完全黙秘 警視庁公安部・青山望

『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』とは

本書『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』は『警視庁公安部・青山望シリーズ』の第一弾で、2011年9月に文春文庫から411頁の文庫本書下ろしとして出版された、長編の警察小説です。

実に緻密に描き出される警察の各分野の捜査手法は読む人を選びそうで、個人的には没入する作品ではありませんでした。

『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』の簡単なあらすじ

財務大臣が刺殺された。犯人は完全黙秘。身元不明のまま起訴される。特命の極秘捜査にあたる警視庁公安部警部・青山望が突き当たったのは、政治家と暴力団、芸能界が絡み合う壮大な「戦後の闇」だった。捜査手法、情報戦の実態など公安出身者にしか書けない圧倒的なリアリティで描く、インテリジェンス警察小説の新シリーズ。(「BOOK」データベースより)

『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』の感想

本書『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』は『警視庁公安部・青山望シリーズ』の第一弾で、青山望を中心とする四人の警察官僚の活躍を描く作品です。

同期のキャリア四人の仲間のそれぞれの分野の捜査状況が詳細に描き出される本書はあまりに緻密に描かれすぎていて、個人的には感情移入する作品とは言えない作品でした。

 

四人が分担している警察の各分野とは、公安部、刑事部捜査一課、刑事部捜査二課、組織犯罪対策部の四つの分野であり、それぞれの特徴が描かれています。

そもそも本書は、財務大臣が刺殺され犯人は捕まったものの完全黙秘を貫いている、という事件が発端です。

公総課長からこの事件を担当するよう言われた主人公の青山望が、警察学校在学中から「古川カルテット」と呼ばれた同期の力を借りて事件に隠された真実を暴き出すのです。

 

その同期の「古川カルテット」を見てみると、まずは中央大学剣道部出身で警視庁公安部公安総務課第七事件担当係長の筆頭警部である青山望警部、三十七歳がいます。

次いで早稲田大学野球部の捕手だった警視庁組織犯罪対策部組対四課事件指導第一係長の大和田博警部、筑波ラグビー部スタンドオフだった警視庁刑事部捜査一課事件指導第二係長の藤中克範警部、そして関西学院アメリカンフットボール部ディフェンスラインだった警視庁刑事部捜査二課係長の龍一彦警部という三人がいるのです。

この四人が、それぞれの分野で、つまり公安、刑事、経済、暴力というそれぞれの分野のエキスパートとして当該事件の裏側を暴き出していくことになります。

 

そもそも青山望が、縦割りの行政システムにおいて複数の担当課にわたる事件を総合的にまとめて事件化する総括事件処理担当係長という立場にあるのも、警視庁内に上記のような仲間を始めとする横の連絡網を持っていたからでした。

そして、青山が命じられたテロ事件の調査を始めると、過去に警視庁内で発生した事件で完全黙秘の結果、被告人名が「蒲田一号」として結審した公防事件があることを知ります。

こうして財務大臣に対するテロ事件の背景を調べていく過程で、この事件が広大な広がりを見せていくことに気がつき、同期の仲間の力を借りることになるのでした。

 

通常は公安警察員が主人公になっている作品と言えば、リアルさを重視すれば手嶋龍一の『鳴かずのカッコウ』や、竹内明の『背乗り ハイノリ ソトニ 警視庁公安部外事二課』などが挙げられると思います。

そこにエンターテイメント性を求めれば、なんと言っても公安警察の驚愕の真実が日中にまたがる諜報戦争とともに暴かれていく、日本スパイ小説の大収穫でありエンターテインメント小説の最高峰ともいえる麻生幾の『ZERO』(幻冬舎文庫 全三巻)という大作がありますし、もう少し軽く読みたいのであれば今野敏の『倉島警部補シリーズ』などがあります。

 

結局、本書は警視庁公安部に所属する青山望を主人公とする公安警察の物語のようではありますが、全体としては警察全般の職種を動かす作品になっていると言えます。

警察という組織のそれぞれの職種とその機能の緻密な紹介を兼ねながら、エンターテイメント小説として組み立てられているのです。

ですから、リアルな警察小説が好きな人たちにとっては本書はかなり好感をもって読まれると思います。

それほどに物語としては実に面白い作品だと思います。ただ、個人的にはもう少し軽く読める作品のほうが好みだと言うだけです。

 

蛇足ですが、私は九月半ばからシルバーウイークの間、緑内障の手術のため入院していました。

本書はその入院中に読んだ作品であり、その内容を詳細に覚えているわけではないので細かな点で齟齬があるかもしれませんので、その点はご容赦ください。

六機の特殊 警視庁特殊部隊

『六機の特殊 警視庁特殊部隊 〈新装版〉』とは

本書『六機の特殊 警視庁特殊部隊 〈新装版〉』は『六機の特殊シリーズ』の第一弾で、徳間書店から2002年8月に新刊書が、2005年4月に文庫本が刊行され、2022年6月に528頁の新装版文庫が出版された連作の短編小説集です。

全六話からなるこの作品集は、訓練の様子や銃器の紹介はかなりリアルな惹きこまれて読んだアクション小説でした。

『六機の特殊 警視庁特殊部隊 〈新装版〉』の簡単なあらすじ

記憶力だけが取り柄のキャリアに、命を預けられるか!現場からの批判を鎮めようと警察上層部は警備二課付き土岐悟を、第六機動隊特科中隊(SAT)第四小隊長に起用した。若いキャリアを危険に晒すことによって風当たりを逸らそうという魂胆だった。組織内の確執とも闘いながら、選りすぐった熟達の部下達との鍛錬の日々を経て通称“六機の特殊”は期待以上の目覚ましい成果をあげて行く!(手に汗握るアクション&タクティクス)(「BOOK」データベースより)

『六機の特殊 警視庁特殊部隊 〈新装版〉』の感想

本書『六機の特殊 警視庁特殊部隊 〈新装版〉』は『六機の特殊シリーズ』の第一弾で、全六話からなる連作の短編小説集です。

警視庁警備部第六機動隊特科中隊第四小隊、通称SATのリアルな実態を描いたアクション小説です。

 

本書の主人公は、第六機動隊特科中隊第四小隊のキャリア出身の土岐悟という小隊長です。

現場のノンキャリアの隊員たちからのキャリアへの批判をかわすために任命された人材ですが、努力の末にほかの隊員にも負けない身体と精神力を備えた人物です。

本書ではこの土岐警部を中心とした第四小隊の仲間の活躍が描かれます。

土岐は、井上始、藤木元弥、甲斐達哉、そして一番若い武南敏樹といった隊員たちを、最年長の水戸要一の力を借りながらまとめ上げているのです。

 

本書の特徴はなんと言っても銃器や装備、特科中隊の訓練の様子についての緻密な描写にあると言えます。

なにしろ巻末に挙げられている主要参考文献だけでも文庫本で四頁半にいたります。その他に同じ作者の『警視庁心理捜査官』で挙げられている文献は除いての話ですから大変です。

でも、そのおかげで隊員たちの有する銃器の描写などのリアルさは今まで読んだアクション小説の中では一番ではないでしょうか。

銃器の詳細な描写と言えば大藪春彦の作品が思い出されます。口の悪い人からは大藪春彦の作品は銃と車と女以外にはなにもない、などと言われた作家です。

しかしながら、その作品は私がハードボイルド作品にのめり込むきっかけとなった『野獣死すべし』や『蘇る金狼』などがあり、その迫力には舌を巻いたものでした。

ちなみに、上記両作は松田優作主演で映画化され、かなりヒットしています。

 

「第一話 出動の夜」では、小隊長の土岐悟と彼が率いる第六機動隊特科中隊第四小隊の紹介を兼ねるとともに、初めて出動することになった銀行強盗事件の顛末が描かれます。

キャリアとして現場に出る土岐の苦悩とそれに対する上層部の対応などが描かれ、かなり読み応えのある作品になっています。

この第一話だけで125頁にもなる作品で、中編作品というよりも一編の長篇と言ってもいいのではないかという気さえしたほどでした。

 

「第二話 牧羊犬」では、全国警察特殊警備部隊訓練競技大会の様子と、その講評を行った独国国境警備隊第九部隊(GSG-9)のベテラン隊員のクルツ・シェーファー中佐との関係が描かれます。

過酷な訓練に明け暮れた男たちの矜持と連帯、覚悟などがよく描かれた私の好きな作品でした。それだけではなく、土岐とシェーファー中佐とのやり取りなどでは、自分に対して厳しい基準を持つ人のストイックな姿が心に響いてもくるのです。また終盤の流れはベタではありますが私が好ましく思う展開でした。

 

「第三話 捜索及び救助」では、土岐は病気で療養することになった機動救助隊第三小隊の小隊長に代わり退院まで代行を務めるようにとの命が下ります。

機動救助隊とは、警察と消防のそれぞれに設置されている、専門的な技術と装備で災害対応を行う救助隊( ウィキペディア : 参照 )で、警察では物損や人身事案に対処する、とありました。

機動隊内部のほかの部署の紹介を兼ねた物語であり、土岐はマンション火災現場での人命救助に参加することになります。

やはり、人命救助のために訓練を重ねている機動隊員の厳しい訓練の様子や、消防の現場での命がけの実態が描かれているのです。

 

「第四話 小さき願いに応えるものは」では、少々毛色の変わった事案が紹介されています。

この話では、特科中隊としてではなく、その有する特殊技能を生かして刑事捜査の手伝いをすることになります。つまり秘匿監視です。

何よりも高度な秘密保持が要求される誘拐事案での、最後の数分のために必要な偽装技術をフルに生かしてひたすら監視をするという事案です。

ただ、若干オカルトめいた話であり、本書を貫く仏教感の一つの顕現かもしれません。というよりも、宗教以前の問題だとは思います。

 

「第五話 紫苑・・・狙撃手は、とおい人を想う」では、刑事部との連携を考慮し、特殊銃手の増員をも考慮する土岐の姿があります。

土岐は即応突入小隊とした位置づけていた第四小隊を、より一層有効な部隊にするために増員したいという考えを持っていました。

そこで、土岐の頭には突入班員としての候補者として「第三話 捜索及び救助」に登場してきた牧場和弘巡査を考えていたのです。

また、たまたま通信機器の不具合の実態を知るべくやってきた本庁通信情報局通信企画課の村上真喩という女性が、試しに撃った狙撃練習用の空気銃に意外な特性を見せていたのです。

 

「第六話 反逆の遠い調べ」は、ハイジャック事件に臨場する土岐たち第四小隊の物語です。

キャリアとしての土岐には異動の話が起きていました。それも県警の捜査二課という刑事部への異動であり、警察庁出向の警察官僚が課長を務めるのが慣例となっていたのです。

そんな時に、函館発羽田行きの日本航空国内便がハイジャックされたとの一報が入ります。「救済の信者」教団の教祖開放要求という事件ですが、土岐たちも現場へ乗り込むことになります。

この事件とは別に、現場はノンキャリアに任せればいいという五反田篤志警部との確執も描かれており、この二人の関係性もまた見どころです。

 

上記のような土岐の突入隊員としての物語のほかに、土岐の恋人の相川美季との進展も各章での事件ごとに段階を踏みながら進んでいく様子も描かれていて、息抜きではありませんが、心地よい雰囲気を醸し出しています。

警視庁公安部喫茶課

『警視庁公安部喫茶課』とは

本書『警視庁公安部喫茶課』は、2026年1月にサンマーク出版から448頁のソフトカバーで刊行された、連作短編の警察小説集です。

どこかユーモラスで、またエッセイのような軽さを感じる文章でありながら、しかし公安警察の基本を丁寧に説明しながらも事件に挑む主人公の姿が描かれている何とも不思議な印象の作品でした。

『警視庁公安部喫茶課』の簡単なあらすじ

“喫茶ハム屋は困り事を解決できるらしい”どこからか噂は流れ、ママ友の抗争からJKのいじめ、日本を揺るがすサイバー犯罪まで、今日も悩み相談が舞い込むー。(「BOOK」データベースより)

『警視庁公安部喫茶課』の感想

本書『警視庁公安部喫茶課』は、実にリアルに公安警察の業務を描いた警察小説ではあるのですが、ユーモアを秘めたお仕事小説です。

文章は軽く読めるエッセイのようでありつつも、生活に根付く身近な相談事を公安のテクニックを用いてユーモラスにこなしていきながら、その延長線上に国際的なスパイ活動の実態へと読者を導きます。

何ともとりとめのない作品であり、公安警察の基本を丁寧に説明しながらも種々の事件に挑む主人公の姿が描かれている不思議な作品でした。

 

主人公は、身長180センチ超のそれなりに存在感のある体格で「喫茶ハム屋」の店長をしている、かつて警視庁公安部で情報活動を行っていた稲見という男です。

この「喫茶ハム屋」は普段はほどんど客はおらず、茶色のトラ猫「ヒナ」と、お腹が真っ白で小柄な「ユーリ」という二匹の猫がのんびりと過ごしています。

本書の作者の名前が「陽向悠里(ひなたゆうり)」であることからしても、二匹の猫の名前についての著者の遊び心が垣間見えます。

 

この稲見のもとに「挨拶しても無視される同じマンションの住民」や、「ママ友LINEグループでのいやがらせ」、「女子高生同士のいじめ」( 本とTREE : 参照 )といった相談事が持ち込まれ、それをスパイのテクニックを駆使して解決するのです。

そんな出だしの本書であり、なんということもないユーモラスな作品くらいに思っていたら、途中から少しずつ雰囲気が変わってきます。

いや本当は冒頭からスパイ用語の解説が別枠で儲けられていたりする変なレイアウトであり、単なるユーモア作品とは違う印象はありました。

しかしながら、「ハム屋」に持ち込まれる相談が、はっきり言ってどうでもいいことであることもあって、公安の活動が本格的に描かれる作品だとは思えなかったのです。

 

でも、物語の方向がスパイの専門的な言葉について別枠での説明が加えながら展開されていくにつれ、当初思っていた内容とずれが生じてきます。

そして、上司の指示に従って連絡員と会いながら使命を消化していく主人公姿が描かれていくのです。

とはいえ、麻生幾の『ZERO』(幻冬舎文庫 全三巻)のような、また竹内明の『背乗り ハイノリ ソトニ 警視庁公安部外事二課』のような公安警察員が主人公となる作品とはかなり異なります。

 

当初述べたように、本書の場合、物語は随筆かエッセイと呼ぶしかないような軽いタッチで展開されていきます。

とても日本国を背負った活動につながるとは思えないのです。

逆を言えばそうしたタッチだからこそ公安活動の実態が見えるのだと言う人も出てきそうな文章です。

どちらが個人的な好みかと言えば、麻生幾であり竹内明ではあります。

しかし、本書は手嶋龍一の『鳴かずのカッコウ』のような、公安職員の現実の活動に即した地味な活動を描いた作品の流れにあると言えます。

本書のような作品も、リアルな公安活動の実態を知り、また、たまの気分転換のような意味合いではいいのかもしれません。

陽向 悠里

※ 陽向悠里:作品一覧(Amazonの頁へリンク)

『陽向悠里』のプロフィール

元公安部捜査官。諸外国によるスパイ活動の捜査経験を持つ。水面下で進む外国工作員の活動を間近で見た経験をきっかけに、諜報やヒトをテーマとした作品を執筆。現在も諜報活動やヒトの弱さに関する分析を行い、現場を知る実務力と知見を武器に、企業向けにインテリジェンス関連の支援を行う

引用元:HMV

『陽向悠里』について

現時点ではありません。

柩の狩人

『柩の狩人』とは

本書『柩の狩人』は『狩人シリーズ』の第六弾で、2026年5月に幻冬舎から644頁のハードカバーで刊行された、長編の警察小説です。

シリーズ第五巻『冬の狩人』同様にこのシリーズの近時の傾向のままに、佐江刑事の物語として展開されています。

『柩の狩人』の簡単なあらすじ

老朽化したビルが突如崩落。その夜、歌舞伎町に轟音が響いた。死者10名、負傷者8名。未曽有の大惨事の中、警視庁は二人の遺体の特定に難航する。それは、背中に虎の入れ墨のある男と、名義の異なる複数の会員証を持つ女だった。二人の身元特定を頼まれた新宿署の佐江は、死者の中に後輩刑事・滝の名を見つける。だが池袋分駐所に配属される滝が、現場にいたことに違和感があった。彼は何をしていたのか?同じ疑問を持った滝の元妻の秋絵と共に、佐江は犠牲者たちの足取りを追う。すると、18年前に起きたある未解決事件と滝との繋がりが発覚。死者の中に未解決事件の関係者がいたのではないかー。捜査は予期せぬ方向へと転がり始める。新宿署の一匹狼が、“柩”に葬られた謎を追う。予測不能。極上のノンストップ・エンターテインメント!(「BOOK」データベースより)

『柩の狩人』の感想

本書『柩の狩人』は『狩人シリーズ』の第六弾で、新宿署の型破り刑事を主人公とした長編の警察小説です。

著者の大沢在昌らしい濃密なハードボイルド作品であり、警察小説です。

 

このシリーズ当初に見られた、巻ごとに異なる主役とその脇を支える佐江刑事という物語ではなく、佐江刑事個人の物語として描かれる近時の傾向のままの物語でした。

本『狩人シリーズ』は、巻ごとに登場する個別の魅力的な登場人物の活躍があって、そこに佐江がからむ点こそが魅力の物語だと思っていました。

しかし、先に述べたようにここ数巻では佐江刑事個人の物語として描かれるようになり、本書もその例にもれず佐江刑事の活躍を中心に描かれた作品となっています。

 

ただ、だから本作品が面白くない、と言っているわけでは決してなく、エンタメ作品として面白いのはもちろんです。

本書は先に書いたように新宿署の型破り刑事を主人公としていますが、大沢在昌の作品にはもう一人新宿署の型破り刑事が存在します。それが『新宿鮫シリーズ』の鮫島刑事です。

本書中でも「新宿署には永年、異動の対象とならない警察官が二名いる。一名は生活安全課の警部で、もう一名が佐江だ。」と触れられています。

両方のシリーズのファンとしては、二人の主人公が同じ物語世界で共存しているという設定は実に楽しみなのですが、この頃の佐江の物語はそのまま鮫島に置き換えても成立するのではないかと思えるのです。

もちろん、鮫島と佐江とではキャラクターは異なるし、キャリアである鮫島に対する晶という恋人の存在があるなど、二人の間には大きな差があるのはわかっています。

結局は、シリーズ初期のような作品が好みだと言っているだけです。

 

物語は、さすがに作者の大沢在昌の物語らしく複雑で、当初は新宿の中華料理店の入ったビルの崩落事故から始まった話が、日本のやくざはもちろん、中国系マフィアや北朝鮮工作員まで絡んでくるようになります。

その上で、話をまとめていくのですからさすがです。

 

新宿歌舞伎町の「東京油脂ビル」通称「アブラビル」の四階の床が崩落し、そのビルで唯一営業していた老舗の中華料理店の客から複数の死者を出す大事故が起きます。

死者の中には佐江の知り合いだった機捜時代の佐江の後輩の滝刑事がいましたが、佐江には身許不明の二人の死者について調べてほしいとの命が下ります。

ところが、その身元不明の死者の背後には思いもかけない事実が隠されていたのです。

 

佐江刑事個人の物語になっているとはいっても、本書でも佐江と共に調査を手伝う仲間が登場します。

その一人が、この事故で死んだ滝刑事の元妻で、探偵会社「女の砦」の所員だった山崎秋絵という女性です。

池袋分駐所勤務だった滝が、何故新宿の取り立てておいしいわけでもない中華店に一人でいたのか、その理由を知りたいと調査に乗り出していたのです。

 

そしてもう一人、元公安調査官の生命保険調査員の井川一郎という男も登場しますが、この人物は登場時はこの物語の主軸となるかと思えたのですが、そういうことでもありませんでした。

そのことは、秋絵にしても同様で、どうしても佐江の存在感には勝てないのです。

 

物語の流れ自体は、さすがに作者の大沢在昌の物語らしく、かなり複雑で気を抜くとおいていかれそうになります。

こうしたストーリーは、物語を書き初めには何も決めていないと言うから驚きです。でありながら、最終的には物語が破綻することもなく、一応の解決を見るのはさすがだと思います。

ただ、このシリーズはファンではあるだけに佐江が脇に回り、主役との関係性を中心に描かれるような物語をこそ期待したいと思います。

血は争えない

『血は争えない』とは

本書『血は争えない』は2026年4月に双葉社から472頁のハードカバーで刊行された、長編のアクション・エンタメ小説です。

新宿は歌舞伎町を舞台にしたあるヤクザの人生を描いた作品ですが、この作者の作品にしては今一つのめり込めない作品でした。

『血は争えない』の簡単なあらすじ

ページをめくるたび死の匂いが強まるー令和最高のヤクザ・アクション・エンタメ小説!1970年、母を亡くした15歳の不破隆次は、新宿・歌舞伎町の支配者である実父・王大偉に会いに行くが、相手にもされなかった。絶望の底で異母兄のヤクザ・近藤に拾われた不破は、王一族を守る「盾」として、血と暴力の道へと身を投じる。対立組織を拳ひとつで壊滅させ、一般人すら容赦なく蹂躙するその凶暴性から、いつしか「歌舞伎町の狂王」と呼ばれる。昭和から平成、王一族に害をなすヤクザ・警察官・政治家を次々と葬り死刑判決が下された史上最悪のヤクザだったが、その体に流れる「王の血」には、決して暴いてはならない禁忌の秘密が隠されていたー。(「BOOK」データベースより)

『血は争えない』の感想

本書『血は争えない』は、新宿歌舞伎町を背景とした不破隆次というヤクザものの人生を描いた作品です。

この作者お得意のバイオレンス作品ですが、物語としては今一つの面白さでした。

 

とはいえ、双葉社の文芸総合サイト「COLORFUL」では2025年の年間ランキング1位を獲得し、累計177万PVを突破した話題作だそうです( COLORFUL : 参照 )。

でも、同じ深町秋生のヤクザものである『ヘルドッグス 地獄の犬たち』などと比べると、物語のスケールも登場人物のキャラクターも及ばないと感じたのです。

確かに、『ヘルドッグス 地獄の犬たち』は警察小説でもありジャンルは異なるのかもしれませんが、物語の舞台はヤクザの世界であり、暴力、それも過剰な暴力描写があふれている点では同様です。

しかし、本書の場合、主人公の暴力が小さくまとまっているように感じたのです。

多分、それは暴力自体を物語の中に特別に位置づけていない『ヘルドッグス 地獄の犬たち』と異なり、本書の場合、不破隆次の生き方が王一族を守るという目的に縛られていることからくるのではないかと思います。

 

王一族は歌舞伎町を牛耳る総帥で政界やヤクザとも黒い繋がりを持つ台湾出身の権力者の王大偉を家長とし、その父の元で企業の経営を任されている長男の王英輝と次男の智文がいます。

ほかに、主人公の不破隆次が王大偉に会いに行ったとき放り出されそうになっていたのを助けてくれたのが、王大偉が正妻以外の女に産ませた暴力団岡谷組若頭の近藤傑志です。

これらの登場人物は個性的ですが、人気投票をしたら多分一番になるであろう人物がこの近藤です。

 

本書の主人公の不破隆次は、癌で死んだ場末のストリッパーだった母親の有紀子から、父親は新宿の「王大偉」であることを聞かされて育っていました。

隆次は、幼いころ土地の子供たちから石を投げられて左目の視力を失ってもいましたが、現在では歌舞伎町の裏社会を支配する王一族の一員であることに誇りを感じ、一族の力になるために必死で生きているのです。

そして、昭和45年、昭和53年、昭和62年、平成8年、平成14年、令和6年と時代は移り、それに合わせ主人公もまた成長し、王一族もまた数々の出来事に見舞われることになります。

その過程で、自分の生き方を王一族の守護という生き方に限定したものと思われます。

 

話は変わりますが、私は昭和45年大学浪人のために早稲田大学近くの新宿外山町にあった箱根山のふもとに下宿し、新宿三丁目末広通りにあった郷土熊本のラーメンチェーン店でアルバイトとしてラーメンを作っていたのです。

まさに本書と同じ時代の新宿で青春を送っていたのであり、本書でコマ劇場をはじめとする新宿の街の描写はなつかしさでいっぱいでした。

 

その新宿の街で繰り広げられる物語は、私の個人的な感想にもかかわらず、それなりに評価され、人気を博しているクライムストーリーです。

バイオレンス物語が好きな人にはたまらない物語なのかもしれません。

アトミック・ブレイバー

『アトミック・ブレイバー』とは

本書『アトミック・ブレイバー』は、2025年10月に光文社から464頁のハードカバーで刊行された、長編のエンターテイメント小説です。

近未来の世界で、ネットワーク上で展開される情報戦そして格闘ゲームが中心の、個人的には今一つの作品でした。

『アトミック・ブレイバー』の簡単なあらすじ

決めてほしいんだ、人類の行く末を。小型核爆弾による世界同時多発テロ《ヴァージン・スーサイズ》から27年。平凡なサラリーマン・堤下与太郎は、愛用している国家推奨の睡眠補助アプリ《ORANGE》をハッキングされていた。友人の天才プログラマー・西丸昴の仕業らしく、《ORANGE》の周波学習機能で与太郎だけが格闘ゲーム《アトミック・ブレイバー5》の西丸改造版をプレイできるように教育されたのだ。西丸の行方を追う国家機関・平和安全庁と、謎の反社会的組織《ウリヨラ教》による与太郎争奪戦が勃発。わけがわからないまま西丸版アトブレ5をひたすらプレイし続ける与太郎だが、次第にゲームの勝敗が人類の未来を左右する重大なシステムに関わっていることがわかりー。ゲームに勝って、世界を救え!正気じゃないエネルギーがあなたに呼びかけるエンタメ大作、誕生。(「BOOK」データベースより)

『アトミック・ブレイバー』の感想

本書『アトミック・ブレイバー』は、平凡なサラリーマンが格闘ゲームを勝ち抜くことで世界的な惨事を未然に防ごうと活躍するエンターテイメント小説です。

でも、こう言い切ってしまうと、本書がネットワークを駆使した管理社会下での抵抗勢力、特に一人のハッカーの戦いをエンタメ的に描き出しているという本質を見失うことになりそうです。

 

本書の舞台は、「ヴァージン・スーサイズ(VS)」と呼ばれる欧州を中心とする五つの首都でほぼ同時に小型核爆弾が爆発したテロ事件後の世界であり、その五つの都市の一つに「東京」も含まれていたという設定です。

この社会では、対テロリスト対策のために国民の情報は個々人に埋め込まれたチップを通して生体電子住民票を得ることが普通であり、極限にまで管理されています。

また睡眠補助アプリケーション「ORANGE」によって心地よい睡眠を得るとともに、睡眠学習も進んでいます。

こんな管理社会に反対する一派がいて、国家との軋轢を生んでいるというのです。

 

本書は、この作者の『爆弾』やその続編の『法廷占拠 爆弾2』でのスズキタゴサクが存在感を発揮した世界とは異なり、今一つのめりこめない作品でした。


SF的な設定のもと、この作者らしいアクション場面やロジックの展開も見られ、作品自体の面白さがないというわけではありません。

この作者らしく各場面の書き込みも細密であり、ほかの作者であれば数行で済みそうなところを時には数頁かけて描写してあり、かなり重厚な作品になっています。

しかし、本書に限って言えば、通常であればリアリティを増すであろうこの手法も、まだ物語が本格的に展開する前は冗長に感じられたのです。

冗長に感じた理由として、背景となる舞台設定が今一つ分かりにくいということがあると思います。

というのも、上記のような世界を前提としたいくつかの勢力が入り乱れ展開される物語であるため、若干世界観をつかみにくいのです。

 

たしかに、主人公の与太郎の運命を見ると正体不明の力により拉致されたり、拷問を受けたりとミステリアスに展開していて、理不尽な扱いを受ける理由が明かされることを期待するものではあります。

さらには、この作者ならではの論理の運びに魅了されるところも少なからずありました。

ただ、その謎解きがなかなかに始まりません。それどころか、与太郎しかできないゲームの描写が続き、この点が私の感覚と合わなかったのだと思います。

私が本書に共感できなかった大きな理由の一つに、この与太郎が遊ぶ格闘ゲームが重要な意味を持っていることも挙げられます。

というのも、与太郎がのめり込んでいる格闘ゲームを私はほとんど経験したことがなく、ボタン操作の描写にあまりその実感を感じることができなかったのです。

 

ちなみに、作品の中で戦われるゲームが人類に未来にかかわってくる、という本書を読んでいると、すぐにオーソン・スコット・カードの名作SF『エンダーのゲーム』を思い出しました。

しかし、本書はその作品とはかなり内容が異なるものでしたが、『エンダーのゲーム』も名作であり一読に値する作品だと思っています。

この『エンダーのゲーム』はハヤカワ文庫SFから上下二巻の新訳版が出ており、下記はその上巻だけを載せています。

 

繰り返しますが本書は同じ呉勝浩の『爆弾』で見られたようなサスペンス感に満ちた物語の展開があるかと言えば、それはありません。

それでも投げ出さずに読み通したのは、やはりこの作者の作品で最初に読んだ『スワン』や『おれたちの歌を歌え』を面白く読んだという思いがあったからです。

そして、そうした面白さがあることを頭から否定もできないところが難しいのだと思います。

 

ちなみに、こうした濃密な物語世界が構築されている作品と言えば、近年の作品で言えば、まずは1980年代のバブル景気を時代背景として、一人の青年僧が伝統仏教最大宗派の宗教法人の組織内部をのし上がっていくノワール小説である、月村了衛の『虚の伽藍』を思い出します。

また、満州国を時代背景として、架空の街を主な舞台としながら複数の人間の数十年を描く群像劇である小川哲の『地図と拳』などの作品も挙げてもいいかもしれません。


 

ともあれ、重厚で読み応えのある作品、若しくは重厚ではあってもゲーム感の漂う作品を好む人にとってはかなり面白く読める作品ではないでしょうか。

ただ、私が関心の持てるポイントからは微妙にずれていたために今一つ飲める混むことはできなかったというだけです。

次回作に期待したいと思います。

イクサガミ 人

『イクサガミ 人』とは

本書『イクサガミ 人』は『イクサガミシリーズ』の第三弾で、2024年11月に講談社から528頁の文庫書き下ろしとして出版された、長編のアクションエンターテイメン小説です。

久しぶりの純粋な時代劇アクションエンターテイメントである本シリーズは、三巻目の本書に至ってもなおその面白さを維持していました。

『イクサガミ 人』の簡単なあらすじ

東海道を舞台にした「蠱毒」も、残り二十三人。人外の強さを誇る侍たちが島田宿で一堂に会した。血飛沫の舞う戦場に神と崇められる「台湾の伝説」が現れ、乱戦はさらに加速するー!数多の強敵を薙ぎ倒し、ついに東京へ辿り着いた愁二郎と双葉を待ち受ける運命とは。疾風怒涛の第三巻!(「BOOK」データベースより)

『イクサガミ 人』について

本書『イクサガミ 人』は『イクサガミシリーズ』の第三弾で、シリーズを通しての面白さは三巻目の本書でも持続していました。

というよりも、アクションの側面に関しては一定のレベルの参加者だけが残っている三巻目のほうが派手になっていると言えそうです。

 

前巻の終盤では、貫地谷無骨も送り込まれていた浜松郵便局での戦いが描かれていましたが、本書ではそこから何とか逃れ出た嵯峨愁二郎たちの姿から始まります。

また、愁二郎たちと別れ、ひとり蠱毒という仕掛けの秘密に迫るために富士の裾野を襲った柘植響陣の姿も描かれ、その響陣もまた後に島田宿での壮絶な戦いへとなだれ込んでいきます。

 

この島田宿での戦いが本書の中盤の山場です。この場面で中心となって活躍するのが、愁二郎、双葉、進次郎、彩羽らですが、その他にカムイコチャや中国武術の達人である陸乾もともに闘うことになります。

ほかにも、銃の達人である自見隼人、薙刀使いの楓などここまで生き残っている中の十数人の蟲毒参加者が互いに戦うことになるのです。

というのも、ここ島田宿で巻き起こった危険が「台湾の伝説」で神と崇められている眠(ミフティ)がまき散らした毒により引き起こされたものだったので、ともに戦うことになったのです。

 

単にアクションだけでなく、まさに山田風太郎の作品のように明治期の政治的な抗争をも背景として物語の展開を見せるという伝奇小説的な面白をも見せてくれます。

そもそもこのシリーズでは、当初から参加自体が無謀と思われていた双葉という少女と主役の愁二郎とが共に行動することになったところから、双葉も最終巻まで生き残るであろうところまで想像はつきます。

そのうえで、双葉や進次郎らの成長もまた見どころの一つと言えると思います。この蟲毒という戦いの中で一番に殺されそうな双葉や進次郎がここまで生き残れている理由は愁二郎たちの庇護だけではないところも見せてくれるのです。

 

そして、物語は本書のクライマックスへとなだれ込んでいきます。

場所は横浜。明治政府の裏面史を絡ませながらも、剣や体術の使い手たちを一堂に集めたこの戦いも終わりに近づいています。

貫地谷無骨、岡部幻刀斎といったバケモノのような強さを持った人物たちももちろん登場します。

東京へ入れるのは九名だけという制限の中で誰が生き残るのか。

そして、全三巻のシリーズものという従来の情報は何だったのか、という気もしますが、これまでの『天』『地』をさらに超える528ページという長さの本書でも収まりきらずに、最終巻として464頁の『神』巻へとなだれ込んでいくのです。

どういう結末になるのか、久しぶりの伝奇アクションエンターテイメント作品への期待はさらに高まっているのです。

逃亡刑事

『逃亡刑事』とは

本書『逃亡刑事』は『高頭冴子シリーズ』の第一弾で、2017年11月にPHP研究所から326頁のハードカバーで刊行され、2020年6月にPHP文芸文庫から288頁の文庫として出版された、長編の警察小説です。

男勝りで、だれからも恐れられている女性刑事が、とある刑事の殺害現場に居合わせた少年を守りながら、濡れ衣を着せられたため警察を相手に逃亡しながら真実を探り当てるというミステリー作品です。

これまで読んだ中山七里の作品の中では個人的にはあまり高い評価をつけることはできない作品でした。

『逃亡刑事』の簡単なあらすじ

単独で麻薬密売ルートを探っていた刑事が銃殺された。千葉県警刑事部捜査一課の高頭班が捜査にあたるが、事件の真相を知った警部・高頭冴子は真犯人に陥れられ、警官殺しの濡れ衣を着せられる。自分の無実を証明できるのは、事件の目撃者である八歳の少年のみ。少年ともども警察組織に追われることになった冴子が逃げ込んだ場所とは!?そして彼女に反撃の手段はあるのか!?息をもつかせぬノンストップ・ミステリー。(「BOOK」データベースより)

『逃亡刑事』について

『高頭冴子シリーズ』の第一弾である本書『逃亡刑事』は、刑事殺しの濡れ衣を着せられたために警察を相手に逃亡しながら真実を探り当てるミステリー作品ですが、個人的にはあまり高い評価をつけることはできない作品でした。

本書の主人公の高頭冴子は、周りからはアマゾネスといわれるほどに体格もよく、実際にチンピラを腕力で簡単にねじ伏せたりするほどの力を持った女性です。

例えば、取調室で鯖江という広域暴力団宏龍会の構成員を相手に鯖江が握り潰した珈琲缶をさらに圧し潰してしまうというパフォーマンスを見せています。

 

こうしたパワフルな女性を主人公にした警察作品は少なからず存在します。

例えば、逢坂剛の『禿鷹狩り 禿鷹4』(幻冬舎文庫 上下二巻)に登場する岩動寿満子という女性刑事です。

この女性は主人公である禿富鷹秋刑事の敵役として登場する女版のハゲタカであり、その個性は強烈です。

また、体格こそ本書の高頭冴子のようではありませんが、やっていることはあまり変わらない女性刑事として 深町秋生の描く『組織犯罪対策課 八神瑛子シリーズ』(幻冬舎文庫 全五巻)
を挙げてもいいのかもしれません。


 

話をもとに戻しますが、その腕力、行動力共に男勝りの高頭刑事が罠に陥り、刑事殺しの犯人に仕立て上げられ、警察署全体から追われる羽目に陥ります。

その上、自分の無実を証明する手立てでもある、その刑事殺しの現場に居合わせ、犯人を目撃した少年を保護しながらの逃避行ということになるのです。

この御堂猛という八歳の目撃者の少年は、児童養護施設で職員からの日常的な暴力に遭っており、施設からの逃亡の末に隠れていた家屋で犯行を目撃したものでした。

この少年を連れての逃亡劇は、思いもかけない人物を引き入れることになるのです。

この人物の手助けを得ての逃亡の末、高頭刑事はどのように復権を果たすか、その手際が読みどころであるのは言うまでもありません。

 

ただ、「どんでん返しの帝王」という異名を持つほどの作家の中山七里作品にしてはベタといってもいいほどの展開であり、期待に応えた作品とは言えなかったのです。

本書に続いて『越境刑事』『武闘刑事』と高頭刑事を主人公とする作品がシリーズ化されているそうですが、たぶん読まないのではないでしょうか。


逃亡者は北へ向かう

『逃亡者は北へ向かう』とは

本書『逃亡者は北へ向かう』は、2025年2月に新潮社から384頁のハードカバーで刊行された、長編のクライムサスペンス小説です。

東日本大震災を背景にした犯罪者とその男を追う刑事の物語で、人間の生き方を問うヒューマンドラマでもあります。

『逃亡者は北へ向かう』の簡単なあらすじ

雪がちらつく3月の東北ー。震災直後に殺人を犯してしまった真柴亮。一通の手紙を手に北へ向かう途中、家族とはぐれた子供と出会う。一方、刑事の陣内康介は、津波で娘を失いながらも真柴を追うー。震災の混乱のなか、ふたつの殺人事件が起きた。逃亡する容疑者と追う刑事。ふたりはどこへ辿り着くのかー。(「BOOK」データベースより)

『逃亡者は北へ向かう』の感想

本書『逃亡者は北へ向かう』は、東日本大震災を背景にして一人の若者が犯罪者となり逃亡する姿と、彼を追う一人の刑事をとおして人間の生き方を考ええしまう作品になっています。

ストーリー自体は、普通に生きているなか、突然の理不尽な出来事から逃れようとしただけで犯罪を犯すことになってしまった一人の青年の物語であり、ありがちな流れだと思いつつ読み始めました。

 

真柴亮は、自分の連れが半グレ相手に起こした喧嘩に巻き込まれ、正社員になる話どころか仕事まで失い、最終的にはその半グレだけでなく、逃げる途中で誰何を受けた警察官まで殺す事態になってしまいます。

震災の直前に届いた父親からの手紙を読んで、父親のいる病院へ行こうと北を目指すのですが、途中、直人という名の子供を連れて移動することになるのでした。

一方、つき市東警察署刑事第一課に所属する陣内康介刑事は、震災により娘の麻利が行方不明になり妻の理代子から一緒に娘を探すようにとの連絡が来ていましたが、同僚が行方不明の家族を探す暇もなく仕事をしている姿を見て自分だけ抜けるわけにはいかないでいたのです。

また、漁師の村木圭祐は震災に際し、漁船を沖に避難させていましたが、帰ってみると身重の妻の朋子と息子の直人が行方不明になっていました。

 

本書『逃亡者は北へ向かう』は、真柴亮の逃亡劇を主軸に追いかけてはいるものの、その亮を追う陣内刑事と息子の直人を探す父親の村木の姿をもまた追いかけています。

そして、逃亡犯の真柴亮という男の、悪いほうへとしか転がらない人生もまた一つのテーマとして浮かび上がります。

でも、柚月裕子という作家の作品にしては大枠としてのストーリーの流れ自体はある程度定番というか、ありがちな設定といえると思います。

ただ、細かな人物の描写も含めて物語全体の流れとしてみると、作者の力量によりそれなりに読み応えのある作品として仕上がっています。

 

しかしながら、この作者の作品にしては、直人はなぜに真柴とともに旅をする気になったのかという点がはっきりとしていないのは残念でした。

ほとんど口をきこうとしない直人は、母親とはぐれた後にどうして亮にくっついて旅をする気になったのでしょうか。

直人の性格は「口が重かった」ということしか説明がなく、亮とともに行動を共にすることについての説明は少なくとも私は読み取ることができませんでした。

この点は、親とはぐれた直後の人見知りの激しい子ということから読者が読み取るべきと言われるかもしれませんがそれは無理筋だと思われます。

 

この作者の『孤狼の血シリーズ』や『佐方貞人シリーズ』などの読み応えのある作品群からすると、この頃のこの作者の作品は柚月裕子ならではという印象が少なくなっている気がします。

そういう意味では本書も柚月裕子でなくても書けた作品かもしれないという気はします。

とはいえ、村木が震災の現場で妻や息子を探したり、他の登場人物たちが震災に直面する場面では、現場を知るものならではの迫力があり、つらいものがあました。

作者自身が東日本大震災で両親を亡くされているそうで、実際に体験された当時の被災者や被災地の様子が背景になっているそうです。

 

大地震の現場を作者自らが訪れた作品として、砂原浩太朗の『冬と瓦礫』という作品があります。この作品は小説ではなく、阪神大震災の直後に郷里である神戸に帰った作家砂原浩太朗自身のレポート作品です。

作家がその力量を発揮して記したレポートであり、やはり現場を知るものならではの迫力に満ちていました。

いつもは情感豊かな風景描写をされる時代小説の作家さんですが、この時ばかりは別の人かと思う筆致でした、



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