当代売れっ子の若手歌舞伎役者・姫川菱蔵が、てき屋の若者に瀕死の重傷を負わされた。しかし、その事件はなぜか表沙汰にされなかった。武家出身の読売屋“末成り屋”の主・天一郎は、さっそく事件を調べ始めたが、背後には歌舞伎界を揺るがす大疑獄が…。正義の筆と類まれなる剣技と最強の「小筒」で天一郎が歌舞伎界の暗部に迫る。(「BOOK」データベースより)
読売屋天一郎シリーズ第二巻の長編痛快時代小説です。
やんまの公平が、酒に酔った役者の姫川菱蔵を袋叩きにしてしまいます。そのため、菱蔵は木挽町広小路森多屋の霜月朔日の顔見世興行を休まざるを得なくなってしまいました。
姫川菱蔵は江戸歌舞伎を支え、六世市瀬十兵衛に間違いないと言われているほどの役者でしたが、酒癖が悪いのが玉に瑕だったのです。
そのことを聞いた天一郎はさっそく瓦版に仕立てるべく調べを始めるのですが、話は意外な方向へと進むのでした。
ここで、名前の出てきた江戸三座の一つ木挽町森多座は、時代小説ではしばしば出てくる名前です。ただ、「森多座」ではなく「森田座」と表記されているのが普通だと思うのですが、本書で「森多座」とされている理由は不明です。
そもそも、江戸三座とは「江戸時代中期から後期にかけて江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋」を言います( ウィキペディア : 参照 )。
五世市瀬十兵衛は若い頃の名を天雅といい、後に五世を継いだ時に天雅の名を俳号として残していました。そこから五世を継ぐ逸材として、五世の甥である姫川菱蔵は小天雅と呼ばれていたのです。
本書はその森多座の看板役者である五世市瀬十兵衛とその甥の小天雅こと姫川菱蔵、そして二人の昔にかかわりのあるお英、公平姉弟との物語です。
そこに、森多座の興行をめぐる思惑が絡んだ物語になっています。
ここで、物語中に「座元」や「太夫元」という言葉が出てきます。
「座元」とは歌舞伎の興行権を持つものをいい、「太夫元」は本来は役者全体を監督する者を意味していたのですが、のちには「座元」と同義になったそうです。
それはともかく、天一郎はやんまの公平を調べていくうちに、公平の人柄を知り、また五世の人間性も知ることになります。
そこに人情劇の素地が生まれ、また森多座にからむ思惑に関して痛快小説の下地が生まれることになります。
本シリーズを読み始めた当初の違和感は本書を読む限りでは全くなく、辻堂魁の物語として楽しむことができました。読書力というものがあるとするならば、私にはその力はあまり無いと自覚する必要があるようです。