幼いころに仏門に出され、師父・太原雪斎とともに京都での学びの日々を送っていた栴岳承芳(今川義元)。兄氏輝に呼び戻されて駿府に戻り、やがて『花蔵の乱』と呼ばれる家督争いに巻き込まれていく。仏門を捨て、武将として生きる道を選ぶまでの青年期の義元を描いた。(Amazon「内容紹介」より)
「海道一の弓取り」と称され、桶狭間の戦いでの敵役として有名な今川義元の姿を描いた長編の歴史小説です。
本書は「義元生誕500年」にあたり、静岡県在住の夫婦作家鈴木英治・秋山香乃のそれぞれが義元・氏真の今川父子の一代記を歴史小説として描く、という静岡新聞社出版部の企画により刊行された作品です。
奥さんの秋山香乃氏は、『氏真、寂たり』という今川義元の子の今川氏真の生涯を描いた作品を同時刊行されています。
ということで、夫婦で戦国大名の今川義元とその子氏真とを描いた作品として、それなりの仕掛けがあることを期待して読んだ作品でした。
しかし、少なくとも本書は、結果的には若干の期待はずれがあった、と評価せざるを得ない作品でした。
本書『義元、遼たり』を著した鈴木英治は、普段は『口入屋用心棒シリーズ』などの痛快時代小説を書かれている人気作家です。
もともとは角川春樹小説賞特別賞を受賞した『駿府に吹く風』(後に『義元謀殺』に改題)という歴史小説作品がデビュー作であったことからもそれなりの内容を期待していました。
ところが、秋山香乃の作品とは異なり、鈴木英二の本書はかなり期待から外れるものでした。
本書は、当時は栴岳承芳と称し京で仏門に入り修行をしていた後の今川義元が、師匠の太原崇孚雪斎と共に、今川家の当主である氏輝から呼び戻されたところから始まります。
その後、氏輝の死去に伴い氏輝の後継者へと名乗りを上げた承芳と、承芳の兄の恵探との後継者争いの戦いである「花蔵の乱」の様子を経て、義元の最後へと至ります。
登場人物の側面から見ると、義元の師匠としてあった太原崇孚雪斎が当然のことながら全編で重要人物として登場し、この雪斎との交流はかなり詳しく描かれています。
しかし、かなり強い結びつきがあったと思われる北条氏や武田氏との関係は少ししか触れられていません。承芳の実母であり、かなりの力を有していた筈の寿桂尼についても同様のことが言えます。
本書はどちらかというと、兄弟間の、それも心の交流に重きを置かれているようで、今川家の跡目争いである「花蔵の乱」の敵役である異母兄の恵探との関係も好意的に書いてあるほどです。悪いのは恵探の外祖父にあたる福島越前守であるというのです。
ただ、この福島越前守の人となりについてはあまり書いてはありません。
つまりは、本書の構成がかなり違和感が残るものでした。
まず、氏輝の命により京から駿府へと戻る旅だけで390頁弱の本書のうち第二章から第三章の最初まで80頁ほどを費やしてあります。
実際は、第一章で京を出立する前に兄の象耳泉奘に会いに行き、語り合う様子が描かれていますので、駿府行きが決まり、実際駿府に着くまでに本書の三分の一強を費やしてあります。
家督争いに関心がないとされる兄泉奘に会いに行くこと、駿府への旅程の途中で異母兄の恵探に会うことで、これからの承芳の行く末を明確にする意図でもあったかとも思われますが、兄弟の交流にそれほどまでこだわられたのでしょうか。
その後氏輝逝去まで100頁余りあって、恵探との戦いに80頁ほど、そして残りの70頁程で義元の最後までを描いてあります。
結局、義元の人となりを描き出すうえで、どこに重きを置くか、によって描き方が異なるのは当然でしょう。
鈴木英二の場合、兄弟間の闘争はあったものの、本当は争うことなく仲良く暮らしたい、たとえ争うにしても正々堂々と戦いたいということ、そのものを示したかったのでしょうか。
秋山香乃の『氏真、寂たり』の場合、信長の掲げた「天下静謐」という言葉が要でした。
そこには義元、その子氏真、家康、そして信長と、つまりは皆「天下泰平」を目指していたとする作者の解釈、主張があります。
しかし、本書ではその点が明確ではありません。
確かに、「世の中の平和」を目指していたという記述はあります。しかし、本書全体として見えてくるのは「兄弟仲良く」という主張なのです。
当時の大名間の政治力学や経済的視点などについては言及がなく 主に兄弟間の関係性を描きたいとしか思えませんでした。
そうした観点で見ると、本書で描かれている義元の戦いは「花蔵の乱」と「桶狭間の戦い」以外は書いてないと言っても過言ではない点も納得できます。
鈴木英二の文体の特徴である感情をそのままに独白のように吐露する描き方は、鈴木節ともいうべき鈴木英二を特徴づける文体だとは思います。
例えば大井川渡河の場面で、将監と右近との間で交わされる駿府まであとどのくらいかと聞く場面など、歴史小説としては全く意味を見出せません。
巻を重ねる痛快小説であればまだしも、本書のような特定の人物に焦点を当てた歴史小説ではもう少し人物の描写に力を入れたほうがいいのではないかと思われるのです。
でないと、人間描写が浅薄に感じられ、登場人物を描く客観的な視点が抜け落ちてしまうことになります。
何はともあれ、歴史の間隙を作家の想像力で埋め、歴史上の人物を作家の解釈で紙面上に生き返らせるという意味では決して成功しているとは思えませんでした。
残念です。