霧笛荘夜話

とある港町、運河のほとりの古アパート「霧笛荘」。法外に安い家賃、半地下の湿った部屋。わけ知り顔の管理人の老婆が、訪れる者を迎えてくれる。誰もがはじめは不幸に追い立てられ、行き場を失って霧笛荘までたどりつく。しかし、霧笛荘での暮らしの中で、住人たちはそれぞれに人生の真実に気付きはじめる―。本当の幸せへの鍵が、ここにある。比類ない優しさに満たち、心を溶かす7つの物語。(「BOOK」データベースより)

「港の見える部屋」
横なぐりの雨が沫(しぶ)く嵐の晩に星野千秋と名乗る女が来た。何度も死にそこねたというその女は、眉子という名のホステスに世話を受ける。
「鏡のある部屋」
隣の部屋に住んでいた眉子の本名は「吉田よし子」といった。二枚目の夫と二人の子を得て経済的にも恵まれていたのだが、よし子は家を出た。
「朝日のあたる部屋」
その次の部屋には眉子に可愛がられていた鉄夫という名のヤクザ者が住んでいた。人の良い鉄夫は、すぐ上の部屋に住む四郎という売れないバンドマンを助ける。
「瑠璃色の部屋」
四郎は、すぐ上の足の悪い姉に助けられ北海道の田舎町から上京してきた。そんな四郎は、隣の部屋に住むオナベのカオルに文句を言われながらも助けられていた。
「花の咲く部屋」
集団就職で工場にやってきた花子は、給料も先に上京していた年の離れた兄に前借をされていた。そんな花子が駆落ちの末に転がり込んだカオルの部屋は、馥郁たる香りが溢れるゼラニウムやブーゲンビリアの花園だった。
「マドロスの部屋」
自分が送った遺書を読んだ娘の現実を知った園部幸吉は、復員後一年近くも着ていた軍服をマドロス服と取り換え、「霧笛荘」にやってきた。
「ぬくもりの部屋」
「霧笛荘」の買収の担当だった山崎茂彦は、成果を上げられないでいたが、早急の解決のためだと高額の買収費用を準備される。

運河のほとりにある古いアパート「霧笛荘」。そのアパートの管理人の老婆が、六つの部屋に住んでいた六人の住人について語る、全七編のせつなさあふれる短編集です。

連作短編集と言ってもいいくらいに、それぞれの話の登場人物が少しづつ関連しているのですが、物語自体は独立した話として成立しています。そして、それぞれの話は、通常の「幸せ」な生活からはずれた人生を送らざるを得ない、「不幸せ」な人生を送っている人たちの、切なさあふれる物語です。

しかしながら、ここに登場する人たちは、皆自分の自分の人生に正直に、そして一生懸命に生きようとしている人たちです。浅田次郎は、通常の「幸せ」の基準とは合わない、自分の生に真剣に立ち向かう人々へエールを送っているようでもあります。

浅田次郎のユーモアに満ちた物語からすると、本書はかなり暗い分野に属しますので、こうした物語は苦手という方もいるかもしれません。しかし、浅田次郎の美しい文章で語られる切ない物語は、やはり心に染み入る浅田次郎の物語です。

この物語に関しては、イメージCDが出されています。試聴してみると、バイオリンの高嶋ちさ子、ピアノの加羽沢美濃らの演奏で、心地よく、美しいメロディーが聞こえてきました。右のイメージリンクからAmazonへ行き、是非試聴してみてください。

薔薇盗人

「あじさい心中」 リストラにあった北村は、ふと出かけた地方競馬にも負け、ふと立ち寄ったとある温泉町で、盛りを過ぎた踊り子と出会い一夜を過ごしてしまう。

踊り子が自分語りをする場面は、浅田次郎らしい哀切に満ちた場面です。会ったばかりの男と女の交情の結末は思わずうなってしまいました。

「死に賃」 死の苦痛と恐怖から免れるためにはいくら払うか、と聞いてきた長年の友人の小柳が、真夜中の心不全で逝った。その小柳から貰った、安楽死を約束するというダイレクトメールが大内惣次の手にあった。死期を感じた大内。しかしそのサービスは摘発され、代わりに身近にいた秘書の松永の存在に気づく。

金儲けのために一生懸命に働いてきた主人公の、死の床での話は夢か現実か。主人公に尽くした秘書の美しさがファンタジーの中に光る好編です。

「奈落」 一人の男が何故か未到着のエレベーターの扉が開いたため、そのまま乗りこみ落ちて死んだ。その通夜の後、男の属していた会社の社員たちは男についていろいろ語るのだった。

死んだ男の会社の社員らや役付き、社長や会長達の、死んだ男をめぐるそれぞれの思惑を絡めながらの会話のたびに、隠された秘密が少しずつ明かされていきます。全編会話文だけの、サラリーマンの悲哀も漂う、少々考えさせられる短編です。

「佳人」 お嫁さん紹介を生きがいとしている母に、完全無欠な男と言える吉岡英樹という部下を紹介してみる気になった。そして、吉岡を呼び母に会わせたのだが・・・。

ショートといっても良いくらいの、十五頁ほどしかない短編です。しかし、ショートだからこその意外なオチが待っていました。

「ひなまつり」 もうじき中学生になる弥生が一人で留守番をしていると、前に隣の部屋に住んでいた吉井さんが訪ねてきた。こんな人がお父さんだったらと思うけれど、ダメなんだろう。でも、・・・。

弥生の視点で語られる本作品は、昭和の匂いが強く漂う小品です。もうすぐ中学生なろうとする女の子の一途な思いを描いてあります。

「薔薇盗人」 豪華客船の船長である父親に向けての小学六年生の男の子の、自分の近況を報告している手紙という形式で進みます。

すべてが無垢な子供の視点で、客観的に記されています。そこには、母親が家庭訪問に来た先生と長いこと話しこんでいたりする姿も報告してあるのです。

どの物語も人と人とのつながりについて、幾種類もの見え方を示してくれている作品集です。特に冒頭の「あじさい心中」が浅田次郎らしさが一番出ている作品に思え、心に残りました。

獅子吼

時代と過酷な運命に翻弄されながらも立ち向かい、受け入れる、名もなき人々の美しい魂を描く短篇集。(「BOOK」データベースより)

「獅子吼」 「飢えたくなければ瞋(いか)るな。」という父の訓(おし)えを胸に、檻の中で生きている獅子。視点は移り、獅子の世話をしている草野二等兵に動物園の動物たちの殺害命令が下りる。
「帰り道」 高度成長期の時代を背景に、ハイミスの清水妙子という女性の、二つ年下のインテリ工員の光岡に対する想いを描いた作品。
「九泉閣へようこそ」 ひなびた温泉宿での恋愛模様ですが、結局は九泉閣という「宿」目線になったりと、よく理解できない小説でした。
「うきよご」 東大を目指す浪人生の物語です。松井和夫は、京都の実家でも尚友寮でも自分の場所が見つかりません。腹違いの姉との微妙な雰囲気を漂わせながらも、一人の浪人の一時期が切りとられています。
「流離人(さすりびと)」 冬の日本海岸を走る列車で知り合った「さすりびと」と自称する老人の回想で、終戦近い中国大陸をいつまでも赴任先へと旅をしている軍人の話が語られます。
「ブルー・ブルー・スカイ」 戸倉幸一はカジノで大負けし、帰り道でポーカー・マシンで大当たりを出すが、そこに現れたのは、ギャングを思い立ちコルト・ガバメントを握りしめたサミュエルだった。

「獅子吼」は戦争の無意味さを忍ばせた作品。誰もが知っている『かわいそうなぞう』という童話のもとにもなった、上野動物園での象の花子の殺処分の話をもとに練られてであろう作品です。声高に反戦をうたいあげるのではなく、この作品のように非日常の世界を作り上げながら、人間ドラマと絡めた上での動物目線の話は浅田次郎ならではの物語です。

「帰り道」は最後の一行に至るまでの話の運び方のうまさにつきます。ただ、物語の意図はよく分かりませんでした。当時の時代を描いた、というだけのことでしょうか。それとも最後の一行のための物語でしょうか。

「九泉閣へようこそ」は、先にも書いたように男女の物語のようで、そうではないような、よく分かりません。

「うきよご」は、昭和という時代でも、またかつての渋谷の匂いでもない、作者と同じ世代の私にも感じられない独特の雰囲気を持った、不思議な小説です。かつて読んだ浅田次郎の『霧笛荘夜話』の雰囲気を思い出していました。この作品も時代や場所を感じさせない物語であり、ファンタジックな雰囲気を持っていました。

「流離人(さすりびと)」は、戦争に対する作者の思いがわりとはっきりと表れているファンタジックな物語で、かなり好きな物語でした。

最後の物語である「ブルー・ブルー・スカイ」も、意図が分かりにくいお話でした。

どの物語もまぎれもなく浅田次郎の語り口です。しかしながら、若干理解しにくい作品もありました。ただ、表題作の「獅子吼」や「流離人(さすりびと)」などはまさに私の好きな浅田次郎の作品でした。

お腹召しませ

お家を守るため、妻にも娘にも「お腹召しませ」とせっつかれる高津又兵衛が、最後に下した決断は…。武士の本義が薄れた幕末維新期、惑いながらもおのれを貫いた男たちの物語。表題作ほか全六篇。中央公論文芸賞・司馬遼太郎賞受賞。(「BOOK」データベースより)

「お腹召しませ」
高津又兵衛は、入り婿である与十郎が公金を使いこんで女郎を身請けし、逐電してしまっていた。又兵衛が腹を切ればお家の存続だけは認められるらしい。妻や娘も、死に処を得たと思って「お腹召しませ」と言うのだった。
「大手三之御門御与力様失踪事件之顛末」
横山四郎次郎が行方不明になった御百人組の詰め所がある大手三之門は、三方を囲まれていて逃げ場は無く、神隠しとしか言いようがないのだった。しかし、五日後、その横山が記憶喪失の状態で見つかる。
「安藝守様御難事」
芸州広島藩藩主浅野安芸守茂勲(もちこと)は、ひたすらに訳のわからない斜籠(はすかご)の稽古をしなければならなかった。何故にこのような稽古が必要なのか、誰も教えてはくれない。そのうちに、老中の屋敷での斜駕籠の披露をすることとなった。
「女敵討」
江戸勤番についている奥州財部藩士の吉岡貞次郎のもとを、旧知の間柄の稲川左近が訪ねてきて、貞次郎の妻が不貞を働いているので女敵討をせよと言ってきた。江戸での妾との間に子まで為している貞次郎は、女敵討のために帰郷するが・・・。
「江戸残念考」
大政奉還の後、鳥羽伏見の戦いにも負けて、徳川慶喜は一人江戸へ帰ってきた。御先手組与力の浅田次郎左衛門を始めとした御家人たちの間では「残念無念」の言葉しか出てこないのだった。
「御鷹狩」
前髪も取れていない檜山新吾ら若者三人は、薩長の田舎侍に抱かれている夜鷹を切り捨てようと、夜中、家を抜け出し、夜鷹狩りを御鷹狩りと言いかえつつ、勢いで切り殺してしまう。

明治維新の頃を舞台に、多分浅田次郎本人が祖父から聞いた話を脚色し、現代と過去とに共通する、滑稽さの中にある一片の哀しみを漂わせた物語を語ります。第1回中央公論文芸賞と第10回司馬遼太郎賞を受賞した作品で、浅田次郎の特徴でもある、ユーモアに包まれてはいるものの真摯に生きる人間の哀しみを漂わせた短編作品集です。

各挿話の終わりには著者自身がその物語について語っています。不要とも思われかねないこの著者のまとめは、これはこれなりに面白い試みであって、短編のけじめを上手くつけていると感じられます。

浅田次郎の軽いユーモアに包まれた作品は、葉室麟青山文平の作品とはまた異なった視点からの侍の生きざまを描き出している物語と言えるでしょう。一昔前の池波正太郎山本周五郎といった大御所たちとも違う、独自の世界を構築している時代小説の中でもユニークな地位を得ているのです。

直木賞を受賞している葉室麟の『蜩の記』は、全編が緊張感のある硬質な文章で貫かれていて、正面から、格調高く、武士の生きざまが描写してありました。一方青山文平は、デビュー作である『白樫の樹の下で』の中で、とある道場の三人の若者の「人を斬る」ことに対する懊悩を通して、なおも侍たらんとする姿を描いていました。

それらの作品と、本書や『黒書院の六兵衛』などの浅田次郎の時代小説では、その表現方法はかなり異なります。しかしながら侍のありようについての考察、という点では共通する者を感じるのです。ただ、浅田次郎作品が、前に挙げた二人の作家と比べると一番「情」において豊かと言えるかもしれません。

歩兵の本領

1970年代の日本という時代を背景に、自衛隊に入隊した若者たちの姿が哀しみを持ちつつもユーモアという衣に包まれて描かれています。全部で九つの物語で構成されている短編集です。

それぞれの物語では上官であったり同僚であったりと、さまざまな切り口の話が繰り広げられるのですが、そこは浅田次郎の物語ですから、各々の物語の底にはきっちりと人情物語がひそんでいます。そして、狭い世界の中で繰り広げられる物語であるために同じ人物が繰り返し登場します。登場人物への照明の当たり方の程度が違う、と言ったほうが良いのかもしれません。

本書においても、人物の心情を挟み込みながら交わされる会話文の調子の良さ、見事さという浅田節は健在です。この文章の美しさ、語りの調子の良さに乗せられて、読み手は簡単に浅田次郎の世界に引き込まれてしまうのです。

本書の終わり近くに「脱柵者」という物語があります。「脱柵」とは脱走の謂いです。自衛隊は「個人の行為が個人の責任に帰着しない世界」であり、「個性を滅却させて・・・緊密な連帯を保ち続けねばならない」世界だと言います。著者は大学出だという主人公にこのような自衛隊についての考察を語らせているのですが、この考察が浅田次郎本人の言葉ではないかと思うのです。

この主人公は自衛隊からの脱走を試みます。「娑婆」への逃走を図るのです。その時の脱走兵に対する上官らの態度は胸に迫ります。

自衛隊を描いた小説でまず浮かぶのは、我が郷土の先輩の直木賞作家である光岡明氏の『草と草との距離』が自衛隊員を描いた小説だったと思うのですが、もし間違っていたらごめんなさい。

浅田次郎の自衛隊に絡んだ作品と言うと後掲の立花もも氏のレビューには浅田次郎のエッセイ『勇気凛々ルリの色』もあわせて読んで欲しいとありました。抱腹絶倒のエッセイらしく、是非読んでみたいものです。

蛇足ながらタイトルになっている『歩兵の本領』とは、1911年(明治44年)に発表された日本の軍歌だそうで、YouTubeで聞くことができます。

五郎治殿御始末

男の始末とは、そういうものでなければならぬ。決して逃げず、後戻りもせず、能う限りの最善の方法で、すべての始末をつけねばならぬ。幕末維新の激動期、自らの誇りをかけ、千年続いた武士の時代の幕を引いた、侍たちの物語。表題作ほか全六篇。(「BOOK」データベースより)

 

「椿寺まで」、「箱舘証文」、「西を向く侍」、「遠い砲音」、「柘榴坂の仇討」、「五郎治殿御始末」の六編が収められている短編集です。

 

明治維新という社会の変革についてゆけない侍の悲哀を描いた作品集です。どの物語も侍の矜持を捨てることを潔しとせず、それでいて明治という新しい世になんとかなじもうとする侍の哀しさが漂う物語として出来上がっています。

「箱舘証文」では「旧なるもの」の取り壊し、「西を向く侍」では太陽暦採用、「遠い砲音」もまた太陰暦から太陽暦に改められるに伴う「不定時法」から「定時法」への変更、「柘榴坂の仇討」では仇討禁止令、「五郎治殿御始末」は廃藩置県と、それぞれの出来事に伴って自らの居場所を失う侍たちのさまざまな悲哀が語られているのです。

この作家の『黒書院の六兵衛』などでもそうでしたが、単純に、時代に流されることについて思い惑うことのない大半の武士たちではなく、「侍」という生き方しかできない、ある意味不器用な人間の、さまざまな自己の貫き方を描いてあります。

侍としての生き方を貫くことと、新時代にあった生き方を選ぶこととの狭間で巻き起こる悲喜劇ですが、そこで繰り広げられる人間模様を謳いあげる浅田次郎という作家の素晴らしさを堪能できる作品集です。

 

中でも「柘榴坂の仇討」は中井貴一と阿部寛を主役に2014年に映画化されました。二人とも好きな役者さんなので早速見ましたが、それなりに期待に添える映画でした。

 

 

「西を向く侍」では、成瀬勘十郎という和算と暦法を学んだ人物が主人公となっていますが、この和算と暦法を主題にした小説を先日読んだばかりでした。それは本屋大賞も受賞した冲方丁が書いた『天地明察』という作品です。改暦という大事業の意味を詳しく描写しつつ、上質のエンターテインメント小説として仕上がった作品でした。

 

 

物語の流れの中での一時期としての明治維新を描いた作品はあっても、本書のように、明治維新期における侍の苦悩する姿を正面から書いた作品はそんなには知りません。少ない中で挙げると、津本陽が明治時代の剣術家の悲哀を丁寧に描写した短編集である『明治撃剣会』があります。また、杉本章子の『東京新大橋雨中図』は、最後の浮世絵師と呼ばれた小林清親を描いた、明治維新期の世相を一般庶民の生活に根差した眼線で描写している作品です。

 

銀色の雨

『銀のエンゼル』の鈴井貴之監督が浅田次郎の短編小説を映画化。父を知らずに育った高校生・和也、引退を勧告されたプロボクサー・章次、身寄りのない孤独な女・菊枝。偶然出会った3人が心の傷を乗り越え、新たな一歩を踏み出していく姿を描く。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

短編集「月のしずく」(文春文庫)の中の一編「銀色の雨」を原作としています。

 

映画としての評判はあまりよろしくなく、そのため私は未見です。

オリヲン座からの招待状

浅田次郎の同名小説を『MISTY』の三枝健起監督が映画化。昭和30年代の京都で、先代の館主亡き後その妻が灯を守り続けた映画館「オリヲン座」。時代は流れ、オリヲン座に縁のあった人々の下へ一通の招待状が送られてくる。宮沢りえ、加瀬亮ほか共演。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

できは今一つと言っていいでしょう。

出演俳優は映画館経営の夫婦に宇崎竜童と宮沢りえ、そこに転がり込んだ青年に加瀬亮が扮しています。加えて、現代になってからは原田芳雄と中原ひとみが映画館の夫婦を演じ、田口トモロヲと樋口可南子が離婚危機の夫婦を演じています。

役者陣は豪華で、映画の出来もそれほど悪いとは思えないのですが、原作と比べて見ると、映画館夫婦の恋愛劇としての仕上がりは、どこか入り込めませんでした。

 

しかし、原作を離れ、映画を映画として見るとまた異なる印象だったのかもしれません。原作は『鉄道員(ぽっぽや) 』という短編集の中の一編であり、映画館からの招待状を受け訪ねていく夫婦の方に焦点があったいるので、映画とはかなり印象が異なります。

ラブ・レター ~パイランより~

浅田次郎の短編小説を韓国の若手監督、ソン・ヘソンが映画化したラブストーリー。かつて偽装結婚した中国人女性・パイランが死んだことを知ったカンジェは、彼女の遺した手紙を受け取る。そこにはパイロンのカンジェへの純な想いが切々と綴られていた。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

短編小説「ラブ・レター」を原作とする韓国の映画。原作の持つ哀しさは今一つだったような気がします。短編小説を116分という長さの映画に展開しているのですから、原作の膨らませ方が難しいでしょうけど、私のイメージとは少々異なりました。

 

主人公を演じている『オールド・ボーイ』のチェ・ミンシクはさすがで、亡くなった女性の純粋さに触れて涙する肝心の場面は見事です。でも、この場面は素晴らしかったのですが、ここに至るまでが若干間延びしてしまいました。女性も美しく、この明るさも悪くは無いのですが、もう少しまだ見ぬ夫を思う感じがあれば、と思ってしまいました。

 

 

ラブ・レター

『ペコロスの母に会いに行く』の森崎●東監督が、浅田次郎の短編を元に描いたドラマ。新宿の歌舞伎町で裏ビデオ屋の店長を任されている高野吾郎は、世話になっている佐竹から偽装結婚の話を持ち掛けられる。“あの頃映画 松竹DVDコレクション”。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

短編集「鉄道員」の中の一編を映像化したもの。

 

この作品の原作は、同じく『ラブ・レター ~パイランより~』というタイトルで韓国でも映画化されています。

主演は『オールド・ボーイ』のチェ・ミンシクで、そこそこに面白く見ることができました。

 

 

本作は中井貴一主演ということなので、レンタルに降りて来るのを楽しみに待っているのですが、いまだありません。早くレンタル化してほしいものです。