『華竜の宮』とは
本書『華竜の宮』は、文庫本で上下巻合わせて856頁にもなる、壮大なスケールをもった長編のSF小説です。
地球の大半が水没した世界を描く本書は第32回日本SF大賞を受賞した作品で、じつにSFらしい作品でした。
『華竜の宮』の簡単なあらすじ
ホットプルームによる海底隆起で多くの陸地が水没した25世紀。人類は未曾有の危機を辛くも乗り越えた。陸上民は僅かな土地と海上都市で高度な情報社会を維持し、海上民は“魚舟”と呼ばれる生物船を駆り生活する。青澄誠司は日本の外交官として様々な組織と共存のため交渉を重ねてきたが、この星が近い将来再度もたらす過酷な試練は、彼の理念とあらゆる生命の運命を根底から脅かす―。日本SF大賞受賞作、堂々文庫化。(上巻 : 「BOOK」データベースより)
青澄は、アジア海域での政府と海上民との対立を解消すべく、海上民の女性長・ツキソメと会談し、お互いの立場を理解しあう。だが政府官僚同士の諍いや各国家連合間の謀略が複雑に絡み合い、平和的な問題解決を困難にしていた。同じ頃“国際環境研究連合”は、この星の絶望的な環境激変の予兆を掴み、極秘計画を発案する―最新の地球惑星科学をベースに、この星と人類の運命を真正面から描く、2010年代日本SFの金字塔。(下巻 : 「BOOK」データベースより)
25世紀の未来、地球はホットブルームと呼ばれる地殻変動による海底の隆起で、海水面が260メートル近くも隆起し、陸地を失っていました。
代わりに新たな生活空間としての海を得た人類は、海での生活に適した身体を持つ海上民と呼ばれる民族が生みだされ、また彼らの海での生活空間として魚舟がつくられました。
海上民に対して、陸地に暮らす人々は陸上民と呼ばれ、それぞれに新しい環境にも適応しつつ、新たな繁栄の時代を迎えていたのです。
しかしながら、陸上民と海上民との間には越えがたい溝が生まれており、また陸上民、海上民それぞれの内部での対立も激化しつつありました。
そうした中、現在の状況を生みだした地殻変動を超える地球規模の大異変が起きるとの報告がもたらされます。
このような時代背景のもと、公海上にある海上都市の「外洋公館」に属する外交官の青澄・N・セイジと、彼のアシスタント頭脳であるマキを主人公として物語は展開します。
『華竜の宮』の感想
天変地異による陸地の減少と、それに伴う海を生活の場とする人々という設定自体は、例えば私らの世代では手塚治虫の『海のトリトン』という漫画や、それを原作とするアニメが有名ですし、近年ではケビン・コスナー主演の映画『ウォーターワールド』が思い出されます。
しかし、本書『華竜の宮』の場合はそれらの冒険譚とは異なり、SFらしい舞台設定のもと人類の行く末にまで想いを致す壮大な構成となっています。
そもそも、この作者には「異形コレクション」に応じて書かれた作品の一つとして『魚舟・獣舟』という短編があり、その物語の流れの中で本書が書かれたのだそうです。そして、本書の続編として『深紅の碑文』という作品があります。
本書『華竜の宮』はこれらの地殻変動により海面が上昇した世界を舞台にした『オーシャンクロニクル・シリーズ』の中の一冊として位置付けられる作品なのです。( 上田早夕里・公式サイト : 参照 )。
この物語の魅力の一つは、この海上面上昇という現象や魚舟という存在の科学的な理由付けを、ハードSFと呼んでもよさそうなまでに緻密に理由付けをしてあることにあると思われます。
もう一つの理由は、例えば人類改変の可否についての議論をも展開していることに見られるように、物事の見方が一面的ではないこともあります。それは登場人物の描き方にも表れており、人間の多様な側面をこれまた丁寧に描いてあります。
こうした描き方によって、作品の真実味が増し、物語の厚みが出て、読み手の心に訴えかけるものが格段に増すのでしょう。
更には、本書『華竜の宮』で構築されている社会構造や、獣舟などに代表される人類改変などのアイディアの素晴らしさがあります。
なかでも、「人工知性体」という存在が注目されます。単にロボットではなく、AIとしての存在があり、知性体の体は入れ物にすぎないのです。
したがって、知性体が仕える人物の脳内に埋め込まれたチップとの間であたかもテレパシーのように通信できると同時に、知性体を使う人間にとっては高機能コンピュータを常時抱えているにも等しい状態でいることができるのです。
こうした魅力的な舞台設定のもと、主人公らの活躍は冒険小説的でもあり、またデザスター小説としての側面もあり、多様な読み方が出来るのではないでしょうか。
本書『華竜の宮』のようなスケールをもったSF小説というと、やはり小松左京の『日本沈没』を挙げないわけにはいかないと思います。
本来は、日本がなくなった後の日本民族の行方、有りようを描きたかった、という意味のことを作者本人が語っていたものを読んだ記憶があります。
日本が沈没するメカニズムを、いかにも事実のように既知の学問の理論を尽くしで真実味をもたせ、更に主人公らの人間ドラマをもうまく重ねるその小説手法は、本書にも重なるところがあるように思うのです。