、客観描写に徹し、主観描写を排している『MOZUシリーズ』と本書では機龍警察シリーズ』以上に遠いものがあるようです。