玉響(たまゆら)

玉響(たまゆら)』とは

本書『玉響』は『別所龍玄シリーズ』の第五弾で、2025年7月に光文社から272頁のハードカバーで刊行された、長編の時代小説です。

主人公の首斬人若しくは介錯人という立場上、物語は斬首もしくは介錯される側の者の話に成りがちですが、その弱点をうまくかわした読みがいのある物語になっています。

玉響(たまゆら)』の簡単なあらすじ

不浄な首斬人と蔑まれる生業を祖父、父から継いだ別所龍玄は、まだ若侍ながら恐ろしい使い手。親子三代のなかで一番の腕利きとなった彼は、武士が切腹するときの介添え役を依頼されるようになる。金貸し業で別所家を守ってきた母、静江、五つ年上の妻、百合子と幼子の娘、杏子。厳かに命と向き合い、慈愛に満ちた日々を家族と過ごす、若き介錯人の矜持。生と死のはざまで凛とした世界が大絶賛された「別所龍玄」シリーズ最新刊。(内容紹介(JPROより))

目次

「一僕」
井之頭上水北側にある日無坂で、幕府大御番組大番衆の赤沢広太郎とその雇い人の元相撲取りの御嶽山が斬り殺される事件が起こった。しかし、その翌々日に北町奉行所に、井伊家下屋敷荷物方・島田正五郎に中間奉公していた松井文平と名乗る浪人者が出頭してきた。

「武士の面目」
門前名主の十兵衛は、材木石奉行配下手代の塚越家に婿入りをした三男の佐吉郎が不始末を犯したという話を聞かされてきた。武家になりたいという望みを持っていた佐吉郎に塚越家への入り婿の話があり、持参金とともに式をあげたのだが、そこには裏があった。

「黒髪」
上月利介率いる押し込みの一味四人が捕縛され、龍元の手によって首を討たれることになった。ただ、首打ちの前に上月利介が本条孝三郎と話をしたいと言っており、呼ばれて行った牢屋敷で本条孝三郎が聞いたのは、幼いころに捨てられた実の母親のことだった。

「許されざる者」
火付盗賊改当分御加役の糸賀団右衛門配下同心の渋山八五郎は、功を焦ったこともあり、無宿狩に引っかかった一人の若者を責問がすぎて誤って殺してしまう。ところが、その若者は、町火消の顔役で幕府にも顔の効く元御職の孫であり、町火消のめ組の頭を父親とする男だった。

玉響(たまゆら)』の感想

本書『玉響(たまゆら)』は『介錯人別所龍玄シリーズ』の第五弾となる読み応えのある時代小説です。

本シリーズの魅力は、何度も書いてきていることですが、龍元というクールなキャラクターの魅力がまず挙げられます。

それと同時に、首切りという凄惨な場面に対する、妻の百合や娘の杏子、それに母親の静江、下女のお玉といった明るく幸せな家族の描写もまた魅力の要素になっていると思います。

龍元の家族の普通の佇まいが情感豊かに描かれることで、殺戮の場面などで切なさに満ちていた物語の全体が救われるのです。

 

第一話の「一僕」は、幕府大御番組大番衆の傍若無人な振る舞いと、中間奉公していた過去を捨てた元侍の敵討ちの話です。

善人の島田正五郎やその奥方、そして暗い過去のある松井文平、さらに島田が亡くなった後敵討ちを終えるまでの松井の行動などが人情味豊かに語られます。

理不尽な暴力とそれに対する正義の、しかし悲しみを伴った報復というある種のパターンでもある物語です。

この話の終わりは、松井文平が島田家をやめた後、敵討ちに至るまでの間に宿にしていたおはなさんの店での会話が心に残ります。

 

第二話の「武士の面目」では、侍の身分を金で買った町人の話です。

江戸時代に、金で侍の身分を買うという話は聞いたことがあります。それだけ侍も逼迫していたのでしょうし、逆に商人が金銭という力をつけていたことの証でもあるのでしょう。この物語は商人ではなく、町役人の話ではありますが、内情は変わりません。

ただ、個人的には侍の権威の低下や形骸化した武家社会で起きた理不尽な佐吉郎の話というよりは、江戸の町の私的自治のトリビア的な話のほうに魅力を感じてしまいました。

また、少しですが龍元の立ち廻りを見ることができるのもこの話の魅力でしょう。

また、ラストの龍玄と百合との会話で、百合が縫っているややの産着について、誰のややだと問う龍元に対し、「龍玄さんのですよ」と答える百合の言葉がありました。

 

第三話の「黒髪」は龍元ではなく、北町奉行所の同心本条孝三郎の物語になっています。

本条孝三郎は幼いころに母親に捨てられたという過去を持っていました。その本条孝三郎の前に現れた過去の話です。

人情噺としてはそれなりに読ませる話ではあるのですが、話としては龍元の物語とは関係のない話であり、この本に収納するには若干の無理を感じた話でもありました。

龍元が本条孝三郎の手代わりとして首を打つことが多いという間柄にすぎないのですが、そこに余人には知れない絆があるのかもしれません。

この話の終わりは、立ち去っていく孝三郎と龍元を隠れて見送る の店主の姿がありました。下谷三ノ輪町の梅林寺の梅ヶ小路の「たか」という茶屋の女将がたか枝だった。

 

第四話の「許されざる者」は、火付盗賊改当分御加役の配下同心の話です。

火付盗賊改当分御加役とは、火付盗賊改方本役のほかに、十月の冬から春までの半年間に限り、一名が火付盗賊改を任ぜられる加役のことだそうです。

その火付盗賊改当分御加役の配下同心の一人の強引な責め問いの結果亡くなった一人の若者が、町火消の有力者の家族とわかり、家族からの訴えにより切腹を命じられた武士がいました。

池波正太郎の『鬼平犯科帳』で有名な火付盗賊改方長官の長谷川平蔵が登場することがこの物語の魅力です。

同時に、武家の妻の呼称である「奥方」の由来でもある、この時代の「表と奥」の概念の説明などの豆知識もまた魅力となっています。

 

別所龍元の物語は、斬首される罪人若しくは切腹を行う侍という存在があって初めて意義があるというその性格上、罪を犯すに至る、若しくは切腹を行うに至る事情の話になりがちで、なかなか物語のパターンが限定されそうです。

そうした点から見ると、本書は龍元の立ち廻りはもちろんのこと、龍玄の親しくしている北町奉行所の同心の個人的な話など、作者が色々と工夫を凝らしておられるのがよくわかる作品集となっています。

そして、本書の最後は静江とお玉との会話で終わりますが、そこで静江が百合が身籠ったことが示唆されます。

その後描かれる、杏子をその胸に抱いた時に湧き上がってきた日常の幸せに対する喜びの表現は感動的ですらあります。

乱菊

乱菊』とは

本書『乱菊』は『介錯人別所龍玄始末シリーズ』の第四弾で、2023年6月に268頁のハードカバーで刊行された、長編の時代小説です。

低いトーンで貫かれた本書は、まさに辻堂魁の作品であり、とても面白く読んだ作品でした。

乱菊』の簡単なあらすじ

それは、きらめく銀色の刃が、凄惨な切腹場を果敢ない幻影に包みこみ、誰もが息を呑んで言葉を失くし、切腹場の一切の物音がかき消えた、厳かにすら感じられる一瞬だった。十八歳の春、首斬人としての生業を継いだ男の極致。(「BOOK」データベースより)

目次

「領国大橋」
湯島四丁目で手習所を開いている深田匡という浪人は、妻の紀代が中間の幸兵衛を供に江戸へ出たまま帰らず、その女敵討のために出府してきていた。匡は、武家は家門を維持繁昌させ、家風を揚げ、家名を耀かせるために夫婦になるものだという考えだったが、妻は子を流してしまった妻を不束な嫁と知人に言う夫に対し心が途切れてしまうのだった。

「鉄火と傳役」
後添えの自分の子を跡継ぎとする考えに乗った旗本長尾家の主は、嫡男の京十郎を廃嫡しようとした。そのことを知った嫡男は一段と無頼の道に走り、ただ一人理解してくれていた自分の傅役の生野清順をも手にかけてしまう。その傅役から長男の介錯を頼まれていた龍玄は、ただその約束を果たすのだった。

「弥右衛門」
真崎新之助は三人の侍と喧嘩になり、惨殺されてしまう。新之助は「藤平」の抱えの弥右衛門と互いに好き合っていたため、弥右衛門はこの三人の侍を討ち果たしてしまう。弥右衛門は陰間を生業としてはいても武士としての矜持は失っておらず、もし侍として切腹が許されるのならば、一度見かけてからその姿に心打たれていた龍玄に介錯を願いたいと言うのだった。

「発頭人狩り」
天明の大飢饉に際して福山藩の一揆に参加した尾道の医師である田鍋玄庵は、白井道安と名を変え江戸に逃げて町医者として暮らしていたが、その逃亡を助けたのが龍玄の母親である静江の兄の徒衆である竹内好太郎だった。ところが、田鍋玄庵を追って福山藩の横目の三人が無縁坂の別所家を探っているという話を聞いた。

乱菊』の感想

本書『乱菊』はシリーズも四作目となる作品集ですが、辻堂魁という作家の新たな人気シリーズとして定着していると言えるでしょう。

それほどに安定した面白さを持っていると言えると思います。

 

本『介錯人別所龍玄シリーズ』の魅力としては、主人公別所龍玄の魅力はもちろんのこと、龍玄自身の佇まいの物静かさを家族の存在が包みこみ、全体の暖かさを醸し出している点にもあると思います。

それは、龍玄の妻の百合の美しさの中にある芯の強さと、二人の間の娘杏子(あんず)の可愛らしさなどです。

それに龍玄の母親の静江の強さと、奉公人でありながらも家族の一員ともなっているお玉の暖かさなど、物語自体は悲惨なものが多いのですが、読者の心の安らぎをもたらしてくれています。

また、辻堂魁という作家の特徴でもあるとは思うのですが、特に本シリーズでは登場人物の服装やその場面、背景、それに登場人物の身分や家の家格などの描写が非常に緻密です。

もしかしたら緻密な描写は作者自身のこの頃の傾向なのかもしれませんが、本書では特に人物の服装の描き方がより細密な傾向が強く感じられます。

 

そうした衣装や身分の詳しい描写はこの物語の時代背景が江戸時代であることを読み手に明確に意識させることになります。

そして、別所龍玄という主人公が介錯人であり、刀剣鑑定を生業にしている存在であること、その時代背景があってこそ主人公の存在が際立ってくると言えるのでしょう。

ただ、それにしても緻密な描写に若干の過剰性を感じるのも事実で、もう少し抑えてもいいのではないかとも感じます。

 

また、作者の辻堂魁の作品では権力者による理不尽な仕打ちや無法者の暴力により悲惨な目に会わされる弱者の姿がよく描かれます。

一般の痛快時代小説では、そうした弱者の、強者に対する反撃の一端なりとも叶えるヒーローとして主人公が登場します。

しかし、この作者のほとんどの作品の場合、多くの痛快時代小説とは異なって弱者の危機に際しヒーローが現れるのではなく、すでに悲惨な立場に陥ってしまっている弱者を、せめて恨みの思いだけでも叶える正義の味方として主人公が登場するのです。

本書の場合も同様で、主人公は首打ち人であり、すでに罪人となった者若しくは切腹せざるを得なくなっている弱者の事後の魂の救済人としての龍玄が登場する場面がほとんどです。

 

第一話の「領国大橋」では、武士の面目を保つためにやむを得ず果たす意味しかなかった女敵討を為した浪人の姿が描かれます。

つまり、「女敵討」という武士の面目を保つ意味しかない制度に振り回される侍の姿が描かれているのです。

加えて、夫は普通に過ごしているつもりでそれが当たり前の毎日であるにしても、妻からしてみればまた違う意味を持つ日々だったということも示されています。

 

第二話の「鉄火と傳役」では、廃嫡されたとある旗本の嫡男の哀しみに満ちた姿が描かれています。

武家社会の跡継ぎ問題というよくある話ですが、それを傅役というクッションを挟むことで龍玄の立ち位置を見つけ、侍の虚しさを描き出しています。

「傅役」とは「高貴な子弟につけられる世話係、教育係。」のことを言うそうです( ピクシブ百科事典 : 参照 )。

 

第三話「弥右衛門」は、陰間を生業とする侍の姿が描かれます。

侍社会のなかでの陰間という日陰の生き方をする、しかし侍としての矜持は失っていない男の物語です。

ただ、江戸時代は男色に対して現代ほどの忌避感はなく、それなりに寛容だったとも聞くため、本編は単に恋人を殺された侍の仇討ちとして読んでいいものかとも思えます( nippon.com : 参照 )。
 

第四話「発頭人狩り」は、とある藩の政争に巻き込まれたひとりの医師の物語です。

龍玄の母親の静江の兄の竹内好太郎の友人の医師の白井道安の物語であり、いわば龍元の身内の問題が描かれた作品です。

龍元の義理の伯父が絡んだ話であり、龍元の斬り合いの場面、剣の遣い手としての龍玄が描かれるという珍しい話でした。

介錯人別所龍元の話ではなく、龍玄の立ち廻りを見ることができる珍しい作品であり、この手の話をもっと読みたいという気もします。

 

第一話から第三話までは、侍として生きた男の、侍の社会に生き、そして侍の社会の定めに死んだ男、武家の内紛で廃嫡された男、陰間として生きていた侍たちの侍としての死が描かれています。

それに対し、第四話は、龍玄の伯父の知り合いの理不尽な死に際し、剣士としての龍玄の姿が描かれています。

龍玄は介錯人である以上、その剣は受け身であることは仕方のないことですが、たまにはこういう自分から抜く立ち廻りも読んでみたいと思います。

無縁坂 介錯人別所龍玄始末

無縁坂 介錯人別所龍玄始末』とは

本書『無縁坂 介錯人別所龍玄始末』は『介錯人別所龍玄始末シリーズ』の第一弾で、2015年3月に宝島社文庫から刊行され、2023年3月に光文社文庫から304頁の文庫として出版された、短編の時代小説集です。

2023年3月から2023年6月までの四か月間に、すでに刊行済みだった三巻を含め、一気に四巻が光文社文庫から刊行されました。

その第一弾目の作品である本書は、2015年3月に宝島社文庫から『介錯人別所龍玄始末』として刊行されていた作品を改題し、光文社文庫から再文庫化された作品です。

無縁坂 介錯人別所龍玄始末』の簡単なあらすじ

牢屋敷の首打役を務める別所龍玄二十二歳。介錯人・別所一門の名を背負い、切腹する侍の介錯を頼まれることもある。小柄で物静かな姿は童子のようでありながら、その介錯を知る者の間では凄腕と囁かれる。斬る者と斬られる者、その一瞬に生まれる心の働きだけが、ただそこにあるー。不浄と呼ばれ、恐れられる首斬人の生き様と矜持。涙溢れるシリーズ第一作。(「BOOK」データベースより)

目次
「龍玄さん」
小普請方旗本・村越豊之助の弟の村越小六は、艶本の戯作者を裏稼業にしており、それなりの収入を得ていたが、その裏稼業が小普請奉行に知られ、喚問状が届くことになった。慌てた兄豊之助とその妻久里は一族と諮り、小六は屠腹やむなしとなるのだった。
「一期一会」
龍玄の一刀流の師匠に同じ一刀流を学ぶ奥羽廣川家の新坂小次郎という男を紹介された。由緒正しき部門の誉れ高い家柄の小次郎は、牢屋敷の首打ち役という不浄な役職を継いだ理由を知りたがった。後日、大沢と龍玄は、廣川家下屋敷での「血筋正しき武門の切腹と介錯の場」に招かれるのだった。
「悲悲・・・(かなかな)」
百合の父親の丸山織之助が、勘定吟味役での同僚だった原田六右衛門が家督を譲っている長男の隼の介錯を頼みたいと言ってきた。旅先で渡し船に乗り遅れた隼を近くにいた百姓夫婦が笑ったため、切り捨てたのだ。しかし、実際その場で話を聞くと全く異なる成り行きだった。
「雨垂れ」
ある日、摂津高槻領永井家に仕える別所重蔵とその従兄弟だという侍が訪れてきた。龍玄の曾祖父の別所修五郎は重蔵の曾祖父である慶司の兄であって龍玄も別所一門であり、十七年前の永井家の内紛で事件を起こして出奔した重蔵の大叔父七郎太の介錯を別所一門の名誉のためにと願ってきたのだ。

無縁坂 介錯人別所龍玄始末』について

本書『無縁坂 介錯人別所龍玄始末』は、『介錯人別所龍玄始末シリーズ』の第一弾の短編の時代小説集です。

ただひたすらに「斬られる者と斬る者」との間に交わされる心を感じるだけの龍玄の佇まいは求道者のそれのようであり、読む者もまた自然と姿勢が正されるようです。

静謐な雰囲気のなかに醸し出される首切りという凄惨で涙を誘う場面と、龍玄の彼の家族との暖かな語らいの場面との対比が際立つ作品です。

 

本書は、このシリーズの一弾目らしく「別所家」についての説明が詳しくなされていると同時に、「介錯人」の意義が説明してあります。

つまり、主人公である別所龍玄の人となりについての説明はもちろんのこと、妻の百合、娘の杏子、母親の静江、それに下女のお玉といった龍玄の家族の紹介が丁寧になされているのです。それだけ、龍玄の家族の存在がこの物語で重要性があるということでしょう。

また、龍玄の父親の勝吉、爺さまの弥五郎がすでに亡くなっていることが示され、また別所一門について言及されています。

つまり、爺さまの弥五郎はその出自について摂津高槻領の別所一門と称していただけだということ、その弥五郎の父親、すなわち龍玄の曾爺さまについては摂津高槻領永井家の家臣・別所某という以外、一切何も話そうとしなかったことだけ語られているのです。

そして本書では、少なくとも父勝吉は別所家が牢屋敷の首打人であることに負い目を感じていたらしい描き方をしてあり、さらには血筋正しい「侍」との差異を強調してあります。

 

ただ、当初は龍玄の爺さまである弥五郎は、龍玄の曾爺さまについては摂津高槻領永井家の家臣・別所某としか言っていなかったのですが、第四話「雨垂れ」で、別所家の過去が詳しく語られています。

龍玄は曾爺さまはもしかして出自は百姓ではなかったかとの疑いまでも持っていたのですが、そうした点もすべて明確になります。

「雨垂れ」で登場する侍たちは、自分たちは武門の誉れ高い血筋であり、問題の男は卑しき端女の子だから劣等な血筋の者だと蔑み、一族の裏切り者として腹を切らせようとするのでした。

しかし、別所一門の名を汚してはならないという一族の言葉は思わぬ悲劇を巻き起こすのです。

そこでのあるべき「侍」の姿は龍玄にも向けられることになります。そして「龍玄のほっそりとした体つきに童子の面影を残した風貌」に対し嘲笑をもって迎えるのです。

 

そしてまた、そうした差別の目は、本書では特に第二話「一期一会」でも、龍玄個人に対する「侍」からの差別の眼が強く感じられています。

そこでの血筋正しき侍は、「首打」は「人の上にたつ武門の正義と慈悲の心」をもってなすべきであり、「血筋正しき武門の切腹と介錯の場」を見て学ぶといいとまで言うのでした。

龍玄に対し、何故不浄な首打役になったのか、と問うたり、自分らのことを「由緒正しき武門」などと自称したり、侍のあるべき姿についての信念があるようです。

 

牢屋敷の首打役という不浄な役目という別所家に対する蔑視と、それに対する介錯人としての別所家であろうとする父勝吉の思いをしっかりと受け止めている龍元の心根のあり方がこのシリーズの根底を支えています。

そして、繰り返しますが、そうした差別の対象になっている思いは、首打ち、若しくは介錯の場面の持つ悲惨さをも含めて、百合を始めとする家族の存在で一気に解消されているのです。

文章や物語の背景は全く異なりますが、龍玄の佇まいは葉室麟の『蜩ノ記』に通じるものを感じてしまったほどです。シリーズが続くことを期待します。

介錯人別所龍玄始末シリーズ

介錯人別所龍玄始末シリーズ』とは

本『介錯人別所龍玄始末シリーズ』は、牢屋敷の首打役を務めながら切腹する侍の介錯を頼まれることもある一人の侍を主人公とする時代小説です。

主人公の生業が首打役であることもあり、このシリーズ自体は決して明るい物語ではありませんが、惹き込まれて読んだ作品です。

介錯人別所龍玄始末シリーズ』の作品

介錯人別所龍玄始末シリーズ(2025年10月29日現在)

  1. 無縁坂
  2. 川烏
  1. 乱菊
  2. 玉響(たまゆら)

介錯人別所龍玄始末シリーズ』について

本『介錯人別所龍玄始末シリーズ』は、牢屋敷の首打役を務めつつも、介錯の依頼を受けることもある別所龍玄という侍を主人公とする時代小説です。

作者の辻堂魁が介錯人について書いた一文がありました。

そこでは、介錯人とは「侍が侍としての責任を全うするための切腹の介添役」だが「介錯人という職業はない」とも書いてありました( 侍が侍であるための介錯人:参照 )。

介錯には、「首の骨の関節を切る」ことや、「首の皮一枚を残すなどいくつかの作法が存在する」そうで、そのためには剣の腕の立つ者である必要があったそうです。

介錯人別所龍玄始末シリーズ』の登場人物

シリーズの主人公は、牢屋敷の首打役を務める別所龍玄という浪人者で、シリーズ登場時は二十二歳とありました。

その妻が百合という名で、勘定吟味役でしたが今は百合の兄に家督を譲って隠居の身の丸山織之助の長女でした。二十三歳の時に一度は家禄千数百石の名門の旗本に嫁ぎましたが、数ヶ月の後離縁されています。その後、百合が二十五歳で龍玄が二十歳の時に無縁坂の龍玄のもとに嫁いだものです。百合が嫁いで三年後に杏子が生まれ、シリーズ登場時この秋で三歳になるそうです。

シリーズ第一弾『無縁坂』の第一話「龍玄さん」での百合が初登場の時は二十七歳で、龍玄とは五歳の差夫婦だったそうです。

龍玄の母親は静江といい、金融の才があり小金を貸し付け相応の財を成しています。

龍玄の父は勝吉、祖父は別所弥五郎といいます。

弥五郎は、摂津高槻領の別所一門と称していただけであり、自分の父親、即ち龍玄の曾祖父については摂津高槻領永井家の家臣・別所某という以外、一切何も話そうとしなかったそうです。

以上が別所家関連の登場人物ですが、それ以外に別所家の下女として静江が「心が明るく素直なのがいい」と気に入りきめたお玉という娘がいます。

また、龍玄の一刀流の師匠である、本郷にある一刀流の道場主の大沢虎次郎がいます。

介錯人別所龍玄始末シリーズ』の感想

前に述べたように、シリーズの主人公は牢屋敷の首打役であり、時には介錯人を依頼されることもあった別所龍玄という浪人です。

ただ、龍玄の父勝吉は介錯の経験はないものの、介錯の経験がある祖父の別所弥五郎を侍として誇らしく思っており、自らがさる譜代大名家からの殿様の差料の試し斬りと鑑定の依頼を承ってからは「介錯人・別所一門」を称し始めます。

つまりは、罪人の首切り人はあくまで不浄の御用、職務ですが、武士の切腹の場での介錯は、侍の死に際しての作法に組み込まれた儀式の担い手であり、誇るべき御用だったというのです。

勝吉は自らは介錯の経験はないものの弥五郎の経験を誇っており、自分が試し切りや鑑定の依頼を請けたこともあって浪人ではあっても侍としての矜持を持っていたのでしょう。

ついでに言えば、龍玄が介錯に使う刀は肥後正国の同田貫であり、爺さまの弥五郎の代から介錯にのみ使う一刀だったそうです。

 

辻堂魁という作者の作品は、当初は悪く言えば講談調の定番のお涙頂戴的なストーリーが散見されたように思います。

しかし、大ベストセラーとなった『風の市兵衛シリーズ』を始めとして人情活劇作品を中心に、独自のタッチを確立され、私も全作品を読むようになったものです。

そして、本シリーズに至り、単なる活劇小説ではない、しっとりと読ませる作品も安定してきたように思います。

首切り人という独特の世界を描いている作品だけに、ともすれば凄惨な場面を描く必要もあるでしょう。

しかし、そこは妻の百合や娘の杏子、そして母の鈴江や下女のお玉らの龍玄の家族が大きく助けになり、物語の雰囲気を優しく、暖かなものとしているのです。

また、「侍」という存在からすれば格下に見られる「首打人」という立場を、若干ステレオタイプ的な登場人物ではありますが、うまく配置し、面白い物語として構成してあります。

これまでの活劇小説とは色合いの異なる別所龍元の物語が確立されていると思います。シリーズの存続を願いたいと思います。

 

「首斬人」と言えば、まずは山田浅右衛門の名が浮かびます。「首切り浅右衛門」などとも呼ばれていました。

ただ、別所家同様に浪人ではあっても山田浅右衛門は将軍家御腰物御試しという御用があり、一方別所家は牢屋敷の首打人だったのです。

私が「首切り浅(朝)右衛門」に接したのは、小池一夫原作、小島剛石画の『首切り朝』というコミックが最初です。

このコンビの漫画はほかにもいろいろと読みました。高名なところでは『子連れ狼』があり、山田浅右衛門はこの作品にも登場していたと思います。


 

小説でも鳥羽亮の『絆 山田浅右衛門斬日譚』など多くの作品があります。私もかつて山田浅右衛門を描いた作品を読んだ記憶はあるのですが、残念ながら作者、タイトル共に覚えていません。

山田浅右衛門といっても、その名は代々受け継がれていたようで、先に述べた小島剛石画の『首切り朝』は三代目吉継が描かれており、鳥羽亮『絆 山田浅右衛門斬日譚』は七代目吉利を主人公としているそうです。

うつ蟬 風の市兵衛 弐

うつ蟬 風の市兵衛 弐』とは

 

本書『うつ蟬 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐 シリーズ』の十三弾で、2024年4月に祥伝社文庫から344頁の文庫本書き下ろしとして出版された、長編の痛快時代小説です。

このシリーズもかなりの長さを数えるようになり、どうしてもマンネリという印象が先に立ち、市兵衛の面白さが薄れてきている気がします。

 

うつ蟬 風の市兵衛 弐』の簡単なあらすじ

 

家格の違いにも拘らず、三千石の旗本岩倉家に輿入れした村山早菜。藩の陰謀で父を失うも唐木市兵衛に助けられた川越藩士の娘だ。だが、幸せは束の間だった。市兵衛は兄・片岡信正から、岩倉家の逼迫した台所事情を知らされ、憤る。早菜の幸福を願う後見人の大店両替商“近江屋”の財を貪らんとする卑劣な縁組か。そんな折、変死体を調べる渋井父子は妙な金貸の噂を聞く。(「BOOK」データベースより)

目次
序章 隠田村 | 第一章 花嫁御料 | 第二章 原宿町 | 第三章 銀座町 | 第四章 代々木村 | 終章 五月雨

 

うつ蟬 風の市兵衛 弐』の感想

 

本書『うつ蟬 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛シリーズ』の第十三弾となる長編の痛快時代小説です。

このシリーズもかなりの長さを数えるようになり、どうしてもマンネリという印象が先に立ち、市兵衛の面白さが薄れてきている気がします。

というよりも、かなり厳しいことを言えば本書のストーリーそのものが既視感しかないと言ってもいいほどに独自性が感じられないものでした。

 

旗本岩倉家に輿入れした村山早菜でしたが、この婚姻は高倉家の台所事情、また夫となった高倉高和が起こした不祥事などにより早菜の後見人である大店両替商の近江屋の財産を狙ったものでした。

しかし、主人公の唐木市兵衛は兄の片岡信正と会った際に、信正の配下で市兵衛の親友でもある返弥陀ノ介から早菜の輿入れ先の高倉家の台所事情がかなりひっ迫したものであり、台所預かりという処置では済まず、改易ということにもなりかねないものだという話を聞かされます。

唐木市兵衛は宰領屋矢藤太と共に、父親村山永正亡き後の早菜を襲い来る暴漢から守り河越から江戸の近江屋まで届けたことから、江戸の大店の両替商である近江屋の刀自の季枝からも頼られている存在だったのです。

 

こうした花嫁の家の財産目当ての結婚というストーリーは痛快時代小説のストーリー展開として見た場合ありがちな設定であり、なにも目新しいものではありません。

もちろん、本書『うつ蟬 風の市兵衛 弐』には本書なりの冒頭に示された殺人事件の犯人探しや、メインである早菜の結婚物語への犯人探しの絡み方など一定の工夫(と言っていいものかわかりませんが)は示してあります。

しかしながら、全体としてのストーリー自体に読者を惹き付けて離さないほどの魅力が見いだせないのです。

 

そもそも、この作品の基本的な設定である早菜の婚姻自体に、嫁ぎ先の旗本の台所事情がかなり怪しいことを婚姻の仲介役である権門師が全く知らないことがあり得るものか疑問です。

また、早菜の結婚式で夫の招待客の中に良い噂の無い金貸しの男がいることもまた不自然です。

いくら金を借りているからといって、武士の婚儀の席に良い噂のない町人を招くことはしないのではないでしょうか。

 

辻堂魁という作家の作品は若干そのストーリー展開に似たものがあるのは否めないところです。また、町人の物語にしろ、侍の物語にしろ、人情噺の裏に不条理な哀しみが隠されている点もまた類似点があると言えます。

でありながら、かなり緻密な描写を重ねて組み立てられていくストーリー展開はそれなりの型を持った作家さんとしてかなり面白く読んでいたのです。

ところが、この『風の市兵衛シリーズ』は人気シリーズゆえに二十巻を数え、マンネリを感じるようになりました。

そのため『風の市兵衛シリーズ 弐』として物語の環境に変化をつけたのですが、さらに本書で『風の市兵衛シリーズ 弐』も十巻を超える長さとなり、ストーリーも『風の市兵衛シリーズ』と変わらなくなり、やはりマンネリに陥っていると言わざるを得ません。

 

そうした印象を持っていた中での本書『うつ蟬 風の市兵衛 弐』です。私の中でももう我慢できないと思ったのでしょう。言葉も強くなってしまいました。

面白いことが当たり前と思い読み続けてきたシリーズであるからこそ、ここから更なる飛躍を期待したいのです。

勝手なファンの勝手な繰り言ではありますが、このシリーズが再度魅力を取り戻すことを願います。

蝦夷の侍 風の市兵衛 弐

蝦夷の侍 風の市兵衛 弐』とは

 

本書『蝦夷の侍 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐シリーズ』の第十四弾で、2024年10月に祥伝社文庫から344頁の文庫本書き下ろしとして出版された、長編の痛快時代小説です。

この頃、マンネリとの印象が強い本シリーズですが、本書はその印象が払しょくされてはいないものの、面白く読めたほうではないかと思います。

蝦夷の侍 風の市兵衛 弐』の簡単なあらすじ

 

西蝦夷地アイヌの集落に、江戸の武士がいるという。元船手組同心の瀬田宗右衛門は、その蝦夷の武士が十二年前の刃傷事件で義絶した、長男の徹だと確信する。この夏、跡を継いだ次男の明が成敗され、瀬田家は改易の危機にある。二つの事件に過去の因縁を疑う宗右衛門は、唐木市兵衛に徹の捜索を頼む。だが海路をゆく市兵衛らを、鉄砲を構える“おろしゃ”の賊が阻む。(「BOOK」データベースより)

蝦夷の侍 風の市兵衛 弐』の感想

 

本書『蝦夷の侍 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐シリーズ』の第十四弾となる長編の痛快時代小説です。

マンネリとの印象が払しょくされているわけではないものの、この頃の作品の中では面白く読めたほうではないかと思います。

 

ある事件が元で江戸を出奔したある侍が蝦夷で生きているという噂をもとに、蝦夷地までその侍を探しに行く唐木市兵衛の姿が描かれています。

その侍は名を瀬田徹といい、同僚の尾上陣介という男に斬りつけたことで江戸を離れることになったのです。

ところが、瀬田家の跡を継いだ弟の瀬田明が乱心し剣を振りまわしたため、同じ尾上陣介が切り捨てたという事件が起きます。

そのため、瀬田家の今後のためもあって市兵衛が徹を探しに行くことになったのです。

 

この作者辻堂魁の他の作品と同じく、本書でもいろいろな事柄が詳しく説明してあります。

まずは、本書の主役となる瀬田家の役職である船手組のことに関しての説明があります。次いで、蝦夷地の産業や商売の仕組みなどが語られ、アイヌの暮らしについてもまたかなり詳しい解説が為されています。

辻堂魁の作品はそうした舞台背景が詳細に語られ、さらには当該の場面や情景もかなり緻密に描かれています。

ところが、他の箇所でも書いたことではありますが、シリーズ当初と異なり、その語りや情景描写がどうにも説明的であり、物語の流れに乗れていないと感じるようになってきたのです。

 

本シリーズは「渡り用人」という、期間を区切って雇われ家政のやりくりを行う侍としての唐木市兵衛という浪人者を主人公とし、武家社会における経済の一端が描かれるところにその魅力の一端があったと思うのです。

ところが、江戸期の経済の仕組みという点は簡略になってきていて、またその解説が説明的に感じられるようになってきたのです。

そして、これが一番の難点だと思うのですが、シリーズも長くなり、似たような物語の舞台が設定されることもあり、どうしてもマンネリと感じるようになってきました。

本書は舞台の一端を蝦夷地に設けることですこしは個性を出してあり、指摘したマンネリ感も少しは払しょくされていると思いました。

しかしながら、本書の主役となる瀬田徹の描写も浅く感じられ、また市兵衛の蝦夷地への旅程も特に取り立てて言うこともなく終わっています。

 

また、本書の結末そのものは別として、結末へと至る過程が実にあっさりと処理されてしまい、どうしても物足りなく感じてしまったのです。

せっかく市兵衛の親友である返弥陀ノ介も登場させたのに、その登場にどれほどの意味があったのかも分かりません。

それも、本書の描写が緻密に描かれすぎていることが、ストーリーを展開させる余裕をなくしたように思えるのです。

もともと、主人公のキャラクター設定やそのストーリー展開に魅力を感じファンになった本シリーズです。

また、シリーズ当初のような高揚感をもたらしてくれるような物語を期待したいと思います。

母子草 風の市兵衛 弐

母子草 風の市兵衛 弐』とは

 

本書『母子草』は『風の市兵衛 弐 シリーズ』の第十二弾で、2023年8月に祥伝社文庫から337頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の痛快時代小説です。

 

母子草 風の市兵衛 弐』の簡単なあらすじ

 

還暦を前に大店下り酒屋の主・里右衛門が病に倒れた。店の前途もさることながら、里右衛門の脳裡を掠めたのは、若き日に真心を通わせた三人の女性だった。唐木市兵衛は、里右衛門から数十年も前の想い人を捜し出し、現在の気持ちを伝えてほしいと頼まれる。一方、店では跡とりとなる養子が、隠居しない義父への鬱憤を、遠島帰りの破落戸にうっかり漏らしてしまい…。(「BOOK」データベースより)

目次
序章 新酒番船 | 第一章 根岸 | 第二章 お高 | 第三章 女掏摸 | 第四章 うしろ髪 | 終章 彼岸すぎ

 

母子草 風の市兵衛 弐』の感想

 

本書『母子草 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐 シリーズ』の第十二弾の長編の痛快時代小説です。

 

本書は、主人公の唐木市兵衛が、請人宿「宰領屋」主人で市兵衛の長年の友人でもある矢藤太と共に、霊岸島町の下り酒問屋《摂津屋》主人里右衛門に依頼されて三人の女を探しだし頼まれたものを渡す物語です。

とは言っても、市兵衛と矢藤太との探索の過程が主軸の物語ではなく、探し当てた女が依頼人のもとから消えた理由を聞き出すこと、つまり消えた女たちのその後の人生の在りようが語られます。

つまりは、粋人であリ、<里九>と呼ばれていた依頼人と、依頼人が惚れ抜いた女たちが依頼人の前から消えざるを得なかった理由こそが本書の主題です。

 

そこにあるのは悲しい女の立場であり、粋人の里九と呼ばれ悦に入っていた依頼人の若さの物語ともいえるかもしれません。

そして、その物語は、作者辻堂魁の作風でもある、人情物語の中でも一歩間違えれば安っぽい人情噺に堕しかねない浪花節調の物語となっているのです。

一方、市兵衛たちの三人の女の行方探しと並行して、北町奉行所定町廻り方の渋井鬼三次の探索の話が語られ、この二つの話が終盤ひとつにまとまる、という点もこれまでのシリーズの話と同様です。

 

これまで、本風の市兵衛シリーズの、また辻堂魁という作家のファンとして、本シリーズの作品も一冊も欠かさずに読み続けてきましたが、どうも風向きが変わってきました。

ここ数巻の本シリーズを読んできて、あまりにも作品の内容が似通ってきていて、読んでいて心が騒がなくなって来たのです。

そうしたことは作者も分かっていたからこそ、このシリーズも第二シーズンへと物語の環境を変えてのだと思うのですが、『風の市兵衛 弐』になっても結局は第一シリーズとほとんど変わっていないと言えます。

本来は第二シーズへと変わり、市兵衛の出自が明らかにされたり、舞台を大坂へと移したりと変化をつけてきたと思うのですが、北町奉行所同心の渋井鬼三次もやはり常連として登場してくるようになったし変化が見られなくなっています。

何とかこのマンネリとも言ってよさそうなシリーズの流れを断ち切り、当初の面白さを取り戻してほしいものです。

雇足軽 八州御用

雇足軽 八州御用』について

本書『雇足軽 八州御用』は、2023年9月に296頁のハードカバーで祥伝社から刊行された連作の短編時代小説集です。

それぞれの物語が普通の短編小説のようにはきちんとまとめられていないため、どうにも中途な印象の作品集でした。

雇足軽 八州御用』の簡単なあらすじ

関八州とは、上総、下総、安房、常陸、下野、上野、武蔵、相模の八州のことである。越後宇潟藩の竹本長吉は上役の罪に連座し失職、故郷に妻子を残して江戸に仕事を求めてきた。様々な職の中、請人宿で選んだのは“雇足軽”だった。関八州取締出役の蕪木鉄之助の元、数名で一年をかけて関東の農村を巡回し治安を維持する、勘定所の臨時雇いである。日当わずか八十文。二八蕎麦が十六文、鰻飯なら二百文が相場だった。討捨ても御免だが、刀を抜くことは珍しい。多くは無宿の改め、博奕や喧嘩、風俗の取り締まり、農間渡世の実情調査や指導などの地道なものだった。巡る季節のなか、土地土地で老若男女の心の裡に触れる長吉は、妻子を想い己が運命と葛藤する。そんな時、残忍非道な押し込み強盗一味の捕縛を命じられーときに鬼神と化し、ときに仏の慈悲を施す八州廻りを、郷愁豊かに描く!(「BOOK」データベースより)

雇足軽 八州御用』とは

本書『雇足軽 八州御用』は、関東取締出役(関八州取締出役)の蕪木鉄之助の巡回の旅を描く、連作の短編小説集です。

関八州取締出役」とは、「八州廻り」とも呼ばれ、「関八州の天領・私領の区別なく巡回し、治安の維持や犯罪の取り締まりに当たったほか、風俗取締なども行っている。 」そうです( ウィキペディア:参照 )。

また、「八州廻り」の「「八州」とは、「江戸時代、関東八か国の総称。すなわち、武蔵、相模、上野、下野、上総、下総、安房、常陸」のことを言います( コトバンク:参照 )。

雇足軽 八州御用』の登場人物など

本書の登場人物として、まずは主人公は誰かというと、それが明確ではありません。

当初は、本書の『雇足軽 八州御用』というタイトルからして関八州取締出役が雇う足軽の物語だと思っていました。

そして、越後宇潟藩浪人の竹本長吉という人物についてわりと詳しくその来歴が説明してあったので、この長吉こそがタイトルの雇足軽だろうし、主人公だろうとの見当で読み進めていたのです。

しかし、どうもそうではないらしく、物語の内容からすると、本書の主人公は関八州取締出役の蕪木鉄之助と言った方がよさそうな印象です。

ただ、そう断言できるわけでもないほどに蕪木鉄之助に焦点が当たっているわけでもありません。

とはいえ、本書全体を通した物語としてみると、この蕪木鉄之助こそが主人公というにふさわしいと思えます。

雇足軽 八州御用』の感想

主人公が誰でも関係ないと言えばないのですが、物語は締まらず、小説としての面白さに欠けることになるでしょう。

事実、読み終えた今でもなんとなくいつもの辻堂魁の作品とは異なり、何とも曖昧な読後感が残っています。

それは単に主人公が定まっていないから、というだけでなく、それぞれの物語自体の曖昧な処理の仕方にも原因がありそうです。

連作短編集として読んだので、各話が半端に感じたのではないかとも思いましたが、やはり物語の完成度が足りないと言うしかないのでしょう。

 

本書『雇足軽 八州御用』では、関東取締役という職務の紹介はかなり詳しくなされていて、その点は自分の中でもかなり好印象ではあります。

ただ、辻堂魁の特徴の一つである登場人物の衣装や状況の詳細な描写がことのほか強調されていて、若干詳しすぎないかという印象はありました。

加えて、上記の全五話にわたる連作短編の各物語がどうにもまとまりがないという印象もあります。

 

結局、本書の評価としては、辻堂魁という作者らしくない何ともまとまりに欠けた物語だというしかない、という結論になった次第です。

春風譜 風の市兵衛 弐

春風譜 風の市兵衛 弐』とは

 

本書『春風譜 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐 シリーズ』の第十一弾で、2022年6月に祥伝社文庫から337頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の痛快時代小説です。

話自体は単純ですが、物語の背景や登場人物の行動の理由を会話の中で説明させることで紙数を費やしている印象がある、シリーズの中では今一つの作品でした。

 

春風譜 風の市兵衛 弐』の簡単なあらすじ

 

唐木市兵衛は我孫子宿近くの村を訪れていた。小春の兄の又造が、妹と“鬼しぶ”の息子・良一郎との縁談を知り家出したのを、迎えに出たのだ。ところが、又造は訪ね先の親戚ともども行方知れずだった。同じ頃、村近くで宿の貸元と、流れ者の惨殺体が発見された。近在では利根川の渡船業等の利権争いで、貸元たちが対立していた。市兵衛は失踪人探索を始めるが…。(「BOOK」データベースより)

目次
序章 竜ケ崎から来た男 | 第一章 欠け落ち | 第二章 血の盃 | 第三章 疑心 | 第四章 血煙り河原 | 終章 旅だち

その年の暮れ、安孫子宿の西にある根戸村の貸元の尾張屋源五郎が何者かに襲われ命を落とした。

一方、とある林道で長どすの一本差しの六十歳くらいの旅人が喉頸を絞められ、骨が折られた状態で見つかった。

この亡骸の検視をした陣屋の手代を始め、この二つの事件を結び付けて考えるものは誰もいなかった。

同じ年の暮、長谷川町の扇職人佐十郎は息子の又造に声をかけ、又造の妹小春良一郎との祝言の話を聞かせた。

その話を聞いた又造は安孫子宿の南吉のところへ行くと書置きをしたまま家を出てしまう。

唐木市兵衛は小春から頼まれ、安孫子宿の南吉のところへ又造を連れ戻しに行くことになるのだった。

 

春風譜 風の市兵衛 弐』の感想

 

本書『春風譜 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐 シリーズ』の第十一弾の長編の痛快時代小説です。

 

本書『春風譜 風の市兵衛 弐』は、ヤクザ者の抗争に巻き込まれた小春の兄又造と、かれを連れ戻そうとする唐木市兵衛の話を中心に、その抗争の別な側面に関わる渋井鬼三次の探索の様子を描いた作品です。

全体的に話の構造自体は単純です。

市兵衛が家出をした小春の兄の又造を連れ戻しに行く話がまずあります。

それと、問屋場の公金を着服して行方をくらました安孫子宿の宿役人である七郎治という男の探索のために渋井が駆り出されるという話があります。

その上で、二つの事件が根っこでは繋がっているというのです。

 

話自体は以上の二つの話がそれぞれに単純な事件としてあり、その両事件の中心に柴崎村の牛次郎という貸元の悪行が絡んでいるだけのことです。

又造は、頼った先の南吉が牛次郎からひどい目にあっていてそこに巻き込まれてしまいます。

一方、鬼渋が追っている公金着服事件もその根は南吉の事件と同じであり、ただこちらは犯人と目される七郎治の現れるのを待つ渋井やその手下、そして陣屋の役人の田野倉順吉など張り込みの様子があるだけです。

 

本書『春風譜 風の市兵衛 弐』は、こうした単純な事件の二つの側面が描かれている作品のためか、当事者の会話の中で事件の背景説明が為される場面が多いように感じました。

具体的には、市兵衛が又造を探索する過程での聞き込みの際の会話がそうです。

また、渋井の登場する場面も張り込みだけということもあってか、渋井と田野倉との会話があり、その中で田野倉の推理として事件の背景説明が為されるという構造です。

もともと、作者辻堂魁の作風自体が会話の中で背景説明をする、という傾向が強いとは思っていたのですが、本書ではそれが強く感じられました。

会話の中での背景説明ということ自体はいいのですが、それがあまりに執拗だと少々引いてしまいがちです。

 

市兵衛の行動にしても、又造と南吉の行方を探す先に市兵衛を甘く見た悪漢たちがいるといういつものパターンです。

物語の根底が講談風であり、本書の作者辻堂魁の文章のタッチも決して明るいものではないこともいつもと同じです。

特別な展開もない本書『春風譜 風の市兵衛 弐』だけをみると、決してお勧めしたい作品とは言えないと思うほどです。

とはいえ、当たり前ではありますが、本書でも南吉には自分の村におことという思い人がいたり、七郎治も馴染みの女がいたりして、それぞれの話に花を持たせたりの工夫はあります。

ただ、本書の魅力が主人公の市兵衛というキャラクターの魅力、それに尽きると言え、物語自体の魅力があまり感じられないのは残念でした。

次巻に期待したいと思います。

夜叉萬同心 一輪の花

夜叉萬同心 一輪の花』とは

 

本書『夜叉萬同心 一輪の花』は『夜叉萬同心シリーズ』の第九弾で、2022年2月に340頁の文庫本書き下ろしとして出版された、長編の痛快時代小説です。

 

夜叉萬同心 一輪の花』の簡単なあらすじ

 

夜叉萬と恐れられ、また揶揄される北町の隠密廻り同心・萬七蔵。品川宿の旅籠・島本が押しこみに遭い、主らが殺害された事件の探索を任される。夫亡き後、島本を守る女将に次なる魔の手が伸びようとしていた。島本には、相州から来た馬喰の権三という男が泊っていたのだがー。品川宿の風景の中で、男女の人生の一瞬が交差する。情感溢れる傑作シリーズ最新作。(「BOOK」データベースより)

 

序 浪士仕切
相模川沿いの明音寺に、四村の村名主と十三人の無宿渡世の浪士たちが、川尻村の麹屋直弼を引受人として浪士仕切契約を結ぼうとしていた。その集まりの隅に、ひっそりと渡世人風体の権三が控えていた。

第一章 品川暮色
品川南本宿の旅籠島本で、主人の佐吉郎が斬られ使用人の一人が殺されるという事件が起きた。萬七蔵が話を聞くと、道中方とも懇意の邑里総九郎という江戸の高利貸が品川宿の南本宿に新しく遊技場を開こうとしている話を聞き込むのだった。

第二章 鳥海橋
萬七蔵が来た時に島本に宿をとっていた権三は、青江権三郎と名乗っていた二十一歳の自分が島本の先代の女将に助けられたことを思い出していた。また、七蔵は南品川の様子などについて話を聞くのだった。

第三章 店請人
翌日、七蔵は押し込みの一味の逃走の現場にいた怪しい一団の話が道中方の福本武平にも伝わっていることを知った。一方、手下のお甲から、邑里総九郎は実は甲州無宿の重吉であり、世間を騒がせている天馬党の首領の弥太吉と知り合いである可能性が高いと報告を受けた。

第四章 矢口道
島本では二人の子供が攫われ、丁度居合わせた権三が女将の浩助と共に天馬党の弥太吉のもとにいる子供たちを助けに向かうのだった。一方、道中方組頭の福本武平は悪事が明らかになり、邑里総九郎は逃亡を図るが七蔵に阻止されていた。

結 旅烏
七蔵は久米と、天馬党の壊滅など、事件のその後について話しているのだった。

 

夜叉萬同心 一輪の花』の感想

 

本書『夜叉萬同心 一輪の花』は、夜叉萬こと萬七蔵は脇に回り、島本の女将の櫂と権三という流れ者に焦点が当たった、古き義理人情の物語です。

渡世人の権三が若い頃に世話になった品川南本宿の島本という旅籠の主人が殺され、女将の櫂がひとり旅籠を守り苦労していました。

権三は島本に投宿し、一人残された櫂の行く末を案じていたところに、島本の押し込みの一件を調べに来た夜叉萬たちと同宿することになります。

この島本の押し込みをめぐっては、その裏では品川南本宿での遊技場を造る計画が浮かび上がってきます。

こうして、品川南本宿の旅籠島本でおきた事件は、道中方をも巻き込んて闇に葬られようとしているところを、夜叉萬らの探索で明るみに出ることになります。

しかし、島本の恨みを晴らすのは夜叉萬ではなく、権三だった、というのが本書の大枠の流れということになります。

 

つまりは、本書『夜叉萬同心 一輪の花』では権三という渡世人が隠れた主役であり、島本の先代の女将とその娘櫂から若い頃に受けた恩を返すために島本に泊っていたのでした。

本書の作者辻堂魁の作品には、例えば『仕舞屋侍シリーズ』の『夏の雁』や、『日暮し同心始末帖シリーズ』の『天地の螢』などの例を挙げるまでもなく、かつて虐げられた本人、またはその関係者による復讐に絡んだ物語が多いようです。


本書『夜叉萬同心 一輪の花』も大きくはそうした復讐譚の一つとして挙げられるのかもしれませんが、復讐譚というよりは、ひと昔前に流行った義理人情の絡んだ人情話を根底に持つ仇討ち話というべきでしょうか。

とは言っても、痛快時代小説という物語のジャンル自体が、ある種の復讐譚を一つの構造として持っていると言えそうなので、この点を特徴とするのはおかしいかもしれません。

 

そうした小説としての構造の話はともかく、本書のような痛快時代小説は、浪曲、講談の義理人情話の延長線上にあると言っても過言ではないと思われます。

辻堂魁の描き出す痛快時代小説の作品群では特にそうした印象が強く感じ、本書もその例に漏れないのです。

 

結局、本書『夜叉萬同心 一輪の花』は主人公の夜叉萬こと萬七蔵の活躍が満喫できる作品ではなく、物語の展開自体も若干の甘さが感じられないわけではありません。

しかし、安定した面白さを持っている作品だったと言えるでしょう。