『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』とは
本書『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』は2022年1月に刊行された、新刊書で312頁の、連作のミステリー短編小説集です。
明治期に実在した木下杢太郎や北原白秋らが現実に会した「パン(牧神)の会」という集いを借りて描かれた、彼らが謎解きに腐心するさまが魅力的な作品で、王様のブランチで紹介されました。
『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』の簡単なあらすじ
明治末期に実在した若き芸術家たちのサロン、その名も「パンの会」。隅田川沿いの料理店「第一やまと」に集った。木下杢太郎、北原白秋、石井柏亭、石川啄木等々が推理合戦を繰り広げる。そこに謎めいた女中・あやのも加わってー若き芸術家たちが謎に挑む傑作青春ミステリ。(「BOOK」データベースより)
『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』の感想
本書『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』は、歴史上実在した木下杢太郎が主催した「パン(牧神)の会」の面々が、持ち込まれた謎を解く形式のミステリー小説です。
この形式は、著者の宮内悠介がその形式を借りていると本書中で明記しているように、アイザック・アシモフの『黒後家蜘蛛の会』の形式そのままです。
この作品は、数学者、弁護士などのその道の専門家が、月に一度集まって食事をし語りあう「黒後家蜘蛛の会」に持ち込まれた謎を議論し、答えが出ないまま、最終的には給仕をしていたヘンリーが明快に謎解きをして見せます。
SF界の重鎮であるアイザック・アシモフによるミステリーとして、SF好きやミステリー愛好家にはかなり知られた作品です。
本書『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』の作者宮内悠介は、この作品の形式をそのままに「パン(牧神)の会」の物語として借り、給仕のヘンリーの代わりに女中のあやのを配しています。
ここに「パンの会」とは、明治時代末期の青年文芸・美術家の懇談会であって、ギリシア神話に登場する牧神パンの名を借りた1894年にベルリンで結成された芸術運動「パンの会」に因むものだそうです
現実の「パンの会」も本書で記載されている通りの隅田川の右岸の両国橋に近い矢ノ倉河岸の西洋料理「第一やまと」で開かれていたそうで、参加メンバーも本書記載のとおりです。( ウィキペディア : 参照 )。
ただ、現実にはこの会に参加したとされる高村光太郎や上田敏、永井荷風らの参加もあったそうですが、本書では登場していません。
本書『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』の魅力の一つには、は木下杢太郎を始め、吉井勇や北原白秋などという歴史上実在した著名人たちが登場することにあります。
木下杢太郎を中心としたいわゆる耽美派と呼ばれる文人、画人たちが語らいのための一席を設けるというのです。
恥ずかしながら、この席に参加する人物たちのほとんどを私は知りませんでした。しかしながら、彼らは歴史上実在し、こうした「パンの会」と名付けられた会も実際にあったのです。
さらには、全六編の物語の中で起きる事件にしても、謎そのものの事件は別として、少なくとも時代の背景として描かれていることは実際に起きた事件だということに驚きます。
作者の調査がいかに微に入り細にわたるものであったのかが分かります。
本書『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』の魅力の二つ目が、このように作者が実によく調べられ、それをもとに記されていることが挙げられます。
特に私のような普通の人間は木下杢太郎、北原白秋と言った人たちの人となりを知るわけではないので何とも言えないのですが、実在した彼らが考え、話しそうな会話がくり広げられているので、かなりの調査がなされたのではないでしょうか。
その作者の言葉を裏付けるように、各章の終わりには「黒後家蜘蛛の会」にならい覚え書きまで付されていて、その後に膨大な参考文献まで挙げられています。
本書のように明治時代末期の文芸家が登場する作品として心に残っているコミックがあります。
それが、関川夏央原作・谷口ジロー作画の『坊っちゃんの時代』(全五巻)で、関川夏央の丹念な取材、谷口ジローの見事な画が一致した素晴らしい作品です。
内容は史実に沿ったものではないようですが、時代背景は史実を基礎としてあるようで、明治期の文学者たちを描き出してある作品です。
また歴史上の人物が、歴史上実際に起きた事実をもととして謎解きを行う作品としては、最近では米澤穂信の『黒籠城』がありました。
この作品は、信長に反旗を翻した荒木村重が立て籠もる有岡城を舞台に、地下牢に幽閉された黒田官兵衛の知恵を借りて村重が謎を解くという作品で、第166回直木三十五賞を受賞しています。
いずれにせよ、本書『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』の魅力は先に述べた実在の実物の活躍や作者による緻密な調査だけでなく、本書の持つ構造に仕掛けられたトリックにもあります。
最後の最後で明かされたその構造は、文学的な造詣がないと見抜くことはできないだろうという意味では不親切かもしれませんが、それでもなお驚きでした。
さらにはもう一点、仕掛けがありましたが、それは読んでからの楽しみとしておきます。
ともあれ、本書は目新しい仕掛けというわけではないにしろ、非常に楽しく、面白く読んだ作品でした。