小松 エメル

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幕末、江戸。土方歳三は人生に迷っていた。どこにも馴染めぬ己は、どこに行けばいいのか。近藤勇、沖田宗次郎、こだわりなく生きていける者に惹かれた。吉原からの帰り、歳三は人斬りに遭遇する。その男の正体は―。司馬遼太郎『燃えよ剣』から半世紀。この土方は、裏切らず、新しい。新世代の歴史作家による、新選組興亡小説。(「BOOK」データベースより)

 

新選組副長土方歳三という人物の、新選組と共に生きた姿を描く長編の時代小説で、第9回「本屋が選ぶ時代小説大賞」の候補作となった作品です。

 

 

「本屋が選ぶ時代小説大賞」の候補作となっている作品だからという期待とは裏腹に、私の個人的好みとはあまり合致しない小説でした。

というのも、物語として平板に感じ、土方歳三という人物や近藤勇などの周辺人物像が今一つ明確に把握できなかったからです。

 

これまで、新選組副長土方歳三個人を描いた作品は数多く出版されています。

私が読んだだけでも司馬遼太郎の名作『燃えよ剣』 (新潮文庫 上・下二巻)を始め、北方謙三の『黒龍の柩』(幻冬舎文庫 上・下二巻)など他にも多数の作品があります。

 

 

そうした作品群の中で明確な存在感を発揮できるほどの作品だとは思えませんでした。

本書の特徴を挙げるとすれば、近藤勇を殺人者としての捉え、油小路事件などの歴史上の出来事も通説とは異なる視点で見ていることなどが挙げられるでしょう。

例えば、沖田総司の結核の発病にしても池田屋事件の際だという説はとっていません。本書でも総司は池田屋で倒れてはいますが、それは「暑気あたり」のようだとするだけです。

総司の労咳については、後に石井亥之助という隊士の伯母である志乃という女性と深い仲になり、この女性からうつされたとの立場です。

この石井亥之助と志乃という女性は架空の人物であって、小松エメルの小説『総司の夢』にも登場しているそうで、小松エメルが構築した新選組の世界として統一されていると思われます( 新選組の本を読む ~誠の栞~ : 参照 )。

また油小路事件でも、伊東甲子太郎による近藤暗殺説はとらず、双方の誤解によって生じたとする説をとるなどしています。

 

 

しかし、特徴である筈の近藤の描き方が意味不明であることなど、個性である筈の描写が弱点とも感じられました。

本書では、土方は既に近藤勇の試衛館の食客の一員です。そして、土方は物語が始まってすぐに二度ほど近藤が人斬りをしている場面に遭遇します。

近藤が切った相手は誰なのか、何のために斬ったのか、については何の説明もありません。ただ、土方にとっての近藤という人物の存在がこれまでの人のいい若先生から、「鬼」へと変貌するだけです。

そして、この人斬りは土方が行ったこととして、沖田宗次郎斎藤一の土方についての人物像をも変容させることになります。多分そういう趣旨だと思います。

 

そもそも、近藤の人斬りの意味からしてよく分かりません。

作者は、近藤に人斬りをさせることにどのような意味を持たせようとしているのでしょう。そしてそのことは土方にどのような影響を与えたということにしたいのでしょうか。

物語上での土方は何もなかったような態度で近藤勇に接し、恐れを抱きながらもこれまで同様に近藤についていこうとしますが、そこらの土方の心裡もまたよく分からないのです。

ただ、本書のこうした不明点などは、上記の「新選組の本を読む ~誠の栞~」で紹介してある『総司の夢』という作品などでも土方の鬼になった理由を意外性があると記してあるらしいところを見ると、人物造形に関しては本書だけでは完結していないのかもしれません。

しかし、それでは本書を最初に読んだ私のような人間にとっては不親切と言わざるを得ず、そうしたことも含めて、実際に『総司の夢』を読むしかないのでしょうか。

 

他にも、本書では会話文の主体が若干分かりにくいと感じた場所が少なからずあり、先の人物造形の点も踏まえると、もう少し読み手にやさしくてもいいのではないか、というのが正直な感想です。

他の作品を読むかと問われれば、正直悩むところではあります。

[投稿日]2019年11月18日  [最終更新日]2019年11月19日
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