ドンナビアンカ

本書『ドンナビアンカ』は、『魚住久江シリーズ』第二弾の文庫本で408頁の長編の警察小説です。

ある誘拐事件を主軸にした恋愛物語であって、これはこれでまた誉田哲也らしい面白い小説でした。

 

ドンナビアンカ』の簡単なあらすじ

 

孤独でうつろな人生を送る男が見つけた、ささやかだけど本気の恋。それが男を地獄へと招く―。中野署管内で外食チェーン専務と店長が誘拐された。練馬署の魚住久江も捜査に招集されるが、身代金受け渡しは失敗に終わってしまう。やがて捜査線上に浮かぶ一人の中国人女性。久江は事件の背後にある悲しい真相に迫ってゆく。切なさと温かさが心に残る長編警察小説。(「BOOK」データベースより)

 

村瀬邦之は飲食店に卸売りをする酒屋で働いていた際に配達先のキャバクラで瑤子というホステスと知り合い、配達の際に軽い挨拶などを交わすうち、瑤子の優しさに惹き込まれていく。

その後、行きつけの定食屋で瑤子と出会ってより深く話すようになり、瑤子が中国人であることなどを知るのだった。

そうした中、富士見フーズの副島専務と知り合い、富士見フーズへの転職の話などが出る中、瑤子が副島の愛人であることを知る

一方、魚住久江は中野署管内での誘拐の可能性が高い所在不明事案の発生に指定捜査員として召集がかかっていた。

被害者は富士見フーズの専務副島孝、それに富士見フーズが経営するチェーン店「点々楼」大塚店店長村瀬邦之ということだった。

 

ドンナビアンカ』の感想

 

本書『ドンナビアンカ』は魚住久江を主人公とする警察小説ですが、その実、村瀬邦之と中国人の瑤子こと楊白瑤(ヤンパイヤオ)の恋愛小説ともいえる物語です。

誉田哲也お得意の、事件の犯人側に視点を移し、犯人の心の動きにも十分な配慮をすることで、警察側の捜査という謎解きの興味と犯人側の動機の開示という物語のリアリティを示すことで、推理小説としての醍醐味を最大限に引き出しています。

ただ、本書では恋愛部分の方が本書の主軸ではないかと思うほどに紙数を費やしてあるとともに、村瀬と瑤子との心の交流を深く描いてあります。

つまり本書『ドンナビアンカ』の場合、捜査と動機という両輪に加え、恋愛という更なる大きな要素が加わり、恋愛小説としての側面が大きな作品となっているのです。

こうした手法は推理小説としての興味が削がれ好みではないという人も勿論いるでしょうが、私個人としては面白く読んだ作品でした。

 

こうして本書『ドンナビアンカ』の特徴を描こうとすると、やはりどうしても姫川玲子との比較をしてしまいます。

他にも女性刑事の作品は数多くある筈なのに、同じ誉田哲也の作品である『姫川玲子シリーズ』の姫川玲子というキャラクターがまず浮かぶのは、やはりその女性刑事としての存在感が頭一つとびぬけているからだと思われます。

魚住久江というキャラクターが悪いというわけではありません。そうではなく、インパクトにおいて姫川玲子には勝てないだろうというだけです。

 

 

端的に魚住久江というキャラクターを見ると、人が死ぬことを未然に防ぎたいという存在であるだけに、描かれる事件も私たちの日常の範囲内の事件です。

本書『ドンナビアンカ』にしても、誘拐事犯としてその裏にある人間ドラマこそが描きたい対象であると思われます。

事実、先に述べたように主軸となるのは村瀬と瑤子との恋模様です。それも、今どき珍しいとも言えそうなプラトニックな恋愛です。

常に日の目を見ることもない人生を過ごしてきた男の、初めてといってもいいかもしれない女性に対して抱いた心からの淡い恋心を描いてあります。

もちろん、そこに障害が現れ、それが事件として描かれているわけです。

 

誉田哲也の作品の系列としては恋愛作品と正面から言える作品は思い浮かびません。『姫川玲子シリーズ』の『インビジブルレイン』で少しだけ姫川玲子の恋愛場面が出てくることがありますが、これは純愛とはまた異なります。

もうひとつ『あなたが愛した記憶』では「恋愛ホラーサスペンス」という惹句が使われていますが、この作品もまた少々毛色が違います。

やはり、本書のような純愛が描かれている作品は無いと思っても良さそうです。

 

 

ちなみに、私が読んだのは新潮文庫版の『ドンナビアンカ』です。頁数は446頁であり、解説は「温もりと恋愛の交差点」という副題で村上貴史氏が書いておられます。

 

 

また、魚住久江を檀れい、金本を吉田栄作が演じてテレビドラマ化され、テレビ東京系列で放映されたそうです。

ドルチェ

本書『ドルチェ』は、魚住久江という中年の女性刑事を主人公とする文庫本で392頁の警察短編小説集です。

謎解きよりも、誰かが生きていてくれることを喜ぶ女性刑事の人間味豊かな、かなり惹き込まれて読んだ作品です。

 

ドルチェ』の簡単なあらすじ

 

誰かの死の謎を解き明かすより、生きている誰かのために捜査をしたい―。練馬署の女性刑事・魚住久江が、古巣の警視庁捜査一課からの誘いを断り続けている理由だ。女子大生が暴漢に襲われ、捜査線上には彼女と関係のあった複数の男性の存在が浮上する。久江が一枚のハンカチから突き止める意外な真相とは?(表題作)未収録短編を加えた決定版!(「BOOK」データベースより)

 

袋の金魚
一歳二ヶ月の子供が溺死するという事件が起きた。父親が通報してきたものの、母親は行方不明。魚住久江は原口巡査長と共に父親の住むマンションへと出かけ、母親の写真を借りようとするが何故だか父親は動揺するそぶりを見せるのだった。

ドルチェ
被害女性は自宅アパートに戻るところを襲われ左脇腹を刺されたらしい。久江は、被害女性が当初右手にあまり血のついていないハンカチを握っていたという報告を読み、妙な胸騒ぎを抱くのだった。

バスストップ
女子学生が痴漢に遭った。その捜査中に警視庁刑事部捜査第一課の佐久間晋介という警部補が乗り込んできて、捜査の指揮をとると言い出した。痴漢に遭った女子学生によると、バス停近くに不審な男がいたという。

誰かのために
ある印刷工場内でその会社の専務と会社員に対する傷害事案が発生した。加害者のの堀晃司は専務に図鑑を返せと叫んでいたらしい。堀は事実を認めるが、堀の同僚は堀が辞めるときに「ここでも俺は、必要とされなかった」と言っていたというのだった。

ブルードパラサイト
女房に腹を刺された男が運び込まれてきたという医院からの電話が入った。被害者の話を聞いて自宅に行くと、妻らしき女がヒステリックに赤ちゃんに包丁を突きつけていた。何とか取り押さえて署に連行するが、何も話そうとはしないのだった。

弱さゆえ
※ 文庫本だけに収録されている作品なので私は未読です。

 

ドルチェ』の感想

 

本書『ドルチェ』は、誉田哲也の『姫川玲子シリーズ』の姫川玲子に続く新たな女性刑事魚住久江を主人公とする警察小説の第一巻です。

 

 

全七話の短編小説からなっている短編集ですが、誉田哲也の作品らしく読みやすく、そして小気味よいテンポで進みます。

ただ、七話目の「弱さゆえ」は文庫本だけに収録されている作品であり、私が読んだのは新刊書であるために未読です。そのうちに文庫本を読めた際には本稿を修正します。

 

本書の登場人物としては魚住久江の他に、かつて久江が一度だけ一夜を共にしたことのある先輩刑事の金本健一がやはり重要な地位を占めています。

同じ池袋署にいた時代に久江を一人前の刑事として育ててくれた人物でもあり、短期間とはいえ心を許したことのある人であって、所轄にいる久江のもとに頻繁に表れます。

それは偶然の出会いであることが多いのですが、今でも何かと気になる存在としてあるようです。

それともう一人、本書「バスストップ」で登場してくる、まだ三十代前半の交番勤務の巡査長峰岸がいます。

この峰岸は次の「誰かのために」の話では念願かなって新人刑事となり、刑組課強行犯係に配属されてその後も久江の相棒となって行動することが多いのです。

なにより、久江に好意を持ってくれているらしい点が気に入っていますし、次巻の『ドンナビアンカ』でも久江の相方として重要な働きを示すのです。

 

本『魚住久江シリーズ』は事件の背景にある人間ドラマをじっくりと描いてある印象が強い作品です。

直感的に事件、それも陰惨な殺人事件そのもののにかかわっていくことを好む姫川と立ち位置がかなり異なります。

 

特に先に述べた「バスストップ」は、男社会での力こそ正義と言い立てる輩を中心にして、今の世の中の性的少数者に対する差別を浮き彫りにした作品です。

その指摘の仕方がうまいと思うと同時に、物語の処理の仕方の小気味よさに快哉です。

また、つぎの「誰かのために」は姫川が好むドラマチックな事件とは言えない社会に対する不満を抱えた青年の物語です。

「ここでも俺は、必要とされなかった」という青年に対し久江は、「働くことは誰かの役に立棟とすることなんだと思う。」と語りかけます。

他の作品も、普通に暮らす一般人の欲望や男女の愛憎に基づく普通の犯罪行為に隠された犯人の心の奥底に隠された真意を暴き出すのです。

 

繰り返し述べるように本シリーズは事件の捜査、謎解きを描くというよりも、その陰の人間ドラマを描き出しています。

この点で好みが分かれると思われます。ストーリーの華々しい展開や、物語のインパクトの強さを求める人たちにはあまり向かないかもしれません。

しかし、誉田哲也の作品自体を好む人たちにとってはやはり面白い作品でしょう。

誉田哲也作品のテンポの良さ、捜査員たちを含めた状況、会話のリアルさは全く変わるものではないのです。

個人的にはやはり面白い作品だと思う由縁です。

魚住久江シリーズ

魚住久江シリーズ』について

 

魚住久江シリーズ(2021年06月29日現在)

  1. ドルチェ
  1. ドンナ ビアンカ

 

『魚住久江シリーズ』は練馬署の組対課強行犯係に勤務する女性刑事を主人公とする警察小説シリーズです。

登場人物としてはまずは主人公、四十二歳になる巡査部長の魚住久江がいます。

他に警視庁練馬警察署刑事組織犯罪対策課強行犯係のメンバーとして、係長の宮田警部補、ベテランの里谷巡査部長、最近盗犯係から移ってきた原口巡査長、そして『ドルチェ』の中ほどから強行犯係に加わった峰岸巡査がいます。

また、重要な登場人物として、警視庁刑事部捜査第一課の金本健一、四十四歳がいます。多分今も巡査部長でしょう。

 

誉田哲也の描く女性刑事といえばベストセラーである『姫川玲子シリーズ』の姫川玲子があげられます。

本書の特徴といえば、この姫川玲子と本書の主人公の魚住久江との差を考えることが早いと思われます。

姫川玲子は、殺人事件の捜査そのものにのめり込み、直感で犯罪の筋を読んで犯人逮捕のきっかけにたどり着きます。

それは、姫川玲子が犯罪者と同様な思考方法をとっていることから来ているのであり、『姫川玲子シリーズ』の主要登場人物の一人であるでガンテツに言わせると、非常に危険な方法なのだそうです。

しかし、姫川は自分が過去に抱えた「闇」のためかその操作方法をやめようとはしません。

 

 

一方、本シリーズの魚住久江は昇進をきっかけに警視庁捜査一課から異動してから、度重なる捜査一課への誘いにも首を縦に振らないでいます。

それは、捜査一課が殺人事件捜査の専門部署だというところにありました。所轄の強行犯係ならば、少なくとも誰かが死ぬ前に事件にかかわることができるのです。

いつの頃からか久江は「誰かが生きていてくれることに、喜びを感じるようになっ」ていたのです。

 

こうした主人公の性格の差は当然物語の内容にも差が出てきます。

『姫川玲子シリーズ』では殺人事件の現場、犯人の心象も含めた背景など、かなりリアルに、結果的にグロテスクにもなっています。

それに対する姫川の捜査にしても、直感に基づくある程度強引な捜査手法も当然のようにとっていきます。

それに対し、『魚住久江シリーズ』の場合、犯行態様自体が比較的おとなしく、その裏にある人間ドラマに重きが置かれています。

人間ドラマを描くという点では『姫川玲子シリーズ』も同じといえば同じなのですが、生活に根差したところにある犯行という点でも本シリーズはより生活密着型だと思います

 

『魚住久江シリーズ』で特筆すべきことは、今まで比較してきた『姫川玲子シリーズ』の『オムニバス』の最終話において、姫川班に新しく配属されてくるのが魚住久江という女性だということです。

 

 

いわば『魚住久江シリーズ』と『姫川玲子シリーズ』とが合体するわけで、両シリーズの面白さがより高みを目指すことになるのでしょう。

大いに期待して待ちたいと思います。

 

ちなみに、この『魚住久江シリーズ』は2012年から2013年まで主人公の魚住久江を松下由樹が演じてテレビドラマ化されています。

DVD化はされていないようです。探したのですが見つかりませんでした。

オムニバス

本書『オムニバス』は、『姫川玲子シリーズ』の第十弾となる、新刊書で344頁の短編小説集です。

姫川玲子と現在の姫川班の面々との視点が入れ代わり、姫川玲子という女性の人間像を浮かび上がらせている作品です。

 

オムニバス』の簡単なあらすじ

 

警視庁刑事部捜査一課殺人班捜査第十一係姫川班の刑事たち、総登場! 捜査は続く。人の悪意はなくらない。激務の中、事件に挑む玲子の集中力と行動が、被疑者を特定し、読む者の感動を呼ぶ。刑事たちの個性豊かな横顔も楽しい、超人気シリーズ最第10弾!(「BOOK」データベースより)

 

それが嫌なら無人島
女子学生の長井祐子が殺されたが、犯人と目された大村敏彦は別件で本所警察署に留置されていた。その件では不起訴となって捜査本部が設置されている葛飾署に送致されてきたが、ガンテツが本所署での大村の件には触るなと言ってきたのが気になることだった。

六法全書
隣人の西松明子が唐沢由紀夫の縊死死体を発見との通報があり、同人宅の床下から女性の腐乱死体が発見された。姫川班の中松信哉は五日市署の今西エリカ巡査長と組んで地取りを担当する。しかし、姫川主任は、この腐乱死体は唐沢由紀夫の母親ではないかと言い出すのだった。

正しいストーカー殺人
丸川伊織という女性が、付きまとっていた浅野竣治というの男を誤って突き落とし殺してしまった事件が、捜査本部が設置されて三日で解決した。しかし、被害者の浅野は岐阜県関町に居住していて、なぜわざわざ東京の丸川にストーカー行為をしたのかなど、何もわかっていなかった。

赤い靴
姫川班の日野利美は、B在庁で家にいるところを姫川に呼び出された。滝野川署での取調べを頼まれたらしい。ケイコと名乗る女性が同棲していた莨谷俊幸を刺し殺したと言ってきたという。しかし死体は窒息死に見えるし、ケイコはその名を名乗った以外何も答えようとはしないのだった。

青い腕
自称ケイコの事件は一応の解決は見たものの、ケイコの本名など身元に関することは何もわかってはいなかった。要するに、事件はまだ終わっていないのだ。姫川と日野は、被害者の莨谷俊幸のパソコンの中に保存されていた小説を分担して読み始めるのだった。

根腐れ
たまたま姫川と姫川班の小幡の二人だけが部屋にいたとき、今泉と現在は麻布署の組織犯罪対策課暴力犯捜査係にいる下井正文警部補とがやってきた。覚醒剤を所持していると自首してきて逮捕され、現在東京湾岸警察署におかれている小谷真莉子の取り調べを頼むと言ってきたのだ。

それって読唇術
姫川玲子は、東京地検公判部の武見諒太検事ととあるバーで会い、とりとめもない会話を交わしていた。

 

オムニバス』の感想

 

本書『オムニバス』は、『姫川玲子シリーズ』の待ちに待った新刊だったのですが、だからなのか印象が期待したものとは微妙に異なる作品でした。

もちろん、面白い作品であることに間違いはありません。このシリーズ独特の魅力、姫川玲子やそのほかの登場人物達のそれぞれの独特の個性は健在です。

本書の構成としては、再び一緒になった菊田和男以外の、現在の新たな姫川班のメンバー中松信哉日野利美小幡浩一の三人の視点で語られる短編と、姫川の視点での四編と、合わせて七編の短編からなっています。

つまり、新たな三人と姫川玲子とを交代に視点の主として設定し、彼らに姫川玲子という人間を再認識させることで姫川という人物像をより明確にしているのです。

 

ただ、本書の前に出版されていた短編小説集の『インデックス』は、シリーズの隙間を埋めながら、姫川玲子という人物を立体的に浮かび上がらせる役割を果たしていた作品でした。

 

 

しかし、本書『オムニバス』は各短編がシリーズの中に有機的に組み込まれているというよりも、シリーズ本体とは独立した物語として捉えられます。

本書では、各話で語られる事件そのものにはこのシリーズらしい新しい仕掛けや驚きなどはなく、この本のために単純な事件を設けたという印象に終わっています。

つまり、ガンテツから危ういと注意されたり、日下から傷つく人間が出そうで危険だと心配される、いわば勘に頼る捜査方法により事件を解決する姫川の姿を描き出してはいるものの、事件自体の意外性などの娯楽性は今回はないのです。

でも、中松信哉が死体の“鮮度”と表現する姫川という人間特有の死生観を見たり、日野利美が姫川のプライドの高さや印象や直観を重視する傾向を見たりする場面は面白く読みました。

 

また、最初の「それが嫌なら無人島」という話は、このシリーズ前巻の『ノーマンズランド』で姫川が担当していた事件の解決編でした。

読んでいる途中ではガンテツが妙に意味深な言葉を発したわりにはその言葉について何の手当もないので不思議に思っていたのですが、読後に本書について調べていた時にそのことが分かり、納得しました。

この『ノーマンズランド』では話が大きく広がったのですが、この物語で問題になった件については一応の決着はついたものの、本来の姫川が抱えていた事件は未解決だったのです。

この点については他の話とは異なる色を持っていたことになりますが、短編小説としては他の話と並列です。

 

 

もう一点、本書の最後の「それって読唇術」という話は、前作の『ノーマンズランド』で登場してきた武見諒太検事との話で二人の関係を占うような話になってはいるものの、それよりも気になる情報が開かれていました。

それが、姫川班に新しい人物が配属されるという話です。

その人物が、誉田哲也の他の作品に登場する人物だというのですから、どのような活躍を見せてくれるものか、非常に楽しみです。

 

また、『ノーマンズランド』で広がった話はさらに続く筈です。

警察小説の範囲内での新しい描写を見せてくれるのか、それとも単なる警察小説を越えた展開になるのか、楽しみに待ちたいと思います。

ブルーマーダー

本書『ブルーマーダー』は、『姫川玲子シリーズ』の第六弾となる、文庫本で470頁余りの長さの長編の警察小説です。

「ブルーマーダー」とは連続殺人鬼のことであり、本書は彼の生き方を中心としたサスペンス小説として仕上がっていますが、あい変わらずにテンポのいい物語です。

 

池袋の繁華街。雑居ビルの空き室で、全身二十カ所近くを骨折した暴力団組長の死体が見つかった。さらに半グレ集団のOBと不良中国人が同じ手口で殺害される。池袋署の形事・姫川玲子は、裏社会を恐怖で支配する怪物の存在に気づく―。圧倒的な戦闘力で夜の街を震撼させる連続殺人鬼の正体とその目的とは?超弩級のスリルと興奮!大ヒットシリーズ第六弾。(「BOOK」データベースより)

 

本書もまた誉田哲也作品の一つの特徴である複数の視点からなる物語です。

物語の中心にいるのが「ブルーマーダー」であり、彼が何故に凄惨としか言いようのない殺し方で暴力団組長や半グレ、不良中国人などを殺しているのかが語られていきます。

とはいえ、その点を謎としたミステリーとしてではなく、「ブルーマーダー」と、彼を追う姫川たち警察官の追跡が、視点を変えながらサスペンスフルに描かれていきます。

 

視点の一つは現在は中野署刑事組織犯罪対策課・暴力犯捜査係担当係長にいる下井正文警部補の視点であり、元警察官である木野一政とのつながりなどが語られています。

次いで、二代目庭田組組長の河村丈治の殺害事件を担当する姫川玲子ら捜査本部の面々の様子があり、三番目の視点として岩渕時生という逃走犯を追う菊田和男の姿、最後にマサと呼ばれる男とマサの道具を作り手伝うおっさんの姿があります。

これらの四つの視点が交互に語られながら物語は進みます。

 

本書は、シリーズとして見ると、第四作目の『インビジブルレイン』でバラバラになった姫川班のその後の姿が描かれていることになります。

姫川玲子は池袋署刑事課強行犯捜査係担当係長になっており、菊田和男は千住署刑事組織犯罪対策課組織犯罪係に配属されているのです。

また、本書の視点の一つにもなっている下井正文警部補は、『インビジブルレイン』で姫川の相棒として登場しています。

その他の大きな変化としては菊田が結婚していることが挙げられます。奥さんの名前は「梓」といい、新婚の二人の様子も少しではありますが描いてあります。

ちなみに、この菊田梓は誉田哲也の『もう聞こえない』という本『姫川玲子シリーズ』外の作品で竹脇警部補の相棒として重要な役目を果たす存在として登場しています。

そこでは本シリーズの菊田和男の妻と明言はしてありませんが、多分そうだろうと思えるのです。

 

 

ついでに言うと、前巻のシリーズ第五巻『感染遊戯 』は本シリーズのスピンオフ作品であり、シリーズ内での時系列上の位置は不明ですが、第三話の「沈黙怨嗟 / サイレントマーダー」において、『インビジブルレイン 』での姫川班解体後の葉山則之が登場しています。

 

話を元に戻すと、本書ではブルーマーダーという殺人鬼が社会の闇に住む暴力団組長や半グレ集団のメンバーなどを残虐な方法で殺していきます。

ブルーマーダーとは何者なのか、という疑問と共に、彼は何故殺すのか、それも何故普通ではない殺し方をするのか、更には死体を処分することもあれば、放置し発見されるままにしていることもあるのは何故か。

そんないくつかの疑問が浮かんでくるのですが、先にも述べたようにその謎解きそのものは本書の主軸とは思えません。

本書で描かれているのは次にどのような展開になるのか、というサスペンス感満載の物語だと言えるでしょう。

このことは本書に限りません。つまりは、誉田哲也という作家の作品はストーリーが面白いのです。

もちろん仕掛けられた謎解きそのものにも大きな関心はありますが、ストーリーが第一義であって、謎自体はストーリー展開の要素にすぎないと思えるのです。

本書でもブルーマーダーという人物の派手な行為に隠された彼の、怒りや憎しみ、恨みなどの思いそのものが物語の中心にあって、そんな彼の思いを探る物語として成立していると言えるのです。

 

インビジブルレイン』でバラバラになった元姫川班ですが、姫川玲子自身は、本書『ブルーマーダー』続巻のシリーズ第七弾『インデックス』第四話「インデックス」で、池袋署刑事課強行犯捜査係との併任ではありますが、本部の刑事部捜査一課への異動の内示を受けることになります。

そこでは、本書の「ブルーマーダー」事件の事後処理をすることになります。ただ、本書でも冒頭と最後に登場するあの井岡博満も同じく併任配置となるのですが。

まだまだ目が離せないこの『姫川玲子シリーズ』です。続刊の刊行を心待ちにしたいと思います。

感染遊戯

本書『感染遊戯』は、誉田哲也の人気シリーズ『姫川玲子シリーズ』の第五弾となる連作の短編小説集です。

個々の物語は独立しているようでいて、全体として一つの物語として成立するという作者の仕掛けが見事にはまった一冊です。

 

会社役員刺殺事件を追う姫川玲子に、ガンテツこと勝俣警部補が十五年前の事件を語り始める。刺された会社役員は薬害を蔓延させた元厚生官僚で、その息子もかつて殺害されていたというのだ。さらに、元刑事の倉田と姫川の元部下・葉山が関わった事案も、被害者は官僚―。バラバラに見えた事件が一つに繋がるとき、戦慄の真相が立ち現れる!姫川玲子シリーズ最大の問題作。(「BOOK」データベースより)

 


 

感染遊戯 / インフェクションゲーム
未だ勝俣警部補が公安部に転出する前の刑事部にいた十五年前、世田谷区内で長塚淳という会社員が殺される事件が起きた。捜査を進める中、一人の老人が自分が殺したとして出頭してきた。しかし、後に大友慎治とわかった男は何も話そうとはしない。そして今、姫川は長塚利一という男が殺された事件を捜査していた。

連鎖誘導 / チェイントラップ
警視庁捜査一課九係の倉田修二警部補は、神奈川県警から息子の英樹が交際相手の女性の殺害容疑で逮捕されたとの連絡を受けた。息子との面会にも行かないまま、麻布十番路上殺傷事件の捜査本部に参加した倉田は、被害者のノンキャリアの男性からの協力を取り付けられないでいた。

沈黙怨嗟 / サイレントマーダー
今は北沢署刑事組織犯罪対策課強行班捜査係に配属されている葉山則之は、将棋仲間の老人同士の殴り合いの始末をつけることになった。当事者の一人である谷川正継は堀井辰夫が突然激高したという。葉山は堀井の激高の理由を探り出すが、そこには哀しみに満ちた事情があった。

推定有罪 / プロバブリィギルティ
勝俣は杉並署で官僚殺しの犯人の加納裕道の取り調べを行っていた。一方、警察を辞めていた倉田は自分がかかわった元官僚の松井の殺害事件も思い出していた。また、葉山はやはり加納裕道が犯した別の殺人事件の捜査本部に参加していた。そうして、すべてはある一点に収れんしていくのだった。
 

本書『感染遊戯』は『姫川玲子シリーズ』でありながら、姫川玲子は脇に退いており、いわばスピンオフ的な作品となっています。

つまり、三つの短編は姫川の天敵ガンテツこと勝俣健作警部補や、以前別の物語に顔を出していた元刑事の倉田修二、元姫川班だった若手刑事の葉山則之などをそれぞれに主人公として独立しています。

しかし、全ては最後の中編へとなだれ込み、全体として一編の物語として成立しているのです。

 

そして本書『感染遊戯』は、この国の官僚組織に対する告発として描かれていて、かなり社会性が強い作品となっています。

もちろん、本書はエンターテイメント小説ですから、ここで描かれている官僚たちは国民を見下し、私腹を肥やし、退職後の天下り先を確保することに汲々とする存在として描かれています。

彼ら官僚の国家のためにその身を賭して働く姿は無視されていて、諸悪の根源のような憎しみの対象として存在するとされているのです。

その点についての論評はさておき、本書のエンターテイメント小説としての面白さはさすが誉田哲也の作品であり、一気に読んでしまいました。

 

特にガンテツが前面に出て捜査を進めているのが小気味いい物語となっています。

いつもとは逆に、ガンテツの物語の中に姫川玲子が少しだけ登場し、ガンテツの心をかき乱す一言を残して去っていきます。

他では影の薄い存在である葉山も、今回は前面に躍り出て活躍する姿を見ることができるのです。

また、「連鎖誘導 / チェイントラップ」と「推定有罪 / プロバブリィギルティ」は、『姫川玲子シリーズ』の第二巻『シンメトリー』の第二話「過ぎた正義」に登場する倉田警部補が登場し、「過ぎた正義」と相まって一編の物語として成立している、という楽しみもあります。

その上、本書『感染遊戯』の面白さは本書全体に隠された仕掛けであり、最後の第四話に相当する「推定有罪 / プロバブリィギルティ」ですべてが一つの物語としてまとまっていくその構成にあります。

 

このような丁寧に張られた伏線が見事に回収されていく物語の小気味よさは長岡弘樹の『教場』といった多くのミステリー作品でよく見られるところです。

教場』は警察学校を舞台にした珍しい設定の全六編からなる連作の短編集で、評価の高いミステリーでもあります。

また伊坂幸太郎の『フーガはユーガ』は推理小説とは言えないでしょうが、SFチックな設定のもと「現実離れした 兄弟の 本当の物語」として楽しい小説でした。

 

 

ただ、この二冊共に本書『感染遊戯』とは伏線の貼られ方が少し異なるかもしれません。

上記の例えに挙げた二冊の作品は、個別の会話や出来事がクライマックスで別の意味を示すことになり、真相が明らかになるという仕掛けです。

それに対し本書『感染遊戯』の方は作品全体の構成の仕方自体が仕掛けの一部となっており、最終的にその仕掛けが働いて、先に語られた事柄の持つ意味そのものが別の様相を示すことになります。

そうした違いはありますが、共に張られた伏線の回収のされ方は見事という他なく、楽しく読んだ作品だったと言えます。

もう聞こえない

本書『もう聞こえない』は、誉田哲也作品にしては珍しい長編のダークファンタジー小説と言えると思います。

ファンタジーの世界で展開されるサスペンスは結構楽しく読めた作品でした。

 

一向にわからぬ被害者男性の身元、14年前の未解決殺人事件。ふたつの事件を繋げるのは、“他界した彼女”だった…。(「BOOK」データベースより)

 

冒頭に「誉田哲也作品にしては珍しい」作品だと書きましたが、それはあくまでファンタジックなタッチは珍しいという意味です。

もともとこの作者は『妖の華』や『アクセス』のようなホラー小説を出発点としている作者ですから、霊的なものに対する処理はお手の物なのでしょう。

 

 

110番に中西雪実という女性から、男性に怪我をさせてしまったとの連絡が入った。

その男は後に死亡し、高井戸署において中西雪実の聴取を行おうとする。しかし、泣いてばかりで話にならず、警視庁捜査一課の竹脇元(はじめ)警部補にその役目が回ってきた。

ところが、中西雪実は竹脇の聴取中に「女の人の声が聞こえるときがある」と言い出すのだった。

 

本書『もう聞こえない』は、誉田哲也お得意の多視点での物語であり、基本的に章の始めが竹脇警部補の事情聴取の様子、残りが「ゆったん」というあだ名の女の子の視点での物語となっており、各々の話が交互に語られます。

読み進める過程で発動した仕掛けに、してやられた感を抱いていると、さらに意外な展開が待ち受けています。

この作者らしい読者をミスリードにさそったり、意外性を持った展開など、サービス満点のエンターテイメント小説です。

例えば、竹脇と組まされた相棒は苗字を菊田という女性で、旦那も警察官である、などという設定もこの作者のお遊びの一つと言えるでしょう。

つまり、その旦那というのは誉田ファンであればだれでも知っている『姫川玲子シリーズ』の重要な登場人物である菊田和男ではないか、などと想像できるのです。

わき道にそれますが、『姫川玲子シリーズ』の『ブルーマーダー』に、菊田一男と港区高輪署に勤務している梓との新婚家庭の様子が描かれています。

 

 

何はともあれ、本書『もう聞こえない』では、何といっても、殺された「霊」が語りかけ、そのことによりこの物語が展開していくというのですから普通ではありません。

その上、『武士道シリーズ』のような青春小説にも定評がある誉田哲也の作品らしく、本書にもそのニュアンスが読み取れます。

まあ、こうした他ジャンルの雰囲気をも併せもった作品を書くというのは、本書に限らずこの作者の他の作品でも同様ではあります。

 

 

ここで「霊」を絡めた作品を見ると、「霊媒」を主人公とする作品として相沢沙呼の『medium 霊媒探偵城塚翡翠』という作品があります。

この作品は、第20回本格ミステリ大賞を受賞し、「このミステリーがすごい!」2020年版国内篇と「本格ミステリ・ベスト10」2020年版国内ランキングで第一位をとり、さらに2020年本屋大賞と第41回吉川英治文学新人賞で候補作品となるほどに評価されました。

しかしながら、この作品は本格派の推理小説であり、私の好みとは少々異なる作品でもありました。でも、かなり読みごたえがあった作品であることは間違いありません。

 

 

更には梶尾真治にも『精霊探偵』という作品があるそうですが、残念ながら私はまだ読んでいません。人の背後霊が見える主人公が背後霊たちに力を借りながら人探しをするという話らしいのです。

 

 

話を元に戻すと、本書『もう聞こえない』は、直接的に「霊」そのものと話します。正確には「幽霊」ではなく「言霊」だそうですが、そこは本筋とは関係ないのでいいでしょう。

その「霊」は生きている人たちを見ることはできるものの、音を聞くことも物に触ることもできません。何とか主人公の女性に声を聴かせることはできるようです。

その状態で事件真相に向かって突き進もうとする物語で、なかなかに楽しく読むことができました。

妖の華

本書『妖の華』は、文庫本で459頁の、『妖シリーズ』の第一弾の長編のアクションホラー小説です。

シリーズ第二作の『妖の掟』で詳しく描かれることになる「三年前に起きた“大和会系組長連続殺害”」の後日譚ということになる物語です。

 

『妖の華』の簡単なあらすじ

 

ヒモのヨシキは、ヤクザの恋人に手を出して半殺しにあうところを、妖艶な女性に助られる。同じころ、池袋では獣牙の跡が残る、完全に失血した惨殺体が発見された。その手口は、3年前の暴力団組長連続殺人と酷似していた。事件に関わったとされる女の正体とは?「姫川」シリーズの原点ともなる伝奇小説が復刊。第2回ムー伝奇ノベルス大賞優秀賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

『妖の華』の感想

 

驚いたのは、本書『妖の華』が誉田哲也のデビュー作品だということです。

とてもこの作品が新人の手によるものだとは信じられません。それほどに物語としての面白さを既に持っているのです。

ただ、確かに現在の誉田哲也の作品の特徴ともいえる一人称での描写も明確ではないし、警察組織の描き方にしても丁寧さに欠けるきらいはあります。

しかし、文章のテンポは悪くないし、ストーリー展開もさまになっていて見事なものとしか思えません。

 

また、後に『姫川玲子シリーズ』の重要な登場人物の一人ともなる井岡博満刑事が重要な役割をもって登場してきたのには驚きました。

よく考えてみれば、本書が誉田哲也のデビュー作だというのですから、井岡の登場もこちらの方が先である筈なのですが、どうも『姫川玲子シリーズ』の方を先に読んでいたこともあり、妙な感じでした。

更にもう一人、監察医の國奥定之助も本書で既に登場しています。

 

 

誉田哲也という作家は、自身が書く物語を共通の世界で展開させることが少なからずあるため、そうした方策をとっているかとも思いましたが、世界観までは共通というわけではなさそうです。

つまり、本書を習作として警察小説を書くことの面白さを知り、『姫川玲子シリーズ』を書くことになると書いてありました。

従って、本書『妖の華』でキャラクターを作り面白いと感じた井岡を『姫川玲子シリーズ』登場させたのだと思われます。それは國奥定之助にしても同じでしょう。

とにかく、本書『妖の華』はデビュー作とはとても思えない、エンターテイメント小説として禱文に面白さを備えた作品だと思います。

妖シリーズ

本『妖シリーズ』は、誉田哲也お得意のエロスとバイオレンス満載のエンターテイメント小説です。

本シリーズの特徴を挙げるとすれば、まず挙げるべきは主人公が人間ではないということでしょう。つまり、主人公は四百年という年を経た吸血鬼です。

 

妖シリーズ(2020年09月23日現在)

  1. 妖の華
  2. 妖の掟
  1. 妖の絆
  2. 妖の旅
  1. 妖の群

 

『妖シリーズ』の各巻タイトルは、「小説丸」での誉田哲也インタビュー記事にあった作者の言葉から拾い出したものです。

ですから、第三巻以降は作者誉田哲也の出版予定ということになります。

 

そもそも本『妖シリーズ』の第一巻は、第二回ムー伝奇ノベル大賞優秀賞を受賞し、後に『妖の華』と改題された『ダークサイド・エンジェル 紅鈴 妖の華』というタイトルで2003年に刊行された作品です。

ムー伝奇ノベル大賞は学習研究社刊行の雑誌「ムー」が主催していましたが、第五回まで存続したそうです(以上『妖の華』文庫版 杉江松恋氏の「あとがき」から)。

この第一巻『妖の華』が、作者の誉田哲也のデビュー作だそうですから、才能ある人の作品は最初から見事なものだと感心せざるを得ません。

 

本『妖シリーズ』の主人公は紅鈴(べにすず)と言い、四百年も前に一人の吸血鬼から血分けを為され、不死の身になった女です。

この女が、身長は160センチに満たない、細身の女で長い黒髪に黒々と潤んだ瞳をした黒豹のような女で、体臭が妙に男をくすぐると表現されています。

このエロチックな女がソープで少しの間気絶させた客の男から血を飲んでいるのです。もちろん、ソープですからベッドシーン満載です。

さらに、暴力団とのトラブルを抱えていて、当然のことながらバイオレンス満載の展開となります。

 

本『妖シリーズ』の吸血鬼、紅鈴は西洋の吸血鬼とは異なる純粋の和物である「闇神(やがみ)」です。

ですから、十字架もニンニクも紅鈴たちには何の影響もなく、ただ、太陽の光、厳密には紫外線に当たると皮膚が焼け、ひどいと死に至ります。

また、単純に人間に噛みついて血を吸ったからといって、その相手が吸血鬼になるわけでもありません。被害者は血が吸い取られるだけで、献血と変わりないのです。

 

伝奇小説、と言えば私にとってまずは半村良です。その作品での吸血鬼の話と言えば『石の血脈』があります。

吸血鬼や狼男など世界各地に残る各種伝承を織り込みながら、人間の不死性への欲望を絡めて、とにかくスケールの大きなほら話をその筆力で一気に読ませている作品です。

それまでにも吉川英治の『鳴門秘帖』や国枝史郎の『神州纐纈城』などの作品はありました。

しかし、個人的には半村良の『石の血脈』や『産霊山秘録』などの作品が伝奇SF小説の魅力を教えてくれたと思っています。

 

 

その後、エロスとバイオレンスの伝奇小説となると、夢枕獏菊地秀行を避けては通れません。

夢枕獏には「サイコダイバーシリーズ」とも呼ばれる『魔獣狩りシリーズ』があります。

このシリーズは『魔獣狩りシリーズ』と『新・魔獣狩りシリーズ』と名を変えて続き、それが全体として「サイコダイバーシリーズ」となり祥伝社ノン・ノベル版で全二十五巻あります。

 

 

また、菊地秀行には異世界のクリーチャーと戦う、エロスとバイオレンス満開の作品である『バイオニック・ソルジャーシリーズ』などがあります。

 

 

本書『妖の掟』の主人公は、『全国妖怪事典』(千葉幹夫・編)という書物に書いてあった山姫という妖怪をヒントに作り上げたキャラクターだそうです( 小説丸 : 参照 )。

ここで「吸血鬼」と言えばブラムストーカーのトランシルバニアのドラキュラ伯爵が有名ですが、今ではスティーブン・キングの『呪われた町』の方が名が知られているかもしれません。

 

 

本来、本書の続編を書く予定はあったのだと作者は述べられています。

それが十七年後に『妖の掟』として結実し、さらにその後のシリーズの展開までも言及されています。

最終巻は一作目『妖の華』の後日談であり、近未来SFになるということなので、それまで楽しみに待ちたいと思います。

 

プラージュ

本書『プラージュ』は、訳あり者たちだけが住むシェアハウスを舞台にした、ミステリー色の強い長編小説です。

もしかしたら、人によっては誉田哲也の作品の中で一番だという人がいそうな、個人的にもそれに近い感想を持った作品でした。

 

仕事も恋愛も上手くいかない冴えないサラリーマンの貴生。気晴らしに出掛けた店で、勧められるままに覚醒剤を使用し、逮捕される。仕事も友達も住む場所も一瞬にして失った貴生が見つけたのは、「家賃5万円、掃除交代制、仕切りはカーテンのみ、ただし美味しい食事付き」のシェアハウスだった。だが、住人達はなんだか訳ありばかりのようで…。(「BOOK」データベースより)

 

本書の登場人物の一人の言葉として、『プラージュ』とは、フランス語で「海辺」という意味だとありました。そして「海と陸の境界。それは常に揺らいでいる。」という言葉が続いています。

店と客、客と店主、店と二階の居住空間が、「不安になるほど、ここには垣根というものがない。」というこの人物の感想は、本書のある主張を言い表している言葉でもあるようです。

 

冒頭で、本書『プラージュ』は、ミステリー色が強い小説だと書きましたが、それはミステリー小説と言い切るには若干のためらいがあったからです。

ミステリーと言えるほどの謎があり、その謎が読者の関心をより惹きつけていることはもちろんあります。

しかし、それは二次的なものであり、まずは罪を犯し、その罪を償ったものたちのこれまでの人生をたどり、そしてこれからの人生を見据える再生の物語だと思えます。

その物語が、妙に読者の心にささり、小さな感動を生んでいて、それがエンターテイメント小説としても、人間再生の話としても魅力を生んでいるのです。

 

人の再生の物語としては、例えばロバート・B・パーカーの『愛と名誉のために』に見られるような、強い人間を描いた作品は多く見られると思われます。

 

 

しかし本書『プラージュ』のように、前科を背負った人間の再生の話、それも、計画的なな行動を描くものではなく、現実に直面したときの不安や戸惑いという再生過程を描いた作品は知りません。

 

本書『プラージュ』では吉村貴生という人間が中心になっていて、一応は主人公と言っていいのかもしれません。

というのも、本書は誉田哲也お得意の多視点での構成されています。それも奇数番号の章は吉村貴生の視点で、それ以外は様々な登場人物の視点で語られています。

そして物語自体は、貴生を中心としながらも登場人物皆の将来に向けての人生再生の物語だと言えると思うのです。

 

シェアハウス「プラージュ」に住むことになる人間は何かしらの罪を犯し、それなりの償いをしている人間です。そして客として集う人間も何かしらの負い目を背負っています。

住人の一人である詩織の心象として、次のような心象を描写してあります。

自分は多くの人に支えられ、社会によって「生かされている」のだと感じる。そしてそのことが、単純に嬉しいのだ。

そう思うようになったのは、この「プラージュ」での生活の故かもしれません。もしかしたら、「プラージュ」オーナーの潤子の思いが伝わったのかもしれません。

それははっきりとは分かりませんが、ここに住まう人間の一人がそういう思いになっているのです。そういう思いを持たせてくれるのがシェアハウス「プラージュ」なのです。

 

この「プラージュ」に一人のジャーナリストが潜入し、ある事件の犯人と思われた人物の現在を追おうとします。

そこにとある事件が起き、クライマックスへとなだれ込んでいきます。

 

そのクライマックスで重要な役割を果たす、客の一人として登場するヒロシは次のような趣旨のことを言っています。

いま、前科がないのはただ単に生業を継いだとか、地元の先輩が面倒を見てくれたとか、単に運がよかったにすぎない

罪を犯すか否かは環境でもあり、それはまた「運」でもある、ということでしょうか。でも、だからこそ、同じような立場の自分たちも「仲間」を大切にしたい、とも言います。

これも、作者の「罪」というものに対する一つの答えでしょう。

 

ここでのヒロシたちの事件解決への参加が、この物語でちょっとした違和感を持った点でもあります。彼らはシェアハウス「プラージュ」の住人ではないからです。

しかし、エンタメ小説としては、ここでいう「仲間意識」などのつながりは読者をひきつける大切な要素でもあるとも思われ、そうしたエンタメ性の観点からも彼らの参加のために持ち出した言葉だとも思えます。

どちらにせよ、読み手としては読んでいて面白さが増すのは事実であり、結果として本書『プラージュ』のような作品ができ上ってくるのですから大歓迎でもあります。

 

ただ、ヒロシなどの「プラージュ」の客が物語の上でわりと重要な位置を占めているにもかかわらず、あまり人物像が深くは描かれていません。

一応前科は背負っていないために章を立てて取り上げるまでもないと判断されたのでしょうか。しかし、前科者になるか否かぎりぎりのところにいる彼らの代表としてもう少し掘り下げてもいい気もしました

ただ、そうなると「プラージュ」に住む住人の物語の意味が薄れる気もします。

 

ちなみに、2017年には本書『プラージュ』を原作とし 星野源を主人公として、WOWWOWでドラマ化もされています。