負けくらべ

負けくらべ』とは

 

本書『負けくらべ』は、2023年10月に336頁のハードカバーで小学館から刊行された長編のハードボイルド小説です。

やはりこの人の作品は異彩を放っているという印象がそのままにあてはまる、心に迫る物語でした。

 

負けくらべ』の簡単なあらすじ

 

初老の介護士・三谷孝は、対人関係能力、調整力、空間認識力、記憶力に極めて秀でており、誰もが匙を投げた認知症患者の心を次々と開いてきた。ギフテッドであり、内閣情報調査室に協力する顔を持つ三谷に惹かれたのが、ハーバード大卒のIT起業家・大河内牟禮で、二人の交流が始まる。大河内が経営するベンチャー企業は、牟禮の母・尾上鈴子がオーナーを務める東輝グループの傘下にある。尾上一族との軛を断ち切り、グローバル企業を立ち上げたい牟禮の前に、莫大な富を持ち90歳をこえてなお采配をふるう鈴子が立ちはだかる。牟禮をサポートする三谷も、金と欲に塗れた人間たちの抗争に巻き込まれてゆく。(「BOOK」データベースより)

 

負けくらべ』の感想

 

本書『負けくらべ』は、人間関係に特別な能力を有する初老の介護士を主人公とするハードボイルド小説です。

驚いたのは惹句の言葉そのままの86歳のハードボイルド作家が書いた19年ぶりの現代長編だということであり、その内容の見事さでした。

 

ただ、19年ぶりというのは文字通り現代長編の話であって、作品としては2019年10月に双葉社から書き下ろしで出版された『新蔵唐行き(とうゆき)』という時代小説が出版されています。

 

 

この作品は『疾れ、新蔵』の主人公であった新蔵の物語ですが、著者の志水辰夫は2007年に出した『青に候』以降、ずっと時代小説作品を刊行されていたのです。

そういう志水辰夫が19年ぶりに現代小説を出版されたのが本書『負けくらべ』ということになります。

 


 

志水辰夫の現代小説は、『飢えて狼』や『裂けて海峡』から始まった独特の雰囲気を持ったハードボイルド小説として一躍人気を博してきたのですが、ここしばらくは上記のように時代小説に移行されていたのです。

 


 

そんな志水辰夫の作品ですが、それはやはり期待に違わない素晴らしいものでした。

主人公は昨年65歳になったのをきっかけに会社を娘夫婦に譲り、いまは個人で介護士として活動しているという三谷孝という人物です。

この男は、対人関係能力や空間認識力、記憶力に優れた能力を有する、特定の分野で優れた才能を持つ人を意味するギフテッドでした。

この能力を生かして介護の仕事をしていた三谷ですが、一方で内閣情報調査室を勤め上げ、その外郭団体の東亜信用調査室を任されている青柳静夫の仕事をも請けていました。

 

負けくらべ』はこの三谷が大河内牟禮(むれ)というIT企業の経営者と出会い、彼が属する東揮グループの内紛に巻き込まれていく物語です。

東揮グループとは、牟禮の母親で現在90歳を超える尾上鈴子が率いるグループです。

このグループからの独立を目論んでいた牟禮の前に立ちふさがったのが東揮グループだったのです。

ここに牟禮の腹違いの長男である磯畑亮一や兄澄慶の子の英斗などが重要な役割を担って登場しています。

 

本書においては三谷の職務である介護の仕事についても、具体的に、しかし客観的に淡々とその内容を記しておられ、三谷という人物の背景をしっかりと構築することで、物語の奥行きが深いものになっています。

ただ、本書のラストはどういう意味があるのかいまだによく分かりません。幾通りもの解釈ができるエンディングだとしか思えず、何が正解なのか知りたいものです。

 

著者の志水辰夫は御年86歳という驚きの作家であり、今もなお作品を書き続けておられるそうです。

負けくらべ』の後はさらに時代小説を書くそうで、その後にはまた現代小説を書くということでした。

骨太のハードボイルド小説を書かれる作家さんが少なくなっている昨今、まだまだ良質の作品を提供してほしいものです。

1947

1947』とは

 

本書『1947』は、2024年1月に616頁のハードカバーで光文社から刊行された長編の冒険小説です。

斬首された亡き兄の復讐のために来日したひとりの英国軍人の行動を追った物語ですが、この作者の作品にしては珍しく冗長に感じてしまいました。

 

1947』の簡単なあらすじ

 

1947年。英国軍人のイアンは、戦場で不当に斬首された兄の仇を討つため来日する。駐日英国連絡公館の協力を得つつ少ない手掛かりを追うが、英経済界の重鎮である父親ゆずりの人種差別主義者でプライドの高いイアンは、各所と軋轢を生む。GHQ、日本人ヤクザ、戦犯将校…さまざまな思惑が入り乱れ、多くの障害が立ちふさがる中、次第に協力者も現れるが日本人もアメリカ人も信用できない。イアンの復讐は果たされるのか?(「BOOK」データベースより)

 

1947』の感想

 

本書『1947』は、1947年の東京、すなわち第二次世界大戦後のアメリカ進駐軍が統治している東京を舞台にした一人の英国軍人の復讐の物語です。

英米の政財界に顔が効く大富豪の父親の命で、日本軍の捕虜となった兄を斬首に処した男たちの命を奪い、証拠として体の一部を持ち帰る使命を帯びて来日した英国陸軍中尉の主人公イアン・マイケル・アンダーソンの姿が描かれています。

一言でいうと、本書はとてもよく調べられていて戦後日本の雰囲気を描き出してあると思いますが、分量として六百頁以上のものが必要だったのかという疑問が残りました。

 

とはいえ、本書が力作であることは間違いありません。本書の本文が611頁という長さももちろんそうですが、何よりも終戦後の日本の状況がとにかくよく調べられています。

そのことは、巻末に挙げられている参考文献の数の多さを見てもよく分かります。四十冊を超える書籍や地図、それに二編の学術論文・研究論文、そして十本にのぼるテレビ番組など、その量は膨大です。

読後に読んだこの作者長浦京の言葉を載せたネットの記事では、そうした資料を基に書かれたのが本書であり、もう一冊の大作『プリンシパル』なのだそうです。

プリンシパル』は戦後日本を描き切る物語としてある程度の「スパンが必要」だったのに対し、本書は「日本を訪れた英国軍人の視点から描かれる小説」であり終戦直後のある一時期を切り取ったものになっている、というのです( no+e : 参照 )。

 

 

ただ、確かに本書『1947』は大作でありよく調査されている作品ですが、長浦京の作品にしてはテンポがよくないと感じ、この作者の力量があればこれほどまでの頁数は要らないと思ったのです。

本来、長浦京の作品はもう少し展開が早く、仮に600頁を越える作品だったとしてもその長さを感じさせない筈だと思うのですが、本書に関しては少なくとも中盤あたりまでの印象では冗長に感じてしまいました。

もしかしたら登場人物が多く、関係性を理解するのが難しいこともそう感じた原因なのかもしれません。

 

主人公は連合国の一員であり戦勝国ではありますが、日本の戦後の占領政策に関してはアメリカに後れを取っているイギリスの軍人のイアン・マイケル・アンダーソン陸軍中尉です。

彼の父親は爵位も無く、貴族の血筋でもありませんが金の力で英米の政財界を動かし、戦後日本を統治している連合国最高司令官総司令部GHQ)にも顔が利く存在です。

主人公のイアンは、そのGHQの民生局次長チャールズ・ルイス・ケーディス大佐と参謀第二部部長チャールズ・アンドリュー・ウィロビーとの対立に振り回されることになります。

また、イアンの狙う兄の殺害犯は、旧日本陸軍の権藤忠興中佐、五味淵幹雄中佐、下井壮介一等兵の三人ですが、他にも竹脇祥二郎松川倫太郎、そしてヤクザの胡喜太(ホ・フイテ)などがイアンの前に立ち塞がったり、また助け合ったりするのです。

イアンの通訳である潘美帆(パン・メイファン)や五味淵の娘の五味淵貴和子、それに下井壮介の娘の下井まゆ子などが物語に花を添えると共に重要な役目を果たしいています。

他にも多くの人物が入り乱れて登場しますが、その上、「ハーディング密約」や「司馬計画」などの約定、「ハ一号文書」なる文書が登場したり、GHQと権藤忠興との奇妙な関係など浮上したりと、本来は単なるの復讐目的の来日であった筈のイアンを巻き込んでいくのです。

 

こうして物語は伝奇小説のような展開になるのですが、本書は決して荒唐無稽な伝奇小説ではなく現実に根を張った正統派の冒険小説として仕上がっています。

また、この作家の特徴であるアクション場面ももちろん充実していて、そうした場面ではやはり読者を飽きさせることはありません。

そういう意味では本書はさすが長浦京の作品であり、面白くない筈がないのですが、六百頁を越える分量を引っ張るだけの魅力があるかといえば、否定せざるを得ません。

ですから、戦後占領政策に関心がある人など、人によっては冗長と感じるまでもなく面白いという評価を下すことになるかと思われます。

本書『1947』は、そうした微妙な評価になるかと思われる作品でした。

予幻

予幻』とは

 

本書『予幻』は『ボディガードキリシリーズ』の第三弾作品で、2023年12月に525頁のハードカバーで徳間書店から刊行された長編のハードボイルド小説です。

物語の展開はテンポがよく、また本書で初登場の弥生というキャラクターたちも個性豊かであり、とても面白く読んだ作品です。

 

予幻』の簡単なあらすじ

 

ハードボイルド界のトップランナー・大沢在昌の人気シリーズ
〈ボディガード・キリ〉最新刊

対象:岡崎紅火(べにか)、女子大学院生。
世界の未来を握る娘を護れ!
本名、年齢不詳のボディガード・キリの熾烈な闘い

本名・年齢不詳の凄腕ボディガード・キリは、以前の案件で知り合った
大物フィクサー・睦月から警護の依頼を受けた。

対象は岡崎紅火、女子大学院生。

先日病死した香港シンクタンク『白果』の主宰者・白中峰の娘だ。
白は生前『ホワイトペーパー』と呼ばれる会員向けの文書を発行しており、
近未来の国際情勢や世界経済を驚くほどの的中率で予測していた。
『白果』には『ホワイトペーパー』の資料となった多くの機密書類と
未発表の『ホワイトペーパー』が保管されており、中国公安部に渡るのを
危惧した紅火の母・静代は、それを娘に託し、公安部の家宅捜索前に
間一髪、香港から日本に持ち出したという。
母親の静代とは連絡が取れず、何者かに拉致された可能性が高い。
さらには『ホワイトペーパー』を入手しようと、中国のみならず、
欧米の情報機関も動いているという。
睦月の依頼は紅火の護衛と機密書類の保護。
新宿の民泊施設に紅火を移動させ、部下の女性・弥生を警護につけるという。
だがその施設から紅火が拉致された! キリは弥生とともに紅火を追う。
彼女は無事なのか? 『ホワイトペーパー』の行方は?

人気ハードボイルドシリーズ第三弾!(内容紹介(出版社より))

 

予幻』の感想

 

本書『予幻』は、『ボディガードキリシリーズ』の第三弾作品です。

岡崎紅火という女子大学院生の警護を依頼されたキリが、彼女が持っていると思われる「ホワイトペーパー」と呼ばれる情報をめぐる争いへと巻き込まれる姿が描かれている冒険小説です。

そして、大沢在昌作品らしい緻密に練り上げられた濃密な世界観を持ったハードボイルド小説として仕上がっているのです。

 

本書『予幻』の魅力はまず挙げるべきは主人公のキリというボディガードのキャラクター設定にあり、それはこのシリーズの魅力も繋がるものでしょう。

そのことは、その魅力的な主人公が活躍する物語世界が堅牢に構築されていることにも繋がっていて、この物語世界で活躍する主人公が動き回るストーリーもまた面白くできているのです。

 

キリはある事件の犯人探しをする羽目に陥りますが、その作業はボディガードという仕事の範疇を越えているようです。

しかし、そこはボディガードの仕事ではないが実質仕事の範囲内と考える必要があると独白させているように、キリ自身に物語の中でちゃんと辻褄を合わせてあります。

仮に物語が荒唐無稽な作品であったとしても、こうした辻褄、つまりはその作品としての筋が通されている作品でなければなかなか感情移入しにくいのです。

こうした丁寧な物語世界が構築されているという点がシリーズの次の魅力でしょう。

大沢在昌という作家の作品は代表作ともいえる『新宿鮫シリーズ』のようなシリーズ物はもちろん、『ライアー』のような単発の物語であってもその物語の世界が丁寧に作り上げられているので、本書の特徴というよりは大沢在昌作品の特徴というべきかもしれませんが、この点はやはりはずせないのです。

 

 

繰り返しますが、そうしたきちんと丁寧に作られた物語世界を有する本書ですから、キリの魅力は十分に発揮されているのです。

それに加えて本書では本名を横内美月といい、普段は弥生と呼ばれている元巡査部長の相方も配置されていて、彼女との軽いユーモアも含めたやり取りも本書に色を添えています。

色を添えているといえば、トモカ興産社長の小林朋華という女も登場してきますが、この女の立ち位置が今一つはっきりとしませんでした。

 

本書『予幻』の前半は保護対象でありながらも何者かに拉致されてしまった女子大学院生の岡崎紅火の捜索の様子が描かれ、後半は「ホワイトペーパー」という機密書類の所在の探索の様子が描かれることになります。

その過程で予測が予言にまで昇華したといわれる書類の「ホワイトペーパー」の持つ意義と、その文書をめぐる各グループの思惑が交錯する様子が表現されています。

こうして大沢作品ではよくありがちですが、登場人物が多岐にわたり途中で筋を見失いがちになります。

しかし、複雑になりがちなストーリーも結局は機密書類の探索というシンプルなテーマに集約されていき、結局はストーリーから外れることはないと思われるのです。

 

本書は全部で525頁という長さを持つ長編小説ですが、大沢在昌という作家の筆力はその長さを感じさせないほどに読者を取り込んでしまうようです。

ハードボイルド小説と言い切るには若干疑問もありますが、アクションを含めた一人のヒーローの物語として一級の面白さを持つ冒険小説だと思います。

このシリーズはこれまでの作品を見ると、『獣眼』が2012年10月、『爆身』が2018年5月、そして本書『予幻』が2023年12月と約六年ごとに出版されています。

出来ればもう少し間隔を狭めて次巻の出版を待ちたいところです。

ボディガード・キリ シリーズ

ボディガード・キリ シリーズ』とは

 

本名も年齢もよく分からない、一匹狼のボディガードの孤高の戦いを描く冒険小説のシリーズです。

 

ボディガード・キリ シリーズ』の作品

 

ボディガード・キリ シリーズ(2024年03月03日現在)

  1. 獣眼
  2. 爆身
  1. 予幻

 

ボディガード・キリ シリーズ』について

 

主人公の“キリ”は、本名も年齢も不詳です。

「無縁神木流」という実践派の古武術の遣い手であり、武道というより人殺しの手段だとキリ自身が自分の武術について語っています。

感情の表出が抑えられ、行動で示すという意味ではまさにハードボイルド小説だということができると思います。

ウィキペディアによれば、大沢在昌という作家の言うハードボイルド小説とは『「惻隠の情」であり、「傍観者のセンチメンタリズム」である。自分の生き方を貫き、自らが傷つきながらも闘うことを選ぶ男の心情を描く物語である。』と書かれています( ウィキペディア : 参照 )。

そういう意味でも本シリーズはまさにハードボイルド小説であり、自分の自由な生き方を貫いて、また依頼者の依頼を全うするために身命を賭して叩く男の姿が描かれているのです。

そういう意味でもまさにハードボイルド小説だということができると思います。

 

ボディーガードを主人公とした物語と言えば、今野敏の『ボディーガード工藤兵悟』シリーズを思い出します。

シリーズ初期の作品は別として、近時の作品は今野敏らしい、アクション描写に力を入れた面白い作品に仕上がっています。

 

 

また、渡辺容子の『左手に告げるなかれ』を第一冊目とする「八木薔子シリーズ」もリアルな作品でした。

本書で保安士だった主人公は、次作の『エグゼクティブ・プロテクション』では女性ガードマンになっており、物語もアクション性を帯びたミステリーとなっています。

 

 

海外の作品に目を向けると、A・J・クィネルの書いた元傭兵を主人公とした『燃える男』から始まる『クリーシィ』シリーズがまず挙げられます。

このシリーズは「情」の側面をも持ち合わせた、日本人向けの上質の冒険小説でした。デンゼル・ワシントン主演で映画化もされましたが、残念ながら小説とは全くの別物となっていました。また、DVDも無いようです。

ジウX

ジウX』とは

 

本書『ジウX』は『ジウサーガ』の第十弾で、2023年6月に416頁のハードカバーで中央公論新社から刊行された、長編の冒険小説です。

個人的には最も好きな作家の一人である誉田哲也の作品の中で、ある政治的主張を明確に織り込んで構成されているエンターテイメント小説であり、それはそれで面白く読みました。

 

ジウX』の簡単なあらすじ

 

生きながらにして臓器を摘出された死体が発見された。東弘樹警部補らは懸命に捜査にあたるが、二ヶ月が経っても被害者の身元さえ割れずにいた。一方、陣内陽一の店「エポ」に奇妙な客が集団で訪れた。緊張感漂う店内で、歌舞伎町封鎖事件を起こした「新世界秩序」について一人の女が話し始める。「いろいろな誤解が、あったと思うんです」-。各所で続出する不気味な事件。そして「歌舞伎町セブン」に、かつてない危機が迫る…。(「BOOK」データベースより)

 

ジウX』の感想

 

本書『ジウX』が属する『ジウサーガ』は、誉田哲也という作家の作品の中でも一、二位を争う人気シリーズです。

このシリーズは斬新な警察小説として始まり、後に新宿を舞台とする仕事人仲間の物語へと変化し、さらには「ジウ三部作」での敵役であった「新世界秩序」という集団を敵役として、新たな冒険小説として展開しつつあります。

本書では、そんな変化していく『ジウサーガ』においての敵役としての「新世界秩序」という集団が、これまでのような漠然とした存在ではなく明確な存在としてその姿を見せてきます。

そして、問題は「新世界秩序」の主張もまた明確になってきたことであり、その主張が国家の存立にかかわることだということです。

 

こうして、「新世界秩序」という組織の実態、その目的が明確になってきたことが本書の一番の見どころでしょう。

といっても、「新世界秩序」という組織の詳細まで明らかになったわけではありません。

ただ、『ジウ三部作』での黒幕と言われたミヤジでさえも下っ端と言い切る集団が登場します。

その集団が「新世界秩序」の特殊なメンバーである「CAT」と呼ばれる一団です。

この「CAT」は暴力を振るうのにためらいが無く、また残虐であって、誉田哲也の特徴の一つでもあるグロテスクな描写が展開されています。

本書『ジウX』の冒頭から示される殺人事件の描写からして、あるカップルの女性の身体の解体であり、男性への陵虐です。

 

そして、その「CAT」の傍若無人な活動と、それに伴う警察の動き、特に東弘樹警部補の活動、そして「歌舞伎町セブン」の活躍から目を離せません。

この「CAT」は明確な政治的主張を持った一団です。その主張は単純であり、「相互主義」という言葉を直接的に用いています。

外交の世界で使われる言葉の正確な意味は分かりませんが、近年のテレビでは「相互主義」という言葉を主張するコメンテーターがいるのも事実です。

相互主義」とは、外交の場面では「相手国の自国に対する待遇と同様の待遇を相手国に対して付与しようとする考え方」を言います( ウィキペディア : 参照 )。

 

そうした言葉の意味をそのままに持ってきているのか分かりませんが、エンターテイメント小説の中にこれだけ政治性の強い単語を、それもその意味の詳細な定義もないままに物語の中心的なテーマとして、しかし情緒的に使っている作品も珍しいのではないでしょうか。

大沢在昌の『新宿鮫シリーズ』や月村了衛の『黒警』のような作品ではよく外国人が登場しますが、それは犯罪者としての役割を担っている場合が多いようで、政治的な主張を示しているわけではありません。

 

 

また、麻生幾の『ZERO』(幻冬舎文庫 全三巻)のようなインテリジェンス小説でも現場の諜報員としての物語という場合が殆どです。

 

 

しかし、本書『ジウX』の場合は特定の中国という国に対する憎悪を持った集団が、情緒的ではあっても明確な、そしてそれなりに現実性を持った政治的な主張をしているのです。

そして、その主張こそが「CAT」の存在意義であり、本書の核にもなっている点で独特です。

また、現代の世相の一部を切り取って、エンターテイメント小説として成立させている点でもユニークだと思うのです。

 

新宿セブンのメンバーも当初から少しずつ変化してはいますが、本書ではまた一人抜けそうであり、その後釜についても問題になっています。

その候補として挙がっているのが、「新世界秩序」の一員であり、「セブンのメンバーから、最も嫌われている女」である、土屋昭子でした。

 

本書『ジウX』は、エンターテイメント小説としての面白さを十分に備えた作品として、その後の展開が期待され、続巻が待たれる作品として仕上がっている作品だといえます。

井上 真偽

井上真偽』のプロフィール

 

年齢不詳、性別不明。2015年、メフィスト賞受賞作『恋と禁忌の術語論理』でデビュー。著書に『その可能性はすでに考えた』シリーズ(本格ミステリ大賞候補作)、『言の葉の子ら』(日本推理作家協会賞〈短編部門〉候補作)、『ムシカ 鎮虫譜』など。『探偵が早すぎる』は2シーズンにわたって実写ドラマ化された。

引用元:井上真偽 – ダ・ヴィンチWeb

 

井上真偽』について

 

現時点ではありません。

アリアドネの声

アリアドネの声』とは

 

本書『アリアドネの声』は、2023年6月に304頁のソフトカバーで幻冬舎から刊行された、王様のブランチのランキングでも紹介された長編のサスペンス小説です。

緊急災害救助の様子を描いたサスペンス小説ですが、救助対象が三重苦の女性であり、救助方法もドローンを使用するというこれまでにない視点の作品で、惹き込まれて読みました。

 

アリアドネの声』の簡単なあらすじ

 

事故で、救えるはずだった兄を亡くした青年・ハルオは、贖罪の気持ちから災害救助用ドローンを扱うベンチャー企業に就職する。業務の一環で訪れた、障がい者支援都市「WANOKUNI」で、巨大地震に遭遇。ほとんどの人間が避難する中、一人の女性が地下の危険地帯に取り残されてしまう。それは「見えない、聞こえない、話せない」という三つの障がいを抱え、街のアイドル(象徴)として活動する中川博美だったー。崩落と浸水で救助隊の進入は不可能。およそ6時間後には安全地帯への経路も断たれてしまう。ハルオは一台のドローンを使って、目も耳も利かない中川をシェルターへ誘導するという前代未聞のミッションに挑む。無音の闇を彷徨う要救助者の女性と、過去に囚われた青年。二人の暗闇に光は射すのかー。(「BOOK」データベースより)

 

アリアドネの声』の感想

 

本書『アリアドネの声』は、一人の要救助者を制限時間が迫りくるなか、いかにして助け出すかというサスペンス感満載の作品です。

そして、その救助対象者や事故現場環境などに合わせた救助活動がユニークであり、かなり惹き込まれて読んだ作品です。

 

そのユニークさとは、第一に救助を必要とする人物が「見えない、聞こえない、話せない」という三つの障がいを抱えた人物とされていることです。

第二に、要救助者が現在いる場所が、「WANOKUNI」という障がい者支援都市の地下都市だということです。

この地下都市が地震のために壊滅状態になったなか、要救助者は「WANOKUNI」の地下五階に取り残されてしまったのです。

そして第三に、彼女を救助するための手段として選ばれたのがドローンだということです。

崩落した「WANOKUNI」内部に救助隊が入ることも難しく、要救助者本人が歩いて地下三階にあるシェルターまで誘導するしかないのです。

ここに、助けられる者は三重障害を負った人物であり、救助手段はドローンという現代最先端の技術の粋を生かした機械だという設定ができています。

 

本書の魅力についてさらに言えば、作者は上記の仕掛けによりもたらされるサスペンス感に加えて、三重の障害を負っている救助対象者の中川博美が、もしかしたら三重の障害はないのではないか、という疑惑を用意しています。

この疑惑を抱えての救助作業であり、その救助作業の中で感じる違和感がミステリアスな印象をもたらしてくれているのです。

 

上記のような見どころに加え、本書では物語が展開していくなかでさらに細かな仕掛けが追加されていくことで一段と面白さが増しています。

「WANOKUNI」という建物の設定は、火災や電気、ガス、各種の機械などの障害物の存在が設定でき、物語の緊迫感はいやがうえにも増すことになります。

また、救済手段のドローンはその実際を知らない人がほとんどだと思うのですが、本書ではその関心をある程度満たしてくれます。

つまりはお仕事小説的にトリビア的なドローンに関する情報をもたらしてくれる作品でもあるのです。

 

登場人物は、救助チームとしては、主人公の高木春生が一等無人航空機操縦士の有資格者として直接ドローンを操縦するメインパイロットとなり、高木が勤める株式会社「タラリア」の先輩我聞庸一が情報分析などのサポートを担当しています。

そして、高木が教えるドローン教室の受講生でもある消防士長の火野誠がサブパイロットとカメラなどの周辺機器操作担当し、火野の直属の上司でWANOKUNI出張所の副所長でもある長井禎治消防司令が作戦全体を指揮しています。 

さらに、進捗報告およびその他の雑務係を消防士の佐伯茉莉が担当しています。

そして、「見えない、聞こえない、話せない」の三重苦を乗り越えた令和のヘレン・ケラーと呼ばれる三十路半ばの中川博美が要救助者であり、彼女の通訳兼介助者の女性が伝田志穂です。

そのほかに、高木の高校の同級生で失声症の妹を持つ韮沢粟緒や、迷惑系のユーチューバーが登場してきています。

 

本書のような限定状況からの脱出といえば、私らの年代では、小説ではなく映画で思い出す作品があります。それは、ジーン・ハックマンが主演していた「ポセイドン・アドベンチャー」という作品です。

転覆した豪華客船ポセイドンから脱出しようとする客たちとそれを率いる神父さんの姿が描かれたパニック作品の名作です。

 

 

何といっても、本書の特徴はギリシャ神話から来ている「何か困難な状況に陥った際、解決の道しるべとなるもの」を意味する「アリアドネ」というタイトルが意味する、道しるべとなるドローンの存在にあります。

このドローンは「光学ズームカメラ」や「赤外線サーモグラフィー」などの高性能で多種多様なセンサーシステムを搭載した、災害救助用ドローンの中でも特に遭難者の発見に注力した機体なのです。

この機体を高木一人ではなく、救助チーム全員が力を合わせて駆使し、様々な困難を乗り越えていく姿は読みごたえがあります。

 

若干のミステリー要素も加わり、サスペンス感に満ちた本作品はその読みやすさもあって面白く読んだ作品でした。

鳴かずのカッコウ

鳴かずのカッコウ』とは

 

本書『鳴かずのカッコウ』は、2021年2月に304頁のハードカバーで刊行された長編のインテリジェンス小説です。

 

鳴かずのカッコウ』の簡単なあらすじ

 

インテリジェンス後進国ニッポンに突如降臨

公安調査庁は、警察や防衛省の情報機関と比べて、ヒトもカネも乏しく、武器すら持たない。そんな最小で最弱の組織に入庁してしまったマンガオタク青年の梶壮太は、戸惑いながらもインテリジェンスの世界に誘われていく。

ある日のジョギング中、ふと目にした看板から中国・北朝鮮・ウクライナの組織が入り乱れた国際諜報戦線に足を踏み入れることにーー。

<初対面の相手に堂々と身分を名乗れず、所属する組織名を記した名刺も切れないーー。公安調査官となって何より戸惑ったのはこのことだった>–『ウルトラ・ダラー』『スギハラ・サバイバル』に続く著者11年振りの新作小説。
プロローグ
第一章 ジェームス山
第二章 蜘蛛の巣
第三章 千三ツ屋永辰
第四章 偽装開始
第五章 彷徨える空母
第六章 守護聖人
第七章 「鍛冶屋」作戦
第八章 諜報界の仮面劇
エピローグ(内容紹介(出版社より))

 

鳴かずのカッコウ』の感想

 

本書『鳴かずのカッコウ』はインテリジェンス小説ではありますが、他の作品のようなサスペンス感を持った作品ではありません。

本書の主人公梶壮太は安定志向を持つ人物で、地元採用枠のある一般職を狙い、何も知らないままに一般の行政職よりも初任給で二万五千円も高い点に惹かれて公安調査庁に入った人物です。

仕事の内容も分からないままに入庁して初めて、「自分が何者であるか、公にできない職業」であることを知るくらいだったのです。

梶壮太は、そんなとても諜報活動には向いていないであろう人物だったのですが、一度見たものは忘れないという能力を有していました。

 

本書では、梶壮太がその能力を生かして、一般に公開されている情報(オシント)や人間を介した情報(ヒューミント)から日本という国にとって重要な情報を見つける姿が描かれます。

ただ、その活動は地味です。公開されている情報からその情報に隠された意味を掘り起こすという作業自体、派手さはありません。

また狙いを定めた人物から情報を引き出す作業は、公開情報の意味を探ることよりも比較的派手かもしれませんが、それにしてもたかが知れています。

しかし、そうした地味な情報収集、そして分析作業が日本という国の存在のために役に立っているのだ、ということを著者は言いたいのでしょう。

 

インテリジェンス小説と言えば、まずは麻生幾の『ZERO』(幻冬舎文庫全三巻)や公安出身である著者濱嘉之の『警視庁情報官シリーズ』などが思い出されます。

 

 

しかし、本書はそうした作品のようなインパクトはありません。

ただただ、地味な調査活動が主な作業であり、たまに何らかの会合やパーティーなどへ行き、知己を作ったり、普通に交わされる会話の中から有用な情報を拾い出す、などの作業をこなす毎日です。

さらには、本書の主人公たちは警察の公安調査官ではなく、警察庁の公安課所属の調査官です。組織としてはかなり小さな弱小の組織、だと紹介してありました。

 

ここで、日本の情報機関としては内閣情報調査室や警察庁警備局(公安警察)などがあるそうですが、本書の「公安調査庁」とは法務省の外局です( ウィキペディア : 参照 )。

正直なところ、上記のような各種の情報機関が存在すると言われても一般素人にはその区別はつきません。

単純に、複数の情報機関が存在する理由も各種機関の機能の差もよく分からないのです。

ただ、本書からは、本書で登場する公安調査庁なる機関が、地道に情報収集をしているということがよく読み取れるということだけです。

 

本書の最大の魅力は、NHKのアメリカからの生中継でよく顔を見ていたワシントン支局長であった人物が著者であり、その経験豊富な知識をもとにして書かれた作品だということです。

ただ、もともと小説家であったわけではない、という点も同時に現れていて、インテリジェンスの側面の描写は見事であっても、ストーリー展開の面で今ひとつという印象ではあります。

それは多分、新米調査員である主人公の動向を描くうえでメリハリがないということにも表れています。

本書には、各国の思惑の実際をよく知る著者ならではの細かな具体的事実が詰め込まれていますが、その全部が平板であり、どこにポイントがあるのか読んでいてわからなくなることがあるからではないでしょうか。

 

そうした、小説としての面白さに若干欠けるところがあるとは思うのですが、やはり本書で挙げられている各種の事実は驚異的でもあります。

中国の航空母艦がウクライナで作られたものであることの適示など、その最たるものではないでしょうか。

北朝鮮の船舶の追跡が、それにとどまらず国際的な思惑の一端に過ぎないことなど、全くのフィクションでもなさそうな展開は、それなりに面白く読めた作品でした。

アンリアル

アンリアル』とは

 

本書『アンリアル』は、2023年6月に400頁のハードカバーで講談社から刊行された長編のスパイ小説です。

この作者のこれまでの作品とは異なり、特殊能力を有し、状況分析能力に優れた新人諜報員の戸惑いに満ちた姿が描かれており、やはり読みごたえのある作品でした。

 

アンリアル』の簡単なあらすじ

 

両親の死の真相を探るため、警察官となった19歳の沖野修也。警察学校在校中、二件の未解決事件を解決に導いたが、推理遊び扱いされ組織からは嫌悪の目を向けられていた。その目は、暗がりの中で身構える猫のように赤く光って見えるー。それが、沖野の持つ「特質」だった。ある日、「内閣府国際平和協力本部事務局分室 国際交流課二係」という聞きなれない部署への出向を命じられた。そこは人知れず、諜報、防諜を行う、スパイ組織であったー。最注目作家がおくるスパイ小説の技術的特異点。(「BOOK」データベースより)

 

アンリアル』の感想

 

本書『アンリアル』は、未だ研修期間である新人諜報員の姿を描く長編の冒険小説です。

未だ半人前の警察官ではあるものの、状況分析能力に優れ、さらに特殊能力をも有することからリクルートされた新人諜報員の若者らしい姿が描かれていて、読みごたえのある作品でした。

本書の時代設定は「東京オリンピックの六年後」とありましたから、2023年の現在からすると4年後後の近未来であって、登場する科学的技術も全くの絵空事ではないということになります。

事実、作者自身も「作中に出てくる近未来的な兵器、防諜機器など」は「すべて実在するもの」だと言っておられます( 長浦京氏インタビュー : 参照 )。

 

主人公は沖野修也といい、警察学校での初任補修科の後の最後の実践実習期間をあと二ヶ月残している半人前の警察官です。

この主人公が洞察力と危機感知能力は素晴らしく高く、運動能力も中学の陸上短距離ではオリンピックを狙えるほどに将来を有望視されていました。

特に「危険が迫ると気配を感じ、殺意や敵意、憎悪を抱いている人間と対峙すると、その両目が光って見える」という特殊能力を有していたことから、諜報員としての適性を認められたのです。

彼が配属されたのが内閣府国際平和協力本部事務局分室国際交流課二係であり、諜報や防諜のどちらもやるし、さらに警護を担当することもある、ようするに極秘行動の何でも屋のスパイ機関です。

・警察学校での初任補修科などの意味に関しては「警察タイムズ」を参照してください。
・「内閣府国際平和協力本部」という組織は実在します。詳しくはウィキペディアを参照してください。

 

この国際交流課の課長が天城亮介であり、二係の責任者が国枝達郎係長です。

そして二係の係員としてデスク担当でトルコ人との混血のブロンドの髪をドレッドにした白い肌の女ヒロ・エルビルバン、沖野の直属の上司でしばらくは沖野との相棒となるのが水瀬響子主任です。

また、本書冒頭で沖野を叩きのめした外事三課の笹路などがいます。

ほかに、水瀬主任の昔の相棒である神津や、鴻明薬品工業の呉智偉藩依林の夫妻、それにインターネットショッピングサイト「ベリーグッズ・マーケット」を出発点にしたグループの代表者の津久井遼一などが重要人物として登場しています。

 

本書『アンリアル』の魅力と言えば、まずはそのリアリティーを挙げるべきでしょう。

一般に歴史小説がそうであるように、本書でも歴史的事実の隙間に著者の創造した虚構を挟みながら架空の物語が紡がれて行きます。

本書の時代は近未来ではありますが、現実に存在する組織や、科学的な技術を前提としてストーリーが構築されています。

そのため、読者は現実の持つ真実の世界の中にいながらいつの間にか著者の作り出した虚構の世界に連れていかれています。

本書では、さらに2021年開催の東京オリンピックから6年後という時代背景のもと、作中に出てくる近未来的な兵器、防諜機器などはすべて実在するものだという作者の言葉にあるように、その圧倒的なリアリティーのもとに物語が展開されるのです。

 

また、長浦京の作品は今綾瀬はるか主演で映画化され話題になっている『リボルバー・リリー』がそうであるように、アクション場面に定評があります。

本書でももちろん主人公のアクション場面はあります。しかし、これまでの作品と異なり、本書での主人公はほとんどの場合誰かに助けられる存在です。

つまりは、主人公はまだまだ若く、スパイとしても初心者に過ぎません。ただ、彼は、人の悪意を知ることができるという能力を有していて、その優位性をもとに現状の分析能力を生かすことができ、危機を回避するのです。

こうした主人公の戦い方はこれまでにない描き方であり、スパイ初心者という設定が生かされた、それでいて読みごたえがあった一因でもあると思います。

 

 

さらにいえば、本書『アンリアル』に関して著者自身が「青春小説」だと言っておられるように、たしかに主人公が19歳という年齢だからこその真っ直ぐな視点、疑問がその口から発せられ、それがスパイ小説でありつつも新しい視点を見せているようです。

いまだ悩みつつも、したたかな先輩諜報員たちに守られ、育てられていく主人公の沖野は読者が感情移入しやすい設定でもあります。

「沖野は何が正しいことなのか葛藤しながら平和を守るためにもがき奮闘してい」るというインタビュアーの言葉に、「そのあたりは本作ではあえて書かずに、これから発表する第2部で解き明かしていきます。ぜひお楽しみに。」( 長浦京氏インタビュー : 参照 )との著者の言葉もあります。

近く書かれるであろう続巻を期待をもって待ちたいと思います。

ブラッディ・ファミリー

ブラッディ・ファミリー』とは

 

本書『ブラッディ・ファミリー』は監察官黒滝シリーズ』の第二弾で、2022年4月に新潮社から414頁の文庫本書き下ろしで刊行された長編の警察小説です。

今回はまさに監察官としての黒滝および彼の仲間の活躍が描かれていますが、深町秋生の物語としては今一つの印象でした。

 

ブラッディ・ファミリー』の簡単なあらすじ

 

女性刑事が命を絶った。彼女を死に追いつめたのは、伊豆倉陽一。問題を起こし続ける不良警官だ。そして、陽一の父、伊豆倉知憲は警察庁長官の座を約束されたエリートだった。愚直なまでに正義を貫く相馬美貴警視と、非合法な手段を辞さぬ“ドッグ・メーカー”黒滝誠治警部補。ふたりは監察として日本警察最大の禁忌に足を踏み入れてゆくー。父と息子の血塗られた絆を描く、傑作警察小説。(「BOOK」データベースより)

 

ブラッディ・ファミリー』の感想

 

本書『ブラッディ・ファミリー』は、警察機構のトップになろうとする権力者や彼の顔色をうかがう公安を始めとする警察内部の上層部を相手に戦う、監察官たちの姿が描かれています。

もちろん、警視庁人事一課監察係に勤務する黒滝誠治警部補を中心として、シリーズ第一巻の『ドッグ・メーカー』に登場してきた相馬美貴警視や白幡一登警務部長らも登場しています。

また、敵役も将来の警察庁長官と目されている超エリートである警察内部の権力者であり、直接にはその息子の不良警察官です。

 

王子署生活安全総務課に勤務していた波木愛純という女性警察官が、同僚の伊豆倉陽一部長刑事に性的暴行を受け団地の十四階から飛び降り自殺で死亡したという事件が起きます。

この事件は、伊豆倉陽一の父親の伊豆倉知憲が将来の警察庁長官と言われる実力者だったために、王子署の監察係も立件できずに終わっていました。

さらには、現在の陽一は警視庁公安部外事二課へと異動させられており、防諜のプロたちにより守られているのです。

 

本書『ブラッディ・ファミリー』の登場人物は、もちろん主人公は警視庁人事一課監察係に勤務する黒滝誠治警部補です。

この黒滝が波木愛純の遺書を手に入れる場面から物語は始まります。

この件に関しては人事一課長の吹越敏郎は頭ごなしに中止を命じてきましたが、黒滝の直属の上司である相馬美貴警視も了解しており、その背後に吹越の上司にあたる警務部長の白幡一登も認めている事件だったために黙らざるを得ません。

しかしながら伊豆倉知憲の息のかかった公安部外事二課やかつて黒滝が逮捕したこともある轡田隆盛を代表とする大日本憂志塾という弱小右翼の塾生を使って圧力をかけてくるのでした。

 

このように、本書では前作の『ドッグ・メーカー』以上に監察官としての黒滝誠治警部補の姿が描かれています。

 

 

同時に、警察内部の権力争い、その中での白幡一登警務部長の策士としての顔などが一段と明確に示されています。

また、そうした権力争いの中での相馬美貴警視の自分の警察官としての力量に対する苦悩も記されていて、単なるアクション小説を越えた面白さを持った小説であると言えます。

 

しかしながら、今回の直接のターゲットの不行跡はあまりに安直に過ぎ、いくらエリートでもかばい切れるものではないだろうという疑問点ばかりが湧いてきました。

つまりは、本書については小説のリアリティがないと感じ、感情移入しにくい作品だったのです。

 

本来、本書『ブラッディ・ファミリー』のような個性豊かなはみ出し者を主人公とするエンターテイメント小説では荒唐無稽をこそ旨とし、少々のことは無視してストーリーを展開させても痛快さや爽快感さえ得られればよしとされるものだと思います。

しかしながら、そうした通俗的なエンターテイメント小説でもその世界なりのリアリティが必要であり、その点を踏み誤った作品には感情移入できません。

その点で私の好みから微妙に外れているというほかなく、全体としてそれなりに面白い作品ではあるものの、肝心な点でリアリティを欠く作品であり、深町秋生作品としては今一つと感じた次第です。