尾根を渡る風

取り調べ中に容疑者が自殺、青梅警察署水根駐在所へと降格された元刑事・江波敦史。奥多摩の穏やかな暮らしにも慣れ、自分を取り戻していた。そんなある日、御前山でいなくなったペット犬捜しを頼まれた彼は、山で何者かが仕掛けた罠を発見。それは隣県で発生した殺人事件の証拠だった。シリーズ第2弾!(「BOOK」データベースより)

 

駐在刑事シリーズ第二弾の短編小説集です。

 

山岳警察小説という謳い文句がありましたが、ミステリーというよりは、奥秩父の山を舞台にした人間ドラマを描いた連作短編集と言ったほうが正しい気もします。

 

花曇りの朝」  いなくなった犬を探してほしいと頼まれ、山歩きを兼ねて登った御前山で見つけたトラバサミは、その後の大事件への糸口だった。

仙人の消息」  皆から仙人と呼ばれている男の姿が見えないため、江波が田村の家に電話をしてみると、不審な男が「職権乱用で告訴する」と脅してくるのだった。

冬の序章」  山に初雪が降ったある日登山道の点検もあって山に登ろうとすると、近くにある店の看板娘の真紀が、気になる男女の二人組を見たという。登ってみると、トオノクボという広場の近くの斜面で遭難者を見つけるのだった。

尾根を渡る風」  新緑の季節、トレイルランニングの練習をしている江波は、司書の内田遼子からストーカーらしき人物の相談を受けた。図書館に来た人物に似ているらしいが、その人物がトレランの練習中にも表れた。

十年後のメール」  10年ほど前に山で行方不明になった息子から父のパソコン宛に「助けて」というメールが届く。

 

各短編が、四季おりおりの顔を見せる奥秩父の山を舞台に展開されています。その情景描写はやはり舞台背景を如実に表し、都会とは異なる物語だということを知らしめてくれます。

本書の主人公である青梅署水根駐在所所長の江波敦史は、警視庁捜査一課時代に起こした不始末のために左遷されてきたという過去を持つ警部補です。

なんとか町にもなじんで自分を取り戻しつつある江波と、いつも江波と共にいる雑種犬のプール、それに主人公の方が世話になってしまった感がある池原孝夫、江波と同じくバツ一の司書遼子、それに江波のかつての同僚だった青梅警察署の刑事課強行犯係係長の南村陽平といった面々が脇を固めていて、思った以上に読みごたえのある物語でした。

 

「山里の人々との心の触れ合いを通じて成長する主人公」の物語を通じて、「どんなに荒んだ人の心でも必ずその奥底に眠っているはずの善とでもいったもの」を描きたかった、との著者の言葉がありました。

笹本稜平の作品の一つに『春を背負って』という物語があります。松山ケンイチ、豊川悦司という役者さんで映画化もされている作品ですが、本作はこの作品に通じるところがあるようです。共に大自然を舞台に繰り広げられる人間ドラマをを描いている作品なのです。

 

 

本作などを読んで思うのは、やはり笹本稜平という作家は山が舞台の作品が良いということです。『越境捜査』を始めとするシリーズなどの作品も悪いというわけではありませんが、どうしても山岳小説での人間描写の深さなどを思うとそう思ってしまいます。もしかしたら、個人的に山の匂いのする物語が好きなのかもしれませんが。

無防備都市

逢坂剛の『禿鷹の夜』シリーズの二作目です。一作目よりもバイオレンス度が増していると感じる作品でした。勿論、禿富刑事、通称「ハゲタカ」のワルぶりは健在です。

渋六興業の縄張りにある小さなバー「みはる」からみかじめ料を取ろうとしていた元敷島組の組員の宇和島博は、そこに現れた禿富刑事から叩きのめされてしまう。現在の宇和島は、渋谷への進出を図る南米マフィアのマフィア・スダメリカナ、通称マスダの傘下に入っており、渋六興業の縄張りの乗っ取りを図っていたのだった。

本書でのハゲタカは、南米マフィアとヤクザよりもたちの悪い警察官との両者を相手として戦います。またその戦いが全てです。直接にはマスダの幹部となっている宇和島や、マスダの殺し屋王展明であり、一方で禿富刑事をつぶそうとする悪徳警察官を相手にするのです。

ノワール小説的な本シリーズで、これだけ強烈な悪徳警官としてのハゲタカこと禿富刑事である以上、警察内部でもハゲタカの敵がいるのは当然で、本書ではマスダの他にキャリア、ノンキャリアを問わず悪徳警官が登場し、強烈な敵役として登場します。

勿論、例によって女性も登場はします。それがバー「みはる」のママ桑原世津子なのですが、他の男どもの圧倒的な暴力性の前には、その存在感は薄くならざるを得ません。

ハゲタカの内面描写を全くしないというこのシリーズの性質上、ハゲタカの内心は読みとるしかありません。そこでハゲタカという悪徳刑事の真意を考えると、どうしても最終的には人間らしい側面が隠されている、と読みとりたい気がしてきます。悪に徹底している主人公、という観念が受け入れられないのでしょう。実際、叩きのめしたした相手になにがしかの手を差し伸べるかの様な描写もあるのです。そうした行為は「善」の発露と読みたくなります。

まあ、そういうことは差し置いて、逢坂剛の『MOZU』シリーズとはまた異なった、悪徳刑事の物語として本シリーズのエンターテインメント性を十分に楽しめばいいのでしょう。

伊坂 幸太郎

伊坂幸太郎』のプロフィール

 

1971(昭和46)年千葉県生れ。1995(平成7)年東北大学法学部卒業。2000年『オーデュボンの祈り』で、新潮ミステリー倶楽部賞を受賞し、デビュー。2004年『アヒルと鴨のコインロッカー』で吉川英治文学新人賞受賞。2008年『ゴールデンスランバー』で本屋大賞と山本周五郎賞を受賞。2014年『マリアビートル』で大学読書人大賞、2017年『AX』で静岡書店大賞(小説部門)を受賞した。他の作品に『ラッシュライフ』『重力ピエロ』『砂漠』『ジャイロスコープ』『ホワイトラビット』『火星に住むつもりかい?』『キャプテンサンダーボルト』(阿部和重との合作)などがある。
引用元:伊坂幸太郎 | 著者プロフィール | 新潮社

 

伊坂幸太郎』について

 

この作家の作品ははるか昔に『重力ピエロ』など三冊を読んだだけでした。

 

 

しかし、もともと伊坂幸太郎という作家はベストセラー作家として知られていた人でもあって関心のあった作家であり、『終末のフール』を読みその魅力に魅せられるようになりました。

そして『AX アックス』と『フーガはユーガ』が2018年と2019年の、さらに『逆ソクラテス』が2021年の本屋大賞にノミネートされ、受賞こそなりませんでしたがその魅力は一段と増しているようです。

 

 

他には映画版の『ゴールデンスランバー』をそれもテレビの地上波で放映されたものを見たことがありました。

 

 

今の時点での数少ない読書歴からすると、ユニークなタイトルをつける作家さんだという印象と、スタイリッシュでテンポのいい文体を持ち、ストーリー展開の意外性が妙に面白い作家さんだという感じを抱いています。

他の作品もどんどん読んでいこうと思っています。

 

その後、『殺し屋シリーズ』や『ペッパーズ・ゴースト』を読むに至り、なんとも好みとは異なる違和感を感じてしまいました。

現時点(2021年11月)では伊坂幸太郎作品は少なくともしばらくの間は読まないでいいかと思うようになっています。

他の作家の作品を置いてまで読む、とまでに至らないと感じているのです。

群青のタンデム

少々毛色の変わった警察小説で、全部で八話からなる連作短編集す。ただ、各話の間には全体で一つの長編と言ってもいい程の強いつながりがあります。

本書の主人公は戸柏耕史と陶山史香ということになるのでしょうか。二人は警察学校での同期で、警察学校の時代から今でもずっと互いに勤務成績を争っていて、最終話までそれらしき関係が続いて行きます。この最終話に至るまでの時間が長いのも特徴に挙げていいかもさいれません。なにせ、第一話と最終話との間では30年の年月がたっているのですから。

この二人の他に登場してくる人物も魅力的です。本書に登場時は十三、四歳位である新条薫や、登場時は刑事課の巡査部長であった布施など、魅力的であると同時に、物語の進行上も重要な役割を担っています。

普通の警察小説とは異なり、例えば殺人事件のような大きな事件は起きません。各話それぞれで自転車泥棒やストーカーなどの、日々の生活の中で起きうる“小さな”事件があり、あちこちに散りばめられた伏線をもとにそれなりの解決が為されていくのです。ただ、最後にはこの作家らしいひとひねりがあります。賛否は別として、長岡弘樹という作家なりの仕掛けの一つです。

 

問題は少々作者の独りよがりな点が見えることです。個別の文章の中でもそうなのですが、何よりも、貼られた伏線に基づく結末の経過及び理由付けが、一読しただけでは判りにくい。一連の行動の結末をきちんと書かないままに場面が変わり、そこで、結末のニュアンスだけが語られています。

うまくいけば余韻を残す手法なのでしょうが、少しのずれが読みにくさを招いてしまいます。本書は、その悪い方へ転んでいるのです。多くのレビューで若干の読みにくさを指摘されているので、これは私だけの感想ではないようです。

先に読んだ『教場』ではあまりそういう印象は強くはなかったので本書のみの問題なのでしょう。もしかしたら他の本でも同様の書き方をされているのかもしれませんが。

この点とトリックの若干の強引さを除けば、まあ、これらが大きなことではあるのですが、そこそこに面白い作品ではあります。今後更に違う作品も読んでみたいものです。

教場

本書『教場』は、文庫本で324頁の、警察学校を舞台にした全六編からなる連作のミステリー短編集です。

『週刊文春ミステリーベスト10 2013年』の第1位、『このミステリーがすごい! 2014年版』で第2位、そして2014年本屋大賞の候補作にもなった、評価が高く、読みがいのある作品です。

 

『教場』の簡単なあらすじ

 

希望に燃え、警察学校初任科第九十八期短期過程に入校した生徒たち。彼らを待ち受けていたのは、冷厳な白髪教官・風間公親だった。半年にわたり続く過酷な訓練と授業、厳格な規律、外出不可という環境のなかで、わずかなミスもすべて見抜いてしまう風間に睨まれれば最後、即日退校という結果が待っている。必要な人材を育てる前に、不要な人材をはじきだすための篩。それが、警察学校だ。週刊文春「二〇一三年ミステリーベスト10」国内部門第一位に輝き、本屋大賞にもノミネートされた“既視感ゼロ”の警察小説、待望の文庫化!(「BOOK」データベースより)

 

ある警察学校の学生をそれぞれの話の主人公として話は進みます。

職務質問や取り調べのやり方、交番実習、運転技術等々、普段私たちが目にすることも耳にすることもないであろう事柄を織り込みながら、警察学校の学生の日常的な暮らしの中での起こるミステリーとも言える出来事が語られています。

各話に登場する学生たちはそれぞれに個性の異なる学生です。

全体を統括する立場の教官として風間公親というこれまたミステリアスな男が登場します。

この教官が魅力的であり、各話に少しだけ顔を出します。そして強烈な印象を残しながら物語をまとめていくのです。

 

『教場』の感想

 

本書『教場』の魅力は、よく書きこまれた個々の登場人物と、なにより個別の出来事のアイデアがよく練られているところにあるのでしょう。

個別の出来事の伏線の張り方がうまく、更に一種の青春小説とも言えそうな物語のなかで、回収作業もうまく処理してあるのです。

ただ、この点に関しては、謎そのものの解明にではなく、謎解きの過程や謎解きにかかわる人間の描き方に興味がある私の印象なので、異論があるかもしれません。

 

一方、鬼教官たちのいじめとも言えそうな描写や一般社会とは異なる決まりごとなど、綿密な調査のうえでの描写でしょうから間違いはないのでしょうが、若干違和感を感じないでもありません。

でも、強烈な縦社会である警察のことですし、あくまで虚構である小説でのことですから、そこはあまり言うべきところではないのでしょう。

 

『教場』という作品から思い出す、設定や作風の似た作品を考えましたが、出てきませんでした。それだけ本作品がユニークだということだと思います。強いて言えば、作者本人が参考にしていると明言している横山秀夫作品を挙げることができるでしょうか。

とはいえ、物語にぐんぐんと引き込まれていったのは間違いない事実であり、警察小説の新しい書き手として非常に楽しみな作家さんの登場は実に楽しみです。

長岡 弘樹

団体職員を経て、2003年「真夏の車輪」で第25回小説推理新人賞を受賞[1][3]。2005年『陽だまりの偽り』で単行本デビューする。2011年に発売された『傍聞き』の双葉文庫版が、本の雑誌社が刊行する『おすすめ文庫王国2012』の国内ミステリー部門で第1位に選ばれると、ロングセラーとなり39万部を超えるヒットとなる[4]。2013年に刊行した『教場』は警察学校を舞台にした新しいタイプの警察小説で[5]、「週刊文春ミステリーベスト10」で第1位、「このミステリーがすごい!」で第2位に選ばれた。(ウィキペディアから引用)

長岡弘樹という作家の作品で最初に読んだ本が『教場』だったのですが、これまでにない視点から組み立てられた物語でした。なにせ警察学校を舞台にした警察学校の生徒がそれぞれに主人公になっている連作の短編集なのです。次いで、読んだ『群青のタンデム』も独特な雰囲気を持っていた作品でした。

長岡弘樹作品はまだこの二冊しか読んでいないのですが、ミステリーのアイデアが独特で、基本が連作の短編ということもあるのか、伏線を丁寧に張り巡らしてあります。ただ、若干ですが文章に独りよがりの感じがあります。物語の展開を表現するのに、書かれていない部分は読者の想像、イマジネーションで補ってくれ、と言わんばかりなのです。つまりはもう少しの丁寧さが欲しい、という印象なのです。

とはいえ、実に魅力的な作品を書かれる作家であることには間違いはなく、長岡弘樹本人が参考にされていると書かれているようにどことなく  を思い起こさせる物語でもあります。
それなりの読み応えのあるミステリー作品を求めている方にはお勧めの作家さんでもあります。

吉原手引草

廓遊びを知り尽くしたお大尽を相手に一歩も引かず、本気にさせた若き花魁葛城。十年に一度、五丁町一を謳われ全盛を誇ったそのとき、葛城の姿が忽然と消えた。一体何が起こったのか?失踪事件の謎を追いながら、吉原そのものを鮮やかに描き出した時代ミステリーの傑作。選考委員絶賛の第一三七回直木賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

傾城吉原を舞台にした時代ミステリーでありながらタイトルのままに吉原の手引書にもなっている、第137回直木賞を受賞した長編の時代小説です。

近時読んだ作品の中では一、二を争う作品だと感じました。

 

一人の男が吉原の引き手茶屋の内儀に聞き取りをしている場面から始まります。

吉原の町並みの説明から、吉原で遊ぶ際の手順、しきたり等が内儀の口から語られ、最後に葛城花魁のことを聞きだそうとするところで見世を追い出されます。

次の章は、大籬(おおまがき)の舞鶴屋の見世番である寅吉の話です。大籬とは大手の妓楼のことであり、魁道中を行うような花魁を抱える見世のことを言います。

この章では、具体的に見世に上がってからのしきたりなどが語られ、最後に葛城花魁のことを尋ねて終わります。

その次は同じ舞鶴屋の番頭の話があり、そしてその次には舞鶴屋抱え番頭新造の話と次から次に聞き取りの相手が変わっていきます。

 

各章がすべて、聞き取り相手の語り、という体裁で進んでいきます。聞き取りをしている人物の言葉は一言もありません。ただ、相手が一人でしゃべるのみです。

このおしゃべりの間に、花魁の葛城の起こしたとある事件について調べているのだとわかってきます。それでも何故そのような聞き取りをしているのかは不明なのです。

こうした聞き取り形態の小説としては、浅田次郎の『壬生義士伝』が思い浮かびます。子母沢寛を思わせる聞き取り手に対し、相手が新撰組に関する思い出を語っていく、という形式は一緒です。

 

 

しかし、本書ではミステリーとしての要素がかなり強い点が異なります。勿論、新撰組と吉原という異なる世界の物語という点も違いますが。

読み始めは、ひたすら一人称の語りを聞くだけという体裁に加え、何を聞いているのかも分からないので、読み手は若干の欲求不満がたまっていきます。

それでも、吉原という江戸時代でもっとも有名な地名のひとつでありながら、その内実をほとんど知らない「吉原」という不思議空間についての知識が与えられることで、なんとかついていく印象です。

 

しかし、途中から吉原についてのトリビア的知識に加え、葛城花魁が起こしたという事件についての謎に関心が移っている自分に気づかされます。

終わり方になり、語り手の一人が「吉原は虚実ない交ぜた駆け引きの世界であり、その駆け引きこそが面白い」と言い切ります。

最後の章「詭弁 弄弁 嘘も方便」の章では全ての種明かしがなされます。

ミステリーとしてこうした手法が評価されるのかどうかは私には分かりませんが、久しぶりに「意外性」という意味で面白い小説に出会ったと思いました。

 

吉原についての情報と同時に、それをミステリーとして仕上げたその手法には、ただ感じいるばかりでした。

寒椿ゆれる

男前ながら堅物の同心・玉島千蔭。今日もその周囲では事件が起こる。美貌の花魁・梅が枝、若手人気女形・水木巴之丞らの手も借りつつ、江戸を騒がす不可解な事件の解決にあたる。今回は、女が苦手な千蔭に久しぶりに“兵”の見合い相手が登場。事件の行方、そして、千蔭の見合いの行方は…。江戸が息づく傑作シリーズの猿若町捕物帳、待望の第四弾が文庫化。(「BOOK」データベースより)

 

猿若町捕物帳シリーズの四作目で、三篇の物語がおさめられている連作の短編集です。この作家の本としては本書が最初に読んだ本でした。

 

「猪鍋」
継母のお駒らと共に千蔭らが訪れているときに猪鍋屋「乃の字屋」の女将が変死を遂げた。騒ぎを起こした男を調べると、「乃の字屋」の亭主龍之介が修行に行った先の「山くじら屋」の息子だと言う。聞くと、「山くじら屋」の亭主を龍之介が殺したのだと言うのだった。

「清姫」
本シリーズ一作目の『巴之丞鹿の子』で登場した人気の女形水木巴之丞が若い女に刺された。深手ではないとのことだが、巴之丞は見知らぬ女だと言う。巴之丞の住いに事件の様子を聞きに行くと、その帰りに巴之丞の家の様子を伺う若い女がいた。

「寒椿」
金貸しの内藤屋に盗賊が押し入った。ところが、北町奉行所の同心大石新三郎が内通したらしいという。大石のために疑いを晴らそうと動く千蔭だった。

 

主人公は、玉島千蔭という南町奉行所の定町廻り同心です。この玉島千蔭を中心に、千蔭の父千次郎や、人気女形の水木巴之丞、花魁の梅が枝などが脇を固め、彼らの手助けを得ながら解決していく、謎解きを中心にした人情時代小説と言えるでしょう。

本書は、千蔭の小者である八十吉の視点で進んでいきます。この八十吉の心情が端々に垣間見えるところも一つの味になっています。

 

何よりも本書では、それぞれの話で事件の解決に尽力する「おろく」という女性が登場します。この女性は千蔭の見合いの相手なのですが、この人物が魅力的です。

このおろくという人物は二巻目あたりから登場しているらしく、その人物が本書で花開いている感じでしょうか。未読なのでこの辺はよく分かりません。シリーズものはこういうことがあるから、やはり順序よく読むべきですね。

このおろくという女性が登場すると、一方花魁の梅が枝との仲はどうなるのか、という下世話な興味も出てきますし、おろくとの行く末もはっきりとは言えないものの良いのか、悪いのか、何とも言いようのない結末です。ミステリーとして読むと物足らない人がいるかもしれませんが、個人的には心地よいひと時を過ごせる一冊でした。

道絶えずば、また

江戸中村座。立女形三代目荻野沢之丞が、引退を決めて臨んだ舞台で、奈落へ落ちて死んだ。大道具方の甚兵衛が疑われたが、後日首を吊った姿で見つかる。次に沢之丞の次男・宇源次が、跡目相続がらみで怪しまれた。探索にあたる北町奉行所同心・薗部は、水死体であがった大工の筋から、大奥を巻き込んでの事件の繋がりに気づくのだが…。多彩な生き様のなかに芸の理を説く長編時代ミステリー。(「BOOK」データベースより)

 

歌舞伎の世界を舞台にした時代ミステリーです。「風姿花伝」三部作の完結編です。

 

ミステリーなのですが、当初は多彩な登場人物の相互関係、その物語上での立ち位置などがよく分からず、役者の世界に対する作者の該博な知識も相まってか、なんとなくの読みにくさを感じていました。

この点は、シリーズを順序よく読んでいけば少しは良かったのかとも思えます。

 

ミステリーとしての本書を見た場合、謎解き自体は若干のご都合主義を感じなくもありません。

しかしながら作者は「家族」のあり方を主題としていたと思え、そうしてみれば全体がそれとしてまとまって見えてきます。

とくに、終盤での長男市之介と次男宇源次兄弟の会話の場面は、芸の道に生きるものの心情を表わしていて圧巻でした。

ここまでに至る物語はこの場面へのフリではなかったかと思えるほどなのです。

 

話自体は同心の薗部理市郎が探偵役として進んでいきます。

しかし、理市郎が手先として使おうとしている女形沢蔵も事件の真相を探ろうとしてあちこちに探索の手を広げているので、探偵役の側面も若干の曖昧さが残っています。

と言ってもこの点は強いて言えばの話ですが。

 

『非道、行ずべからず』『家、家にあらず』そして本書『道絶えずば、また』の三冊で「風姿花伝」三部作と呼ばれています。

どのタイトルも世阿弥の能楽論『風姿花伝』からとった一文だそうです。

 

本書の『道絶えずば、また』についてみると、「道絶えずば、また、天下の時に会うことあるべし」という言葉からとったものだといいます。

「たとえ人から見捨てられても、決してあきらめずにひとつの道をずっと歩み続けていれば、再び浮かび上がるときがあるだろう。」というその言葉は、本書のテーマそのものでした。

 

蛇足ながら、本書を含めた松井今朝子氏の作品の装丁がなかなかにインパクトがあって惹きつけられました。

巴之丞鹿の子

江戸で若い娘だけを狙った連続殺人が起こった。南町奉行所同心の玉島千蔭は、殺された女が皆「巴之丞鹿の子」という人気歌舞伎役者の名がついた帯揚げをしていたことを不審に思う。そして、巴之丞の蔭に浮かぶ吉原の売れっ妓。調べが進むなか新たな被害者が―。はたして真犯人は!?大藪春彦賞作家・近藤史恵の時代ミステリー小説シリーズ第一作がついに復刊。(「BOOK」データベースより)

 

猿若町捕物帳シリーズの第一作目で、正統派の時代劇ミステリー小説です。

 

大川端に娘の絞殺死体があがった。それも続けて二人。共に鼠色の鹿の子が首にまかれていた。その鹿の子は、中村座に出ている今人気の女形水木巴之丞が舞台で締めているもので、巴之丞鹿の子と呼ばれているものらしい。

 

タイトルに言う「鹿の子」とは、伝統的な絞り染めの柄をした、帯枕を包む小道具の一種である「帯揚げ」のことを指しています。

主人公は南町奉行所同心の玉島千蔭という堅物同心です。その小物として八十吉がいます。この物語はこの八十吉が語り部となって進められていくメインの物語と、もう一本、お袖という娘の目線での物語が並行して進みます。

 

「顔はなかなか整っているが、眉間に寄せられた深い皺と鋭い眼光で台無し」で、「だだでさえ、長身と同心でござい、という風体で目立つのに、その上全身から近寄りがたいような気を発している」男、玉島千蔭。酒も飲まず、女も苦手という堅物の玉島千蔭は、それでもなかなかに細やかで、知りえた事実から推理を働かせます。大藪春彦賞を受賞したこの作家は、この千蔭の推理の様を的確に読ませてくれるのです。

一方で、お袖という娘の物語が進みます。雨の中、草履の鼻緒が切れたところを助けてくれている侍の肩を蹴るお袖。この出会いをきっかけに、二人の仲は意外な方向に進み、物語の終盤に二つの物語が結びつきます。

 

この作家は、過不足のない実に読みやすい文章を書かれます。本文庫本の解説を書いている作家の西條奈加氏によると、本書は「『半七捕物帳』の流れを汲む、まぎれもないミステリー」で、近藤史恵のミステリーの土台は、「冷たく、透きとおった水。そんなイメージがわく」、よけいなものが徹底的に削ぎ落とされた、濁らない文章と構成にあるそうです。こうしてみると私が本書に対して抱いた印象もまったくのはずれではなかったようです。

不満点を書くとすれば、謎解きにおいて示される動機が、犯人が娘たちを殺すことを納得させるほどものか、ということです。でも、他にこのような感想を書いている人はいないようなので、個人的な印象に過ぎないのでしょう。

 

私の中では決して小さくはない違和感なのですが、その点を除けば、本書は文句のない面白さです。加えて、本書には巴之丞という女形や、その巴之丞に瓜二つだという吉原花魁の梅が枝らという、魅力的な人物が配置されていて華やかです。もう一人、千蔭の父親である玉島千次郎もいます。やはり同心であったこの父親は、酒と遊女をなによりも苦手としている千蔭とは異なり、「粋で、くだけていて、融通の利いた男だった」そうなのです。この父親が何かにつけ、千蔭を影から支えています。

文庫本で200頁強という本書は、読み易さにおいても、ミステリーとしての面白さでも一級です。