吟味方与力人情控シリーズ

吟味方与力人情控シリーズ(2019年09月10日現在)

  1. 花の嵐
  1. おくれ髪

 

本シリーズは辻堂魁お得意の痛快人情時代小説です。

 

登場人物
鼓晋作  三十二歳 北町奉行所吟味方与力(助)
鼓晋高江 晋作の妻
鼓晋又右衛門 晋作の父
鼓晋喜多乃 晋作の母
鼓晋苑 晋作の長女 三歳
鼓晋麟太郎 晋作の長男 誕生したばかり
相田翔兵衛 晋作の家人

春原繁太  北町奉行所定町廻り方同心
権野重治  北町奉行所臨時廻り方同心
戸塚宗次郎 晋作の同僚
谷川礼介  隠密廻り方同心 晋作の幼馴染み
桂木(お澤) 梓巫女 谷川の手先の一人

永田備後守正道 北町奉行 文化8年(1811年)に小田切土佐守直年のあとを継いだ
榊原主計守忠之 北町奉行 文政2年(1811年)に永田備後守正道のあとを継いだ
柚木常朝 主任
小木曾勘三郎 徒士目付 二十八歳

 

辻堂魁の他の作品群と同じく、切なさをベースにした物語と言っていいでしょう。

強者により虐げられた弱き者たちが年月を経て復讐を果たしたり(第一巻 花の嵐)、貧乏ゆえに強欲な金貸しに辱めを受けた一家が復讐を果たしたり(第二巻 おくれ髪)するのです。

 

ただ、普通の痛快時代小説と異なるのは、主人公が与力だということです。

ここに「与力」とは、江戸時代以前では「加勢する人」や有力武将(寄親)に対する在地土豪という意味の「寄子」という意味で使われることが多かったそうです。

江戸時代では「諸奉行・大番頭(がしら)・書院番頭などの支配下でこれを補佐する役の者」( コトバンク : 参照 )を意味し、特に時代小説では「町奉行配下の町方与力」を指すことが多く、本書でもこの意味での「与力」が使われています。

ただ、この意味での与力にも「町奉行個人から俸禄を受ける家臣である内与力」と普通の「奉行所に所属する官吏としての通常の与力」とがあり、本書の鼓晋作はこの「官吏としての通常の与力」を意味します( ウィキペディア : 参照 )。

その上での「吟味方与力」とは、「出入筋(公事 = 民事訴訟)・吟味筋(刑事裁判)を問わず、裁判を担当する役務で、容疑者の取り調べも行なう。」そうです( ウィキペディア : 参照 )。

この吟味方与力である主人公鼓晋作が本シリーズでは特別に配された配下の者を動かし、事件解決に邁進します。

 

同心」という言葉も本来は「江戸幕府の下級役人のひとつ」ですが、「江戸幕府成立時、徳川家直参の足軽を全て同心とした」ため、「鉄砲組の百人組、郷士の八王子千人同心等、様々な同心職ができ」たそうです( ウィキペディア : 参照 )

「八王子千人同心」などは時代小説にもよく登場するので聞いたことがある方は多いと思います。例えば『風塵 風の市兵衛』は蝦夷地に入植した八王子千人同心の悲劇がテーマになっていました。

 

 

ともあれ、主人公鼓晋作が仲間の力を借りつつ、事件を解決していくという王道の痛快時代小説です。

ただ、もともとは学研M文庫から2008年に出版されていた作品で、殆どデビュー直後に書かれた作品だからでしょうか、今の作風からすると文章もかなり美文調と言っていいのかはわかりませんが、通俗性が高いように感じます。

そうしたことが原因かどうかはわかりませんが、本シリーズは現時点(2019年9月11日)では二冊しか刊行されていません。

それでもなお今に通じるストーリーの面白さは既に読み取れるのであり、その後ベストセラー作家へとなられたのも当然かと思います。

 

なお、本書に登場する北町奉行の小田切土佐守直年や永田備後守正道、それに同心の春原繁太は同じ辻堂魁の人気シリーズ『夜叉萬同心シリーズ』や『日暮し同心始末帖シリーズ』にも登場しています。

夜叉萬同心シリーズ』と『日暮し同心始末帖シリーズ』とは舞台を共通にしていることが明記されていますが、本『吟味方与力人情控シリーズ』は単に実在した奉行名を使用した、また作者が春原繁太という名を気に入ったというににすぎず、独立したシリーズと考えるべきでしょう。

笑う鬼: 読売屋 天一郎(五)

旗本の息子・水月天一郎と御家人の息子たちで営む読売屋“末成り屋”。謎の女お慶と同居する読売屋の売子・唄や和助が襲われ、囚われの身となった。朋輩の救出に決死の覚悟で臨む天一郎たち。一方、“末成り屋”の後見をしている座頭の玄の市にも危機が迫る。天一郎の怒りの剣は友情と正義を貫けるか。感涙必至のラスト!人気上昇中の著者渾身のシリーズ第五弾。(「BOOK」データベースより)

 

読売屋天一郎シリーズ第五巻の長編痛快時代小説です。

 

読売屋の末成り屋の売子である唄や和助のもとにお慶と名乗る若い女が転がり込んでいました。

正体不明のその女は江戸屈指の材木問屋「朱雀屋」の一人娘のお真矢でしたが、朱雀屋主人の清右衛門の後沿いのお津多が自分の息子に朱雀屋を継がようと画策していたのを察し家から逃げ出したのです。

また、お津多は息子のためにと七万三千石の大名である小平家の隠居了楽の借入の要求に応えるため店の金を持ち出していました。

一方、天一郎の師匠である玄の市は、小平家の隠居了楽のために旧友内海信夫の頼みで百両という金を貸しだします。しかし、了楽は浪費をいさめる内海を手打ちにしてしまうのでした。

 

これまで天一郎本人、そして絵師の錦修斎、彫師の鍬形三流と末成屋の仲間の各々の過去をたどり、その人物像を明らかにする物語が続いてきました。

そして本書『笑う鬼』では、売り子の唄や和助と天一郎らの師匠である座頭の玄の市を中心とした物語になっています。

特に玄の市に関しては、若い頃の友が今に連なり、過去の亡霊が座頭となった玄の市の今に大きく絡んできます。

玄の市は本名を岸井玄次郎といい、「習いもせずに算盤ができ、四書を諳んじ、しかも城下の新陰流の道場では十代の半ばにして師匠をしのぐ腕前だった」というほどの秀才ですが、目を病み、故郷を出ることになったのでした。

さらにその玄の市の事件に和助の危機まで加わり、結局は一連の流れになっていいくのです。

 

物語としては単純な構図です。

老舗大店の跡目をめぐって、病に倒れた主と跡目を次ぐことになっている先妻の娘がおり、それに対し自分の子を跡目としたい後添えとの対立があります。

加えて、浪費癖のあるとある大名の隠居の無分別な金銭の借り入れという事実があり、更にはその浪費癖のある隠居と玄の市との因縁が加わっているのです。

以上のような骨子に、和助と娘との出会いがあり、その娘への危難に和助が巻き込まれ、天一郎らの出番となります。

こうした物語の単純な流れに人情劇という肉付けがなされ、痛快小説としての体裁が整えられていくのですが、そのさまが実に読みごたえがあります。

というよりも、痛快時代小説としての構成が一般の、そして私の感覚にあっているというべきなのかもしれません。

読み続けたいシリーズの一つです。

縁の川 風の市兵衛 弐

北町奉行所定町廻り同心・渋井鬼三次の息子・良一郎が幼馴染みの小春と失踪した。書き置きから大坂への欠け落ちが疑われた。腕利きの文六親分の下ッ引をつとめる良一郎が何故?“鬼しぶ”と綽名される友の心中を察した市兵衛は、若き日、算盤を学んだ大坂へ。二人の捜索中、市兵衛は良一郎が探っていた、大坂に本店を持つ騙りの噂が絶えない両替商を見つける…。(「BOOK」データベースより)

 

序章 難波新地の心中 | 第一章 欠け落ち | 第二章 大坂慕情 | 第三章 南の女 | 第四章 南堀江 | 終章 千日前

 

新シリーズ『風の市兵衛 弐』の第四弾です。

 

渋井鬼三次の息子・良一郎が幼馴染みの小春と共に、心配するなとの書置きを残して大坂へと旅立った。小春の姉のお菊からの手紙が届き、小春は急に大坂へと旅立つと言い出したらしい。

渋井に頼まれた市兵衛は良一郎の兄貴分でもある富平を連れて大坂へと旅立った。

およそ二十年ぶりに訪れた大坂では、当時世話になった米問屋「松井」の今では隠居の身の卓之助を訪ね、歓待を受けるのだった。

翌日、お菊がいた店を訪ね、お菊の仲間だったお茂から、無理心中の相手である柳助の父親の伝吉郎や兄貴の慶太楠吉らの話を聞き出す。

その後、卓之助の紹介で朴念という男のもとに身を寄せ、大阪の裏の情報を集めてもらうと、危なげな情報が集まるのだった。

 

相変わらずの小気味のいい物語です。

辻堂魁という作家の作品はどの作品もある種の敵討ち、復讐譚になっている作品が多い気がします。本書を始め、先日読んだ読売屋 天一郎シリーズの『倅の了見』にしても物語の中心人物の錦修斎の甥っ子のための仇討ちの話でした。

つまりは世の中の不条理に押しつぶされてしまった弱者の仇を何らかの形で主人公らが果たすというパターンです。

 

 

とはいえ、よく練られている物語であり、それぞれの主人公に合わせた切ない話を紡ぎだすものだと感心してしまいます。

今回は大坂の町が舞台となっていて、その街並み、道頓堀の南にある千日前の火やなどの情報など、当たり前とはいえよく書き込まれています。

ここに「火や」とは「火葬場」のことであり、周りにはお寺や墓が多数あって墓参りの人が多数集まり、近くには盛り場ができるというのです。

 

そういえば、2019年05月18日放送の「ブラタモリ#133」は大阪ミナミの番組「なぜミナミは日本一のお笑いの街になった?」というテーマでした( ブラタモリ : 参照 )。

この場組の中で「火屋」の存在が今のお笑いの町の原点になっていることを言っていました。千日前にあった「火や」すなわち「墓所の跡地」こそが芝居小屋などの存立のもとになった、というような話だったと思います。

 

そうした詳細な大坂の町の描写を前提に、現代にも通じそうな、甘言で顧客から利益だけを吸い上げる仕組みなど、言葉巧みに持ち掛け金銭を貸し付ける手口などが描写してあります。

そして、いつものことながらの市兵衛の立ち回りもあって、痛快小説としての面白さを維持してあります。

本書で特に感じたのは、市兵衛とおよそ二十年ぶりに再会した卓之助という隠居の描写です。市兵衛に再会した喜びを実に的確に表現してあり、その上で市兵衛のかつての生活をも読者に知らしめてくれています。

どのシリーズも人気となっている辻堂魁の作品群の中でも本書『風の市兵衛シリーズ』が人気を誇っているのもよくわかる展開になっているのです。

 

大阪を舞台にした時代小説と言えば、今であれば高田郁の描く『あきない世傳金と銀 シリーズ』が挙げられるでしょう。本書とは異なり、大坂天満の呉服商「五鈴屋」を舞台にした一人の少女の成長譚です。

 

 

ちなみに、当時の表記が「大坂」であって「大阪」でないのは、明治維新のときに縁起をかついで変えたためだとありました。

「坂は土に返る=死ぬ」だとか、「士(さむらい)が謀反を起こすと読め」て問題があるとして変えたのだそうです( 日本漢字能力検定 : 参照 )。

倅の了見: 読売屋 天一郎(三)

武家出身で、いまは読売屋“末成り屋”の主となった天一郎を、越後から出てきた竹川肇という老人が訪ねてきた。亡くなった天一郎の父親の古い友人だという。老人の話から「父の残像」と葛藤する天一郎。父の死の真相がわかってきたとき、天一郎の前に過去から「悪」が蘇る!正義の筆と華麗なる剣で世の不正に敢然と立ち向かう、痛快シリーズの待ち焦がれた第三弾。(「BOOK」データベースより)

 

読売屋天一郎シリーズ第三巻の長編痛快時代小説です。

 

竹川肇という名の年を取った侍が江戸へ出てきて、かつての仲間に会い、さらに天一郎のもとへも現れます。何故に天一郎を訪ねてきたのか、次に会った時に話すというばかりでした。

錦修斎こと中原修三郎の甥っ子の中原道助は湯島の昌平黌へ通っていましたが、十三歳という若さでありながら優秀すぎるために年上の学生らのいじめに遭い、不慮の死を遂げてしまいます。

いじめの相手は六百石から八百石取りの家柄の旗本の倅たちであり、わずか数十俵の御家人の中原家とは身分違いでした。そのため、道助の親たちは立場の弱い修三郎には怒りを向けても、いじめの相手には何も言えずにいるのでした。

また、彫師鍬形三流こと本多広之進は、浮世絵版木の彫師を生業にしている浪人の家との養子縁組という形で自分を捨てたはずの親や兄夫婦から、金貸しもしている市川家との養子婿の話を持ち出されていました。

 

三流の話はこれ以上膨らまずに次巻に持ち越され、天一郎の父親の死にからんだ中川肇という老人の話と、また錦修斎の甥っ子の中原道助の死についての話が中心となっています。

いじめや身分違いなどという現代にも通じそうな話を、作者辻堂魁らしい切なさに満ちた物語として仕上げられています。

 

ひとつには、江戸時代という封建社会の中で、弱者には怒りを向ける先がないという理不尽な状況を、読売という筆の力で権力を持った御家人に対峙させるという、痛快小説にはもってこいの展開です。

天一郎シリーズである以上、天一郎自身の活躍の場面が展開されるのは勿論ですが、天一郎の仲間である修斎の、自分ができることを為すその行動が心を打ちます。

 

そしてもう一つの話である竹川肇の物語も、また切なさにあふれています。

天一郎自身は自分の父親のことを知らずに育っています。しかしながら、奔放に生きていた父親が、破落戸に襲われ落命したということに嫌悪感を持っていたようです。

好き勝手に生きた自分はいい、残された母親と子供は勝手な亭主のとばっちりを請けなければならなかった、と言い捨てるほどなのです。

そこに、父親の死の真実を明らかにするという老人が現れ、この老人にまつわる物語が展開されるます。

 

今回の話もまた通俗的になりそうなところを、作者の筆の運びは心地よい物語の運びとして読ませてくれており、痛快小説の醍醐味を感じさせてくれています。

向島綺譚: 読売屋天一郎(四)

旗本の息子ながら読売屋“末成り屋”の主となった水月天一郎の元に、向島で無理心中があったとの報せが入る。心中したのは、両替商の手代と御家人の娘。調べ始めた天一郎の脳裏に疑念が浮かぶ。なぜ二人は心中をしなければならなかったのか。謎を追う天一郎たちに刺客が迫る。人気急上昇中の著者、渾身の痛快シリーズ第四弾。正義の筆と華麗なる剣が「悪」を断つ!(「BOOK」データベースより)

 

読売屋天一郎シリーズ第四巻の長編痛快時代小説です。

 

末成り屋の彫りと摺りの担当である鍬形三流に縁談が起こります。相手は同じ御家人である小普請役の市川繁一の娘で春世といいました。

その話は去年断っていたのですが、本多家は金貸しもしていた市川家に借金があるらしく、先方には伝えてありませんでした。

ところが、その春世が両替商真円屋手代の充治と心中をしてしまいます。しかし、その直前、森多座の新春狂言の舞台を見に行っていた美鶴らは春世とその接待役の充治を姿を見ていたのですが、とても心中をしそうには見えなかったというのです。

後日、天一郎のもとに市川繁一夫妻がやってきて、春世と充治が心中するはずがなく、春世の死の真相を探ってほしいというのでした。

一方、三流のもとには、共に暮らしているお佳枝の元の亭主だという十三蔵という男が帰ってきたのでした。

 

木更津の傀儡子との異名を持つ殺し屋一味と、天一郎らとの対決、という図式だと一応は言える物語だと思います。その実、仲間の一人である三流をめぐる話になっています。

つまり、三流こと本多広之進の実家の本多家や、三流の現在の家であるお佳枝と倅の桃吉との家族の話が人情味豊かに語られることになるのです。

 

辻堂魁という作者のこの『読売屋天一郎シリーズ』は、「悪」の一味と、それに対する「正義」の末成り屋という痛快小説の勧善懲悪形式のパターンを踏襲しています。

しかし、シリーズ全体を通しての美鶴との話や、それぞれの話ごとに凝らしてある趣向など、ネタ切れしないのかと心配になるほどに各話がよく練られた話として成立しています。

本書にしても、三流の実家と現在の家族との話に加え、シリーズ全体を通しての天一郎と、姫路酒井家江戸家老・壬生左衛門之丞の一人娘である壬生美鶴との話があります。

また壬生左衛門之丞とその相談役の島本文左衛門との会話、それに天一郎との対面の場面などが挟まれたりもして、シリーズ全体としての物語の進行に花が添えられているのです。

 

本書はさらに、今度は和助こと蕪城和助に何らかの問題が発生しそうな雰囲気を残したまま、物語は終わります。

こういう終わり方をする以上、続きを読まないわけにはいかないでしょう。もちろん、こうした終わり方でなくても続編を読むとは思いますが
・・・。

冬のやんま―読売屋天一郎〈2〉

当代売れっ子の若手歌舞伎役者・姫川菱蔵が、てき屋の若者に瀕死の重傷を負わされた。しかし、その事件はなぜか表沙汰にされなかった。武家出身の読売屋“末成り屋”の主・天一郎は、さっそく事件を調べ始めたが、背後には歌舞伎界を揺るがす大疑獄が…。正義の筆と類まれなる剣技と最強の「小筒」で天一郎が歌舞伎界の暗部に迫る。(「BOOK」データベースより)

 

読売屋天一郎シリーズ第二巻の長編痛快時代小説です。

 

やんまの公平が、酒に酔った役者の姫川菱蔵を袋叩きにしてしまいます。そのため、菱蔵は木挽町広小路森多屋の霜月朔日の顔見世興行を休まざるを得なくなってしまいました。

姫川菱蔵は江戸歌舞伎を支え、六世市瀬十兵衛に間違いないと言われているほどの役者でしたが、酒癖が悪いのが玉に瑕だったのです。

そのことを聞いた天一郎はさっそく瓦版に仕立てるべく調べを始めるのですが、話は意外な方向へと進むのでした。

 

ここで、名前の出てきた江戸三座の一つ木挽町森多座は、時代小説ではしばしば出てくる名前です。ただ、「森多座」ではなく「森田座」と表記されているのが普通だと思うのですが、本書で「森多座」とされている理由は不明です。

そもそも、江戸三座とは「江戸時代中期から後期にかけて江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋」を言います( ウィキペディア : 参照 )。

 

五世市瀬十兵衛は若い頃の名を天雅といい、後に五世を継いだ時に天雅の名を俳号として残していました。そこから五世を継ぐ逸材として、五世の甥である姫川菱蔵小天雅と呼ばれていたのです。

本書はその森多座の看板役者である五世市瀬十兵衛とその甥の小天雅こと姫川菱蔵、そして二人の昔にかかわりのあるお英公平姉弟との物語です。

そこに、森多座の興行をめぐる思惑が絡んだ物語になっています。

 

ここで、物語中に「座元」や「太夫元」という言葉が出てきます。

座元」とは歌舞伎の興行権を持つものをいい、「太夫元」は本来は役者全体を監督する者を意味していたのですが、のちには「座元」と同義になったそうです。

 

それはともかく、天一郎はやんまの公平を調べていくうちに、公平の人柄を知り、また五世の人間性も知ることになります。

そこに人情劇の素地が生まれ、また森多座にからむ思惑に関して痛快小説の下地が生まれることになります。

本シリーズを読み始めた当初の違和感は本書を読む限りでは全くなく、辻堂魁の物語として楽しむことができました。読書力というものがあるとするならば、私にはその力はあまり無いと自覚する必要があるようです。

読売屋天一郎シリーズ

読売屋天一郎シリーズ(2019年08月31日現在)

  1. 読売屋 天一郎
  2. 冬のやんま
  3. 倅の了見
  1. 向島奇譚
  2. 笑う鬼
  3. 千金の街

 

ベストセラー作家辻堂魁による、読売屋を主人公とする長編の痛快時代小説シリーズです。

 

主人公は名を水月天一郎といい、築地の読売「末成り屋」の主人です。年は三十歳。

主人公の父親は三百石の旗本で、気の荒いと評判の御手先組の水月閑蔵というヤクザな男でした。

母の孝江によると、この父親は長身痩躯に鮮やかな黒が似合う優男だったといいます。しかし、剣はつかえたものの、酒と博打と喧嘩に明け暮れ、女との浮名も絶えないなか、賭場の喧嘩が元でということになっている闇討ちに遭い命を落としたのだそうです。

天一郎はその父親に似ているらしく、天一郎という名前も父親の閑蔵が賽子の一天地六の目からつけたといいます。

 

父親の死後天一郎は、色黒のしかめっ面で小太り、金に吝く、旗本千五百石の家禄だけが取り柄の、容姿も人柄も評判の悪い男だった村井五十左衛門のもとに、後添えとして入った母親の孝江に連れられて村井の家へ入りました。

五十左衛門には先妻との間に静香、秋野、珠紀という三人の娘がいましたが、天一郎はこの三人に冷たい目で見られるばかりだったことを覚えています。

父親によく似ているという天一郎は、二十二歳の折に五十左衛門のもとを飛び出し、読売屋の末成り(うらなり)屋となりました。

 

その後、彫師であり摺師の鍬形三流や、下絵描きと表題や引き文句の飾り文字などを受け持つ錦修斎、売り子の唄や和助らと共に末成り屋を営んでいます。

鍬形三流は本名を本多広之進といい、本所の御家人・本多家の次男で二十九歳です。十五歳の時に養子に出され彫りと摺りの修行に励みましたが喧嘩をして欠け落ち、芝新町の船宿汐留の女将・お佳枝の世話になっていました。

錦修斎は、御徒町の御家人・中原家の三男で本名を中原修三郎といい、木挽町の裏店で町芸者のお万智と暮らしている三十歳です。六尺を超える長身で、長い総髪を束ね背中に垂らしています。用心槍を自在に使う腕達者でもあります。

唄や和助は、芝三才小路の御家人蕪城家の四男で二十四歳。本名を蕪城和助といいます。十二、三歳のころから盛り場を徘徊する悪童だったそうで、天一郎に自ら売り込み売り子として雇われました。剣術も学問も駄目で、得意は唄と女だそうです。

 

そして、姫路酒井家江戸家老・壬生左衛門之丞の息女である美鶴という娘が花を添えています。

また、壬生左衛門之丞の相談役であり養育掛の島本文左衛門がお目付け役として美鶴につけた、文左衛門の孫娘のお類という十三歳の娘がいます。

 

このほかの重要人物として、南小田原町に住む座頭の玄の市がいます。天一郎たちが《師匠》と呼ぶ玄の市は、目は見えなくても指先の肌触りで字を読み、算盤をはじくのは字を読むより楽だといいます。

玄の市は、小商人や貧しい庶民からは定めの利息以外はとらなかったし、厳しい取り立てもやりません。長い目で見れば結局は自分の稼業のためになるというのでした。

そもそも、玄の市の数寄者心から修斎と三流を居候させていたのですが、そこに、天一郎と玄の市との付き合いが始まり、天一郎とこの二人との交流も始まったのです。

こうして、玄の市は自分の持ち物である築地川堤の古びた土蔵を提供し、天一郎らが末成り屋を始める元手を用立てたのでした。

夜叉萬同心 藍より出でて

夜叉萬同心 藍より出でて』とは

 

本書『夜叉萬同心 藍より出でて』は『夜叉萬同心シリーズ』の第四弾で、2014年6月に学研M文庫から文庫本書き下ろしで刊行され、2017年6月に光文社時代小説文庫から316頁の文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。

 

夜叉萬同心 藍より出でて』の簡単なあらすじ

 

舟運業者らが開いたご禁制の賭場から大金が奪われたとの噂が流れ、次いで勘定奉行所の役人が殺された。萬七蔵は事件の探索を始めるが、そんな中、かつての親友・連太郎が訪ねてくる。七蔵は再会を喜ぶも、友の様子は微妙に変化していた。やがて友に関する重大な事実が明らかになり…。納涼花火の夜陰に紛れ、暗躍する勢力と七蔵が対決する。傑作シリーズ第四弾。(「BOOK」データベースより)

序 落とし前
千住上宿で行われた舟運業者の定例の会合が三人組の押し込みに遭い、舟運仲間行事役頭取の川路屋九右衛門と両国界隈では顔利きの馬之助という男が会っていた。

第一章 別嬪さん
が行方不明になった。翌日、内与力の久米信孝から千住宿での押し込みの噂を調べるよう命が下る。しかし、被害者の筈の川路屋らはそういう事実はないという。その帰り、何かと噂のある馬之助が川路屋へ行く姿を見た。
その馬之助は白闇の連こと平一と会っていたが、平一は一匹の迷い猫を抱えていた。

第二章 藍より出でて
平一は別嬪さんと呼ぶ猫を連れたまま、依頼通り角丸京之進を殺害していた。屋敷に帰った倫は七蔵を角丸殺害の現場へと連れていく。その夜、佐賀町の船頭浅吉は殺され、貧乏御家人の脇坂多十郎も襲われた。
家へ帰った七蔵を待っていたのは、亡くなった妻妙の兄で、行方不明だった幼馴染みの桃木連太郎だった。

第三章 始末人
翌朝、七蔵の手下の嘉助が、角丸の仲間の船頭織の浅吉が殺されたと知らせて来た。その夜、七蔵は嘉助から三人目の男のことと、手下のお甲に命じていた押し込みの一軒の真偽とと馬之助について調べ、白闇の連という始末人の話を聞きこんできた。

第四章 千住大橋
馬之助は白闇の連からの残金の要求をはねつけ、連から襲われてしまう。一方。七蔵は始末人は必ず通ると、千住大橋で待つのだった。

桔 浮気者
事後の処理について久米から説明を受ける七蔵は、裏の事情は何も知らないふりをするのだった。屋敷に帰った七蔵は久しぶりに訪ねてきた音三郎に会い、倫のことを浮気者だとつぶやく。

 

夜叉萬同心 藍より出でて』の感想

 

本書『夜叉萬同心 藍より出でて』は、『夜叉萬同心シリーズ』の第四弾となる、長編の痛快時代小説です。

 

前巻と同じく本書でも猫の倫が需要な役割を占めています。というよりも、倫が狂言回しとなり、物語を進行させているのです。その意味では、ある種ファンタジーの濃い物語とも言え、リアルな物語を求めている読者には受け入れられないかもしれません。

また、このシリーズはこれまで連作の短編からなっていましたが、本編は初の長編となっています。

物語が哀切な色合いを帯びているのはほかの巻と同様で、もしかしたら七蔵自身に関係する分、読みようによっては一番哀しみが深いと言えるかもしれません。

ただ、“白闇の連”と呼ばれる始末屋が、七蔵と張り合うほどの立ち合いの腕をどのようにして身につけたのか、その点だけは説明が簡単に過ぎた気がします。

江戸を飛び出し、やさぐれてあちこちの親分のもとで出入りで鍛えられたというだけでは、七蔵という剣の遣い手に並ぶほどの腕を持つ理由としては弱いでしょう。その点は残念でした。

その点を除けば、痛快時代小説として気楽に読み進めることができる作品だったと思います。

 

「日暮し同心」との共演を期待しますが、本書の時代を見ると奉行は小田切土佐守であって『日暮し同心始末帖シリーズ』の時代よりも前である以上、少なくとも今の七蔵の年代のままでは共演は期待できなさそうです。

 

父子の峠 日暮し同心始末帖

年寄りばかりを狙った騙りに、老夫婦が首をくくった。蓄えのすべてを奪われていた。再び定町廻り代理を命じられた日暮龍平は、若い猿回し夫婦を捕縛、夫は打ち首、病身の妻は放免とされた。妻お楽は故郷の会津に義父重右衛門を訪ねる。一切を聞き復讐の鬼と化した重右衛門は、あろうことか息子の俊太郎を拐かした!憤怒する龍平は親として剣をとり追跡するが…。颯爽時代小説!(「BOOK」データベースより)

 

日暮し同心始末帖シリーズの第七弾の長編の痛快時代小説です。

 


 

序 ここだけの話
浅草小島町の隠居暮らしの伝七とお浜の老夫婦を札差御改正会所の“ときすけ”という男が訪れ、余生のためにと貯めていた十九両と少しの金を騙し取っていった。残された老夫婦は自らその命を絶ったのだった。

第一話 猿屋町
日暮龍平は北町奉行の永田備前守から、脚気で休んでいる定町廻りの南村種義の代わりを務めるように申し付かる。早速伝七夫婦の一件を担当することになったが、伝七夫婦の他に二件の騙りがあったらしい。そのうちに、“鳥助”という名前をきっかけに作造とお楽という猿使いの夫婦が捕縛に至り、作造は死罪、お楽は追放となった。

第二話 倅には倅を
会津盆地から会津西街道の山奥、仲付け駑者の村として知られる楢枝村の長の重右衛門は江戸へ出ることを告げていた。年が明け、七歳になった俊太郎がさらわれた。龍平は「絆の代償をいただく」という文を受け取るが、探索の結果、俊太郎をさらった一味は会津へと向かったものと思われた。

第三話 山王峠
それから五日目の午後、一味の一人が龍平を亀島橋へと呼び出し、誘いに乗った龍平は俊太郎の無事を確認するが逃げられてしまう。その足で会津へと追いかける龍平だった。

結   定町廻り方
龍平は、病気療養の南村に代わって、北町奉行所定町廻り方の正式な掛になった。

 

このシリーズは、辻堂櫂の種々のシリーズのなかでも一番悲哀に満ちた物語が語られるようです。ほかのシリーズが明るいというわけではありませんが、本シリーズが一番哀しみに満ちていると感じます。

本作品も例外ではなく、家族というもののありようを正面から問いつつ、父の子に対する思いを強烈に描いてあります。

ただ、父親の思いが少々歪んた愛情として発現していて、自分の息子の非には目がいかず、子を失った悲しみを、子を失った原因となった直接の相手である龍平への恨みとしてぶつけようとします。

そこにあるのは他者への恨みだけであり、それはつまりは自分のことだけを考えているということでもあります。自分の恨みの感情だけしか見えていないのです。

 

そうした恨みを向けられた相手、本書での龍平こそ迷惑です。勿論一番の被害者はさらわれた子供である俊太郎ではありますが。

ただ、救いはお楽ですが、父親の重右衛門自身も自分の行為の理不尽さに気付いてはいるようです。

そうした理不尽さに気付いている重右衛門や、何とか止めようとするお楽といった人物らをたくみに動かす辻堂魁という作者のうまさは光ります。

 

特に哀しみの強いシリーズだと書きましたが、その哀しみを龍平の妻の麻奈や 息子の俊太郎といった存在が和らげていたのです。その俊太郎が攫われるのですから、展開は一応の推測はつきます。

事実、読みながらも推測したように物語は進むのですが、それでもなお飽きることのない物語として本書は展開されます。辻堂櫂という作者のうまさ以外の何物でもないでしょう。

夏の雁: 仕舞屋侍

揉め事の内済を生業とする九十九九十郎を地酒問屋“三雲屋”の女将が訪ね、七雁新三という博徒の素性を調べてほしいと大金を預ける。新三は岩槻城下の貸元に草鞋を脱いでいるらしい。三雲屋も女将も岩槻の出身だった。九十郎は貸元を訪ねる。二十一年前、藩勘定方が酒造の運上冥加を巡る不正を疑われ、藩を追われた。三雲屋が藩御用達になったのはそれからという…書下し長篇時代剣戟。(「BOOK」データベースより)

 

仕舞屋九十九九十郎の活躍を人情味豊かに描く『仕舞屋侍シリーズ』第四巻目の長編痛快時代小説です。

 

上州銅街道の桐原宿はずれの渡良瀬川の渡し船で、博徒の新三の一言を聞いた原助と名乗る旅人は驚愕の表情で暴れだし、川へと転落してしまう(序 渡良瀬川)。

一季雇いの中間森助の件で五百石の旗本墨倉家用人の小堀与一之助と会った翌日、九十九九十郎は東両国本所元町の地酒問屋「三雲屋」の店主、三雲屋貫左衛門の女房のお曾良と名乗る女から、五十両という大金で七雁新三という名の博徒の素性を調べる仕事を請けた(其の一 江戸の女)。

その翌日、九十郎と藤兵衛は、七雁新三が世話になっていた日光街道岩槻宿貸元の金五のもとを訪ねるが会えず、ただ、九十郎は岩槻の筆頭番頭だった男から、勘定方だった日比野信兵衛が絡んだ三雲屋が今の大店になった真の事情、そして、その日比野は酔って渡し船から落ちて亡くなったことを聞きだす(其の二 岩槻の男)。

北町奉行所与力橘左近からは、日比野の転落死の調査の依頼と同時に、太一郎と紗衣という双子がいたことを聞いた。また、地回りの桂太から三雲屋の女将の生まれが岩槻であり、双子の妹は吉原へ売られ、新三は母親の死後奉公に出されたという話を聞いた九十郎は、お曾良からすべてを聞くのだった(其の三 別離)。

その後、曾良は九十郎に、自分らの父親を殺した男らのもとへ真実を明らかにしに行った三度笠の男と、そして自分の旦那を助けてくれと頼むのだった(其の四 愛宕下の戦い)。

三国屋主人貫左衛門の申し立てにより、すべては終わり、九十郎は藤ゆ二階の休憩部屋で旗本墨倉家の当主・墨倉柳之進とその供侍と会うのだった(終 夏の雁)。

 

本書の本筋は、かつて卑劣な罠にはまり、家名没落の憂き目にあったとある家族の復讐譚です。それとともに、高慢な旗本に虐げられた奴の代人として交渉事に臨む九十郎の姿が描かれています。

この、物語の本筋とは異なる、しかし仕舞屋稼業としては本筋のもみ消し業、本書で言えば旗本墨倉家と一季雇いの中間森助との間の揉め事の始末が結構面白いのです。

本来であれば、旗本が一季雇いの中間との間で話し合いを持つなど考えられない事柄の筈です。

しかし、仕舞屋である九十郎は御小人目付であった経験を活かし、話し合いに持っていくどころか、相手の弱みを調べ上げ、表沙汰にしないで内々で事をすませる内済として処理するように運びます。

その交渉の過程が小気味よく、もう少しその様子を読んでいたいと思うほどです。その話が、本筋の話の合間に少しずつ語られます。

 

そして本書のメインの物語がありますが、これがよく練られています。

ストリーだけ追っても、本書のような文庫書下ろしの痛快時代小説としてはかなり作りこんであり、普通であれば文庫本一冊では収拾がつかいないほどの流れがあるのですが、そこはうまく処理してあります。

物語の筋が話の流れとして丁寧に整理されていて混乱することはありません。そうした、物語の流れの丁寧な構築が辻堂魁という作家の作品の持つ特徴でもあり、面白さの源なのでしょう。

 

本シリーズで語られる話は哀しみに満ちている話が多いようです。

サブストーリーで仕舞屋としての仕事を痛快さを込めて語られ、メインストーリーで悲哀に満ちた過去を持つ人物の物語に九十郎が迫っていく様子が語られますが、彼らの哀しみは哀しみとして九十郎でもどうしようもないことが殆どです。

この形が一つのパターンとしてあると思われますが、マンネリに陥ることなく哀愁と痛快さとを兼ね備えた物語として、これからも続いてほしいと思うシリーズです。