『夜叉萬同心 お蝶と吉次』とは
本書『夜叉萬同心 お蝶と吉次』は『夜叉萬同心シリーズ』の第八弾で、2021年2月に347頁の文庫本として刊行された長編の痛快時代小説です。
タイトルはお蝶と吉次という姉妹の名前ですが、にもかかわらず物語は水戸藩内部の揉め事に振り回される夜叉萬たちの姿が描かれます。
『夜叉萬同心 お蝶と吉次』の簡単なあらすじ
北町奉行所の隠密廻り同心萬七蔵は、失踪した水戸家の勘定方・淡井順三郎の行方を探るよう密命を受ける。探索の過程で七蔵は、深川門前仲町の子供屋の亭主、博龍と出会う。深い絆で結ばれた博龍と、辰巳芸者の吉次、その姉で、鍛冶職人のお蝶。淡井の失踪は三人の生き様と絡み合い、非情にも彼らの運命を変え、大きく事態を動かしてゆく。傑作シリーズ第八弾!(「商品内容」より)
序 花町の春
深川の永代寺門前仲町の子供屋《岩本》の亭主の博龍は、お花と言っていた吉次とその母親のお笙のことを思い出していた。
第一章 芸の道
萬七蔵は北町奉行内与力の久米信孝と共に水戸藩目付役の斗島半左衛門から、水戸家江戸屋敷勤番の淡井順三郎が行方不明になり、内々に探して欲しいと頼まれる。淡井の上役の佐河丈夫が子供屋《岩本》に通っていたと聞き、七蔵は子供屋の亭主の博龍を訪ねるのだった。
第二章 おぼろ月夜
嘉助は五十次のもとを訪れ、淡井が行方不明になった日に見た事を聞き出した。一方、淡井と尾上天海との関係を聞き、尾上天海を訪ねた七蔵を素浪人が襲ってきた。
第三章 さんさ時雨
三日後、天海の手下の小田彦之助は拉致されて拷問を受け、淡井のこと、またお笙のことを全部話してしまう。
第四章 春雷
お蝶の亭主の鉄太郎は、ひとり父親の徳兵衛や女房のお蝶たちに会う。子供屋《岩本》の女将の文太が倒れて帰らぬ人となった葬儀の夜、博龍を呼び出しに里助という男がやってきた。
結 恩讐
三月の下旬、奉行所で久米信孝と対坐していた萬七蔵が、水戸家の一件について話を聞き、同じ日に起きた天海の件、特に岩本の博龍の件について、単なる推量として話すのだった。
『夜叉萬同心 お蝶と吉次』の感想
本書『夜叉萬同心 お蝶と吉次』には三つの物語があるといえます。
一つ目の話は、物語の発端ともなっている行方不明となった水戸藩士淡井順三郎の探索の話です。
藩の内部で処理をしたいという水戸藩の斗島半左衛門の依頼に応じて、萬七蔵と嘉助嘉助、樫太郎、お甲といった顔なじみの七蔵組の面々が探索に走ります。
そこで浮かび上がってくるのが《清明塾》であり、尾上天海や小田彦之助といった名前です。
この《清明塾》の面々が次の復讐譚にもかかわってきます。
水戸藩の江戸留守居役の佐河丈夫が入れあげているのが深川の子供屋《岩本》の吉次という芸者です。吉次にはお蝶という姉がおり、鍛冶屋で手伝いをしていました。
《清明塾》の尾上天海の一味が淡井順三郎の行方不明に関わってくるのですが、さらにお蝶と吉次姉妹の仇討ちの話にも関係することになり、これが二つ目の話です。
最後に、子供屋《岩本》の亭主が博龍というもと侍だった男で、この博龍の桔梗龍之介という本名での個人的な話が三つ目の話です。
この話自体は講談そのものの復讐譚です。端的に言えば、七蔵の活躍とは切り離された物語と言っていいと思います。
こうした話は本書の作者辻堂魁の物語にはありがちと言っていいかもしれません。
主人公の夜叉萬の活躍とは切り離された話ですから、この話をそのままに『風の市兵衛シリーズ』の話として持って行ってもなんの違和感もないと思われます。
ここで豆知識ですが、本書『夜叉萬同心 お蝶と吉次』の本文によると、茶屋や揚屋から口がかかった芸者の取次や玉代の清算を行うのが「見番」です。
その「見番」には仲町の芸者衆の名前を書いた板札があって、指名の多寡、玉代の稼ぎによって順位が入れ替わったそうです。
その板札の一枚目にかかった芸者を「板頭」とか「板元」と呼び、二枚目を「板脇」と呼んだそうで、そして門前仲町では、芸者を「子供」と呼んだとありました。
話を元に戻すと、結論から言えば、本書は物語の焦点が定まっていないように感じました。
前述した三つの物語が合わさっているためだと思われるのですが、そのため最後の博龍個人の物語などは無くても何の問題もないように思えます。
それは博龍という人間の背景を描く、という意味はあるのでしょうが、べつに本書で描かれているような流れは不要だと思えるのです。
ただこの関係を外すと剣戟というか、アクションの場面が減るということはあるでしょう。
さらに言えば、本書『夜叉萬同心 お蝶と吉次』での、ある殺しの現場に居合わせた人を殺したためにそちらの事件でも復讐譚がおきるわけですが、二件目の殺人の被害者が最初の殺しの関係者だったというのは偶然にすぎます。
痛快時代小説の場合、軽く読めるエンターテイメント小説として、ある程度のご都合主義的な物語の流れも許容されるとは思いますが、本書のような場面では個人的には認めがたいのです。
辻堂魁という作家の物語は『風の市兵衛シリーズ』を始めとして面白い作品ばかりではあるのですが、たまに本書のように、誰が主人公となっても成立するような物語があります。
数多くの作品を書かれている作者であるのでその全てに水準以上の出来を期待するのは酷かもしれませんが、それを要求するのが素人のファンです。
今後の作品を期待したいと思います。
蛇足ながら、本書『夜叉萬同心 お蝶と吉次』に登場する地名を古地図で当たってみても見つからないものがありました。
それは、神田堀や十五間川、大島川といった土地名です。
調べてみると、下記文章を見つけました。
竜閑川は自然河川ではなく、人口の河川、堀です。江戸時代に掘られたもので、当時は神田堀、という名前でした。
引用元:江戸時代の堀にかかる橋-竜閑橋
また、十五間川とは、通称を「油堀」と言うそうです( 東京とりっぷ : 参照 )し、大島川とは、「大横川」のことだそうです( ウィキペディア : 参照 )。