巴之丞鹿の子

江戸で若い娘だけを狙った連続殺人が起こった。南町奉行所同心の玉島千蔭は、殺された女が皆「巴之丞鹿の子」という人気歌舞伎役者の名がついた帯揚げをしていたことを不審に思う。そして、巴之丞の蔭に浮かぶ吉原の売れっ妓。調べが進むなか新たな被害者が―。はたして真犯人は!?大藪春彦賞作家・近藤史恵の時代ミステリー小説シリーズ第一作がついに復刊。(「BOOK」データベースより)

 

猿若町捕物帳シリーズの第一作目で、正統派の時代劇ミステリー小説です。

 

大川端に娘の絞殺死体があがった。それも続けて二人。共に鼠色の鹿の子が首にまかれていた。その鹿の子は、中村座に出ている今人気の女形水木巴之丞が舞台で締めているもので、巴之丞鹿の子と呼ばれているものらしい。

 

タイトルに言う「鹿の子」とは、伝統的な絞り染めの柄をした、帯枕を包む小道具の一種である「帯揚げ」のことを指しています。

主人公は南町奉行所同心の玉島千蔭という堅物同心です。その小物として八十吉がいます。この物語はこの八十吉が語り部となって進められていくメインの物語と、もう一本、お袖という娘の目線での物語が並行して進みます。

 

「顔はなかなか整っているが、眉間に寄せられた深い皺と鋭い眼光で台無し」で、「だだでさえ、長身と同心でござい、という風体で目立つのに、その上全身から近寄りがたいような気を発している」男、玉島千蔭。酒も飲まず、女も苦手という堅物の玉島千蔭は、それでもなかなかに細やかで、知りえた事実から推理を働かせます。大藪春彦賞を受賞したこの作家は、この千蔭の推理の様を的確に読ませてくれるのです。

一方で、お袖という娘の物語が進みます。雨の中、草履の鼻緒が切れたところを助けてくれている侍の肩を蹴るお袖。この出会いをきっかけに、二人の仲は意外な方向に進み、物語の終盤に二つの物語が結びつきます。

 

この作家は、過不足のない実に読みやすい文章を書かれます。本文庫本の解説を書いている作家の西條奈加氏によると、本書は「『半七捕物帳』の流れを汲む、まぎれもないミステリー」で、近藤史恵のミステリーの土台は、「冷たく、透きとおった水。そんなイメージがわく」、よけいなものが徹底的に削ぎ落とされた、濁らない文章と構成にあるそうです。こうしてみると私が本書に対して抱いた印象もまったくのはずれではなかったようです。

不満点を書くとすれば、謎解きにおいて示される動機が、犯人が娘たちを殺すことを納得させるほどものか、ということです。でも、他にこのような感想を書いている人はいないようなので、個人的な印象に過ぎないのでしょう。

 

私の中では決して小さくはない違和感なのですが、その点を除けば、本書は文句のない面白さです。加えて、本書には巴之丞という女形や、その巴之丞に瓜二つだという吉原花魁の梅が枝らという、魅力的な人物が配置されていて華やかです。もう一人、千蔭の父親である玉島千次郎もいます。やはり同心であったこの父親は、酒と遊女をなによりも苦手としている千蔭とは異なり、「粋で、くだけていて、融通の利いた男だった」そうなのです。この父親が何かにつけ、千蔭を影から支えています。

文庫本で200頁強という本書は、読み易さにおいても、ミステリーとしての面白さでも一級です。

近藤 史恵

 1969(昭和44)年大阪府生れ。大阪芸術大学文芸学科卒。
 1993年『凍える島』で第4回鮎川哲也賞を受賞し、デビューする
 2008年、『サクリファイス』で第10回大藪春彦賞受賞。

女流ミステリ作家として「複雑な女性心理を描く細やかな筆致に定評があり、『ねむりねずみ』『桜姫』『二人道成寺』など、歌舞伎を題材にしたシリーズで知られる。」とは、WEB本の雑誌の「作家の読書道」にあった文章です。大学時代、歌舞伎の研究をしていたそうで、私が読んだ『猿若町捕物帳シリーズ』の二冊はこの系統に属することになります。

ほかに『南方署強行犯係シリーズ』のようなユーモアミステリー(らしい)も書かれています。また、『サクリファイス』シリーズは自転車競技をテーマにしたミステリーで、時代小説での近藤史恵という作家の顔とはまた違った側面を垣間見ることができます。このシリーズは単にミステリーとしてだけではなく、スポーツ小説としても、また青春小説としても非常に面白い作品となっています。

近藤史恵という作家のケレン味の無い文章はとても読みやすく、豊富な歌舞伎の知識を生かした作品群とスポーツ小説、更にはユーモアミステリーとさまざまな顔をもった作家だと言えるでしょう。

狩人シリーズ


狩人シリーズ』とは

 

本『狩人シリーズ』は、新宿署の一匹狼刑事を狂言回しとしたハードボイルドシリーズです。

大沢作品の中でも『新宿鮫シリーズ』と並ぶ人気シリーズであって、厚みのあるハードボイルド作品として個人的には一番好きなシリーズでもあります。

 

狩人シリーズ』の作品

 

狩人シリーズ(2020年12月29日現在)

  1. 北の狩人
  2. 砂の狩人
  1. 黒の狩人
  2. 雨の狩人
  1. 冬の狩人

 

狩人シリーズ』について

 

この『狩人シリーズ』というシリーズは、小太りで離婚歴がある新宿署の一匹狼刑事である佐江をメインに重厚感のある物語世界を構築してあります。

この佐江刑事が良い味を出しています。各巻ごとに主人公は異なり、しかしながらいつも一匹狼の佐江刑事だけはそこにいるのです。

ただ、第三巻の『黒の狩人』だけは佐江刑事が中心となって活躍します。

第一巻『北の狩人』の、第二巻『砂の狩人』の西島、そして第四巻『雨の狩人』の谷神と、メインになるキャラクターは異なりますが、どうしてもアクションメインになりがちのようです。

まあ、第四巻の『雨の狩人』は佐江刑事と谷神との共同作業だとも言えますが。

しかし、佐江が中心となる『黒の狩人』は、どちらかというと、佐江が相方となる中国人と一緒に足で情報を集め、謎の解明するというミステリーに重点が置かれている物語になっています。

 

佐江刑事はっきりした年齢は分かりません。どこかに書いてあったのかもしれませんが、覚えていないのです。

雰囲気としては北方謙三の『眠りなき夜』や『』などの作品に登場する”老いぼれ犬”と呼ばれている高樹良文警部を思い出してしまいました。

同じ一匹狼ではあっても、”老いぼれ犬”は北方作品の登場人物ですからかなりキザです。フォスターの「老犬トレー」を鼻歌で口ずさみ、火のつきにくい旧式のオイルライターを愛用する姿が描かれています。

 


 

一方、こちらの佐江刑事はそこまでのキザな姿はありません。それどころか、見かけは単なる小太りの中年のおっさんです。

しかし、自分の信じるところに従って行動する姿はハードボイルドの心を持っています。「日常のなかで、普通の人が成り得るヒーロー」が佐江だと作者は言いますが、普通の人はなかなか佐江のようにはなれないのではないでしょうか。

 

“これは新宿鮫だから大丈夫だろう”って思ってついて来てくれるだろう」と思いながら九作、「今度は、そこでは書けないようなこと、方向性は異なるけれど新宿を舞台にして書きたいことがいっぱい出てくる。それを実現したのが『狩人』シリーズです」と著者は述べています。「『新宿鮫』の合わせ鏡のような作品」だというのです。

また、本書の惹句には「新宿鮫』と双璧を成す警察小説シリーズの最高傑作」とも書いてありました。

そこまで言い切ることができるのか、と第一巻と第四巻を読んだ時点では思っていましたが、第二巻『砂の狩人』、第三巻『黒の狩人』を読み終えた今ではまさにその通りだと思いなおしています。

ちなみに、2019年9月24日現在、北陸新聞など多くの新聞でシリーズ最新作の『冬の狩人』が連載されているそうです。( 大極宮 大沢在昌 連載情報 : 参照 )

 
追記 : 2020年12月29日

その『冬の狩人』がやっと出版されました。期待に違わない出来でした。

ただ、我儘ないちファンの好み、いや要望としては、『黒の狩人』のように佐江が脇に回り、魅力的な主人公を助ける物語を読んでみたかった、という思いもあります。

どちらにしても、やはりこの『狩人シリーズ』は面白いシリーズであることに違いはありません。

続編を期待します。

大沢 在昌

大沢在昌』のプロフィール

 

1956(昭和31)年愛知県生れ。慶応義塾大学中退。1979年、『感傷の街角』で小説推理新人賞を受賞し、作家デビュー。1991(平成3 )年『新宿鮫』で吉川英治文学新人賞と日本推理作家協会賞を受賞。1994年『無間人形 新宿鮫4』で直木賞を受賞する。2004年『パンドラ・アイランド』で柴田錬三郎賞受賞。2010年、これまでの業績に対し、日本ミステリー文学大賞が授与される。2012年『絆回廊 新宿鮫10』にて、4度目の日本冒険小説協会大賞を受賞する。2014年『海と月の迷路』で吉川英治文学賞受賞。『冬芽の人』『ライアー』『雨の狩人』など多数の著書がある。引用元:大沢在昌 | 著者プロフィール – 新潮社

 

大沢在昌』について

 

大沢在昌』という名前を最初に聞いたのは『黄龍の耳』という漫画の原作者としてだったのか、『新宿鮫』という日本推理作家協会賞受賞作品の著者としてだったのか、今では定かではありません。

でも、漫画の原作者の名前を覚えていたのですから、その漫画自体を面白く読んでいたのでしょう。実際、ちょっと調べてみたらスーパーヒーローが大活躍するその内容もすぐに思い出しました(でも忘れてはいたということです)。

 

 

この作家も作品数が多い。基本的にハードボイルド、アクションものと言えるのでしょうが、中に『らんぼう』のようなコメディタッチの作品もあります。

種々のジャンルを書き分ける多作の作家ではありますが、エンターテインメント小説の書き手として抜群の面白さを持つ、職人的な作家さんの一人であることは間違いありません。

私が読んだのは全作品中の3分の1位でしょうか。なかなか読破とまではいかないようです。

また、同じくベストセラー作家である宮部みゆきや京極夏彦らと共に「株式会社大沢オフィス」を設立したこともミステリーファンの間では有名な話ですね。公式サイトは「大極宮」です。

追記:

2022年の秋の褒章が発表され、『大沢在昌』氏が紫綬褒章を受章されることになりました。

自分がファンである作家さんが受章されること、それもハードボイルド分野の作家さんが認められたことはうれしいものです。

本当におめでとうございます。

詳しくは下記サイトを参照してください。

64(ロクヨン)

元刑事で一人娘が失踪中のD県警広報官・三上義信。記者クラブと匿名問題で揉める中、“昭和64年”に起きたD県警史上最悪の翔子ちゃん誘拐殺人事件への警察庁長官視察が決定する。だが被害者遺族からは拒絶され、刑事部からは猛反発をくらう。組織と個人の相克を息詰まる緊張感で描き、ミステリ界を席巻した著者の渾身作。( 上巻 : 「BOOK」データベースより)

記者クラブとの軋轢、ロクヨンをめぐる刑事部と警務部の全面戦争。その狭間でD県警が抱える爆弾を突き止めた三上は、長官視察の本当の目的を知り、己の真を問われる。そして視察前日、最大の危機に瀕したD県警をさらに揺るがす事件が―。驚愕、怒涛の展開、感涙の結末。ミステリベスト二冠、一気読み必至の究極の警察小説。( 下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

D県警広報を舞台にした横山秀夫のベストセラーとなった長編の警察小説です。

 

本書はD県警シリーズの一冊で、64(ロクヨン)とは昭和64年に起きた誘拐事件を指し、D県警内部で密かに伝えられてきた呼称です。

主人公はかつては第一線の刑事だったのですが、今は広報官という立場に居ます。この”広報官”という職種を主人公に据えた作品として、少々kとなるかもしれませんが、今野敏の『隠蔽捜査シリーズ』の主人公竜崎が警察庁で広報室長という職に就いていたという経歴があったと思います。

 

 

この主人公が広報官という立場から、第一にはマスコミと、第二に警察組織自体と、第三には自分の部下たちと戦うのですが、その描写が泣かせます。

そうした中、再び誘拐事件が起きます。この誘拐事件をめぐり、広報官として関わる主人公と警察組織、マスコミ、そして犯人とのせめぎあいが続きます。この作家の一番の見せ所なのでしょう。物語は一気にクライマックスへ向かいます。

 

少々長い本ですが、十分な読み応えがあります。実に面白い小説です。

ところで、広報官は警察という組織の窓口であり、その警察は当然公開すべき情報も組織として決定されるのだと思っていたのですが、この本の中ではそうでもないようです。刑事部は広報を信用せず、情報を小出しにしかしないのです。この作家は警察と言う組織のことをフィクションとはいえ適当に作って書くとは思われないのですが。実態はどうなのでしょう。

 

本書は、2015年4月から、NHKでピエール滝を主人公とし、全5回のドラマとして放映されていますし、また佐藤浩市主演で映画化もされています。

 

 

半落ち [DVD]

横山秀夫の原作を佐々部清監督が映画化。現役警部がアルツハイマーの妻を殺したと出頭した。彼が自首するまでに2日間の空白があると判明し、刑事、検事、判事、新聞記者、弁護士らがそれぞれの立場で真実を追う。“<東映 ザ・定番>シリーズ”。(「キネマ旬報社」データベースより))

 

博士の愛した数式」や「雨あがる」でもそうでしたが、寺尾聰という役者さんは誠実な人の役がぴったりの役者さんですね。

 

その昔、「ザ・サベージ」というグループで「この手のひらに愛を」などを歌っていたり、役者さんのかたわら「ルビーの指輪」を歌っていた時とはちょっと異なる一面です。でも、さすが名優宇野重吉氏の息子だけの存在感があります。

ただ、「ルビーの指輪」の頃、どうしようもなくわがままだったという記事を読んだことがあります。どこまで本当かは不明ですが、それほどの人気ではありました( 裕次郎番記者だけが知る 寺尾聰ワンパク半生 : 参照)。

 

 

ちなみに、「ザ・サベージ」とは1960年代のカレッジポップスバンドです。寺尾聰はそのベース担当でありボーカルも担当していました。ちょうど私の青春時代のど真ん中なのです。

 

半落ち

「妻を殺しました」。現職警察官・梶聡一郎が、アルツハイマーを患う妻を殺害し自首してきた。動機も経過も素直に明かす梶だが、殺害から自首までの二日間の行動だけは頑として語ろうとしない。梶が完全に“落ち”ないのはなぜなのか、その胸に秘めている想いとは―。日本中が震えた、ベストセラー作家の代表作。(「BOOK」データベースより)

 

横山秀夫のベストセラーである長編の警察小説です。

 

「半落ち」とは警察用語で、自供が一部だけのことを言うそうです。

主人公梶は警察官ですが妻を殺害し、自首しますが梶の殺害後自首までの2日間の行動については語ろうとしません。

警察、検察、弁護士、記者夫々の思惑で、空白の2日間の真実は不明のまま話は進みます。その後明らかになる妻の殺害の理由をも含めた真実は、特に私等の年代にとっては重いテーマを含んでいます。いや、実に重いテーマです。

 

また、この作品の直木賞選考をめぐり様々の議論があったようです。

 

そうしたことを捨象しても面白い物語であることには間違いがなく、是非読んでもらいたい一冊です。「面白い」というのは少々語弊があるかもしれませんが、色々と考えさせられる良い本です。

読後感が痛快な本を探している人には向きません。

横山 秀夫

この作家の長編作品を見ると、殆どの作品が個人と組織とが描かれているように思えます。まあ、小説というものが人間、社会を描くものである以上、どの作品もそうだと言われればそうなのですが、横山秀夫の場合は組織の中の個人という視点がより強調されているように感じるのです。

「半落ち」にしてもそうだし、「クライマーズ・ハイ」「64(ロクヨン)」と、どうしても主人公と組織の論理とが対立することになり、その組織の論理に立ち向かう主人公の姿が読者を捉えて離さないのではないでしょうか。主人公は悩みながらも信念を貫き、そのことに対して読者は喝采を送らずにはいられないように感じるのです。

短編集でも主人公の逞しさは同じ様に描かれています。例えそれが女性であっても同様です。

とにかく横山秀夫という人の作品は、人間を緻密に描かれていて、物語そのものも重厚に感じます。登場人物は逞しく、迫力のある人間ドラマが描かれており、読んでいて飽きることがありません。

松本 清張」「高村 薫」「東野 圭吾」といった人たちの作品でもそうなのですが、社会性とはまた違って、より以上に前提となる人間をも含めた舞台が緻密に描かれていて、そこで展開される人間ドラマこそが魅力だと思えるのです。お勧めです。

金田一耕助の冒険

メーカー各社の共同企画による「大林宣彦DVDコレクション」から、横溝正史の代表作をモチーフにしたコメディ傑作が登場。主演はTVシリーズで金田一を演じた古谷一行。従来の金田一モノとテイストが異なり、映画などのパロディを満載している。「キネマ旬報社」データベースより)

蔵の中 [映画版]

肺炎のために隔離された蔵の中に住む病の姉と、彼女を看病する弟との奇妙な関係を描いた横溝正史の原作を高林陽一監督が映画化。編集者・磯貝を訪れた笛二は「蔵の中」という題の原稿を置いて立ち去る。そこには想像を絶する官能の世界が描かれていた。(「キネマ旬報社」データベースより)