本書『小さいおうち』は、文庫本で348頁の第143回直木賞を受賞した長編小説です。
昭和を生き抜いたひとりの女性の一途な思いを描いた、回想録の形をとった人間ドラマ、と言っていいと思います。
『小さいおうち』の簡単なあらすじ
昭和初期、女中奉公にでた少女タキは赤い屋根のモダンな家と若く美しい奥様を心から慕う。だが平穏な日々にやがて密かに“恋愛事件”の気配が漂いだす一方、戦争の影もまた刻々と迫りきて―。晩年のタキが記憶を綴ったノートが意外な形で現代へと継がれてゆく最終章が深い余韻を残す傑作。著者と船曳由美の対談を巻末収録。(「BOOK」データベースより)
東京郊外の私鉄沿線の町に住む平井家に、タキという女性が女中として奉公することになった。
平井家は、平井の当主の雅樹氏、可愛い女性である奥様の時子さん、長男の5歳になる息子の恭一さんの三人暮らしの家庭で、新たにタキをも交え、皆で幸せに暮らしていた。
そこに、旦那様の会社の社員である板倉正治という青年が来るようになる。
戦争の足音が聞こえ、世情はだんだんきな臭くなる中、奥様は板倉正治と恋愛事件を起こすのだった。
『小さいおうち』の感想
本書『小さいおうち』は、タキの妹の孫の健史がタキの回想録を盗み見しているという形をとっています。
つまりは、タキの一人称で語られている物語です。品のあるその文章はとても読みやすく、楽に読み進めることができます。
当然のことながら、その文章はとても十分な学問の機会もなかったであろう田舎出の小娘が描いた文章とは思えないのですが、そこは小説なので置いておくしかないのでしょう。
タキのこの文章は、昭和という時代の流れを一般庶民の感覚として記したものとして、ユニークな印象を受けます。
太平洋戦争という悲惨な出来事へ突き進む日本の空気感がうまく捉えられているのではないでしょうか。
戦後生まれの私にはそこらの感じは分からず、どちらかというとタキの文章を批判する健史の感覚に近いものがあるのですが、歴史書に出てこない庶民の感覚はこんなものではなかったかと思わされます。
そうした庶民目線での表現は随所に出てきており、それは作者の綿密な下調べによるものでしょう。
などと考えていたら、まさにその通りのことをインタビューの中で答えられていました。当時の新聞や雑誌などをもとにした描写だからこそ、昭和のそれも戦前の匂いをリアリティーを持って再現されているのでしょう。
年老いてからの回想という形式の物語に出会うと、必ずチャン・ツィーの映画デビュー作である『初恋のきた道』を思い出します。
思い出の中で、今は年老いている自分なり、母なりがはち切れんばかりの生命力をもって生きている姿は現在の老境と対比され、強烈な印象を持って観客や読者に迫ってくるのです。
百田尚樹のベストセラーである『永遠の0』や、ジャンルは違いますが『男たちの大和』などの映画、谷口ジロー作画のコミック『父の暦』なども同様の手法でした。こうした手法の作品を挙げていけば、枚挙に暇がない、となることでしょう。
本書でも、回想録の中のタキさんや平井家の家族は平和で幸せに生きています。そこに起きた事件を軸に展開されるこの物語は、振り返ってみると、タキさんの想いが全編にあふれているのです。
この物語は読み手によりさまざまな解釈が可能であろうと思います。
作者の意図は「タキさんの回想を通して、読者にいろんなことを思い浮かべてもらえるように書」いたと言われているので、狙いどおりなのでしょう。
「戦前・戦中について、今書いておかないと」という気持ちもあったそうで、そういう意味では、庶民から見た昭和史という視点も十分に満たされていると思います。
本書のタイトルの「小さいおうち」からしても、バージニア・リー・バートンの絵本『ちいさいおうち』がモチーフとされていることに気づくべきでした。指摘されるまで気づかなかった不明を恥じるばかりです。
幼いころに読んだ記憶はあるのですが、この絵本は今でも子供たちに読まれているのでしょうか。
本を読まない、都は近年よく耳にする言葉ですが、絵本はどうなのでしょう。幼い頃に良書に出会うことは幸せなことだと思います。
そして、この本などは後々に思い出しても必ず心の糧になっていることを知らしめてくれる作品の一つだと思うのです。
中島京子著の本書『小さいおうち』は、山田洋次監督、松たか子主演で映画化され、第38回日本アカデミー賞で優秀作品賞他多くの賞を受賞しています。
中でも助演の黒木華は、第64回ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞し、更には日本アカデミー賞で最優秀助演女優賞を受賞するなど、かなりの高評価を得た作品として仕上がっています。