香港警察東京分室

香港警察東京分室』とは

 

本書『香港警察東京分室』は、2023年4月に320頁のハードカバーで刊行された長編の冒険小説です。

タイムリーな内容を持った謀略小説でありアクション小説であって、月村了衛の物語らしく、面白く読むことができた作品でした。

 

香港警察東京分室』の簡単なあらすじ

 

テロリストを追え! 圧巻の国際警察小説。

香港国家安全維持法成立以来、日本に流入する犯罪者は増加傾向にある。国際犯罪に対応すべく日本と中国の警察が協力するーーインターポールの仲介で締結された「継続的捜査協力に関する覚書」のもと警視庁に設立されたのが「特殊共助係」だ。だが警察内部では各署の厄介者を集め香港側の接待役をさせるものとされ、「香港警察東京分室」と揶揄されていた。メンバーは日本側の水越真希枝警視ら5名、香港側のグレアム・ウォン警司ら5名である。
初の共助事案は香港でデモを扇動、多数の死者を出した上、助手を殺害し日本に逃亡したキャサリン・ユー元教授を逮捕すること。元教授の足跡を追い密輸業者のアジトに潜入すると、そこへ香港系の犯罪グループ・黒指安が襲撃してくる。対立グループとの抗争に巻き込まれつつもユー元教授の捜索を進める分室メンバー。やがて新たな謎が湧き上がる。なぜ穏健派のユー教授はデモを起こしたのか、彼女の周囲で目撃された謎の男とは。疑問は分室設立に隠された真実を手繰り寄せる。そこにあったのは思いもよらぬ国家の謀略だったーー。
アクションあり、頭脳戦あり、個性豊かなキャラクターが躍動する警察群像エンタテイメント!
(内容紹介(出版社より))

 

香港警察東京分室』の感想

 

本書『香港警察東京分室』は、当初はニュース等で見ていた世界各国に設けられている中国の秘密警察の日本版の話かと思っていました。

しかし、実際はそうした中国の秘密裏の活動の話ではなく、日本と中国との間での合意のもとも受けられた共助組織という設定の話でした。

本書中でも、2022年にスペインの人権団体の報告中国の地方により明らかにされた中国の地方政府の公安局が日本国内に拠点を開設していることが暴露された、との一文があり、本書での香港警察分室の話も現実の日中関係を前提としたものであることが示されています。

 

 

つまりは、日本の警察庁と香港警察との間で交わされた「継続的捜査協力に関する覚書」に基づいて警視庁に設けられたという設定の「警視庁組織犯罪対策部国際犯罪対策課特殊共助係」、通称「香港警察東京分室」あるいは単に「分室」と呼ばれる部署の話だったのです。

 

千代田区神田神保町の裏通りにあるオフィスビルにある香港警察の下請けとも揶揄されるこの組織の構成員は、日本側がトップは水越真希枝警視であり、彼女を支える七村星乃警部嵯峨明人警部補山吹蘭奈巡査部長小岩井光則巡査部長が続きます。

中国側は、隊長が汪智霖警司(英語名:グレアム・ウォン)、副隊長が郜烈総督察(ブレンダン・ゴウ)費美霞見習督察(26 ハリエット・ファイ)景天志警長(シドニー・ゲン)胡碧詩警長(エレイン・フー)の五人です。

この十人が九龍塘城市大学の虞嘉玲(キャサリン・ユー)元教授の逮捕、そして香港への送還のために奔走するのです。

この元教授は、多数の死者を出した2021年春に起きた422デモを扇動したうえ、協力者であった助手を殺害し、日本へ逃げてきたと目されていました。

 

この登場人物のキャラクターそれぞれがなかなかに面白い設定となっています。

まずは日本側のトップである管理官の水越真希枝警視のキャラがまず目を惹きます。キャリアとは思えない、いろんな意味で規格外の人です。

ついで、本書冒頭から登場してくる山吹蘭奈巡査部長が魅力的です。月村了衛が描いてきたアクションものの『ガンルージュ』や『槐(エンジュ)』に登場してくる女性主人公のようにアクションバリバリの女性で、元ヤン出身の警察官というエンタメ作品にはもってこいの人物です。

 

 

七村星乃係長も水越に対して心酔している人ですが、水越警視が多くを語らなくてもその真意を汲み取って行動します。

また、嵯峨明人警部補も正体がよく分からないけれど頼りがいがありそうな人物であり、一番頼りなさそうな小岩井巡査部長もそれなりの活躍を見せるのです。

中国側にしても同様で、それぞれがユニークな個性を持っていますが、ただ、中国側の捜査員とキャサリン・ユー元教授との関係が若干分かりにくい印象はありました。

 

先に書いたように、本書は日本の警察官と香港の警察官との共同作業を描いた作品です。

ただ、香港が返還されたあとの香港警察との共同捜査であり、返還前の香港警察ではありません。文字通り中国の警察と同義である彼らとの共同作業は難しいものがあるのです。

 

本書を評価するとき、月村了衛のアクション小説として面白い作品であることは間違いありません。

しかしながら、中国の警察との共同捜査という魅力的な題材であるわりには普通のアクション小説を越えたものがあるとは思いにくい作品でもありました。

中国警察故の特殊性は当然描いてはあるのですが、読み手の期待に答えたものであるかは若干の疑問が残りました。

また、香港の民主化運動の中心人物であるはずの捜査の対象であるキャサリン・ユーという人物像と嫌疑事実との乖離が大きな謎としてあって、その謎が解き明かされていくのですが、その解明の過程が若干分かりにくい印象があります。

そこには中国側の捜査官の有する個人的な事情が重なっていることもあるでしょうし、キャサリン・ユーを追いかけている組織が警察だけではなく、中国関連の二つの組織が絡んでくるというストーリーの複雑さにも起因するのかもしれません。

そこはよく練られているストーリーというべきところなのでしょうが、場面ごとの視点の主が分かりにくかったこともあって私には若干分かりにくかったのです。

 

また、中国が絡んだ警察小説ということで、国家間の謀略戦が描かれるという期待もあったのですが、その点はあまり満たされませんでした。

中国側の人間模様がかなり重んじられており、その点では普通の謀略とは遠い物語と言うべきかもしれません。

 

とはいっても、中国警察という分かりにくい組織をテーマによく練られた物語であることは否定できません。

月村了衛のアクション小説としてそれなりにおもしろく読んだ作品だと言えます。

探偵は田園をゆく

探偵は田園をゆく』とは

 

本書『探偵は田園をゆく』は『シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』の第二弾で、2023年2月に322頁のソフトカバーで刊行された長編のハードボイルド小説です。

シリーズ初の長編小説で、山形弁そのままの女探偵が行方不明になったある男を探し回るハードボイルドですが、どことなく物語に没入できない違和感を感じた作品でした。

 

探偵は田園をゆく』の簡単なあらすじ

 

椎名留美は元警官。山形市に娘と二人で暮らし、探偵業を営んでいる。便利屋のような依頼も断らない。ある日、風俗の送迎ドライバーの仕事を通じて知り合ったホテルの従業員から、息子の捜索を依頼される。行方がわからないらしい。遺留品を調べた留美は一人の女に辿り着く。地域に密着した活動で知名度を上げたその女は、市議会への進出も噂されている。彼女が人捜しの手がかりを握っているのだろうか。(「BOOK」データベースより)

 

探偵は田園をゆく』の感想

 

本書『探偵は田園をゆく』は、シングルマザーである椎名留美という元警官の探偵を主人公とするハードボイルド作品です。

シリーズ第一巻の『探偵は女手ひとつ』は六編からなる連作短編集でしたが、本書は本業の人探しの依頼を受けての長編小説となっています。

 

本シリーズの特徴は、物語の舞台が山形であって、主人公ら登場人物の言葉ももっぱら山形弁だということです。

私には分からないのですが、出てくる土地名もそのままに山形に実在する土地が登場してきていることだと思います。

 

地方が舞台の小説と言えば、私の郷里熊本を舞台にすることが多いSF作家で、映画化もされた『黄泉がえり』の作者である梶尾真治の作品が思い出されます。

この人の作品に登場するのは私もよく知っている熊本市内の繁華街であったり、郊外であったりするので、読んでいてとても親しみを感じるのです。

多分、山形の人達も本書を読んで同様の思いを持つことだと思っています。

 

 

椎名留美はデリヘルのドライバー仕事に関連して知り合った橋立和喜子という女性から、息子の翼が行方不明になったので探してほしいという依頼を受けます。

母親の溺愛をいいことに女にだらしなく、いい加減な生活を送っていた翼がある日突然連絡が取れなくなったというのです。

翼の部屋にあったとある品物から浮かび上がってきたのが西置市内のNPO法人の代表者である吉中奈央という女性と、その側にいた西置市の東京事務所顧問だという中宇祢祐司という男でした。

こうして、前巻にも登場してきた畑中逸平・麗の元ヤンキー夫婦の手助けを得ながら探索を始めるのです。

 

本書『探偵は田園をゆく』は、こうして人探しというハードボイルドの王道の仕事を遂行する留美たちの姿が描かれていますが、主人公の椎名留美の背景も前巻より以上に詳しく語られています。

留美は両親に反対されながらも椎名恭司と結婚しましたが、知愛が生まれてからも、恭司が事故死してからも両親とは仲違いしたままでした。

代わりに義母の椎名富由子とはとても良好な関係を保っていて、恭司の死後しばらくは間をおいていたものの、今回の事件でたまたま再開してからは前以上に仲良くなっていくこと、などが語られています。

さらには留美が警察をやめるに至った事情についても明らかにされているのです。

前巻で、こうした事情がどこまで明らかにされていたかはよく覚えてはいないのですが、ここまで詳しくは明らかにはされていなかったと思います。

 

こうしてシングルマザー探偵の仕事ぶりが語られることになっているのですが、ただ、ミステリーとしての本書に関しては、今一つ感情移入できませんでした。

前巻は、それなりに面白く読んだ記憶しかありません。山形弁の女性探偵という設定もユニークだし、個々の話の内容もそれなりに惹き込まれて読んだと覚えています。

しかし、本書では敵役に今一つ存在感がなく、惹き込まれて読んだとまでは言えませんでした。

前作の個々の物語の登場人物たちのように、キャラクターが立っている印象が無かったことによると思います。

 

さらに言えば、最後のひねりにも少々無理筋なものを感じてしまったこともあると思われます。

本シリーズは、主人公にも、その周りの登場人物たちにも魅力的な人物が多く登場してきているので、もっと面白い差作品が出てくるものと期待して待ちたいと思います。

シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ

シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』とは

 

本『シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』は、一人娘を抱えたシングルマザー探偵を主人公とする、軽妙なハードボイルドミステリーシリーズです。

シングルマザーが主人公の山形弁が飛び交うローカル色豊かな作品であり、かなり面白く読んだ作品でした。

 

シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』の作品

 

シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ(2023年05月06日現在)

  1. 探偵は女手ひとつ
  2. 探偵は田園をゆく

 

シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』について

 

本『シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』は、一人娘を抱えたシングルマザー探偵を主人公とする、軽妙なハードボイルドミステリーです。

主人公は椎名留美というもと警察官です。夫の椎名恭司を事故で失ってからとある事情で警察を辞めることになり、一人娘の知愛を育てるためにも山形市で私立探偵を開業しています。

しかし、私立探偵とはいってもそうは仕事があるわけでもなく、実際は第一作の『探偵は女手ひとつ』で描かれている職業はスーパーの保安員やパチンコの順番取り代行、雪かきやさくらんぼの収穫の手伝いなど便利屋というべき現状です。

 

 

とはいえ、たまには私立探偵としての補助がいるときや、仕事の中で危ない場面に直面する場面などにボディガード的な立場で助けてくれる元バリバリのヤンキーだった畑中逸平の夫婦がいます。

また、元警察官ということもあってか、暴力団が絡む事案なども臆せずに手がけますし、その道へのつながりも持っています。

 

本シリーズの特徴は何と言っても山形を舞台に展開される地方色豊かな内容であって、登場人物もみんな山形弁を話していることでしょう。

この方言での会話という点は、わが郷土熊本の梶尾真治が熊本を舞台に物語を展開しているのと同じであり、実に親しみを感じます。

本シリーズは梶尾真治のほのぼの系のSF作品とは異なりあの深町秋生作品ですから、社会のダークな側面をこそ描き出すハードボールド作品ということで作品のタッチは全く異なります。

 

とはいえ、子持ちのもと警察官の探偵を主人公としているのですから、例えば『煉獄の獅子たち』のようなバイオレンス色が濃密な作品と違い、時には親子や家族の問題も絡ませた社会派的な側面も見せる物語となっています。

2023年5月の時点ではシリーズはまだ二作品しか出版されていませんが、今後の展開を期待したいと思います。

 

祝祭のハングマン

祝祭のハングマン』とは

 

本書『祝祭のハングマン』は2023年1月にハードカバーで刊行された長編のエンターテイメント小説です。

「どんでん返しの帝王」の異名を持つ著者中山七里の作品だけにかなりの期待を持って読んだのですが、期待とは裏腹の今一つと感じた作品でした。

 

祝祭のハングマン』の簡単なあらすじ

 

警視庁捜査一課の瑠衣は、中堅ゼネコン課長の父と暮らす。ある日、父の同僚が交通事故で死亡するが、事故ではなく殺人と思われた。さらに別の課長が駅構内で転落死、そして父も工場現場で亡くなる。追い打ちをかけるように瑠衣の許へやってきた地検特捜部は、死亡した3人に裏金作りの嫌疑がかかっているという。父は会社に利用された挙げ句、殺されたのではないか。だが証拠はない…。疑心に駆られる瑠衣の前に、私立探偵の鳥海が現れる。彼の話を聞いた瑠衣の全身に、震えが走ったー。(「BOOK」データベースより)

 

祝祭のハングマン』の感想

 

本書『祝祭のハングマン』は、著者の中山七里が“現代版必殺仕事人”を書いてほしいという依頼に応じて書き上げたものだそうです。

読み終えてみると確かに必殺仕事人の物語であり、池波正太郎の仕事人という立場の存在だけがそのままに現代社会に置き換えられた話でした。

 

本書の登場人物をみると、まず主人公は父の誠也と二人で暮らしている警視庁捜査一課に勤務する春原(すのはら)瑠衣という女性刑事です。

相棒の志木と組んで捜査に当たっていますが、当初交通事故と思われていた事案が人為的な事件の可能性が出てきたため、瑠衣たちが担当することになります。

その内に地下鉄駅の階段で似たような事件が起き、この事件の被害者もまた第一の事件の被害者と同じ会社の社員だったことから殺人の可能性が高くなってきます。

なかなか目撃者も現れないままに現場での捜査は続きますが、そこに刑事上がりの探偵の鳥海という人物が瑠衣の前に現れます。

鳥海は仲間の比米倉という男と共に事件を追っていたのですが、瑠衣にある話を持ちかけてくるのでした。

 

著者の言葉によると、現代社会では、「司法の世界は公正であるはずなのに、そこに格差が生まれている、あるいは生まれつつあるのでは」ないかという印象があったため、リアルな話としてかけるのではないかと思ったそうです( 本の話WEB : 参照 )。

ただ、本書を読んでいる最中から、このミステリーがすごい!大賞を受賞した『さよならドビュッシー』を書いた著者中山七里の作品とは思えない、という印象しかありませんでした。

 

 

とにかく舞台設定があらいのです。

主人公の女刑事がたまたまある交通事故の現場近くに居合わせ、その被害者がたまたま主人公の父親と同じ会社に勤務する会社員であり、その交通事故が殺人事件の可能性が高くなった時にたまたま主人公が担当することになります。

また、後に主人公に深くかかわることになる探偵が、自分たちの秘密を簡単に主人公に明かしてしまったり、自分たちの秘密のアジトに主人公を連れていったりもするのです。

 

結局、本書の物語世界が、登場人物が数人しかいないご都合主義の満ち溢れた狭い世界で完結する物語でしかなく、とても残念な印象しかありませんでした。

久しぶりに中山七里という作家の作品を読もうと思った出鼻をくじかれてしまいました。

もしかしたら、本書はシリーズ化されるのかもしれませんが、たぶんもう読まないと思います。

とにかく中山七里の作品とは思えない残念な作品でした。

妖の絆

妖の絆』とは

 

本書『妖の絆』は『妖シリーズ』の第三弾で、2022年12月にハードカバーで刊行された長編のエンターテイメント小説です。

シリーズの前二巻と異なり江戸を舞台としており、仲間であり恋人であった欣治との出会いを描いたアクション小説ですが、前二巻よりはストーリーが単調に思えました。

 

妖の絆』の簡単なあらすじ

 

人の血を啜り、闇から闇へと生きる絶生の美女・紅鈴が、江戸の世で出会ったひとりの少年、欣治。吉原に母を奪われ、信じていた大人たちにも裏切られた。そんな絶望の中でなお、懸命に生きる欣治との出会いが、孤独な闇を生きてきた紅鈴の思いがけない感情を芽生えさせる。「こんな腐った世の中に、こんなにも清い魂があるものか。この汚れなき魂を、あたしは守りたい」欣治を“鬼”にするー。その、後戻りできない決断の先に待ち受ける運命とは!?美しく凶暴なまでに一途なダークヒロイン、ふたたび。(「BOOK」データベースより)

 

妖の絆』の感想

 

本書『妖の絆』は本『妖シリーズ』の主人公である紅鈴とその仲間であり想い人でもあった欣治との出会いが描かれている作品です。

シリーズ第一作の『妖の華』は、既に亡き欣治を思い出させるもののその実ヘタレ男であるヨシキと紅鈴との物語と、同時に展開される変死事件を追う井岡刑事の話との二本柱の作品でした。

誉田哲也作品の一つの型である、異なる話が一つの物語に収斂していく作品です。

そして、第一作では欣治は既に亡くなっており、第一作で触れられていた欣治の死に絡む暴力団組長三人殺し事件の顛末を描いたのが圭一という盗聴屋が出てくる第二作目の『妖の掟』でした。

 

その欣治と紅鈴との出会いを描き出しているのが本書『妖の絆』です。

本書の舞台となるのは江戸時代ですが、敵役の一族が加賀の前田利家から大命を受けて以来「二百有余年」とあったり、明暦2年(1656年)10月に移転(ウィキペディア)した新吉原が「日本堤に移して、もう百何十年も経つ」とありましたので、1800年代のいつかということになるのでしょう。

 

本書『妖の絆』では主役の紅鈴、欣治の他に、欣治の父親の弥助と母親のおかつ、そのおかつを吉原に連れて行った女衒の吉平や吉平の手下の正八与市と登場します。

敵役として八代目百地丹波を頭とする素波の一団が登場しますが、直接的な敵役となっているのは丹波の部下の道順という男でありまた今川拓馬片山志乃などという面々です。

ただ、拓馬や片山志乃という人物の設定は、それなりに焦点が当てられている割には今一つはっきりとしない存在であり、誉田作品にしては中途半端な存在だという印象でした。

とはいえ、紅鈴と欣治とが結びつくきっかけとなる事件の要となる人物の一人ではあるわけで、その拓馬も一人の人間として喜びも悲しみも背負った人物であることは示されています。

その上で、紅鈴という怪物に絡んでの幸せや不幸であることが示されていると思われ、まったく意味がないわけではないでしょう。

 

前述したように、本書『妖の絆』は全体として前二作と比べストーリー自体の面白さが今一つのように感じられる点があったことも事実です。

誉田作品にしては物語の展開がシンプルに感じられ、紅鈴が吉原に潜り込んで男どもを手玉に取る場面にしても、紅鈴と百地一派とのアクションにしてもこれまでの二作品ほどの高揚感がありません。

時代背景が江戸時代ということでそうなったのかはわかりませんが、紅鈴の闇神としての存在故の展開があまり感じられませんでした。

もちろん、本書は本書なりに面白いのは事実であり、前二作品と比べればの話です。

ただ、前二作品が手元にあるわけではなく、私の記憶の中の作品と比べての話なので、もしかしたら間違っているかもしれません。

本書を、前二作品の知識がなく読んだとしたら、かなり面白いと思いながら読んだのではないかとも思えるのです。

 

主人公の紅鈴が、無敵の力を持つ吸血鬼(闇神)であり、基本的に不死の身でありつつも、不死の身であるが故の淋しさ、哀しさを漂わせる存在としてあるという設定は非常に心惹かれます。

その設定のもと、自分の能力を分け与えたただ一人の仲間であり、恋人でもあった欣治との出会いが描かれた作品だということで私の中でハードルがかなり高くなっていたのでしょう。

本書では、自分に無関係の人間の生き死にには無関心な紅鈴が、欣治やその母親のおかつには関心を持ち、おかつを吉原から救い出したりしているわけで、矛盾した行動をとっています。

しかし、そうした行動はこれまでの二巻の中でも見られたはずであり、だからこそ紅鈴の孤独感も感じられ、また哀しさをも感じ取れると思われます。

 

そうした設定の主人公の活躍も作者によればあと二巻で終わるそうです。

出来れば最終巻などと言わず、続けてもらいたいと思うのが、一ファンとしての望みでもありますが、作者が明記しているので無理でしょう。残念です。

地図と拳

地図と拳』とは

 

本書『地図と拳』は、2022年6月に本文だけで625頁のハードカバーで刊行され、第13回山田風太郎賞を受賞し、第168回直木賞を受賞した長編の歴史×空想小説です。

膨大な量の情報が詰め込まれた、しかし読み手を選びそうな個人的には難解と感じた作品でした。

 

地図と拳』の簡単なあらすじ

 

「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。(「BOOK」データベースより)

 

地図と拳』の感想

 

本書『地図と拳』は、満州国を時代背景として、架空の街である「李家鎮(リージャジェン)」を主な舞台として、複数の人間の数十年を描く作品です。

また、本書は「序章」「終章」を加えて全二十章からなる作品で、各章ごとに特定の年度のある季節における数多くの登場人物の様子を語る群像劇ということもできます。

全部で六百頁を越えるという分量であり、例えば会話文の多い今野敏などの小説でいうと三冊分を軽く超える分量になるでしょう。

その分量に加え、描き出されている情報量も、巻末には全部で八ページにもなる参考資料が掲示してあることからもわかるように膨大なものがあり、地図や建築などに関しての著者の調査結果に基づく知識が詰め込まれています。

その上、個々人の行動のみならずその思考に関しての描写は私の理解力を越えたところにある箇所が少なからず見られ、なかなかに読了に体力を要するものでした。

しかしながら、本書が直木賞の受賞作となっていることやネット上での評判の良さからも分かるように、そうした読了の困難さはひとえに私の力の無さに由来するというべきことなのかもしれません。

 

本書『地図と拳』では、日本がロシアとの間の戦争、そして支那事変を経て太平洋戦争へと至る過程での満州、特に李家鎮をめぐる登場人物たちの姿が描かれています。

そして登場人物も、李家鎮の顔役である李大綱イヴァン・ミハイロビッチ・クラスニコフというロシア人神父、孫悟空という拳匪、東京帝国大学で気象学を学んでいた須野、赤銃会の孫丞琳、仙桃城守備隊配属憲兵の安井、須野の息子である正男明男、同潤会の中川石本という明男の友人といった人物らが入れ替わり登場し、李家鎮を起こし、発展させ、没落させていくのです。

 

また、本書冒頭では対ロシアの諜報の任務に就くためにハルビンへ向かう船上の高木と通訳の細川という二人の日本人の様子から始まります。

ここからしばらくは大きくは物語の変動がありませんが、この序盤に描かれた高木や細川、それにロシア人宣教師のクラスニコフ、李大綱らはこの物語で重要な位置を占めることになります。

特に、楊日網と孫悟空の李大綱との関係はきちんと押さえておかなければ物語の方向性を見失ってしまいますし、後に登場する須野やその息子の明男、中国人の孫丞琳なども重要です。

 

理解できないという点を挙げるとすれば、本書を通しての作者の意図ですが、細かい点を挙げるとすればまずはクラスニコフの存在でしょう。

クラスニコフは物語の随所で神の教えを説いていますが、教えを説かれた者のほとんどは教えを理解することなく例えば抗日運動に身を投じるなど、他人からの攻撃に対し反撃することを選択しています。

作者がクラスニコフに託した思いは何なのか、神の教えが意味の無いものだということを言いたいのか。それとも本書のような過酷な状況においてもなお神を信じ、他者の暴力に耐える者のいることを肯定し、賛美するのか。

そこのところがよく分かりませんでした。

究極は遠藤周作の『沈黙』に置いて書かれている信仰の強さと、現世の暴力に屈し他人を売る弱者の存在との対比、「神」は存在するか、という根源的な問いを示すのでしょうか。

 

 

そして本書『地図と拳』を通しての作者の意図が不明です。

中盤あたり、須野が登場してくるころから物語は動き始めますが、展開される場面が多く、また時系列も決して直線的ではないために若干の戸惑いを感じた点も読書の困難さを感じた理由の一つかもしれません。

作者小川哲は「敗戦に至る過程を一から知りたかった。満洲を書くことが20世紀前半の日本について書くことの縮図だと思った」のだそうです( 好書好日 : 参照 )。

確かに日本と中国、そしてロシアの当時の状況を実によく調べ上げられ、それをエンターテイメント化されたフィクションとして構築されている姿はただ素晴らしいものがあります。

直木賞の受賞作となっているのもよく分かる力作です。

 

しかしながら、個人的な好みとは合致しない作品でもありました。

本書が当時の日本の縮図といえるのか、戦争に向かう国の意思が定まっていく様子が本書のような個々人の動向を描くことで示すことができるのか、よく分かりませんでした。

作者は「特に僕のように親が戦争を知らない世代も多い今は、それをフィクションで体験するのも一種の反戦活動になると思う。」と言っておられます( P+D MAGAZINE : 参照 )。

しかし、本書『地図と拳』のようなフィクションを読むことが本当に反戦活動といえるのか、疑問があります。

反戦文学といえば、五味川純平の『戦争と人間』や『人間の条件』(Kindle版)のような作品こそ反戦文学と思っていた私にとって、本書はよりエンターテイメント性が強く、理解もしがたい作品だったのです。

 

バッド・コップ・スクワッド

バッド・コップ・スクワッド』とは

 

本書『バッド・コップ・スクワッド』は2022年11月に刊行された、長編のサスペンス小説です。

主人公の属する警官チームと対峙する犯罪者との目の前の金をめぐる緊迫した交渉が、手に汗握る作品となっています。

 

バッド・コップ・スクワッド』の簡単なあらすじ

 

「私のいる場所が正義だなんて誰が言った」
5人の刑事の最低な1日の、最悪な選択。

「彼は法を破ってでも、君を救ってくれるのか?」

違法捜査 昇任試験 監察官室 追跡 6億3000万円 小心者 人質家族 逃走経路 管理官 埼玉県警武南警察署 警視庁捜査一課特殊犯捜査……

正義と悪の狭間を行く5人の刑事の行き着く先は……!?
誰も見たことのない、衝撃の警察小説誕生!(内容紹介(出版社より))

 

元暴走族幹部が犯した強盗傷害事件捜査の容疑者を逮捕に向かったチームだったが、住まいであるマンションにはある筈の容疑者の車が無い。

しかし近所で容疑者の車を見つけ運転手を逮捕するが、その際、車体の弾痕から血を流している別の車を見つけてしまう。

その車が広い駐車場に入ったところでチームの一人がその車に近づくと、その車の運転手が突然発砲してきた。

何とかその男を捉えるが、その隙に逃走した最初に容疑者の車を運転していた男をチームの一人が誤って射ち殺してしまう。

ところが、主人公は誤射をしたメンバーに対し「望むならなかったことにしてやってもいい」と言い出すのだった。

 

バッド・コップ・スクワッド』の感想

 

本書『バッド・コップ・スクワッド』は、いつもの木内一裕の作品と同じように実に読みやすい作品でありながらも、サスペンス感満載の警察小説となっています。

本書の中心となるのは、埼玉県川口市東部を管轄する武南警察署の強行犯係のチームです。

メンバーは指揮をとる係長の小国英臣警部補を始めとして、チーム唯一の女性捜査員の真樹香織里巡査長橋本繁延巡査長、新米刑事の新田智樹巡査、そして本書の主人公でもある主任の菊島隆充巡査部長の五人です。

このチームが二週間ほど前に発生した強盗傷害事件の犯人と目される人物の逮捕に向かった先で遭遇した一台のハイエースを止めたところから新たな物語が始まります。

いきなり発砲してきたハイエースの運転手澤田弘幸を逮捕後に調べると、その車には数億の金が積んであったのです

ところが、今度はその金をめぐり新たな登場人物田中一郎まで現れ、事態は予想外の展開を見せ始めるのです。

 

本書『バッド・コップ・スクワッド』の最初のうちは、実在しそうもない警官たちを配してノワール風の物語を仕上げていく、木内一裕らしくない作品だという印象でした。

しかし、新田が拉致され、田中という第三者が現れたあたりから俄然物語の雰囲気が違ってきます。

背景や登場人物が一新した別の作品のように感じられてきて、濃密なノワール小説へと変わりました。

まさに木内一裕の物語が展開されて以降の展開が読めなくなり、一気に読み終えてしまいました。

 

もともと、木内一裕の作品は登場人物の心象はあまり表現されておらず、小気味いいリズムで会話が展開し、その会話の中で物語の進行が為されていきます。

そして、主人公の性格設定は基本的に「悪」であり、それゆえに物語はノワール小説の色合いを帯びる場合が多いのです。

そういう意味では、作者木内一裕が昔書いていた漫画『ビーバップハイスクール』の展開を思い出させるのです。

高校生が主人公ですから、もちろん内容は全く異なるものの、どこか物語に漂うコミカルなタッチや、時に見せるバイオレンスなど、作者の傾向はやはり同じだという印象です。

 

 

バイオレンスという点では『ドッグ・メーカー』や『煉獄の獅子たち』などの深町秋生と似たものを感じます。

しかし、深町秋生の作品はその暴力性の点で木内一裕のそれを上回りますが、逆に木内一裕に見られるユーモアのタッチは見られないと思います。

どちらがいいというものではもちろんなく、私の中ではどちらも面白いエンターテイメント小説であり、全部の作品を読みたい作家さんでもあります。

 

 

話を本書『バッド・コップ・スクワッド』に戻すと、本書は菊島を中心とするチームの物語にはなっていますが、その実、菊島個人の物語です。

菊島自身も言っているように、菊島自身が犯罪者側にその心裡が傾いていて、その点で本書は悪徳警官ものの変形ということもできるかもしれません。

そうした面で本書はノワール小説なのであり、元ヤクザが探偵をやっている同じ木内一裕が描く『矢能シリーズ』と同様に、新たに菊島を主人公とする元警官である犯罪者のシリーズとして続行されることを期待してしまいます。

 

 

本書の菊島というキャラクターはそれだけ魅力的な人物であり、シリーズを維持していけるだけのキャラクターだと思うのです。

木内一裕の作品にははずれがない、という言葉をネットでも散見しましたが、全く同意見です。

今後の展開を期待したいと思います。

プリンシパル

プリンシパル』とは

 

本書『プリンシパル』は2022年7月に544頁のハードカバーとして刊行された、長編のクライムサスペンス小説です。

太平洋戦争終結時、父である水嶽組組長の死去に伴い、やむを得ず水嶽組の跡目を継がざるを得なくなった女性の慟哭の数年間を描く、少々冗長と感じたもののさすがに面白さは抜群の作品でした。

 

プリンシパル』の簡単なあらすじ

 

1945年、東京。関東最大級の暴力組織、四代目水嶽本家。その一人娘である綾女は、終戦と父の死により、突如、正統後継者の兄たちが戦地から帰還するまで「代行」役となることを余儀なくされる。懐柔と癒着を謀る大物議員の陥穽。利権と覇権を狙うGHQの暗躍。勢力拡大を目論む極道者たちの瘴気…。綾女が辿る、鮮血に彩られた闘争の遍歴は、やがて、戦後日本の闇をも呑み込む、漆黒のクライマックスへと突き進む。(「BOOK」データベースより)

 

終戦のその日、女教師である水嶽綾女は父親玄太の危篤の知らせを受け、玉音放送が流れるなか疎開先の長野から実家である渋谷の水嶽本家へと帰ってきた。

その夜、父水嶽組組長の玄太は逝き、綾女は未だ戦地にいる兄たちの代わりに喪主を務めるように言われるが、ヤクザを嫌っていた彼女はこれを受け付けないでいた。

しかしその夜、綾女が宿としていた青池家が襲撃を受け、青池修造とその嫁を除いて、乳母であったハツを始めとする青池家の皆は子供に至るまで拷問の末に殺されてしまう。

何とか生き延びることができた綾女は青池家の惨状を目の当たりにして復讐を誓い、そして水嶽組の跡目を継ぐことになるのだった。

 

プリンシパル』の感想

 

本書『プリンシパル』は、二十三歳の女性教師が突然関東最大の暴力団の組長となり、戦後の混乱期を乗り越えていく話です。

お嬢さんが極道の家の跡継ぎになる話、というそのことだけで、ドラマ化もされ人気を博したコミックの『ごくせん』のようなコミカルなタッチの極道ものか、と単純に考えていたら大いに違っていました。

 

 

評論家の香山二三郎氏に言わせれば、赤川次郎の『セーラー服と機関銃』だと思っていたら、フランシス・フォード・コッポラによる映画化でも有名なマリオ・プーヅォの『ゴッドファーザー』だった、そうです( Book Bang : 参照 )。

それほどに、コミカルな点など全くない、全くシリアスな作品だったのです。

 

 

そういうシリアスな本書『プリンシパル』ですが、全体的に戦後日本の裏面史を俯瞰してみているようで、今一つ感情移入しにくい印象から始まりました。

主人公の綾女というキャラクターの描き方も、彼女自身の行動を追いかけているというよりは客観的に事実を報告している印象が強く、この点でも感情移入しにくいのです。

「水嶽商事の力の大きさ」を示すのに、日本政府も警察もハリボテ同然で使い物にならない、などの表現があるだけで具体的な絡みの場面はほとんどなく、会話の中などで水嶽組の評判を示すだけになっているためか、どうにも水嶽組の大きさを実感できません。

また、綾女の負った原罪ともいうべき青池一家の惨劇は常に綾女につきまとい、幽霊とも幻覚ともつかない存在が示されはしますが、それ以上に綾女の個々の行動の理由もよく分かりません。

この随所に現れる青池家族の亡霊らしき存在は、綾女への非難や怨念なのか、それとも彼女への暴力的な生き方への後押しなのか、よく分かりませんでした。

さらに、青池家の惨劇での、綾女を守るために青池家の幼い子までもが拷問に耐え、綾女の居場所を吐かないという設定も、少々真実味にかける印象でした。

 

さらに言えば、登場人物の多さも物語の筋を追いにくくしているように思えます。

水嶽家だけでも、長女の綾女から見て父親で組長の玄太、長兄の麟太郎、次兄の桂次郎、三兄の康三郎、義母の寿賀子、寿賀子の娘の由結子がいます。

そして、悲惨な目に遭う青池家には父親と母親のはつ、それに興造修造泰造佳奈子という兄弟姉妹、修造の妻のよし江がいます。

株式会社となった水嶽組である水嶽商事の役員として赤松須藤堀内がおり、他に飛田という綾女のボディガード、生田目日野といった親分衆が登場します。

ほかにも、水嶽組に敵対する三津田組や、廣瀬通商熊川万里江GHQ関係としてロイ・クレモンズレナード・カウフマン他が登場します。

ほかに歴史上の実在の人物をモデルにしていると思わせる存在として、水嶽組を食い物にする政治家の旗山市太郎吉野繁美という衆議院議員がいますが、それぞれに鳩山一郎、吉田茂をモデルにしていると思われます。

さらに美空ひばりをモデルとしていると思われる美波ひかり、関西最大の暴力団である山口組の田岡一雄を思わせる竹岡組組長の竹岡義雄も忘れてはいけません。

主な人物だけを挙げてもこれほど多いのです。ほかにも多数の登場人物がおり、よくその名前と関係性を覚えていないと混乱してしまいます。

 

しかしながら中盤から終盤に入ると、これまでと同じような凄惨な攻防戦が続く展開ではあるものの、綾女のこれからの成り行きが気になり、次の展開が気になって仕方がなくなってもいました。

それほどに、戦後史という側面はありながらも、綾女という女性をめぐる物語としての面白さが勝ってきたのです。

 

終盤近くになり、戦後裏面史という体裁は単純に私の読み間違えで、ただ、水嶽綾女という女性の生き方を描き出した作品という方が正しいのだと思えてきました。

その歴史はもちろん水嶽組というヤクザ組織を背景にした、水嶽綾女という女性の暴力の積み重ねともいえるのです。

ところが、著者自身が「ノンフィクションに限りなく近い「真実」を描けた」と言っているように、本書『プリンシパル』自体は戦後史を描くことが主眼であったようです( PR TIMES : 参照 )。

とすれば、私が最初に感じた印象が正しかったということになりそうです。

 

ともあれ、当初感じた本書の感情移入のしにくさは、新たに解ってきたGHQの横暴さや政界とヤクザとの関係など、戦後史研究での新しい事実を物語の中に落とし込むうえである程度は仕方のないことだったのかもしれません。

そして、その作者の試みはある程度成功していると言えそうであり、エンターテイメント小説としても実に面白い作品として仕上がっていると言えそうです。

ただ、誰かが言っていた、「超弩級の犯罪巨篇」という言葉はそうだとしても、「著者集大成」という言葉はそのままには受け入れることはできないと思います。

とはいえ、クライムサスペンスとして面白い作品として仕上がっているということは言えると思います。

晩秋行

晩秋行』とは

 

本書『晩秋行』は2022年6月に刊行された、486頁の長編のハードボイルド小説です。

久しぶりに読みがいのあるハードボイルド小説を読んだという印象です。それも妙に構えない、思ったよりも軽く読めるハードボイルドでした。

 

晩秋行』の簡単なあらすじ

 

自分が見つけたいのは君香だ。カリフォルニア・スパイダーなどどうでもいい。居酒屋店主の円堂のもとに、バブル時代、不動産売買で荒稼ぎをした盟友の中村から電話が入る。当時、「地上げの神様」と呼ばれ、バブル崩壊後、姿を消した二見興産の会長の愛車で、20億円の価値があるクラシックカーの目撃情報が入ったという。二見は失踪時、愛車とともに円堂が結婚を考えていた君香という女性を連れ去っていた。20億円の車をめぐってバブルの亡霊たちが蠢き出すなか、円堂はかつての恋人を捜し、真実を知るために動き出すー。(「BOOK」データベースより)

 

居酒屋を営んでいる円堂という六十歳代の男のもとに、親友の中村という作家がスパイダーを見たやつがいるという情報を持ってきた。

バブル崩壊後、円堂と中村が勤めていた二見興産社長の二見はカリフォルニア・スパイダーというクラシックカーと共に円堂の恋人だった君香も連れてその行方をくらましたのだ。

二見は危ない金も動かしていたためその筋の者たちも二見の行方を捜したが、誰も見つけることはできなかった。

その後、銀座で二見に会った男がいるという話を聞いた円堂は、中村と共にその男に会いに行くのだった。

あれから三十年が経っており、円堂は二十億の価値があるというスパイダーを探すという中村と違い、君香の行方を知りたいだけだったのだ。

 

晩秋行』の感想

 

本書『晩秋行』は、帯に書いてあるように、切ない「大人の恋愛」を描いた作品だと思いますが、大沢作品の新境地と言えるかは疑問符がつく作品でした。

ただ、疑問符がつくのは「新境地」という点であり、本書は本書としての魅力があり、暴力のない、男の想いだけを描いたハードボイルド小説として十分な魅力を持った作品でした。

そういう青さという意味では、初期の大沢作品、例えば『佐久間公シリーズ』のまだ青臭い匂いを持った主人公にも似た雰囲気を感じたものです。

もちろん、本書の主人公は佐久間公ほど青臭くもなく、大人の魅力を持った男なのですが、自分を捨てた一人の女を忘れないでいるその姿に似たものを感じたのかもしれません。

 

本書『晩秋行』では、現在では二十億の価値がつくとも言われているカリフォルニア・スパイダーというクラシックカーを中心に物語が動きます。

前述のように、主人公はケンジユウミという手伝いがいる中目黒の「いろいろ」という名の居酒屋を営む円堂という男であり、その友人の中村充悟という作家の友人がいます。

また、バブルの頃の地上げ屋時代に馴染みであり、今では「マザー」という銀座のクラブのママである委津子や別な店で出会ったホステスの奈緒子、それに沖中真紀子という正体不明の女や藤和連合につながると思われる女実業家の松本政子などの女性陣が色を添えます。

ほかにもそれほど多くはないものの、物語の要所に登場する人物たちがいますが、物語の流れに関係してくるのでここでは明記しない方がいいと思われます。

 

本書『晩秋行』はこれまでの大沢作品のようなアクションの要素はなく、ただひたすらに行方をくらました恋人の消息を知りたいだけの男の様子が描かれています。

この点、すなわちアクション場面がなく、主人公がただ昔の女の面影を追い続けるという点では、これまでの大沢作品の登場人物とは異なるようではあります。

この点を捉えて「大沢作品の新境地」と書いてあるのだろうと思いますが、でもこれまでの登場人物も過去の女を簡単に斬り捨てているような主人公はいなかったと思います。

それどころか、本書の主人公のように暴力を前にしてもひるむことなく男の矜持を貫く大人の男の姿は、志水辰夫北方謙三の作品を始めとするハードボイルド小説の主人公の普遍的なたたずまいです。

 

ともあれ、本書『晩秋行』がこれまでの大沢ハードボイルド作品とは若干異なる顔を見せていることは違いありません。

とはいえ、根っこのところではこれまでの大沢ハードボイルドの登場人物とそれほど異なるとは思えないのです。

随所に挟まれる警句的な台詞も読み進めるリズムをうまく作ってくれて心地いいし、まさに大沢作品でした。

六十歳の主人公を描いても、相変わらずに男から見ても魅力的な存在として描き出すその筆力はやはり大沢在昌ならではの魅力を有している作品でした。

ドッグ・メーカー

ドッグ・メーカー』とは

 

本書『ドッグ・メーカー』は『監察官黒滝シリーズ』の第一弾作品で、2017年7月に文庫本書き下ろしで出版された、村上貴史氏の解説まで入れて616頁の警察小説です。

ノワール小説と分類されてもいいほどのアクの強い、それも監察係の警察官を主人公とする珍しい作品ですが、とても面白く読むことができました。

 

ドッグ・メーカー』の簡単なあらすじ

 

黒滝誠治警部補、非合法な手段を辞さず、数々の事件を解決してきた元凄腕刑事。現在は人事一課に所属している。ひと月前、赤坂署の悪徳刑事を内偵中の同僚が何者かに殺害された。黒滝は、希代の“寝業師”白幡警務部長、美しくも苛烈なキャリア相馬美貴の命を受け、捜査を開始する。その行く手は修羅道へと繋がっていた。猛毒を以て巨悪を倒す。最も危険な監察が警察小説の新たな扉を開く。(「BOOK」データベースより)

 

 

ドッグ・メーカー』の感想

 

本書『ドッグ・メーカー』の著者深町秋生には他にも警察官を主人公にしたシリーズ作品があります。

その中の一つが本書の主人公黒滝誠治のようにいわゆる悪徳警官と呼べそうな警察官、それも女性警察官を主役としたシリーズ作品である『組織犯罪対策課 八神瑛子シリーズ』であり、2022年5月の時点での『ファズイーター』で第五巻となっています。

 

 

この両作品に共通するのが暴力であり、主人公のアクの強さです。

本書の主人公である黒滝誠治警部補は他人の秘密を探り出すことに病的なまでに関心を持っていて、手段を選ばずに情報収集をし、さらにその情報で目的の人物を自分のコントロール下に置くのです。

組織犯罪対策課 八神瑛子シリーズ』の八神瑛子警部補もまた自分が欲しい情報を得るために手段を選びません。

八神瑛子は警察官を相手に貸金業を営み、その貸金をネタに警察内部や捜査情報などの秘密を探りだし、自分の捜査に役立てようとするのです。

 

この両者が異なるとすれば、それは両者の職掌の違いと、黒滝の場合は上司に相馬美貴という熱血漢の警視がおり、さらにその上司に白幡一登という警務部長がいて、黒滝の捜査方法を黙認しているところでしょうか。

八神瑛子の場合、瑛子が所属する上野署の署長である富永昌弘というキャリアがいて、瑛子の捜査方法に異を唱えようとします。

でも、後には瑛子の働きを見て捜査上の必要性から黙認しているだけの形をとってはいますが、事実上、上記の相馬や白幡と同様の庇護者として機能しているようです。

とすればこの点はあまり両作品の差というわけにはいかないかもしれず、残るは職掌の違いだけが残るだけでしょう。

 

ただ、職掌の違いから両者の犯罪の捜査対象は大きく異なるものの、その捜査の過程にはそれほどの差はないと言えます。

黒滝の金と暴力、そして手段を選ばずに知り得た情報を駆使して対象に近づくやり方は八神瑛子にもそのまま当てはまります。

こうしてみると、両者の行動にそれほどの違いはないとも言えそうです。

 

しかし、やはり男性と女性という差は大きく、また両者の所属部署、警視庁人事一課監察係と警視庁上野署組織犯罪対策課という所属部署の差はかなり大きなものがあるようです。

特に本書『ドッグ・メーカー』の場合、物語として警視庁内部の権力争いを前面に掲げ、警務部トップの白幡が、相馬美貴警視などの力を得てその部下の黒滝を手足として勢力を展開する物語、との側面も無きにしも非ずであり、そうした点でも読み応えがあります。

もっとも、本書は監察の人間を主役としている割には普通の刑事ものとそれほど異なった点はありません。

悪徳刑事が、同じ警察内に巣くう悪徳刑事を洗い出す過程では暴力団も相手にすることになり、そうした点であまり変わりはないのです。

捜査の対象が警察官であり、その対象を脅迫し、自分の意のままに従わせるという黒滝独自の行動をとることになるだけです。

この点で、例えば佐々木譲の『北海道警察シリーズ』序盤の三部作の、組織を相手にしたサスペンス小説とは、同じ警察を相手にした警察小説でもかなりその趣を異にします。

そうしてみると、本書はリアルなサスペンスではなく、バイオレンスを主軸に組み立てられたノワール小説の色合いが濃いというべきでしょう。

 

 

結局、本書『ドッグ・メーカー』は深町秋生の作品特有のバイオレンスもふんだんに盛り込まれた作品であり、強烈な個性を持った人物を主人公に据えたエンターテイメント小説だということになります。

ともかく、本書は単純にエンターテイメント性を楽しむべき作品と言えると思います。