東山 彰良 雑感
1968年 台湾台北市生まれ。5歳まで台北市で過ごした後、日本へ移住。
1987年 西南学院高等学校卒業。
1991年 西南学院大学経済学部経済学科卒業。
1995年 大学院経済学研究 科経済学専攻修了。
2002年 「タード・オン・ザ・ラン」で第1回「このミステリーがすごい!」(宝島社主催)大賞銀賞・読者賞を受賞し作家デビュー。
2009年 『路傍』で第11回大藪春彦賞を受賞。
未だ二冊しか読んでいないこの作家さんですが、最初に読んだ『路傍』と直木賞を受賞した『流』との印象の違いに驚きました。最初に読んだ『路傍』は取り留めもない話だとあまり好印象はなかったのですが、直木賞受賞作の『流』はエンターテインメント性豊かでありながらも、主人公の内面に斬りこんでいる、文学的香りさえも漂う作品だったのです。
しかし、「作家の読書道 第164回:東山彰良さん」を読んでその疑問も分かったような気になりました。つまり、「文学にしろ音楽にしろ、すべては大衆文学だし、すべてはポップスだと思っている」という東山彰良氏にとって、『路傍』も『流』も単に表現の方法が少し異なるにすぎないのでしょう。
もともと『百年の孤独』のガブリエル・ガルシア=マルケスなどが好きだという東山彰良氏は、『世界の果てのビートルズ』というスウェーデンの小説についても「伏線が全然回収されないんですけれど、全然気にならない」のだそうです。マジック・リアリズム的な世界が好きなのでそうです。
更に、いろいろな傾向の作品を書かれていることについて、「僕は区分というものを考えていなくて、文学にしろ音楽にしろ、すべては大衆文学だし、すべてはポップスだと思っている」と言い切っています。「結局、大衆が楽しむためのもの」なので、私がいつも疑問に思う純文学と大衆文学との関係も、「すべてが大衆文学だと考えると、全然当たり前のように思える。なんでもアリです。」と言われます。
確かに、純文学と言い大衆文学といっても読み手には関係のないことで、同じ文章表現作品の一つにすぎないものです。ということで、『NARUTO』の小説版の『NARUTO ド純情忍伝』など書かれていることも納得です。
こうした解説があって初めて、私の中で『路傍』や『流』の世界が一つの線で結ばれました。