『テミスの不確かな法廷』とは
本書『テミスの不確かな法廷』は、2024年3月に232頁のソフトカバーでKADOKAWAから刊行された連作の中編推理小説集です。
謎解き自体の面白さに加え、主人公である裁判官が発達障害を患っているという設定と、その裁判官の心象の描写がかなり読みごたえのある作品でした。
『テミスの不確かな法廷』の簡単なあらすじ
任官七年目の裁判官、安堂清春は、東京からY地裁に赴任して半年。幼い頃、衝動性や落ち着きのなさから発達障害と診断され、専門医のアドバイスを受け、自身の特性と向き合ってきた。市長候補が襲われた詐欺未遂と傷害事件、ほほ笑みながら夫殺害を供述する女性教師、“娘は誰かに殺された”と主張する父親…。さまざまな事件と人との出会いを通じ、安堂は裁判官として、そしてひとりの人間として成長していく。生きづらさを抱える若手裁判官が、自らの特性と格闘しながら事件に挑む異色の青春×リーガルミステリ!(「BOOK」データベースより)
『テミスの不確かな法廷』の感想
本書『テミスの不確かな法廷』は、発達障害という特性を持っている裁判官を主人公にしたユニークなミステリー作品です。
人の気持ちを読み取るのが苦手な自閉スペクトラム症(ASD)、衝動性によりじっとしていることを許さない注意欠如多動症(ADHD)であることを自覚して生きている主人公が、その特性と人並外れた記憶力とにより事件の裏側を読み解いていくさまは読みごたえがありました。
本書はお仕事小説としてのの側面も有していて、普段はまったく考えることもない裁判官の職務内容について私たちは如何にその仕事内容を知らないものかを思い知らされます。
単に知らないというだけではなく、その裁判官に判事、特例判事補、判事補という三つの種類があるといった形式的なことから、「宅調」という言葉で示される、自宅での作業がなければこなせない仕事量があることなど、実質的な仕事内容に至るまで詳しく知ることができるのです。
いわゆる法廷ものと呼ばれる作品は少なくない数の作品がありますが、裁判官が主人公のミステリーは思い浮かびません。
ただ家庭裁判所の裁判官を主人公にしたコミックでは、ヒューマンドラマではありますが毛利甚八原作で魚戸おさむが描いた『家栽の人』という作品が思い出されます。
本書『テミスの不確かな法廷』の主人公は、本州の最も西にある小さな裁判所に勤務する安堂清治という任官七年目の特例判事補です。
その裁判所のほかの裁判官もまた個性的であり、本書では主人公が属する三人一組の合議体の総括判事である門倉と、任官二年目の判事補の落合が登場しています。
彼らの間では普通のサラリーマンの会話にも似た会話が示されていて、特に門倉判事の言動はこれで裁判官としてやっていけるのかというほどユニークですが、法廷での訴訟指揮はさすがに裁判官と思わせられます。
さらには、弁護士の小野崎乃亜という女性弁護士が弁護人として各裁判に登場してきて花を添えるとともに、かなり重要な役割をになってきます。
本書内で挙げられている具体的な裁判例では現実にとんでもない裁判官もいるようで、そうした細かな知識も本書の魅力になっています。
なにより、ミステリーとしても本書の謎解きはそれなりの解決に加え、更にひとひねりが加えてあり、そうした点も魅力の一つといえます。
解決されるべき事件の被告人が弁護人との打ち合わせに反して罪状認否では犯行を認めなかったり、夫を殺害したと言いながら微笑んでいたり、「娘は誰かに殺された」と主張したりと少しずつ異なり、裁判の進行もちょっと異なります。
気になった一例だけ挙げると、第二話での裁判官から裁判員への「法廷でのやり取りを忘れるように」との言葉に対し、そんなことはできないとの裁判員の反論があるというこれまでにはない進み方をした上で、最後にさらに別の仕掛けが待っているのです。
とはいえ、本書『テミスの不確かな法廷』の一番の特徴といえば主人公が発達障害を患っているということにあります。その上で、その症例についても詳しく描き出してあります。
自閉スペクトラム症と注意欠如とが混合した状態になり、何かへの強い執着から離れることができず、訴訟記録を読むことができなくなるなど、その具体例は驚きです。
その一例として挙げると、記録上に被告人の上田正という名前が出てきたときに、その氏名が縦線と横線だけで成り立っていること、さらに「正」という字は「一」と「止まる」という文字から成っており、正しいとは一度立ち止まって考えることなのか、などと考えてしまうというのです。
それだけでなく、「正」という文字は「上」と「下」という正反対の意味を持つ感じから成り立っていることなどに気が移ってしまい、他のことが考えられなくなってしまう、ともありました。
こうした症状は人により異なるものではあるのでしょうが、発達障害に対する自分の知識の無さに驚くばかりでした。
そうした頭脳の働きの特性が集団行動になじまず、社会生活を営むうえで困難さをもたらすことは素人考えでも分かります。
そんな状況の中で主人公は裁判官として対象となる事件の記録を読み進め、弁護人や検事と会い、訴訟の指揮をとらなければならないのです。
現実にそんなことができるのか、ということが第一の印象でした。しかし、現実にできるかどうかの判断が法律も医学も分からない素人に判断ができるはずもなく、この点は無視することとしました。
ただ、裁判官と弁護人が法廷外で会って事件について話す場面があり、そうしたことが許されるものかは疑問として残りましたが、その点も素人には判断がつかない以上、無視することにします。
この二点を考えずに本書を評価すると、本書は主人公の裁判官のユニークな性格設定と卓越した記憶力のため独特な推理の過程を経て、ミステリーとして実に面白い物語となっているのです。
本書『テミスの不確かな法廷』はもしかしたら続編は書かれないのかもしれません。そう思わせるラストシーンでもあるのです。
しかしながら、主人公の設定の面白さ、その推理過程のユニークさなどを考えると、是非続巻を読んでみたいと思わせられる作品でした。
追記:
本書に関しては2025年12月に『テミスの不確かな法廷 再審の証人』というタイトルで続巻が刊行されています。
本書と変わらずに安堂が活躍する実に面白いミステリー作品です。
さらに言えば、松山ケンイチ主演でドラマ化もされており、2026年1月からNHKで放映されています。
詳しくは下記を参照してください。
蓬萊
『蓬萊』とは
本書『蓬莱』は『安積班シリーズ』の第四弾で、1994年7月に講談社から刊行されて、2016年8月に同じく講談社から444頁で文庫化された、長編の警察小説です。
徐福伝説に材をとり、今野敏のお得意の伝奇小説的な手法で日本の成り立ちにについての考察をゲーム制作に置き換えて構成してある、シリーズの中でもユニークな作品です。
『蓬萊』の簡単なあらすじ
この中に「日本」が封印されているー。ゲーム「蓬莱」の発売中止を迫る不可解な恫喝。なぜ圧力がかかるのか、ゲームに何らかの秘密が隠されているのか!?混乱の中、製作スタッフが変死する。だが事件に関わる人々と安積警部補は謎と苦闘し続ける。今野敏警察小説の原型となった不朽の傑作、新装版。(「BOOK」データベースより)
『蓬萊』の感想
本書『蓬莱』は『安積班シリーズ』の第四弾で、徐福伝説をもとに日本という国の成り立ちについても考察されている作品です。
本書での特徴としては、まず舞台が神南署であることが挙げられます。
ウィキペディアによればこの『安積班シリーズ』は、第一期の『ベイエリア分署シリーズ』、第二期の『神南署シリーズ』、そしてベイエリア分署復活後の『東京湾臨海署安積班シリーズ』と区別できるようです( ウィキペディア : 参照 )。
次に、本書での安積剛志警部補はまるでハードボイルドタッチの警察小説の主人公のような雰囲気をまとって登場しています。
本書の主人公の安積警部補は、警察官という職務に忠実ではあるものの、しかし一人の人間としての弱さも併せ持った存在として描かれていたはずです。
しかし、本書での安積警部補はその存在感だけで相手を威圧するような刑事として登場しているのです。
本書の一番の特徴としては、「蓬莱」という名のゲーム制作に名を借りて、日本という国の成り立ちまで考察することを目指していることです。
そこでは、魏志倭人伝にも記されているという徐福伝説をベースにした論理が展開されています。言ってみれば、伝奇小説的な色合いを帯びている作品だと言えます。
伝奇小説であればストーリー展開に徐福伝説を組み込んだ作品となるのでしょうが、本書の場合は徐福伝説はあくまでゲーム作成のコンセプトとして存在しているのであり、ストーリーの流れ自体には組み込まれてはいません。
そして、そのゲーム内容の説明として語られる徐福伝説がよく調べ上げられています。
そもそも本書のタイトルの「蓬莱」という言葉自体が徐福が目指した「三神山」という神聖な山の一つだとされているのです。
徐福伝説の時代背景を見ると、徐福が秦の始皇帝に「三神山」を目指すことの許しを得たのが紀元前三世紀のことであり、ちょうど日本が縄文時代から弥生時代への移行時期に当たるそうです。
そしてその際、稲作文化をもたらしたのではないか、つまりは種もみと共に稲作の多くの技術者もわたってきて先住民族と習合していったのではないか、と登場人物に言わせているのです。
そして、徐福伝説の一つとして神武天皇徐福説なども取り上げられています。
こうして本書は伝奇的要素を大いに持った物語として進行し、安積警部補たちは脇に追いやられているのです。
つまりは、シリーズの特徴である安積班というチームの人間関係を含めた警察小説としての色合いは後退し、日本の成り立ちという伝奇小説的な色合いを濃く持った作品として進行していきます。
そしてそのことは、個人的には嫌いではありません。
私にとって、伝奇小説と言えばまずは半村良であり、中でも日本国の成り立ちに絡む作品と言えば『産霊山秘録』が思い浮かびます。
また、徐福伝説といえば、夢枕獏のサイコダイバー・シリーズの最終巻である『新・魔獣狩り 完結編・倭王の城』でも、少し触れてあったと思います。
こうして伝奇小説的な要素も含みつつ、もちろん警察小説としての面白さも十二分に持った作品として楽しく読むことができた作品だということができます。
クスノキの番人
『クスノキの番人』とは
本書『クスノキの番人』は、2020年3月に実業之日本社から刊行されて2023年4月に実業之日本社文庫から496頁で文庫化された、長編のエンタメ小説です。
東野作品としてはいつもの社会派のミステリーではなく、ミステリ要素を持ったファンタジーベースのヒューマンドラマというべき作品で、面白く読んだ作品でした。
『クスノキの番人』の簡単なあらすじ
恩人の命令は、思いがけないものだった。不当な理由で職場を解雇され、腹いせに罪を犯して逮捕された玲斗。そこへ弁護士が現れ、依頼人に従うなら釈放すると提案があった。心当たりはないが話に乗り、依頼人の待つ場所へ向かうと伯母だという女性が待っていて玲斗に命令する。「あなたにしてもらいたいこと、それはクスノキの番人です」と…。そのクスノキには不思議な言伝えがあった。(「BOOK」データベースより)
『クスノキの番人』の感想
本書『クスノキの番人』は、ミステリ要素のあるヒューマンファンタジー小説です。
東野圭吾の作品群の一つであるファンタジー系統の作品で、東京郊外の月郷神社にあるという願い事を叶えてくれるクスノキをめぐる人間模様が描かれています。
玲斗が管理人を務める月郷神社には、クスノキに願い事をするとその願いが叶うという噂があり、昼間からクスノキに願いをしに訪れる人が絶えませんでした。
しかし、クスノキへの願いは単純にお願いすればいいというものではなく、月のうちの特定の日の夜に祈念するしかなかったのです。
主人公直井玲斗は天涯孤独の身だと思っていましたが、とあることから母親の美千恵の異母姉だという柳澤千舟という女性が現れ、とある神社にあるクスノキの番人となることになります。
何の説明も受けないままに神社の、そしてクスノキの番人を続ける玲斗の前に、今クスノキに祈念をしに来た佐治寿明という男の娘の佐治優美と名乗る女性が現れます。
クスノキの祈念に関することについては何も話せないという玲斗ですが、娘はしつこく父親の秘密を探ろうとし、玲斗をその探索に引き込もうとするのでした。
そのうちに、玲斗にもクスノキに祈念することの意味がわかってくるのでした。
主人公の直井玲斗は、女一人で幼い玲斗を育てていた母親が夜の仕事をしていたため、きちんとした躾も受けたわけではありません。そこで、千舟は玲斗を管理人として育てるについて、敬語の使い方から教えることになります。
玲斗は千舟の期待に少しずつではありますが応え、次第にクスノキの管理人として成長していく姿がありました。
その管理人としての仕事の中で佐治寿明の祈念と、大場壮貴という青年の祈念を中心に物語は進みます。
さらに物語は、千舟が中心となって運営してきた柳澤グループにも関係してくることになり、更なる感動の展開に結びついて行くのです。
とはいえ、物語の中心となるのはクスノキへの祈念とは何か、佐治寿明や大場壮貴の祈念はどのように解決するのか、といった疑問の解明です。
また、疑問の解明に加え、玲斗が管理人として、また人間として成長していく姿を読ませるのはさすがに東野作品です。
著者東野圭吾のファンタジー系統の作品としては、まずは『ナミヤ雑貨店の奇蹟』が思い出されました。
ほかに、辻村深月の『ツナグシリーズ』や川口俊和の『コーヒーが冷めないうちにシリーズ』なども同系列の作品だということができると思います。
ともあれ、東野圭吾の作品として惹き込まれて読んだ作品であることに間違いはありません。
ちなみに、本書の続編として 2024年5月には『クスノキの女神』が実業之日本社からソフトカバーで発売されています。
警視庁捜査一課・碓氷弘一2 アキハバラ
『アキハバラ』とは
本書『アキハバラ』は『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』の第二弾で、1999年4月にC★NOVELSから刊行されて2016年5月に中央公論新社から新装版として403頁で文庫化された、長編の警察小説です。
通常の警察小説とは異なり、多数の登場人物が入り乱れてアクションを繰り広げるノンストップ・アクション小説で、気楽に読めた作品でした。
『アキハバラ』の簡単なあらすじ
大学入学のため上京したパソコン・オタクの六郷史郎は、憧れの街・秋葉原に向かった。だが彼が街に足を踏み入れると、店で万引き扱い、さらにヤクザに睨まれてしまう。パニックに陥った史郎は、思わず逃げ出したが、その瞬間、すべての歯車が狂い始めた。爆破予告、銃撃戦、警視庁とマフィア、中近東のスパイまでが入り乱れ、アキハバラが暴走する!(「BOOK」データベースより)
『アキハバラ』の感想
本書『アキハバラ』は『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』の第二弾の警察小説です。
しかし、シリーズ前作の『触発』とは異なり、多数の登場人物が入り乱れてアクションを繰り広げるエンターテイメント小説となっています。
つまり、秋葉原のあるビル内で様々な登場人物により息もつかせないアクションが展開される、気楽に読めるノンストップ・アクション小説でした。
解説の関口笵生氏によれば、本書は「ピタゴラスイッチ小説、もしくは風が吹けば桶屋が儲かる小説」と表現されています。
本シリーズの主役である碓氷弘一部長刑事が登場するのは物語の中盤あたりからです。
それまでは大学生の六郷史郎がメインで描かれ、そこにラジオ会館ビルの四階にある小さなパーツショップに勤める石館洋一や、その店に派遣されていたキャンペーンガールの仲田芳恵などが絡んできます。
そこにそのパーツショップに金を貸しているヤクザの菅井田三郎、その子分の金崎などが登場し、さらには、ラジオ会館ビルでいたずら心からイスラエルのモサド諜報員のアブラハム・ベーリ少佐に発砲事件を起こさせたイラン航空のスチュワーデスでもある諜報員のファティマ、ロシアンマフィアのアレキサンドル・チェルニコフ、殺し屋のセルゲイ・オルニコフなどが入り乱れてアクションを繰り広げるのです。
このように、本書はシリーズ前作の『触発』で描かれた爆弾魔とのシリアスな対決とは異なり、ヤクザやテロリスト、果ては各国の諜報員まで登場する荒唐無稽な設定となっています。
またシリーズの主人公である碓氷弘一部長刑事も前作での設定とは若干異なる性格設定をしてあります。そもそも碓氷刑事は本書中盤までは登場してきません。
登場してきても遊軍的な立場としているのであり、応援の管理官が登場すると一線からは外されてしまいます。
ところが、前作では定年まで無事勤め上げることを願うサラリーマン的な刑事という設定でしたが、本作ではそれなりの使命感を持った刑事として個人で乗り込むのです。
若干、性格が異なるような気もしますが、それは前作『触発』での主人公の体験が生きてきたとも言えそうです。
でも、本書が荒唐無稽な設定だとはいえ、作者の今野敏の視点は変わりはありません。
日本は銃声がしても誰も床に伏せようともしない国だという指摘し、警察官に対しても、銃を構えた人物に対し止まれと言ったり、今から拳銃カバーを外そうとしたり、また拳銃で身を守ることよりも拳銃を盗まれることに神経を使っているなどと言わせています。
そうした指摘はテロリストの目線でなされており、そのテロリストは「血と硝煙。その中で生きているのだ。」と独白しているのです。
そうした作者の目線とは別に、秋葉原という街に対する作者なりの愛着もあるのかもしれません。
電子部品を販売する秋葉原の最も深いところにある店の主人の小野木源三という人物を登場させて碓氷部長刑事の活躍を助けるのも、そうした愛着の表れではないでしょうか。
以上、碓氷刑事の性格は若干異なるものの、ノンストップアクションを展開させる、気楽に読める作品でした。
警視庁捜査一課・碓氷弘一 1 – 触発
『警視庁捜査一課・碓氷弘一 1 – 触発』とは
本書『警視庁捜査一課・碓氷弘一 1 – 触発』は『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』の第一弾で、1998年10月に中央公論新社のC★NOVELSから新書版で刊行され、2016年5月に中公文庫から押井守氏の解説、それに関口苑生氏の新装版解説まで入れて403頁の文庫として出版された、長編の警察小説です。
『警視庁捜査一課・碓氷弘一 1 – 触発』の簡単なあらすじ
朝のラッシュで混雑する地下鉄駅構内で爆弾テロが発生、死傷者三百名を超える大惨事となった。威信にかけ、捜査を開始する警視庁。そんな中、政府上層部から一人の男が捜査本部に送り込まれてきた。岸辺和也陸上自衛隊三等陸曹ー自衛隊随一の爆弾処理のスペシャリストだ。特殊な過去を持つ彼の前に、第二の犯行予告が届く!!犯人の目的は、一体何なのか!?(「BOOK」データベースより)
『警視庁捜査一課・碓氷弘一 1 – 触発』の感想
本書『警視庁捜査一課・碓氷弘一 1 – 触発』は、『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』の第一弾の長編の警察小説です。
主人公は警視庁捜査一課に所属する碓氷弘一という部長刑事ですが、自分が当直をつとめていた時に受けた爆破予告が現実となり、自分の経歴に傷がついたこと、この事件の責任を追及されるかもしれないことを悔やんでいる存在です。
現場に行き、その悲惨な状況を現認した碓氷は爆破事件の犯人を自分の手で挙げなければならないと決心するのですが、それは自身の失敗を取り返すためというのが大きな動機になっているのです。
本書では途中から犯人が登場し、犯人目線での項も存在します。つまり、ミステリーで言うホワイダニットという構成に近いと言えるでしょう。
つまりは、犯人の心理を細かく描くことでその主張を明確にすることにその主眼があると思われます。
というより、作者の思いはそうした犯人、警察、そしてもう一方の捜査陣に加わる自衛隊員の主張も併せ、現在の世の中に対するそれぞれの主張を戦わせ、読者も共に考えてほしいという意図があるのではないでしょうか。
こうした社会性の強い主張は今野敏の作品ではしばしばみられることでもありますが、初期の作品ほどその傾向が強い、正確にいうと作者の言いたい主張がより明確に表現されていたように思います。
現代日本の特に若者層の社会に対する責任感の無さを指摘する場面が多いように感じ、特に自由という言葉の意味のはき違えに対する指摘が多いようです。
その後に刊行される作品でも現在に至るまで、今野敏という作者の示す主張の内容には変化はないと思われますが、初期の方がより明確だと思われるのです。
本書『触発』では、自分の国を守るという安全保障に対する認識の薄さが指摘されています。
それは若者の国防意識だけでなく、国家レベルでも同じだというのです。例えば地下鉄サリン事件の時、警察には防護服などの装備が不足しており自衛隊に借りに行ったという事実が指摘されています。
同じように作者の国防意識を明確に主張している作品としては、誉田哲也の『ノワール 硝子の太陽』を思い出しました。
若者の政治的な無関心などを指摘しているわけではありませんが、日米安全保障条約に伴う日米地位協定の問題を取り上げて作品の主要テーマに絡めてありました。
本書では早めに明かされる爆弾魔として、フランス外人部隊に身を置いて爆薬のエキスパートとして働き、最後はボスニアヘルツェゴビナなどで傭兵として働いていた戸上迅という男が配置されています。
そして、日本に帰国した彼に、「さしたる目的もなく金と時間と浪費している日本の若者たち
」のおかしさを指摘させ、今の日本は狂っていると評させているのです。
そして、そのプロフェッショナルであるテロリストに対する存在として自衛隊での爆発物処理のエキスパートである第三十二普通科連隊第四中隊所属の岸辺和也三等陸曹とその友人の横井三曹を対峙させています。
また、内閣官房危機管理対策室室長の陣内平吉という人物を登場させ、今の警察の能力だけでは爆弾魔に対応できないとして岸辺陸曹たちを警察に出向させることで警察と自衛隊との連携を図っているのです。
こうして警察に出向することになった岸辺三曹と横井三曹は碓氷刑事とその相棒の笹原と組むことになり、未だ正体がわからない爆弾魔の行方を追うことになるのです。
ちなみに、本書『触発』で碓氷刑事の上司として登場している捜査一課長がいますが、本書においてはまだ名前が明記されてはいません。
しかし、この一課長は今後今野作品でははずすことのできないバイプレーヤーとしてあちこちの作品で登場することになる田端守雄捜査一課長だと思われるのです。
この点に関しては、本書の新装版解説で関口笵生氏は「本作品では、べらんめえ口調で話す捜査一課長の名前はまだない。」と書かれています。
警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ
『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』とは
本『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』は、警視庁捜査一課に属する碓氷弘一警部補の活躍を描く警察小説シリーズです。
『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』の作品
『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』について
本『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』は、碓氷弘一という警視庁捜査一課刑事を主人公とする警察小説です。
階級は少なくともシリーズ第二巻『アキハバラ』までは部長刑事となっていますが、後には警部補になっています。昇進の時期が分かり次第ここで修正します。
この主人公の碓氷弘一は、十歳の娘と六歳の息子を持つ部長刑事ですが、このまま定年までを無事に勤めあげることだけを考えている人物です。
今野敏の描く警察小説では主人公となる刑事が他者の眼を気にする描写がよくあります。
たとえばベストセラーシリーズの一つである『安積班シリーズ』の主役の安積警部補は、班長として班員の心中を気にする場面が多々ありますし、『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』の樋口顕警部補も同様に、常に他人の眼、上司の評価が気にしつつ職務に邁進する人物として描かれています。
これらのことは本シリーズ第一巻『触発』の新装版解説で関口苑生氏も同様のことを書いておられます。
刑事といっても一人の人間であり、殆どの場合は時間に関係なく忙しさに追われる職場を抱えながらも、妻や子供たちに対する何らかの悩みを抱えるサラリーマンとしての側面を持つ存在としての側面をも描き出してあるのです。
本シリーズの主役碓氷弘一の場合、上司の評価や第三者の目を意識する側面が特に強い存在として描かれています。
シリーズ第一巻での爆弾魔事件においても、自分が爆破予告の第一報を受けていたのに爆発が起きたことは自分のミスであり退職までの経歴に傷がついたとして、その名誉回復こそが犯人を逮捕するという強い動機となっているのです。
また、その際に碓氷弘一を叱りつける上司として名前も示されていないべらんめえ口調で話す課長が出てきますが、これが今野敏の作品の重要な役者の一人となる捜査一課の田端守雄課長ではないかと思われるのです。
今野敏の作品ではこうした役者たちが共通して登場するというのも楽しみの一つでもあります。
ちなみに、2017年4月と2018年11月に、本シリーズの『エチュード』と『マインド』を原作としてテレビ朝日でドラマ化されています。
主人公の碓氷弘一はユースケ・サンタマリアが演じ、相棒として相武紗季や志田未来らが出演していたそうです。
あなたが誰かを殺した
『あなたが誰かを殺した』とは
本書『あなたが誰かを殺した』は『加賀恭一郎シリーズ』の第十一弾で、2023年9月に講談社からソフトカバーで刊行された、長編の推理小説です。
本書の大半が犯人探しの「検証会」の描写に費やされている、いわゆる本格派の推理小説にも似た構成の作品です。
『あなたが誰かを殺した』の簡単なあらすじ
★★★ミステリ、ど真ん中。★★★
最初から最後までずっと「面白い!」至高のミステリー体験。閑静な別荘地で起きた連続殺人事件。
愛する家族が奪われたのは偶然か、必然か。
残された人々は真相を知るため「検証会」に集う。
そこに現れたのは、長期休暇中の刑事・加賀恭一郎。
ーー私たちを待ち受けていたのは、想像もしない運命だった。(内容紹介(出版社より))
『あなたが誰かを殺した』の感想
本書『あなたが誰かを殺した』は、社会派の作家と分類されると思っていた東野圭吾による、本格派の推理小説とでも言えそうな推理小説です。
物語は、終盤にいたってそれまで貼られていた伏線が次々と回収されていくのはもちろんのこと、犯人像も逆転に次ぐ逆転で意外性に富んでいて飽きることがありません。
誤解を恐れずに言うと、こうしたどんでん返しは物語の終盤だけに展開されるものではなく、探偵の加賀恭一郎が参加してからは常に意外性に満ちた展開をしているとも言えるかもしれません。
それほどに、惹かれる展開が待っているというとでもあります。
本書の特異な点は、そのほとんど全編が序盤で起きた殺人事件の解決編だけで成り立っている構成であることです。
本書全体が300頁強の作品であって、冒頭から30頁半ばあたりで事件が起きます。そして50頁になる前で探偵役の加賀恭一郎が登場して、70頁を越えたあたりからは「検証会」に参加する人たちとの会話が始まっています。
そして、その「検証会」の中での加賀恭一郎の考察は他の登場人物たちにとって新たな視点をもたらすものとなっていくのです。
本書『あなたが誰かを殺した』での物語の舞台は、序盤で鷲尾春奈と加賀恭一郎とが初めて会った場面などの数場面を除いて櫻木家、山之内家、飯倉家(グリーンゲーブルズ)、高塚家、栗原家の五軒の別荘がある別荘地の中だけです。
この舞台に個性豊かな人物たちが集まって恒例のパーティーを行うところから始まりますが、このパーティに集まる人物が櫻木家、山之内家、高塚家、栗原家の四軒の別荘の関係者達です。
個別にみると、まず櫻木家関係者としては、櫻木病院の院長である櫻木洋一、洋一の妻の櫻木千鶴、そして櫻木夫妻の娘で櫻木病院で事務員として働く櫻木理恵、理恵の婚約者で櫻木病院の内科医である的場雅也です。
次いで山之内家の関係者は、この別荘に一人で住んでいる山之内静枝という40歳すぎの女性と、静江のもとに遊びに来ている静江の姪である看護師の鷲尾春那と夫で薬剤師の鷲尾英輔で、共にパーティへと参加しています。
グリーンゲーブルズと呼ばれている飯倉家の別荘は静江が管理をしており、現在は誰も住んでいません。
次の高塚家関係者は、ある会社の会長職である高塚俊作とその妻の桂子、それに俊作の部下の小坂均と七海夫妻とその息子で小学六年生の小坂海斗です。
パーティへの参加者は以上の人達ですが、そこに事件が発生し新たな人物が登場します。
それが、事件の犯人として自首をしてきた桧川大志であり、鷲尾春奈の依頼を受け「検証会」に同行することになった加賀恭一郎、それにパーティが行われた地元の刑事課長である榊です。
事件の後、自首してきた桧川が何も話さないところから検察が未だ事件の詳細をつかめていないとして、事件の関係者たちで事件について話し合いたいという高塚俊作の提案で「検証会」が開かれることになったのです。
先に述べたように本書『あなたが誰かを殺した』は通常の推理小説とは異なり、そのほとんどが加賀という探偵役による事件解決のための事実の確定と犯人探しに費やされています。
そして、この犯人探しの場となったのが「検証会」であり、この場で当事者たちの証言により何があったのかが次第に明らかにされていくのです。
最後に明かされる意外な事実は読み手の推測をも裏切り、繰り返されるどんでん返しは驚きの連続です。
そうした意外性は本書の特徴の最大の魅力と言っていいと思われます。
著者の東野圭吾の魅力の一つは犯罪動機の解明を通して示される社会的な問題提起にもあると思うのですが、本書の場合はどちらかと言うとかつての本格派の推理小説にも似た謎解きに重きが置かれた作品です。
特に本『加賀恭一郎シリーズ』は東野圭吾の作品の中でも社会性が強いと言われているシリーズであって、謎解きよりも犯罪動機やストーリー自体の魅力が売りだと思っていたので一つの驚きではありました。
ただ、『加賀恭一郎シリーズ』の中には『どちらかが彼女を殺した』『私が彼を殺した』などの本格派的な作品もありますから、本シリーズを社会派のシリーズだと思うのは私の早とちりというべきなのかもしれません。
どちらにしろ、本書『あなたが誰かを殺した』が魅力的であり面白い作品だというのは異論のないところでしょう。
東野圭吾作品の中でも一番好きなシリーズであり『加賀恭一郎シリーズ』の最新作である本書は十分に楽しめるひとときを過ごすことのできる作品だと言えます。
桜の血族
『桜の血族』とは
本書『桜の血族』は、2023年8月に384頁のソフトカバーで双葉社から刊行された長編の警察小説です。
女性が主人公の警察小説、それもマル暴刑事の話で、読了後には全く異なった印象となるほどの面白さを持った作品でした。
『桜の血族』の簡単なあらすじ
警視庁組織犯罪対策部暴力団対策課の桜庭誓は父も夫もマル暴刑事。遺伝子レベルでヤクザを理解する特殊な刑事だった。結婚後は退職して専業主婦をしていたが、夫の賢治がヤクザに銃撃されてしまい、犯人逮捕のために現場復帰する。そんな中、日本最大の暴力団吉竹組の元組員宅で爆破事件が発生。ベトナムマフィアの仕業かと思いきや、事件は本家と関東に分裂した吉竹組の抗争が絡んでいた。誓は自分に思いを寄せる片腕の武闘派組長・向島春刀とともに、血塗れの抗争を防ぐ。(「BOOK」データベースより)
『桜の血族』の感想
本書『桜の血族』は、主人公となる刑事に加え、その相棒も女性刑事という珍しいコンビの警察小説です。
そのうえ、所属が警視庁組織犯罪対策暴力団対策課所属というのですからいわゆるマル暴刑事としての女性二人の行動が中心となる作品です。
主役は父親が桜庭功という伝説のマル暴刑事といわれた男で、自分もマル暴刑事だった仲野誓という女性です。
誓は専業主婦をしてましたが、夫の仲野賢治が銃撃されて車いす生活になったため、その敵討のために再びマル暴刑事として復帰することになります。
その際にコンビを組んだ相手がこれまた警視庁で初めて女性刑事になったという藪哲子(やぶあきこ)という女性でした。
当初、本書で語られるストーリーは端的に言えばお伽話だという印象でした。
この物語はマル暴と称される警察官の物語ではありますが、普通は男社会として描かれる暴力団と警察とのやり取りを女性のマル暴刑事を主役として設定することに特色を出しています。
その上で、女性とは言ってもヤクザを相手にするのですから、女性マル暴刑事は直情傾向の気の強い女性として描くことは必然でしょうし、それでこそ暴力団との対峙を明確に印象付けるのだと思われます。
例えば誓は、夫の賢治が銃撃されたときに向島一家を内偵していたため、向島一家総長の向島春刀のもとへ令状も無く単身乗り込むほどの女性として描かれています。
このように、そうした女性を組み込んだストーリーが、物語のリアリティという面からはどんどん遠ざかっているのであり、どうしても現実味を喪失し絵空事の物語になっているのです。
絵空事の物語であること自体は決して非難しているわけではありません。
それどころか、例えば大沢在昌の『魔女シリーズ』のように絵空事に徹すればそれなりに非常に面白い物語として成立すると思われるのです。
しかし、本書の場合、暴力団と刑事との対峙という現実世界にある状況を背景にしているために中途に現実味を帯びてしまっていると思われ、その点でお伽話的に感じてしまうのだと思います。
また、何よりも本書の主人公桜庭誓のキャラクターが今一つ定まっていないというところにその原因があると思っていました。女性マル暴として未だ女の部分を残していることが中途半端だと思っていたのです。
しかし、私のその印象は読了後に覆されました。作者の意図にそのまま乗っかってしまったのです。
本書を読み終えた今、感想は当初の思いとは全く違った結果となっています。
当初、お伽話だと思っていたこの物語は、陰惨な暴力を背景にした暴力団、ヤクザの物語になっていました。
今では、早く続編を読みたいと思っているのです。
一夜:隠蔽捜査10
『一夜:隠蔽捜査10』とは
本書『一夜:隠蔽捜査10』は、『隠蔽捜査シリーズ』第十弾となる長編の警察小説です。
残念ながら、本書はシリーズの中では決して上位に入る面白さを持っているとは言えないと感じた作品でした。
『一夜:隠蔽捜査10』の簡単なあらすじ
竜崎のもとに、著名作家・北上輝記が小田原で誘拐されたという一報が入る。犯人も目的も安否も不明の中、北上の友人でミステリ作家の梅林も絡み、一風変わった捜査が進む。一方、警視庁管内では殺人事件が発生。さらに息子の邦彦が大学中退に…!?己の責務を全うせよ。人気シリーズ、第十弾!(「BOOK」データベースより)
『一夜:隠蔽捜査10』の感想
本書『一夜:隠蔽捜査10』は、今野敏の多くのシリーズ作品の中でも一番の人気を誇ると言ってもいい、『隠蔽捜査シリーズ』の第十弾となる長編の警察小説です。
しかしながら、本書は主人公の竜崎が合理的な思考を貫く竜崎らしさを発揮する場面は少なく、シリーズの中では面白いほうではありませんでした。
本書では北上輝記という作家の誘拐事件について奔走する竜崎伸也の姿が描かれていると同時に、本シリーズの特徴でもある竜崎の家族の問題、今回は息子の邦彦が大学を辞めようかという話が巻き起こります。
誘拐事件に関しては、退庁しようかという竜崎のもとに小田原署に行方不明者届が出されたという連絡が届きます。その行方不明者というのが人気作家の北上輝記だというのです。
そのうちに北上輝記が連れ去られるところを目撃した者が見つかり、小田原署に捜査本部が設けられることになるのです。
捜査本部では板橋捜査一課長や小田原署署長の兵藤安友警視正、副署長の内海順治、刑事組対課の朝霧利男課長、強行犯係の末武洋司係長らが詰めることになります。
行方不明者が人気作家の北上輝記だということで佐藤実県警本部長や、竜崎の友人である警視庁の伊丹刑事一課長までも関心を持つ事件となっているのです。
本書『一夜:隠蔽捜査10』がいつもと異なるのは、竜崎の相談役的な立場の者として、やはり梅林賢という流行作家がいることです。
竜崎は、小説家同士にしかわからないことがあるはずだとして、捜査の手伝いをしたいとやってきた流行作家の梅林賢の話を聞こうというのです。
結局、いつもは竜崎が捜査の過程での違和感に気付いて捜査の指針を示す立場にあるのですが、今回は竜崎の役割の一部を梅林という作家にまかせ、竜崎はその意見を取り入れているという形になっています。
ところが、その点ではこれまでと異なる試みがなされてはいるものの、物語の流れ自体は何も特別なことはありません。
それどころか、今野敏の小説としての普通の面白さは持っていいても、『隠蔽捜査シリーズ』独自の竜崎というキャラクターの醸し出す面白さはかなり影をひそめていると言っていいと思います。
このシリーズの特徴である竜崎の家庭の描写にしても、特別に語るべきことはありません。
やっと入った大学を辞めた方がいいかもしれないという息子の邦彦と相対し、その話を真摯に聞こうという姿勢だけはこれまでとは異なってきているとは思いますが、それ以上のものはありません。
普通に進むべき道に進んでいるという印象です。
以上のように、本書『一夜:隠蔽捜査10』の面白さ自体は普通であり、シリーズ独自の面白さはあまり感じられなかったという他ないと思います。
いまこそガーシュウィン
『いまこそガーシュウィン』とは
本書『いまこそガーシュウィン』は『岬洋介シリーズ』の第八弾で、2023年9月に288頁のハードカバーで宝島社から刊行された長編の推理小説です。
激化する人種差別抗議運動を前に分断するアメリカで音楽の力を示すことができるか、をメインテーマにしたサスペンス作品です。
『いまこそガーシュウィン』の簡単なあらすじ
電子書籍限定にて連載した『このミステリーがすごい! 中山七里「いまこそガーシュウィン」vol.1~4』、待望の書籍化です! アメリカで指折りのピアニストであるエドワードは、大統領選挙により人種差別がエスカレートし、変貌しつつある国内の様子を憂いていた。そこで、3ヵ月後にカーネギーホールで開催予定のコンサートの演目に、黒人音楽をルーツにもつジョージ・ガーシュウィン作曲の「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏を希望。6年前のショパン・コンクール中、5分間の演奏で人命を救った男・岬洋介との共演も決まり、期待に胸を膨らませる。岬と共演することで、大統領夫妻もお忍びで鑑賞に来ることが決まり、エドワードと岬は練習に励む。一方その頃、大統領暗殺の依頼を受け、計画を進めていた〈愛国者〉は、依頼主の男から思わぬ提案をされーー。音楽の殿堂、カーネギーホールで流れるのは、憎しみ合う血か、感動の涙か。どんでん返しの帝王が放つ、累計168万部突破の音楽シリーズ最新刊!(内容紹介(出版社より))
『いまこそガーシュウィン』の感想
本書『いまこそガーシュウィン』はミステリーと謳ってある作品ではありますが、ミステリーというよりはサスペンス小説と言った方さよさそうな作品でした。
本書ではミステリーとして提示された謎というほどの謎はなく、ただ、暗殺者である「愛国者」の正体は誰か、というくらいが謎といえるものであり、その謎ですらも決して本筋ではありません。
本筋は、語り手であるエドワードとシリーズの主人公である岬洋介とのジョイントコンサートの行方、つまりはこのコンサートでの暗殺者の大統領暗殺という仕事の行方がどうなるのかという点にあるのです。
ところで、あくまで商業ベースとしてのコンサートを見る時、「ラプソディー・イン・ブルー」という楽曲ではお客を呼べないというエドワードのマネージャーの意見があります。
この点に関しては、「ラプソディー・イン・ブルー」といえば人気の楽曲であるのに客を呼べないのか、という疑問しかない私としては、素人にはそこらの感覚は分からないのだろうと思うだけです。
ともあれ、マネージャーのそういう意見があったればこそ、岬洋介とのジョイントコンサートが開催されることになったのですから、それはそれでよしとすべきなのでしょう。
本書の本筋はジョイントコンサートの行方だとしても、本書の魅力を考えるときは、まずは中心となる二人が音楽の持つ力を信じていることだと思われます。
つまり、トランプ元大統領(2024年3月現在)を思わせる人種差別主義者のアメリカ大統領がもたらしたアメリカの分断という現状を、岬洋介とエドワードという二人のピアニストの競演でいくらかなりとも和ませることができるのではないかということです。
次に、「音楽」という芸術の有する影響力を前提にしての話ですが、「ラプソディー・イン・ブルー」という楽曲のもつ魅力があります。
そして本書には「ラプソディー・イン・ブルー」とい楽曲の歴史、ジョージ・ガーシュインという大作曲家の一番高名ともいえる楽曲のもつ背景が詳しく解説してあります。
そこらは実際読んでもらうしかありません。
ちなみに、本書ではエドワードと岬洋介とのジョイントコンサートの様子が描かれていて、そもそも「ラプソディー・イン・ブルー」という楽曲が「二台のピアノを前提として察刻されたという説明がなされていますが、ウィキペディアでも「ガーシュウィンが2台のピアノ用に作曲したもの」だと記載してありました( ウィキペディア : 参照 )
本書の魅力の第三は、作者の中山七里が作り出した岬洋介というキャラクターの魅力と、音楽の魅力を文章で示すという作者の表現力だと思います。
この点は本書の魅力と言うよりは本『岬洋介シリーズ』の魅力と言うべきであり、だからこそ帯にあるようなシリーズ累計160万部という人気シリーズになっているのでしょう。
さらには、ミステリーシリーズ、サスペンス小説としての本書の魅力があることももちろんの話です。
ただ、これまで書いてきたこととは矛盾するようですが、本書は中山七里という作家の作品の中では決して突出した作品とは言えないと思います。
それはジョイントコンサートの成功と大統領暗殺というサスペンスの点が弱いと感じてしまったからですが、それでもなお平均的な面白さを持っていると思います。
この頃あまりこの作者の作品を読んでこなかったので、あらためてまた読み始めようかと思います。その程度には面白さを感じた作品だったということでしょう。
