1975年、偉大なる総統の死の直後、愛すべき祖父は何者かに殺された。17歳。無軌道に生きるわたしには、まだその意味はわからなかった。大陸から台湾、そして日本へ。歴史に刻まれた、一家の流浪と決断の軌跡。台湾生まれ、日本育ち。超弩級の才能が、はじめて己の血を解き放つ!友情と初恋。流浪と決断。圧倒的物語。(「BOOK」データベースより)
第153回直木賞で、選考委員9氏全員が一番に押し受賞が決まったといういわくつきの長編小説です。
主人公は葉秋生(イエ チョウシェン)という台北の高等学校に通う十七歳の高校生です。彼は著者の東山彰良の父親がモデルだそうで、本来は著者の祖父のことを書こうと思っていたところ、調べていく過程で父親の物語へとシフトしていったのだそうです。
日中戦争後、蒋介石率いる国民党は中国共産党との戦いに敗れ、台湾に逃れて一国を作り上げます。主人公秋生の祖父尊麟はこの時代にかなり中国本土でも暴れまわったらしいのですが、国民党と共に台湾に逃れてきてからは家族や一族を大切にして暮らしていました。その祖父が、蒋介石総統の死の直後に殺されてしまいます。誰が何のために祖父を殺したのか。
話は主人公の無軌道な高校生活から始まります。それはまるでヤンキー小説の始まりのようでもありました。金属製の定規をナイフ代わりにしたエピソードなども出てきますが、それも父親の話をもとにしているそうです。
この物語を読み進むにつれ、ぐいぐいと惹きこまれる自分を意識していました。主人公の成長譚でもあるこの小説は、そのまま青春小説でありながら家族の物語でもあり、祖父の死の謎を追及しようとする主人公の姿はミステリー小説でもあったのです。この物語の持つパワーはすさまじく、次第に小説の深みを感じ始めるとともに、そうした諸々の要素に惹きつけられたのでしょう。
ほとんど苦労という苦労を知らずに育ってきた私などからすると考えられない世界であり、戦後の民族としての意識を改めて考えさせられる物語でもあります。その上で、惹きつけられるのですね。
後記の伊集院静と東山彰良との対談は強烈です。そこでも出てくるのですが、本書冒頭のエピソードなども著者の父親の話をもとにしていたりと、かなりの部分が祖父なり父親なりが経験した事実をもとに書かれているようです。
小説を書くということは、「真実」を見つける作業ではあるけれど、「事実」を書くことではない。こうあってほしい、こんな人間がいたら面白いだろうという物語を、作家が作り上げていくわけだ。
とは著者との対談での伊集院静の言葉ですが、その祖父なり父親なりの「真実」を見つける作業の末に本書が成立していることになります。そして、著者が作り上げた葉秋生という人物こそが、著者なりに自分の来歴を見つける作業の結果作り上げられた人格であるわけです。
著者本人が自らの家族の物語を書いている作品はいくつかありますが、曽祖父母をモデルに書いたという北方謙三の『望郷の道』などは本書に似たようなエネルギーを持っていましたね。この本は舞台が筑豊の川筋の話から始まり、台湾に渡って一代で製菓会社を作り上げる物語であり、青春記とはかなり違いますがその熱量は相当なものでした。
また、自分の両親を姿を描いた火野葦平の『花と竜』は北九州の沖仲仕の姿を描いており、幾度も映画化もされている名作です。本書とは内容も方向性も全く異なりますが、これらの作品で感じた「侠客」の物語の持つエネルギーは、本書の持つエネルギーに近いものを感じたのです。
蛇足ですが、
魚が言いました・・わたしは水のなかで暮らしているのだから
あなたにはわたしの涙が見えません。 王璇「魚問」より
効果的に使っているこの言葉も父親の言葉だということでした。このおやじさんがあっての著者なのだと、思わせられるエピソードでした。