『警察医の戒律(コード)』とは
本書『警察医の戒律(コード)』は2022年8月に角川春樹事務所から刊行された、294頁の連作の警察小説集です。
物語の中心にいる警察医の判断をきっかけに、ジェンダー班の面々が事件解決に奮闘する姿が描かれている、最終的には面白い作品でした。
『警察医の戒律(コード)』の簡単なあらすじ
死者と語り、どこまでも真実に執着する警察医である法医学者。
多様化する性を取り巻く犯罪に立ち向かうジェンダー班の刑事たち。
死に隠れた謎を解き明かす、新たなドラマの幕が上がる!
医師が最期を確認する病死以外は〈異状死〉と呼ばれる。
欧米では異状死の五割を解剖しているが、日本の解剖率は二割に届いていない。
国内に法医学者の絶対数が少ないうえ、犯罪捜査のための解剖を行う公的機関が常設されていないからだ。
重大犯罪が見逃されていないか?(内容紹介(出版社より))
『警察医の戒律(コード)』の感想
本書『警察医の戒律』は、ニューヨークの検視局で十一年のキャリアを積んで帰国し、横浜の山下公園の近くで法医学研究所開いているユニークな警察医の幕旗治郎を中心にした物語です。
ただ、幕旗はあくまで遺体と文字通り対話して得られる情報を伝えるだけであり、実際に捜査に当たるのはジェンダー班と呼ばれる新設の捜査班です。
ここで「警察医」とは、「警察の捜査に協力する医師のことで、主に検案として死因不明の遺体を調べて死因を医学的に判断する業務を行な
」うそうです。
また、「犯罪性はないものの、検案しても死因が不明なままの場合
」に行政解剖を行なうのが「監察医」です。
そして、「人が亡くなった原因に犯罪が関わっている可能性があるとき(犯罪死)
」に死因の究明をするために行われるのが「司法解剖」であって、「検察官や警察署長などから嘱託を受けた大学医学部などの法医学者が執行
」するとありました( 以上、パブリネット : 参照 )。
「診療行為に関 連した予期しない死亡,およびその疑いがあるもの
( 日本法医学会 異状死ガイドライン : 参照 )」と定義される「異状死」について、日本では犯罪捜査のための解剖を行う公的機関はなく、欧米では異状死の五割を解剖しているのに日本では二割に満たないそうです。
そうした異状死の解剖が少ないという事実の他に、異状死が発生したときにまず現場に入るのは幹部警官である「検視官」と、警察と契約している前記の「警察医」ですが、ただ、その能力には疑問符がつく者も多いと本書でも指摘してあります。
そうしたことから、本書の幕旗医師は、研究機関である大学の研究室には入らずに民間の法医学研究所を作ったのだというのです。
このようなことを読んでいると、以前読んだ海堂尊の例えば『チーム・バチスタの栄光』などで読んだ「Ai(オートプシー・イメージング : 死亡時画像診断)」という言葉を思い出します。
この主張は、適切な治療効果判定のために患者が亡くなった際に病理診断のためにCTやMRIなどの画像を活用すべき、という主張であって直接犯罪と関係するものではないのですが、間接的にはかかわってくる問題だと思われます。
本書『警察医の戒律』でエキセントリックなキャラクターとして描いてある幕旗医師とは別に、捜査の実働部隊である警察側の担当として「ジェンダー班」の存在が重要です。
この「ジェンダー班」は多様化する性を取り巻く犯罪に適切に対処しようと警視庁捜査一課に新設された部署で、人権への配慮が欠かせない事件や他の班への応援に入ることも想定されています。
班長が村木響子警部で、他にあと三年で定年の久米勝治警部補、二十一歳の金沢佐織巡査部長、それに採用三年目の技術支援員の戸口遥という三人がいるだけの小所帯です。
登場人物という観点では、上記のジェンダー班の面々に加え、幕旗医師の法医学研究所に勤務する助手の小池一樹が、微妙な立ち位置で幕旗を助けています。
このジェンダー班が、その設立目的のとおりに働くのが第二話「秘密の涙」であり、若い女性の遺体がスーツケースに詰め込まれた状態で発見された事件です。
首の骨を折られていたこの被害者は、骨盤の形から見て男性だと判断され、自前の衣装で女装していたことも判明し、まさにジェンダー班の出番でした。
遺体の発見者は機動隊の巡査長である山野節人という男であり、警察犬だったバロンの散歩の途中、バロンが見つけたというのです。
この山野節人という人物が後に重要な役目を果たすことになります。
この著者の前著『転がる検事に苔むさず』や『恋する検事はわきまえない』がかなり面白く読めた作品だったのでハードルが高くなっていたのかもしれませんが、第一話「見守りびと」の中ほどまで読み進めても、どうにも本書にのめり込めません。
物語の展開が少ないということもあるかもしれませんが、何よりも主人公のキャラクターに魅力を感じないのだと思えます。
法医学者である幕旗とその助手の小池との会話で、小池の質問に対して「コード7」などと単純にコード番号だけで返事をするために、小池は意味が分からずにいる場面など、どうにも拒否感しかありません。
主人公が変人であるのは問題ないと思います。というより、エンタメ小説の主要キャラクターにはその方が多いくらいだと言えるでしょう。
しかし、本書『警察医の戒律』の場合、序盤での主人公の性格についての説明がないために主人公に対して感情移入するだけの材料が無いのです。そうした人物が教えを乞う相手に対してコード番号だけで応えても意地悪としか取れません。
また本書では、解剖時も含めて、幕旗が死体と一緒にいると死体が生き返って幕旗と会話をする場面が数か所あります。
もちろん、幽霊が存在して幕旗と会話をしているわけではなく、幕旗の潜在意識を死体が生き返ったように認識し、いろいろと会話をし、教えてくれているのですが、こうした場面も何となくの拒否感を感じてしまったのです。
本書では幕旗の人物像など、例えば村木との関係や、彼が夜驚症であることなど少しずつ明かされていますが、それも幕旗のキャラクターが良くつかめない理由なのかもしれません。
ところが、こうした違和感がそのままに後の伏線になっていて、第二話の最終行にはどんでん返しの結果が有名なとある映画のように、驚かされてしまいました。
その直前にも第二話の謎解きで驚かされているのですが、その驚きに続いての真相激白だったので、更なる衝撃でした。
また、この作者の前著である『転がる検事に苔むさず』などでは全く感じなかったのですが、本書『警察医の戒律』ではなんとも文章のリズムが悪いと感じました。
短めのなんの情緒も感じられない文章が続くだけで、すっきりしないのです。しかし、第二話へと進み物語の構造が見えてくると、この文章にも慣れたためか文章から感じた違和感も気にならなくなっていました。
つまりは、本書を読み始めた当初に『転がる検事に苔むさず』などの作品から受ける印象との差から何となくの拒否感を抱いてしまったのでしょう。
それが、本書を読み進めるにつれ本書の世界観に慣れ、この作者本来の持ち味を味わうことができるようになったのだと思われます。
結局、どんでん返しも含め、この作者の作品世界に捕まってしまったようで、最終的には面白い作品だったとの感想でした。
本書『警察医の戒律』も多分ですが続編が書かれることになるのでしょう。
それを楽しみに待ちたいと思います。