たとえば孤独という名の噓

たとえば孤独という名の噓』とは

本書『たとえば孤独という名の噓』は、2025年11月に文藝春秋から312頁のハードカバーで刊行された、長編の警察小説です。

各章ごとに視点の主が異なり、さらにはいったんは解決したはずの事件の結果が覆されていくという、珍しい構成のミステリーです。

たとえば孤独という名の噓』の簡単なあらすじ

あの夜の雨が、孤独と嘘と事件を生んだ。警視庁公安部の佐島はある日、被疑者取調べに駆り出された。大学時代の友人・稲澤が、勤務先の女性部下・矢代を殺害した容疑をかけられていたのだ。被害者はなぜか、二人が学生時代に共に恋焦がれた女性・綾と瓜二つだった。容疑を否認しつつ稲澤は言う。「矢代は中国のスパイだったんじゃないか」取調べを終え部屋を出ると、そこには特捜幹部が顔を揃えていた。彼らは1枚の紙を佐島に突きつけたーいったい、何がどうなっているんだ?1話ごとに真相が反転する、慟哭の警察×スパイミステリー。(「BOOK」データベースより)

たとえば孤独という名の噓』の感想

本書『たとえば孤独という名の噓』は、章ごとに視点が変わりながら、解決したと思われた事件が別の様相を見せてくる長編の警察小説です。

警察小説ではありながら、一方ではインテリジェンス小説の側面も見せている作品ですが、最終的には若干尻すぼみの印象でもありました。

 

警視庁公安部に所属する佐島賢太は、矢代愛美という同僚を殺害したとして取り調べを受けている佐島の大学の同期の稲澤敏生の取り調べのために呼び出されます。ところが、殺された矢代愛美は佐島と稲澤の大学の同期の岸本綾という女性にそっくりだったのです。

第二章になると一日中対象者の監視をするという警視庁公安部の仕事ぶりが紹介されますが、この監視対象者が前章で殺された矢代愛美こと徐若春だったのです。

矢代愛美は中国のスパイの拠点でもある海外派出所に出入りする人物の関係者として監視対象者とされたのですが、そこに訪ねてきたのが佐島賢太でした。

こうして、章単位で視点が異なり物語の結末も異なってくることとなって、日本の一般の警察(刑事警察)と公安警察、そして中国のスパイたちが入り乱れ、物語は二転三転することになります。

そして、各章でのそれぞれの物語が誉田哲也という名手の手になることでとても読みやすいエンターテイメント小説として仕上がっているのです。

 

本書のように、視点が変わることでものごとの見え方が変わり、今まで見えなかったものが見えて来ることでそれまでとは異なった結論に導かれる、という作品はこれまでもありました。

まず思い出すのは木内昇の『新選組 幕末の青嵐』という作品です。新選組の主な構成員の夫々に均等に光を当て、短めの項立ての中で客観的に新選組を浮かび上がらせている作品です。

また、第169回直木賞を受賞した永井紗耶子の『木挽町のあだ討ち』という作品もあります。衆人環視の中で成し遂げられた仇討ちについて、その裏側に隠された物語が次第にあぶり出されていくというミステリー仕立ての作品です。

他にも多視点の物語は浅田次郎の『壬生義士伝』や凪良ゆうの『汝、星のごとく』などの少なくない数の作品があります

 

しかし、『新選組 幕末の青嵐』は私がこうした手法に接した最初の作品であり、かつ皆が知る新選組の物語をこの手法で立体的に浮かび上がらせた実に面白い作品であったことからまず思い出したものだと思います。

でも、上記の『木挽町のあだ討ち』は近いと言えるかもしれませんが、本書のように謎解きそのものの仕掛けとして視点の変化を使用している作品は他にはなかったように思います。

例えば、ネット上で突然に濡れ衣をかけられて必死で逃走する男の姿を描くミステリー『俺ではない炎上』も、ネット上でのなりすましという現代社会の問題点を取り上げてはいましたが、多視点の構成自体が謎解きに関係してくるものではありませんでした。

 

そもそも、誉田哲也という作家は多視点での物語が多い作家です。

もう聞こえない』や『プラージュ』などの作品のほかに、『あの夏、二人のルカ』に至っては多視点に加え、時系列まで二本の軸が設けられているのです。

でも本書のように、視点を変化させることで新しい事実をもたらし、それまでの結論をひっくり返すという構成はなかったように思います。

 

そして、本書『たとえば孤独という名の噓』は単にその構成自体が珍しいだけでなく、警察とインテリジェンスに加え、恋愛的要素まで加わっているのです。

その物語が誉田哲也というエンターテイメントの名手の手で練り上げられているのですから面白いに決まっているのです。

ただ、個人的な好みとして当初の警察とスパイの物語が、最終的には若干矮小化されているとは感じました。

しかしながら、やはり誉田哲也の小説は面白いと言って間違いはありません。

イノセンス

イノセンス』とは

本書『イノセンス』は、2025年8月に幻冬舎から480頁のハードカバーで刊行された、長編の青春音楽小説です。

主役二人それぞれの視点で書かれた誉田哲也らしいタッチの、素人にはかなり専門的と思える、しかし面白い音楽小説です。

イノセンス』の簡単なあらすじ

失踪した孤高の天才ギタリスト×彼に憧れるスランプ中のシンガーソングライター。二人が出会った時、新たな音楽が生まれる。音楽活動に行き詰まった立石梨紅は、数年前に業界から消えた人気ロックバンドのギタリスト・伊丹孔善の楽曲と出会う。彼にアドバイスをもらおうとするも、消息は不明。自身の手で捜そうと決意するが…。天才ギタリストは、一体どこに消えたのかー。夢から逃げた男と、夢を追いかける女。すべての大人たちに贈る青春小説。(「BOOK」データベースより)

イノセンス』の感想

本書『イノセンス』は、かなり音楽関連の専門的なフレーズがちりばめられた、しかし素人にも分かりやすく描かれた長編の青春音楽小説です。

誉田哲也らしい複数の一人称視点で語られる作品であって、中心人物二人の心象がわかりやすく描写された作品でした。

 

主役は、役者やモデルとしても活動しているものの、本人は音楽を一番やりたいと思っている立石梨紅というシンガーソングライターです。

そして、本名を高林春樹という伊丹孔善というギタリストが本書のもう一人の主役級の登場人物です。

その立石梨紅が自身の音楽に違和感を感じていた時に出会ったのが伊丹孔善というギタリストの音だったのです。

そこで、梨紅は直接会って話を聞くために伊丹孔善を探し始めるのでした。

 

まさに誉田哲也の青春小説ではあるのですが、少しだけではありますが、冗長さを感じてしまいました。それは、主人公の立石梨紅のパートが少々長く、物語の進行が遅く感じたところです。

でも、この女性は誉田哲也の描く女性像としては王道ではあります。

何か自分のやりたいことに対しては、まっしぐらに突き進む強い女性。それでいて、人としての基本的なところで思い悩むこともある繊細な神経も持ち合わせている女性です。

自分の書いた音楽に違和感を感じ、その原因を突き止めるために、ネットで見つけた自分の琴線に触れたギター演奏をするギタリストに会うために一途に突き進みます。

もう一方の視点の人物である伊丹孔善は、自分の音楽に完全性を求めるあまり隘路に入ってしまい、結局は音楽から、そして周りの人間からも逃亡し、音楽を自分の周りから遮断してしまうほどの人物です。

そうした人物を探し出し、はねつけられてもしつこく付きまとう梨紅。でありながら、誉田哲也が描く二人の関係関係は実にカラッとしています。

 

二人を取り巻く人たち、とくに伊丹孔善が隠れ住んだ土地の人たちが魅力的です。

伊丹孔善が借りた家の大家の篠雅之やラーメン屋のような近所のバーRATTのオーナー石丸浩司などがいます。

そして、ルキさんと呼ばれていた伊丹孔善の相棒の柴犬のコンちゃんの存在が、孤高に見える伊丹孔善の存在にクッションを与え、人間性を取り戻しているようです。

 

最も面白いと感じたのは、音楽の専門的なことを具体的な事例を挙げて、素人にもわかるように説明してあるところです。

特にサザンオールスターズの楽曲の「愛しのエリー」を取り上げ、同曲のレイチャールズのカバー版である「Ellie My Love」との聞き比べの場面は実に面白く感じました。

ただ、問題は、私自身が両曲の差を聞き取ることができなかったところです。結局は聞き手が能力を持っていなければどうにもならないことを教えられました。

いずれにせよ、久しぶりに読んだ誉田哲也の青春小説でしたが、やはりとても面白く読み終えることができた作品でした。

 

ちなみに、音楽小説と言えば恩田陸の『蜜蜂と遠雷』を挙げないわけにはいかないと思います。

この作品は、実際に存在する「浜松国際ピアノコンクール」をモデルとするピアノコンテストでの、おもに四人の出場者を描いた青春群像小説で、第156回直木三十五賞および2017年本屋大賞を受賞した作品です。


暗黒戦鬼グランダイヴァー

暗黒戦鬼グランダイヴァー』とは

 

本書『暗黒戦鬼グランダイヴァー』は、2024年12月にKADOKAWAから376頁のハードカバーとして刊行された、長編の警察アクション小説です。

装甲防護服に身を包んだ警察官を主人公に「異人」の犯罪者を相手に戦うアクション作品で、それなりに面白く読んだ作品です。

 

暗黒戦鬼グランダイヴァー』の簡単なあらすじ

 

麻薬と暴力で荒廃した近未来の東京。警視庁機動制圧隊の深町辰矛は「ダイバースーツ」と呼ばれる装甲防護服に身を包み、反社会的勢力「異人」の生け捕りを任務としていた。職務中、辰矛は異人グループから襲撃を受けて瀕死の重傷を負い、さらに同僚と恋人を目の前で殺されてしまう。そんな地獄から辰矛を救ったのは、異人をも凌ぐ暴力で敵を薙ぎ倒す「漆黒のダイバー」。その正体と目的は?絶望の淵から生還し、復讐のために立ち上がった辰矛。彼の行く末は正義の執行人か、それともテロリストかー。(「BOOK」データベースより)

 

暗黒戦鬼グランダイヴァー』の感想

 

本書『暗黒戦鬼グランダイヴァー』は、「ダイバースーツ」と呼ばれている装甲防護服(パワードスーツ)に身を包んだ警察官を主人公とする、近未来を舞台とした長編の警察アクション小説です。

その主人公が、異人からも警察からも追われている「黒い悪魔」に助けられ、その後「異人」の犯罪者を相手に戦うエンターテイメント作品で、まだ半端な印象ではあるものの、それなりに面白く読んだ作品でした。

 

近年の誉田哲也の作品は何となくの政治色を帯びているように感じますが、本書は特にその傾向が色濃く出ている作品でした。

例えば、前作の『首木の民』では、「経済」の問題、それも古くから経済政策の二大潮流として言われている積極財政と緊縮財政との対立を、この作者らしいエンターテイメント作品として仕上げてありました。

本書の場合、日本ではそれほど大きな問題にはなっていないようですが、しかし諸外国ではかなり大きな問題となっている移民問題を取り上げてあります。

しかし、外国人犯罪の増加が言われている日々のニュースを見ていると、わが日本でも決して他人事とは言えない時代に来ているのかもしれません。

 

そうした時代背景のなか本書『暗黒戦鬼グランダイヴァー』では、出自も明確ではなくて日本社会を構成している団体のひとつとなっている移民集団を「異人」として取り上げ、その中の犯罪者集団を敵役としています。

そして、異人の犯罪グループを取り締まる担当になっている警察組織を作出し、その主人公が「現代版必殺仕事人」のような組織の一員となっていく様子が語られているのです。

 

警察内部の仕置人的存在を主人公にした作品といえば、中山七里の『祝祭のハングマン』があります。

中山七里が「現代版必殺仕事人」を書いてほしいという依頼に応じて書かれた作品だそうです。

 

また、読み進んでいる途中に「装甲防護服」から思い出したのは月村了衛の『機龍警察シリーズ』です。

機龍警察シリーズ』の場合は、警視庁特捜部が保有する外装装置を個性的な操縦者が操縦し闘う物語です。つまり、人間が操縦するロボットのような乗物、という認識でそうは離れていないと思います。

一方本書は、訓練を受けた特定の警察官がより簡便な「ダイバースーツ」と呼ばれる装甲防護服を着用し戦う物語であって、戦闘用のアイテムそのものが異なります。

あくまで特殊繊維(アラミド繊維)を使用した防護服を装着しているのであり、ロボットのような外装装置を操縦しているわけではありません。

 

主人公は深町辰矛という警視庁警備部第三課「第二機動制圧隊」所属の装甲防護服装着員です。

同僚として狙撃手の富樫や同じ狙撃手の吉山恵実などがいますが、この三名で一個班を構成しています。

辰矛が所属するこの一個班が、ある突入事件で吉山は殺され、富樫は入院する羽目になってしまい、辰矛もまた異人に捕らえられてしまいます。

そこに異人たちに「黒い悪魔」と恐れられている存在があらわれ、辰矛はその悪魔に助けられるのでした。

ここでさらに、警視庁公安部外事第四課三係統括主任の芹澤孝之、さらに、大和一心会の上院議員の赤津延彦らが絡み、話は単なる異人を取り締まるアクション小説の枠を超えて広がっていくのです。

 

本書『グランダイヴァー』は、この「悪魔」と呼ばれた「グラン・ダイバー」の物語であり、いまだ一個の物語として完成しているとは思えません。

多分シリーズ物になるのでしょう。そうでなければ本書だけではあまりにも中途半端な物語になってしまいます。

例えば、細かな点では辰矛たち制圧隊がダイバースーツを着用する前や、グラン・ダイバーがスーツ着用の前にに飲む薬は一体何なのかなど、解決されていない謎は多く残っています。

大きくは辰矛が属することになる組織そのものの成り立ちや在りようなど、簡単にしか語られていない点も多く、物語の世界観ももう少し丁寧に構築されてしかるべきだと思うのです。

誉田哲也の壮大な物語は始まったばかりで、これから本格的に展開されるものと期待しています。

マリスアングル

マリスアングル』とは

 

本書『マリスアングル』は、2023年10月に408頁のハードカバーで光文社から刊行された長編の警察小説で、『姫川玲子シリーズ』の第十弾となる作品です。

この人の作品にはずれはありませんが、中でもこの『姫川玲子シリーズ』はその一番手であり、本書もまたその例に違わない作品でした。

 

マリスアングル』の簡単なあらすじ

 

塞がれた窓、防音壁、追加錠…監禁目的の改築が施された民家で男性死体が発見された。警視庁捜査一課殺人班十一係主任、姫川玲子が特捜に入るも、現場は証拠が隠滅されていて糸口はない。犯人はなんの目的で死体を放置したのか?玲子の天性の勘と閃き、そして久江の心に寄り添う聞き込みで捜査が進展すると、思いもよらない人物が浮かび上がってきてー誉田ワールド、もう一人の重要人物・魚住久江が合流し、姫川班が鮮烈な進化を遂げるシリーズ第10作!(「BOOK」データベースより)

 

マリスアングル』の感想

 

本書『マリスアングル』は、『姫川玲子シリーズ』の第十弾となる作品です。

姫川玲子シリーズ』の出版冊数からすると十一番目になると思われるのですが、第五弾の『感染遊戯』をシリーズ関連作としてシリーズない作品としては計算してないことにあるようです。( 姫川玲子シリーズ 公式サイト : 参照 )

この点に関しては、著者の誉田哲也自身がはっきりと自身の筆で、『感染遊戯』は「姫川玲子シリーズにはカウントしないこととする。」と書かれておられます。( Book Bang : 参照 )

出版社の「内容紹介」にも『姫川玲子シリーズ』の第十弾作品と書いてあります。

 

そうした形式的なことはさておいて本書の内容ですが、『姫川玲子シリーズ』の中でも事件の解決に向けた捜査の様子がストレートに記述されている、わりとオーソドックスなタッチの物語だと言えるのではないでしょうか。

ただ、物語の展開はオーソドックスだと言えても、その語られている内容は誉田哲也の作品らしい作品です。

というのも、著者の誉田哲也の作品では、現実の政治情勢を取り込んで作品内で起きる事件の背景に据えていることが少なからずありますが、本書で犯される犯罪の根底には、現実に起きた朝日新聞の慰安婦報道に関する問題が横たわっているからです。

ただ、本書では慰安婦の記事が全くの捏造であることを前提として取り上げてあり点には注意が必要だと思われます。実際の朝日新聞の問題はネット上に多くのサイトがあふれていますが、下記サイトに詳しく書いてありますので、関心がある方は参照して見て下さい。

 

 

本書『マリスアングル』の物語は、読者がそうした社会的な出来事について知見が無かったとしても楽しめる構造になっているので問題はありません。

 

ただ、誉田哲也の作品内で取り上げられている現実の出来事についてエンターテイメントとしての取り上げ方をしてあるので、作品に書かれていることが真実であるかのように思われる危険性はあると思われます。

そのことの是非をここで取り上げるつもりもありませんが、読者自身があくまで虚構であることを認識したうえで読み進めるべきかと思います。

そうした姿勢がある以上は、誉田哲也の作品で現実の政治的な状況への関心が生まれ、正確な情報に接する気持ちが生まれればそれは作者としても一つの狙いであるのかもしれません。

 

何と言っても本書の見どころと言えば、本シリーズと誉田哲也の別の人気シリーズである『魚住久江シリーズ』が合体し、姫川玲子の班に魚住久江が加わり、新たなチームとしての魅力が加わっているところです。

魚住久江という強烈な個性を持った女性の視点が新たに加わることで、姫川玲子という人間像が一段と明確になっていくというべきかもしれません。

その上で、どちらかというと、姫川玲子個人の危うさを取り上げ、姫川の保護者的立場の存在として魚住を異動させていると思われるのです。

ということで、本書『マリスアングル』は朝日新聞の慰安婦報道問題をテーマとして取り上げながらも、シリーズとしては姫川玲子個人のキャラクターをより深く描き出してあるのです。

といっても、魚住久江が異動してきたまだ日が浅く、姫川との絡みは今後さらに深くなっていくものと思われます。

その時の姫川玲子の描写を楽しみにしつつ、続巻を期待したいと思います。

ジウX

ジウX』とは

本書『ジウX』は『ジウサーガ』の第十弾で、2023年6月に416頁のハードカバーで中央公論新社から刊行された、長編の冒険小説です。

個人的には最も好きな作家の一人である誉田哲也の作品の中で、ある政治的主張を明確に織り込んで構成されているエンターテイメント小説であり、それはそれで面白く読みました。

ジウX』の簡単なあらすじ

生きながらにして臓器を摘出された死体が発見された。東弘樹警部補らは懸命に捜査にあたるが、二ヶ月が経っても被害者の身元さえ割れずにいた。一方、陣内陽一の店「エポ」に奇妙な客が集団で訪れた。緊張感漂う店内で、歌舞伎町封鎖事件を起こした「新世界秩序」について一人の女が話し始める。「いろいろな誤解が、あったと思うんです」-。各所で続出する不気味な事件。そして「歌舞伎町セブン」に、かつてない危機が迫る…。(「BOOK」データベースより)

ジウX』の感想

本書『ジウX』が属する『ジウサーガ』は、誉田哲也という作家の作品の中でも一、二位を争う人気シリーズです。

このシリーズは斬新な警察小説として始まり、後に新宿を舞台とする仕事人仲間の物語へと変化し、さらには「ジウ三部作」での敵役であった「新世界秩序」という集団を敵役として、新たな冒険小説として展開しつつあります。

本書では、そんな変化していく『ジウサーガ』においての敵役としての「新世界秩序」という集団が、これまでのような漠然とした存在ではなく明確な存在としてその姿を見せてきます。

そして、問題は「新世界秩序」の主張もまた明確になってきたことであり、その主張が国家の存立にかかわることだということです。

 

こうして、「新世界秩序」という組織の実態、その目的が明確になってきたことが本書の一番の見どころでしょう。

といっても、「新世界秩序」という組織の詳細まで明らかになったわけではありません。

ただ、『ジウ三部作』での黒幕と言われたミヤジでさえも下っ端と言い切る集団が登場します。

その集団が「新世界秩序」の特殊なメンバーである「CAT」と呼ばれる一団です。

この「CAT」は暴力を振るうのにためらいが無く、また残虐であって、誉田哲也の特徴の一つでもあるグロテスクな描写が展開されています。

本書『ジウX』の冒頭から示される殺人事件の描写からして、あるカップルの女性の身体の解体であり、男性への陵虐です。

 

そして、その「CAT」の傍若無人な活動と、それに伴う警察の動き、特に東弘樹警部補の活動、そして「歌舞伎町セブン」の活躍から目を離せません。

この「CAT」は明確な政治的主張を持った一団です。その主張は単純であり、「相互主義」という言葉を直接的に用いています。

外交の世界で使われる言葉の正確な意味は分かりませんが、近年のテレビでは「相互主義」という言葉を主張するコメンテーターがいるのも事実です。

相互主義」とは、外交の場面では「相手国の自国に対する待遇と同様の待遇を相手国に対して付与しようとする考え方」を言います( ウィキペディア : 参照 )。

 

そうした言葉の意味をそのままに持ってきているのか分かりませんが、エンターテイメント小説の中にこれだけ政治性の強い単語を、それもその意味の詳細な定義もないままに物語の中心的なテーマとして、しかし情緒的に使っている作品も珍しいのではないでしょうか。

大沢在昌の『新宿鮫シリーズ』や月村了衛の『黒警』のような作品ではよく外国人が登場しますが、それは犯罪者としての役割を担っている場合が多いようで、政治的な主張を示しているわけではありません。


 

また、麻生幾の『ZERO』(幻冬舎文庫 全三巻)のようなインテリジェンス小説でも現場の諜報員としての物語という場合が殆どです。

 

 

しかし、本書『ジウX』の場合は特定の中国という国に対する憎悪を持った集団が、情緒的ではあっても明確な、そしてそれなりに現実性を持った政治的な主張をしているのです。

そして、その主張こそが「CAT」の存在意義であり、本書の核にもなっている点で独特です。

また、現代の世相の一部を切り取って、エンターテイメント小説として成立させている点でもユニークだと思うのです。

 

新宿セブンのメンバーも当初から少しずつ変化してはいますが、本書ではまた一人抜けそうであり、その後釜についても問題になっています。

その候補として挙がっているのが、「新世界秩序」の一員であり、「セブンのメンバーから、最も嫌われている女」である、土屋昭子でした。

 

本書『ジウX』は、エンターテイメント小説としての面白さを十分に備えた作品として、その後の展開が期待され、続巻が待たれる作品として仕上がっている作品だと思います。

妖の絆

妖の絆』とは

 

本書『妖の絆』は『妖シリーズ』の第三弾で、2022年12月にハードカバーで刊行された長編のエンターテイメント小説です。

シリーズの前二巻と異なり江戸を舞台としており、仲間であり恋人であった欣治との出会いを描いたアクション小説ですが、前二巻よりはストーリーが単調に思えました。

 

妖の絆』の簡単なあらすじ

 

人の血を啜り、闇から闇へと生きる絶生の美女・紅鈴が、江戸の世で出会ったひとりの少年、欣治。吉原に母を奪われ、信じていた大人たちにも裏切られた。そんな絶望の中でなお、懸命に生きる欣治との出会いが、孤独な闇を生きてきた紅鈴の思いがけない感情を芽生えさせる。「こんな腐った世の中に、こんなにも清い魂があるものか。この汚れなき魂を、あたしは守りたい」欣治を“鬼”にするー。その、後戻りできない決断の先に待ち受ける運命とは!?美しく凶暴なまでに一途なダークヒロイン、ふたたび。(「BOOK」データベースより)

 

妖の絆』の感想

 

本書『妖の絆』は本『妖シリーズ』の主人公である紅鈴とその仲間であり想い人でもあった欣治との出会いが描かれている作品です。

シリーズ第一作の『妖の華』は、既に亡き欣治を思い出させるもののその実ヘタレ男であるヨシキと紅鈴との物語と、同時に展開される変死事件を追う井岡刑事の話との二本柱の作品でした。

誉田哲也作品の一つの型である、異なる話が一つの物語に収斂していく作品です。

そして、第一作では欣治は既に亡くなっており、第一作で触れられていた欣治の死に絡む暴力団組長三人殺し事件の顛末を描いたのが圭一という盗聴屋が出てくる第二作目の『妖の掟』でした。

 

その欣治と紅鈴との出会いを描き出しているのが本書『妖の絆』です。

本書の舞台となるのは江戸時代ですが、敵役の一族が加賀の前田利家から大命を受けて以来「二百有余年」とあったり、明暦2年(1656年)10月に移転(ウィキペディア)した新吉原が「日本堤に移して、もう百何十年も経つ」とありましたので、1800年代のいつかということになるのでしょう。

 

本書『妖の絆』では主役の紅鈴、欣治の他に、欣治の父親の弥助と母親のおかつ、そのおかつを吉原に連れて行った女衒の吉平や吉平の手下の正八与市と登場します。

敵役として八代目百地丹波を頭とする素波の一団が登場しますが、直接的な敵役となっているのは丹波の部下の道順という男でありまた今川拓馬片山志乃などという面々です。

ただ、拓馬や片山志乃という人物の設定は、それなりに焦点が当てられている割には今一つはっきりとしない存在であり、誉田作品にしては中途半端な存在だという印象でした。

とはいえ、紅鈴と欣治とが結びつくきっかけとなる事件の要となる人物の一人ではあるわけで、その拓馬も一人の人間として喜びも悲しみも背負った人物であることは示されています。

その上で、紅鈴という怪物に絡んでの幸せや不幸であることが示されていると思われ、まったく意味がないわけではないでしょう。

 

前述したように、本書『妖の絆』は全体として前二作と比べストーリー自体の面白さが今一つのように感じられる点があったことも事実です。

誉田作品にしては物語の展開がシンプルに感じられ、紅鈴が吉原に潜り込んで男どもを手玉に取る場面にしても、紅鈴と百地一派とのアクションにしてもこれまでの二作品ほどの高揚感がありません。

時代背景が江戸時代ということでそうなったのかはわかりませんが、紅鈴の闇神としての存在故の展開があまり感じられませんでした。

もちろん、本書は本書なりに面白いのは事実であり、前二作品と比べればの話です。

ただ、前二作品が手元にあるわけではなく、私の記憶の中の作品と比べての話なので、もしかしたら間違っているかもしれません。

本書を、前二作品の知識がなく読んだとしたら、かなり面白いと思いながら読んだのではないかとも思えるのです。

 

主人公の紅鈴が、無敵の力を持つ吸血鬼(闇神)であり、基本的に不死の身でありつつも、不死の身であるが故の淋しさ、哀しさを漂わせる存在としてあるという設定は非常に心惹かれます。

その設定のもと、自分の能力を分け与えたただ一人の仲間であり、恋人でもあった欣治との出会いが描かれた作品だということで私の中でハードルがかなり高くなっていたのでしょう。

本書では、自分に無関係の人間の生き死にには無関心な紅鈴が、欣治やその母親のおかつには関心を持ち、おかつを吉原から救い出したりしているわけで、矛盾した行動をとっています。

しかし、そうした行動はこれまでの二巻の中でも見られたはずであり、だからこそ紅鈴の孤独感も感じられ、また哀しさをも感じ取れると思われます。

 

そうした設定の主人公の活躍も作者によればあと二巻で終わるそうです。

出来れば最終巻などと言わず、続けてもらいたいと思うのが、一ファンとしての望みでもありますが、作者が明記しているので無理でしょう。残念です。

アクトレス

アクトレス』とは

 

本書『アクトレス』は2022年1月に刊行された、新刊書で367頁の長編のエンターテイメント小説です。

誉田哲也の遊び心満載の作品『ボーダレス』の続巻であり、前著での「ドミナン事件」から五年後の森奈緒、片山希莉、市原琴音らの活躍が展開されます。

 

アクトレス』の簡単なあらすじ

 

私たちは、この一週間で大人になる覚悟を決めた。「ドミナン事件」から5年。森奈緒、片山希莉、市原琴音たちは自立し新生活を始めていた。ある日、希莉の書いた小説が、若手人気女優・真瀬環菜名義で発表されることになる。不服ながらも抗えない希莉。さらに小説が発表されるや、作中の事件をなぞるように「事件」が発生してしまう。偶然とは思えないが、誰が何のために模倣したのかは見当もつかない。真相に近づこうとしたとき、ふたたび逃れられない悲劇が彼女たちに忍び寄る…。(「BOOK」データベースより)

 

前著『ボーダレス』で起きた「ドミナン事件」から五年後、森奈緒は高校卒業後栃木県警の採用試験に合格し、短期間で那須塩原署刑事第一課へと配属されたものの、母親の病気のために退職し実家の手伝いをしている。

片山希莉は高校卒業後、東京の明応大学に入学して演劇部に入り、希莉の原案、脚本による舞台が話題となって先輩の劇団に属することとなる。

大学卒業後は、ミッキーという少々天然の後輩の娘と共に住んで、何とか芸能関係の仕事をこなしていた。

市原琴音は、三年前に和志と結婚して中島琴音となり、二年前に父親の市原静男が経営する「カフェ・ドミナン」の二号店をオープンし、一年前に長男のを産んでいた。

その琴音のもとには、今では「和田探偵事務所」に就職したという八辻芭留がたまに訪ねてきてくれている。

その琴音が、母親も元気になり時間ができた奈緒の再就職先として八辻芭留の事務所の話をしたことで、奈緒が芭留の事務所に勤めることになった。

 

アクトレス』の感想

 

冒頭に書いたように、本書『アクトレス』は『ボーダレス』の続編です。

ボーダレス』は、女子高生の菜緒と同級生の希莉の小説、、芭留と圭の姉妹の山中の逃避行、琴音と叶音の姉妹の仲違い、社長令嬢の結樹と年上の女性との恋、という四つの物語が一つの物語へと収束していく話でした。

格闘小説、音楽小説など様々な分野の要素を持つこの物語は、それでも基本的には青春小説と言えると思っています。

その『ボーダレス』に登場していた森奈緒、片山希莉、市原琴音、八辻芭留といったメンバーが再び顔を揃えるのが本書です。

 

 

本書『アクトレス』も、と言っていいのでしょうが、やはり誉田哲也の作品らしく章ごとに視点が入れ替わりながらストーリーが展開します。

基本的には片山希莉が事件に巻き込まれるのですが、それを森奈緒や八辻芭留たちが力を合わせて解決していきます。

 

誉田哲也の物語は、それがサスペンス小説であったとしても登場人物の背景が丁寧に書き込まれています。

例えば主人公や犯人といった立場にかかわらず、それらの人物それぞれの家庭、恋人や友人との会話がリアルに描かれ、物語が真実味を付与されています。

もちろん作品ごとにそのリアリティには軽重の差があり、表現の仕方も変わってくるのですが、会話を通した人物の心理描写のうまさは変わりません。

中でも誉田哲也の青春小説での会話はテンポがよく、男の作者には本来分からないであろうと思える女の子の会話でさえもリアルに感じます。

少なくとも、現実の若い女性の会話を知らない身には真実味があるように思えるのです。

本書での森奈緒や片山希莉といった登場人物たちの会話がまさにそうで、若い女性ならではの仕事に対する悩みや友人との関係性など読んでいて素直に入ってきます。

 

そうしたなか、前著でも登場した希莉の書いた小説を軸に本書でも事件が巻き起こります。

そこで、本書のタイトルである「アクトレス」が前面に出てきます。

つまり、若手人気女優の真瀬環菜名義で希莉の書いた小説を出版することになり、その小説をなぞった軽微な事件が発生し、希莉たち仲間が巻き込まれていくことになります。

 

ただ、前著『ボーダレス』でも同様だったのですが、何となく物語そのものに意味が見えません。

本書『アクトレス』が作品として面白いかと問われれば、面白くないことはない、それどころか面白いと答えます。

しかし、それだけであり、その後の余韻がありません。

物語の作り方、進め方がうますぎるためなのか、読後に登場人物たちの喜びや、哀しみなどの情景が残らず、読み手としても読み終わればそれで終わりなのです。

『姫川玲子シリーズ』や『ジウサーガ』に見られるような爽快感や、ストーリー上の驚き、それに対する感慨などはありません。

エンタメ小説としてはそれでいいと言われればそれまでですが、やはり読後の感慨は欲しいものです。

誉田哲也というストーリーテラーの作品である以上は、そのようなおまけ的な小さな感動すら読み手としては期待してしまいます。

今後の作品に期待しようと思います。

フェイクフィクション

フェイクフィクション』とは

 

本書『フェイクフィクション』は2021年11月に刊行され、新刊書で390頁という分量になる、長編のエンターテイメント小説です。

変らずに誉田哲也の作品として面白いことには間違いはないのですが、既読の印象が強い作品でもありました。

 

フェイクフィクション』の簡単なあらすじ

 

東京・五日市署管内の路上で、男性の首なし死体が発見された。刑事の鵜飼は現場へ急行し、地取り捜査を開始する。死体を司法解剖した結果、死因は頸椎断裂。「斬首」によって殺害されていたことが判明した。一方、プロのキックボクサーだった河野潤平は引退後、都内にある製餡所で従業員として働いていた。ある日、同じ職場に入ってきた有川美祈に一目惚れするが、美祈が新興宗教「サダイの家」に関係していることを知ってしまい…。(「BOOK」データベースより)

 

東京都五日市警察署の管内で首が切断された死体が見つかり、鵜飼刑事が捜査を担当することになった。

一方、プロのキックボクサーであった過去を持つ河野潤平は、製餡所の社長に拾われ従業員として勤務していた。

その潤平は製餡所に新たに勤めることになった有川美祈に一目ぼれをしてしまうが、彼女は新興宗教「サダイの家」の信者であり、信者以外は悪魔だとして潤平を受け入れてくれない。

ところが、この「サダイの家」は鵜飼刑事もあることから目をつけていた団体でもあったのだった。

 

フェイクフィクション』の感想

 

やはり、誉田哲也の作品ははずれがない、と言ってもいい作品でしたが、誉田哲也の作品としては普通と感じた作品でもありました。

それは本書の構成として既読の印象が強い、ということが挙げられるでしょう。

つまり本書では、誉田哲也がよく使う、事件の当事者側と警察側の視点それぞれに物語が進み、その先で物語が収斂していくという構成になっています。

その中でも本書の構成は当事者側の比率が大きい点で、例えば『ジウII-警視庁特殊急襲部隊』であったり、『魚住久江シリーズ』の第二作目の『ドンナビアンカ』と同様の構成だと言えます。

当事者側のひと昔前の悲惨な生活状況が現在に連なる、という点でも同じです。

 

 

本書の大きなテーマとして「宗教」が挙げられる点も「普通」と感じる原因の一つかもしれません。

著者誉田哲也自身がエンタメ作品の中に『フェイクフィクション』の核である、宗教をある程度軽く考えてもいいのでは、という考えを落とし込んだのが吉田牧師の言葉だった、と発言されているように( 青春と読書 : 参照 )、本書では「宗教」が大きなテーマになっています。

たしかに、本書での主要登場人物の一人である唐津郁夫が知り合った頃の牧師吉田英夫の言葉は魅力的で、宗教のある側面を取り上げているようで「宗教」が大きな要素になっていると思います。

しかし本書での宗教の取り上げ方は、狂信的な信者を含めた登場人物の異常性や犯罪描写のきっかけとして意味があるようなのです。

もし、「宗教」を持ち出した理由が異常性の演出ではなく「宗教」そのものに対する考察、もしくは宗教を通した人間性の本質の追求にあったとしても、本書はエンターテイメントが強く、あまりその点は主張されているようには思えません。

結果として本書で表現されているのは宗教やそこにかかわる人間の異常性だと思えるのです。

いずれにしても、エンタメ作品としての面白さは否定しようもなく、その中で宗教の持つ意味も問いかけられている、と言えるのでしょう。

 

宗教を取り上げたエンタメ作品と言えば日本推理作家協会賞を受賞した中島らもの『ガダラの豚』が思い浮かびます。

普通の主婦が新興宗教に取り込まれていく様を描き、その実態を暴くというのが第一部である、文庫本では三分冊(全940頁)にもなる大長編小説です。

 

 

エンタメ作品以外としては第39回野間文芸新人賞を受賞し、また157回の芥川賞候補になり、さらに2018年本屋大賞の候補にもなった今村夏子の長編小説の『星の子』があります。

「病弱だったちひろを救いたい一心で「あやしい宗教」にのめり込んでいき、その信仰は少しずつ家族のかたちを歪めていく…。」という物語で、映画化もされました。

 

 

ともあれ、『星の子』はエンターテイメント小説である本書とは異なり文学作品としての評価が高い作品です。

その意味では本書は『ガダラの豚』に近いとは言えますが、その面白さの質は異なる作品だと言えます。

ドンナビアンカ

本書『ドンナビアンカ』は、『魚住久江シリーズ』第二弾の文庫本で408頁の長編の警察小説です。

ある誘拐事件を主軸にした恋愛物語であって、これはこれでまた誉田哲也らしい面白い小説でした。

 

ドンナビアンカ』の簡単なあらすじ

 

孤独でうつろな人生を送る男が見つけた、ささやかだけど本気の恋。それが男を地獄へと招く―。中野署管内で外食チェーン専務と店長が誘拐された。練馬署の魚住久江も捜査に招集されるが、身代金受け渡しは失敗に終わってしまう。やがて捜査線上に浮かぶ一人の中国人女性。久江は事件の背後にある悲しい真相に迫ってゆく。切なさと温かさが心に残る長編警察小説。(「BOOK」データベースより)

 

村瀬邦之は飲食店に卸売りをする酒屋で働いていた際に配達先のキャバクラで瑤子というホステスと知り合い、配達の際に軽い挨拶などを交わすうち、瑤子の優しさに惹き込まれていく。

その後、行きつけの定食屋で瑤子と出会ってより深く話すようになり、瑤子が中国人であることなどを知るのだった。

そうした中、富士見フーズの副島専務と知り合い、富士見フーズへの転職の話などが出る中、瑤子が副島の愛人であることを知る

一方、魚住久江は中野署管内での誘拐の可能性が高い所在不明事案の発生に指定捜査員として召集がかかっていた。

被害者は富士見フーズの専務副島孝、それに富士見フーズが経営するチェーン店「点々楼」大塚店店長村瀬邦之ということだった。

 

ドンナビアンカ』の感想

 

本書『ドンナビアンカ』は魚住久江を主人公とする警察小説ですが、その実、村瀬邦之と中国人の瑤子こと楊白瑤(ヤンパイヤオ)の恋愛小説ともいえる物語です。

誉田哲也お得意の、事件の犯人側に視点を移し、犯人の心の動きにも十分な配慮をすることで、警察側の捜査という謎解きの興味と犯人側の動機の開示という物語のリアリティを示すことで、推理小説としての醍醐味を最大限に引き出しています。

ただ、本書では恋愛部分の方が本書の主軸ではないかと思うほどに紙数を費やしてあるとともに、村瀬と瑤子との心の交流を深く描いてあります。

つまり本書『ドンナビアンカ』の場合、捜査と動機という両輪に加え、恋愛という更なる大きな要素が加わり、恋愛小説としての側面が大きな作品となっているのです。

こうした手法は推理小説としての興味が削がれ好みではないという人も勿論いるでしょうが、私個人としては面白く読んだ作品でした。

 

こうして本書『ドンナビアンカ』の特徴を描こうとすると、やはりどうしても姫川玲子との比較をしてしまいます。

他にも女性刑事の作品は数多くある筈なのに、同じ誉田哲也の作品である『姫川玲子シリーズ』の姫川玲子というキャラクターがまず浮かぶのは、やはりその女性刑事としての存在感が頭一つとびぬけているからだと思われます。

魚住久江というキャラクターが悪いというわけではありません。そうではなく、インパクトにおいて姫川玲子には勝てないだろうというだけです。

 

 

端的に魚住久江というキャラクターを見ると、人が死ぬことを未然に防ぎたいという存在であるだけに、描かれる事件も私たちの日常の範囲内の事件です。

本書『ドンナビアンカ』にしても、誘拐事犯としてその裏にある人間ドラマこそが描きたい対象であると思われます。

事実、先に述べたように主軸となるのは村瀬と瑤子との恋模様です。それも、今どき珍しいとも言えそうなプラトニックな恋愛です。

常に日の目を見ることもない人生を過ごしてきた男の、初めてといってもいいかもしれない女性に対して抱いた心からの淡い恋心を描いてあります。

もちろん、そこに障害が現れ、それが事件として描かれているわけです。

 

誉田哲也の作品の系列としては恋愛作品と正面から言える作品は思い浮かびません。『姫川玲子シリーズ』の『インビジブルレイン』で少しだけ姫川玲子の恋愛場面が出てくることがありますが、これは純愛とはまた異なります。

もうひとつ『あなたが愛した記憶』では「恋愛ホラーサスペンス」という惹句が使われていますが、この作品もまた少々毛色が違います。

やはり、本書のような純愛が描かれている作品は無いと思っても良さそうです。

 

 

ちなみに、私が読んだのは新潮文庫版の『ドンナビアンカ』です。頁数は446頁であり、解説は「温もりと恋愛の交差点」という副題で村上貴史氏が書いておられます。

 

 

また、魚住久江を檀れい、金本を吉田栄作が演じてテレビドラマ化され、テレビ東京系列で放映されたそうです。

ドルチェ

本書『ドルチェ』は、魚住久江という中年の女性刑事を主人公とする文庫本で392頁の警察短編小説集です。

謎解きよりも、誰かが生きていてくれることを喜ぶ女性刑事の人間味豊かな、かなり惹き込まれて読んだ作品です。

 

ドルチェ』の簡単なあらすじ

 

誰かの死の謎を解き明かすより、生きている誰かのために捜査をしたい―。練馬署の女性刑事・魚住久江が、古巣の警視庁捜査一課からの誘いを断り続けている理由だ。女子大生が暴漢に襲われ、捜査線上には彼女と関係のあった複数の男性の存在が浮上する。久江が一枚のハンカチから突き止める意外な真相とは?(表題作)未収録短編を加えた決定版!(「BOOK」データベースより)

 

袋の金魚
一歳二ヶ月の子供が溺死するという事件が起きた。父親が通報してきたものの、母親は行方不明。魚住久江は原口巡査長と共に父親の住むマンションへと出かけ、母親の写真を借りようとするが何故だか父親は動揺するそぶりを見せるのだった。

ドルチェ
被害女性は自宅アパートに戻るところを襲われ左脇腹を刺されたらしい。久江は、被害女性が当初右手にあまり血のついていないハンカチを握っていたという報告を読み、妙な胸騒ぎを抱くのだった。

バスストップ
女子学生が痴漢に遭った。その捜査中に警視庁刑事部捜査第一課の佐久間晋介という警部補が乗り込んできて、捜査の指揮をとると言い出した。痴漢に遭った女子学生によると、バス停近くに不審な男がいたという。

誰かのために
ある印刷工場内でその会社の専務と会社員に対する傷害事案が発生した。加害者のの堀晃司は専務に図鑑を返せと叫んでいたらしい。堀は事実を認めるが、堀の同僚は堀が辞めるときに「ここでも俺は、必要とされなかった」と言っていたというのだった。

ブルードパラサイト
女房に腹を刺された男が運び込まれてきたという医院からの電話が入った。被害者の話を聞いて自宅に行くと、妻らしき女がヒステリックに赤ちゃんに包丁を突きつけていた。何とか取り押さえて署に連行するが、何も話そうとはしないのだった。

弱さゆえ
※ 文庫本だけに収録されている作品なので私は未読です。

 

ドルチェ』の感想

 

本書『ドルチェ』は、誉田哲也の『姫川玲子シリーズ』の姫川玲子に続く新たな女性刑事魚住久江を主人公とする警察小説の第一巻です。

 

 

全七話の短編小説からなっている短編集ですが、誉田哲也の作品らしく読みやすく、そして小気味よいテンポで進みます。

ただ、七話目の「弱さゆえ」は文庫本だけに収録されている作品であり、私が読んだのは新刊書であるために未読です。そのうちに文庫本を読めた際には本稿を修正します。

 

本書の登場人物としては魚住久江の他に、かつて久江が一度だけ一夜を共にしたことのある先輩刑事の金本健一がやはり重要な地位を占めています。

同じ池袋署にいた時代に久江を一人前の刑事として育ててくれた人物でもあり、短期間とはいえ心を許したことのある人であって、所轄にいる久江のもとに頻繁に表れます。

それは偶然の出会いであることが多いのですが、今でも何かと気になる存在としてあるようです。

それともう一人、本書「バスストップ」で登場してくる、まだ三十代前半の交番勤務の巡査長峰岸がいます。

この峰岸は次の「誰かのために」の話では念願かなって新人刑事となり、刑組課強行犯係に配属されてその後も久江の相棒となって行動することが多いのです。

なにより、久江に好意を持ってくれているらしい点が気に入っていますし、次巻の『ドンナビアンカ』でも久江の相方として重要な働きを示すのです。

 

本『魚住久江シリーズ』は事件の背景にある人間ドラマをじっくりと描いてある印象が強い作品です。

直感的に事件、それも陰惨な殺人事件そのもののにかかわっていくことを好む姫川と立ち位置がかなり異なります。

 

特に先に述べた「バスストップ」は、男社会での力こそ正義と言い立てる輩を中心にして、今の世の中の性的少数者に対する差別を浮き彫りにした作品です。

その指摘の仕方がうまいと思うと同時に、物語の処理の仕方の小気味よさに快哉です。

また、つぎの「誰かのために」は姫川が好むドラマチックな事件とは言えない社会に対する不満を抱えた青年の物語です。

「ここでも俺は、必要とされなかった」という青年に対し久江は、「働くことは誰かの役に立棟とすることなんだと思う。」と語りかけます。

他の作品も、普通に暮らす一般人の欲望や男女の愛憎に基づく普通の犯罪行為に隠された犯人の心の奥底に隠された真意を暴き出すのです。

 

繰り返し述べるように本シリーズは事件の捜査、謎解きを描くというよりも、その陰の人間ドラマを描き出しています。

この点で好みが分かれると思われます。ストーリーの華々しい展開や、物語のインパクトの強さを求める人たちにはあまり向かないかもしれません。

しかし、誉田哲也の作品自体を好む人たちにとってはやはり面白い作品でしょう。

誉田哲也作品のテンポの良さ、捜査員たちを含めた状況、会話のリアルさは全く変わるものではないのです。

個人的にはやはり面白い作品だと思う由縁です。