ウツボカズラの甘い息

本書『ウツボカズラの甘い息』は、文庫本で552頁の長さの長編のミステリー小説です。

普通の主婦が犯罪行為に巻き込まれるミステリーであって個人的には今一つと感じますが、それでも普通に面白い作品です。

 

ウツボカズラの甘い息』の簡単なあらすじ

 

家事と育児に追われる高村文絵はある日、中学時代の同級生、加奈子に再会。彼女から化粧品販売ビジネスに誘われ、大金と生き甲斐を手にしたが、鎌倉で起きた殺人事件の容疑者として突然逮捕されてしまう。無実を訴える文絵だが、鍵を握る加奈子が姿を消し、更に詐欺容疑まで重なって…。全ては文絵の虚言か企みか?戦慄の犯罪小説。(「BOOK」データベースより)

 

ウツボカズラの甘い息』の感想

 

孤狼の血シリーズ』を書いた柚月裕子氏の社会派ミステリーです。じつにベタであり、個人的な好みからは少しだけはずれるのですが、それでもなおこの作家の作品には惹きつけられます。

 

 

この作者の『最後の証人』という作品の紹介において「ベタな社会派ミステリー」と書きましたが、本書『ウツボカズラの甘い息』も同様で、物語の構成や登場人物の組合せなど、取り立てて独自の観点は感じられませんでした。その意味で、ありがちな構成という点で「ベタな社会派ミステリー」という表現になりました。

 

 

しかし、話の中心となる高村文恵という女性は解離性離人症という精神障害にかかっているという設定であり、これはありふれた設定ではないでしょう。

ただ、その設定があまり意味を持っているように感じられず、その点でやはり独自性を感じられなくなりました。

 

以上のように本書『ウツボカズラの甘い息』については細かな点での不満点はありますが、何故か惹きつけられる面白さを感じるのが作者柚月裕子の作品です。物語の全体的な運びがうまいのでしょうか。個々の文章の流れが巧みだから惹きつけられるのでしょうか。

理由はよく分かりませんが、この作者の筆力には頭が下がり、新しい作品が出ればすぐに読んでで見たいと思うのです。

作者柚月裕子は、「いちばん心を砕いているのは動機の部分。人の行動の裏にある感情を書きたい」とおっしゃっていますが、それはそのまま社会派と言われる推理小説作法であり、そうした作者の作品に対する姿勢が私の個人的な嗜好と一致するため少しの不満など吹き飛ばしてしまうのでしょう。

 

本書『ウツボカズラの甘い息』の探偵役の神奈川県警捜査一課の刑事秦圭介と、その相方である鎌倉署の女刑事の中川菜月というコンビもよくある普通の話です。

彼らの捜査と高村文恵という主婦の日常とが交互に語られます。そこでは、特に高村文恵という普通の主婦(と言えるか若干の疑問はありますが)の内面が、女性ならではの視点といっていいのでしょうか、緻密に描写されていきます。

杉浦加奈子というこの物語の中心となる存在は、タイトルにもなっている「ウツボカズラ」という食虫花をそのまま暗示しているのでしょうが、この人物造形もリアリティーという面では疑問を抱きつつも、エンターテインメントとしては魅せられました。

ともあれ、本書『ウツボカズラの甘い息』は柚月裕子という作家のさくひんとしては特別な面白さはないまでも、普通に面白いと感じる作品でした。

最後の証人

最後の証人』とは

 

本書『最後の証人』は『佐方貞人シリーズ』の第一巻目で、文庫本で320頁の長編の推理小説です。

ヤメ検である弁護士佐方貞人が活躍するミステリーですが、上質なヒューマンドラマとして心地よい読後感を得ることができました。

 

最後の証人』の簡単なあらすじ

 

検事を辞して弁護士に転身した佐方貞人のもとに殺人事件の弁護依頼が舞い込む。ホテルの密室で男女の痴情のもつれが引き起こした刺殺事件。現場の状況証拠などから被告人は有罪が濃厚とされていた。それにもかかわらず、佐方は弁護を引き受けた。「面白くなりそう」だから。佐方は法廷で若手敏腕検事・真生と対峙しながら事件の裏に隠された真相を手繰り寄せていく。やがて7年前に起きたある交通事故との関連が明らかになり…。(「BOOK」データベースより)

 

 

最後の証人』の感想

 

本書『最後の証人』では、主人公の佐方貞人は弁護士として圧倒的不利な状況にある被告人を救い、かつ、事件の真実の姿を暴き出します。

ただ、被告人の無実を立証する、という点では弁護士として当然の職務行為だと思うのですが、そこからさらに事件の真実を暴き出す行為は如何なものでしょう。

「罪はまっとうに裁かれなければいけない」という主人公の思いと弁護活動とは別物ですから若干の疑問はあるところで、正しい弁護活動のあり方なのかどうか、少々考えさせられました。

 

本書『最後の証人』は実にベタな社会派の推理小説です。しかし、そのベタさが実に小気味いいのです。

ただ、推理小説としては決してうまい出来ではないと思います。それどころか、随所に気になる個所があり、私の感覚からすると現実的ではないと感じられる個所が少なからず見受けられます。

でも物語としてはそのストーリー展開には強く惹きつけられ、早く先を読みたいという思いに駆られました。細かな瑕疵はありながらも、それを上回るこの作者の筆の力だったというところでしょうか。

 

本書『最後の証人』の作者柚月裕子は、横山秀夫が好きで、彼のような物語を書きたいと語っておられました。確かに、本書のありようは『半落ち』で示されている人間の業とでも言うべきものを、また別な形で示そうとしているようでもあります。

そしてその試みはそれなりに成功している、と個人的には感じました。

 

 

ちなみに、本シリーズは上川隆也主演で五作品がテレビドラマ化されています。

少々イメージは異なる印象ですが、ドラマ化されるということはそれなりに人気を得た作品だとの評価だということでしょう。

孤狼の血

孤狼の血』とは

 

本書『孤狼の血』は『孤狼の血シリーズ』第一巻目であり、2015年8月に刊行され、2017年8月に464頁の文庫本として出版された長編の警察小説です。

暴力団と癒着している刑事とそこに配属された正義感に満ちた新米刑事との姿を描く、この作家のこれまでの作風とは異なる、しかしかなり面白く読むことができたエンターテイメント小説でした。

 

孤狼の血』の簡単なあらすじ

 

昭和63年、広島。所轄署の捜査二課に配属された新人の日岡は、ヤクザとの癒着を噂される刑事・大上とコンビを組むことに。飢えた狼のごとく強引に違法捜査を繰り返す大上に戸惑いながらも、日岡は仁義なき極道の男たちに挑んでいく。やがて金融会社社員失踪事件を皮切りに、暴力団同士の抗争が勃発。衝突を食い止めるため、大上が思いも寄らない大胆な秘策を打ち出すが…。正義とは何か。血湧き肉躍る、男たちの闘いがはじまる。(「BOOK」データベースより)

 

孤狼の血』の感想

 

本書『孤狼の血』についての第一印象は、何と言っても菅原文太主演の映画『仁義なき戦い』を彷彿とさせる物語の面白さです。本書についてのどのレビューを読んでも『仁義なき戦い』という言葉が出てこないものはありません。

広島弁が、それも極道の発する広島弁が全編を飛び交います。小説としてのインパクトの強さで言ったら近年で一番だったかもしれません。

 

 

なにせ、本書『孤狼の血』の冒頭で、新人の日岡秀一に対しいきなり「二課のけじめはヤクザと同じよ」と言い切ってしまうキャラクターが登場するのですから強烈です。

この男は大上章吾という捜査二課の班長であるにもかかわらず、日岡に街で会ったヤクザに対し喧嘩を売らせ、挙句にはヤクザから訳の分からない金をためらいもなく受け取ります。

 

同じリアリティーのある極道のような刑事が出てくる小説であっても、『悪果』のような黒川博行の小説の登場人物ともまた異なります。

それは同じ極道であっても、大阪弁と広島弁との差なのかもしれませんが、それよりも黒川版では会話にどこかコミカルなニュアンスが漂っていますが、本書の場合はそれはないのが大きい気がします。

文字通り『仁義なき戦い』の世界で交わされる広島弁なのです。

 

 

そう言えば、黒川博行の『疫病神シリーズ』に、主人公の一人である桑原の兄貴分として二蝶会若頭の嶋田というのキャラクターがいます。

この人物の登場場面はあまり無いのですが、どことなくコミカルでありながらも、極道としての貫禄を持っているのです。特に直木賞を受賞した『破門』という作品の中で存在感を見せる場面があります。

そうした場面を見ると、この男からコミカルな側面を取り去ると本書の登場人物の一人を彷彿とさせる人物像が出来上がりそうです。

 

 

本書『孤狼の血』では、古くからの極道と新興のやくざとの一触即発の雰囲気の中、大上は日岡を連れて何とか抗争を回避すべく動き回ります。

しかしながら、大上のとる行動は一般社会のルールを逸脱したものであり、正義感に燃える日岡はその狭間に立ち悩まざるを得ません。

「正義」とは何かを問うこの物語は、圧倒的な存在感を持って読者を引き付け、強烈なメッセージを残します。そして、エピローグになり本書のタイトルの意味が分かるのです。

 

本書『孤狼の血』について調べてみると、作者自身の言葉として「昔から、『仁義なき戦い』や『麻雀放浪記』など男同士がしのぎを削る世界が大好きなんです。」と言われていますが、女性でこれらの作品が好みだというのはこの作家さんも少々変わっておられるのかもしれません。

阿佐田哲也の『麻雀放浪記』は、文字通り全編麻雀をやっている場面だけで成立している小説だと言っても過言ではないほどの物語です。

ただ、打牌をするときの読み合いや心理描写、イカサマに対しての緊張感を持ったやり取り、男どもの麻雀を通して交わされる熱情のほとばしりなど、この作品のもつエネルギーは半端なものではありませんでした。

 

 

こうした物語にあこがれにも似た気持ちを持ちつつ、結局は自分の物語を描き出してしまうこの作家さんは凄いです。

「任侠のルールが残っている世界を舞台にしたかった」という著者は見事にその気持ちを実現したと言えるのではないでしょうか。

 

他方、この作家は『佐方貞人シリーズ』のような、この作家の言う「表の正義」を描いても社会性を持った実に面白い物語を紡ぎだされています。

 

 

個人的には今一番お勧めの作家さんだと言っても過言ではありません。