本書『鯖』は、文庫本で464頁の長編の冒険小説です。
日本海の小島を根城とする漁師の集団が、一人の女の出現で壊れていく姿を描いた、非常に読みごたえのある作品でした。
『鯖』の簡単なあらすじ
紀州雑賀崎を発祥の地とする一本釣り漁師船団。かつては「海の雑賀衆」との勇名を轟かせた彼らも、時代の波に呑まれ、終の棲家と定めたのは日本海に浮かぶ孤島だった。日銭を稼ぎ、場末の居酒屋で管を巻く、そんな彼らに舞い込んだ起死回生の儲け話。しかしそれは崩壊への序曲にすぎなかった―。破竹の勢いで文芸界を席巻する赤松利市の長篇デビュー作、待望の文庫化。(「BOOK」データベースより)
船頭の大鋸権座もかつては一本釣り船団を率いていたが、今では日本海の小島を拠点とし漁をする五人を率いるだけとなっていた。
その五人は近くの港の小料理屋「割烹恵」に新鮮な魚を買い取ってもらい収入を得て暮らしていたが、「割烹恵」の女店主からIT成金のドラゴン・村越とそのビジネスパートナーのアンジェラ・リンという女を紹介された。
アンジェラは中国系のカナダ人であり、「海の雑賀衆」を再興して権座たちが製造している鯖のヘシコを中国で売りさばくという話を持ってきたのだ。
権座は岡惚れしていた恵子と共にいる未来を心に描き、五人の仲間と共にアンジェラの話に乗ることを決心する。
アンジェリカの計画のままに拠点としていた小島の港を整備し、給油所も宿泊設備も整え、請け負った魚の漁獲量も順調に伸びていた。
そこに、アンジェリカは計画のままに五人の中国女性と、若く根性がありそうな三人の新人の研修生を連れてきた。
『鯖』の感想
本書『鯖』は、母親にさえ嫌悪された醜悪な面と貧相な體をした、極度の女性恐怖症の水軒新一という男の目線で終始します。
その新一は、「海の雑賀衆」と呼ばれた漁師の一団のなれの果ての他の四人とともに日本海の小島で一本釣りにかけて暮らしています。
登場人物は、まず船頭の大鋸権座がいます。権座は釣った魚を買い取ってくれる「割烹恵」の女将の枝垂恵子に岡惚れしているようです。
腕力自慢の狗巻南風次は、高校生時代に木刀一本で地元のヤクザの組をほぼ壊滅させたため上部組織に狙われ、船団に転がり込んだという過去を持っています。
鴉森留蔵は、恋女房が浮気の末に他の男の子を生んだものの、留蔵がいない間に自宅がガス爆発で火に包まれ妻子共に焼け死んでしまい、そのために留蔵も心を病んでいます。
加羅門寅吉は馬面で図体も大きく、女とみれば片端から手を付け、亭主や男たちに追い回され船団に逃げ込んできた男です。
この五人が権座が見つけてきた日本海の漁場で主に鯖をとり、ヘシコという糠漬けを製造し、釣った魚と共に恵子の「割烹恵」に卸し、日々を暮らしていたのです。
この五人が、通称アンジことアンジェラ・リンの儲け話に乗ったことから、根城としていた小島の港は整備され、船も新造船となり、高性能の魚群探知機は船頭がいなくても魚群を見つけることができるようになります。
しかし、そのような新しい生活は、アンジの計画に眼をつけたヤクザとの揉めごとなどで壊れ始め、次第に仲間のつながりも薄くなっていき、壊れていくことになります。
とくに、視点の持ち主である新一の変貌はすさまじく、一方、船頭の権座の凋落ぶりもまたひどいものです。この壊れていく様の描き方がとても新人の筆になるものとは思えません。
壊れていくとはいっても、新一の場合はその醜悪な要望などから卑屈にいたところから、船団の会計を任され、アンジという愛称で呼ばれているアンジェリカから船団に関しての相談も受けたりする中で少しずつ自信を持ちはじめる姿もあります。
その自信が何故か破滅への序章となるのですから不思議なものです。
こうした破滅への失踪を描くそもそもの文章自体に迫力があります。
例えば、本書の冒頭から、五人の小島での掘っ立て小屋での暮らしの様子、具体的には冬の一夜の様子が描かれています。
その時の五人の様子の描写からして、漁師小屋の魚や寅吉の失禁したアンモニア臭が匂い立つようです。
また、日本海での漁の様子も剣豪小説の達人たちの立ち回りが描かれているように迫力に満ちた描写です。
しかし、作者自身が、「書かれてあることはすべて自分の知識の範囲内のこと」だといいますから、その知識の豊富さ、読ませる力量は見事なものです( カドブン : 参照 )。
冒頭からこれらの場面に惹き込まれ、魅力のとりこになったようです。
本書『鯖』は、けっして爽快感に満ちた明るい小説ではありません。
それどころか、ノワール小説ともいえるこの物語は、猥雑なエネルギーこそ満ちているものの、爽快感などとは対極に近い印象すら抱きます。
ところがその猥雑感に妙に見せられるのですから不思議なものです。
少し前に、個人的にはあまり好みでない筈のグロテスクな物語である平山夢明の『ダイナー』という作品を読みましたが、そのときのようなバイタリティーを感じました。
また少し方向性は違いますが、深町秋生の『ヘルドッグス 地獄の犬たち』もまた破滅的な暴力が描かれているものの強烈な生命力を感じ惹き込まれて読んだものです。
本書『鯖』は決して将来への展望のある作品ではありませんが、似たような力を感じたのだと思います。
他の作品もまた読んでみたいと思う作品でした。