風に立つ

風に立つ』とは

 

本書『風に立つ』は、2024年1月に416頁のハードカバーで中央公論新社から刊行された長編の家族小説です。

なんとも感動的な作品であることは間違いないのですが、どこか作品としてのあざとさを感じてしまう部分がある、微妙な印象の作品でもありました。

 

風に立つ』の簡単なあらすじ

 

問題を起こし家庭裁判所に送られてきた少年を一定期間預かる制度ー補導委託の引受を突然申し出た父・孝雄。南部鉄器の職人としては一目置いているが、仕事一筋で決して良い親とは言えなかった父の思いもよらない行動に戸惑う悟。納得いかぬまま迎え入れることになった少年と工房で共に働き、同じ屋根の下で暮らすうちに、悟の心にも少しずつ変化が訪れて…。(「BOOK」データベースより)

 

風に立つ』の感想

 

本書『風に立つ』は、著者柚月裕子の故郷山形の南部鉄器職人の家族の姿を中心にを描いた作品です。

補導委託という制度を通して、二組の家族の物語が語られていますが、この作者の作品にしては妙に感情移入がしにくい作品でした。

 

主人公は父の小原孝雄が営む岩手県盛岡市の南部鉄器工房「清嘉(きよか)」で職人として働いている小原悟という男です。

この孝雄がある日突然に補導委託を引き受けると言い出します。お前らには迷惑はかけないという孝雄ですが、悟は非行少年を家庭に入れるなんてとんでもないと反対するのでした。

ここで、補導委託とは、「問題を起こし、家裁に送られてきた少年を、一定期間預かる制度」と書いてありました。「罪を犯した少年にどのような最終処分が適正か判断するために、一定の期間、様子を見るもの」だそうです。

詳しく知りたい方は下記を参照してください。

 

本書『風に立つ』では孝雄、悟の他に、夫の里館太郎と共に居酒屋「蔵太郎」を営みながらたまに清嘉を手伝っている悟の妹である由美がいます。

また、悟が生まれる前から「清嘉」に勤めていた職人の林健司やアルバイトの八重樫、それに盛岡家庭裁判所調査官の田中友広などが脇を固めています。

そして補導委託制度により小原家に預けられたのが庄司春斗であり、その両親の庄司達也夫妻です。春斗は万引きや自転車窃盗などを繰り返し、停学処分の後もそれが止まないために退学処分となったというものでした。

小原孝雄が補導委託を受ける気になったのは何故か、また春斗が非行を繰り返した理由は何なのか、という点が次第に明らかにされていくのです。

 

著者柚月裕子初の家族小説という触れ込みの作品でしたが、『佐方貞人シリーズ』の主人公の親子の関係、また『あしたの君へ』収納の作品も家族を描いてあると言えると思います。

両作品ともに短編集ですが、『佐方貞人シリーズ』では、主人公の佐方貞人とその父親である弁護士の佐方陽世との関係性があり、『あしたの君へ』は主人公の家庭裁判所調査官補の目線での家庭の姿があります。

ただ、前者は主人公の人生の背景にある父親の姿が描かれており、後者は主人公の目を通してみた様々な事案の中に家族の問題を描いた作品もあるという程度です。

そういう意味では、本書のように正面から家族の関係性を描いているとまではいえず、やはり本書が初の家族小説と言えるのかもしれません。

 


 

冒頭に書いたように、本書に対しては、何故かその設定を素直に受け入れることができず、感情移入することが困難に感じていました。

というのも、悟の父孝雄に対する思いや態度の描き方が少々型にはまりすぎている印象があったのです。

著者の柚木裕子の作品でこのように感じたのは初めてのことです。

それはもしかしたら本書を読むに際して「家族小説」だという刷り込みが先にあったためかもしれません。

つまり私の本書の読み方が、補導委託制度という物語の背景設定に対して、勝手に話を進める父親と普段から会話の無い息子との確執という形があって、そこに絡む非行少年の親子関係というフィルターを介しての確執の解消、という自分なりのストーリーを作り挙げての読書だったのです。

その私の思いに対してそのままに物語が展開していくため、一段と型にはまっていると感じたのだと思います。

 

加えて、途中で株式会社盛祥の会長清水直之助が悟に対して語りかける場面があります。

本書に対して違和感を感じていたために穿った見方をしているのかもしれませんが、この場面が唐突過ぎて不自然に感じてしまったのです。

 

本書『風に立つ』に対してはネット上の意見を見ても高評価ばかりで、私のような印象は一つもありません。

確かに、柚木裕子の作品らしく、固定的に捉えられていたある人物の内心が外部の出来事の展開から推し量ることができるようになり、主要登場人物の関係性が変化していくことで感動的な展開が待っているのです。

そこでは単純に物語を楽しめばいいのですが、素直に読み込めなかった私の読書方法がおかしかったのだと思われるのです。

教誨

教誨』とは

 

本書『教誨』は、2022年11月に317頁のハードカバーとして刊行された長編の犯罪小説です。

我が子を殺した一人の女性の本当の心を探り、人間の犯す「罪」について考えさせられた、読み応えのある一冊でした。

 

教誨』の簡単なあらすじ

 

女性死刑囚の心に迫る本格的長編犯罪小説!

幼女二人を殺害した女性死刑囚が最期に遺した言葉ーー
「約束は守ったよ、褒めて」

吉沢香純と母の静江は、遠縁の死刑囚三原響子から身柄引受人に指名され、刑の執行後に東京拘置所で遺骨と遺品を受け取った。響子は十年前、我が子も含む女児二人を殺めたとされた。香純は、響子の遺骨を三原家の墓におさめてもらうため、菩提寺がある青森県相野町を単身訪れる。香純は、響子が最期に遺した言葉の真意を探るため、事件を知る関係者と面会を重ねてゆく。

【編集担当からのおすすめ情報】
ベストセラー『孤狼の血』『慈雨』『盤上の向日葵』に連なる一年ぶりの長編!

「自分の作品のなかで、犯罪というものを一番掘り下げた作品です。執筆中、辛くてなんども書けなくなりました。こんなに苦しかった作品ははじめてです。響子が交わした約束とはなんだったのか、香純と一緒に追いかけてください」(内容紹介(出版社より))

 

教誨』の感想

 

本書『教誨』は、これまでの柚木裕子の作品とは微妙にその傾向が異なっている印象です。

これまでの作品のように犯された犯罪の動機を明らかにする点では同じだといえますが、本書ではさらにその動機自体の曖昧さを追求してあるのです。

犯人の育ってきた環境や今の生活環境に着目する物語はこれまでもありましたが、犯行動機自体のありように迫った作品は私の知る限りはなかったように思います。

 

本書の主人公は事件の犯人でもなく、ましてや警察関係者や探偵でもない単なる普通の一般人です。

死刑囚三原響子の身柄引受人で遺骨と遺品を受領した遠縁の吉沢香純は、今はいない響子の「約束は守ったよ、褒めて」という最後の言葉を聞いて、その意味を知るために響子の人生を掘り起こし、彼女の抱えていた悲哀を明らかにしていきます。

一般の推理小説では警察や探偵の地道な捜査の結果、犯人そのものや犯罪の実行方法などが明らかにされるその過程がサスペンスフルに描かれたり、犯行動機に心打たれたりします。

本書の場合もその点は同じことで、ただ探偵役が一般人というだけです。異なるのは、明らかにされた犯行動機そのものの曖昧さです。

 

死刑囚だった響子の人生が明らかになっていくにつれ、響子の過去が明確になっていきます。

その過程で明らかになる響子の人生の哀しさが、田舎の濃密で狭量な人間関係により引き起こされたものでもあり、その小さな世界で生きていかざるを得ない人々の悲しみを示しているようです。

そこで責められるべきは誰なのか、勿論響子自身が非難されるべきなのはそうなのですが、その非難には考慮すべきものがあるのではないか、そこに焦点があります。

 

本書『教誨』のテーマは「犯罪とは何か」だと思うのですが、視点を変えると、結局は犯罪を犯した人の主観面への考慮の難しさということになるのでしょう。

そして、その延長線上には裁判の限界まで視野に入ってくると思うのです。

現実に即して言うと、客観的に判断せざるを得ない犯罪行為が、最終的に刑罰の対象になり得るか、すなわち前に述べた非難に値するか、という判断になることの困難さがあります。

その主観面についての判断を可能な限り客観的に、そして正確に為そうとする結果がいまの裁判制度でしょう。

ですから、どうしても限界の事柄はあると思われるのです。

 

本書では響子が何も語らないという難しさもあり、響子が犯した罪への考察の困難さを増しています。

こうした事例に対してどうすればいいのか、答えが存在するものなのかそれすらわかりません

 

本書『教誨』でも問題の一つとして挙げられていることの一つに田舎の閉鎖性ということがあります。

近年もとある町で移住者に対するある提言が話題になっていたように、田舎人間関係に置いての過干渉ということは昔から言われているところです。

田舎暮しは草刈りや共有地の掃除などの共同作業により維持されるところが多く、地域共同体全体で作業を行うことで共同体の存立が維持できているところがあります。

しかしながら、都会住まいの人はプライバシーが確立された社会で生きていたため地域の共同作業になじめないといいます。

そうした村社会の濃密な人間関係を背景に、殺人という禁忌を犯した犯罪者に対する近隣の眼の厳しさと、それ故に内にこもらざるを得ず、他者との交流を築けなかった人間の心の内が暴かれていきます。

その過程は読者も惹き込まれずにはおれません。

 

ただ、真相が明らかになる最後の最後が結局はすべてを知る一人の人物によって明らかにされるという構成は、若干残念に感じました。

最後の最後にひとまとめに解決させてしまうのは、これまでの吉沢香純の働きが減じてしまうように感じたのです。

とはいえ、この点はそれほど大きなことではないとも思えます。

 

著者柚月裕子の示すテーマは考えはじめたらきりがありませんが、一つ一つ対処してゆくしかできないものでしょう。

本書『教誨』は、物語として面白い作品だとはちょっと言いにくいものの、しかしかなり惹き込まれて読んだ作品でした。

チョウセンアサガオの咲く夏

チョウセンアサガオの咲く夏』とは

 

本書『チョウセンアサガオの咲く夏』は2022年4月に刊行された、234頁のオムニバス短編小説集です。

ショートショートを中心にした短編集だったためか、一読した時点ではエンタメ性が少ないと感じ、いつもの柚月裕子作品とは異なり私には合わない作品集だとの印象でした。

 

チョウセンアサガオの咲く夏』の簡単なあらすじ

 

「佐方貞人」シリーズ、「孤狼の血」シリーズ、『盤上の向日葵』『慈雨』など数々のベストセラー作品を世に送り出してきた著者。ミステリー、ホラー、サスペンス、時代、ユーモアなど、デビュー以降の短編をまとめた、初のオムニバス短編集。「佐方貞人」シリーズスピンオフ「ヒーロー」収録。(「BOOK」データベースより)

 

目次
チョウセンアサガオの咲く夏/泣き虫の鈴/サクラ・サクラ/お薬増やしておきますね/初孫/原稿取り/愛しのルナ/泣く猫/影にそう/黙れおそ松/ヒーロー

 

チョウセンアサガオの咲く夏』の感想

 

本書『チョウセンアサガオの咲く夏』は、これまで書いてきた作品の中でどこにも収められていない作品を集めたという印象の、何ともとりとめのない作品集です。

各作品をざっと眺めると、軽いホラーの「チョウセンアサガオの咲く夏」「愛しのルナ」、ちょっとひねりを利かせた短編である「お薬増やしておきますね」「初孫」「原稿取り」。

そして、貧困故に奉公に出されいじめに遭う少年と一人の瞽女の少女との話「泣き虫の鈴」や、南の島国パラオのかつての日本軍の話の「サクラ・サクラ」。

また、母に捨てられ、その母を失った女の慟哭を描く「泣く猫」、一人の瞽女の少女の話の「影にそう」、何とも不思議な物語の「黙れおそ松」。

そして、「佐方貞人シリーズ」のスピンオフ作品の「ヒーロー」という作品が追加されています。

 

先に、なんともとりとめのない話と書きましたが、個人的にはあまり意味がよく分からない印象の作品がいくつかありました。

例えば、「サクラ・サクラ」は第二次世界大戦中の南太平洋での話であり、ここで描かれている事柄自体は実話らしいのです。ただ、史実をそのままに描いているようで、この物語を描いた意味が今ひとつ分かりませんでした。

たんに、太平洋戦争という不幸な時代に、軍人の中にもこのような人がおり、記されているような事実があったということを知らしめたいのでしょうか(ウィキペディアの「ペリリューの戦い ペリリュー島の島民の項」 : 参照 )。

 

 

でも、後に著者の柚月裕子のインタビュー記事を読んでみると、それぞれの作品には与えられたテーマがあったと書いてあり、少しだけ納得した気がします( 柚月裕子インタビュー : 参照 )。

「チョウセンアサガオの咲く夏」「愛しのルナ」「影にそう」は、『5分で読める!ひと駅ストーリー』シリーズで掲載されたショートショートです。

チョウセンアサガオの咲く夏」は同シリーズ『夏の記憶 東口編』に、「愛しのルナ」は『猫の物語』におさめられており、個人的には今一つの印象でした。

 

 

影にそう」は同シリーズ『旅の話』に入っていて、瞽女の少女の、彼女を世話する親方の哀しい、しかし心に沁みる話でした。

 

 

猫に関した話でいえば、「愛しのルナ」の他に「泣く猫」という作品があり、こちらは母を亡くした女性の心の内を探る好編でした。

ところがもう一遍、猫が出てくる物語がありますが、それが「黙れおそ松」であって猫の視点で書いてあります。この作品もちょっと中途半端な印象でした。

これは、私が「おそ松さん」というアニメを見たことがないのでそう感じたのかもしれません。

 

本書の最後におさめられている「ヒーロー」は、この著者柚月裕子の『孤狼の血シリーズ』と並ぶシリーズ作品である『佐方貞人シリーズ』に登場してくる、検察事務官の増田を主人公とする短編です。

佐方貞人シリーズ』の色をとても濃く残している作品であり、このシリーズの特徴の一つでもある物語の「青臭さ」をそのままに残した作品です。

 

 

結局、本書『チョウセンアサガオの咲く夏』は、いろいろな雑誌に発表された作品をまとめた作品集らしく、ごった煮のような作品集だとも言える作品集でした。

ミカエルの鼓動

ミカエルの鼓動』とは

 

本書『ミカエルの鼓動』は第166回直木賞の候補作となった、新刊書で467頁の長編の医療サスペンス小説です。

手術支援ロボット「ミカエル」を使用した手術をめぐり各人の思惑が錯綜するなか、医療とは何か、命とは何かを問う柚月裕子らしい作品でした。

 

ミカエルの鼓動』の簡単なあらすじ

 

「ミカエルは人を救う天使じゃない。偽物だ」手術支援ロボット「ミカエル」を推進する心臓外科医・西條と、ドイツ帰りの天才医師・真木。難病の少年の治療をめぐり二人は対立。そんな中、西條を慕っていた若手医師が、自らの命を絶った。情報を手に入れたジャーナリストは、大学病院の闇に迫る。天才心臓外科医の正義と葛藤を描く。(「BOOK」データベースより)

 

心臓外科医の西條泰己は北中大病院の十人いる病院長補佐の一人であり、手術支援ロボット「ミカエル」を使用しての心臓手術の第一人者としての地位にいた。

そして、ロボット支援下手術の推進こそが医療の未来を開き、ひいては患者のためにもなると信じ行動していた。

ところが、病院長の曽我部は、真木一義という医師をドイツから招いて循環器第一外科科長にするという。それは、西條を差し置いて真木を北中大病院の顔にするという曽我部の布石ではないかと疑う西條だった。

そこに、白石航という少年の心臓手術を行うことになった。

ミカエルによる手術を主張する西條に対し、真紀はミカエルは使えないと、自分が開胸手術をすることこそ航少年のためだと言い張るのだった。

一方、西條を慕っていた広島総生大学病院循環器外科の布施医師の自殺の知らせを受け、彼の死の背後にある秘密がミカエルの性能に関するものであることを知り、思い悩む西條の姿があった。

 

ミカエルの鼓動』の感想

 

本書『ミカエルの鼓動』という作品は私の好みに合致し、とても面白く読めた作品でした。

西條と真木という対立する二人の関係を軸に、病院内での権力闘争、医療機器メーカーとの関係なども過不足なく描かれており、読みやすいのです。

特に、西條と真木それぞれの主義、主張がそれなりにはっきりと描かれていて、一方当事者の主張だけを正当だと評価するようなこともなく、共に患者のことを第一義とする考えであることを前提に描かれていて、好感が持てました。

 

本書の作者柚月裕子は、例えば『佐方貞人シリーズ』での主人公佐方貞人の「罪はまっとうに裁かれなければいけない」という言葉のように、普遍的に考えられている「正義」を純粋に貫くことをテーマとしているようです。

ベストセラーとなり、映画化もされている『孤狼の血シリーズ』の大上にしても、市民に害を与えるものを許さないという確固とした信念をもって行動しています。

そこでは、ときには「青臭い」と呼ばれる愚直なまでに純粋な「正義」が存在しており、その「青臭い正義」が貫かれるからこそ柚月裕子の作品は皆の支持を得ているのだと思えるのです。

 

 

本書『ミカエルの鼓動』でもその点は同じです。

本書で描かれているのは患者の命の救済であり、その命を救うために医者は自らの信じるところを貫こうとします。

その手段として、西條は心臓外科医として手術支援ロボット「ミカエル」の使用こそが医療のために、つまりは患者のためとなるのだと信じ、そのために自分が北中大病院で力を持つ必要があると信じているのです。

また、曽我部が新たに招へいした真木医師もまた患者のためにと自分の医療技術を磨いてきた医師です。

この両者の医者としての信念に乖離があるのではなく、ともに患者を第一義とする点は同じであり、ただ現時点での立ち位置が異なるというだけだと思われるのです。

 

この二人が一人の少年の命を救うためには自分が執刀することが最善だと信じて行動する姿が描かれているのであり、そこには感動すら覚えます。

こうした点に、前述のように柚月裕子という作者の考える「正義」が現れていると思われ、物語の展開としても感情移入のしやすい描きかたになっていると思われます。

また、作者はよく勉強されていると感じたのが西條と真木とが対立する場面である航の手術の場面であり、西條と真木との対立を機械弁での弁置換術と弁形成術との選択の問題としているところです。

その上で弁形成術の優位性を前提に、小児に対する弁形成術の危険性を挟むことで、西條と真木との対立の図式を作り出しているうまさがあります。

また、航の心臓手術の場面の描写は真に迫っていて、とても医学には素人の作者の描写とは思えない迫力のあるものでした。

 

もちろん、西條の家庭の崩壊を描くことにどんな意味があるのかや、真木の人間性として北中大病院内でのスタッフとの関係性を築くのも医者の技量の一つではないのかなど、本書の物語の運びにも小さな疑問点が無いわけではありません。

しかし、物語の中での対立する二人の医者の性格設定を明確にするという作者の意図があるのでしょから、あまり個人的な好みをもとにしての批判めいたことは言うべきではないでしょう。

 

ちなみに、医療小説と言えばまず思い浮かぶのは山崎豊子の『白い巨塔』でしょう。

幾度も映画やテレビで映像化され、コミック化もなされている、大学病院内での権力争いや医局制度の問題点などを取り上げたまさに問題作でもありました。

 

 

そして現在の医療小説では多くの作品がありますが私は夏川草介の『神様のカルテシリーズ』が一番だと思っています。

人間の悪い側面を斬り捨てて、ユーモア満載で描かれる主人公栗原一止たち登場人物の姿を見ていると、人間は信じていいものだと思えて来ます。

 

 

いずれにせよ、本書の面白さはさすがのものであり、『孤狼の血シリーズ』で全く新た強い分野の作品に取り組んだ作者の、また異なる分社への挑戦を試みた作品として成功していると言えます。

 

なお冒頭に書いたように、本書『ミカエルの鼓動』は第166回直木三十五賞の候補作となっています。

月下のサクラ

月下のサクラ』とは

 

本書『月下のサクラ』は『森口泉シリーズ』の第二弾で、2021年5月に徳間書店からハードカバーで刊行され、2024年2月に徳間文庫から496頁の文庫として出版された長編の警察小説です。

通常の警察小説とは異なる、分析係という部門でその能力を発揮する主人公の姿が魅力的な、期待に違わない作品でした。

 

月下のサクラ』の簡単なあらすじ

 

念願かない警察広報職員から刑事となった森口泉。記憶力や語学力を買われ、希望していた機動分析係へ配属された。自分の能力を最大限に発揮し、事件を解決に導くー。だが配属当日、会計課の金庫から約一億円が盗まれていることが発覚。メンバー総出で捜査を開始するが、内部の者の犯行である線が濃厚だった。混乱する中、さらに殺人事件が発生して…。組織の闇に泉の正義が揺れる。(「BOOK」データベースより)

 

かつては広報課に勤務していた森口泉は念願通りに県警捜査二課に所属する立場になっていた。

そこでの泉は、捜査の最前線で活躍できると県警の捜査支援分析センターの人員募集に応募して機動分析係を希望するものの、最終テストで失敗してしまう。

しかし、何故か分析センターの機動分析係長の黒瀬仁人警部に拾われ、分析係で勤務することになる。

ところが、着任早々会計課の金庫から一億円近くの金が紛失し、内部犯行が疑われる事案が発生するのだった。

 

月下のサクラ』の感想

 

本書『月下のサクラ』での主人公は前巻『朽ちないサクラ』と同じく森口泉という女性です。

前巻では県警広報課という事務方に勤務していたのですが、一念発起して県警を再受験して見事合格し、努力の末に捜査二課に配属され念願の刑事となっています。

さらにそこから捜査支援分析センターの人員募集に応募し、機動分析係への配属されたということになっています。

つまりは、前巻『朽ちないサクラ』での友人の死、そしてその隠された真実を知り、事務方ではなく自分で捜査の第一線に立ちたいとの意思を持ち、刑事になっているのです。

 

 

本書は全く別の人物を主人公に据えて書くことも可能あったと思えるのですが、ただ、物語の核心で『朽ちないサクラ』と共通するものがあるためにシリーズ化としたものと思われます。

こうしたことを読みながら考えていたら、読了後に読んだネット記事で『朽ちないサクラ』は「もともと一冊完結のつもりだった」という作者の言葉がありました。

ただ、そこでは『朽ちないサクラ』の最後で泉が「警察官になる!」と宣言していたことや読者の声もあって続編を書いたと書いてあったのです。

作品が先にあって後に森口泉を主人公にしたのではなく、執筆依頼がまずあって、同じ出版社で森口泉を書いていたこと、さらに現実に警察には捜査支援分析センターという組織があること、また、ある警察署の金庫から現金が盗まれた事件があったことなどから本書を書いたそうです。

 

前巻の『朽ちないサクラ』では、泉と泉の同期の磯川俊一と共に親友だった新聞記者の津村千佳の死の謎を調べていました。

それに対し本書では、事件現場で収集した情報を解析しプロファイリングすることを業務とする機動捜査係というチームでの捜査が主になっています。

この機動捜査係の職務が普通の警察小説の捜査とは異なります。

「自動車ナンバー自動読み取り装置」いわゆるNシステムのデータや防犯カメラの映像などの事件現場で収集された情報を解析しプロファイリングすること解析業務を主な業務としているのです。

その機動捜査係のメンバーは、クールな印象の係長の黒瀬仁人警部を中心に、配属されて八年目の哲こと市場哲也、六年目の真こと日下部真一、四年目の春こと春日敏成、二年目の大こと里見大の五人です。

この機動捜査係に泉が配属されたのですが、この面々のキャラクターがよく描けていて、今野敏の『安積班シリーズ』を思い出させるチームワークの良さが描かれています。

 

 

特に係長の黒瀬のキャラクターが、それなりの過去をもって形成されているという設定は、どこかで聞いたような設定ではあります。

ただ、黒瀬に対し一班員ではあるものの黒瀬と昔からのつながりがありそうな市場哲也の存在が光っています。

 

本書『月下のサクラ』での見どころの一つと言っていいかもしれないのが、泉のデータ分析の場面です。

頭の中で記憶した映像がビデオテープのように再生され、映像の隅には時刻を表す数字が羅列されているというのです。この泉の能力を発揮する場面は読みごたえがあります。

ただ、泉は訓練で記憶力を格段に鍛えたということになっていますが、こうした特殊能力が数年の訓練で獲得できるものなのか、疑問が無いわけではありません。

しかしながら、現実の防犯映像などの調査も結局は似たような地道な捜査の上になり立っているのでしょうから、その作業を少々デフォルメしたと考えていいのでしょう。

 

本書『月下のサクラ』で一番気になったのが、捜査二課に配属された泉が機動分析係を志望した動機、意味が今一つよく分からないということです。

本文では単に捜査の最前線で活躍できるからとあったのですが、そもそも捜査第二課という知能犯係は捜査の最前線ではないということになりかねず、疑問に思ってしまいました。

 

とはいえ、本書の面白さは間違いのないところです。

柚月裕子の新しいシリーズの誕生であり、続巻が待たれるシリーズが増えたことになります。

森口泉シリーズ

森口泉シリーズ』とは

 

本『森口泉シリーズ』は、警察の事務方やデータ分析班といった、通常の警察小説とは異なった職域を舞台とし、単なる犯人探しを越えたテーマを掲げたシリーズです。

つまり、本シリーズの主人公である森口泉は、シリーズ第一弾の『朽ちないサクラ』では県警広報課という事務方にいたのですが、第二弾の『月下のサクラ』では事務職を辞め、あらためて県警を受験し直して女性刑事となっています。

この『森口泉シリーズ』はまだ二巻しか出ておらず、そのうえ物語の舞台が移行しているので明言できませんが、基本的には一人の警察官が思う「正義」と、国家が抱える「正義」との相克を描いた作品だと思っています。

 

森口泉シリーズ』の作品

 

森口泉シリーズ(2024年03月21日現在)

  1. 朽ちないサクラ
  2. 月下のサクラ

 

森口泉シリーズ』について

 

本『森口泉シリーズ』は、各巻のタイトルからも分かるように、公安警察とのからみを軸に据えた警察小説です。

本当はここで「公安」という言葉を出すこと自体、ネタバレになるのではないかという危惧がありました。

しかし、ほとんどの読者は「サクラ」と「公安」との関連は知っているだろうということ、また、あこちのレビューで「公安」のことは既にさらされていることなどから書くことにしました。

 

作者の柚月裕子は、当初は第一弾の『朽ちないサクラ』だけで終わるつもりだったそうです。

そこに徳間書房から新作の声がかかったときに過去に徳間書房から出ていた『朽ちないサクラ』の森口泉を思い出し、森口泉を主人公とする第二弾として『月下のサクラ』を書いたとのことでした。

主人公の森口泉は、第一弾『朽ちないサクラ』では県警広報課に所属していたのですが、第二弾『月下のサクラ』からは警察官となり、捜査支援分析センターの機動分析係に勤務する立場になっています。

事務方の無力を味わい「警察官になる」と宣言して終わった第一巻の終わりの言葉通りに、警察官になって戻ってきたことになります。

 

ここで、泉は受験からやり直して警察学校に入り直して警察官として採用されてとありましたが、しかし第一弾『朽ちないサクラ』でも警察学校へ行っていたはず、と思い調べてみました。

本シリーズのように事務方から警察官への転身について直接は書いてありませんでしたが、警察学校での期間や内容が異なるとありましたので、警察官用の試験をうけ、学校へ行き直す必要があると思われます。

 

あらためて柚月裕子という作家の作品をみると、その根底に「正義」という観念が常に存在しているように思えます。

特に『佐方貞人シリーズ』ではそれが顕著であり、柚月裕子という作家が思う「正義」を正面に掲げて物語が紡がれているように感じられます。

それはあの『孤狼の血シリーズ』でも同じで、ただ正面から掲げていないだけで主人公の大上章吾の信念に反映されているようです。

 


 

この『森口泉シリーズ』では、個々の警察官が普通に思う正義と、もう一方にある国家としての正義、個々人の生命・財産を犠牲にしても守られるべき国家存立のための正義との衝突を考えざるを得ません。

つまり、作者の柚月裕子は、その「正義」とは何かを常に追い求めていると思われるのです。

このシリーズが今後どのように展開していくものか、期待して待ちたいと思います。

佐方貞人シリーズ

佐方貞人シリーズ』とは

 

第一巻『最後の証人』こそ、ヤメ検である弁護士佐方貞人が活躍しますが、現時点(2021年8月29日)では第一巻以外は過去に戻り、未だ検事時代の佐方貞人を主人公とするミステリーです。

 

佐方貞人シリーズ』の作品

 

佐方貞人シリーズ(2021年08月29日現在)

  1. 最後の証人
  2. 検事の本懐
  3. 検事の死命
  1. 検事の信義

 

佐方貞人シリーズ』について

 

本『佐方貞人シリーズ』は、作者の柚月裕子の作品でもそうであるように、「正義」という言葉の持つ意味の多様性を前提としつつ、法曹界での「正義」を考察しているようです。

法曹界での「正義」とは言ってもそれはまた立場により異なるもので、本シリーズでは弁護士、そして検事それぞれの立場に立つ主人公がいます。

貞人は常に「罪はまっとうに裁かれなければいけない」という信念のもと行動しているのです。

 

それとは別に、主人公の佐方貞人は弁護士であった父親の佐方陽世が預かり金を横領したとして懲役二年の実刑判決を受け収監され、獄死するという過去を持っています。

この父親の存在が貞人の成長に大きな影響を与えているようです。

この父親のことについては『検事の本懐』と『検事の死命』という短編集の中で語られています。

 

また『佐方貞人シリーズ』の別の楽しみ方として、主人公が勤務する東京都内から北へ新幹線で2時間程のところにあるとされる米崎市はまた、『森口泉シリーズ』の舞台でもあるということが挙げられます。

いつの日にか佐方貞人と森口泉が、検事もしくは弁護士と刑事として同じ事件を担当することになるかもしれません。

その物語を待ちたいと思います。

孤狼の血シリーズ

孤狼の血シリーズ』とは

 

本『孤狼の血シリーズ』は、広島の暴力団担当の刑事を主人公とした長編の警察小説です。

作者自らが映画「仁義なき戦い」が好きで、「任侠のルールが残っている世界」を描いたという衝撃作です。

 

孤狼の血シリーズ』の作品

 

孤狼の血シリーズ(2020年09月01日現在)

  1. 孤狼の血
  2. 凶犬の眼
  1. 暴虎の牙

 

孤狼の血シリーズ』について

 

本『孤狼の血シリーズ』は警察小説、ということになっています。しかし、中身は警察小説というよりは義理人情はどこかへ行ってしまった「極道小説」と言った方が当たっているかのようです。

作者は「任侠小説」を書きたかったそうですが、任侠というよりもやはり暴力団の世界を描いていて、「極道小説」という方が正確だと思えます。

任侠小説と言えばいろいろありますが、まずは古典として尾崎士郎の『人生劇場 残侠篇』(下掲は Kindle版)の飛車角の物語を挙げるべきです。飛車角と吉良常の物語は映画化もされています。

 

 

先に書いた『仁義なき戦い』という映画は広島ヤクザの抗争を描いた作品でしたが、本書はヤクザの一部を警察に置き換えただけと言っても過言ではありません。

ただ、主役がヤクザまがいとはいっても警察官であり、一般市民生活を守ることを至上命題とし、そのためには何でもする警察官というキャラクターを設け、そのキャラをうまく動かしているところがこの作者のうまいところだと思います。

ヤクザそのものと言われる警察官はありがちの設定です。ただ、その警察官の背景を掘り下げ、ヤクザとの深いつながりを描き、大上という魅力的な人物を作り上げているのです。

 

うまいのは、主に本『孤狼の血シリーズ』第一巻の話ではありますが、その大上に正義感の塊のような日岡という新人を張り付け、大上の暴力や暴力団との癒着の現場を見せることで日岡の正義感と大上の無法ぶりとを対立させているところです。

その上で、第一巻『孤狼の血』で日岡との入れ替わりを示し、第二巻『凶犬の眼』で日岡を独立させています。この第二巻『凶犬の眼』は物語として若干迫力に欠けるところがあったのですが、さらに第三巻『暴虎の牙』で以前の大上と成長した日岡を共に読者の前に見せてくれます。

読み手の一人として、大上の物語ももう少し読みたいと思っていたし、日岡のその後も知りたいと思っていたその欲求を共に満たしてくれたことになります。

 

うまい、という他ないのです。そうした極道の世界を女性が、これだけ迫力をもって描けるのですから見事です。

できることであれば本シリーズをまだ続けてほしいのですが、それは読者の身勝手な希望でしかないのでしょう。これ以上の展開は大上も、日岡も傷つけることになると思われたからこそ最終章とされたのでしょうから。

それでもなお、読みたいと思ってしまう身勝手な読者です。

 

ちなみに、本『孤狼の血シリーズ』の第一巻『孤狼の血』は役所広司が大上を、松坂桃李が日岡を演じ映画化されています。また、第二巻『凶犬の眼』も「孤狼の血 LEVEL2」というタイトルで映画化されています。

 


 

『孤狼の血シリーズ』の、第二巻『凶犬の眼』も映画化が決まっている、と書いたのですが、シリーズ第二弾の映画は完成したものの、『凶犬の眼』を原作とした作品ではなく、完全オリジナルストーリーの映画だそうです。

ちなみに、この『孤狼の血 LEVEL2 』は残念ながら全く良いところを見つけることができず、私の好みではありませんでした。

ストーリーそのものが現実感が欠けたものでしたし、主役の二人はまだいいとしても(本当は不満があります)、他の役者さんは大部分が極道をやるには迫力がなく、かつての東映のヤクザ映画の大部屋の役者さんたちの演技の方が数段迫力がありました。

詳しくは下記サイトを参照してください。

暴虎の牙

暴虎の牙』とは

 

本書『暴虎の牙』は『孤狼の血シリーズ』の第三弾で、2020年3月に刊行され2023年1月に上下二巻合計600頁を越える文庫として出版された長編の警察小説です。

個人的にもう一度読みたいと思っていた大上の話と、たくましく成長した日岡の物語を共に読める作品として仕上げられており、おもろく読んだ作品でした。

 

暴虎の牙』の簡単なあらすじ

 

「極道がなんぼのもんじゃ!」博徒たちの間に戦後の闇が残る昭和57年の広島呉原ー。愚連隊「呉寅会」を束ねる沖虎彦は、ヤクザも恐れぬ圧倒的な暴力とカリスマ性で勢力を拡大していた。広島北署二課暴力団係の刑事・大上章吾は、その情報網から、呉寅会と呉原最大の暴力団・五十子会との抗争の臭いを嗅ぎ取る。賭場荒らし、シャブ強奪…酷薄な父からの幼少期のトラウマに苦しみ暴走を続ける沖を、大上は止められるのか?(上巻 : 「BOOK」データベースより)

広島呉原最大の暴力団・五十子会と、愚連隊「呉寅会」を束ねる沖虎彦との一触即発の危機を、マル暴刑事・大上章吾は間一髪で食い止めることに成功、沖は収監されることに。時は移り平成の世、逮捕直前に裏切った人物に報復を誓い沖は娑婆に戻るが、かつて大上の薫陶を受けた呉原東署の刑事・日岡秀一が沖の暴走を止めるべく動き出す。果たして沖の運命は?最強の警察小説「孤狼の血」シリーズ完結編!(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

暴虎の牙』の感想

 

本書『暴虎の牙』ではプロローグで三人の若者の殺しの場面が描かれ、続く第一章で昭和五十七年六月との年代表示のもと、ヤクザを相手に借金の取り立てをする三人の若者の姿が描かれています。

読み手がこの年代の指示にあまり意味を見つけられないままに本書を読み進めると、暴力の臭いが満ちた雰囲気の中、突然と大上章吾が登場します。

あの大上章吾は第一巻『孤狼の血』で消えたはずなのにと思っていると、冒頭の昭和五十七年六月という年代指定が意味を持ってくることに気がつくのです。

 

読者は、この『孤狼の血シリーズ』が暴力に満ちた物語であることは知っているはずですが、冒頭からの残虐な殺しの場面やヤクザと渡り合う若者の姿を見せつけられることで、あらためて本シリーズの性格を思い知らされます。

そして、そこにに大上章吾が登場することになるのです。作者のエンターテイメント小説の書き手としてのうまさを見せつけられたと言っていいのだと思います。

 

そうした「暴力」の物語であるという流れの中、冒頭から沖虎彦という人物が登場します。

暴力団員であった父親からの暴力を日常のものとしていた母親と幼い沖ですが、長じた沖はある日その父親に対して殺意を抱くに至ります。

当初は本書『暴虎の牙』では、大上と日岡秀一という第一巻と第二巻のそれぞれの主人公を再度登場させるために、沖というどうしようもないワルを登場させたのだと思って読み進めていました。

しかし、どうもこの物語の主人公はこちらの沖ではないかと思えてきました。

破滅に向かってまっしぐらに突き進む、しかし素人には決して手を出さない沖の姿は、大上、日岡らを再登場させるためのキャラクターを超えて独り歩きし始めたようにも思えたのです。

でも、物語としては大上というキャラクターと、その跡を継いだ日岡という存在の物語だというべきなのでしょう。そうした二人を背景として、破滅へ向かう若者の姿が描かれている、それが本書『暴虎の牙』という作品なのだろうと今では思えます。

 

破滅に向かって突き進む若者と言えば、映画ではありますが『仁義なき戦い 広島死闘篇』が頭に浮かびました。もしかしたら、作者の柚月裕子本人が『仁義なき戦い』が好きで、これを目指したと言っているほどですから、この『広島死闘篇』が頭にあったのかもしれないなどと思ってしまいました。

この作品は、北大路欣也演じる山中正治という若者の暴走と破滅とを描いていましたが、本作はの沖と映画の山中とがとても重なって見えたのです。

蛇足ですが、この映画では千葉真一が演じた大友勝利という男の印象も強く、役者という意味では千葉真一の方が印象に残ったかもしれません。

 

 

話を元に戻すと、本書『暴虎の牙』において第一巻で消えた大上の雄姿を再び見ることができたことは非常にうれしいことです。

その上、大上のあとを継いだ日岡がまるで大上が生き返ったかのようなキャラクターになり、戻ってきているのですから喜びも倍増です。

さらに付け加えると、この物語のラストが妙に心に残りました。「えつ!?」というそのラストは微妙な余韻を残し、終わってしまったのです。

 

本書が最終巻ということなので、これ以上この『孤狼の血シリーズ』はありません。それが非常に残念です。

パレートの誤算

本書『パレートの誤算』は、文庫本で432頁の社会派の長編推理小説です。

いわゆる「貧困ビジネス」に焦点を当てた物語で、柚月裕子作品の中では特に面白いというほどではありませんでした。

 

パレートの誤算』の簡単なあらすじ

 

ベテランケースワーカーの山川が殺された。新人職員の牧野聡美は彼のあとを継ぎ、生活保護受給世帯を訪問し支援を行うことに。仕事熱心で人望も厚い山川だったが、訪問先のアパートが燃え、焼け跡から撲殺死体で発見されていた。聡美は、受給者を訪ねるうちに山川がヤクザと不適切な関係を持っていた可能性に気付くが…。生活保護の闇に迫る、渾身の社会派ミステリー! (「BOOK」データベースより)

 

パレートの誤算』の感想

 

本書の舞台となる「社会福祉課」とは、例えば熊本県のサイト「社会福祉課の業務内容」によると、「生活保護法の施行に関すること。」や「社会福祉法の施行に関すること。」など、県民の福祉に関する事柄を業務内容とする職場です。

本書の主人公らの仕事は、福祉業務の中の「生活保護」に関する業務を担当しています。

ここで「生活保護」とは

資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する方に対し、困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、その自立を助長する制度です。( 生活保護制度 |厚生労働省 : 参照 )

とされています。

「生活保護の不正受給」問題、なかでも「生活保護ビジネス」「貧困ビジネス」と呼ばれる社会的弱者を食い物にするビジネスがニュースとして取り上げられ、社会問題化したのはまだ記憶に新しいところです。

本書『パレートの誤算』は、そうした「貧困ビジネス」をテーマに据えたミステリーです。

そして、主人公を新人職員として設定し、生活保護制度やケースワーカーという職務を紹介しつつ、生活保護ビジネスなど暴力団の資金源にもなっている生活保護システムの現状を絡めた物語としています。

 

本書『パレートの誤算』のタイトルのもとになっている「パレートの法則」とは以下の通りです。

組織全体の2割程の要人が大部分の利益をもたらしており、そしてその2割の要人が間引かれると、残り8割の中の2割がまた大部分の利益をもたらすようになるというものである。( ウィキペディア : 参照 )

この言葉は「働きアリの法則」と同じ意味合いで使用されることが多いとも書いてありました。

ここで思い出されるのが、第160回直木賞の候補作となった垣根涼介の『信長の原理』という作品です。

この物語は信長の生き方を、「パレートの法則」や「働きアリの法則」と呼ばれている現象を通して組み立てているところに特徴がある小説でした。

少々心象描写が細かすぎると感じることもありましたが、視点がユニークで面白い物語だったといえるでしょう。

 

 

本書『パレートの誤算』はいかにも柚月裕子の描く社会派の作品らしく、ある種の理想論を前面に押し出してあります。こうした主張は読む人にとってはいわゆる「青臭い」議論だとして受け入れない人もいるかと思われます。

しかし個人的には、この作者の描く『最後の証人』を第一巻とする『佐方貞人シリーズ』と同様に、こうした作風は嫌いではありません。というよりも好きなタッチです。

「青臭い」という言葉は、裏返すと正論であることに間違いはなく、ただ現実に即していないという攻撃にさらされるだけのことです。

 

 

勿論、この言葉の指摘するところには考察が足らないという意味の時があり、確かにそうした作品も見受けられます。しかし、本書を含めたこの作者の場合はそうした批判は当たらないと思うのです。

私の好きな作家さんの作品であるためか、かなり甘い感想になっているかとも思いますが、大きく外れてもいないと思っています。

本書『パレートの誤算』は刑事の描写に少々首をひねる場面が無きにしも非ずですが、物語として読みごたえがあることに間違いはないと思っています。