マリスアングル

マリスアングル』とは

 

本書『マリスアングル』は、2023年10月に408頁のハードカバーで光文社から刊行された長編の警察小説で、『姫川玲子シリーズ』の第十弾となる作品です。

この人の作品にはずれはありませんが、中でもこの『姫川玲子シリーズ』はその一番手であり、本書もまたその例に違わない作品でした。

 

マリスアングル』の簡単なあらすじ

 

塞がれた窓、防音壁、追加錠…監禁目的の改築が施された民家で男性死体が発見された。警視庁捜査一課殺人班十一係主任、姫川玲子が特捜に入るも、現場は証拠が隠滅されていて糸口はない。犯人はなんの目的で死体を放置したのか?玲子の天性の勘と閃き、そして久江の心に寄り添う聞き込みで捜査が進展すると、思いもよらない人物が浮かび上がってきてー誉田ワールド、もう一人の重要人物・魚住久江が合流し、姫川班が鮮烈な進化を遂げるシリーズ第10作!(「BOOK」データベースより)

 

マリスアングル』の感想

 

本書『マリスアングル』は、『姫川玲子シリーズ』の第十弾となる作品です。

姫川玲子シリーズ』の出版冊数からすると十一番目になると思われるのですが、第五弾の『感染遊戯』をシリーズ関連作としてシリーズない作品としては計算してないことにあるようです。( 姫川玲子シリーズ 公式サイト : 参照 )

この点に関しては、著者の誉田哲也自身がはっきりと自身の筆で、『感染遊戯』は「姫川玲子シリーズにはカウントしないこととする。」と書かれておられます。( Book Bang : 参照 )

出版社の「内容紹介」にも『姫川玲子シリーズ』の第十弾作品と書いてあります。

 

そうした形式的なことはさておいて本書の内容ですが、『姫川玲子シリーズ』の中でも事件の解決に向けた捜査の様子がストレートに記述されている、わりとオーソドックスなタッチの物語だと言えるのではないでしょうか。

ただ、物語の展開はオーソドックスだと言えても、その語られている内容は誉田哲也の作品らしい作品です。

というのも、著者の誉田哲也の作品では、現実の政治情勢を取り込んで作品内で起きる事件の背景に据えていることが少なからずありますが、本書で犯される犯罪の根底には、現実に起きた朝日新聞の慰安婦報道に関する問題が横たわっているからです。

ただ、本書では慰安婦の記事が全くの捏造であることを前提として取り上げてあり点には注意が必要だと思われます。実際の朝日新聞の問題はネット上に多くのサイトがあふれていますが、下記サイトに詳しく書いてありますので、関心がある方は参照して見て下さい。

 

 

本書『マリスアングル』の物語は、読者がそうした社会的な出来事について知見が無かったとしても楽しめる構造になっているので問題はありません。

 

ただ、誉田哲也の作品内で取り上げられている現実の出来事についてエンターテイメントとしての取り上げ方をしてあるので、作品に書かれていることが真実であるかのように思われる危険性はあると思われます。

そのことの是非をここで取り上げるつもりもありませんが、読者自身があくまで虚構であることを認識したうえで読み進めるべきかと思います。

そうした姿勢がある以上は、誉田哲也の作品で現実の政治的な状況への関心が生まれ、正確な情報に接する気持ちが生まれればそれは作者としても一つの狙いであるのかもしれません。

 

何と言っても本書の見どころと言えば、本シリーズと誉田哲也の別の人気シリーズである『魚住久江シリーズ』が合体し、姫川玲子の班に魚住久江が加わり、新たなチームとしての魅力が加わっているところです。

魚住久江という強烈な個性を持った女性の視点が新たに加わることで、姫川玲子という人間像が一段と明確になっていくというべきかもしれません。

その上で、どちらかというと、姫川玲子個人の危うさを取り上げ、姫川の保護者的立場の存在として魚住を異動させていると思われるのです。

ということで、本書『マリスアングル』は朝日新聞の慰安婦報道問題をテーマとして取り上げながらも、シリーズとしては姫川玲子個人のキャラクターをより深く描き出してあるのです。

といっても、魚住久江が異動してきたまだ日が浅く、姫川との絡みは今後さらに深くなっていくものと思われます。

その時の姫川玲子の描写を楽しみにしつつ、続巻を期待したいと思います。

ジウX

ジウX』とは

 

本書『ジウX』は『ジウサーガ』の第十弾で、2023年6月に416頁のハードカバーで中央公論新社から刊行された、長編の冒険小説です。

個人的には最も好きな作家の一人である誉田哲也の作品の中で、ある政治的主張を明確に織り込んで構成されているエンターテイメント小説であり、それはそれで面白く読みました。

 

ジウX』の簡単なあらすじ

 

生きながらにして臓器を摘出された死体が発見された。東弘樹警部補らは懸命に捜査にあたるが、二ヶ月が経っても被害者の身元さえ割れずにいた。一方、陣内陽一の店「エポ」に奇妙な客が集団で訪れた。緊張感漂う店内で、歌舞伎町封鎖事件を起こした「新世界秩序」について一人の女が話し始める。「いろいろな誤解が、あったと思うんです」-。各所で続出する不気味な事件。そして「歌舞伎町セブン」に、かつてない危機が迫る…。(「BOOK」データベースより)

 

ジウX』の感想

 

本書『ジウX』が属する『ジウサーガ』は、誉田哲也という作家の作品の中でも一、二位を争う人気シリーズです。

このシリーズは斬新な警察小説として始まり、後に新宿を舞台とする仕事人仲間の物語へと変化し、さらには「ジウ三部作」での敵役であった「新世界秩序」という集団を敵役として、新たな冒険小説として展開しつつあります。

本書では、そんな変化していく『ジウサーガ』においての敵役としての「新世界秩序」という集団が、これまでのような漠然とした存在ではなく明確な存在としてその姿を見せてきます。

そして、問題は「新世界秩序」の主張もまた明確になってきたことであり、その主張が国家の存立にかかわることだということです。

 

こうして、「新世界秩序」という組織の実態、その目的が明確になってきたことが本書の一番の見どころでしょう。

といっても、「新世界秩序」という組織の詳細まで明らかになったわけではありません。

ただ、『ジウ三部作』での黒幕と言われたミヤジでさえも下っ端と言い切る集団が登場します。

その集団が「新世界秩序」の特殊なメンバーである「CAT」と呼ばれる一団です。

この「CAT」は暴力を振るうのにためらいが無く、また残虐であって、誉田哲也の特徴の一つでもあるグロテスクな描写が展開されています。

本書『ジウX』の冒頭から示される殺人事件の描写からして、あるカップルの女性の身体の解体であり、男性への陵虐です。

 

そして、その「CAT」の傍若無人な活動と、それに伴う警察の動き、特に東弘樹警部補の活動、そして「歌舞伎町セブン」の活躍から目を離せません。

この「CAT」は明確な政治的主張を持った一団です。その主張は単純であり、「相互主義」という言葉を直接的に用いています。

外交の世界で使われる言葉の正確な意味は分かりませんが、近年のテレビでは「相互主義」という言葉を主張するコメンテーターがいるのも事実です。

相互主義」とは、外交の場面では「相手国の自国に対する待遇と同様の待遇を相手国に対して付与しようとする考え方」を言います( ウィキペディア : 参照 )。

 

そうした言葉の意味をそのままに持ってきているのか分かりませんが、エンターテイメント小説の中にこれだけ政治性の強い単語を、それもその意味の詳細な定義もないままに物語の中心的なテーマとして、しかし情緒的に使っている作品も珍しいのではないでしょうか。

大沢在昌の『新宿鮫シリーズ』や月村了衛の『黒警』のような作品ではよく外国人が登場しますが、それは犯罪者としての役割を担っている場合が多いようで、政治的な主張を示しているわけではありません。

 

 

また、麻生幾の『ZERO』(幻冬舎文庫 全三巻)のようなインテリジェンス小説でも現場の諜報員としての物語という場合が殆どです。

 

 

しかし、本書『ジウX』の場合は特定の中国という国に対する憎悪を持った集団が、情緒的ではあっても明確な、そしてそれなりに現実性を持った政治的な主張をしているのです。

そして、その主張こそが「CAT」の存在意義であり、本書の核にもなっている点で独特です。

また、現代の世相の一部を切り取って、エンターテイメント小説として成立させている点でもユニークだと思うのです。

 

新宿セブンのメンバーも当初から少しずつ変化してはいますが、本書ではまた一人抜けそうであり、その後釜についても問題になっています。

その候補として挙がっているのが、「新世界秩序」の一員であり、「セブンのメンバーから、最も嫌われている女」である、土屋昭子でした。

 

本書『ジウX』は、エンターテイメント小説としての面白さを十分に備えた作品として、その後の展開が期待され、続巻が待たれる作品として仕上がっている作品だといえます。

妖の絆

妖の絆』とは

 

本書『妖の絆』は『妖シリーズ』の第三弾で、2022年12月にハードカバーで刊行された長編のエンターテイメント小説です。

シリーズの前二巻と異なり江戸を舞台としており、仲間であり恋人であった欣治との出会いを描いたアクション小説ですが、前二巻よりはストーリーが単調に思えました。

 

妖の絆』の簡単なあらすじ

 

人の血を啜り、闇から闇へと生きる絶生の美女・紅鈴が、江戸の世で出会ったひとりの少年、欣治。吉原に母を奪われ、信じていた大人たちにも裏切られた。そんな絶望の中でなお、懸命に生きる欣治との出会いが、孤独な闇を生きてきた紅鈴の思いがけない感情を芽生えさせる。「こんな腐った世の中に、こんなにも清い魂があるものか。この汚れなき魂を、あたしは守りたい」欣治を“鬼”にするー。その、後戻りできない決断の先に待ち受ける運命とは!?美しく凶暴なまでに一途なダークヒロイン、ふたたび。(「BOOK」データベースより)

 

妖の絆』の感想

 

本書『妖の絆』は本『妖シリーズ』の主人公である紅鈴とその仲間であり想い人でもあった欣治との出会いが描かれている作品です。

シリーズ第一作の『妖の華』は、既に亡き欣治を思い出させるもののその実ヘタレ男であるヨシキと紅鈴との物語と、同時に展開される変死事件を追う井岡刑事の話との二本柱の作品でした。

誉田哲也作品の一つの型である、異なる話が一つの物語に収斂していく作品です。

そして、第一作では欣治は既に亡くなっており、第一作で触れられていた欣治の死に絡む暴力団組長三人殺し事件の顛末を描いたのが圭一という盗聴屋が出てくる第二作目の『妖の掟』でした。

 

その欣治と紅鈴との出会いを描き出しているのが本書『妖の絆』です。

本書の舞台となるのは江戸時代ですが、敵役の一族が加賀の前田利家から大命を受けて以来「二百有余年」とあったり、明暦2年(1656年)10月に移転(ウィキペディア)した新吉原が「日本堤に移して、もう百何十年も経つ」とありましたので、1800年代のいつかということになるのでしょう。

 

本書『妖の絆』では主役の紅鈴、欣治の他に、欣治の父親の弥助と母親のおかつ、そのおかつを吉原に連れて行った女衒の吉平や吉平の手下の正八与市と登場します。

敵役として八代目百地丹波を頭とする素波の一団が登場しますが、直接的な敵役となっているのは丹波の部下の道順という男でありまた今川拓馬片山志乃などという面々です。

ただ、拓馬や片山志乃という人物の設定は、それなりに焦点が当てられている割には今一つはっきりとしない存在であり、誉田作品にしては中途半端な存在だという印象でした。

とはいえ、紅鈴と欣治とが結びつくきっかけとなる事件の要となる人物の一人ではあるわけで、その拓馬も一人の人間として喜びも悲しみも背負った人物であることは示されています。

その上で、紅鈴という怪物に絡んでの幸せや不幸であることが示されていると思われ、まったく意味がないわけではないでしょう。

 

前述したように、本書『妖の絆』は全体として前二作と比べストーリー自体の面白さが今一つのように感じられる点があったことも事実です。

誉田作品にしては物語の展開がシンプルに感じられ、紅鈴が吉原に潜り込んで男どもを手玉に取る場面にしても、紅鈴と百地一派とのアクションにしてもこれまでの二作品ほどの高揚感がありません。

時代背景が江戸時代ということでそうなったのかはわかりませんが、紅鈴の闇神としての存在故の展開があまり感じられませんでした。

もちろん、本書は本書なりに面白いのは事実であり、前二作品と比べればの話です。

ただ、前二作品が手元にあるわけではなく、私の記憶の中の作品と比べての話なので、もしかしたら間違っているかもしれません。

本書を、前二作品の知識がなく読んだとしたら、かなり面白いと思いながら読んだのではないかとも思えるのです。

 

主人公の紅鈴が、無敵の力を持つ吸血鬼(闇神)であり、基本的に不死の身でありつつも、不死の身であるが故の淋しさ、哀しさを漂わせる存在としてあるという設定は非常に心惹かれます。

その設定のもと、自分の能力を分け与えたただ一人の仲間であり、恋人でもあった欣治との出会いが描かれた作品だということで私の中でハードルがかなり高くなっていたのでしょう。

本書では、自分に無関係の人間の生き死にには無関心な紅鈴が、欣治やその母親のおかつには関心を持ち、おかつを吉原から救い出したりしているわけで、矛盾した行動をとっています。

しかし、そうした行動はこれまでの二巻の中でも見られたはずであり、だからこそ紅鈴の孤独感も感じられ、また哀しさをも感じ取れると思われます。

 

そうした設定の主人公の活躍も作者によればあと二巻で終わるそうです。

出来れば最終巻などと言わず、続けてもらいたいと思うのが、一ファンとしての望みでもありますが、作者が明記しているので無理でしょう。残念です。

アクトレス

アクトレス』とは

 

本書『アクトレス』は2022年1月に刊行された、新刊書で367頁の長編のエンターテイメント小説です。

誉田哲也の遊び心満載の作品『ボーダレス』の続巻であり、前著での「ドミナン事件」から五年後の森奈緒、片山希莉、市原琴音らの活躍が展開されます。

 

アクトレス』の簡単なあらすじ

 

私たちは、この一週間で大人になる覚悟を決めた。「ドミナン事件」から5年。森奈緒、片山希莉、市原琴音たちは自立し新生活を始めていた。ある日、希莉の書いた小説が、若手人気女優・真瀬環菜名義で発表されることになる。不服ながらも抗えない希莉。さらに小説が発表されるや、作中の事件をなぞるように「事件」が発生してしまう。偶然とは思えないが、誰が何のために模倣したのかは見当もつかない。真相に近づこうとしたとき、ふたたび逃れられない悲劇が彼女たちに忍び寄る…。(「BOOK」データベースより)

 

前著『ボーダレス』で起きた「ドミナン事件」から五年後、森奈緒は高校卒業後栃木県警の採用試験に合格し、短期間で那須塩原署刑事第一課へと配属されたものの、母親の病気のために退職し実家の手伝いをしている。

片山希莉は高校卒業後、東京の明応大学に入学して演劇部に入り、希莉の原案、脚本による舞台が話題となって先輩の劇団に属することとなる。

大学卒業後は、ミッキーという少々天然の後輩の娘と共に住んで、何とか芸能関係の仕事をこなしていた。

市原琴音は、三年前に和志と結婚して中島琴音となり、二年前に父親の市原静男が経営する「カフェ・ドミナン」の二号店をオープンし、一年前に長男のを産んでいた。

その琴音のもとには、今では「和田探偵事務所」に就職したという八辻芭留がたまに訪ねてきてくれている。

その琴音が、母親も元気になり時間ができた奈緒の再就職先として八辻芭留の事務所の話をしたことで、奈緒が芭留の事務所に勤めることになった。

 

アクトレス』の感想

 

冒頭に書いたように、本書『アクトレス』は『ボーダレス』の続編です。

ボーダレス』は、女子高生の菜緒と同級生の希莉の小説、、芭留と圭の姉妹の山中の逃避行、琴音と叶音の姉妹の仲違い、社長令嬢の結樹と年上の女性との恋、という四つの物語が一つの物語へと収束していく話でした。

格闘小説、音楽小説など様々な分野の要素を持つこの物語は、それでも基本的には青春小説と言えると思っています。

その『ボーダレス』に登場していた森奈緒、片山希莉、市原琴音、八辻芭留といったメンバーが再び顔を揃えるのが本書です。

 

 

本書『アクトレス』も、と言っていいのでしょうが、やはり誉田哲也の作品らしく章ごとに視点が入れ替わりながらストーリーが展開します。

基本的には片山希莉が事件に巻き込まれるのですが、それを森奈緒や八辻芭留たちが力を合わせて解決していきます。

 

誉田哲也の物語は、それがサスペンス小説であったとしても登場人物の背景が丁寧に書き込まれています。

例えば主人公や犯人といった立場にかかわらず、それらの人物それぞれの家庭、恋人や友人との会話がリアルに描かれ、物語が真実味を付与されています。

もちろん作品ごとにそのリアリティには軽重の差があり、表現の仕方も変わってくるのですが、会話を通した人物の心理描写のうまさは変わりません。

中でも誉田哲也の青春小説での会話はテンポがよく、男の作者には本来分からないであろうと思える女の子の会話でさえもリアルに感じます。

少なくとも、現実の若い女性の会話を知らない身には真実味があるように思えるのです。

本書での森奈緒や片山希莉といった登場人物たちの会話がまさにそうで、若い女性ならではの仕事に対する悩みや友人との関係性など読んでいて素直に入ってきます。

 

そうしたなか、前著でも登場した希莉の書いた小説を軸に本書でも事件が巻き起こります。

そこで、本書のタイトルである「アクトレス」が前面に出てきます。

つまり、若手人気女優の真瀬環菜名義で希莉の書いた小説を出版することになり、その小説をなぞった軽微な事件が発生し、希莉たち仲間が巻き込まれていくことになります。

 

ただ、前著『ボーダレス』でも同様だったのですが、何となく物語そのものに意味が見えません。

本書『アクトレス』が作品として面白いかと問われれば、面白くないことはない、それどころか面白いと答えます。

しかし、それだけであり、その後の余韻がありません。

物語の作り方、進め方がうますぎるためなのか、読後に登場人物たちの喜びや、哀しみなどの情景が残らず、読み手としても読み終わればそれで終わりなのです。

『姫川玲子シリーズ』や『ジウサーガ』に見られるような爽快感や、ストーリー上の驚き、それに対する感慨などはありません。

エンタメ小説としてはそれでいいと言われればそれまでですが、やはり読後の感慨は欲しいものです。

誉田哲也というストーリーテラーの作品である以上は、そのようなおまけ的な小さな感動すら読み手としては期待してしまいます。

今後の作品に期待しようと思います。

フェイクフィクション

フェイクフィクション』とは

 

本書『フェイクフィクション』は2021年11月に刊行され、新刊書で390頁という分量になる、長編のエンターテイメント小説です。

変らずに誉田哲也の作品として面白いことには間違いはないのですが、既読の印象が強い作品でもありました。

 

フェイクフィクション』の簡単なあらすじ

 

東京・五日市署管内の路上で、男性の首なし死体が発見された。刑事の鵜飼は現場へ急行し、地取り捜査を開始する。死体を司法解剖した結果、死因は頸椎断裂。「斬首」によって殺害されていたことが判明した。一方、プロのキックボクサーだった河野潤平は引退後、都内にある製餡所で従業員として働いていた。ある日、同じ職場に入ってきた有川美祈に一目惚れするが、美祈が新興宗教「サダイの家」に関係していることを知ってしまい…。(「BOOK」データベースより)

 

東京都五日市警察署の管内で首が切断された死体が見つかり、鵜飼刑事が捜査を担当することになった。

一方、プロのキックボクサーであった過去を持つ河野潤平は、製餡所の社長に拾われ従業員として勤務していた。

その潤平は製餡所に新たに勤めることになった有川美祈に一目ぼれをしてしまうが、彼女は新興宗教「サダイの家」の信者であり、信者以外は悪魔だとして潤平を受け入れてくれない。

ところが、この「サダイの家」は鵜飼刑事もあることから目をつけていた団体でもあったのだった。

 

フェイクフィクション』の感想

 

やはり、誉田哲也の作品ははずれがない、と言ってもいい作品でしたが、誉田哲也の作品としては普通と感じた作品でもありました。

それは本書の構成として既読の印象が強い、ということが挙げられるでしょう。

つまり本書では、誉田哲也がよく使う、事件の当事者側と警察側の視点それぞれに物語が進み、その先で物語が収斂していくという構成になっています。

その中でも本書の構成は当事者側の比率が大きい点で、例えば『ジウII-警視庁特殊急襲部隊』であったり、『魚住久江シリーズ』の第二作目の『ドンナビアンカ』と同様の構成だと言えます。

当事者側のひと昔前の悲惨な生活状況が現在に連なる、という点でも同じです。

 

 

本書の大きなテーマとして「宗教」が挙げられる点も「普通」と感じる原因の一つかもしれません。

著者誉田哲也自身がエンタメ作品の中に『フェイクフィクション』の核である、宗教をある程度軽く考えてもいいのでは、という考えを落とし込んだのが吉田牧師の言葉だった、と発言されているように( 青春と読書 : 参照 )、本書では「宗教」が大きなテーマになっています。

たしかに、本書での主要登場人物の一人である唐津郁夫が知り合った頃の牧師吉田英夫の言葉は魅力的で、宗教のある側面を取り上げているようで「宗教」が大きな要素になっていると思います。

しかし本書での宗教の取り上げ方は、狂信的な信者を含めた登場人物の異常性や犯罪描写のきっかけとして意味があるようなのです。

もし、「宗教」を持ち出した理由が異常性の演出ではなく「宗教」そのものに対する考察、もしくは宗教を通した人間性の本質の追求にあったとしても、本書はエンターテイメントが強く、あまりその点は主張されているようには思えません。

結果として本書で表現されているのは宗教やそこにかかわる人間の異常性だと思えるのです。

いずれにしても、エンタメ作品としての面白さは否定しようもなく、その中で宗教の持つ意味も問いかけられている、と言えるのでしょう。

 

宗教を取り上げたエンタメ作品と言えば日本推理作家協会賞を受賞した中島らもの『ガダラの豚』が思い浮かびます。

普通の主婦が新興宗教に取り込まれていく様を描き、その実態を暴くというのが第一部である、文庫本では三分冊(全940頁)にもなる大長編小説です。

 

 

エンタメ作品以外としては第39回野間文芸新人賞を受賞し、また157回の芥川賞候補になり、さらに2018年本屋大賞の候補にもなった今村夏子の長編小説の『星の子』があります。

「病弱だったちひろを救いたい一心で「あやしい宗教」にのめり込んでいき、その信仰は少しずつ家族のかたちを歪めていく…。」という物語で、映画化もされました。

 

 

ともあれ、『星の子』はエンターテイメント小説である本書とは異なり文学作品としての評価が高い作品です。

その意味では本書は『ガダラの豚』に近いとは言えますが、その面白さの質は異なる作品だと言えます。

ドンナビアンカ

本書『ドンナビアンカ』は、『魚住久江シリーズ』第二弾の文庫本で408頁の長編の警察小説です。

ある誘拐事件を主軸にした恋愛物語であって、これはこれでまた誉田哲也らしい面白い小説でした。

 

ドンナビアンカ』の簡単なあらすじ

 

孤独でうつろな人生を送る男が見つけた、ささやかだけど本気の恋。それが男を地獄へと招く―。中野署管内で外食チェーン専務と店長が誘拐された。練馬署の魚住久江も捜査に招集されるが、身代金受け渡しは失敗に終わってしまう。やがて捜査線上に浮かぶ一人の中国人女性。久江は事件の背後にある悲しい真相に迫ってゆく。切なさと温かさが心に残る長編警察小説。(「BOOK」データベースより)

 

村瀬邦之は飲食店に卸売りをする酒屋で働いていた際に配達先のキャバクラで瑤子というホステスと知り合い、配達の際に軽い挨拶などを交わすうち、瑤子の優しさに惹き込まれていく。

その後、行きつけの定食屋で瑤子と出会ってより深く話すようになり、瑤子が中国人であることなどを知るのだった。

そうした中、富士見フーズの副島専務と知り合い、富士見フーズへの転職の話などが出る中、瑤子が副島の愛人であることを知る

一方、魚住久江は中野署管内での誘拐の可能性が高い所在不明事案の発生に指定捜査員として召集がかかっていた。

被害者は富士見フーズの専務副島孝、それに富士見フーズが経営するチェーン店「点々楼」大塚店店長村瀬邦之ということだった。

 

ドンナビアンカ』の感想

 

本書『ドンナビアンカ』は魚住久江を主人公とする警察小説ですが、その実、村瀬邦之と中国人の瑤子こと楊白瑤(ヤンパイヤオ)の恋愛小説ともいえる物語です。

誉田哲也お得意の、事件の犯人側に視点を移し、犯人の心の動きにも十分な配慮をすることで、警察側の捜査という謎解きの興味と犯人側の動機の開示という物語のリアリティを示すことで、推理小説としての醍醐味を最大限に引き出しています。

ただ、本書では恋愛部分の方が本書の主軸ではないかと思うほどに紙数を費やしてあるとともに、村瀬と瑤子との心の交流を深く描いてあります。

つまり本書『ドンナビアンカ』の場合、捜査と動機という両輪に加え、恋愛という更なる大きな要素が加わり、恋愛小説としての側面が大きな作品となっているのです。

こうした手法は推理小説としての興味が削がれ好みではないという人も勿論いるでしょうが、私個人としては面白く読んだ作品でした。

 

こうして本書『ドンナビアンカ』の特徴を描こうとすると、やはりどうしても姫川玲子との比較をしてしまいます。

他にも女性刑事の作品は数多くある筈なのに、同じ誉田哲也の作品である『姫川玲子シリーズ』の姫川玲子というキャラクターがまず浮かぶのは、やはりその女性刑事としての存在感が頭一つとびぬけているからだと思われます。

魚住久江というキャラクターが悪いというわけではありません。そうではなく、インパクトにおいて姫川玲子には勝てないだろうというだけです。

 

 

端的に魚住久江というキャラクターを見ると、人が死ぬことを未然に防ぎたいという存在であるだけに、描かれる事件も私たちの日常の範囲内の事件です。

本書『ドンナビアンカ』にしても、誘拐事犯としてその裏にある人間ドラマこそが描きたい対象であると思われます。

事実、先に述べたように主軸となるのは村瀬と瑤子との恋模様です。それも、今どき珍しいとも言えそうなプラトニックな恋愛です。

常に日の目を見ることもない人生を過ごしてきた男の、初めてといってもいいかもしれない女性に対して抱いた心からの淡い恋心を描いてあります。

もちろん、そこに障害が現れ、それが事件として描かれているわけです。

 

誉田哲也の作品の系列としては恋愛作品と正面から言える作品は思い浮かびません。『姫川玲子シリーズ』の『インビジブルレイン』で少しだけ姫川玲子の恋愛場面が出てくることがありますが、これは純愛とはまた異なります。

もうひとつ『あなたが愛した記憶』では「恋愛ホラーサスペンス」という惹句が使われていますが、この作品もまた少々毛色が違います。

やはり、本書のような純愛が描かれている作品は無いと思っても良さそうです。

 

 

ちなみに、私が読んだのは新潮文庫版の『ドンナビアンカ』です。頁数は446頁であり、解説は「温もりと恋愛の交差点」という副題で村上貴史氏が書いておられます。

 

 

また、魚住久江を檀れい、金本を吉田栄作が演じてテレビドラマ化され、テレビ東京系列で放映されたそうです。

ドルチェ

本書『ドルチェ』は、魚住久江という中年の女性刑事を主人公とする文庫本で392頁の警察短編小説集です。

謎解きよりも、誰かが生きていてくれることを喜ぶ女性刑事の人間味豊かな、かなり惹き込まれて読んだ作品です。

 

ドルチェ』の簡単なあらすじ

 

誰かの死の謎を解き明かすより、生きている誰かのために捜査をしたい―。練馬署の女性刑事・魚住久江が、古巣の警視庁捜査一課からの誘いを断り続けている理由だ。女子大生が暴漢に襲われ、捜査線上には彼女と関係のあった複数の男性の存在が浮上する。久江が一枚のハンカチから突き止める意外な真相とは?(表題作)未収録短編を加えた決定版!(「BOOK」データベースより)

 

袋の金魚
一歳二ヶ月の子供が溺死するという事件が起きた。父親が通報してきたものの、母親は行方不明。魚住久江は原口巡査長と共に父親の住むマンションへと出かけ、母親の写真を借りようとするが何故だか父親は動揺するそぶりを見せるのだった。

ドルチェ
被害女性は自宅アパートに戻るところを襲われ左脇腹を刺されたらしい。久江は、被害女性が当初右手にあまり血のついていないハンカチを握っていたという報告を読み、妙な胸騒ぎを抱くのだった。

バスストップ
女子学生が痴漢に遭った。その捜査中に警視庁刑事部捜査第一課の佐久間晋介という警部補が乗り込んできて、捜査の指揮をとると言い出した。痴漢に遭った女子学生によると、バス停近くに不審な男がいたという。

誰かのために
ある印刷工場内でその会社の専務と会社員に対する傷害事案が発生した。加害者のの堀晃司は専務に図鑑を返せと叫んでいたらしい。堀は事実を認めるが、堀の同僚は堀が辞めるときに「ここでも俺は、必要とされなかった」と言っていたというのだった。

ブルードパラサイト
女房に腹を刺された男が運び込まれてきたという医院からの電話が入った。被害者の話を聞いて自宅に行くと、妻らしき女がヒステリックに赤ちゃんに包丁を突きつけていた。何とか取り押さえて署に連行するが、何も話そうとはしないのだった。

弱さゆえ
※ 文庫本だけに収録されている作品なので私は未読です。

 

ドルチェ』の感想

 

本書『ドルチェ』は、誉田哲也の『姫川玲子シリーズ』の姫川玲子に続く新たな女性刑事魚住久江を主人公とする警察小説の第一巻です。

 

 

全七話の短編小説からなっている短編集ですが、誉田哲也の作品らしく読みやすく、そして小気味よいテンポで進みます。

ただ、七話目の「弱さゆえ」は文庫本だけに収録されている作品であり、私が読んだのは新刊書であるために未読です。そのうちに文庫本を読めた際には本稿を修正します。

 

本書の登場人物としては魚住久江の他に、かつて久江が一度だけ一夜を共にしたことのある先輩刑事の金本健一がやはり重要な地位を占めています。

同じ池袋署にいた時代に久江を一人前の刑事として育ててくれた人物でもあり、短期間とはいえ心を許したことのある人であって、所轄にいる久江のもとに頻繁に表れます。

それは偶然の出会いであることが多いのですが、今でも何かと気になる存在としてあるようです。

それともう一人、本書「バスストップ」で登場してくる、まだ三十代前半の交番勤務の巡査長峰岸がいます。

この峰岸は次の「誰かのために」の話では念願かなって新人刑事となり、刑組課強行犯係に配属されてその後も久江の相棒となって行動することが多いのです。

なにより、久江に好意を持ってくれているらしい点が気に入っていますし、次巻の『ドンナビアンカ』でも久江の相方として重要な働きを示すのです。

 

本『魚住久江シリーズ』は事件の背景にある人間ドラマをじっくりと描いてある印象が強い作品です。

直感的に事件、それも陰惨な殺人事件そのもののにかかわっていくことを好む姫川と立ち位置がかなり異なります。

 

特に先に述べた「バスストップ」は、男社会での力こそ正義と言い立てる輩を中心にして、今の世の中の性的少数者に対する差別を浮き彫りにした作品です。

その指摘の仕方がうまいと思うと同時に、物語の処理の仕方の小気味よさに快哉です。

また、つぎの「誰かのために」は姫川が好むドラマチックな事件とは言えない社会に対する不満を抱えた青年の物語です。

「ここでも俺は、必要とされなかった」という青年に対し久江は、「働くことは誰かの役に立棟とすることなんだと思う。」と語りかけます。

他の作品も、普通に暮らす一般人の欲望や男女の愛憎に基づく普通の犯罪行為に隠された犯人の心の奥底に隠された真意を暴き出すのです。

 

繰り返し述べるように本シリーズは事件の捜査、謎解きを描くというよりも、その陰の人間ドラマを描き出しています。

この点で好みが分かれると思われます。ストーリーの華々しい展開や、物語のインパクトの強さを求める人たちにはあまり向かないかもしれません。

しかし、誉田哲也の作品自体を好む人たちにとってはやはり面白い作品でしょう。

誉田哲也作品のテンポの良さ、捜査員たちを含めた状況、会話のリアルさは全く変わるものではないのです。

個人的にはやはり面白い作品だと思う由縁です。

魚住久江シリーズ

魚住久江シリーズ』について

 

魚住久江シリーズ(2021年06月29日現在)

  1. ドルチェ
  1. ドンナ ビアンカ

 

『魚住久江シリーズ』は練馬署の組対課強行犯係に勤務する女性刑事を主人公とする警察小説シリーズです。

登場人物としてはまずは主人公、四十二歳になる巡査部長の魚住久江がいます。

他に警視庁練馬警察署刑事組織犯罪対策課強行犯係のメンバーとして、係長の宮田警部補、ベテランの里谷巡査部長、最近盗犯係から移ってきた原口巡査長、そして『ドルチェ』の中ほどから強行犯係に加わった峰岸巡査がいます。

また、重要な登場人物として、警視庁刑事部捜査第一課の金本健一、四十四歳がいます。多分今も巡査部長でしょう。

 

誉田哲也の描く女性刑事といえばベストセラーである『姫川玲子シリーズ』の姫川玲子があげられます。

本書の特徴といえば、この姫川玲子と本書の主人公の魚住久江との差を考えることが早いと思われます。

姫川玲子は、殺人事件の捜査そのものにのめり込み、直感で犯罪の筋を読んで犯人逮捕のきっかけにたどり着きます。

それは、姫川玲子が犯罪者と同様な思考方法をとっていることから来ているのであり、『姫川玲子シリーズ』の主要登場人物の一人であるでガンテツに言わせると、非常に危険な方法なのだそうです。

しかし、姫川は自分が過去に抱えた「闇」のためかその操作方法をやめようとはしません。

 

 

一方、本シリーズの魚住久江は昇進をきっかけに警視庁捜査一課から異動してから、度重なる捜査一課への誘いにも首を縦に振らないでいます。

それは、捜査一課が殺人事件捜査の専門部署だというところにありました。所轄の強行犯係ならば、少なくとも誰かが死ぬ前に事件にかかわることができるのです。

いつの頃からか久江は「誰かが生きていてくれることに、喜びを感じるようになっ」ていたのです。

 

こうした主人公の性格の差は当然物語の内容にも差が出てきます。

『姫川玲子シリーズ』では殺人事件の現場、犯人の心象も含めた背景など、かなりリアルに、結果的にグロテスクにもなっています。

それに対する姫川の捜査にしても、直感に基づくある程度強引な捜査手法も当然のようにとっていきます。

それに対し、『魚住久江シリーズ』の場合、犯行態様自体が比較的おとなしく、その裏にある人間ドラマに重きが置かれています。

人間ドラマを描くという点では『姫川玲子シリーズ』も同じといえば同じなのですが、生活に根差したところにある犯行という点でも本シリーズはより生活密着型だと思います

 

『魚住久江シリーズ』で特筆すべきことは、今まで比較してきた『姫川玲子シリーズ』の『オムニバス』の最終話において、姫川班に新しく配属されてくるのが魚住久江という女性だということです。

 

 

いわば『魚住久江シリーズ』と『姫川玲子シリーズ』とが合体するわけで、両シリーズの面白さがより高みを目指すことになるのでしょう。

大いに期待して待ちたいと思います。

 

ちなみに、この『魚住久江シリーズ』は2012年から2013年まで主人公の魚住久江を松下由樹が演じてテレビドラマ化されています。

DVD化はされていないようです。探したのですが見つかりませんでした。

オムニバス

本書『オムニバス』は、『姫川玲子シリーズ』の第十弾となる、新刊書で344頁の短編小説集です。

姫川玲子と現在の姫川班の面々との視点が入れ代わり、姫川玲子という女性の人間像を浮かび上がらせている作品です。

 

オムニバス』の簡単なあらすじ

 

警視庁刑事部捜査一課殺人班捜査第十一係姫川班の刑事たち、総登場! 捜査は続く。人の悪意はなくらない。激務の中、事件に挑む玲子の集中力と行動が、被疑者を特定し、読む者の感動を呼ぶ。刑事たちの個性豊かな横顔も楽しい、超人気シリーズ最第10弾!(「BOOK」データベースより)

 

それが嫌なら無人島
女子学生の長井祐子が殺されたが、犯人と目された大村敏彦は別件で本所警察署に留置されていた。その件では不起訴となって捜査本部が設置されている葛飾署に送致されてきたが、ガンテツが本所署での大村の件には触るなと言ってきたのが気になることだった。

六法全書
隣人の西松明子が唐沢由紀夫の縊死死体を発見との通報があり、同人宅の床下から女性の腐乱死体が発見された。姫川班の中松信哉は五日市署の今西エリカ巡査長と組んで地取りを担当する。しかし、姫川主任は、この腐乱死体は唐沢由紀夫の母親ではないかと言い出すのだった。

正しいストーカー殺人
丸川伊織という女性が、付きまとっていた浅野竣治というの男を誤って突き落とし殺してしまった事件が、捜査本部が設置されて三日で解決した。しかし、被害者の浅野は岐阜県関町に居住していて、なぜわざわざ東京の丸川にストーカー行為をしたのかなど、何もわかっていなかった。

赤い靴
姫川班の日野利美は、B在庁で家にいるところを姫川に呼び出された。滝野川署での取調べを頼まれたらしい。ケイコと名乗る女性が同棲していた莨谷俊幸を刺し殺したと言ってきたという。しかし死体は窒息死に見えるし、ケイコはその名を名乗った以外何も答えようとはしないのだった。

青い腕
自称ケイコの事件は一応の解決は見たものの、ケイコの本名など身元に関することは何もわかってはいなかった。要するに、事件はまだ終わっていないのだ。姫川と日野は、被害者の莨谷俊幸のパソコンの中に保存されていた小説を分担して読み始めるのだった。

根腐れ
たまたま姫川と姫川班の小幡の二人だけが部屋にいたとき、今泉と現在は麻布署の組織犯罪対策課暴力犯捜査係にいる下井正文警部補とがやってきた。覚醒剤を所持していると自首してきて逮捕され、現在東京湾岸警察署におかれている小谷真莉子の取り調べを頼むと言ってきたのだ。

それって読唇術
姫川玲子は、東京地検公判部の武見諒太検事ととあるバーで会い、とりとめもない会話を交わしていた。

 

オムニバス』の感想

 

本書『オムニバス』は、『姫川玲子シリーズ』の待ちに待った新刊だったのですが、だからなのか印象が期待したものとは微妙に異なる作品でした。

もちろん、面白い作品であることに間違いはありません。このシリーズ独特の魅力、姫川玲子やそのほかの登場人物達のそれぞれの独特の個性は健在です。

本書の構成としては、再び一緒になった菊田和男以外の、現在の新たな姫川班のメンバー中松信哉日野利美小幡浩一の三人の視点で語られる短編と、姫川の視点での四編と、合わせて七編の短編からなっています。

つまり、新たな三人と姫川玲子とを交代に視点の主として設定し、彼らに姫川玲子という人間を再認識させることで姫川という人物像をより明確にしているのです。

 

ただ、本書の前に出版されていた短編小説集の『インデックス』は、シリーズの隙間を埋めながら、姫川玲子という人物を立体的に浮かび上がらせる役割を果たしていた作品でした。

 

 

しかし、本書『オムニバス』は各短編がシリーズの中に有機的に組み込まれているというよりも、シリーズ本体とは独立した物語として捉えられます。

本書では、各話で語られる事件そのものにはこのシリーズらしい新しい仕掛けや驚きなどはなく、この本のために単純な事件を設けたという印象に終わっています。

つまり、ガンテツから危ういと注意されたり、日下から傷つく人間が出そうで危険だと心配される、いわば勘に頼る捜査方法により事件を解決する姫川の姿を描き出してはいるものの、事件自体の意外性などの娯楽性は今回はないのです。

でも、中松信哉が死体の“鮮度”と表現する姫川という人間特有の死生観を見たり、日野利美が姫川のプライドの高さや印象や直観を重視する傾向を見たりする場面は面白く読みました。

 

また、最初の「それが嫌なら無人島」という話は、このシリーズ前巻の『ノーマンズランド』で姫川が担当していた事件の解決編でした。

読んでいる途中ではガンテツが妙に意味深な言葉を発したわりにはその言葉について何の手当もないので不思議に思っていたのですが、読後に本書について調べていた時にそのことが分かり、納得しました。

この『ノーマンズランド』では話が大きく広がったのですが、この物語で問題になった件については一応の決着はついたものの、本来の姫川が抱えていた事件は未解決だったのです。

この点については他の話とは異なる色を持っていたことになりますが、短編小説としては他の話と並列です。

 

 

もう一点、本書の最後の「それって読唇術」という話は、前作の『ノーマンズランド』で登場してきた武見諒太検事との話で二人の関係を占うような話になってはいるものの、それよりも気になる情報が開かれていました。

それが、姫川班に新しい人物が配属されるという話です。

その人物が、誉田哲也の他の作品に登場する人物だというのですから、どのような活躍を見せてくれるものか、非常に楽しみです。

 

また、『ノーマンズランド』で広がった話はさらに続く筈です。

警察小説の範囲内での新しい描写を見せてくれるのか、それとも単なる警察小説を越えた展開になるのか、楽しみに待ちたいと思います。

ブルーマーダー

本書『ブルーマーダー』は、『姫川玲子シリーズ』の第六弾となる、文庫本で470頁余りの長さの長編の警察小説です。

「ブルーマーダー」とは連続殺人鬼のことであり、本書は彼の生き方を中心としたサスペンス小説として仕上がっていますが、あい変わらずにテンポのいい物語です。

 

池袋の繁華街。雑居ビルの空き室で、全身二十カ所近くを骨折した暴力団組長の死体が見つかった。さらに半グレ集団のOBと不良中国人が同じ手口で殺害される。池袋署の形事・姫川玲子は、裏社会を恐怖で支配する怪物の存在に気づく―。圧倒的な戦闘力で夜の街を震撼させる連続殺人鬼の正体とその目的とは?超弩級のスリルと興奮!大ヒットシリーズ第六弾。(「BOOK」データベースより)

 

本書もまた誉田哲也作品の一つの特徴である複数の視点からなる物語です。

物語の中心にいるのが「ブルーマーダー」であり、彼が何故に凄惨としか言いようのない殺し方で暴力団組長や半グレ、不良中国人などを殺しているのかが語られていきます。

とはいえ、その点を謎としたミステリーとしてではなく、「ブルーマーダー」と、彼を追う姫川たち警察官の追跡が、視点を変えながらサスペンスフルに描かれていきます。

 

視点の一つは現在は中野署刑事組織犯罪対策課・暴力犯捜査係担当係長にいる下井正文警部補の視点であり、元警察官である木野一政とのつながりなどが語られています。

次いで、二代目庭田組組長の河村丈治の殺害事件を担当する姫川玲子ら捜査本部の面々の様子があり、三番目の視点として岩渕時生という逃走犯を追う菊田和男の姿、最後にマサと呼ばれる男とマサの道具を作り手伝うおっさんの姿があります。

これらの四つの視点が交互に語られながら物語は進みます。

 

本書は、シリーズとして見ると、第四作目の『インビジブルレイン』でバラバラになった姫川班のその後の姿が描かれていることになります。

姫川玲子は池袋署刑事課強行犯捜査係担当係長になっており、菊田和男は千住署刑事組織犯罪対策課組織犯罪係に配属されているのです。

また、本書の視点の一つにもなっている下井正文警部補は、『インビジブルレイン』で姫川の相棒として登場しています。

その他の大きな変化としては菊田が結婚していることが挙げられます。奥さんの名前は「梓」といい、新婚の二人の様子も少しではありますが描いてあります。

ちなみに、この菊田梓は誉田哲也の『もう聞こえない』という本『姫川玲子シリーズ』外の作品で竹脇警部補の相棒として重要な役目を果たす存在として登場しています。

そこでは本シリーズの菊田和男の妻と明言はしてありませんが、多分そうだろうと思えるのです。

 

 

ついでに言うと、前巻のシリーズ第五巻『感染遊戯 』は本シリーズのスピンオフ作品であり、シリーズ内での時系列上の位置は不明ですが、第三話の「沈黙怨嗟 / サイレントマーダー」において、『インビジブルレイン 』での姫川班解体後の葉山則之が登場しています。

 

話を元に戻すと、本書ではブルーマーダーという殺人鬼が社会の闇に住む暴力団組長や半グレ集団のメンバーなどを残虐な方法で殺していきます。

ブルーマーダーとは何者なのか、という疑問と共に、彼は何故殺すのか、それも何故普通ではない殺し方をするのか、更には死体を処分することもあれば、放置し発見されるままにしていることもあるのは何故か。

そんないくつかの疑問が浮かんでくるのですが、先にも述べたようにその謎解きそのものは本書の主軸とは思えません。

本書で描かれているのは次にどのような展開になるのか、というサスペンス感満載の物語だと言えるでしょう。

このことは本書に限りません。つまりは、誉田哲也という作家の作品はストーリーが面白いのです。

もちろん仕掛けられた謎解きそのものにも大きな関心はありますが、ストーリーが第一義であって、謎自体はストーリー展開の要素にすぎないと思えるのです。

本書でもブルーマーダーという人物の派手な行為に隠された彼の、怒りや憎しみ、恨みなどの思いそのものが物語の中心にあって、そんな彼の思いを探る物語として成立していると言えるのです。

 

インビジブルレイン』でバラバラになった元姫川班ですが、姫川玲子自身は、本書『ブルーマーダー』続巻のシリーズ第七弾『インデックス』第四話「インデックス」で、池袋署刑事課強行犯捜査係との併任ではありますが、本部の刑事部捜査一課への異動の内示を受けることになります。

そこでは、本書の「ブルーマーダー」事件の事後処理をすることになります。ただ、本書でも冒頭と最後に登場するあの井岡博満も同じく併任配置となるのですが。

まだまだ目が離せないこの『姫川玲子シリーズ』です。続刊の刊行を心待ちにしたいと思います。