武家出身で、いまは読売屋“末成り屋”の主となった天一郎を、越後から出てきた竹川肇という老人が訪ねてきた。亡くなった天一郎の父親の古い友人だという。老人の話から「父の残像」と葛藤する天一郎。父の死の真相がわかってきたとき、天一郎の前に過去から「悪」が蘇る!正義の筆と華麗なる剣で世の不正に敢然と立ち向かう、痛快シリーズの待ち焦がれた第三弾。(「BOOK」データベースより)
読売屋天一郎シリーズ第三巻の長編痛快時代小説です。
竹川肇という名の年を取った侍が江戸へ出てきて、かつての仲間に会い、さらに天一郎のもとへも現れます。何故に天一郎を訪ねてきたのか、次に会った時に話すというばかりでした。
錦修斎こと中原修三郎の甥っ子の中原道助は湯島の昌平黌へ通っていましたが、十三歳という若さでありながら優秀すぎるために年上の学生らのいじめに遭い、不慮の死を遂げてしまいます。
いじめの相手は六百石から八百石取りの家柄の旗本の倅たちであり、わずか数十俵の御家人の中原家とは身分違いでした。そのため、道助の親たちは立場の弱い修三郎には怒りを向けても、いじめの相手には何も言えずにいるのでした。
また、彫師鍬形三流こと本多広之進は、浮世絵版木の彫師を生業にしている浪人の家との養子縁組という形で自分を捨てたはずの親や兄夫婦から、金貸しもしている市川家との養子婿の話を持ち出されていました。
三流の話はこれ以上膨らまずに次巻に持ち越され、天一郎の父親の死にからんだ中川肇という老人の話と、また錦修斎の甥っ子の中原道助の死についての話が中心となっています。
いじめや身分違いなどという現代にも通じそうな話を、作者辻堂魁らしい切なさに満ちた物語として仕上げられています。
ひとつには、江戸時代という封建社会の中で、弱者には怒りを向ける先がないという理不尽な状況を、読売という筆の力で権力を持った御家人に対峙させるという、痛快小説にはもってこいの展開です。
天一郎シリーズである以上、天一郎自身の活躍の場面が展開されるのは勿論ですが、天一郎の仲間である修斎の、自分ができることを為すその行動が心を打ちます。
そしてもう一つの話である竹川肇の物語も、また切なさにあふれています。
天一郎自身は自分の父親のことを知らずに育っています。しかしながら、奔放に生きていた父親が、破落戸に襲われ落命したということに嫌悪感を持っていたようです。
好き勝手に生きた自分はいい、残された母親と子供は勝手な亭主のとばっちりを請けなければならなかった、と言い捨てるほどなのです。
そこに、父親の死の真実を明らかにするという老人が現れ、この老人にまつわる物語が展開されるます。
今回の話もまた通俗的になりそうなところを、作者の筆の運びは心地よい物語の運びとして読ませてくれており、痛快小説の醍醐味を感じさせてくれています。