本書『己丑の大火 照降町四季(二)』は、『照降町四季シリーズ』の第二弾で、文庫本で331頁という長さの長編の痛快人情時代小説です。
今回は、史実にある1829年(文政12)の江戸の大火を背景に浪人八頭司周五郎の活躍を描いた、これまでの佐伯泰英の作品とあまり異ならない作品でした。
『己丑の大火 照降町四季(二) 』の簡単なあらすじ
文政12年3月、神田佐久間町の材木置き場の奥で、消し忘れた小さな火がくすぶり始めていた――
ついに「己丑の大火」が江戸を襲う。
鼻緒挿げの女職人・佳乃と、その弟子の武家・周五郎は、すべてを焼き尽くそうとする火から、照降町を守るべく奮闘する。ご神木の梅の木が燃えようとしたその時、佳乃の決死の行動が、あきらめかけた町人たちを奮い立たせる!
江戸を焼失した大火事のめくるめく光景、町人の心意気が奇跡を呼ぶ、緊迫の第二巻。(出版書誌データベース「内容紹介」より)
『己丑の大火 照降町四季(二) 』の感想
本書『己丑の大火 照降町四季(二)』は、全編が己丑の大火を背景にした話です。
それは江戸の町の焼失という大事件であり、そのなかでの照降町の住人の働き、「鼻緒屋」の佳乃一家の様子、そして「鼻緒屋」の後ろ盾である照降町の下り傘・履物問屋の「宮田屋」の蔵に隠された金などを巡る話です。
「宮田屋」の金とは、「宮田屋」の蔵には今回のような火事の折のための再建費用や証文、沽券などがが隠されていて、それを狙った火事場泥棒の話であり、八頭司周五郎の活躍の場面です。
つまりは、本書『己丑の大火』は佳乃を巡る人情話ではなく、「鼻緒屋」の職人の八頭司周五郎を中心とした活劇小説となっています。
具体的には、今回の大火のような場合、照降町からそれほど遠くない小伝馬町の牢屋敷の囚人たちが期限までに戻ることを定めとして解き放たれるのだそうですが、その囚人の一部が「宮田屋」の蔵を襲い、それを「鼻緒屋」の職人でもある浪人八頭司周五郎が身をもって回避するという話です。
その前提として、宮田屋の松蔵と若狭屋の新右衛門という二つの店の大番頭が、周五郎に照降町の警護方の頭になってくれるように頼みます。
また、周五郎は国元で船を漕いだ経験もあって櫓の扱いも慣れたものであり、猪牙舟を駆使して照り降り町と「鼻緒屋」家族の避難先の深川との間を走り回ります。
このようにして、本書『己丑の大火』は八頭司周五郎という男を中心に動くことになるのです。
また、佳乃の活躍も用意してはあります。
それは、照降町の西側にある荒布橋のたもとにある老梅である御神木を守るということです。このご神木を守り通すことができれば江戸の町も照降町も復興が叶うと信じて守り通すべく奮闘するのです。
それを見た照降町の男どもが燃えゆく町のなか、共に御神木を守り通すために力を合わせる姿が描かれます。
そんな力添えもあり、佳乃たちは幼馴染の幸次郎が奉公する中洲屋で作ってくれた握り飯をほおばりながらも守り抜こうとします。
江戸の町の火事、といえばまずは文字通り火消しの姿を描いた作品として今村翔吾の『羽州ぼろ鳶組シリーズ』が思い浮かびます。
この作品は2017年啓文堂書店時代小説文庫大賞を受賞した作品で、かつて江戸随一の火消として、”火喰鳥”の名を馳せた男・松永源吾が、自身と出羽新庄藩火消しの復活と再生を描いた痛快時代小説です。
話を戻しますと、こうして本書『己丑の大火』は、結局は佐伯泰英の他の作品と同じ痛快活劇小説になっています。
もちろん、本書が面白くないといっているのではありません。
佐伯泰英の作品には珍しい照降町を舞台に繰り広げられる人情話だと思っていたところ、やはり活劇小説になっている、という印象だったというだけの話です。
物語の全編が己丑の大火のもとでの話であり、その中で物語として仕上げるためにはそれなりのエピソードが必要だと思われ、そのために「宮田屋」の蔵と御神木の話を持ってきたのでしょう。
人情話と思っていた『照降町四季シリーズ』ですが、少なくとも本書『己丑の大火』に限って言う限り、佐伯作品らしい面白さを持った、しかしこれまでの佐伯泰英の作品のテイストとそれほど異ならない物語だった、ということです。