『虚の伽藍』とは
本書『虚の伽藍』は2024年10月に新潮社から432頁のハードカバーで刊行され、第172回直木賞の候補作となった長編のノワール小説です。
京都の宗教界を舞台に、裏社会とも結びついたその実像を暴き出す濃密な物語世界を持つ作品で、読む人によっては拒否感を持つかもしれません。
『虚の伽藍』の簡単なあらすじ
バブル期の京都。実家の寺を守るため、伝統仏教の最大宗派・燈念寺派の宗務庁で出世を目指す若き僧侶、志方凌玄は、寺の所有地売却の立ち会いで、燈念寺派の不正に気付く。欲望にまみれた“お山”を正道に戻すため、あえて悪に染まっていく凌玄。ヤクザを利用し、人殺しすら躊躇わぬ求道の果てに待ち受けるものとは…。「社会と一緒に日本の仏教は腐ってしもた」「なんでもやります。真の仏法を護るために」-政治や公権力すら及ばない、古都の最深部でくり広げられる壮絶な利権争いを活写し、欲望に翻弄される人間たちを描く著者の新たなる代表作。(「BOOK」データベースより)
『虚の伽藍』の概要
本書『虚の伽藍』は、1980年代のバブル景気を時代背景として、伝統仏教最大宗派の一つである宗教法人を舞台とし、一人の青年僧が組織内部をのし上がっていくノワール小説です。
物語としては宗教とヤクザ、行政との密着を描きだした月村了衛の作品らしい、直木賞の候補作となるのも納得のかなり濃密な物語でした。
『虚の伽藍』の登場人物たち
この物語の主人公は、わが国最大の仏教宗派の一つである錦応山燈念寺派の総務を統括する総局部門に所属する新人の志方凌玄という役僧です。
この凌玄がある売却予定地の現場に顔を出したことから、自分が信じてきた燈念寺派の土地売買に関する不正に気づきます。
そこから、自らが燈念寺派の中で出世することが、燈念寺派が正しい路に進むことになるとの信念を持ち、燈念寺派の様々な不正をも布教のための必要悪だと割り切ることになります。
凌玄は、その現場で見知った京都という土地のフィクサーとして名を馳せる和久良桟人に取り込まれ、京都を縄張りとするヤクザの扇羽組若頭である最上、その側近の氷室たちと手を組むことになるのです。
そこからさらに、真面目一方であった凌玄の経律大学文学部宗教学科の同期生で親友である瀧川海照を引きこむことになります。
また、凌玄たちと敵対することになるのが消費者金融大手の更科金融や、ヤブライ不動産の藪来晋之助でした。
そして、それぞれのバックについたヤクザが、凌玄たちの背後の神戸の山花組であり、その対立組織である関東の東陣会だったのです。
その他にも大豊佐登子やその友人の万代美緒といった二人の女性、それに警察や金融、行政などの要人、そして号命を始めとする多くの燈念寺派僧侶などが入り乱れて物語を彩っていきます。
『虚の伽藍』の感想
この物語自体は一人の青年僧がヤクザや行政の人間たちを動かし、わが国最大の宗教法人の中でのし上がっていく物語です。
登場する人物たちは皆悪人です。善人はただ彼ら悪人に利用され、捨てられていきます。
主人公は自分が燈念寺派の中で出世することが世の中のためになると本気で信じ、ヤクザと手を組むことを選びます。
最初は京都の裏社会のフィクサーに見どころがあるとして取り込まれていったはずなのですが、いつしか主人公が裏社会を利用するようになっていくのです。
宗教とは何か、仏のいう救済とは何かをいやでも考えざるを得ないこの作者らしい濃密な作品です。
そして、本書は主人公がのし上がっていく手段を問わないところから、ノワール小説ということができると思います。
そののし上がっていく過程では、京都の街で現実にあった出来事を彷彿とさせる事案が描かれているそうで、読む人が読めば現実に起きた事件を想起させるそうです。
こうした、現実の出来事を下敷きとしたノワール小説としては黒川博行の作品が思い出されます。
例えば、『疫病神シリーズ』の第一作の『疫病神』は、産業廃棄物処理場をめぐる産廃ビジネスの実態をモチーフとした作品です。
黒川博行の作品は殆どが現実の出来事を背景にしているので、どの作品を取り上げてもいいのですが、私が採捕に読んだ黒川作品ということで取り上げてみました。
ほかにもノワール小説に限らず、警察小説でも現実の事件を下敷きにした作品が散見されます。
例えば、佐々木譲の『北海道警察シリーズ』の第一作目の『笑う警官』は北海道警察で起きた不祥事である稲葉事件や裏金事件を下敷きにした作品です。
この作品は当初の『うたう警官』が後に『笑う警官』と改題されたものですが、この作品はもちろん、シリーズを通してかなり読み応えのある作品になっています。
本書のような現実を下敷きにした作品は、往々にして読み応えのある作品であることが多いと思われますが、本書もまたその例にもれません。
宗教や政治、それに仏の救済、加えて友情や夫婦の在りようなどいろいろなことに思いが及ぶ作品です。
読み通すのにそれなりの力が要求される作品でもありますが、直木賞の候補作となるにふさわしいと思える作品でした。