壬生義士伝 コミック

本コミックスは2014年4月17日に「ホーム社書籍扱いコミックス」として出版されました。

 

発表誌が廃刊したりなどの事情があり、出版社も「角川書店」「講談社」「集英社」「ホーム社」といろいろですが、現在は「ホーム社書籍扱コミックス」として一元化されている、と思っていいようです。

 

現時点(2018年12月)時点で第八巻まで出版されています。

本作品は原作をほぼ忠実に再現されており、その画力は見事です。

NHKで放映された「浦沢直樹の漫勉」という番組でも取り上げられていたのですが、本作品は一人で作画されているということです。

そのため出版のペースは決して早くはないものの、待つだけの価値はありました。

壬生義士伝 TV版

吉村貫一郎は、南部藩随一の文武両道の士といわれながら、妻子を養うために脱藩し、壬生浪(みぶろ)と呼ばれた新選組に入隊する。“人斬り貫一 ”と恐れられ、また“守銭奴 ”とさげすまれながらも、稼いだ金は妻子に送っていた。恒例の正月スペシャル。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

主演の渡辺健のイメージが少々強い男過ぎるかな、と思い、また、妻役の高島礼子もちょっと印象が違いました。新選組の主だった人物も金子賢の沖田総司や竹中直人の斎藤一も、また筧利夫の坂本龍馬も首をひねりました。

映画版と異なり、原作をそれなりに細かなエピソードまで追いかけているのは良いのですが、故郷会津の山なみの風景で、山道の所々に掘削の跡が残っていたりと、少々興をそぐ個所があったのは残念です。

しかし、最後まで見終わる頃にはそうした点はどこかに行っていました。沖田総司など最後まで違和感の残る人もいるにはいたのですが、皆さすがの役者さんで、原作の雰囲気をよく表現していたと思います。

 

ただ、新選組内部の事件の殆どに主人公がメインで映り込んでいるのは、仕方がないのかもしれませんが、ちょっと違う印象はありました。原作ではそこまで絡んではいなかったと思います。

全部で十時間という長編です。細切れにしか見れなかったは残念ですが、レンタルで見る価値は十分にあると思います。

壬生義士伝 映画版

浅田次郎原作、滝田洋二郎監督の時代劇。混迷の幕末期に新撰組隊士として、妻と子を守るためだけに生き抜いた吉村貫一郎。副長助勤・斎藤一はそんな吉村を憎みながらも、その小さくも強固な生き方に惹かれていく。“あの頃映画 松竹DVDコレクション”。(「キネマ旬報社」データベースより)

映画は、年老いた佐藤浩市が演じる斎藤一が村田雄浩演じる大野千秋の病院へ孫を連れていくところから始まります。

丁度満州へ旅立つ準備をしていたその病院に置いてあった吉村貫一郎の写真を見て、斎藤一の回想の場面へと移るのです。

 

中井貴一の演技が光る、かなり良くできた作品だと感じました。

勿論137分という上映時間ですので、原作の全てが表現されているわけではありませんが、家族を思う吉村貫一郎の姿は良く描けていたと思います。2004年の第27回日本アカデミー賞で、最優秀作品賞や最優秀主演男優賞を始めとする多数の賞を受賞しています。

池波 正太郎

池波正太郎と言う人はあまりに大物すぎて、「山本周五郎」や「藤沢周平」「司馬遼太郎」などと同様、改めてここで書く必要のない人とは思うのですが、そうもいかないのでしょう。

この作家について言い古されたことではありますが、ストーリー自体が面白いのは勿論、文章が読み易く、登場人物が良く書き込まれていて物語の世界に入りやすいことが挙げられます

とにかくその作品が多数繰り返し映像化、舞台化されていてその面白さは保証されています。例えば下掲作品以外にも「雲霧仁左衛門」「真田太平記」「侠客」などきりがありません。

ただ、私が読んだのはその中の主だったものだけです。今も目の前の本棚に読みかけの「真田太平記」が並んでいます。いつでも読めるとなれば、つい新刊、新しく知った面白そうな本を手に取ってしまうのです。

その作品数も多数であり、下記のものは単に参考です。

以上のことを踏まえご覧ください。

朝井 まかて

1959(昭和34)年大阪府生れ。広告会社勤務を経て独立。2008(平成20)年小説現代長編新人賞奨励賞を受賞して作家デビュー。2013年に発表した『恋歌』で本屋が選ぶ時代小説大賞を、翌2014年に直木賞を受賞。続けて同年『阿蘭陀西鶴』で織田作之助賞を受賞した。2015年『すかたん』が大阪ほんま本大賞に選出。2016年に『眩』で中山義秀文学賞を、2017年に『福袋』で舟橋聖一文学賞を受賞。2018年、『雲上雲下』が中央公論文芸賞を受賞した。その他の著書に『ちゃんちゃら』『先生のお庭番』『ぬけまいる』『御松茸騒動』『藪医 ふらここ堂』『残り者』『落陽』『最悪の将軍』『銀の猫』『悪玉伝』などがある。( 朝井まかて | 著者プロフィール | 新潮社 : 参照 )

最初に読んだ本が『恋歌』という樋口一葉らの師である歌人中島歌子を描いた作品であったためでしょうか、文章の格調が高く、主人公の心象を表現する言葉の選択がうまい人だと読みながらに思ったものです。この作品は、本屋が選ぶ時代小説大賞2013及び第150回直木賞を受賞しています。

しかし、次に読んだ『先生のお庭番』でも自然の描写が美しく、またシーボルトが自分の故郷に馳せる思いを主人公に語る場面など淡々としていながら想いが言葉に乗っていて忘れられません。とすれば、この作家の文章そのものが品のある文章だと思ってよさそうです。

その後『ちゃんちゃら』や『ぬけまいる』などのコミカルな小説をも見事にこなしておられることを知り、その作品の幅の広さに驚いていました。

 

 

ところが、江戸城明け渡し時に大奥にとどまった五人の女を描いた『残り者』では浅田次郎の『黒書院の六兵衛』の女版のような、しかししっかりと独自性を持った作品も描かれ、いつまでも読み続けたい作家さんとして深く心に残ったものです。

 

 

文章が美しい作家は何人か思い浮かびますが、この作家もその一人になることでしょう。また、未読の作品が数多く残っている作家さんでもありますので、是非読破したいと思っています。

ちなみに、『ぬけまいる』という作品は、「ぬけまいる〜女三人伊勢参り」と題して、2018年10月にNHKで「土曜時代ドラマ」枠でテレビドラマ化されています。

ぬけまいる~女三人伊勢参り : 参照

青山 文平

青山文平』のプロフィール

 

1948(昭和23)年、神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。2011(平成23)年、『白樫の樹の下で』で松本清張賞を受賞しデビュー。2015年、『鬼はもとより』で大藪春彦賞、2016年、『つまをめとらば』で直木賞を受賞。他に、『かけおちる』『伊賀の残光』『半席』『励み場』『遠縁の女』『江戸染まぬ』などがある。『半席』は『このミステリーがすごい! 二〇一七年版』で四位となり注目されたが『泳ぐ者』はその『半席』の待望の第二弾である。( 青山文平 | 著者プロフィール | 新潮社 : 参照 )

 

青山文平』について

 

江戸時代の天明期前後ともなると武士が武士であるだけでは生きていけない時代になっており、だからこそドラマが生まれやすいから、という理由で青山文平作品は天明期またはその前後の時代を背景とすることが多いそうです。

確かに、出版されている本を読んでみると武士であることに忠実であろうとすることにより巻き起こる様々な軋轢、相克が描かれています。

また、『つまをめとらば』での2016年の直木賞受賞時のインタビューでは、「銀のアジ」を書きたいとも言っておられます。

 

 

死んだ青魚ではない銀色をした生きているアジ、英雄ではない大衆魚としてのアジを書きたいということです。従って、「戦国と幕末は抜けている」のだそうです。

その文章は清冽で、無駄がありません。また、会話文の合間に主人公の心理描写や過去の思い出の描写が挿入されたりと、心裡への接近が独特で、焦点がぼけるという異論もありそうですが個人的には状況の語り口が見事だと思っています。

 

全般的に侍の存在自体への問いかけという手法ですので、痛快娯楽小説を探しておられる方には向かないかもしれません。あくまで、じっくりと言葉の余韻を楽しみつつ、物語の世界に浸る読み手でないと途中で投げ出すかもしれません。

でも、軽い読み物を探している方にもできればゆっくりと時間をとって読んでもらいたい作家さんです。

和田 竜

大阪生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。番組制作会社泉放送制作に就職するが3年で退職し、繊維・ファッション業界専門の新聞社に転職。

業界紙記者のかたわら執筆したオリジナル脚本『忍ぶの城』で第29回城戸賞を受賞。

2007年(平成19年)11月 『忍ぶの城』を小説化、『のぼうの城』として出版。翌年第139回直木賞候補作となる。
2009年(平成21年) 『忍びの国』で第30回吉川英治文学新人賞候補。
2012年(平成24年) 和田自ら脚本を担当した『のぼうの城』が映画化され公開。
2014年(平成26年) 『村上海賊の娘』で第35回吉川英治文学新人賞と2014年本屋大賞、第8回親鸞賞を受賞、第27回山本周五郎賞の候補作となる。
(ウィキペディアより)

「忍城」をめぐる戦いで面白い小説があるとの情報を得たのはネット上のことだったと思います。いつものように面白い本の情報を探してネットサーフィンをしているときにアンテナに引っかかったのです。

今となってはどこのサイトだったかは忘れましたが、読んでみると確かに面白い。視覚的で、テンポがあって実に読みやすい。登場人物が生き生きと駆け回っているのです。このようにネットで得た情報がヒットすると実に嬉しいものです。

ただ、その後続けで出版された二作品が第一作目に比べると若干勢いがなくなっている気がするのが残念ですが・・・。

と書いていたのですが、その後の作品が凄かった。第四作目となる『村上海賊の娘』は2014年の本屋大賞他を受賞します。もともと脚本を書いておられたからなのか、読み手の想像力をかき立てる文章の読みやすさは増していて、本屋大賞も納得でした。

葉室 麟

正道の時代小説を書かれる人という印象です。

時代劇の雰囲気を醸し出す情景描写は藤沢周平を彷彿とさせ、よく練り上げられたであろう文章は一言で多くを語っています。

どうも根底に漢文の素養のある方らしく、端々にその素養が見え隠れします。だからと言って文章が堅くなっているというのではありません。人を見る眼が真摯で、なお人物の立ち位置を簡潔に語っていると感じるのです。

清廉な人物が物語の中心におり、それを取り巻く人々の思惑の中で翻弄されていく、そうした物語が多いようです。そうした中で、人情小説と言っても間違いではないような細やかな人の想いが語られています。

時代小説といい、人情小説といっても共に人を描いていることに変わりは無く、人の人に対する想いが語られるのでしょう。

どの主人公も自分自身を失わず、凛として生きていて、その生きざまに惹かれます。その最たるものが「蜩の記」の戸田秋谷であり、その家族なのでしょう。

面白いです。是非読むべき作家さんの一人です。


2017年12月23日、葉室麟氏が亡くなられたそうです。

新聞によりますと、体調を崩して入院したおられたとのことです。享年六十六歳ということですが、あまりにも早すぎますね。残念です。

ご冥福をお祈りいたします。

新田 次郎

私の中では、山岳小説といえば新田次郎という名前が最初に上がります。特に、実在の人物をモデルにしての山岳小説を多数書かれておられ、どの作品もかなりの読みごたえをもって読んだものです。

文章は決して美しいとはいえないのですが、山登りが一歩一歩大地を踏みしめて少しずつ登っていくように、じわりと心に響いてきますす。

山というものに対しての情報小説としての一面があると言ってもいいのではないでしょうか。

 

その観点から見ても面白い小説としては、著者が現在の気象庁である中央気象台に入庁している経験を生かして書かれた『富士山頂』や『劒岳 点の記』などがあります。

 

 

一方、『武田信玄』( 文春文庫 全四巻 )を始めとする歴史小説も書かれており、これまた緻密な下調べが伺える物語で、引き込まれてしまいました。

 

 

決して派手ではありませんが、読み進むにつれゆっくりと心に沁み入ってくる文章を書かれる人です。新田次郎の作品の大半を読んで思うのは、時代小説も勿論面白いのですが、やはりこの作家の山を舞台にした物語は他の人の追随を許さない作品だということです。

ただ、近年、笹本稜平という作家の山を舞台にした作品群を読んでとりこになりました。新田次郎とはまた異なる、『還るべき場所』のような冒険小説的な色合いの濃い山小説や、それとは異なる『春を背負って』のような美しい山の物語もまた是非一読をお勧めします。新田次郎とは異なる感動がありました。

 

蜩の記

豊後羽根藩の檀野庄三郎は不始末を犯し、家老により、切腹と引き替えに向山村に幽閉中の元郡奉行戸田秋谷の元へ遣わされる。秋谷は七年前、前藩主の側室との密通の廉で家譜編纂と十年後の切腹を命じられていた。編纂補助と監視、密通事件の真相探求が課された庄三郎。だが、秋谷の清廉さに触るうち、無実を信じるようになり…。凛烈たる覚悟と矜持を描く感涙の時代小説!(平成23年度下半期第146回直木賞受賞作)(「BOOK」データベースより)

 

本作品は侍の生きざまを描き出した十分な読み応えを感じる長編の時代小説で、第146回直木賞を受賞した作品です。

 

主人公である戸田秋谷の達観とも言うべき心根や、その息子郁太郎の武士の子としての心、そして本作品の語り手ともいうべき立場の檀野庄三郎の戸田秋谷や秋谷の娘薫への想い等々、登場人物それぞれの調和が読んでいて心地良く感じられました。

全体の構成としても、藩の過去の秘密に迫る家譜をめぐる謎ときの様相もあり、物語として読み手の興味をかきたてます。

 

更には、田舎の情景描写ひとつにしても読み手の心をを穏やかにするものでした。

また、秋谷の家を「家の中に清々しい気が満ちている・・・」という一言で表わし、秋谷やその家族がどのような人柄あるのかまで表現している文章など、魅かれるものが多数あるのです。

特に秋谷の「若かったころの自分をいとおしむ思い・・・」という台詞には心打たれました。このような表現もあるのかと、ただただ感じ入るばかりです。