ジウX

ジウX』とは

 

本書『ジウX』は『ジウサーガ』の第十弾で、2023年6月に416頁のハードカバーで中央公論新社から刊行された、長編の冒険小説です。

個人的には最も好きな作家の一人である誉田哲也の作品の中で、ある政治的主張を明確に織り込んで構成されているエンターテイメント小説であり、それはそれで面白く読みました。

 

ジウX』の簡単なあらすじ

 

生きながらにして臓器を摘出された死体が発見された。東弘樹警部補らは懸命に捜査にあたるが、二ヶ月が経っても被害者の身元さえ割れずにいた。一方、陣内陽一の店「エポ」に奇妙な客が集団で訪れた。緊張感漂う店内で、歌舞伎町封鎖事件を起こした「新世界秩序」について一人の女が話し始める。「いろいろな誤解が、あったと思うんです」-。各所で続出する不気味な事件。そして「歌舞伎町セブン」に、かつてない危機が迫る…。(「BOOK」データベースより)

 

ジウX』の感想

 

本書『ジウX』が属する『ジウサーガ』は、誉田哲也という作家の作品の中でも一、二位を争う人気シリーズです。

このシリーズは斬新な警察小説として始まり、後に新宿を舞台とする仕事人仲間の物語へと変化し、さらには「ジウ三部作」での敵役であった「新世界秩序」という集団を敵役として、新たな冒険小説として展開しつつあります。

本書では、そんな変化していく『ジウサーガ』においての敵役としての「新世界秩序」という集団が、これまでのような漠然とした存在ではなく明確な存在としてその姿を見せてきます。

そして、問題は「新世界秩序」の主張もまた明確になってきたことであり、その主張が国家の存立にかかわることだということです。

 

こうして、「新世界秩序」という組織の実態、その目的が明確になってきたことが本書の一番の見どころでしょう。

といっても、「新世界秩序」という組織の詳細まで明らかになったわけではありません。

ただ、『ジウ三部作』での黒幕と言われたミヤジでさえも下っ端と言い切る集団が登場します。

その集団が「新世界秩序」の特殊なメンバーである「CAT」と呼ばれる一団です。

この「CAT」は暴力を振るうのにためらいが無く、また残虐であって、誉田哲也の特徴の一つでもあるグロテスクな描写が展開されています。

本書『ジウX』の冒頭から示される殺人事件の描写からして、あるカップルの女性の身体の解体であり、男性への陵虐です。

 

そして、その「CAT」の傍若無人な活動と、それに伴う警察の動き、特に東弘樹警部補の活動、そして「歌舞伎町セブン」の活躍から目を離せません。

この「CAT」は明確な政治的主張を持った一団です。その主張は単純であり、「相互主義」という言葉を直接的に用いています。

外交の世界で使われる言葉の正確な意味は分かりませんが、近年のテレビでは「相互主義」という言葉を主張するコメンテーターがいるのも事実です。

相互主義」とは、外交の場面では「相手国の自国に対する待遇と同様の待遇を相手国に対して付与しようとする考え方」を言います( ウィキペディア : 参照 )。

 

そうした言葉の意味をそのままに持ってきているのか分かりませんが、エンターテイメント小説の中にこれだけ政治性の強い単語を、それもその意味の詳細な定義もないままに物語の中心的なテーマとして、しかし情緒的に使っている作品も珍しいのではないでしょうか。

大沢在昌の『新宿鮫シリーズ』や月村了衛の『黒警』のような作品ではよく外国人が登場しますが、それは犯罪者としての役割を担っている場合が多いようで、政治的な主張を示しているわけではありません。

 

 

また、麻生幾の『ZERO』(幻冬舎文庫 全三巻)のようなインテリジェンス小説でも現場の諜報員としての物語という場合が殆どです。

 

 

しかし、本書『ジウX』の場合は特定の中国という国に対する憎悪を持った集団が、情緒的ではあっても明確な、そしてそれなりに現実性を持った政治的な主張をしているのです。

そして、その主張こそが「CAT」の存在意義であり、本書の核にもなっている点で独特です。

また、現代の世相の一部を切り取って、エンターテイメント小説として成立させている点でもユニークだと思うのです。

 

新宿セブンのメンバーも当初から少しずつ変化してはいますが、本書ではまた一人抜けそうであり、その後釜についても問題になっています。

その候補として挙がっているのが、「新世界秩序」の一員であり、「セブンのメンバーから、最も嫌われている女」である、土屋昭子でした。

 

本書『ジウX』は、エンターテイメント小説としての面白さを十分に備えた作品として、その後の展開が期待され、続巻が待たれる作品として仕上がっている作品だといえます。

井上 真偽

井上真偽』のプロフィール

 

年齢不詳、性別不明。2015年、メフィスト賞受賞作『恋と禁忌の術語論理』でデビュー。著書に『その可能性はすでに考えた』シリーズ(本格ミステリ大賞候補作)、『言の葉の子ら』(日本推理作家協会賞〈短編部門〉候補作)、『ムシカ 鎮虫譜』など。『探偵が早すぎる』は2シーズンにわたって実写ドラマ化された。

引用元:井上真偽 – ダ・ヴィンチWeb

 

井上真偽』について

 

現時点ではありません。

アリアドネの声

アリアドネの声』とは

 

本書『アリアドネの声』は、2023年6月に304頁のソフトカバーで幻冬舎から刊行された、王様のブランチのランキングでも紹介された長編のサスペンス小説です。

緊急災害救助の様子を描いたサスペンス小説ですが、救助対象が三重苦の女性であり、救助方法もドローンを使用するというこれまでにない視点の作品で、惹き込まれて読みました。

 

アリアドネの声』の簡単なあらすじ

 

事故で、救えるはずだった兄を亡くした青年・ハルオは、贖罪の気持ちから災害救助用ドローンを扱うベンチャー企業に就職する。業務の一環で訪れた、障がい者支援都市「WANOKUNI」で、巨大地震に遭遇。ほとんどの人間が避難する中、一人の女性が地下の危険地帯に取り残されてしまう。それは「見えない、聞こえない、話せない」という三つの障がいを抱え、街のアイドル(象徴)として活動する中川博美だったー。崩落と浸水で救助隊の進入は不可能。およそ6時間後には安全地帯への経路も断たれてしまう。ハルオは一台のドローンを使って、目も耳も利かない中川をシェルターへ誘導するという前代未聞のミッションに挑む。無音の闇を彷徨う要救助者の女性と、過去に囚われた青年。二人の暗闇に光は射すのかー。(「BOOK」データベースより)

 

アリアドネの声』の感想

 

本書『アリアドネの声』は、一人の要救助者を制限時間が迫りくるなか、いかにして助け出すかというサスペンス感満載の作品です。

そして、その救助対象者や事故現場環境などに合わせた救助活動がユニークであり、かなり惹き込まれて読んだ作品です。

 

そのユニークさとは、第一に救助を必要とする人物が「見えない、聞こえない、話せない」という三つの障がいを抱えた人物とされていることです。

第二に、要救助者が現在いる場所が、「WANOKUNI」という障がい者支援都市の地下都市だということです。

この地下都市が地震のために壊滅状態になったなか、要救助者は「WANOKUNI」の地下五階に取り残されてしまったのです。

そして第三に、彼女を救助するための手段として選ばれたのがドローンだということです。

崩落した「WANOKUNI」内部に救助隊が入ることも難しく、要救助者本人が歩いて地下三階にあるシェルターまで誘導するしかないのです。

ここに、助けられる者は三重障害を負った人物であり、救助手段はドローンという現代最先端の技術の粋を生かした機械だという設定ができています。

 

本書の魅力についてさらに言えば、作者は上記の仕掛けによりもたらされるサスペンス感に加えて、三重の障害を負っている救助対象者の中川博美が、もしかしたら三重の障害はないのではないか、という疑惑を用意しています。

この疑惑を抱えての救助作業であり、その救助作業の中で感じる違和感がミステリアスな印象をもたらしてくれているのです。

 

上記のような見どころに加え、本書では物語が展開していくなかでさらに細かな仕掛けが追加されていくことで一段と面白さが増しています。

「WANOKUNI」という建物の設定は、火災や電気、ガス、各種の機械などの障害物の存在が設定でき、物語の緊迫感はいやがうえにも増すことになります。

また、救済手段のドローンはその実際を知らない人がほとんどだと思うのですが、本書ではその関心をある程度満たしてくれます。

つまりはお仕事小説的にトリビア的なドローンに関する情報をもたらしてくれる作品でもあるのです。

 

登場人物は、救助チームとしては、主人公の高木春生が一等無人航空機操縦士の有資格者として直接ドローンを操縦するメインパイロットとなり、高木が勤める株式会社「タラリア」の先輩我聞庸一が情報分析などのサポートを担当しています。

そして、高木が教えるドローン教室の受講生でもある消防士長の火野誠がサブパイロットとカメラなどの周辺機器操作担当し、火野の直属の上司でWANOKUNI出張所の副所長でもある長井禎治消防司令が作戦全体を指揮しています。 

さらに、進捗報告およびその他の雑務係を消防士の佐伯茉莉が担当しています。

そして、「見えない、聞こえない、話せない」の三重苦を乗り越えた令和のヘレン・ケラーと呼ばれる三十路半ばの中川博美が要救助者であり、彼女の通訳兼介助者の女性が伝田志穂です。

そのほかに、高木の高校の同級生で失声症の妹を持つ韮沢粟緒や、迷惑系のユーチューバーが登場してきています。

 

本書のような限定状況からの脱出といえば、私らの年代では、小説ではなく映画で思い出す作品があります。それは、ジーン・ハックマンが主演していた「ポセイドン・アドベンチャー」という作品です。

転覆した豪華客船ポセイドンから脱出しようとする客たちとそれを率いる神父さんの姿が描かれたパニック作品の名作です。

 

 

何といっても、本書の特徴はギリシャ神話から来ている「何か困難な状況に陥った際、解決の道しるべとなるもの」を意味する「アリアドネ」というタイトルが意味する、道しるべとなるドローンの存在にあります。

このドローンは「光学ズームカメラ」や「赤外線サーモグラフィー」などの高性能で多種多様なセンサーシステムを搭載した、災害救助用ドローンの中でも特に遭難者の発見に注力した機体なのです。

この機体を高木一人ではなく、救助チーム全員が力を合わせて駆使し、様々な困難を乗り越えていく姿は読みごたえがあります。

 

若干のミステリー要素も加わり、サスペンス感に満ちた本作品はその読みやすさもあって面白く読んだ作品でした。

鳴かずのカッコウ

鳴かずのカッコウ』とは

 

本書『鳴かずのカッコウ』は、2021年2月に304頁のハードカバーで刊行された長編のインテリジェンス小説です。

 

鳴かずのカッコウ』の簡単なあらすじ

 

インテリジェンス後進国ニッポンに突如降臨

公安調査庁は、警察や防衛省の情報機関と比べて、ヒトもカネも乏しく、武器すら持たない。そんな最小で最弱の組織に入庁してしまったマンガオタク青年の梶壮太は、戸惑いながらもインテリジェンスの世界に誘われていく。

ある日のジョギング中、ふと目にした看板から中国・北朝鮮・ウクライナの組織が入り乱れた国際諜報戦線に足を踏み入れることにーー。

<初対面の相手に堂々と身分を名乗れず、所属する組織名を記した名刺も切れないーー。公安調査官となって何より戸惑ったのはこのことだった>–『ウルトラ・ダラー』『スギハラ・サバイバル』に続く著者11年振りの新作小説。
プロローグ
第一章 ジェームス山
第二章 蜘蛛の巣
第三章 千三ツ屋永辰
第四章 偽装開始
第五章 彷徨える空母
第六章 守護聖人
第七章 「鍛冶屋」作戦
第八章 諜報界の仮面劇
エピローグ(内容紹介(出版社より))

 

鳴かずのカッコウ』の感想

 

本書『鳴かずのカッコウ』はインテリジェンス小説ではありますが、他の作品のようなサスペンス感を持った作品ではありません。

本書の主人公梶壮太は安定志向を持つ人物で、地元採用枠のある一般職を狙い、何も知らないままに一般の行政職よりも初任給で二万五千円も高い点に惹かれて公安調査庁に入った人物です。

仕事の内容も分からないままに入庁して初めて、「自分が何者であるか、公にできない職業」であることを知るくらいだったのです。

梶壮太は、そんなとても諜報活動には向いていないであろう人物だったのですが、一度見たものは忘れないという能力を有していました。

 

本書では、梶壮太がその能力を生かして、一般に公開されている情報(オシント)や人間を介した情報(ヒューミント)から日本という国にとって重要な情報を見つける姿が描かれます。

ただ、その活動は地味です。公開されている情報からその情報に隠された意味を掘り起こすという作業自体、派手さはありません。

また狙いを定めた人物から情報を引き出す作業は、公開情報の意味を探ることよりも比較的派手かもしれませんが、それにしてもたかが知れています。

しかし、そうした地味な情報収集、そして分析作業が日本という国の存在のために役に立っているのだ、ということを著者は言いたいのでしょう。

 

インテリジェンス小説と言えば、まずは麻生幾の『ZERO』(幻冬舎文庫全三巻)や公安出身である著者濱嘉之の『警視庁情報官シリーズ』などが思い出されます。

 

 

しかし、本書はそうした作品のようなインパクトはありません。

ただただ、地味な調査活動が主な作業であり、たまに何らかの会合やパーティーなどへ行き、知己を作ったり、普通に交わされる会話の中から有用な情報を拾い出す、などの作業をこなす毎日です。

さらには、本書の主人公たちは警察の公安調査官ではなく、警察庁の公安課所属の調査官です。組織としてはかなり小さな弱小の組織、だと紹介してありました。

 

ここで、日本の情報機関としては内閣情報調査室や警察庁警備局(公安警察)などがあるそうですが、本書の「公安調査庁」とは法務省の外局です( ウィキペディア : 参照 )。

正直なところ、上記のような各種の情報機関が存在すると言われても一般素人にはその区別はつきません。

単純に、複数の情報機関が存在する理由も各種機関の機能の差もよく分からないのです。

ただ、本書からは、本書で登場する公安調査庁なる機関が、地道に情報収集をしているということがよく読み取れるということだけです。

 

本書の最大の魅力は、NHKのアメリカからの生中継でよく顔を見ていたワシントン支局長であった人物が著者であり、その経験豊富な知識をもとにして書かれた作品だということです。

ただ、もともと小説家であったわけではない、という点も同時に現れていて、インテリジェンスの側面の描写は見事であっても、ストーリー展開の面で今ひとつという印象ではあります。

それは多分、新米調査員である主人公の動向を描くうえでメリハリがないということにも表れています。

本書には、各国の思惑の実際をよく知る著者ならではの細かな具体的事実が詰め込まれていますが、その全部が平板であり、どこにポイントがあるのか読んでいてわからなくなることがあるからではないでしょうか。

 

そうした、小説としての面白さに若干欠けるところがあるとは思うのですが、やはり本書で挙げられている各種の事実は驚異的でもあります。

中国の航空母艦がウクライナで作られたものであることの適示など、その最たるものではないでしょうか。

北朝鮮の船舶の追跡が、それにとどまらず国際的な思惑の一端に過ぎないことなど、全くのフィクションでもなさそうな展開は、それなりに面白く読めた作品でした。

アンリアル

アンリアル』とは

 

本書『アンリアル』は、2023年6月に400頁のハードカバーで講談社から刊行された長編のスパイ小説です。

この作者のこれまでの作品とは異なり、特殊能力を有し、状況分析能力に優れた新人諜報員の戸惑いに満ちた姿が描かれており、やはり読みごたえのある作品でした。

 

アンリアル』の簡単なあらすじ

 

両親の死の真相を探るため、警察官となった19歳の沖野修也。警察学校在校中、二件の未解決事件を解決に導いたが、推理遊び扱いされ組織からは嫌悪の目を向けられていた。その目は、暗がりの中で身構える猫のように赤く光って見えるー。それが、沖野の持つ「特質」だった。ある日、「内閣府国際平和協力本部事務局分室 国際交流課二係」という聞きなれない部署への出向を命じられた。そこは人知れず、諜報、防諜を行う、スパイ組織であったー。最注目作家がおくるスパイ小説の技術的特異点。(「BOOK」データベースより)

 

アンリアル』の感想

 

本書『アンリアル』は、未だ研修期間である新人諜報員の姿を描く長編の冒険小説です。

未だ半人前の警察官ではあるものの、状況分析能力に優れ、さらに特殊能力をも有することからリクルートされた新人諜報員の若者らしい姿が描かれていて、読みごたえのある作品でした。

本書の時代設定は「東京オリンピックの六年後」とありましたから、2023年の現在からすると4年後後の近未来であって、登場する科学的技術も全くの絵空事ではないということになります。

事実、作者自身も「作中に出てくる近未来的な兵器、防諜機器など」は「すべて実在するもの」だと言っておられます( 長浦京氏インタビュー : 参照 )。

 

主人公は沖野修也といい、警察学校での初任補修科の後の最後の実践実習期間をあと二ヶ月残している半人前の警察官です。

この主人公が洞察力と危機感知能力は素晴らしく高く、運動能力も中学の陸上短距離ではオリンピックを狙えるほどに将来を有望視されていました。

特に「危険が迫ると気配を感じ、殺意や敵意、憎悪を抱いている人間と対峙すると、その両目が光って見える」という特殊能力を有していたことから、諜報員としての適性を認められたのです。

彼が配属されたのが内閣府国際平和協力本部事務局分室国際交流課二係であり、諜報や防諜のどちらもやるし、さらに警護を担当することもある、ようするに極秘行動の何でも屋のスパイ機関です。

・警察学校での初任補修科などの意味に関しては「警察タイムズ」を参照してください。
・「内閣府国際平和協力本部」という組織は実在します。詳しくはウィキペディアを参照してください。

 

この国際交流課の課長が天城亮介であり、二係の責任者が国枝達郎係長です。

そして二係の係員としてデスク担当でトルコ人との混血のブロンドの髪をドレッドにした白い肌の女ヒロ・エルビルバン、沖野の直属の上司でしばらくは沖野との相棒となるのが水瀬響子主任です。

また、本書冒頭で沖野を叩きのめした外事三課の笹路などがいます。

ほかに、水瀬主任の昔の相棒である神津や、鴻明薬品工業の呉智偉藩依林の夫妻、それにインターネットショッピングサイト「ベリーグッズ・マーケット」を出発点にしたグループの代表者の津久井遼一などが重要人物として登場しています。

 

本書『アンリアル』の魅力と言えば、まずはそのリアリティーを挙げるべきでしょう。

一般に歴史小説がそうであるように、本書でも歴史的事実の隙間に著者の創造した虚構を挟みながら架空の物語が紡がれて行きます。

本書の時代は近未来ではありますが、現実に存在する組織や、科学的な技術を前提としてストーリーが構築されています。

そのため、読者は現実の持つ真実の世界の中にいながらいつの間にか著者の作り出した虚構の世界に連れていかれています。

本書では、さらに2021年開催の東京オリンピックから6年後という時代背景のもと、作中に出てくる近未来的な兵器、防諜機器などはすべて実在するものだという作者の言葉にあるように、その圧倒的なリアリティーのもとに物語が展開されるのです。

 

また、長浦京の作品は今綾瀬はるか主演で映画化され話題になっている『リボルバー・リリー』がそうであるように、アクション場面に定評があります。

本書でももちろん主人公のアクション場面はあります。しかし、これまでの作品と異なり、本書での主人公はほとんどの場合誰かに助けられる存在です。

つまりは、主人公はまだまだ若く、スパイとしても初心者に過ぎません。ただ、彼は、人の悪意を知ることができるという能力を有していて、その優位性をもとに現状の分析能力を生かすことができ、危機を回避するのです。

こうした主人公の戦い方はこれまでにない描き方であり、スパイ初心者という設定が生かされた、それでいて読みごたえがあった一因でもあると思います。

 

 

さらにいえば、本書『アンリアル』に関して著者自身が「青春小説」だと言っておられるように、たしかに主人公が19歳という年齢だからこその真っ直ぐな視点、疑問がその口から発せられ、それがスパイ小説でありつつも新しい視点を見せているようです。

いまだ悩みつつも、したたかな先輩諜報員たちに守られ、育てられていく主人公の沖野は読者が感情移入しやすい設定でもあります。

「沖野は何が正しいことなのか葛藤しながら平和を守るためにもがき奮闘してい」るというインタビュアーの言葉に、「そのあたりは本作ではあえて書かずに、これから発表する第2部で解き明かしていきます。ぜひお楽しみに。」( 長浦京氏インタビュー : 参照 )との著者の言葉もあります。

近く書かれるであろう続巻を期待をもって待ちたいと思います。

ブラッディ・ファミリー

ブラッディ・ファミリー』とは

 

本書『ブラッディ・ファミリー』は監察官黒滝シリーズ』の第二弾で、2022年4月に新潮社から414頁の文庫本書き下ろしで刊行された長編の警察小説です。

今回はまさに監察官としての黒滝および彼の仲間の活躍が描かれていますが、深町秋生の物語としては今一つの印象でした。

 

ブラッディ・ファミリー』の簡単なあらすじ

 

女性刑事が命を絶った。彼女を死に追いつめたのは、伊豆倉陽一。問題を起こし続ける不良警官だ。そして、陽一の父、伊豆倉知憲は警察庁長官の座を約束されたエリートだった。愚直なまでに正義を貫く相馬美貴警視と、非合法な手段を辞さぬ“ドッグ・メーカー”黒滝誠治警部補。ふたりは監察として日本警察最大の禁忌に足を踏み入れてゆくー。父と息子の血塗られた絆を描く、傑作警察小説。(「BOOK」データベースより)

 

ブラッディ・ファミリー』の感想

 

本書『ブラッディ・ファミリー』は、警察機構のトップになろうとする権力者や彼の顔色をうかがう公安を始めとする警察内部の上層部を相手に戦う、監察官たちの姿が描かれています。

もちろん、警視庁人事一課監察係に勤務する黒滝誠治警部補を中心として、シリーズ第一巻の『ドッグ・メーカー』に登場してきた相馬美貴警視や白幡一登警務部長らも登場しています。

また、敵役も将来の警察庁長官と目されている超エリートである警察内部の権力者であり、直接にはその息子の不良警察官です。

 

王子署生活安全総務課に勤務していた波木愛純という女性警察官が、同僚の伊豆倉陽一部長刑事に性的暴行を受け団地の十四階から飛び降り自殺で死亡したという事件が起きます。

この事件は、伊豆倉陽一の父親の伊豆倉知憲が将来の警察庁長官と言われる実力者だったために、王子署の監察係も立件できずに終わっていました。

さらには、現在の陽一は警視庁公安部外事二課へと異動させられており、防諜のプロたちにより守られているのです。

 

本書『ブラッディ・ファミリー』の登場人物は、もちろん主人公は警視庁人事一課監察係に勤務する黒滝誠治警部補です。

この黒滝が波木愛純の遺書を手に入れる場面から物語は始まります。

この件に関しては人事一課長の吹越敏郎は頭ごなしに中止を命じてきましたが、黒滝の直属の上司である相馬美貴警視も了解しており、その背後に吹越の上司にあたる警務部長の白幡一登も認めている事件だったために黙らざるを得ません。

しかしながら伊豆倉知憲の息のかかった公安部外事二課やかつて黒滝が逮捕したこともある轡田隆盛を代表とする大日本憂志塾という弱小右翼の塾生を使って圧力をかけてくるのでした。

 

このように、本書では前作の『ドッグ・メーカー』以上に監察官としての黒滝誠治警部補の姿が描かれています。

 

 

同時に、警察内部の権力争い、その中での白幡一登警務部長の策士としての顔などが一段と明確に示されています。

また、そうした権力争いの中での相馬美貴警視の自分の警察官としての力量に対する苦悩も記されていて、単なるアクション小説を越えた面白さを持った小説であると言えます。

 

しかしながら、今回の直接のターゲットの不行跡はあまりに安直に過ぎ、いくらエリートでもかばい切れるものではないだろうという疑問点ばかりが湧いてきました。

つまりは、本書については小説のリアリティがないと感じ、感情移入しにくい作品だったのです。

 

本来、本書『ブラッディ・ファミリー』のような個性豊かなはみ出し者を主人公とするエンターテイメント小説では荒唐無稽をこそ旨とし、少々のことは無視してストーリーを展開させても痛快さや爽快感さえ得られればよしとされるものだと思います。

しかしながら、そうした通俗的なエンターテイメント小説でもその世界なりのリアリティが必要であり、その点を踏み誤った作品には感情移入できません。

その点で私の好みから微妙に外れているというほかなく、全体としてそれなりに面白い作品ではあるものの、肝心な点でリアリティを欠く作品であり、深町秋生作品としては今一つと感じた次第です。

香港警察東京分室

香港警察東京分室』とは

 

本書『香港警察東京分室』は、2023年4月に320頁のハードカバーで刊行された長編の冒険小説です。

タイムリーな内容を持った謀略小説でありアクション小説であって、月村了衛の物語らしく、面白く読むことができた作品でした。

 

香港警察東京分室』の簡単なあらすじ

 

テロリストを追え! 圧巻の国際警察小説。

香港国家安全維持法成立以来、日本に流入する犯罪者は増加傾向にある。国際犯罪に対応すべく日本と中国の警察が協力するーーインターポールの仲介で締結された「継続的捜査協力に関する覚書」のもと警視庁に設立されたのが「特殊共助係」だ。だが警察内部では各署の厄介者を集め香港側の接待役をさせるものとされ、「香港警察東京分室」と揶揄されていた。メンバーは日本側の水越真希枝警視ら5名、香港側のグレアム・ウォン警司ら5名である。
初の共助事案は香港でデモを扇動、多数の死者を出した上、助手を殺害し日本に逃亡したキャサリン・ユー元教授を逮捕すること。元教授の足跡を追い密輸業者のアジトに潜入すると、そこへ香港系の犯罪グループ・黒指安が襲撃してくる。対立グループとの抗争に巻き込まれつつもユー元教授の捜索を進める分室メンバー。やがて新たな謎が湧き上がる。なぜ穏健派のユー教授はデモを起こしたのか、彼女の周囲で目撃された謎の男とは。疑問は分室設立に隠された真実を手繰り寄せる。そこにあったのは思いもよらぬ国家の謀略だったーー。
アクションあり、頭脳戦あり、個性豊かなキャラクターが躍動する警察群像エンタテイメント!
(内容紹介(出版社より))

 

香港警察東京分室』の感想

 

本書『香港警察東京分室』は、当初はニュース等で見ていた世界各国に設けられている中国の秘密警察の日本版の話かと思っていました。

しかし、実際はそうした中国の秘密裏の活動の話ではなく、日本と中国との間での合意のもとも受けられた共助組織という設定の話でした。

本書中でも、2022年にスペインの人権団体の報告中国の地方により明らかにされた中国の地方政府の公安局が日本国内に拠点を開設していることが暴露された、との一文があり、本書での香港警察分室の話も現実の日中関係を前提としたものであることが示されています。

 

 

つまりは、日本の警察庁と香港警察との間で交わされた「継続的捜査協力に関する覚書」に基づいて警視庁に設けられたという設定の「警視庁組織犯罪対策部国際犯罪対策課特殊共助係」、通称「香港警察東京分室」あるいは単に「分室」と呼ばれる部署の話だったのです。

 

千代田区神田神保町の裏通りにあるオフィスビルにある香港警察の下請けとも揶揄されるこの組織の構成員は、日本側がトップは水越真希枝警視であり、彼女を支える七村星乃警部嵯峨明人警部補山吹蘭奈巡査部長小岩井光則巡査部長が続きます。

中国側は、隊長が汪智霖警司(英語名:グレアム・ウォン)、副隊長が郜烈総督察(ブレンダン・ゴウ)費美霞見習督察(26 ハリエット・ファイ)景天志警長(シドニー・ゲン)胡碧詩警長(エレイン・フー)の五人です。

この十人が九龍塘城市大学の虞嘉玲(キャサリン・ユー)元教授の逮捕、そして香港への送還のために奔走するのです。

この元教授は、多数の死者を出した2021年春に起きた422デモを扇動したうえ、協力者であった助手を殺害し、日本へ逃げてきたと目されていました。

 

この登場人物のキャラクターそれぞれがなかなかに面白い設定となっています。

まずは日本側のトップである管理官の水越真希枝警視のキャラがまず目を惹きます。キャリアとは思えない、いろんな意味で規格外の人です。

ついで、本書冒頭から登場してくる山吹蘭奈巡査部長が魅力的です。月村了衛が描いてきたアクションものの『ガンルージュ』や『槐(エンジュ)』に登場してくる女性主人公のようにアクションバリバリの女性で、元ヤン出身の警察官というエンタメ作品にはもってこいの人物です。

 

 

七村星乃係長も水越に対して心酔している人ですが、水越警視が多くを語らなくてもその真意を汲み取って行動します。

また、嵯峨明人警部補も正体がよく分からないけれど頼りがいがありそうな人物であり、一番頼りなさそうな小岩井巡査部長もそれなりの活躍を見せるのです。

中国側にしても同様で、それぞれがユニークな個性を持っていますが、ただ、中国側の捜査員とキャサリン・ユー元教授との関係が若干分かりにくい印象はありました。

 

先に書いたように、本書は日本の警察官と香港の警察官との共同作業を描いた作品です。

ただ、香港が返還されたあとの香港警察との共同捜査であり、返還前の香港警察ではありません。文字通り中国の警察と同義である彼らとの共同作業は難しいものがあるのです。

 

本書を評価するとき、月村了衛のアクション小説として面白い作品であることは間違いありません。

しかしながら、中国の警察との共同捜査という魅力的な題材であるわりには普通のアクション小説を越えたものがあるとは思いにくい作品でもありました。

中国警察故の特殊性は当然描いてはあるのですが、読み手の期待に答えたものであるかは若干の疑問が残りました。

また、香港の民主化運動の中心人物であるはずの捜査の対象であるキャサリン・ユーという人物像と嫌疑事実との乖離が大きな謎としてあって、その謎が解き明かされていくのですが、その解明の過程が若干分かりにくい印象があります。

そこには中国側の捜査官の有する個人的な事情が重なっていることもあるでしょうし、キャサリン・ユーを追いかけている組織が警察だけではなく、中国関連の二つの組織が絡んでくるというストーリーの複雑さにも起因するのかもしれません。

そこはよく練られているストーリーというべきところなのでしょうが、場面ごとの視点の主が分かりにくかったこともあって私には若干分かりにくかったのです。

 

また、中国が絡んだ警察小説ということで、国家間の謀略戦が描かれるという期待もあったのですが、その点はあまり満たされませんでした。

中国側の人間模様がかなり重んじられており、その点では普通の謀略とは遠い物語と言うべきかもしれません。

 

とはいっても、中国警察という分かりにくい組織をテーマによく練られた物語であることは否定できません。

月村了衛のアクション小説としてそれなりにおもしろく読んだ作品だと言えます。

探偵は田園をゆく

探偵は田園をゆく』とは

 

本書『探偵は田園をゆく』は『シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』の第二弾で、2023年2月に322頁のソフトカバーで刊行された長編のハードボイルド小説です。

シリーズ初の長編小説で、山形弁そのままの女探偵が行方不明になったある男を探し回るハードボイルドですが、どことなく物語に没入できない違和感を感じた作品でした。

 

探偵は田園をゆく』の簡単なあらすじ

 

椎名留美は元警官。山形市に娘と二人で暮らし、探偵業を営んでいる。便利屋のような依頼も断らない。ある日、風俗の送迎ドライバーの仕事を通じて知り合ったホテルの従業員から、息子の捜索を依頼される。行方がわからないらしい。遺留品を調べた留美は一人の女に辿り着く。地域に密着した活動で知名度を上げたその女は、市議会への進出も噂されている。彼女が人捜しの手がかりを握っているのだろうか。(「BOOK」データベースより)

 

探偵は田園をゆく』の感想

 

本書『探偵は田園をゆく』は、シングルマザーである椎名留美という元警官の探偵を主人公とするハードボイルド作品です。

シリーズ第一巻の『探偵は女手ひとつ』は六編からなる連作短編集でしたが、本書は本業の人探しの依頼を受けての長編小説となっています。

 

本シリーズの特徴は、物語の舞台が山形であって、主人公ら登場人物の言葉ももっぱら山形弁だということです。

私には分からないのですが、出てくる土地名もそのままに山形に実在する土地が登場してきていることだと思います。

 

地方が舞台の小説と言えば、私の郷里熊本を舞台にすることが多いSF作家で、映画化もされた『黄泉がえり』の作者である梶尾真治の作品が思い出されます。

この人の作品に登場するのは私もよく知っている熊本市内の繁華街であったり、郊外であったりするので、読んでいてとても親しみを感じるのです。

多分、山形の人達も本書を読んで同様の思いを持つことだと思っています。

 

 

椎名留美はデリヘルのドライバー仕事に関連して知り合った橋立和喜子という女性から、息子の翼が行方不明になったので探してほしいという依頼を受けます。

母親の溺愛をいいことに女にだらしなく、いい加減な生活を送っていた翼がある日突然連絡が取れなくなったというのです。

翼の部屋にあったとある品物から浮かび上がってきたのが西置市内のNPO法人の代表者である吉中奈央という女性と、その側にいた西置市の東京事務所顧問だという中宇祢祐司という男でした。

こうして、前巻にも登場してきた畑中逸平・麗の元ヤンキー夫婦の手助けを得ながら探索を始めるのです。

 

本書『探偵は田園をゆく』は、こうして人探しというハードボイルドの王道の仕事を遂行する留美たちの姿が描かれていますが、主人公の椎名留美の背景も前巻より以上に詳しく語られています。

留美は両親に反対されながらも椎名恭司と結婚しましたが、知愛が生まれてからも、恭司が事故死してからも両親とは仲違いしたままでした。

代わりに義母の椎名富由子とはとても良好な関係を保っていて、恭司の死後しばらくは間をおいていたものの、今回の事件でたまたま再開してからは前以上に仲良くなっていくこと、などが語られています。

さらには留美が警察をやめるに至った事情についても明らかにされているのです。

前巻で、こうした事情がどこまで明らかにされていたかはよく覚えてはいないのですが、ここまで詳しくは明らかにはされていなかったと思います。

 

こうしてシングルマザー探偵の仕事ぶりが語られることになっているのですが、ただ、ミステリーとしての本書に関しては、今一つ感情移入できませんでした。

前巻は、それなりに面白く読んだ記憶しかありません。山形弁の女性探偵という設定もユニークだし、個々の話の内容もそれなりに惹き込まれて読んだと覚えています。

しかし、本書では敵役に今一つ存在感がなく、惹き込まれて読んだとまでは言えませんでした。

前作の個々の物語の登場人物たちのように、キャラクターが立っている印象が無かったことによると思います。

 

さらに言えば、最後のひねりにも少々無理筋なものを感じてしまったこともあると思われます。

本シリーズは、主人公にも、その周りの登場人物たちにも魅力的な人物が多く登場してきているので、もっと面白い差作品が出てくるものと期待して待ちたいと思います。

シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ

シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』とは

 

本『シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』は、一人娘を抱えたシングルマザー探偵を主人公とする、軽妙なハードボイルドミステリーシリーズです。

シングルマザーが主人公の山形弁が飛び交うローカル色豊かな作品であり、かなり面白く読んだ作品でした。

 

シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』の作品

 

シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ(2023年05月06日現在)

  1. 探偵は女手ひとつ
  2. 探偵は田園をゆく

 

シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』について

 

本『シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』は、一人娘を抱えたシングルマザー探偵を主人公とする、軽妙なハードボイルドミステリーです。

主人公は椎名留美というもと警察官です。夫の椎名恭司を事故で失ってからとある事情で警察を辞めることになり、一人娘の知愛を育てるためにも山形市で私立探偵を開業しています。

しかし、私立探偵とはいってもそうは仕事があるわけでもなく、実際は第一作の『探偵は女手ひとつ』で描かれている職業はスーパーの保安員やパチンコの順番取り代行、雪かきやさくらんぼの収穫の手伝いなど便利屋というべき現状です。

 

 

とはいえ、たまには私立探偵としての補助がいるときや、仕事の中で危ない場面に直面する場面などにボディガード的な立場で助けてくれる元バリバリのヤンキーだった畑中逸平の夫婦がいます。

また、元警察官ということもあってか、暴力団が絡む事案なども臆せずに手がけますし、その道へのつながりも持っています。

 

本シリーズの特徴は何と言っても山形を舞台に展開される地方色豊かな内容であって、登場人物もみんな山形弁を話していることでしょう。

この方言での会話という点は、わが郷土熊本の梶尾真治が熊本を舞台に物語を展開しているのと同じであり、実に親しみを感じます。

本シリーズは梶尾真治のほのぼの系のSF作品とは異なりあの深町秋生作品ですから、社会のダークな側面をこそ描き出すハードボールド作品ということで作品のタッチは全く異なります。

 

とはいえ、子持ちのもと警察官の探偵を主人公としているのですから、例えば『煉獄の獅子たち』のようなバイオレンス色が濃密な作品と違い、時には親子や家族の問題も絡ませた社会派的な側面も見せる物語となっています。

2023年5月の時点ではシリーズはまだ二作品しか出版されていませんが、今後の展開を期待したいと思います。

 

祝祭のハングマン

祝祭のハングマン』とは

 

本書『祝祭のハングマン』は2023年1月にハードカバーで刊行された長編のエンターテイメント小説です。

「どんでん返しの帝王」の異名を持つ著者中山七里の作品だけにかなりの期待を持って読んだのですが、期待とは裏腹の今一つと感じた作品でした。

 

祝祭のハングマン』の簡単なあらすじ

 

警視庁捜査一課の瑠衣は、中堅ゼネコン課長の父と暮らす。ある日、父の同僚が交通事故で死亡するが、事故ではなく殺人と思われた。さらに別の課長が駅構内で転落死、そして父も工場現場で亡くなる。追い打ちをかけるように瑠衣の許へやってきた地検特捜部は、死亡した3人に裏金作りの嫌疑がかかっているという。父は会社に利用された挙げ句、殺されたのではないか。だが証拠はない…。疑心に駆られる瑠衣の前に、私立探偵の鳥海が現れる。彼の話を聞いた瑠衣の全身に、震えが走ったー。(「BOOK」データベースより)

 

祝祭のハングマン』の感想

 

本書『祝祭のハングマン』は、著者の中山七里が“現代版必殺仕事人”を書いてほしいという依頼に応じて書き上げたものだそうです。

読み終えてみると確かに必殺仕事人の物語であり、池波正太郎の仕事人という立場の存在だけがそのままに現代社会に置き換えられた話でした。

 

本書の登場人物をみると、まず主人公は父の誠也と二人で暮らしている警視庁捜査一課に勤務する春原(すのはら)瑠衣という女性刑事です。

相棒の志木と組んで捜査に当たっていますが、当初交通事故と思われていた事案が人為的な事件の可能性が出てきたため、瑠衣たちが担当することになります。

その内に地下鉄駅の階段で似たような事件が起き、この事件の被害者もまた第一の事件の被害者と同じ会社の社員だったことから殺人の可能性が高くなってきます。

なかなか目撃者も現れないままに現場での捜査は続きますが、そこに刑事上がりの探偵の鳥海という人物が瑠衣の前に現れます。

鳥海は仲間の比米倉という男と共に事件を追っていたのですが、瑠衣にある話を持ちかけてくるのでした。

 

著者の言葉によると、現代社会では、「司法の世界は公正であるはずなのに、そこに格差が生まれている、あるいは生まれつつあるのでは」ないかという印象があったため、リアルな話としてかけるのではないかと思ったそうです( 本の話WEB : 参照 )。

ただ、本書を読んでいる最中から、このミステリーがすごい!大賞を受賞した『さよならドビュッシー』を書いた著者中山七里の作品とは思えない、という印象しかありませんでした。

 

 

とにかく舞台設定があらいのです。

主人公の女刑事がたまたまある交通事故の現場近くに居合わせ、その被害者がたまたま主人公の父親と同じ会社に勤務する会社員であり、その交通事故が殺人事件の可能性が高くなった時にたまたま主人公が担当することになります。

また、後に主人公に深くかかわることになる探偵が、自分たちの秘密を簡単に主人公に明かしてしまったり、自分たちの秘密のアジトに主人公を連れていったりもするのです。

 

結局、本書の物語世界が、登場人物が数人しかいないご都合主義の満ち溢れた狭い世界で完結する物語でしかなく、とても残念な印象しかありませんでした。

久しぶりに中山七里という作家の作品を読もうと思った出鼻をくじかれてしまいました。

もしかしたら、本書はシリーズ化されるのかもしれませんが、たぶんもう読まないと思います。

とにかく中山七里の作品とは思えない残念な作品でした。