本書『Ank : a mirroring ape』は、新刊書で473頁の、近未来の京都を舞台にしたサスペンスフルな長編のSFパニック小説です。
人類の進化について独特の解釈を施し、それを物語の軸に据えた読みごたえのある作品でした。
『Ank : a mirroring ape』の簡単なあらすじ
二〇二六年、京都で大暴動が起きる。京都暴動―人種国籍を超えて目の前の他人を襲う悪夢。原因はウイルス、化学物質、テロでもなく、一頭のチンパンジーだった。未知の災厄に立ち向かう霊長類研究者・鈴木望が見た真実とは…。吉川英治文学新人賞・大藪春彦賞、ダブル受賞の超弩級エンタメ小説!(「BOOK」データベースより)
鈴木望は、なぜ「人類が言語、そして意識を獲得するに至った」かを知ることが究極のAIにつながるというIT界の巨人ダニエル・キュイから連絡を受けた。
キュイは、望が書いた「ミラリング・エイプ」に関する論文を読み、キュイの京都ムーンウォッチャーズ・プロジェクト(Kyoto Moonwatchers Project)に参画してほしいというのだ。
そのプロジェクトに基づいて建設されたのが京都府亀岡市にあるKMWPセンターであり、望はそこのセンター長として招かれたのだった。
ある日、望がKMWPセンターに戻ると、そこではチンパンジー同士、人間同士が互いに殺し合い、死に絶えていた。
そして、そのKMWPセンターからは、研究対象となっていたアンクと名付けられたチンパンジーが行方不明になっていることに気付くのだったた。
『Ank : a mirroring ape』の感想
本書『Ank : a mirroring ape』は、物語の前半の流れとしては上記のようではありますが、文章の構成は描かれている事柄ごとに数年から数十年にわたり時間が前後します。
とはいっても、時間ごとに描かれている事柄が一つなので、そう混乱するというわけはありません。
何となくの煩わしさはあるにしても、本書の三分の一ほどまでは、暴動の場面を少しずつ挟みながらの描写であることを考えると、かえってその方がよかったかもしれません。
また、この手法を取ったからこそ京都暴動に至るまでの、端的に言えば登場人物や学術理論の説明などの面倒な紹介を受け入れやすくなっていたのかもしれないのです。
とは言っても、本書『Ank : a mirroring ape』に書かれている内容、望の主張する人類の発達に関する仮説などの説明が理解しにくい点はまた別の話です。
特に、「自己鏡像認識」という言葉が鍵になっていますが、この内容が難しい。
鏡に映っている像を自分自身だと認識できるかという問題ですが、これが可能なのはチンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどの大型類人猿だけだそうです。
この能力に人類の進化の鍵があると考えた望は、チンパンジーに種々の実験を繰り返し、自説を検証しようとするのです。
作者の佐藤究という人は、理系は得意ではなく、ただ10代から量子論に興味があったと書かれています( zakzak : 参照 )。
そんな人が本書のような新説を考え、それなりの説得力を持たせる物語を考えるのですからかなりの勉強をされたことでしょう。
作家という人たちの想像力は大したものだということは十分わかっていたつもりですが、よくもまあ、このようなアイデアを思いつくものだと感心するばかりです。
その想像力を駆使した作品としていつも取り上げるのが貴志祐介の『新世界より』(講談社文庫 全三巻)や、上田早夕里の『華竜の宮』などの作品です。
共に日本SF大賞を受賞した作品であって、現代社会とまったく違う異世界や未来社会を設定し、その世界での物語を構築している作品です。
こうした作品は他にも山ほどあるのですが、私の好みに合った作品として挙げています。
話を戻しますが、本書『Ank : a mirroring ape』では、ダニエル・キュイというIT界の巨人と霊長類研究者の鈴木望との会話の場面などではかなり難しい議論を交わしています。
そして、人類が言葉を持ち、意識を獲得する過程に「自己鏡像認識」という能力が深くかかわってきているという望の主張など、読者は納得させられたような気になります。
それがDNAの中にある「サテライト配列」という存在であり、そこから類人猿のゲノムで起きたセカンドビッグバンという考え方を導き出し、さらに言語の起源を考えています。
このDNAと「自己鏡像」という思考から「前後左右」の概念が導かれ、映っているのは「自分だけど自分ではない」という無限ループから抜け出し、その先の主観、客観の概念へと進んでいくのです。
このような、論理的に構築されているように思えるロジックの描き方こそ、SF的なものであり、本書の魅力だと思えます。
このあと、アンクと名付けられたチンパンジーを原因とする暴動が起きますが、その点の理由付けも物語の流れの中で納得させられてしまうのです。
でもどこか頭の片隅で「何か変だ」という意識が残っています。それはさすがにあり得ないだろう、と明確にではないながらも思いながら読んでいるのです。
これが、明確に、いくら何でもあり得ないと認識しているのであれば物語のリアリティーが無くなり、面白さは感じない筈です。
しかし、それほどではなく、物語としてこの世界観の中で一応納得をしてしまうところが、作者の腕の見せ所というものなのでしょう。
ただ、本書『Ank : a mirroring ape』では二点だけ受け入れがたい描写がありました。
それは、一点目はDNAの突然の変化を当たり前のこととしていることです。
チンパンジーをある条件のもとで繰り返し実験を重ねると、あるときDNA配列に異常が見られるようになるという点です。
突然変異というのは、このようにある個体の中で変異するものではなく、世代交代を繰り返す中で変異が起きるものだと思っていたので、この考えにはついていけませんでした。
でも、この点こそがビッグバンと断言していることなのかもしれません。
もう一点は、後半で登場する 内藤射干(シャガ)と呼ばれている少年のパルクールについての描写です。この少年がチンパンジーと対等に樹上を移動する描写がありますが、これは無いでしょう。
さすがに、チンパンジーと、パルクールの達人ではあっても人間の少年との追走劇は有り得ないでしょう。チンパンジーが怪我をしているとはいっても、考えにくいのです。
本書『Ank : a mirroring ape』では、暴動の場面でバイオレンスが描かれていますが、この点は好みの問題になるかもしれません。
また、短文を、次々と繋げていく独特の文体について行けない人があるかもしれません。個人的にはあまり好きな文体ではありませんでした。
でも、本書『Ank : a mirroring ape』に描かれている発想力はまさに私の好みの話であり、作品だと言えます。
大変面白く読んだ作品でした。