元実業団ラガーマンの桐生は仕事にも家庭にも中途半端な生活を送っている中年会社員。同点の末、くじ引きで負けた最終試合が忘れられない。そんな時、元マネージャーだった同僚の死を知る。「俺はこのままでいいのか」スポーツキャスターになった者、田舎で教師になった者、問題のある金融会社に入り、警察に追われている者…。予算削減による廃部以来、離散していたチームメイトたちと、もう一度あの日の試合に決着をつけるために、連絡を取り始めた桐生。果たして再試合を迎えることはできるのか。(「BOOK」データベースより)
ラグビーを主題にした長編小説です。
作者の堂場瞬一は、どちらかというと警察小説、それもハードボイルド系の警察小説の書き手という印象が強い作家さんだと思われます。
しかし、そもそもデビュー作が野球、それもメジャーリーグに挑戦する日本人を描いた『8年』というスポーツ小説であったし、その作品で第13回小説すばる新人賞を受賞もしておられます。
そのスポーツ系の小説の中で2018年の11月現在で、三冊ほどラグビーを主題にした作品を書かれていて、本書はそのうちの一冊です。ただ、そのうちの一冊は『風色デイズ』というアンソロジー短編集なので長編としては本書のほかに『10 -ten-』の一冊だけということになるのでしょう。
スポーツ小説といえば、ほとんどの場合、それは即ち青春小説と言ってもいいと思われます。例えば箱根駅伝に挑戦する若者たちを描いた三浦しをんの『風が強く吹いている』や陸上のスプリンターの道をまい進する少年の物語である佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』(講談社文庫全三巻)などがあります。
しかし本書はそうではありません、既に消滅してしまった社会人ラグビーチームの最後の試合に心残りを感じていたラガーマン達が、自分の中でのけじめをつけるただそれだけのために再度試合をして決着をつけようとする、言わば再生の物語です。
そのため、当時の仲間の全員を集めようとするその過程を描いてあるのですが、中でも問題を抱えている三人の様子を描いてあります。
その第一番目が、最後の試合に負けた責任を一人で背負っている当時のキャプテンである島幸彦です。同点でのくじ引きで外れくじを引いてしまった自分を責めて一人自分の内に閉じこもっています。
次に、今は花形のスポーツキャスターとして人気の村瀬潤です。キックのスペシャリストのスタンドオフとしてラグビーは生き様であり、だからこそ仕事で汚したり、恥をかいたりしたくないのだと言います。
そして、今回の再試合のきっかけを作った小塚良知がいます。彼の勤める会社「ゴールドトレーニング」が詐欺容疑で立件されるらしく、彼も行方不明になっているのです。
彼等はそれぞれに問題を抱えていて、実はラグビーに対し情熱を燃やしていながらもどこか臆病になっていて再試合への参加を拒むのです。
主人公である桐生威は、そんな彼らを必死にくどき落とすためにあがきます。その姿が胸をうちます。
ここで一歩引いてみると、本書は描かれるスポーツがラグビーでなくても成立する物語でもあります。問題は自分たちが関わったスポーツをきっかけとして自分の生き方を見つめなおす、そうした物語であるようです。
ただ、ラグビーには肉体がぶつかるコンタクトスポーツでありながらチームワークが強く要求されるスポーツであることからくる特有の“熱さ”があります。この“熱さ”が本書の原動力になっていると言えないこともありません。
ところが、若干ですがこの熱さが前面に出すぎという気がするのです。
確かに、最終試合の内容が決して納得のいくものではないところからくる不完全燃焼感を引きずることがないとは言えないでしょう。
しかし、そのことが五年も経ってからの再試合へと結びつくかというと疑問はあります。もっと気楽な試合であれば理解できないでもありませんが、本書のような熱意は少なくとも自分にはありません。
作者もラグビーの経験者であり、グラウンドの熱気を体験したことのある人ですから、その思いが強烈に出ているのでしょう。
その点ではもう一冊の『10 -ten-』のほうがラグビーそのものを描いてある印象はあります。
とはいえ、「熱い」物語である本書の面白さを否定するものではありません。自分の生きざまをもう一度見つめなおす、そうした「熱い」物語です。
ちなみにタイトルの「ノーサイド」とは、戦い終えたら両軍のサイドが無くなって同じ仲間だという精神」
を意味します( ノーサイド : 参照 )。激しいスポーツであるがゆえに言われる言葉なのでしょう。