黙(しじま)

本書『黙(しじま)』は、『介錯人別所龍玄シリーズ』の第二弾の連作短編時代小説集です。

仕置の場に現れ、自分が首を切るべき相手の人生に思いを馳せる龍玄の姿が心を打つ作品です。

 

不浄な首斬人と蔑まれる生業を祖父、父から継いだ別所龍玄は、まだ若侍ながら恐ろしい剣の使い手。親子三代のなかで一番の腕利きとなった彼は、武士が切腹するときの介添役を依頼されるようになる。御家人や旗本相手の金貸業で別所家を守ってきた母・静江、五つ年上で幼い頃から龍玄の憧れだった妻・百合と幼子の娘・杏子。厳かに命と向き合い、慈愛に満ちた日々を家族と過ごす、若き介錯人の矜持。傑作と絶賛された前作『介錯人』の世界が、さらに静かに熱く迫る!!(「BOOK」データベースより)

 


 

「妻恋坂」
別所龍玄は、その日首打ちをした罪人の曹洞宗明星山出山寺の修行僧慈栄人が、首を討たれるまで念仏を唱えるように「母ちゃん、堪忍」との言葉を繰り返すのを聞いた。後に龍玄は、その男が幼ない頃に共に遊んだこともある十之助だったことを知る。

「破門」
幼い頃の龍玄は剣術に関心が向かなかったが、九歳になったとき、父親勝吉から大沢道場に入門させられた。次第に上達をしていく龍玄が十四歳になった折、旗本山本重之助の倅である晋五が大けがを負った。突然龍玄が襲い掛かってきたというのだ。

「惣領除」
龍玄は、公儀小十人衆七番組の平井喜八から自身の介錯を頼まれた。平井家存続のために惣領の伝七郎に詰め腹を切らせたが、平井家存続のためには自分自身も腹を切る必要があると言う。事情を聞く龍玄に対し平井は、最後は武士らしくありたい、というのみだった。

「十両首」
金貸しのお倉という老女が龍玄を尋ねてきたきた。近く打ち首になる夫の郡次郎の首打役を龍玄に頼みたいというのだ。何とかその願いを聞き届けようと、北町奉行所平同心の本条孝三郎に頼み込み、軍次郎の素性をも聞く龍玄だった。

 

前巻同様に、本書『黙』のトーンもかなり暗い雰囲気を維持したままです。

その暗さを、別所龍玄の美しい妻百合と可愛い幼子の杏子の存在がかなり和らげてくれるのも前作と同様です。

 

本書『黙』の第一話と第二話では龍玄の幼い頃の姿が描かれています。

第一話「妻恋坂」では、父の勝吉に連れられて幼い頃の慈栄である十之助の家へ行き、十之助と遊んだ姿が描かれています。

第二話「破門」では十四歳の龍玄の大沢道場でのエピソードが語られます。

そして、その大沢道場でのエピソードの後に、十八歳になった龍玄は首打の手代わりを務め、胴体の試し斬りも終え刀剣鑑定の勤めも果たし、十九歳で切腹場の介添え役、すなわち介錯人となり、二十歳で百合を妻に迎えることが語られています。

 

つぎの第三話「惣領除」は、すさまじい話です。一番衝撃的であり、心惹かれたと言ってもいいかもしれません。

とはいっても、体面というものを重視する当時の社会を描くとき、ありがちとまでは言いませんが、似たような設定は目にしたような気がしないでもありません。

ただ、決して特別とはいえない話であっても、龍玄が介錯人という立場から武士の切腹場を守るために立ちはだかる場面を構築する辻堂魁という作者の筆は感動的ですらあります。

そして、その後の場面での龍玄一家の姿、それも杏子の姿は、緊迫した場面の後に置かれた純真無垢な幼子の姿として心地よさをもたらしてくれるのです。

 

第四話「十両首」もまた哀しみに満ちた物語です。

首打場に臨み、死を悟り暴れる罪人に語り掛け静かにさせる龍玄の姿が浮かび上がります。

 

本書『黙』でもそうであるように、本シリーズではほとんどの場合、首打人、また介錯人としての別所龍玄個人の活躍が描かれるわけではありません。

龍玄は自分が首を落とす、もしくは落とした罪人や侍の人物を知り、首を落とされなければならなかった人々の来し方に思いを馳せるだけです。

そこに至るまでの罪人や切腹をする侍の思いは単純ではなく、隠されたドラマがあります。

そのドラマを浮かび上がらそうとするのが本シリーズであり、架空ではありますが別所龍玄という介錯人の物語なのです。

そのドラマを見事に浮かび上がらせる辻堂魁という作者の手腕に期待しつつ、続刊を待ちたいと思います。

希みの文 風の市兵衛 弐

本書『希みの文 風の市兵衛 弐』は、新しい『風の市兵衛 弐シリーズ』シリーズの第六弾の長編の痛快時代小説です。

本シリーズの第四弾『縁の川』以来、本シリーズに登場している大坂の本両替商「堀井」に関連した一連の事件、人物についての始末がつけられる、といえるのでしょう。

 

唐木市兵衛に返り討ちにされた刺客の一族が、復讐を誓い市兵衛の身辺探索を始めた。一方、大坂に情が移り江戸への出立を渋る小春を、亡姉の親友お茂が訪ねてきた。幼馴染みが辻斬りに遭い、生死の境をさ迷っているという。犯人捜しを始めた市兵衛だったが、己れの居場所を刺客に突き止められてしまう。良一郎らを先に発たせた市兵衛は、自ら死の罠に飛び込み…。(「BOOK」データベースより)

 

序章 小橋墓所 | 第一章 詮議所 | 第二章 武家奉公人 | 第三章 光陰 | 第四章 鈴鹿越え | 終章 大坂便り

 

東小橋村の家へと帰りを急ぐお橘を小橋墓所へと引きずり込もうとした侍は、逆らうお橘に覆面を取られたためお橘の背へ一太刀を浴びせるのだった。

お橘の不幸を知った幼馴染のお茂は、無かったことにされようとしてるお橘の事件を何とかしてくれないかと市兵衛に頼みに来た。

保科柳丈島田勘吉は北船場の本両替商「堀井」を訪ね、店主安元の母親から室生斎士郎の顛末などを聞いていた。

一方、江戸の北町奉行所の詮議所お白州では、小間物商「萬屋」の奉公人の根吉の自死は本両替商「堀井」の無慈悲な取り立てのためだとして、母親と兄は堀井の主人堀井安元と筆頭番頭の林七郎の二人の奉行所の厳正な裁きを求めていた。

江戸での本両替商「堀井」への詮議が終わった日、大坂の市兵衛富平良一郎、そして小春の四人は近江の国の草津にいた。その後土山宿に着いた市兵衛は、迎えに来た島田勘吉と共に山道へと入り、柳丈のもとへと行くのだった。

 

本書『希みの文 風の市兵衛 弐』では、本『風の市兵衛 弐シリーズ』第四弾の『縁の川』において小春と良一郎のあとを追って大阪まで来た市兵衛と富平は、未だ大坂にいます。

 

 

未だ大坂にいる市兵衛らを描いた本書『希みの文 風の市兵衛 弐』で語られるのは、大筋で三つの物語だと言えると言えます。

一つは、小春の姉が世話になっていたお茂が持ってきた、小坂源之助という侍に理不尽に斬られたお橘についての助力の頼みであり、この話が柱になっています。

もう一つは、江戸において為されている大阪に本店を持つ本両替商「堀井」の、小間物商「萬屋」奉公人の根吉の死についての詮議の話です。

そして、大坂において市兵衛により殺された野呂川白杖、室生斎士郎という二人の剣客の兄であり師匠である保科柳丈との対決という三つの物語です。

 

最初のお橘の話は、理不尽な振る舞いに及んだ小坂源之助という男の話です。源之助の父親は小坂伊平といい、大坂東町奉行・彦坂和泉守の家老をしていたのです。

この小坂伊平は「一季居り」という一年契約の武家奉公人であり、「渡り用人」をその職務とする市兵衛とは似た立場にある人物だという設定です。

ですから、仕える家の家政を司る武家奉公人とは異なり、市兵衛は主に家禄の低い旗本や御家人の勝手向きのたて直しに雇われる「算盤侍」であると言います。

そして、この小坂伊平と市兵衛との会話の場面は、伊平の収入の具体的な描写などかなり読みごたえがありました。「一季居り」とはいえ侍であり、奉公人として、また父親としての伊平の言葉は重みを感じるものだったのです。

 

奉行の家老職でさえも一季限りの奉公ということがあるのか、とネットを調べましたが、庶民や武家の奉公人の間では一季奉公はあるものの、家老職といった重要な役職での一季奉公の事実は見つけることはできませんでした。

例えば、「江戸時代の雇用等 – 一般財団法人 日本職業協会」 では「上級の者は一般に終身の奉公」であることが示唆されているだけで、一年契約の方向という事例は見つけることができなかったのです。

でも、「一季居り」という言葉自体が「無い」ということでもないのでそのままに読み続けましょう。

息子の小坂源之助との関係性はいつもの、市兵衛による痛快な仕置き場面があります。弱きものに対し高圧的な世間知らずを叩きのめす市兵衛の活躍を楽しむだけです。

 

次いで、本書『希みの文』で語られるのは、江戸で行われた本両替商「堀井」の詮議の様子です。この場面はいつものお白州の場面とは異なる進行があります。具体的な詮議の進め方が簡単ですが示されています。

ここで「本両替商」と単なる「両替商」の違いが気になりました。

そもそも、徳川家康により貨幣制度が整備され、金、銀および銭の三種類の通貨が流通することとなり、円滑な取引のために通貨間の両替が必要となって、「両替商」が成立したそうです。

この「両替商」は「脇両替」と「本両替」とに分化したそうで、脇両替は銭貨の売買を業とし、本両替は金銀両替および信用取引を仲介する業務まで行ったそうです(詳しくは ウィキペディア を参照してください)。

 

そして、本書『希みの文』の最後は市兵衛の剣の見せ場が設けられています。このところの三巻の敵役として登場してきた剣客の総まとめとしての保科柳丈の登場です。

この保科柳丈は大物として、しばらくは市兵衛の敵役として登場し続けるのかと思っていましたが、そうでもなかったようです。

それでも、単なる悪役ではなく、侍としての心を持った武士として登場し、死んでいきます。その剣戟の場面は作者も慣れたもので、読みごたえがありました。

今後、また江戸にもどってからの市兵衛の新たな展開を楽しみたいと思います。

天満橋まで 風の市兵衛 弐

定町廻り“鬼しぶ”の心配をよそに、唐木市兵衛は未だ大坂に在った。世話になった長屋のお恒の息子が、突然、殺されたのだ。堂島の蔵屋敷で働く孝行息子だったが、その背中には幾つもの刺し傷があった。下っ引の良一郎らと下手人を追う市兵衛。堂島は米の取り付け騒ぎに震撼していた。同じ頃、市兵衛をつけ狙う刺客が現れた。気配からかなりの凄腕と思われ…。(「BOOK」データベースより)

 

序章 西方浄土 | 第一章 土佐堀川 | 第二章 東天満 | 第三章 権現松 | 第四章 梅田墓所 | 終章 帰郷

 

新シリーズ『風の市兵衛 弐』の第五弾です。

 

大坂に来るきっかけとなった小春の姉の死から始まった事件自体は、市兵衛らの活躍で一応解決していた。

しかし、大坂でお世話になったお恒ばあさんの裁縫仕事を手伝いつつ裁縫の手ほどきも受けている小春の望みで、未だ大坂にとどまっている一行だった。

ところが、そのお恒の一人息子で島崎藩蔵屋敷蔵元《大串屋》の手代をしている豊一が、蔵屋敷で働いていた通いの出仲仕に惨殺されるという事件が起きる。

事件が起きた島崎藩蔵屋敷ではなにか問題があったらしく、豊一の遺骸を亡骸を引き取りに行った市兵衛らの一行は、蔵方の侍から、豊一から何か預かっていないかと尋ねられるのだった。

一方、前巻の終わりで市兵衛と立ち会い敗れた野呂川白杖の兄保科柳丈は、同じく彦根城下に住まう配下の剣士室生斎士郎に、白杖の死の実際を調べその無念を果たすようにと命じていた。

 

前巻の新シリーズの第四弾『縁の川 風の市兵衛 弐』で大坂に来ていた市兵衛たちですが、本巻においてもまだ大坂にとどまっているままです。

 

 

その大坂で、市兵衛たちが世話になっていたお恒ばあさんが難儀に会っているため、その手助けをすることになる、というのが本巻の中心となる話です。

その一方で、本作での市兵衛の相手として室生斎士郎という侍が登場します。この侍は前述の通り前作で市兵衛に倒された野呂川白杖の兄である保科柳丈から命じられた剣士です。

この剣士は本書の本筋の話とは無関係に登場してきた人物であって、市兵衛との剣劇場面用の設定のために設けられた人物との印象があります。

それは、シリーズの中で今後は保科柳丈という男が黒幕となるのではないか、この男が市兵衛の敵役として残っていくという展開の伏線ではないかとも受け取れるのです。

 

また、本書では島崎藩の蔵屋敷での米に関する取引が事件の核心となっていて、その実際についての知識が説明されています。

ここでの現物取引である正米取引と先物取引である空米取引との仕組みについての説明は、ウィキペディアでも説明されているところです。

こうした江戸時代の経済の仕組みについての解説が本シリーズの特徴の一つでもありますが、本書ではこれまで以上に詳しい説明が載っているように思えます。

 

このような相場の話を扱った作品として必ず思い出すのが獅子文六が著した『大番』という作品です。

この作品は、戦後の東京証券界でのし上がった男の一代記であって、日本橋兜町での相場の仕手戦の様子が描かれた痛快人情小説です。、少々古い本(1960年代)ですが面白さは保証付きです。

 

 

ともあれ、本書『天満橋まで 風の市兵衛 弐』は、シリーズの中ではあまり大きな展開はない、一息ついた物語だと言えます。

新シリーズになって早々に描かれた吉野の村尾一族はもう絡んでは来ないのか、また心強い仲間である返弥陀ノ助はどうなっているのか、そちらの話も読みたいものです。

女房を娶らば 花川戸町自身番日記2

南町奉行所の端女お志奈が浅草花川戸町の裏店に帰ると、定職をもたない一つ歳下の亭主三太郎が、なぜか旅支度中で、他国に行こうという。前夜に近くの渡しで追剥ぎ騒動があったばかり…。と、戸が激しく音をたて、悪相の用心棒らがどっと入ってきて、三太郎を引きたてていった。残された若い女房お志奈は…。(「BOOK」データベースより)

 

「花川戸町自身番日記シリーズ」の第二巻となる長編の人情時代小説です。

本書もまた、前巻と同様に切なさに満ちた物語となっていて、物語の展開も私好みの話になっていました。

 

本書は目次こそ「第一話」として短編のような印象ですが、第一巻とは異なり短編集ではなく一編の長編小説でした。

第一話「ろくでなし」は三太郎というろくでもない男の話であり、第二話「無謀」は三太郎の健気な若妻のお志奈が巻き起こした事件を中心とした話、第三話の「国士無双」は槍の名手と称えられた小田切常敏とその妻の須磨という食い詰め浪人夫婦の物語だと一応は言えても、少々無理を感じます。

第四話「のるかそるか」は、これまでの話の総まとめのクライマックスとなる物語であって、全体として一編の長編というしかありません。

 

本書では三組の夫婦の物語が語られていると言えそうです。

女房の願いを裏切り続ける三太郎と、その三太郎のために思い切った行動をとる健気なお志奈の切なさに満ちた話がまずあります。

それに、駆け落ちはしたものの夫は病に倒れて日々の暮らしにも事欠き、妻は女郎になってしまう夫婦の話があります。

そしてもう一組、南町奉行と公家筋のお姫様育ちという後添えの奥方である瑞江の話も先の二人に絡んできて、三組の夫婦の物語ともいえそうです。

話のメインはこの三組の夫婦の女たちです。そこに、花川戸自身番の書き役である可一や第一巻にも登場した手習いの師匠をしている高杉哲太郎、それに南町奉行所定町廻り方同心の羽曳甚九郎という男どもが振り回されるのです。

 

丙寅の火事によって父親を亡くしたお志奈は母親と共に花川戸に越してきて、可一を兄さんと慕っていました。

ところがそのお志奈が、やはりどうしようもない父親に捨てられ一人になり、悪さばかりして町内の鼻つまみ者になっていた三太郎と所帯を持ったのです。

その三太郎が更なる悪事を引き起こし、命を取られそうになったために、予想外の行動をとるお志奈でした。

 

こうしてお志奈と瑞江にとって少々都合のいい話が展開します。しかし、そうしたご都合主義的な話の進行もそれほど気にならずに読み進めることができるのは辻堂魁という作者の語り口の上手さでしょうか。

クライマックスも、その大仕掛けな捕物のありようもさることながら、結末も意外な様相を見せる展開となり、読み手の心情も納得させるうまい終わり方になっています。

 

冒頭に述べたように、全体的に切なさが漂う雰囲気ですが、それは辻堂魁という作者の紡ぎ出す物語の一つの特徴だとも言え、個人的には非常に好ましく、私の波長にあった物語となっている作品でした。

ただ、この作品のあとがなぜか書かれていないのです。せっかく面白いシリーズとして展開しているのですから続編が書かれることを期待したいと思います。

夜叉萬同心 本所の女

夜叉萬と綽名される北町奉行所の隠密廻り方同心・萬七蔵。その御用聞を務める元女掏摸のお甲は、幼い頃に自分を捨てた母・お泉と再会。お泉から、岡場所より消えた武家の内儀を捜してほしいと依頼される。一方、七蔵は本両替商の手代・惣三郎が行方不明となった事件を追うが、二人はやがて、暗い欲望を持つある男の元へ辿り着く―。名手による傑作シリーズ!(「BOOK」データベースより)

 

本書、辻堂魁著の『夜叉萬同心 本所の女』は、『夜叉萬同心シリーズ』の第六弾となる長編の痛快時代小説です。

 


 

序 落葉
夜叉萬の手先を務めるお甲は、お泉の夫だという丸之助という男と共にいた本所の河岸通りの一軒の出茶屋で、出茶屋のおかみ夫婦と二人の幼子に気持ちが晴れるのを感じていた。
第一章 二つの失踪
その日萬七蔵は、北町奉行小田切土佐守直年の直々の命により、行方不明になっている日本橋本両替町の金銀御為替御用達である嶋屋の惣三郎という手代の行方を探ることになったが、調べるにつれ、有能と言われていた惣三郎の裏の顔が見えてくるのだった。
一方お甲は、幼いころに自分を捨てて以来会う母親のお泉から、行方不明になった女郎を探してほしいと頼まれる。その女郎は武家の妻女であり、探索を公にはできないというのだ。
第二章 おはや
惣三郎の行方を探っている夜叉萬は、惣三郎が岡場所だけではなく、吉田町の丹右衛門の賭場でも遊んでいたという事実を探り出していた。
また、お滝の行方を探っていたお甲は昨日訪れた大川端の出茶屋にいた。ところが、そこに四人の侍が現れ、出茶屋のおかみのおはやを相手にした仇討ちが始まるのだった。
第三章 悉皆屋
翌日、砂村新田の海辺で簀巻きにされた嶋屋の惣三郎の亡骸が見つかった。丹右衛門が被った損害という新たな情報と合わせると、丹右衛門の仕業とも思われた。
一方、お甲はやはり御家人の女房だった二人の夜鷹が行方不明になっていたこと、そしてそれが悉皆屋の百次という男が怪しいという話を聞き込む。
結 別離
萬七蔵は久米信孝とともに、おはやのその後の処理のために松江藩の屋敷へとやってきていた。また、お甲は大川端の出茶屋へと来ていた。

 

本書では、まず萬七蔵に関連して、嶋屋の惣三郎の失踪事件があります。

次いでお甲に関しては、幼い頃にお甲を捨てた実の母のお泉との話と、そのお泉から頼まれたお滝という女郎の探索の話があって、更におはやという敵持ちの女の話という都合三つの話が語られていて盛沢山です。

そして、そのどれもが切なさにあふれた物語となっているのですが、夜叉萬の出番としては半分ほどしかありません。もちろん、見せ所の七蔵の剣劇の場面はちゃんと用意してあり、そうしたメリハリはきちんとつけてあります。

 

ただ、重要な登場人物である悉皆屋の百次という男が第三章に至って突然登場してきたのには、若干違和感を感じないではありませんでした。

たしかに本『夜叉萬シリーズ』は謎解きをメインとする捕物帳ではありませんが、それでもこれだけ重要な人物が突然登場するというのは不自然という印象は持ちました。

 

ただ、お甲に関しての三つの物語は、一般受けする通俗的な話とは言えるでしょうが、個人的には決して悪い印象は持てずに、哀切感の漂う物語として嫌いではありませんでした。

それが夜叉萬の物語として適当かどうかはまた別の話です。

 

何よりも、本巻は前巻から二年以上の間をおいての『夜叉萬シリーズ』の新刊です。このシリーズがいまだ続いていることを喜びたいと思います。

夜叉萬同心 もどり途

浅草・花川戸で貸元の谷次郎が殺され、前後して唇に艶紅の塗られた若い女の死体が見つかった―。夜叉萬と綽名される北町奉行所の隠密廻り方同心・萬七蔵は、内与力・久米信孝の命により、谷次郎殺しの下手人との差口のあった「あやめの権八」なる男の裏を探り始めるが、事態は急展開をみせる。著者の原点であるシリーズ、待望の書下ろし新作。一寸先の闇を斬れ。(「BOOK」データベースより)

 

本書、辻堂魁著の『夜叉萬同心 もどり途』は、『夜叉萬同心シリーズ』の第五弾となる長編の痛快時代小説です。

 


 

序 秋光
浅草花川戸町の貸元・谷次郎が何者かに殺害された九月のある日の翌日の昼下がり、向島隅田村の河原で水草の間に浮かぶ若い女の亡骸が見つかった。小網町三丁目の下り塩仲買問屋隅之江の大女将お純に奉公するお豊という娘だった。
第一章 黄昏
夜叉萬は、北町奉行小田切土佐守の内与力久米信孝から、十年以上も前に江戸追放に処されたにもかかわらず江戸に舞い戻っているらしい“あやめの権八”という無頼を調べるようにと申し付かる。浅草の谷次郎殺しは権八の仕業ではないかというのだ。
権八らしいと思われる男のやっている《あやめ》という蕎麦屋にいくと、そこに、指物師の伊野吉という男が出入りしているのに出くわすのだった。
第二章 言問い
月が明けた十月初め、下り塩仲買問屋の隅之江に奉公する梅という娘がお文を訪ねてきて、殺されたお豊から聞いたとして、お豊は隅之江の大女将のお純をゆすっている正五というじいさんに殺されたに違いないので調べてほしいと言ってきた。
第三章 初恋
“あやめの権八”の手下の瓜助が盗みで捕まり、夜叉萬に話したいことがあると言ってきた。自分の首と引き換えに、あやめの権八らが殺された件について、伊野吉という指物師のじじいの関りを知っているというのだった。
結 お藤ねえさん
正五じいさん殺害犯人が捕まり、七蔵はお純のもとへと報告にやってきたが、そこには正五じいさんの妻であるお藤がいたのだった。

 

本書ではあやめの権八と指物師の伊野吉の話(第一・三章)と正五というじいさんとお純の話(序、第二章、結)という二つの物語から構成されています。

共に哀切漂う話です。伊野吉の話は殺し人として人の道を踏み外した男が抱いた一人の女郎への恋心の話であり、そしてもう一つは、若い頃のお純の幼い無分別な恋の話です。

辻堂魁の物語らしく、切なさに満ちた話ですが、特に隅之江の大女将であるお純の話は当初思っていたよりも話が一歩踏み込んでいて、若干の意外性と共にもの悲しさの漂う話として出来上がっています。

 

どうも、本シリーズ本来の基本的な設定である、非道に対する果せぬ仕置きを代わりに執行する男としての夜叉萬、という姿は少なくとも本巻に関しては、その色が薄くなっているようです。

前巻あたりから何となく傾向が変わってきた印象はありましたが、本書ではそれがはっきりとしていたように思えます。

極端に言うと、この物語は夜叉萬シリーズではなくて『日暮し同心始末帖シリーズ』であってもなんらおかしくはない、そういう印象なのです。

それは私がそう感じたというだけのことであり、シリーズの色の話ですから、それは事の良しあしというよりは、単に個人的感想に過ぎませんが。

 

何はともあれ、面白いシリーズであることは間違いありません。

神の子 花川戸町自身番日記1

花川戸町の表通りと“人情小路”の辻にある自身番に書役として雇われている入倉屋の可一、二十七歳。可一は自身番日記に記すため、町内に起こった出来事を調べる過程で、けなげに懸命に生きる人々の悲喜劇や事件に絡み、かかわっていく。恋あり笑いあり人情の哀愁あり、壮雪な殺陣ありの、三話オムニバス形式。(「BOOK」データベースより)

 

「花川戸町自身番日記シリーズ」の第一巻です。

全体としてとても切なさの漂う、辻堂魁お得意の物語で、私の波長にあった作品集でした。

 


 

序 浅草川
曲亭馬琴のような物書きになることを目指している花川戸の自身番に詰める可一は、今日も町内の出来事を語る当番の話を聞いていた。

第一話 一膳飯屋の女
浅草川に面した一膳飯屋《みかみ》を舞台にした哀切漂う人情物語です。

吉竹は一膳飯屋《みかみ》を一人で切り盛りしている。一緒に店をやっていた母親が亡くなって三年が経ち、吉竹も二十九歳になっていた。

母親が亡くなってから昼間だけはお八重という女を雇ってはいたものの、夜は吉竹が一人でてんてこ舞いだった。そこに半年前から彦助が押しかけ手伝いに来るようになっていたが、遊び者の彦助は店の金に手を付けることはあっても、手伝いもせずにぶらぶらしているだけだった。

そしてお八重さんが辞めることになり、口入屋を通してお柳という女が住み込みで働きに来ることになった。

第二話 神の子
浅草花川戸と川越を結ぶ新河岸川船運の船頭の啓次郎の一人娘お千香を主人公とした、ファンタジックな要素を持った、切ないけれど心温まる人情話です。

お千香が四歳になってからは、啓次郎が船運についているときはお千香は五郎治お滝の家主夫婦に預けられていた。

船が出ないときは、お千香は啓次郎の弟子である常吉と六平とを相手に、丁半博打をして遊んでいたのだが、お千香には賽子の音が聞こえ、賽子の出目が分かるという特技を持っていたのだった。

ある日、五郎治夫妻が旅に出ているときに急ぎの仕事が入り、啓次郎はお千香を連れて川越まで行くことになった。

第三話 初恋
花川戸で手習いの師匠をしている高杉哲太郎を主人公とした切なさあふれる物語です。

高杉哲太郎は花川戸で手習い所を始めて七年が経っていた。子供たちを連れて田畑をめぐって秋の実りを実見した帰り大川橋とも呼び慣らされている吾妻橋に差しかかったとき、浅草広小路より御忍駕籠とすれ違った。

数日後、可一が詰めていた自身番に立派な駕籠がやってきて高杉哲太郎の手習い所の場所を聞いてきた。可一が案内をしたが、《みかみ》にいた高杉は居留守を使い、客に会おうとはしない。

その後、可一は高杉の過去を聞くのだった。

 

本書は「花川戸町自身番日記」というわりには、日記の主体である可一本人は完全な脇役としての存在でしかありません。その日記さえもあまり登場はしないのです。

しかしながら、全体としてみると、可一が知る町の住人のそれぞれのドラマが繰り広げられ、そのどこかに可一が存在しています。

そして、お互いの物語にそれぞれの物語の主役が今度は単なる住人の一人として顔を出しています。

花川戸という町の物語という設定なので当たり前と言えば当たり前のことなのですが、広い江戸の片隅で展開される人情話として、誰でもが同じような切なさにあふれた断片を持ちながら暮らしているのだと語りかけているようで、心に沁みます。

 

本書では、「序」においてこの物語の狂言回し役としての可一という書き役を紹介し、更にその可一が花川戸の町を歩くという場面で始まります。

その「序」の中で、三篇の物語に登場する人物をさりげなく織り込み、紹介しているのです。

そして、収められている三篇の物語も、大人の恋、親子の情、夫婦の愛情とそれぞれに異なる色合いの物語を用意し、更には、ファンタジックな話や剣戟の場面を盛り込んだ話などとそのタッチまでも多彩な物語としてあるのです。

 

このシリーズもあと一巻しかありません。続編が書かれることを期待したいと思います。

花川戸町自身番日記シリーズ

花川戸町自身番日記シリーズ(2019年12月04日現在)

  1. 神の子
  2. 女房を娶らば

 

本所中之郷から大川橋、またの名を吾妻橋を渡るとそこは浅草広小路です。その北側にある花川戸町とそのさらに北側の山之宿町との町境にある人情小路の辻に自身番があります。

本書はその自身番に詰めている書役である可一を狂言回しとする人情物語集です。

 

本シリーズは現時点(2019年10月07日現在)で二巻しか出版されていません。

第二巻『女房を娶らば 花川戸町自身番日記2』の出版が2012年9月25日となっていますので、まる七年以上続編は出ていないことになります。もしかしたらシリーズとして完結しているのかもしれません。

本書は2011年に初版が発行されていますが、2008年3月発行の『夜叉萬同心 冬かげろう』が作者の辻堂魁のデビュー作ですから、わりと初期の作品だということになります。

 

 

風の市兵衛シリーズ』の第一弾も2010年3月に出版されているところを見ると、辻堂魁という作者はその初期の作品から新人とは思えない作品を出されていることになります。

 

 

情景や人物像の描き方などが、私にとっては絶妙でありすんなりと入ってくるのです。

たしかに、少々通俗的である、という評価はあるかもしれませんが、そのことでさえ私にとっては読みやすい物語として心地よいのであり、読みやすいのです。

人情物語はかなりの数を読んできていると思いますが、本作品は私の感性にあう作品でした。

二巻しか出ていないことが残念です。

おくれ髪―吟味方与力人情控

旗本や諸藩の江戸屋敷、蔵宿から鮮やかに大金を奪い、その金の一部を暮らしに窮する下々の家に投げ入れる盗賊“銀狼”。義賊と噂の盗賊一味の捕縛を命じられた北町奉行所吟味方与力の鼓晋作は、押し込み先では誰も傷つけず、手妻のように犯行を繰り返す賊の手掛かりを求め、過去の似た手口や襲われた武家の共通点を洗い出してゆく。そして、十年前に南北両奉行所を翻弄し、忽然と姿を消した一味にたどりついた。そんな地道な探索の最中、一人の座頭が殺され、その男に借金していた小普請組の御家人一家が離散していたことが判明する。悲運に見舞われ、残された姉弟三人と盗賊の間に隠された因縁とは!?好評を博す長編傑作時代小説第二弾!(「BOOK」データベースより)

 

本書は「吟味方与力人情控」シリーズの第二巻である長編の痛快人情時代小説です。

 

本書ではまた奉行が代わっています。永田備後守正道の死去により榊原主計頭忠之が北町奉行職に就きます。同日、本シリーズの主人公鼓晋作は北町奉行所詮議役吟味方与力は助(すけ)から本役へと昇任しました。

この頃、江戸では銀狼と呼ばれている盗賊の一味が世間を騒がせていました。この銀狼は、大身の旗本や諸藩、並びに蔵前の蔵宿ばかりを狙い、そのうえで奪った金品を貧しい町民に施し義賊と呼ばれていたのです。

北町奉行の榊原主計頭は、癇癪持ち、気短と評されるほどの男であり、前巻の花嵐の一件で手柄を立てた鼓晋作を頭として銀狼捕縛の専従の組を作るよう命じるのでした。

そうするうち、城の市という名の血も涙もないと言われていた金貸しが殺されます。この城の市は柳橋の評判の芸者の花守に入れあげており、いずれ女房にすると言っていました。

銀狼についての調べていくなか、晋作の幼馴染みで隠密廻り方同心の谷川礼介が、十年ほど前まで江戸の町を荒らしていた白狐の一味を追っていた伝助という元岡っ引きを訪ねるよう言ってきました。

 

本書もまた、ひと昔前の出来事が今につながり、鼓晋作らの出番となる話です。

かつて親を殺され、天涯孤独の身になった兄弟が、当時の伝手を頼り生き延び、長じて現在への出来事へと結ばれていきます。

ひと昔前の出来事は切なさにあふれた出来事であり、その切なさを抱えつつ、様々な思惑のなかで銀狼として行動することが宿命のようです。

 

こうした、ひと昔前の出来事を遠因として今につながるというパターンは、辻堂魁の物語の一つの形でもあるようで、本シリーズの第一巻もそうでした。

とはいえ、それぞれの話ごとに話が練られ、読みごたえのある物語として紡がれています。

ただ、前巻でも書いたように現在(2019年9月)の辻堂魁の作品群と比してもかなりの部分で感情過多であり、より通俗的に感じます。

 

そして、今のところ本巻以後このシリーズは書かれていません。

ただ、私は本シリーズが終了とか、完結したという情報には接していません。もしかしたら復活する含みがあるのか、それとも私が知らないところで本シリーズの終了宣言が既になされているものか、全くの不明です。

与力を主人公にした珍しいシリーズでもあり、今の辻堂魁の物語として読み続けたい気もします。

花の嵐―吟味方与力人情控

北町奉行所吟味方与力助・鼓晋作は、江戸町会所七分金積立の使途不明金を探索していた。七つの町を取り締まる平名主・逢坂屋孫四郎を横領の疑いで詮議立てする直前に、孫四郎雇いの書役である藤吉が、姿をくらました。さらに藤吉の住家で、惨殺され血塗れの双親と女房の無残な死体が発見され、まだ乳飲み子の姿が消えていた。この一件は、お調べの手が迫り、使い込みの発覚を恐れた藤吉が錯乱し、一家無理心中を謀ったあと、小名木川に身投げしたとして処理され、藤吉ひとりの仕業として一件落着された。だが、事件から十一年後、使途不明金に関わりのあった者らが次々と殺されてゆく。情けと剣の傑作長編時代小説。全面改稿のリニューアル版!(「BOOK」データベースより)

 

本書は「吟味方与力人情控」シリーズの第一巻である長編の痛快人情時代小説です。

 

これは辻堂魁の小説に限ったことではないのですが、辻堂魁の物語では特に、よく調べられた江戸時代の行政の仕組みを、その仕組みを利用した犯罪などが物語の中心に据えられ、展開している話が多いようです。

本書の場合、それが江戸町会所の七分積立使途不明事件です。

本書本文によりますと、「江戸町会所」とは寛政の改革の折に江戸町民救済施設として常設された金融機関であり、その会所を維持するために設けられた各町入用平均額の余剰分七割を積み立てる貯蓄制度が「七分金積み立て」だそうです。その「使用目的は囲籾買入れ、米蔵の修理、窮民店賃貸付や米銭交付になっている」とありました。

そして本書では、この「七分積立金」の使い込みの責めを負わされた逢坂屋孫四郎雇い書役の藤吉という男の姿が語られています。

 

本「吟味方与力人情控シリーズ」は、該当の項でも書いたように2008年に学研M文庫から出版されたものに大幅に加筆修正され、2015年にコスミック出版から出版されたものです。

即ち、殆ど辻堂魁のデビュー後まもなく書かれた作品と言え、それだけに今の辻堂魁の作品群と比較すると、より通俗性が高いように感じます。

より直接的に感情に訴えかける表現などが多用され、少々くどくも感じました。

修辞法使い方の問題なのか、美文調と言っていいものなのか、こうした技法を何というのかは知りませんが、ストーリーの構成の仕方とも相まって、より通俗的になっているという印象です。

 

こうした作品に接したときにいつも感じるのが、山本周五郎の初期の作品とそれ以外、特に後期の作品との差異です。

初期の作品では講談調の文章がそのままに記されているのに対し、後期の作品での文章の格調の高さは、全く異なる作品となっているのです。

 

従って、私の好みからすると本書は少々くどさを持っている作品だということになるのですが、それでもなお珍しい「与力」を主人公に据えた物語であることもあって、痛快時代小説としての面白さはあると言えるでしょう。