希望の糸

希望の糸』とは

 

本書『希望の糸』は『加賀恭一郎シリーズ』の第十一弾で、2019年7月に刊行されて2022年7月に400頁で文庫化された、長編の推理小説です。

一旦終了したものと思っていた本シリーズですが、意外な形での再登場となった本書はさすがの面白さを持った作品でした。

 

希望の糸』の簡単なあらすじ

 

小さな喫茶店を営む女性が殺された。加賀と松宮が捜査しても被害者に関する手がかりは善人というだけ。彼女の不可解な行動を調べると、ある少女の存在が浮上する。一方、金沢で一人の男性が息を引き取ろうとしていた。彼の遺言書には意外な人物の名前があった。彼女や彼が追い求めた希望とは何だったのか。(「BOOK」データベースより)

 

希望の糸』の感想

 

本書『希望の糸』は、引き起こされた殺人事件の動機に焦点があてられた、悲しく、せつなさにあふれた物語です。

本書ではシリーズのこれまでの主人公である加賀恭一郎ではなく、恭一郎の従妹である松宮脩平が物語の中心となっています。

加賀恭一郎は、松宮が属する本部のまとめ役として登場し、要となる場面で重要な役割を果たすのです。

 

登場人物としては、まずは殺人事件の被害者である花塚弥生という五十一歳の女性がいます。「弥生茶屋」というカフェの経営者であり、誰に聞いても「いい人」という評判しか聞こえてこない、殺されるべき理由も見当たらない人物です。

この花塚弥生の関係者として弥生の元夫の綿貫哲彦がおり、現在の彼の内縁の妻として中屋多由子という女性がいます。

次いで、殺された花塚弥生の店をよく訪ねていて本事件の重要容疑者となったのが汐見行伸であり、その家族が娘の萌奈で、妻の怜子は早くに亡くなったため信之が萌奈を男で一つで育てているのです。

そしてもう一組、物語に重要な役割を果たす家族がいますが、それが金沢の高級旅館の女将である芳原亜矢子と死を目前にした亜矢子の父親の芳原真次であり、そこに関係してくるのが松宮脩平です。

芳原亜矢子が自分の父の芳原真次が松宮脩平の父親だと突然に松宮の前に表れ、読者に「家族」というものあらためて考えさせることになるのです。

 

本書『希望の糸』は犯人探しとその意外性というミステリーの王道の面ももちろんあり、それはそれで物語として面白く読んだ作品です。

ただ、本書の主眼はその犯人探しではなく、犯行の動機にあります。本書での殺人事件の犯人が判明してからが本書の主要なテーマが明らかになっていくのです。

もちろん、そこの詳細をここに書くわけにはいきませんが、心を打つ、悲しみに満ちた物語が展開されていきます。

「家族」というもののあり方、さらには親子の関係など、読んでいくうちに自然と問いかけられ、自分なりに考え、答えを探していることに気付きます。

すぐに明確な答えが出る筈のものではありませんが、それでも「家族」について考えるそのきっかけにはなるのではないでしょうか。

 

東野圭吾の作品だけでなく、ミステリーの形式を借りて語られる胸を打つ物語は少なからず存在します。

そのほとんどは犯行の動機に斟酌すべき側面があるというものであり、そのほとんどは利他的な側面を持つ行動の結果、犯罪行為に至るというものでしょう。

例えば近年の作家ですぐに思い出す作品といえば、柚月裕子の『佐方貞人シリーズ』などがあります。

 

 

また、利他的行為という意味とは少し異なりますが、近年私が注目している青山文平砂原浩太朗という時代小説の作家さんも、ミステリーの手法を借りた胸を打つ作品を書かれています。

例えば前者では『やっと訪れた春に 』を、後者では『黛家の兄弟』などをその例として挙げることができると思います。

共に、私欲ではなく侍としての生きざまを貫く生き方を描いた読みやすい、しかし読みごたえのある作品です。

 

 

繰り返しになりますが、本書『希望の糸』は、事件のきっかけのある言葉が物語の序盤から示されていて、最後の最後に犯罪の実際が明かされてはじめて伏線だったことが分かるなど、ミステリーとしての面白さも十分にある物語です。

その上で家族や親子、そして人間としての生き方も含め、読者に考えることを強いる物語だとも言えそうです。

東野圭吾らしく視覚的で分かり易い文章で加賀恭一郎や松宮脩平といった探偵役の刑事たちの姿を浮かび上がらせ、この犯罪で振り回される人たちの様子を描き出してあります。

 

本書『希望の糸』では、主人公が加賀恭一郎から松宮脩平へと移っているからでしょうか、『加賀恭一郎シリーズ』のスピンオフ作品だと紹介してあるサイトもあるようです。

しかし、加賀恭一郎も登場しそれなりの活躍も見せていますので、ここでは『加賀恭一郎シリーズ』の一冊として紹介しています。

 

やはり東野圭吾の作品は面白い、そう思わせられる作品でした。

マスカレード・ゲーム

マスカレード・ゲーム』とは

 

本書『マスカレード・ゲーム』は『マスカレード・シリーズ』の第四弾で、2022年4月に刊行された、369頁の長編の推理小説です。

刑罰について考えさせられる切なさに満ちた、しかし東野圭吾本来の面白さが戻ってきた印象があるとても面白い作品でした。

 

マスカレード・ゲーム』の簡単なあらすじ

 

解決の糸口すらつかめない3つの殺人事件。
共通点はその殺害方法と、被害者はみな過去に人を死なせた者であることだった。
捜査を進めると、その被害者たちを憎む過去の事件における遺族らが、ホテル・コルテシア東京に宿泊することが判明。
警部となった新田浩介は、複雑な思いを抱えながら再び潜入捜査を開始する――。
累計495万部突破シリーズ、総決算!(内容紹介(出版社より))

 

三件の殺人事件が起きた。ところが、その三件の事件は手口が似ており、殺された三人の被害者それぞれが加害者となり起こした過去の事件のために人が死んでいたのだ。

そのうえ過去の三件の事件の被害者家族が、クリスマスイブに揃ってコルテシア東京に宿泊するという事実が判明する。

そこで、警察はコルテシア東京で更なる事件が起きる可能性があるとして、ホテル内の各所に捜査官を配置し、当然、新田浩介はまたフロントに配置された。

ただ、捜査官の一人の女性警部の梓真尋は優秀ではあるが暴走しかねない危うさをもっており、ホテルマンとしての経験豊かな新田と何かと衝突する。

そこに、ロスアンゼルスのホテルへ転任していたはずの山岸尚美が登場するのだった。

 

マスカレード・ゲーム』の感想

 

本書『マスカレード・ゲーム』は、これまでと同じくホテル・コルテシア東京を舞台に、起きるかもしれない事件を未然に防ぐために新田たちが活躍する物語です。

冒頭で「東野圭吾本来の面白さが戻ってきた」と書いたのは、先に読んだ東野圭吾の『透明な螺旋』や『白鳥とコウモリ』といった作品が、同じ社会派のミステリーではあっても特別な面白さを感じなかったからです。

それが、本書では読み始めは不安があったものの、途中からは新しい梓捜査官の存在もあって、惹き込まれていきました。

 

本書の登場人物は多数に上ります。

物語の中心人物はこれまで通りに新田浩介ですが、今では警部に昇格し捜査一課の係長になっています。

警察側の人間としては、以前は先輩刑事として同じ班でこき使われた本宮警部、それに新しく加わった同じ係長の梓真尋警部がいて、梓の部下として昔から気心の知れている能勢警部補も定年間近の刑事として登場します。

ほかにかつての捜査一課係長だった稲垣が、管理官として登場しています。

ホテル側の人間としては、まずは山岸尚美をあげるべきでしょう。前巻の『マスカレード・ナイト』でロスアンゼルスのホテルへ栄転しましたが、今回の事件のために呼び戻されたものです。

また、ホテル・コルテシア東京の総支配人の藤木、フロントオフィス・マネージャーの久我は今では宿泊部長として登場しています。

 

それ以外では三件の殺人事件の関係者、その事件の被害者の過去の事件で死んだ被害者とその親族と、多数の人物が登場します。

そこで、殺人事件の被害者とその過去の事件の関係者とを名前だけ挙げておきます。

最初の被害者は入江悠斗と言い、17年前に神谷文和という少年に暴行を振るい、その後亡くなっています。この少年の母親が神谷良美という女性です。

次の被害者が高坂義広であり、20年ほど前に強盗殺人を犯し、森元俊恵を殺しています。その俊恵の息子が森元雅司です。

三番目が村山慎二で、元恋人の前島唯花は村山からリベンジポルノの被害に遭い、彼女は自殺しています。唯花の父親が前島隆明です。

その他に沢崎弓江、新田の大学時代の同期である三輪葉月などの関係者が登場しています。

 

このように多くの人物たちが今も過去に殺された身内のことを思いながら暮らしており、その人物たちがネットを通じて知り合って話し合い、過去の事件についての情報を交換し、互いにその理不尽さを慰め合っています。

そうした中で、過去の事件の加害者たちが次々と亡くなっていく事実があり、警察は彼ら過去の事件の関係者の関与を疑い、さらにはホテル・コルテシア東京を舞台にした展開へと連なっていきます。

 

本『マスカレードシリーズ』は、警視庁の敏腕刑事が不慣れなホテルマンに扮して、そのホテルを舞台にした事件を解決するという、二重の面白さが計算されています。

ひとつはそのままに推理小説としての謎解き、真相解明という面白さであり、もうひとつはホテルマンに扮した刑事の奮闘記という面白さです。

本書ではさらに、単なる謎解きの面白さに加え、新しい登場人物のホテル側との確執、また東野圭吾らしい社会派の物語として刑罰についての考察が加わっています。

最初の新しい登場人物とは梓真尋警部のことであり、シリーズ第一作目の『マスカレード・ホテル』での新田警部補とホテル・コルテシア東京のフロントクラーク山岸尚美とのやり取りに似た掛け合いを、今度は新田警部との間で交わしています。

この梓警部がいかなることをしでかし、ホテル側とどのようにけ決着をつけるのか、が一つの焦点になっています。

 

そして大切なのはもう一点の本書『マスカレード・ゲーム』のテーマである「罪とは」、「刑罰とは」という問題提起の方です。

本書でホテル・コルテシア東京を舞台に繰り広げられる人間模様は過去にその源があり、身内を理不尽に殺されたにもかかわらず、殺した側の人間は今も生きて日々を暮らしているという現実を見せつけられている被害者の家族の視点が取り上げられています。

東野圭吾作品にはSF小説やユーモア小説、そして警察小説などいろいろなジャンルの作品があります。

中でも本書のような警察小説でも社会派と呼ばれる作品では、世の中の理不尽な出来事に翻弄される人が、苦悩の末に犯さざるを得ない犯罪行為を取り上げ、その犯罪行為に至る背景の意味を読者に問いかけています。

自分の愛する人が殺され、しかしその殺した相手は応分の刑罰を受けているとは思えず幸せそうに暮らしている現実にさらに苦しめられる日々。そうした状況をどう思うかと問いかけてきます。

本書の登場人物の一人が、「刑罰には反省が伴わなくてはならない」という場面があります。この言葉が本書の性格を示しているように思えます。

東野圭吾はそうした現実をエンターテイメント小説として練り上げ、ミステリーとして私たちの前に提示してくれているのです。

 

本書『マスカレード・ゲーム』では、さらに梓真尋という刑事が新しく加わっています。捜査のためには手段を選ばない人物であり、新田や山岸と対立する立場にいます。

この梓捜査官がなかなかに曲者で、読者にとっては感情移入しやすい存在であり、自分こそ正義という思いがあるようで、もしそうであれば近年騒がれているコロナ禍での正義の押し売りに似た構造にも思えてきました。

個人的には捜査第一主義ともいえるこの梓という捜査官と新田、山岸組との対決こそ期待したいと思います。

 

東野圭吾の作品では、特に社会派の作品では、人物の微妙な心のゆらぎを具体的に示してくれることで、その人物に共感しやすく、また当事者の行動の背景をも明確に示してくれることでさらに感情移入しやすくなっています。

ところが、本書の場合は当事者の内心の描写というよりは、登場人物たちの思いもかけない行動の結果の方に関心がいくように思えます。

つまりは、多くの登場人物の行動を操ることでサスペンス感を増しているように感じます。

そうした点でも本書はシリーズの中でも特異な位置にあるようにも思える、心惹かれる作品だったと言えると思いました。

マスカレードシリーズ

マスカレードシリーズ』とは

 

『マスカレードシリーズ』は、高級ホテルの「ホテル・コルテシア東京」で起きる事件の捜査のためにホテルマンとして潜入した刑事が、教育掛である優秀なホテルマンの女性と共に事件を解決していく推理小説です。

推理小説としての面白さに加え、ホテルという特殊な状況に放り込まれた刑事の振る舞いや、その教育掛である女性との掛け合いなどの面白さをも持った物語でした。

 

マスカレードシリーズ』の作品

 

マスカレードシリーズ(2022年10月31日現在)

  1. マスカレード・ホテル
  2. マスカレード・イブ
  1. マスカレード・ナイト
  2. マスカレード・ゲーム

 

マスカレードシリーズ』について

 

本シリーズの主人公は、警視庁捜査一課の刑事の新田浩介です。その新田は帰国子女であって英語を自在に話せるところから、管轄内で起きた殺人事件の捜査のためにホテル・コルテシア東京に潜入捜査することになります。

そのホテル・コルテシア東京にいたのが本シリーズのもう一人の主人公である山岸尚美です。彼女はホテル・コルテシア東京のフロントクラークであり、ホテルマンとした高い能力を有していました。

そこに新田が潜入捜査官としてホテル・コルテシア東京のフロントクラークとしてやってきたときに、山岸が新田の教育係を務めることになります。

本『マスカレードシリーズ』は、この二人を中心として、ホテル・コルテシア東京を舞台に繰り広げられる数々の事件を解決する姿を描き出すシリーズです。

 

マスカレードシリーズ』第一巻の『マスカレード・ホテル』は、「ホテル・コルテシア東京」を舞台に展開される長編のミステリー小説です。

都内で起きた三件の連続殺人事件の現場に残された暗号を解くと次の事件は「ホテル・コルテシア東京」で起きることが予測され、英語が堪能な新田がホテルのフロントクラークとして送り込まれたのです。

シリーズ第二巻の『マスカレード・イブ』は、四つの短編から構成される、前作『マスカレード・ホテル』の前日憚となる連作短編集です。

まだ新米フロントクラーク時代の山岸尚美が、知人から受けた相談事を解決する「それぞれの仮面」他の三篇が収納されています。

シリーズ第三巻の『マスカレード・ナイト』は、再び「ホテル・コルテシア東京」を舞台に展開される長編のミステリー小説です。

警視庁に、都内で起きた若い女性が殺された事件の犯人が「ホテル・コルテシア東京」のカウントダウン・パーティに現れるという密告状が届き、再び潜入することとなった新田が、今ではコンシェルジュとなっている山岸尚美と共に解決します。

シリーズ第四巻の『マスカレード・ゲーム』は、三たび「ホテル・コルテシア東京」を舞台に展開される長編のミステリー小説です。

過去に被害者が理不尽な殺され方をした三件の事件の加害者が立て続けに殺されます。過去の三件の事件の関係者が「ホテル・コルテシア東京」に同じ日に宿泊するという事実が判明します。

新田らは更なる事件の発生を防ぐために「ホテル・コルテシア東京」へと潜入することになります。

この第四巻の『マスカレード・ゲーム』では、新田は警部補から警部になり、山岸もコンシェルジェになっていて、転任先だったロスアンゼルスから急遽帰国して捜査の手助けをします。

 

このように本『マスカレードシリーズ』は、新田と山岸というコンビの、ホテルという特殊な環境での捜査の模様を描き出してあるシリーズです。

それは、お客様のプライバシーを最大限尊重しようとするホテル側すなわち山岸と、事件の解決を第一義に考える警察側すなわち新田との衝突の場面を一つの目玉としながらのミステリーです。

その関係も、第四弾になるとホテル側の立場も理解している新田と警察側の新しい登場人物の梓警部という新しい登場人物とのやり取り、へと変化するなど、ときの経過も反映しながらのシリーズとなっています。

第四弾の最後の場面での驚きの展開を見ると、今後さらに第五弾へと続くものかはわかりませんが、できれば続いてほしいものです。

 

ちなみに、『マスカレードホテル』と『マスカレードナイト』とそれぞれ原作として、木村拓哉、長澤まさみを主役に据えて映画化されています。

『マスカレードホテル』

 
『マスカレードナイト』

沈黙のパレード

沈黙のパレード』とは

 

本書『沈黙のパレード』は『ガリレオシリーズ』の第九弾で、2018年10月に刊行され、2021年9月に496頁のペーパーバック(文庫)判が出版された長編の推理小説です。

近頃読んだ東野圭吾の作品の中では、ひと昔前の東野圭吾作品のように物語として一番しっくりとし、面白く感じた作品でした。

 

沈黙のパレード』の簡単なあらすじ

 

静岡のゴミ屋敷の焼け跡から、3年前に東京で失踪した若い女性の遺体が見つかった。逮捕されたのは、23年前の少女殺害事件で草薙が逮捕し、無罪となった男。だが今回も証拠不十分で釈放されてしまう。町のパレード当日、その男が殺されたー容疑者は、女性を愛した普通の人々。彼らの“沈黙”に、天才物理学者・湯川が挑む!(「BOOK」データベースより)

 

菊野商店街にある食堂「なみきや」を営む並木夫妻の娘佐織が、遠く離れた町の火災現場から遺体で発見された。

火災で焼失した家は、かつて殺人罪の容疑者として逮捕されたが完全黙秘を貫いて無罪となったことがある蓮沼寛一という男の実家だった。

今回も蓮沼は現場で見つかった作業着から佐織の血痕が検出されたために逮捕されるものの、再び完全黙秘により釈放されてしまう。

そして菊野市の名物の仮装パレードが行われたその日、蓮沼は死体となって発見される。

しかし蓮沼は殺害されたものと思われ、またその現場は密室と言っても良さそうな現場だったのだ。

今では係長となっている草薙俊平は部下の内海と共に事件の解決のために「なみきや」の常連客の一人となっている湯川を引っ張り出すのだった。

 

沈黙のパレード』の感想

 

本書『沈黙のパレード』は、人間の復讐心をきっかけに、平凡な人の心の奥に隠された本当の心情を白日の下に暴き出す東野圭吾らしいミステリーです。

皆から可愛がられ、愛されて育った娘が殺され、両親は勿論、恋人も、また幼いころから彼女の成長を見守ってきた店の常連さんも娘を殺した犯人に対し憎悪を抱くしかありませんでした。

その犯人と思われる蓮沼は、かつて幼子を殺した疑いで逮捕されたものの完全黙秘を通し、自らの罪を認めなかったために裁判を勝ち抜き、国家賠償の金をも手に入れた過去があったのです。

今回も同じように完全黙秘を貫く蓮沼を、両親たちはなんとか罪を認めさせようと策を練るのでした。

 

本書『沈黙のパレード』ではあらためて言うまでもなく、主人公の天才物理学者である湯川学と今では係長となっている草薙俊平、草薙の部下の内海薫が登場します。

今回の事件の被害者は並木祐太郎真知子夫婦の娘の並木沙織というデビューを目指していた女子学生です。

並木夫妻の営む食堂「なみきや」の関連の登場人物としては、佐織の妹の夏美、佐織の恋人だった高垣智也、歌手を目指していた沙織の歌唱を指導していた新倉直紀留美夫妻、並木祐太郎の親友の戸島修作、パレードの実行委員長の宮沢摩耶らがいます。

それに被害者が蓮沼寛一で、この蓮沼の元の同僚で現在のねぐらを貸していた増村栄治。それに、二十数年前に蓮沼に殺されたであろう被害者が当時十二歳の本橋優奈です。

 

本書『沈黙のパレード』の見どころとしては、まず、佐織の両親やその仲間たちの復讐心に基づく犯行のトリック、さらには湯川による伏線の回収、どんでん返しの妙があります。

この密室に関してのトリックについては、さすがに理系の作者だと感心するばかりです。

また、それに伴う運搬の仕掛けなどについては、若干分かりにくいこともあってあまり言うことはないと言うしかありません。

ただ、この運搬の点に関しては物語の流れに組み込まれているところや、人間関係のありかたに絡んでくるところもあって、さすがなものとは思います。

 

また、本書『沈黙のパレード』のもう一つのテーマである現代の「裁判」という制度に対する問いかけの点は、黙秘権という権利のありように関するものです。

しかし、この点に関しては本書の主張(?)に同調するものではありませんでした。

黙秘権という権利は犯罪者を擁護するようでありながら、人間の内心を守るという点で日本国民全般に通用する権利だと思うからです。

本書での、黙秘権を行使されたために犯人に罪を課すことができなかった、という事実は、それは黙秘権が行使されたためではなく、警察ないしは検察が被疑者の犯罪行為を立証するだけの証拠を提示することができなかった、ということにほかなりません。

ただ、本書の物語を成立のためには証拠不十分という点を取り上げることはしなくてもいいかとは思います。

 

もちろん、上記に述べたことも本書の面白さを削ぐものではありません。

ガリレオシリーズらしい湯川の謎解きもいつもどおり感動的ですらあり、終盤のどんでん返しはまさに東野圭吾で、そのどんでん返しにも人間ドラマが展開されているのであって、読み応えのある作品でした。

 

ちなみに、本書『沈黙のパレード』はいつもの通り福山雅治が湯川を演じ、北村一輝が草薙俊平を、柴咲コウが内海薫を演じて映画化され、2022年9月16日に公開されるそうです。

 

透明な螺旋

透明な螺旋』とは

 

本書『透明な螺旋』は『ガリレオシリーズ』10作目となる、新刊書で301頁の長編の推理小説です。

レビューを見ると評価は高いようですが、個人的には東野圭吾の作品としては普通としか思えない作品でした。

 

透明な螺旋』の簡単なあらすじ

 

シリーズ第10弾。今、明かされる「ガリレオの真実」。殺人事件の関係者として、ガリレオの名が浮上。草薙は両親のもとに滞在する湯川学を訪ねる。シリーズ最大の秘密が明かされる衝撃作。(「BOOK」データベースより)

 

南房総沖で背中に射創のある漂流している遺体が見つかった。照会の結果、東京都足立区に住んでいて、行方不明者届が出ている上辻涼太という人物の疑いが強くなった。

ところが、行方不明者届を出した同居人の島内園香という女性が届出の三日後には休職願を出して仕事を休んでおり、連絡が取れない状態にあるというのだった。

この事件は警視庁捜査一課の草薙俊平の係が担当することとなり、千葉県警との合同捜査本部が設けられることとなった。

同居人である島内園香の身辺を調べていくと、園香の母親が親しくしていたらしい松永奈江という絵本作家の名前が浮かんできた。

ところが、松永奈江が書いた絵本の参考文献の中に湯川学の名前が出てきたのだった。

 

透明な螺旋』の感想

 

本書『透明な螺旋』は、二組の女性の人間ドラマを描いたミステリーです。

最初はかつて子を産んだものの夫が急死し、自分で育てることができなくなりその子を児童養護施設の前に置き去りにせざるを得なかった母の話です。

もう一人は島内園香という女性であり、母親の千鶴子をクモ膜下出血で亡くして一人になってしまいます。

そこで園香は、千鶴子が親しくさせてもらっていたナエさんという女性に助けてもらうのです。

 

この物語の中心になるのはこの園香という女性です。

花屋で働いていた園香に眼をつけたのが客として来たことのある上辻涼太であり、母を亡くした園香は上辻とともに暮し始めます。

ところがこの上辻涼太はたちの悪い男で、園香に手をあげ、ホステスとして働かせようとまでするのです。

こうした経緯の末に起きた殺人事件であり、湯川の名前も関係者として挙がり、事件の解決に半分当事者としてかかわることになります。

 

主要な登場人物としては、上記の赤ちゃんを捨てた女性とこの物語の中心となる島内園香とその母親の千鶴子、そして殺された上辻涼太、それにナエという女性です。

探偵役としては湯川以外はこれまたシリーズの馴染みの視庁捜査一課の草薙俊平、草薙の部下の内海薫などがいます。

 

そして、本書『透明な螺旋』の最大の売りは惹句にある「ガリレオシリーズ最大の秘密が明かされる。」という点にあるようです。

でもそれはシリーズを読み続けている人を対象にしか当てはまらない言葉であり、シリーズ冒頭の数冊しか読んでいない私にとってはどちらかというと意味不明の言葉でした。

湯川の私的な日常の一端が明かされていることが珍しいということもあるようですが、その点もよく分かっていませんでした。

やはり、シリーズ物は順番に読み続けていないと物語のニュアンスも上手く読み取れないと思われます。

結局、シリーズを読み込んでいない私にとってはそれほどインパクトのある「秘密」ではなかったのです。

 

本書『透明な螺旋』の終盤までは東野圭吾らしい物語ではあるもののわりと先が読めやすく、その思いのとおりに進行していきます。

ここで「東野圭吾らしい話」というのは、前著『白鳥とコウモリ』もそうであったように、利他的行為という人間の情に起因する物語のことです。

もちろん、そこにはストーリーや文章力と言った要素も絡んでのことではあるのですが、人間の情を根底に置いたうえで論理を展開させる読ませ方のうまさを意味します。

そうした東野圭吾らしい面白さを持った作品という意味で普通だということです。

 

 

しかし、クライマックスに至り、ちょっとした驚きが仕掛けてありました。

こうした裏切りが用意されているからこそ東野圭吾の物語は面白く、辞められない、と言いたくなるのです。

ただ、それまでの展開が東野圭吾にしては普通であったために、冒頭で述べた「普通」という表現になってしまいました。

もう少し、クライマックスに至るまでにインパクトの強い展開を欲していたと言ってもいいかもしれません。

ただ、いちファンとしての過剰な要求と言われれば反論はできず、そういう点では本書『透明な螺旋』は面白い作品だったというべきかもしれません。

白鳥とコウモリ

本書『白鳥とコウモリ』は、東野圭吾の新たなる最高傑作と銘打たれた、新刊書で522頁というかなりの長さを持つ長編の推理小説です。

自分が犯人だと告白する人物の心の内を解明する心打たれる物語ですが、個人的には東野圭吾の普通に面白い作品以上のものではありませんでした。

 

白鳥とコウモリ』の簡単なあらすじ

 

遺体で発見された善良な弁護士。
一人の男が殺害を自供し事件は解決――のはずだった。
「すべて、私がやりました。すべての事件の犯人は私です」
2017年東京、1984年愛知を繋ぐ、ある男の”告白”、その絶望――そして希望。
「罪と罰の問題はとても難しくて、簡単に答えを出せるものじゃない」
私たちは未知なる迷宮に引き込まれる――。

作家生活35周年記念作品
『白夜行』『手紙』……新たなる最高傑作、
東野圭吾版『罪と罰』。(「書籍紹介」より

 

東京の竹芝桟橋近で男性が殺されているのが見つかった。被害者は、正義感が強く誰もが良い人だと言う白石健介という弁護士だった。

捜査が進む中、白石弁護士の事務所に電話をかけてきたことがある愛知県安城市の倉木達郎という男が捜査線上に浮かんできた。

被害者の足取りを追うと門前仲町の「あすなろ」という店に通っていたらしい。

その店の経営者である母娘は、1984年に愛知県で起きた「東岡崎駅前金融業者殺人事件」の容疑者として逮捕され、留置場で自殺していた男の家族であるという。

また白石弁護士と倉木達郎とが東京で会っていた事実も判明し、倉木達郎に尋ねると、白石弁護士殺害と過去の金融業者殺害事件まで自分の犯行だと認めるのだった。

 

白鳥とコウモリ』の感想

 

本書『白鳥とコウモリ』は、過去に起こした別の殺人事件が暴かれそうになったために新たな殺人を犯したと自白した被疑者の言葉に関係者が納得せずに真相を解明するべく奔走するというものです。

この二件の殺人事件の関係者は、現在の殺人事件の関係者として、犯人だと自供をした倉木達郎、その息子の倉木和真がいます。

殺されたのが正義感の強い弁護士の白石健介であり、その妻が白石綾子、娘が白石美令です。

そして、捜査員として登場するのが警視庁捜査一課強行犯係の五代努と所轄の中町巡査です。

過去の殺人事件の関係者としては、被害者が灰谷昭造で、犯人として逮捕され警察署内で自殺をしたのが福間淳二です。

その福間の妻が浅羽洋子で娘が浅羽織恵であり、現在、ふたりは門前仲町で小料理店「あすなろ」を経営しています。

これら登場人物のうち倉木和真と白石冬美とが探偵役となっています。

 

著者の東野圭吾は、「今後の目標はこの作品をこえることです」と言われたそうです。

それほどに本作品に自信があるのでしょうが、先述のように個人的には本書『白鳥とコウモリ』は東野圭吾らしい推理小説と思うものの、それ以上の印象はありません。

しかし、読者の大半は本書に感動したというところを見ると、私の印象が少数派であることは間違いがないでしょう。

私も本書『白鳥とコウモリ』が面白い作品であることは否定していません。ただ、特出した面白さというほどのものは感じなかったというだけです。

 

その点だけ確認すれば、本書の面白さは間違いのないところです。

倉木達郎の息子の和真や、白石弁護士の娘の美令による倉木達郎の自白の矛盾点を突き崩していく作業は読みごたえがあります。

でも、倉木の過去の行為のために冤罪に問われ死んだ被害者の家族には真実を告げるべきであり、倉木が言わないのならば自分が伝えるという白石弁護士の言動はやはり不自然です。

いくら正義感の強い弁護士だからといって自分を信頼して話してくれた大切な秘密を、告白した本人の意思に反して相手方に伝えるなどという行為をするはずはありません。

白石弁護士の遺族が、白石弁護士はこうした言動はするはずはなく、倉木の自白は真実ではないと考え娘の美鈴が真実を探るために動き出すのはもっともだと思えます。

問題は警察官や検察官までもがこの自白をそのままに受け入れたという点です。確かに、捜査官、検察官が自白をそのままに受け入れる理由らしきものも書いてはありますが、やはり説得力があるとは思えません。

本書『白鳥とコウモリ』ではこの点が真実解明の出発点であるために、その後の構成について違和感が残ったままになりました。

 

それから細かな点を言うと、被害者参加制度の弁護士が依頼人の家に行くのに委任状を用意していなかったり、さらには和真と美令との関係も必要だったか、などあります。

しかし、こうしたことは難癖と言われるようなどうでもよさそうなものであり、取り上げるほどのものではありません。

 

本書『白鳥とコウモリ』の惹句を見ると「東野圭吾版『罪と罰』」という文言があります。

最初は本書を「罪と罰」とに重ね合わせるとは本書のどのような点について言うのか、よく分かりませんでした。

多分、殺された人間が生きるに値しない人間の屑だとして殺害行為を正当化しようとしていること、さらにはその後で示される自己犠牲的ヒューマニズムをも含めて言っていると、今ではそう思っています。

このことも本書には関係の無いことでした。

ただ、「罪と罰」という名作を惹句に使おうと思うほどに本書の掲げるテーマが深いものだと思われたと思います。

 

本書『白鳥とコウモリ』の大きなテーマである殺人行為とその動機の正当性という点では、社会派の推理小説では一つの大きな分野といってもいいほどに多くの作家さんたちが挑戦されています。

例えば、横山秀夫の作品である『半落ち』もその一つではないでしょうか。

自分の妻を殺したことは認めても、妻を殺害した後の自首までの二日間の行動については何も語らない警察官の物語でした。

その行為の裏に隠された真実はまさに感動の物語だといえ、寺尾聰の主演で映画化もされた作品です。

 

 

また、柚月裕子の『検事の本懐』の「本懐を知る」と『検事の死命』の「業をおろす」という二編の短編にもまた同様に弁護士であった父親が依頼者から預かっていた金を横領したとして黙秘を貫いて収監され、獄死したという物語です。

記者や父親同様に弁護士となった息子の佐方貞人が父親が黙秘を貫いた理由を明かす、これまた感動的な作品でした。

 

 

このように、いろいろな作家さんが挑戦しているテーマの一つだと思うのですが、さすがに東野圭吾の作品であり、本書で告白した倉木達郎やその息子の和真の人物造形は見事なものでした。

惹句で『罪と罰』という古典的な名作を引き合いに出しているのも分からないではない力作だったと思います。

ただ私にとっては、東野圭吾の推理小説という点では、例えば直木賞を取った『容疑者Xの献身』の方がより面白かったと思いますし、また『新参者』の方が事件の裏に隠された真実を暴いていくという点でも面白く感じたという次第です。

 

 

疾風ロンド

強力な生物兵器を雪山に埋めた。雪が解け、気温が上昇すれば散乱する仕組みだ。場所を知りたければ3億円を支払え―そう脅迫してきた犯人が事故死してしまった。上司から生物兵器の回収を命じられた研究員は、息子と共に、とあるスキー場に向かった。頼みの綱は目印のテディベア。だが予想外の出来事が、次々と彼等を襲う。ラスト1頁まで気が抜けない娯楽快作。(「BOOK」データベースより)

ベストセラー作家東野圭吾のユーモラスな側面を垣間見せる、雪山でのアクション場面が盛り込まれたミステリー小説です。

とある研究所から生物兵器を盗み出して三億円を要求した犯人は、そのまま交通事故で死んでしまいます。一方、上司から盗まれた生物兵器の探索を命じられた栗林和幸は息子の秀人を手伝いとして、生物兵器が埋められていると思われるスキー場に向かうのです。

生物兵器を盗み出した犯人が、すぐに交通事故に遭い死んでしまうという設定自体普通ではありませんが、更に盗み出した生物兵器をスキー場近くの林の中に隠す行為自体、シリアスなミステリーとは異なるオープニングです。

勿論、主人公たちがスキー場を舞台に縦横無尽に駆け回るということのために設けられた設定であり、その設定が十分生かされた娯楽エンターテインメントと言えると思います。

主人公の設定も、上司から探索を命じられた栗林和幸という人物は、何年もスキーをしたことの無い中年のサラリーマンであり、必然的にスキーのうまい人物として息子秀人が登場することになり、スキー場のある地元の女子中学生との淡い青春物語が展開させられます。




また、冒険小説的な側面担当としてこのスキー場のパトロール隊員である根津昇平という男と、その幼馴染の瀬利千晶都が配置されていて、サスペンス色を盛り上げています。

こうして、隠された生物兵器の探索というコミカルな宝探し的な一面と、生物兵器の発動を事前に防止するというサスペンス的な一面とが描かれることになります。

東野圭吾の重厚な人間ドラマを期待することなく、痛快冒険小説として単に娯楽を期待する人には十分な面白さを持った作品だと言えると思います。

共に私は未見ですが、2006年には阿部寛主演で、関ジャニの大倉忠義、大島優子も出演して映画化もされました。また、菊地昭夫によりコミック化もされているようです。

東野圭吾にはもう一点、スキー場を舞台にした推理小説があります。『白銀ジャック』がそれで、こちらは本作に比してよりシリアスな、それでいてアクションは十分なサスペンス小説と言えると思います。この作品には、本書同様に根津昇平と瀬利千晶というコンビが登場しますが、微妙にその設定が異なっています。

また、スキーをメインに描いた推理小説としては、私は未読ですが雫井脩介の『白銀を踏み荒らせ』という作品があります。ワールドカップを転戦する日本スキーチームのメンタルコーチである望月篠子を主人公にしたサスペンス小説で、単純にエンタメ小説と割り切って読めば面白そうな小説のようです。

夢幻花

花を愛でながら余生を送っていた老人・秋山周治が殺された。第一発見者の孫娘・梨乃は、祖父の庭から消えた黄色い花の鉢植えが気になり、ブログにアップするとともに、この花が縁で知り合った大学院生・蒼太と真相解明に乗り出す。一方、西荻窪署の刑事・早瀬も、別の思いを胸に事件を追っていた…。宿命を背負った者たちの人間ドラマが展開していく“東野ミステリの真骨頂”。第二十六回柴田錬三郎賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

この作品を読み終えてからネット上のレビューを見ると、この作品に対する私の印象とは異なる高評価のレビューが多いことに驚きました。もっとも、本作品は第二十六回柴田錬三郎賞を受賞している作品ですから、評価が高いのが当然なのでしょう。

この作品の鍵となるのは梶よう子の『一朝の夢』『夢の花、咲く』でもテーマになっていた「変化朝顔」です。「変化朝顔」とは人間が交配させて作り出された珍しい色や形の朝顔のことを言います。江戸時代はこのめずらしい朝顔の種が高値で取引されていたらしく、そこらを物語に絡めたのが梶よう子の作品でした。

本作でもこの「変化朝顔」を軸に物語が展開するのですが、私にはこの「変化朝顔」という道具がうまく機能しているとは思えななかったために、本作品は私の中ではあまり高い評価ではなかったのです。

数十年前にあった殺人事件。そして蒼太の初恋や、梨乃の従兄である尚人の自殺などの事件が起き、梨乃の祖父である秋山周治の殺害へと続きます。これら無関係の事柄が最終的には一つのことへと収斂していく手際はいつものことながらにうまいものだと思います。

でも、例えば『新参者』や、先日読んだ『ナミヤ雑貨店の奇蹟』には及ばない作品だと思うのです。東野作品の面白さは、その回収をも含めた、作品全体を通した二重、三重の仕掛けの巧みさにあると思うのですが、本書では「変化朝顔」を使った仕掛けが上手く機能しているとは感じませんでした。

しかし、そうはいっても事実他の評価の高いこと、また柴田錬三郎賞を受賞している事実もあることを考えると、私の個人的な感想にすぎないということになってしまいますね。

ところで、「変化朝顔」と言えばもうひと作品がありました。それは田牧大和の濱次お役者双六シリーズの中の『花合せ』という作品です。主役級の役者以外の女形を意味する「中二階女形」である梅村濱次が、師匠の有島仙雀らをも巻き込んだ変化朝顔を巡る騒動に巻き込まれるという物語で、かなり面白く読んだ作品です。

ナミヤ雑貨店の奇蹟

第7回中央公論文芸賞を受賞している、東野圭吾という作家の特色が出ている連作の短編小説、いや長編ファンタジー小説です。

東京から車で二時間ほどの場所に位置する町の一角にある雑貨店は、どんな悩みにも応えてくれることで有名だった。ある日、コソ泥を働いてきた若者らが、もうだれも住んでいないこの雑貨店に逃げ込んできた。ところが、そこに一通の封書が舞い込む。誰かが悩み相談の封書を投げ込んできたのだ。若者らは、この封書を無視することもできず、返事を書くことにした。

本書の構成は短編小説と言っていいのかもしれません。しかし、各短編はお互いに深くかかわりあっていて一遍の長編小説と言えると思います。つまり、「ナミヤ雑貨店」という普通の雑貨店を中心として様々な方が時代を越えて交錯し、互いに助け、助けられして影響を与えあっているのです。私たちの人生もそうで、今のあなたのその行為は他の人に深く影響を与えるかもしれないよ、人間としてのお互いの存在は互いに深くかかわりあっているのだよと言っているようです。

冒頭に“ファンタジー”と書いたのは、いわゆる犯人探しという意味での推理小説とは言えないからですが、物語の構成そのものはミステリアスです。物語の冒頭に、半分朽ちた「ナミヤ雑貨店」にいるコソ泥を働いて逃げてきた若者たちに手紙が届く場面がありますが、誰がこの手紙を届けたのか不明です。誰が、どのようにしてこの手紙を届けたのか、その謎は物語が進むにつれて明らかにされていき、次の物語に進むとまた新しい謎が出てきて、その謎は後に明らかになっていくのです。

東野圭吾の作品らしいといったのは、人間を描いたニューマンストーリーとしても一級の面白さでありながら、先に述べたようにSFチックなミステリー小説としても成立しているところです。

この作者のSF若しくはファンタジー系の作品とすれば13人の男女を残し町が廃墟となる『パラドックス13』や脳移植をテーマにした『変身』のようなSFチックな作品や、タイムスリップものである『トキオ』のようなファンタジックな作品もあってその多彩な能力には驚かされます。

東野圭吾という人の凄さは『加賀恭一郎シリーズ』や『ガリレオシリーズ』のような社会派のミステリーだけにとどまらず、『笑小説シリーズ』のようなコミカルな物語もこなし、加えた本書のようなファンタジックな物語をもこなすところです。職人的な面白さだと言っても良いかもしれません。その多くが映像化されているのも無理もない話です。