『武家女人記』とは
本書『武家女人記』は、2025年12月に集英社から256頁のハードカバーで刊行された短編小説集です。
武家社会の女性を描いた七話の物語からなる短編集で、どの物語もこの作者の文章の美しさを思い知らされる作品でした。
『武家女人記』の簡単なあらすじ
娘として、母として、妻として。そして、ひとりの女性として。江戸時代、さまざまな身の上を生きる武家の女人たちを、山本周五郎賞作家があざやかな筆致で描く傑作時代小説集。(「BOOK」データベースより)
『武家女人記』の感想
本書『武家女人記』は、砂原浩太朗という作家の文章の美しさを再認識させられた、七つの物語からなる短編集です。
武家社会で生きる様々な女性の姿を情感豊かに描き出しながら、武家社会という特殊な社会ではあっても、普遍的な印象が感じられる作品集です。
同時に読んでいた別の時代小説が若干好みとは異なる傾向の作品であっただけに特にそう思ったのかもしれませんが、この人の文章はなぜこんなに美しいのだろうと、あらためて思わされた作品でした。
例えば第一話「ぬばたま」で言うと、主人公の娘の心象が、自然をうまく取り込んだ情景描写とも相俟ってうまく表現されていて、同時に物語の運びもまた素直に流れ込んでくるのです。
その美しい文章に改めて感心させられたのだと思います。主人公の娘の心の揺らぎと同様に、ほとんど描かれることのない付き添いの若武者の心の動くまでもまた文章の背後に透けて見えるのです。
やはり好きだった青山文平を超え、今現在は私の中では一番の時代小説作家となっています。
第二話「背中合わせ」は、夫婦のありようを、というよりも、妻の心の揺らぎを端的に描き出した佳品というべきでしょうか。
なんとも頼りなげな夫のすがたではありますが、娘を見るその目の優しさや温かさが家族の日常を普通に描き出す中で明確に描写されていると感じるのは、この作者が好きな私のひいき目ということではないと思います。
第三話「嵐」は、武家の妻女の女としての側面を掘り起こした作品です。
この作品は武家社会を前提としていればこその物語ではなく、時の流れとは関係なく、またもしかしたら男女も関係のない、一人の人間としての過ちを描き出していると言えるのでしょう。
その話がこの作者のしっとりとした文章にのって描かれています。
第四話「緑雲の陰」は、子を為すことの出来なかった大名の奥方と国元の側室の子との話です。
外様大名の幕府への配慮と、小さいとはいえ大名の奥方という立場と、満千代という跡継ぎの母の国家老の娘のお袖という側室への配慮という、幾重にも制限された立場に置かれた倫(みち)でした。
私たちが享受している自由とはかけ離れた封建社会での暮らしの中で、自分の腹を痛めた子ではない跡継ぎとの微妙な関係を、細やかな筆致で描き出した佳品です。
第五話「深雪花」は、雪に魅せられた五百石取りの武家の、雪に魅せられた娘の物語です。
五百石の番頭である山岸家の一人娘の穂波は「雪」を見ることが好きでしたが、ある書物が雪の形が様々にあることを教えてくれてからは、自分で雪のかたちや成り立ちを突き止めてみたいと思うようになっていました。
しかし、自分は武家の娘であり、自分の望むような生き方ができるものでもありません。そこに、穂波の幼馴染の酒巻小四郎が色々と教えてくれるのでした。
第六話「縄綯い」は、貧乏足軽の沢井家の嫁に突然訪れた夫の事故死、その後の嫁の苦労の話です。
沢井家の嫁のたえは、残された息子と気難しい姑との生活を見なければなりません。そこで、姑が見つけてきた縄綯いの仕事をこなす様子を静謐な筆致で描き出す作品です。
単に貧乏というだけでなく、聞き分けのない子供と口だけ達者な姑との救いのない暮らしのなか、必死で生き抜こうとする女の姿がありますが、この手の話は好みではありませんでした。
第七話「あねおとうと」は、武家社会の中で必死に「家」を守ろうとする妹、そしてその兄の話です。
筆頭家老である息子と次席家老という立場にいる兄との間に立つことになった、筆頭家老の家に嫁した女の話です。
若干感傷にすぎるか、と感じるところもありましたが、お家が大事という武家社会の中で結局は「人」の思いこそ大事と見定めた主人公の思いは、現代社会に暮らす私たちだからこそ素直に受け取れるものなのでしょう。
対立する立場になった兄、妹の描き方も見事ですが、物語の展開もこの作品集の中では一番面白く感じた作品でもありました。
書評家の大矢博子氏は、本書のレビューの中で『特に武家の女性は、「こうあらねばならない」という極めて強い枠組み』の中で「悩み、動き、そして耐えるのである。」と書いておられます( Book Bang : 参照 )。
では現代社会の女性たちにそうした枠がないかと言えば、それはまた別の話になるのでしょう。
しかし、明確に存在したそうした「枠」の中で彼女らは生きたのであり、そういう姿をこの作者らしい文章で描き出した、私の琴線に触れる一冊でした。