『レーエンデ国物語』とは
本書『レーエンデ国物語』は『レーエンデ国物語シリーズ』の第六弾で、2023年6月に講談社から496頁のソフトカバーで刊行された長編のファンタジー小説です。
まさに一つの国の成り立ちを描いていて、大きな時の流れの中でレーエンデという地方(国)こそが主人公だともいえる、大河ファンタジー小説です。
『レーエンデ国物語』の簡単なあらすじ
聖イジョルニ帝国フェデル城。家に縛られてきた貴族の娘・ユリアは、英雄の父と旅に出る。呪われた地・レーエンデで出会ったのは、琥珀の瞳を持つ寡黙な射手・トリスタンだった。空を舞う泡虫、乳白色に天へ伸びる古代樹、湖に建つ孤島城。その数々に魅了されたユリアは、はじめての友達、はじめての仕事、はじめての恋を経て、やがてレーエンデ全土の争乱に巻き込まれていく。(「BOOK」データベースより)
『レーエンデ国物語』の感想
本書は『レーエンデ国物語』、古来「呪われた国」と呼ばれているレーエンデ国を舞台に、「レーエンデの聖母」と呼ばれた女性の姿を描く長編のファンタジー小説です。
本書の巻末には2023年6月刊行の本書に続いて、2023年8月には第二巻の『レーエンデ国物語 月と太陽』が刊行される旨の広告が載っており、「レーエンデを渦巻く運命は動き出した。」との一文が載っています。
つまりは、本書『レーエンデ国物語』はあくまでレーエンデ国を舞台とする大河物語のイントロに過ぎないということだと思われます。
その第一弾としての本書を読むとまず「革命の話をしよう」と始まり、序章の内容からして中世のヨーロッパの騎士風のファンタジーと思い読み始めました。
しかしながら、読み終えてみると革命の話が語られたという印象はあまりなく、恋愛小説のようでもありました。
著者の多崎礼が、講談社の編集者から「空想世界で、国を滅ぼす年代記のような話を書きませんか?」と声をかけられ、面白そうだと思いつつも「“国を興す”話が書きたい」という旨を編集者に伝え、承諾を得たとありあました( 現代ビジネス/本:参照 )。
そうして、王道のファンタジーとして創り込まれた聖イジョルニ帝国が支配する世界で特異な位置を占めるレーエンデ地方を舞台とする物語が紡がれたのです。
神に見放された土地、呪われた土地と言われ、全身が銀の鱗に覆われていく銀呪病という死病を抱えており、始祖ライヒ・イジョルニに自治権を与えられたウル族とティコ族という少数民族が暮らすレーエンデ地方が物語の舞台となります。
主人公は後に「レーエンデの聖母」と呼ばれることになるユリア・シュライヴァという十五歳の娘であり、その父がシュライヴァ騎士団の団長であるヘクトル・シュライヴァです。
彼女が父親に連れられてレーエンデへとやってくるところからこの物語は始まりますが、レーエンデの北の要害ともなっている大アーレス山脈を越える見返り峠で「おかえり」という声を聞きます。
そして、自分はレーエンデにやってきたのではなく、還ってきたという確信を抱くのです。
その後、イスマル・ドゥ・マルティンや、その長女プリムラとその子の双子の孫娘ペルとアリー、そしてユリアと同世代の次女リリスたちに出会います。
ヘクトルはレーエンデとシュライヴァとの間に交易路を作るための調査にレーエンデを訪れたのですが、その調査の道案内に紹介されたのがトリスタン・ドゥ・エルウィンという青年でした。
ここから、ユリアの父ヘクトルとトリスタンとの交易路開設のための困難な旅の模様が描かれ、同時に、ユリアの物語も語られていくのです。
本書『レーエンデ国物語』冒頭から中ほどまではいわゆる冒険ファンタジー的な色彩を帯びてはいたものの、半分を過ぎたあたりから何となく恋愛ものと言ってもよさそうな雰囲気が漂ってきました。
とはいえ、ヘクトルの兄王ヴィクトルやその息子ヴァラスといった敵役、それにノイエレニエの騎士団など冒険小説的な設定も次第に充実していきます。
本書の性格がよくつかめないままに、ストーリー展開そのものの面白さに惹かれ、かなり早く読みえるほどには惹き込まれたようです。
本書『レーエンデ国物語』を読み終えた時点では恋愛の要素が強いファンタジー小説という側面がかなり強く感じられた作品でした。
しかし、二作目までを読了した今では、レーエンデという土地こそが主役の物語と印象へと変化しています。
本書自体の恋愛がらみの冒険小説的な面白さと同時に、大河小説としての作品の始まりが描かれた作品としてみるとちょっと見方が変わったようにも思えます。
当初の、本書『レーエンデ国物語』の終盤に感じた、この話を取り急ぎまとめた、という急ぎ過ぎの印象でさえも、見方が変化したようです。
とはいえ、ユリアが「レーエンデの聖母」と呼ばれるに至った理由はやはり簡単に過ぎるという印象は否めないままではあります。
でも、今後の展開を心待ちにしようという気持ちは十分に持ち得るほどの作品ではありました。