アトミック・ブレイバー

アトミック・ブレイバー』とは

本書『アトミック・ブレイバー』は、2025年10月に光文社から464頁のハードカバーで刊行された、長編のエンターテイメント小説です。

近未来の世界で、ネットワーク上で展開される情報戦そして格闘ゲームが中心の、個人的には今一つの作品でした。

アトミック・ブレイバー』の簡単なあらすじ

決めてほしいんだ、人類の行く末を。小型核爆弾による世界同時多発テロ《ヴァージン・スーサイズ》から27年。平凡なサラリーマン・堤下与太郎は、愛用している国家推奨の睡眠補助アプリ《ORANGE》をハッキングされていた。友人の天才プログラマー・西丸昴の仕業らしく、《ORANGE》の周波学習機能で与太郎だけが格闘ゲーム《アトミック・ブレイバー5》の西丸改造版をプレイできるように教育されたのだ。西丸の行方を追う国家機関・平和安全庁と、謎の反社会的組織《ウリヨラ教》による与太郎争奪戦が勃発。わけがわからないまま西丸版アトブレ5をひたすらプレイし続ける与太郎だが、次第にゲームの勝敗が人類の未来を左右する重大なシステムに関わっていることがわかりー。ゲームに勝って、世界を救え!正気じゃないエネルギーがあなたに呼びかけるエンタメ大作、誕生。(「BOOK」データベースより)

アトミック・ブレイバー』の感想

本書『アトミック・ブレイバー』は、平凡なサラリーマンが格闘ゲームを勝ち抜くことで世界的な惨事を未然に防ごうと活躍するエンターテイメント小説です。

でも、こう言い切ってしまうと、本書がネットワークを駆使した管理社会下での抵抗勢力、特に一人のハッカーの戦いをエンタメ的に描き出しているという本質を見失うことになりそうです。

 

本書の舞台は、「ヴァージン・スーサイズ(VS)」と呼ばれる欧州を中心とする五つの首都でほぼ同時に小型核爆弾が爆発したテロ事件後の世界であり、その五つの都市の一つに「東京」も含まれていたという設定です。

この社会では、対テロリスト対策のために国民の情報は個々人に埋め込まれたチップを通して生体電子住民票を得ることが普通であり、極限にまで管理されています。

また睡眠補助アプリケーション「ORANGE」によって心地よい睡眠を得るとともに、睡眠学習も進んでいます。

こんな管理社会に反対する一派がいて、国家との軋轢を生んでいるというのです。

 

本書は、この作者の『爆弾』やその続編の『法廷占拠 爆弾2』でのスズキタゴサクが存在感を発揮した世界とは異なり、今一つのめりこめない作品でした。


SF的な設定のもと、この作者らしいアクション場面やロジックの展開も見られ、作品自体の面白さがないというわけではありません。

この作者らしく各場面の書き込みも細密であり、ほかの作者であれば数行で済みそうなところを時には数頁かけて描写してあり、かなり重厚な作品になっています。

しかし、本書に限って言えば、通常であればリアリティを増すであろうこの手法も、まだ物語が本格的に展開する前は冗長に感じられたのです。

冗長に感じた理由として、背景となる舞台設定が今一つ分かりにくいということがあると思います。

というのも、上記のような世界を前提としたいくつかの勢力が入り乱れ展開される物語であるため、若干世界観をつかみにくいのです。

 

たしかに、主人公の与太郎の運命を見ると正体不明の力により拉致されたり、拷問を受けたりとミステリアスに展開していて、理不尽な扱いを受ける理由が明かされることを期待するものではあります。

さらには、この作者ならではの論理の運びに魅了されるところも少なからずありました。

ただ、その謎解きがなかなかに始まりません。それどころか、与太郎しかできないゲームの描写が続き、この点が私の感覚と合わなかったのだと思います。

私が本書に共感できなかった大きな理由の一つに、この与太郎が遊ぶ格闘ゲームが重要な意味を持っていることも挙げられます。

というのも、与太郎がのめり込んでいる格闘ゲームを私はほとんど経験したことがなく、ボタン操作の描写にあまりその実感を感じることができなかったのです。

 

ちなみに、作品の中で戦われるゲームが人類に未来にかかわってくる、という本書を読んでいると、すぐにオーソン・スコット・カードの名作SF『エンダーのゲーム』を思い出しました。

しかし、本書はその作品とはかなり内容が異なるものでしたが、『エンダーのゲーム』も名作であり一読に値する作品だと思っています。

この『エンダーのゲーム』はハヤカワ文庫SFから上下二巻の新訳版が出ており、下記はその上巻だけを載せています。

 

繰り返しますが本書は同じ呉勝浩の『爆弾』で見られたようなサスペンス感に満ちた物語の展開があるかと言えば、それはありません。

それでも投げ出さずに読み通したのは、やはりこの作者の作品で最初に読んだ『スワン』や『おれたちの歌を歌え』を面白く読んだという思いがあったからです。

そして、そうした面白さがあることを頭から否定もできないところが難しいのだと思います。

 

ちなみに、こうした濃密な物語世界が構築されている作品と言えば、近年の作品で言えば、まずは1980年代のバブル景気を時代背景として、一人の青年僧が伝統仏教最大宗派の宗教法人の組織内部をのし上がっていくノワール小説である、月村了衛の『虚の伽藍』を思い出します。

また、満州国を時代背景として、架空の街を主な舞台としながら複数の人間の数十年を描く群像劇である小川哲の『地図と拳』などの作品も挙げてもいいかもしれません。


 

ともあれ、重厚で読み応えのある作品、若しくは重厚ではあってもゲーム感の漂う作品を好む人にとってはかなり面白く読める作品ではないでしょうか。

ただ、私が関心の持てるポイントからは微妙にずれていたために今一つ飲める混むことはできなかったというだけです。

次回作に期待したいと思います。

イクサガミ 人

イクサガミ 人』とは

本書『イクサガミ 人』は『イクサガミシリーズ』の第三弾で、2024年11月に講談社から528頁の文庫書き下ろしとして出版された、長編のアクションエンターテイメン小説です。

久しぶりの純粋な時代劇アクションエンターテイメントである本シリーズは、三巻目の本書に至ってもなおその面白さを維持していました。

イクサガミ 人』の簡単なあらすじ

東海道を舞台にした「蠱毒」も、残り二十三人。人外の強さを誇る侍たちが島田宿で一堂に会した。血飛沫の舞う戦場に神と崇められる「台湾の伝説」が現れ、乱戦はさらに加速するー!数多の強敵を薙ぎ倒し、ついに東京へ辿り着いた愁二郎と双葉を待ち受ける運命とは。疾風怒涛の第三巻!(「BOOK」データベースより)

イクサガミ 人』について

本書『イクサガミ 人』は『イクサガミシリーズ』の第三弾で、シリーズを通しての面白さは三巻目の本書でも持続していました。

というよりも、アクションの側面に関しては一定のレベルの参加者だけが残っている三巻目のほうが派手になっていると言えそうです。

 

前巻の終盤では、貫地谷無骨も送り込まれていた浜松郵便局での戦いが描かれていましたが、本書ではそこから何とか逃れ出た嵯峨愁二郎たちの姿から始まります。

また、愁二郎たちと別れ、ひとり蠱毒という仕掛けの秘密に迫るために富士の裾野を襲った柘植響陣の姿も描かれ、その響陣もまた後に島田宿での壮絶な戦いへとなだれ込んでいきます。

 

この島田宿での戦いが本書の中盤の山場です。この場面で中心となって活躍するのが、愁二郎、双葉進次郎彩羽らですが、その他にカムイコチャや中国武術の達人である陸乾もともに闘うことになります。

ほかにも、銃の達人である自見隼人、薙刀使いのなどここまで生き残っている中の十数人の蟲毒参加者が互いに戦うことになるのです。

というのも、ここ島田宿で巻き起こった危険が「台湾の伝説」で神と崇められている眠(ミフティ)がまき散らした毒により引き起こされたものだったので、ともに戦うことになったのです。

 

単にアクションだけでなく、まさに山田風太郎の作品のように明治期の政治的な抗争をも背景として物語の展開を見せるという伝奇小説的な面白をも見せてくれます。

そもそもこのシリーズでは、当初から参加自体が無謀と思われていた双葉という少女と主役の愁二郎とが共に行動することになったところから、双葉も最終巻まで生き残るであろうところまで想像はつきます。

そのうえで、双葉や進次郎らの成長もまた見どころの一つと言えると思います。この蟲毒という戦いの中で一番に殺されそうな双葉や進次郎がここまで生き残れている理由は愁二郎たちの庇護だけではないところも見せてくれるのです。

 

そして、物語は本書のクライマックスへとなだれ込んでいきます。

場所は横浜。明治政府の裏面史を絡ませながらも、剣や体術の使い手たちを一堂に集めたこの戦いも終わりに近づいています。

貫地谷無骨、岡部幻刀斎といったバケモノのような強さを持った人物たちももちろん登場します。

東京へ入れるのは九名だけという制限の中で誰が生き残るのか。

そして、全三巻のシリーズものという従来の情報は何だったのか、という気もしますが、これまでの『』『』をさらに超える528ページという長さの本書でも収まりきらずに、最終巻として464頁の『』巻へとなだれ込んでいくのです。

どういう結末になるのか、久しぶりの伝奇アクションエンターテイメント作品への期待はさらに高まっているのです。

逃亡刑事

逃亡刑事』とは

本書『逃亡刑事』は『高頭冴子シリーズ』の第一弾で、2017年11月にPHP研究所から326頁のハードカバーで刊行され、2020年6月にPHP文芸文庫から288頁の文庫として出版された、長編の警察小説です。

男勝りで、だれからも恐れられている女性刑事が、とある刑事の殺害現場に居合わせた少年を守りながら、濡れ衣を着せられたため警察を相手に逃亡しながら真実を探り当てるというミステリー作品です。

これまで読んだ中山七里の作品の中では個人的にはあまり高い評価をつけることはできない作品でした。

逃亡刑事』の簡単なあらすじ

単独で麻薬密売ルートを探っていた刑事が銃殺された。千葉県警刑事部捜査一課の高頭班が捜査にあたるが、事件の真相を知った警部・高頭冴子は真犯人に陥れられ、警官殺しの濡れ衣を着せられる。自分の無実を証明できるのは、事件の目撃者である八歳の少年のみ。少年ともども警察組織に追われることになった冴子が逃げ込んだ場所とは!?そして彼女に反撃の手段はあるのか!?息をもつかせぬノンストップ・ミステリー。(「BOOK」データベースより)

逃亡刑事』について

高頭冴子シリーズ』の第一弾である本書『逃亡刑事』は、刑事殺しの濡れ衣を着せられたために警察を相手に逃亡しながら真実を探り当てるミステリー作品ですが、個人的にはあまり高い評価をつけることはできない作品でした。

本書の主人公の高頭冴子は、周りからはアマゾネスといわれるほどに体格もよく、実際にチンピラを腕力で簡単にねじ伏せたりするほどの力を持った女性です。

例えば、取調室で鯖江という広域暴力団宏龍会の構成員を相手に鯖江が握り潰した珈琲缶をさらに圧し潰してしまうというパフォーマンスを見せています。

 

こうしたパワフルな女性を主人公にした警察作品は少なからず存在します。

例えば、逢坂剛の『禿鷹狩り 禿鷹4』(幻冬舎文庫 上下二巻)に登場する岩動寿満子という女性刑事です。

この女性は主人公である禿富鷹秋刑事の敵役として登場する女版のハゲタカであり、その個性は強烈です。

また、体格こそ本書の高頭冴子のようではありませんが、やっていることはあまり変わらない女性刑事として 深町秋生の描く『組織犯罪対策課 八神瑛子シリーズ』(幻冬舎文庫 全五巻)
を挙げてもいいのかもしれません。


 

話をもとに戻しますが、その腕力、行動力共に男勝りの高頭刑事が罠に陥り、刑事殺しの犯人に仕立て上げられ、警察署全体から追われる羽目に陥ります。

その上、自分の無実を証明する手立てでもある、その刑事殺しの現場に居合わせ、犯人を目撃した少年を保護しながらの逃避行ということになるのです。

この御堂猛という八歳の目撃者の少年は、児童養護施設で職員からの日常的な暴力に遭っており、施設からの逃亡の末に隠れていた家屋で犯行を目撃したものでした。

この少年を連れての逃亡劇は、思いもかけない人物を引き入れることになるのです。

この人物の手助けを得ての逃亡の末、高頭刑事はどのように復権を果たすか、その手際が読みどころであるのは言うまでもありません。

 

ただ、「どんでん返しの帝王」という異名を持つほどの作家の中山七里作品にしてはベタといってもいいほどの展開であり、期待に応えた作品とは言えなかったのです。

本書に続いて『越境刑事』『武闘刑事』と高頭刑事を主人公とする作品がシリーズ化されているそうですが、たぶん読まないのではないでしょうか。


逃亡者は北へ向かう

逃亡者は北へ向かう』とは

本書『逃亡者は北へ向かう』は、2025年2月に新潮社から384頁のハードカバーで刊行された、長編のクライムサスペンス小説です。

東日本大震災を背景にした犯罪者とその男を追う刑事の物語で、人間の生き方を問うヒューマンドラマでもあります。

逃亡者は北へ向かう』の簡単なあらすじ

雪がちらつく3月の東北ー。震災直後に殺人を犯してしまった真柴亮。一通の手紙を手に北へ向かう途中、家族とはぐれた子供と出会う。一方、刑事の陣内康介は、津波で娘を失いながらも真柴を追うー。震災の混乱のなか、ふたつの殺人事件が起きた。逃亡する容疑者と追う刑事。ふたりはどこへ辿り着くのかー。(「BOOK」データベースより)

逃亡者は北へ向かう』の感想

本書『逃亡者は北へ向かう』は、東日本大震災を背景にして一人の若者が犯罪者となり逃亡する姿と、彼を追う一人の刑事をとおして人間の生き方を考ええしまう作品になっています。

ストーリー自体は、普通に生きているなか、突然の理不尽な出来事から逃れようとしただけで犯罪を犯すことになってしまった一人の青年の物語であり、ありがちな流れだと思いつつ読み始めました。

 

真柴亮は、自分の連れが半グレ相手に起こした喧嘩に巻き込まれ、正社員になる話どころか仕事まで失い、最終的にはその半グレだけでなく、逃げる途中で誰何を受けた警察官まで殺す事態になってしまいます。

震災の直前に届いた父親からの手紙を読んで、父親のいる病院へ行こうと北を目指すのですが、途中、直人という名の子供を連れて移動することになるのでした。

一方、つき市東警察署刑事第一課に所属する陣内康介刑事は、震災により娘の麻利が行方不明になり妻の理代子から一緒に娘を探すようにとの連絡が来ていましたが、同僚が行方不明の家族を探す暇もなく仕事をしている姿を見て自分だけ抜けるわけにはいかないでいたのです。

また、漁師の村木圭祐は震災に際し、漁船を沖に避難させていましたが、帰ってみると身重の妻の朋子と息子の直人が行方不明になっていました。

 

本書『逃亡者は北へ向かう』は、真柴亮の逃亡劇を主軸に追いかけてはいるものの、その亮を追う陣内刑事と息子の直人を探す父親の村木の姿をもまた追いかけています。

そして、逃亡犯の真柴亮という男の、悪いほうへとしか転がらない人生もまた一つのテーマとして浮かび上がります。

でも、柚月裕子という作家の作品にしては大枠としてのストーリーの流れ自体はある程度定番というか、ありがちな設定といえると思います。

ただ、細かな人物の描写も含めて物語全体の流れとしてみると、作者の力量によりそれなりに読み応えのある作品として仕上がっています。

 

しかしながら、この作者の作品にしては、直人はなぜに真柴とともに旅をする気になったのかという点がはっきりとしていないのは残念でした。

ほとんど口をきこうとしない直人は、母親とはぐれた後にどうして亮にくっついて旅をする気になったのでしょうか。

直人の性格は「口が重かった」ということしか説明がなく、亮とともに行動を共にすることについての説明は少なくとも私は読み取ることができませんでした。

この点は、親とはぐれた直後の人見知りの激しい子ということから読者が読み取るべきと言われるかもしれませんがそれは無理筋だと思われます。

 

この作者の『孤狼の血シリーズ』や『佐方貞人シリーズ』などの読み応えのある作品群からすると、この頃のこの作者の作品は柚月裕子ならではという印象が少なくなっている気がします。

そういう意味では本書も柚月裕子でなくても書けた作品かもしれないという気はします。

とはいえ、村木が震災の現場で妻や息子を探したり、他の登場人物たちが震災に直面する場面では、現場を知るものならではの迫力があり、つらいものがあました。

作者自身が東日本大震災で両親を亡くされているそうで、実際に体験された当時の被災者や被災地の様子が背景になっているそうです。

 

大地震の現場を作者自らが訪れた作品として、砂原浩太朗の『冬と瓦礫』という作品があります。この作品は小説ではなく、阪神大震災の直後に郷里である神戸に帰った作家砂原浩太朗自身のレポート作品です。

作家がその力量を発揮して記したレポートであり、やはり現場を知るものならではの迫力に満ちていました。

いつもは情感豊かな風景描写をされる時代小説の作家さんですが、この時ばかりは別の人かと思う筆致でした、

シスター・レイ

シスター・レイ』とは

 

本書『シスター・レイ』は、2025年3月にKADOKAWAから416頁のソフトカバーで刊行された、長編のアクション小説です。

軍隊の特殊部隊経験者の女性を主人公にした設定は面白いのですが、外国人の犯罪者たちが入り乱れていて、ストーリーわかりにくいと感じたのは残念でした。

シスター・レイ』の簡単なあらすじ

 

東京・墨田区在住の外国人たちの世話役として“シスター”と慕われる能條玲。フィリピン出身の友人女性から頼まれ、彼女の息子を探していた玲は、思いがけず暴力団と外国人半グレ集団との抗争に巻き込まれてしまう。危機的な状況の中、冷静な判断と卓越した戦闘技術で暴力団と半グレたちを制圧する玲。彼女には元フランス特殊部隊のエースという隠された経歴があったのだ。周囲の外国人たちのトラブルを解決していくうちに、やがて玲は下町に隠された国際的な陰謀に直面することになるのだが…。極限アクション×非合法組織の抗争×多国籍社会の現実。予測不能の衝撃エンタメ!!(「BOOK」データベースより)

 

シスター・レイ』の感想

 

本書『シスター・レイ』は、フランスの特殊部隊経験者という女性を主人公にした長編のアクション小説です。

主人公のキャラクターは魅力的なのですが、ベトナムやブラジルの半グレたちに加え、中国の私設軍隊まで加わり、ストーリーがわかりにくく感じました。

 

主人公は、フィリピンやベトナム出身の友人たちの困りごとを助けていたところ、彼女らから呼ばれ始めた“シスター”というニックネームを持った能條玲という予備校講師です。

高校時代にいじめにあい親戚のいるフランスへ渡り友人を得た玲ですが、その友人はテロに巻き込まれ殺されてしまいます。

復讐心に燃えた玲は不条理なテロを根絶するために警察の特殊部隊GIGNに入隊しますが、結婚し子供も授かったものの、ある事件のために夫や子供とも別れて帰国せざるを得なくなります。

そして、今ではデイサービスを利用している若年性認知症が進行しつつある母親の世話をしながら暮らしているのです。

 

本書『シスター・レイ』は、アクション小説ではありがちの軍隊や特殊機関で鍛え上げられた戦闘のエキスパートだった人物を主人公とする物語です。

こうした作品では、もちろんストーリーそのものが面白いことが前提ではありますが、いかに魅力的な主人公を作り上げることができるか、が決め手だと思います。

その点本書の作者は、映画化もされた『リボルバー・リリー』という作品などもあって定評があり、面白い作品として仕上がっています。

 

登場人物については本書の冒頭にも一覧がありますが、一応ざっと挙げておきます。

まず身内として主人公の能條玲、その兄の康平、康平の娘の莉奈がいます。

次いで玲の母親の世話を頼んでいるのがフィリピン人のマイラであり、その息子が礼央乃亜の兄弟であって、予備校講師の玲が仕事をするためにマイラの困りごとを助けることになるのです。

そして警視庁警備局の乾徳秋参事官が玲を陰ながら助けています。

次にベトナム関係として玲の友人のホアン・トゥイ・リェンがいて、そのリェンの兄がベトナム人による半グレ集団のホアン・ダット・クオンであり、彼ら兄妹の母親がダン・チャウです。

ほかに墨田区役所福祉保健部生活福祉課の宗貞侑、インドネシア人のロン・フェンダース、SNSのみで繋がる正体不明のUm MNDO(ウンムンド)、中国人の王依林、それにブラジル人のアルベルト・メンデスや彼を長老とするコミュニティといった正体不明の人物たちも登場してきます。

最初はマイラの次男の乃亜を助けるだけのはずでしたが、そこに浦沢組などの暴力団やベトナム人半グレ集団が絡んできたり、玲を頼る人間は多く、次第にベトナム人半グレやブラジル人犯罪グループなどの相手をせざるを得なくなり、そして中国の民間組織とも対立するようになってきたのです。

これらの登場人物たちはフィリピン人やベトナム人が多いうえに名前もわかりにくく、さらにはストーリーが結構込み入っており、かなり読みにくい物語になっている、といってもいいと思います。

 

物語の背景として現代日本の抱える定住外国人などの問題点などが織り込まれており、その状況が事件の背景として設定されています。

そこには定住外国人が犯罪に走らざるを得ない現実や、その人物のために無関係な外国人まで同じように犯罪者扱いをされる事実があるのです。

そうしたストーリの中に、大国の諜報活動の一環としての活動が見え隠れしており、後方攪乱としての行動など思いもかけない背景を教えてくれています。

例えば、一時期テレビでも話題になった中国の秘密警察や、あまり一般には知られていない中国資本が運営する民間軍事会社(FSG)などの働きなど、エンタメ物語の中に潜ませてあるのです。

ちなみに、前述のGIGNやここでのFSGという組織は実在のものです。詳しくは下記サイトを参照してください。

 

このような実在する国際的な軍事組織や諜報組織などを物語の中に絡ませ、厚みのあるエンタテインメントとして構築するところも長浦京という作家の特徴の一つといえると思います。

こうした事実を知ることも大事なことでしょうし、面白い作品の情報の一つとしても物語に厚みを加えてくれると言えます。

 

このような実在する国際的な組織や機関、事件などを織り込んで壮大な冒険小説として構築することが得意な作家としては、例えば『機龍警察シリーズ』の月村了衛がいます。

また、我が国に居住する外国人犯罪者たちを相手とするミステリーやアクション作品としては少なくない作品が出版されていますが、ベトナム人の犯罪組織をテーマとする作品としては、大沢在昌の『悪魔には悪魔を』などがあります。

ともあれ、本書『シスター・レイ』は長浦京らしい作品だと言えるでしょう。

しかし、もしかしたら本書はシリーズ化を前提にしているのではないかと思えるほどに、乾徳秋や宗貞侑、王依林などの結構重要な人物たちの描き方が簡単に過ぎると思えます。

この物語のストーリーが掴みにくかった点と合わせて、残念に思ったところです。

とはいえ、さすがに長浦京の作品であり、不満はありながらも面白く読んだ作品でした。

夜刑事

夜刑事』とは

 

本書『夜刑事』は、2024年10月に文藝春秋から278頁のハードカバーで刊行された、長編のハードボイルド作品です。

本作が通常の物語とは異なる設定のためか、この作者の作品にしては今一つの印象でした。

 

夜刑事』の簡単なあらすじ

 

「俺は、苦しくても警察にいつづける」

警察から憎まれ、犯罪者から狙われた、かつてなく孤独な刑事。
暗闇でしか活動できない“夜刑事(ヨルデカ)”の岬田は、絶望と背中合わせの捜査に当たるーー。
「新宿鮫」シリーズ、「狩人」シリーズから連なる、新たなる傑作刑事小説の誕生。
著者史上、最も孤独で美しいヒーローをフルスロットルで描く、待望の新シリーズ!

主人公は、全く新しいキャラクターの刑事。
犯罪者だけでなく同じ警察官からも憎まれ、これまでに書いてきたどの刑事よりも孤独で、絶望と背中あわせの日々を生きている。
また書きたいと思った主人公は久しぶりです。
ーー大沢在昌

【あらすじ】
ヴァンパイアウイルスと呼ばれる未知のウイルスに感染し、夜しか活動できなくなった刑事の岬田は、その代償として、極端に研ぎ澄まされた五感を手に入れた。岬田は、ウイルスに感染した犯罪者たち、そして感染者を排除しようとする活動家たちの思惑に巻き込まれながらも特命任務にあたり、ウイルスを感染させた元恋人の明林を捜そうとするーー。(内容紹介(出版社より))

 

夜刑事』の感想

 

本書『夜刑事』は、吸血鬼に似た症状を呈するウイルスに感染した刑事を主人公とする、長編のハードボイルド作品です。

「新宿鮫」シリーズ、「狩人」シリーズから連なる、新たなる傑作刑事小説の誕生」という謳い文句のわりには、吸血鬼類似の世界設定のためか今一つ感情移入しにくい作品でした。

 

主人公は、あるウイルスに感染している岬田(さきた)という刑事です。

このウイルスは、感染すると激しい紫外線アレルギーを発症し、直射日光の下では視力を失い、皮膚は火脹れを起こしてしまうという、まるで吸血鬼になったかのような症状を呈するため「ヴァンパイアウイルス」と呼ばれています。

もともと公安部公安総務課に勤務していた岬田でしたが、ウイルスに感染したために警視庁組織犯罪対策部国際犯罪対策課へと異動してきたものです。

本来であれば感染した時点で退職するところを現在の上司である前川課長に拾われたもので、現時点では警察官ではただ一人の感染者です。

岬田には呉明林という名の恋人がいましたが、彼女によってウイルスを注射されたことにより感染者となったものでした。

藤和連合所属の暴力団員を探している暴対の刑事を感染者が集まる「トコヤミ」という店に案内したときに、明林によく似た印象のマコという女と出会い、岬田は感染者全体に影響が及ぶ大事件へと巻き込まれていくのでした。

 

吸血鬼をテーマにした作品は、S・キングの『呪われた町』を始めとして種々の作品がありますが、吸血鬼もしくは吸血鬼類似の存在を主人公にしたハードボイルド作品は読んだことはありません。


ただ、かなり昔ですが、吸血鬼ではなく狼男を主人公に据えた平井和正の『ウルフガイシリーズ』がありました。

本書とは異なり、能天気な狼男を主人公とした作品であって、かなりはまって読んだものです。

この作品から大藪春彦を知り、私がハードボイルド小説に目覚めた作品でもあります( 下掲紹介リンクはKindle版です )。

 

本書『夜刑事』の物語の状況としては、ヴァンパイアウイルス非感染者による感染者に対する忌避、そして差別という対立があります。

そして、非感染者の集団として外国人感染者を痛めつける「ヴァン・ヘルシング」という集団がいて、一方で感染者のグループには「無常鬼」という集団がいます。

その「無常鬼」という集団の中には、ウイルス攘夷主義者の「ヴァン・ヘルシング」のリーダーを殺害しようとしているグループがあり、ほかにウイルスの拡散を目論む集団もいます。

こうした中、感染者のことを理解できる警察官として位置づけられるのが感染者の岬田だけであり、その存在が両者の橋渡しとなることが期待されているのです。

 

本書の設定は、「ゾンビウイルス」感染者に対する強烈な拒否感や差別など、コロナ禍での私たちの状況を思わせる設定であり、当時の国民に対する風刺としての意味も持たせていると思っていました。

ところが、作者自身はそういう思いは全くなかったそうです( zakzak : 参照 )。

 

そうしたエンターテイメントに徹した本書ですが、この作者の作品にしてはどうも今一つ乗り切れない、というのが正直な感想です。

ハードボイルド作品の舞台設定として、これまでにない新しい舞台を設けようとしたというのは分かります。でも、今一つのめり込めないのです。

これは、やはりヴァンパイア類似の症状を持つ感染症に侵された世界という舞台設定が、読み手の側で今一つ消化できていないためではないかと思われます。

また、魅力的な悪役が存在しないことも理由の一つかもしれません。

 

そしてまた主人公が感染した原因になった元恋人の呉明林や謎の女であるマコ、それにヴァンパイアウイルスそのものなど、物語世界の背景が判っていない点が少なからず存在します。

この点について作者は、上記と同じ個所で「今後シリーズ化するのであれば、その中でより深く説明していければと思います」と発言されています。

本書『夜刑事』では、岬田のようなこれまでにない孤立した刑事がいることを描きたかったそうです。

舞台背景のより深い展開も含め、種々の不明点がシリーズ化されることで明確化されることを期待します。

暗黒戦鬼グランダイヴァー

暗黒戦鬼グランダイヴァー』とは

 

本書『暗黒戦鬼グランダイヴァー』は、2024年12月にKADOKAWAから376頁のハードカバーとして刊行された、長編の警察アクション小説です。

装甲防護服に身を包んだ警察官を主人公に「異人」の犯罪者を相手に戦うアクション作品で、それなりに面白く読んだ作品です。

 

暗黒戦鬼グランダイヴァー』の簡単なあらすじ

 

麻薬と暴力で荒廃した近未来の東京。警視庁機動制圧隊の深町辰矛は「ダイバースーツ」と呼ばれる装甲防護服に身を包み、反社会的勢力「異人」の生け捕りを任務としていた。職務中、辰矛は異人グループから襲撃を受けて瀕死の重傷を負い、さらに同僚と恋人を目の前で殺されてしまう。そんな地獄から辰矛を救ったのは、異人をも凌ぐ暴力で敵を薙ぎ倒す「漆黒のダイバー」。その正体と目的は?絶望の淵から生還し、復讐のために立ち上がった辰矛。彼の行く末は正義の執行人か、それともテロリストかー。(「BOOK」データベースより)

 

暗黒戦鬼グランダイヴァー』の感想

 

本書『暗黒戦鬼グランダイヴァー』は、「ダイバースーツ」と呼ばれている装甲防護服(パワードスーツ)に身を包んだ警察官を主人公とする、近未来を舞台とした長編の警察アクション小説です。

その主人公が、異人からも警察からも追われている「黒い悪魔」に助けられ、その後「異人」の犯罪者を相手に戦うエンターテイメント作品で、まだ半端な印象ではあるものの、それなりに面白く読んだ作品でした。

 

近年の誉田哲也の作品は何となくの政治色を帯びているように感じますが、本書は特にその傾向が色濃く出ている作品でした。

例えば、前作の『首木の民』では、「経済」の問題、それも古くから経済政策の二大潮流として言われている積極財政と緊縮財政との対立を、この作者らしいエンターテイメント作品として仕上げてありました。

本書の場合、日本ではそれほど大きな問題にはなっていないようですが、しかし諸外国ではかなり大きな問題となっている移民問題を取り上げてあります。

しかし、外国人犯罪の増加が言われている日々のニュースを見ていると、わが日本でも決して他人事とは言えない時代に来ているのかもしれません。

 

そうした時代背景のなか本書『暗黒戦鬼グランダイヴァー』では、出自も明確ではなくて日本社会を構成している団体のひとつとなっている移民集団を「異人」として取り上げ、その中の犯罪者集団を敵役としています。

そして、異人の犯罪グループを取り締まる担当になっている警察組織を作出し、その主人公が「現代版必殺仕事人」のような組織の一員となっていく様子が語られているのです。

 

警察内部の仕置人的存在を主人公にした作品といえば、中山七里の『祝祭のハングマン』があります。

中山七里が「現代版必殺仕事人」を書いてほしいという依頼に応じて書かれた作品だそうです。

 

また、読み進んでいる途中に「装甲防護服」から思い出したのは月村了衛の『機龍警察シリーズ』です。

機龍警察シリーズ』の場合は、警視庁特捜部が保有する外装装置を個性的な操縦者が操縦し闘う物語です。つまり、人間が操縦するロボットのような乗物、という認識でそうは離れていないと思います。

一方本書は、訓練を受けた特定の警察官がより簡便な「ダイバースーツ」と呼ばれる装甲防護服を着用し戦う物語であって、戦闘用のアイテムそのものが異なります。

あくまで特殊繊維(アラミド繊維)を使用した防護服を装着しているのであり、ロボットのような外装装置を操縦しているわけではありません。

 

主人公は深町辰矛という警視庁警備部第三課「第二機動制圧隊」所属の装甲防護服装着員です。

同僚として狙撃手の富樫や同じ狙撃手の吉山恵実などがいますが、この三名で一個班を構成しています。

辰矛が所属するこの一個班が、ある突入事件で吉山は殺され、富樫は入院する羽目になってしまい、辰矛もまた異人に捕らえられてしまいます。

そこに異人たちに「黒い悪魔」と恐れられている存在があらわれ、辰矛はその悪魔に助けられるのでした。

ここでさらに、警視庁公安部外事第四課三係統括主任の芹澤孝之、さらに、大和一心会の上院議員の赤津延彦らが絡み、話は単なる異人を取り締まるアクション小説の枠を超えて広がっていくのです。

 

本書『グランダイヴァー』は、この「悪魔」と呼ばれた「グラン・ダイバー」の物語であり、いまだ一個の物語として完成しているとは思えません。

多分シリーズ物になるのでしょう。そうでなければ本書だけではあまりにも中途半端な物語になってしまいます。

例えば、細かな点では辰矛たち制圧隊がダイバースーツを着用する前や、グラン・ダイバーがスーツ着用の前にに飲む薬は一体何なのかなど、解決されていない謎は多く残っています。

大きくは辰矛が属することになる組織そのものの成り立ちや在りようなど、簡単にしか語られていない点も多く、物語の世界観ももう少し丁寧に構築されてしかるべきだと思うのです。

誉田哲也の壮大な物語は始まったばかりで、これから本格的に展開されるものと期待しています。

遊戯

遊戯』とは

 

本書『遊戯』は、2007年7月に講談社からハードカバーで刊行され、2009年5月に講談社文庫から250頁の文庫として出版された、連作の短編小説集です。

未完ということを覚悟の上で読み始めたのですが、二人の今後の行方に加え新たに登場した謎の男の存在もあって、やはり今後の展開がどうなるのか気になる作品でした。

 

遊戯』の簡単なあらすじ

 

「現実とネットの関係は、銃を撃つのに似ている」。ネットの対戦ゲームで知り合った本間とみのり。初対面のその日、本間が打ち明けたのは、子どもの頃の忌まわしい記憶と父の遺した拳銃のことだった。二人を監視する自転車に乗った男。そして銃に残された種類の違う弾丸。急逝した著者が考えていた真相は。(「BOOK」データベースより)

 

遊戯』の感想

 

本書『遊戯』は、藤原伊織の遺作となった連作の短編小説集です。

遊戯」は本間透と朝川みのりという一組の男女のそれぞれの生活が描かれている一編の長編というべき短編小説集ですが、著者急逝のため未完となっています。

本書には、この「遊戯」という未完の作品と共に、実質上の遺作である「オルゴール」という短編も収納されています。

 

本書の著者藤原伊織は、2007年の5月に食道癌のために59歳の若さで亡くなられました。

本書の出版が2007年7月ですから、2005年には自身が食道癌に侵されていることを公表しておられることを考えると、本書は癌と闘いながらの執筆だったということになります。

私は図書館で新刊書を借りて読んだのでわかりませんでしたが、ネット上で、文庫版の解説には作者が自身が癌と判明したのが2話目の「帰路」を書いたころだとある、という情報がありました。

 

ジャムライスこと本間透は、ネット上でのビリヤードゲームサイトでパリテキサスと名乗る朝川みのりという女性と知り合います。

本書の第一行目の「非公開にしてもらえます?」という謎の文言から始まるこの物語の導入から、実に自然に物語に滑り込んでいました。

また、会話のきっかけに「paristexas」(パリテキサス)というネット上のニックネームである登録者名から入るところもうまいものです。

この登録者名が邦題を「パリ、テキサス」という映画のタイトルであり、その後の会話につなげていくのです。

 

そういえば、直前に読んだ藤原伊織の『雪が降る』という短編集の表題作である「雪が降る」という作品でも「ランニング・オブ・エンプティ―」という映画の名前が効果的に使われていました。

この映画は邦題を「旅立ちの時」といい、リバー・フェニックス主演の名作映画です。

藤原伊織という作家はこうした小道具の使い方がうまい作家さんでもあるようです。

 

物語は、本間透と朝川みのりの視点が交互に入れ替わり進んでいきます。特に朝川みのりのキャラクターが生き生きとしてて、とても印象的です。

彼女は身長は180cm近くある快活な女性で、本間を通して仕事を得ることになり、その後の展開へと繋がります。

何より、本間は初対面でありながらも長くひとりで抱えてきた秘密をみのりに打ち明けることになるのですが、その経緯がユニークでした。

その後、物語は奇妙な男の登場やみのりの環境の急変など以後の展開が謎に満ちたものになるのですが、前述したように著者は急逝してしまい、本書は未完です。

 

この続きを読みたいと痛切に思いますが、それはかないません。

本書の結末を読むことは永久にできないのですが、それよりも藤原伊織という作家の新たな作品を読むことができないということがとても残念です。

 

もう一編の「オルゴール」は、二度目の不渡りを出したエクステリア用品の販売会社社長の日比野修司と亡妻祥子の前夫である夏目重隆との話です。

夏目はこの国有数の資産家であって、夏目が亡妻祥子へ贈ったオルゴールをめぐって会話が交わされます。

ロマンチックな、というよりは切なさが先に立つ物語でした。

魔女の後悔

魔女の後悔』とは

 

本書『魔女の後悔』は『魔女シリーズ』の第四弾で、2024年4月に文藝春秋からハードカバーで刊行された長編の冒険小説です。

女性が主人公のエンターテイメント小説であり、相変わらずに第一級の面白さを持ったハードボイルド作品でした。

 

魔女の後悔』の簡単なあらすじ

 

“魔女”シリーズ、9年ぶり待望の最新作!「ねぇ、“親の因果が子に報い”って、信じる?」闇のコンサルタント・水原の前に現れた一人の少女。その亡父は、韓国政財界を震撼させた巨額詐欺事件の主犯だった。複数の勢力に追われる少女を警護する水原だが、彼女との思わぬつながりを突き付けられる。(「BOOK」データベースより)

 

魔女の後悔』の感想

 

本書『魔女の後悔』は『魔女シリーズ』の第四弾で、女性が主人公のシリーズ作品としてこれまで同様の第一級の面白さを持ったハードボイルド作品でした。

登場人物
水原 裏社会のコンサルタント。男の人間性を一瞬で見抜く能力を持つ。
星川 元警官で性転換した私立探偵。水原の相棒。
湯浅 元警視庁公安部の刑事。現在は国家安全保障局(NSS)に所属。
西岡タカシ ウェストコースト興産の経営者。
本田由乃 山梨の学校に通う十三歳の少女。水原の警護を請ける。

 

主人公の水原という女は、わが郷土熊本の天草諸島にあったという浪越島、通称地獄島という売春島に祖母の手で十四歳の時に売られ、二十四歳で脱出するまで何千という客の相手をさせられた過去を持った女です。

水原の二十四歳での脱出とは、水原が惚れ抜いた村野晧一という男の手を借りて果たしたものです。

しかし、島抜けの際に生き残った村野が今度は「番人」となり島抜けを果たした水原の前に現れたものの、水原はその村野を迎え撃ち、自らの手で村野を殺したのです。

 

こうした過去からも分かるように、強烈な個性を持った水原という女はハードボイルド小説の主人公としてもってこいのキャラクターとして存在しており、大沢在昌の作品の中でも目立った存在です。

また、水原の相棒ともいえる存在として星川という人物が配置されていて、この存在が物語に大きく幅を持たせています。

この星川は元警官で性転換した私立探偵であり、水原の相棒として水原の仕事にも、そして何よりも水原の精神的な面での補助者として大切な役割を果たしているのです。

また、水原事務所の運転手兼アシスタントとして木崎という男がいますが、この男に関してはほとんど情報がありません。

水原にはまた現在は国家安全保障局(NSS)に所属している元公安の湯浅という仲間もいて、星川では集めることのできない公的な情報などをもたらしてくれます。

 

水原は、その後一目見ただけで男の人間性を見抜くという能力を生かし、裏のコンサルタントとして生きていました。

本書『魔女の後悔』での水原は、京都鞍馬浄寂院庵寿の浄景尼から一人の少女本田由乃を東京から浄景尼のもとへと届けてくれるように頼まれます。

その旅の途中では、何者かが水原を攫おうとしますが、何とか逃れた水原は少女を鞍馬へと届けます。

しかし、由乃は帰京の途中で拉致されてしまいます。そこで由乃を可愛がっていた水原や星川は由乃を助けるために動くのです。

 

本シリーズの面白さの一つには、星川や湯浅と水原との会話の楽しさがあります。互いに相手をけなす軽口を叩きあいながら、その裏には絶大な信頼が存在することが垣間見えるのです。

ハードな設定のもと、主役とその相棒の軽妙な会話はハードボイルド作品ではよくある設定ではありますが、本書の水原と星川も実に魅力的なバディとして存在しています。

また、この二人だけに限らず、湯浅らの他の登場人物との会話もまた魅力的です。

 

そうした登場人物の会話の面白さに加え、大沢作品の特徴ともいえるアフォリズムの存在は読み手の心に一言で強く食い込んできます。

例えば、湯浅と元韓国の諜報員だった金村という男を比べ、金村を信用できないとする理由が述べられています。

それが、「ヒロイズムをまるで持たない男は、女よりたちが悪い。女は裏切ってもそれを忘れるだけだが、男はそれを歪な快感にかえられる。そんな男は殺す他ない。」という言葉です。

こうしたアフォリズムの使い方が大沢在昌はうまく、つい、惹き込まれてしまうのです。

 

本書『魔女の後悔』では水原の過去が再び取り上げられ、過去を引きずりながら生きていくしかない水原の悲哀もまた示されます。

それでもなお強く生きていかざるを得ない水原の存在が強烈に主張される作品であり、やはり大沢在昌のハードボイルドは面白いと再認識させてくれる作品でした。

続巻が待たれます。

警視庁捜査一課・碓氷弘一2 アキハバラ

アキハバラ』とは

 

本書『アキハバラ』は『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』の第二弾で、1999年4月にC★NOVELSから刊行されて2016年5月に中央公論新社から新装版として403頁で文庫化された、長編の警察小説です。

通常の警察小説とは異なり、多数の登場人物が入り乱れてアクションを繰り広げるノンストップ・アクション小説で、気楽に読めた作品でした。

 

アキハバラ』の簡単なあらすじ

 

大学入学のため上京したパソコン・オタクの六郷史郎は、憧れの街・秋葉原に向かった。だが彼が街に足を踏み入れると、店で万引き扱い、さらにヤクザに睨まれてしまう。パニックに陥った史郎は、思わず逃げ出したが、その瞬間、すべての歯車が狂い始めた。爆破予告、銃撃戦、警視庁とマフィア、中近東のスパイまでが入り乱れ、アキハバラが暴走する!(「BOOK」データベースより)

 

アキハバラ』の感想

 

本書『アキハバラ』は『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』の第二弾の警察小説です。

しかし、シリーズ前作の『触発』とは異なり、多数の登場人物が入り乱れてアクションを繰り広げるエンターテイメント小説となっています。

つまり、秋葉原のあるビル内で様々な登場人物により息もつかせないアクションが展開される、気楽に読めるノンストップ・アクション小説でした。

解説の関口笵生氏によれば、本書は「ピタゴラスイッチ小説、もしくは風が吹けば桶屋が儲かる小説」と表現されています。

 

本シリーズの主役である碓氷弘一部長刑事が登場するのは物語の中盤あたりからです。

それまでは大学生の六郷史郎がメインで描かれ、そこにラジオ会館ビルの四階にある小さなパーツショップに勤める石館洋一や、その店に派遣されていたキャンペーンガールの仲田芳恵などが絡んできます。

そこにそのパーツショップに金を貸しているヤクザの菅井田三郎、その子分の金崎などが登場し、さらには、ラジオ会館ビルでいたずら心からイスラエルのモサド諜報員のアブラハム・ベーリ少佐に発砲事件を起こさせたイラン航空のスチュワーデスでもある諜報員のファティマ、ロシアンマフィアのアレキサンドル・チェルニコフ、殺し屋のセルゲイ・オルニコフなどが入り乱れてアクションを繰り広げるのです。

このように、本書はシリーズ前作の『触発』で描かれた爆弾魔とのシリアスな対決とは異なり、ヤクザやテロリスト、果ては各国の諜報員まで登場する荒唐無稽な設定となっています。

またシリーズの主人公である碓氷弘一部長刑事も前作での設定とは若干異なる性格設定をしてあります。そもそも碓氷刑事は本書中盤までは登場してきません。

登場してきても遊軍的な立場としているのであり、応援の管理官が登場すると一線からは外されてしまいます。 

 

ところが、前作では定年まで無事勤め上げることを願うサラリーマン的な刑事という設定でしたが、本作ではそれなりの使命感を持った刑事として個人で乗り込むのです。

若干、性格が異なるような気もしますが、それは前作『触発』での主人公の体験が生きてきたとも言えそうです。

 

でも、本書が荒唐無稽な設定だとはいえ、作者の今野敏の視点は変わりはありません。

日本は銃声がしても誰も床に伏せようともしない国だという指摘し、警察官に対しても、銃を構えた人物に対し止まれと言ったり、今から拳銃カバーを外そうとしたり、また拳銃で身を守ることよりも拳銃を盗まれることに神経を使っているなどと言わせています。

そうした指摘はテロリストの目線でなされており、そのテロリストは「血と硝煙。その中で生きているのだ。」と独白しているのです。

 

そうした作者の目線とは別に、秋葉原という街に対する作者なりの愛着もあるのかもしれません。

電子部品を販売する秋葉原の最も深いところにある店の主人の小野木源三という人物を登場させて碓氷部長刑事の活躍を助けるのも、そうした愛着の表れではないでしょうか。

 

以上、碓氷刑事の性格は若干異なるものの、ノンストップアクションを展開させる、気楽に読める作品でした。