徳川四代将軍家綱の治世、ある「プロジェクト」が立ちあがる。即ち、日本独自の暦を作り上げること。当時使われていた暦・宣明暦は正確さを失い、ずれが生じ始めていた。改暦の実行者として選ばれたのは渋川春海。碁打ちの名門に生まれた春海は己の境遇に飽き、算術に生き甲斐を見出していた。彼と「天」との壮絶な勝負が今、幕開く―。日本文化を変えた大計画をみずみずしくも重厚に描いた傑作時代小説。第7回本屋大賞受賞作。(上巻)
「この国の老いた暦を斬ってくれぬか」会津藩藩主にして将軍家綱の後見人、保科正之から春海に告げられた重き言葉。武家と公家、士と農、そして天と地を強靱な絆で結ぶこの改暦事業は、文治国家として日本が変革を遂げる象徴でもあった。改暦の「総大将」に任じられた春海だが、ここから想像を絶する苦闘の道が始まることになる―。碁打ちにして暦法家・渋川春海の20年に亘る奮闘・挫折・喜び、そして恋。(下巻 「BOOK」データベースより)
食わず嫌いで読んでいなかった作品が、予想外に面白く、且つ感動ものの作品でした。登場人物のそれぞれが実に個性的であり、またその個々人に関心を覚え、魅了されました。それほどに、この作品自体、そして作者の表現力に感嘆したと言っていいと思います。私の好みに正面から合致した作品でした。
時代背景は、戦国の世も終り、世は安定期に入りつつあったころの話です。江戸幕府碁方の安井家に生まれた春海は、1652年に父の後を継いで安井算哲となり、1659年に21歳で御城碁に初出仕することになります。そして、この年から日本各地の緯度経度を計測し、当時の暦法であった授時暦の改暦を試みますが、彼の日食予報が失敗したことから、申請は却下されるのです。
ここらの史実をもとに小説化したのが本書です。作者は本書を書くために暦、神道、囲碁などを相当勉強したそうです。その結果、本書が出来上がっているのですが、その努力は見事報われたと言っていいのでしょう。
本書冒頭で、算学に没頭する春海の姿が描かれていますが、そこで「無術(解答がない問題)」の問題が出てきます。作者自身がその問題を考え、出題していると言いますから、数学嫌いの身としては関心するしかありません。もしかしたら数学が好きな人にとっては大したことではないのかもしれませんが、数学が苦手な人間にとっては天才としか思えません。
そうした数学的な素養も持っていると思われる作者ですが、海外暮らし時代に、自分の宗教について問われたことがあったそうで、帰国してから見た「クリスマス、ハロウィン。お正月は神道」のようなカレンダーに書きこまれているさまざまな宗教的行事を見て、「『日の巡り合わせ』こそ、日本人の信仰の大本にあるものなんじゃないか」との考えにいたったそうです。それから「暦」に関心を持ったと言いますから、そもそもの視点が我ら凡人とは異なります。
物語は、春海が挫折しながらも更に学び、自分の失敗の原因を探り当てる様子が描かれています。それは「ぜひ、渋川春海の生き方から勇気をもらってほしい」という著者の言葉がはっきりと示されているということなのでしょう。( 以上、楽天ブックス|著者インタビュー : 参照 )
本書に関しては、「改暦」という柱となる物語の他に、水戸光圀と保科正之の物語も少しですが語られています。この部分が面白い。水戸光圀に関しては後に『光圀伝』という大作を発表されています。それほどに関心を持った人物ということなのでしょう。
個人的には水戸光圀もさることながら、保科正之という人物に興味を持ちました。それはこの作者の描き方がうまいということももちろんあるのでしょうが、会津藩初代藩主であり、「会津家訓十五箇条」を定めた人として知っていたことが大きいと思われます。『光圀伝』は勿論近いうちに読むつもりですが、『保科正之伝』も書いて欲しいものです。ただ、中村彰彦が『名君の碑―保科正之の生涯』ほか何冊かの関連書を買いているようです。
蛇足ですが、調べていくと、本書に限った問題ではないのですが、「ここが違うよ『天地明察』」の記事のようなこともあるようです。参考文献と作者の意図との齟齬と言っていいのでしょうか。単なる読者としてはこうしたところまでは全く思いもいたらないのですが、小説家としてもどうしようもないような気もします。面白い物語を書く、その宿命のもと、虚構と事実との境界をあいまいにすることこそ物語の要でもあるでしょうから。