名乗らじ 空也十番勝負(八)

名乗らじ 空也十番勝負(八)』とは

 

本書『名乗らじ 空也十番勝負(八)』は『空也十番勝負シリーズ』の第八弾で、2022年9月に336頁の文庫本書き下ろしで出版された長編の痛快時代小説です。

シリーズも終盤近くなり、空也の存在も一段と剣豪らしくなっていて、まさに王道の痛快時代小説としてファンタジックな小気味のいい一冊となっています。

 

名乗らじ 空也十番勝負(八)』の簡単なあらすじ

 

安芸広島城下で空也は、自らを狙う武者修行者、佐伯彦次郎の存在を知る。武者修行の最後の地を高野山の麓、内八葉外八葉の姥捨の郷と定め、彦次郎との無用な戦いを避けながら旅を続ける空也。京都愛宕山の修験道で修行の日々を送る中、彦次郎は空也を追い、修行の最後を見届けるため霧子、眉月が江戸から姥捨の郷に入った。(「BOOK」データベースより)

 

名乗らじ 空也十番勝負(八)』の感想

 

本書『名乗らじ 空也十番勝負(八)』は『空也十番勝負シリーズ』の第八弾で、あり得ない強さを持つ主人公の坂崎空也の物語です。

異変ありや』では上海でのヒーロー空也の姿があり、『風に訊け』では痛快時代小説の定番ともいえるお家騒動ものがあって、それぞれに異なった顔を見せていました。

そして本書『名乗らじ 空也十番勝負(八)』では武者修行中の若武者の大活躍が描かれた痛快時代小説と、これまた王道のエンターテイメント時代小説です。

 

本『空也十番勝負シリーズ』の主人公坂崎空也は、単に無類の強さを誇るだけではなく、毎日一万回を超える素振りを欠かさないというその人格態度も含めて完璧な人間です。

空也は現実にはあり得ない強さを持つ痛快小説の主人公として、スーパーマン的存在といえるのです。

大衆小説としての痛快時代小説の主人公は皆無類の強さをもつものですが、本書の空也はまさに非の打ち所がありません。

父磐根の親友を斬ったという悲惨な過去も持たず、また斗酒なお辞さない酒飲みである小籐次のような嗜好もありません。

その点では、空也のような若者などいない、と遠ざける人もいそうな気さえするほどであり、そういう意味も込めて冒頭にはファンタジックな物語と書いたのです。

 

本書『名乗らじ 空也十番勝負(八)』での坂崎空也は、武者修行中の身ではあるものの、江戸の高名な道場の跡取りであることまでも知られている若侍です。

空也自身の人間性はもちろん、そうしたある種有名人ということもあって、安芸広島城下の間宮一刀流道場で暖かく迎え入れてもらえます。

この間宮道場は、前巻の『風に訊け 空也十番勝負(七)』でほんの少しだけ登場していた佐伯彦次郎という武者修行中の若侍がいた道場でした。

金十両という金を賭けて立ち合い、その金をもって修行の旅費とする佐伯彦次郎の生き方は空也には真似のできないものであり、また佐伯彦次郎の故里でも、剣を学んだ道場でも受け入れてはもらえない修行の方法だったのです。

その間宮道場で快く受け入れてもらえ、修行に励む空也でしたが、自分との対決を望んでいるらしい佐伯彦次郎との争いを避け、山陽路を東へと旅立ちます。

播磨姫路城下へと辿り着いた空也は、無外流の道場から追い出された撞木玄太左衛門という男が破れ寺の庭先で町人らを相手に教えている道場で修行をすることになります。

その撞木玄太左衛門という人物もまた高潔な男であり、空也は辻無外流道場の追手から彼を助けながらも江戸の坂崎道場へと誘うのです。

一方、江戸では尚武館へ豊後杵築藩出身の真心影流の兵頭留助という男が何も知らないままに道場破りとして現れていました。

この男と、尚武館に入門したての鵜飼武五郎という若侍とが新たに登場しています。

そこに空也からの紹介という撞木玄太左衛門も現れ、より多彩な人物が揃う道場となっているのです。

 

十六歳で武者修行へと旅立った空也も今では二十歳となり、高野山の麓にある空也が生まれた地である姥捨の郷で武者修行を終える旨の文を霧子宛に出しています。

そして、十番勝負の終わりも近い空也の今後がどのような展開になるものなのか、このシリーズの終了後の展開が気になるだけです。

もしかしたら、『空也十番勝負シリーズ』をも含めた『居眠り磐音シリーズ』自体が完結することも考えられます。

作者の「夏には、また新しい物語を届けられるよう、鋭意準備中です。」とも文言が見られるだけです。

出来れば、坂崎磐根、空也親子の物語をまだ読み続けたいと思うのですが、どうなりますか。

ただ、新たな作品を待つばかりです。

一人二役 吉原裏同心(38)

一人二役 吉原裏同心(38)』とは

 

本書『一人二役 吉原裏同心(38)』は『吉原裏同心シリーズ』の第三十八弾で、2022年10月に341頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の痛快時代小説です。

どうにも神守幹次郎の振る舞いや台詞回しが芝居がかっており、かなり興をそがれる一冊でした。

 

一人二役 吉原裏同心(38)』の簡単なあらすじ

 

長く廓の用心棒であった神守幹次郎が吉原を率いる八代目頭取四郎兵衛に就任、御免色里の大改革が始まった。会所を救う驚くべき「金策」に始まり、大胆な改革を行う新頭取への嫌がらせや邪魔が続く中、切見世を何軒も手中に収めた主夫妻が無残にも殺される。背後に控える悪党の狙いとは。新体制で一人二役を務める大忙しの幹次郎は、荒波を乗り越えられるか?(「BOOK」データベースより)

 

 

一人二役 吉原裏同心(38)』の感想

 

本書『一人二役』では、吉原の七代目頭取の四郎兵衛が惨殺された修行の一年間のあとの、八代目頭取四郎兵衛に就任した後の幹次郎が描かれています。

就任したのはいいのですが、いざとなると会所にはほとんど金がなく、その対処に苦慮する幹次郎です。

ただ、こうした点は大きな出来事ではなく、物語の進行上はこれまでのような吉原にとっての大きな障害というのはあまりありません。

いや、まったく無いということではなく、細かな嫌がらせ的な出来事は起こりますがそれは大きな障害ではないと言った方がいいのでしょう。

 

それよりも幹次郎のある構想のほうが大きな出来事です。

本シリーズの流れとしてこの幹次郎の構想がどのような意味を持ってくるのか、今後の物語の展開がどのように変化してくるのか、非常に楽しみなのです。

 

ただ、読者として私が気になったのは、本書のタイトルの『一人二役』ということであり、神守幹次郎が吉原裏同心としての顔と八代目頭取四郎兵衛としての顔を持つことです。

というよりも、問題は二つの貌を持つ幹次郎のその描き方です。

 

本書では実際剣を振るう立場の裏同心と、吉原を率いる立場の会所頭取としての立場はかなり異なるということで、言葉遣いから変えて対処しようとする神守幹次郎の姿があります。

しかしながら、小説の中で幹次郎が四郎兵衛様に伝える、とか裏同心として応える、など、その顔を使い分ける姿がいかにも芝居かかっており、時代小説としての違和感はかなりのものがあります。

物語としてストーリー上の違和感を感じるという点もそうですが、小説の表現としても拒否感があるのです。

ただ単純に裏同心と、吉原会所頭取としての顔を使いわけるというわけには行かなかったのでしょうか。

タイトルからしても、この点こそが本書の主眼だったのでしょうが、どうにも違和感を越えた拒否感を持ってしまうほどであり、残念な描き方でした。

 

幹次郎の新たな構想は今後の本シリーズの展開を期待させるものだけに、余計なことに煩わせられた一冊、という印象の強いものになってしまった印象です。

残念でした。

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』とは

 

本書『御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』は『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第二十五弾で、2022年8月に文庫書き下ろしで刊行された、編集者による巻末付録まで入れて365頁の長編の痛快時代小説です。

新・旧の『酔いどれ小籐次シリーズ』全四十五巻が本書をもって終了します。

 

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』の簡単なあらすじ

 

玖珠山中に暮らす刀研ぎの名人「滝の親方」は、小籐次にそっくりだという。もしや赤目一族と繋がりが?森藩の事情を憂う小籐次のもとに藩主・久留島通嘉からの命が届く。「明朝、角牟礼城本丸にて待つ」-山の秘密を知った小籐次は。『御鑓拝借』から始まった物語が見事ここに完結!記念ルポ「森藩・参勤ルートを行く」収録。(「BOOK」データベースより)

 

第一章 山路踊り
森陣屋でしばらく放っておかれた小籐次だったが、連れていかれた陣屋の中庭では、都踊りかとも見紛う山路踊りなる宴が催されているのに驚くばかりだった。翌朝、一人稽古を済ませた駿太郎はなんでも屋のいせ屋正八方を訪ねた。

第二章 二剣競演
久留島武道場で最上と稽古をした駿太郎は小籐次らと共にいせ屋正八を訪ね、鉄砲鍛冶の播磨守國寿師の鍛冶場を訪ねることとなった。その後、國寿の勧めに従い、次直の研ぎを頼むために十一丈滝の親方の求作に会いに向かうのだった。

第三章 血とは
久慈屋に届いた小籐次からの文が空蔵の手により読売へと仕上げられていた。一方小籐次親子は放っておかれ、何日も無視をされたままだったが、やっと森藩主久留島通嘉からの言伝が届いた。

第四章 山か城か
久留島通嘉は、長年の夢のために穴太積みの石垣を完成させていたのだが、しかし、その夢は森藩御取潰しになる夢でもあった。小籐次らが帰る途中、石動源八なる男が待っていた。

第五章 事の終わり
この夜、茶屋の栖鳳楼で嶋内主石らの酒盛りの席に小籐次が現れた。翌日、小籐次の働きを聞き八丁越に来た石動源八は、谷中弥之助、弥三郎兄弟の待ち受けを知るが、そこに小籐次親子が現れるのだった。

終章
文政十年(1827)七月五日、愛宕切通の曹洞宗万年山青松寺で、不在の間に亡くなった新兵衛の弔いが催され、小籐次親子がそれぞれに剣技を披露し、この物語も幕を閉じるのだった。

 

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』の感想

 

本書『御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』は本シリーズの最終巻であり、小籐次親子が旧主久留島通嘉の参勤交代に同行してやっと森藩陣屋へとたどり着いた後の出来事が語られています。

森藩藩主久留島通嘉が小籐次を参勤交代に同行し、国表まで同行するように命じた理由も明らかにされます。

それは、小籐次の物語の最初である『酔いどれ小籐次シリーズ』第一巻『御鑓拝借』へと連なるものであり、最終巻をまとめるのにふさわしい理由付けだったとは思います。

また、その理由付けによって、前巻でも疑問であった藩主の参勤交代の旅での国家老一派の傍若無人な振舞いに対する「設定が甘い」という私の疑問も、それなりに、一応納得できる理由付けが為されたものでした。

そういう点では最終巻として納得できるものだったと言えます。

 

 

しかしながら、この小籐次親子の参勤交代への同行劇全体は、シリーズを通しての評価としては決して満足のいくものではありませんでした。

というのも、最終巻にしては小籐次の敵役としての国家老の存在が小者に過ぎ、今一つの緊張感が見られなかったからです。

この新旧の『”酔いどれ小籐次シリーズ”のシリーズ作品の中でも私が一番好きだった作品だったので、シリーズが終わること自体がまず残念でした。

そして、どうせ終わるのならば、シリーズ第一巻『御鑓拝借』での小籐次の大活躍のように、最終巻らしい活躍をさせてほしかった、という思いがあったのです。

ただ、こうした思いは藩主久留島通嘉が小籐次に同行を命じた理由そのものは納得できるものだったのですから、全く私の身勝手な好みで満足できなかったと言っているに過ぎないとも言えるでしょう。

 

ただ、それだけ市井に生きる小籐次の姿が好きだったのです。

ところが、いつの頃からか小籐次が神格化され、市井に生きる一浪人としての小籐次ではなくなってしまっていたのは残念でした。

このことは、『居眠り磐音シリーズ』でも同じことが言え、普通の腕が立つ浪人であった主人公の磐根が、そのうちに孤高の剣豪へと変っていったのと似ています。

それは、作者の佐伯泰英の変化に伴うものだったのかもしれず、長い間続くシリーズ物では仕方のないことなのでしょう。

それどころか、変化のないシリーズ物は逆に人気を維持できないのかもしれません。

 

 

ともあれ、本『酔いどれ小籐次シリーズ』は本書『御留山』をもって終了しました。

読者としては、作者の佐伯泰英氏にはお疲れ様でしたというほかありません。

ご苦労様でした。

あとは、『吉原裏同心シリーズ』などの他のシリーズ作品へ力を注いでいただけることを楽しみにするばかりです。

 

八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)

八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』とは

 

本書『八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』は『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第六弾で、2022年7月に336頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の痛快時代小説です。

 

八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』の簡単なあらすじ

 

頭成の湊に着き、森藩の国家老・嶋内と商人・小坂屋の不穏な結びつきを知った小籐次は、ある過去の出来事を思い出した。一方、瀬戸内海の旅を経て新技「刹那の剣」を生み出した駿太郎は、剣術家としての生き方を問うべく大山積神社での勝負に臨むー。森城下を目指す参勤の一行を難所・八丁越で待ち受ける十二人の刺客とは!(「BOOK」データベースより)

 

大山積の石垣
文政十三年(1827)、小籐次たちはやっと速見郡辻間村頭成の湊へとたどり着いた。駿太郎は船問屋の塩屋で待つ間、塩屋の武道場で来島水軍流序の舞を奉納し、翌朝、塩屋の娘のお海から、お海の兄は小坂屋の新頭成組頭領の朝霞八郎兵衛に殺されたという話を聞かされた。

剣術とは
その後、小籐次はかつて関わりがあった小坂屋に会いに行き、当時の詳細を語るのだった。一方、駿太郎のもとには立ち会う約束をしていた朝霞八郎兵衛から文が届いていたものの、小籐次はそれに対し何もしないままであり、駿太郎は一人立ち合いに向かうのだった。

野湯と親子岩
森城下へと向かうその朝、小坂屋金左衛門は小籐次に自分の勘違いだったと告げるが、小籐次は小坂屋の言葉はそのままには受け取れないというのだった。行列は明礬山の照湯に投宿したが、人足の留次の案内で野湯へと行く駿太郎のもとには、一人の剣術家が試合を挑んできた。

十二人の刺客
三河では薫子姫のもとに江戸の老中青山忠裕からの手紙が届いていた。一方、小籐次親子の姿が行列から消えていた。深い霧がかかるなか行列が八丁越に差し掛かると、参勤行列の一行に矢や鉄砲が仕掛けられるが、最上が現れて𠮟りつけ、これをしりぞけるのだった。

新兵衛の死
玖珠街道では八丁越の霧が晴れると石畳には小籐次が佇んでいて、林埼との立ち合いは一瞬で終わった。やっと行列が陣屋に到着した後、駿太郎はなんでも屋のいせ屋正八方を訪ね、小籐次は森藩久留島家の表向玄関の一角の控えの間に一刻以上も待たされていた。

 

八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』の感想

 

本書『八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』は、頭成の湊にたどり着いてから森藩陣屋に至るまでの出来事を記しただけの作品です。

本書では、玖珠街道今宿村辺りが舞台となっていますが、佐伯泰英の作品では、物語の流れに合わせて話の中に登場する土地土地の事情や、来歴などが詳しく描写してあります。

例えば『空也十番勝負シリーズ』の『声なき蝉』では、肥後国の人吉や薩摩藩などの描写があり、本書での描写以上に心が躍ったものです。

それが、今回は別府から湯布院へとの旅路が語られるのですから隣県に住む身としては、よく聞く地名が登場するとやはり心が騒ぎます。

ちなみに、序盤で出てきた「勧請」という言葉を知りませんでした。調べてみると、「神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること」を言うそうです( goo国語辞書 : 参照 )。

 

前巻『狂う潮』もそうでしたが、本書『八丁越』は、小籐次と駿太郎の森藩藩主久留島通嘉の参勤交代に同行しての旅の様子を描くだけの話の続編であり、小籐次の、また小籐次親子の物語として目新しいものでもありません。

さらに言えば、そもそも森藩藩主久留島通嘉の参勤交代の旅に反藩主派の国家老一派である御用人頭の水元忠義と船奉行の三崎義左衛門もに同行し、その水元の命により小籐次たちを亡き者にしようという一団が参勤交代の行列に襲い掛かってくるというのですから、どうにも設定が甘いという印象がぬぐえません。

それだけ反藩主派の力が強いと言えばそれまでですが、どうにもその状況をそのままに受け入れることが難しいのです。(この点は、後にそれなりに理由付けがなされるので、私の勘違いだったということが明らかになります。)

 

また、刺客の頭領の林埼郷右衛門も一応は武芸者として尋常の勝負として小籐次の前に立ちふさがるという設定そのものはいいのですが、そうであれば、刺客としてではなく、いち武芸者として立ち合いを願うこともできたのではないという気もします。

尋常の立ち会いを願うのであれば、刺客としての依頼を受けること自体が変、とも感じてしまうのです。

しかしながら、以前にも書いた気がしますが、痛快時代小説作品としては、この程度の物語の流れはある程度は認めるべきなのかもしれません。

 

とはいえ、本書では森藩の飛び地である頭成の湊での船問屋の塩屋という新たな商人との繋がりを得るなど、物語の展開に新たな要素が持ち込まれてもいて、全く面白くない作品だというわけではありません。

駿太郎が三島丸での船旅で得た自分なりの剣として「刹那の剣」を編み出し、剣客としてさらに成長を見せていることも楽しみの一つではあります。

 

ただ、なにより残念なのは、本シリーズも余すところあと一冊となっていることです。

本来であれば、武芸者として大きな成長を見せている駿太郎のあらたな活躍を中心に、その背後に小籐次が控える、という物語の展開もあってよさそうな気もします。

でも、作者が、中途半端に歳をとった小籐次をその年齢以上の活躍をさせるのもいかがなものか、という判断をされた結果なのでしょう。

不自然な小籐次の物語を読むよりはいいのかもしれません。

 

森藩藩主久留島通嘉の思惑も未だよく分かっていませんし、国家老嶋内主石との対決も最終巻へと持ち越されています。

そしてもう一点、三河にいる薫子姫と小籐次一家との関係も未だ確定しているわけではありません。

そうした諸々の未解決の事柄を残したまま最終巻へとなだれ込むことになります。

 

この『酔いどれ小籐次シリーズ』も旧シリーズ十九巻、新シリーズ二十五巻、それに別巻一冊を合わせて全四十五巻をもって完結することになります。

佐伯泰英という時代小説作家の作品の中で個人的には一番好きなシリーズでもありましたので、非常に残念な思いです。

もしかしたら、『居眠り磐音シリーズ』と同様に、駿太郎の物語として新たなものが語りが続いてくれないか、と願うばかりです。

とりあえず、残りあと一巻を待ちたいと思います。

狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)

狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)』とは

 

本書『狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)』は酔いどれ小籐次シリーズ』の第二十三弾で、2022年6月に341頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の痛快時代小説です。

 

狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)』の簡単なあらすじ

 

淀川を襲う激しい嵐から人々を救うため、来島水軍流・剣の舞を天に奉納する小籐次・駿太郎親子。森藩の御座船・三島丸に乗りこんだ二人は、国家老一派から目の敵にされる。そんな中、船中からひとりの家臣が消えたーついに、先祖の地・豊後を目にした小籐次に藩主・通嘉は「頼んだぞ」と声をかける。果たしてその意味とは。(「BOOK」データベースより)

 

第一章 三十石船
文政十年(1827)春仲夏、赤目小籐次親子は伏見京橋の川湊に到着した。船問屋大伏見の屋根船で枚方を過ぎたあたりで嵐に会い停泊しているところに、六、七人の剣術家と思しき面々が襲ってきたが、俊太郎と小籐次がこれを撃退してしまう。

第二章 季節外れの野分
野分は激しさを増すばかりで、駿太郎はまわりの乗合三十石船の客を陸に挙げる手伝いをしていた。小籐次は残っていた酒をお神酒とし、駿太郎と共に来島水軍流正剣十手を奉納する。ようやく御座船三島丸へと乗り込み、駿太郎は三島丸の主船頭の利一郎らと顔を合わせていた。

第三章 瀬戸内船旅
駿太郎は、翌未明から茂という若い水夫と共に水夫の仕事を手伝い、また稽古をしているところにやってきた船奉行支配下の佐々木弁松を懲らしめるのだった。また様子を見に来た小籐次から国家老一派のことを聞いていた。

第四章 三島丸の不穏
次の停泊地の家島で駿太郎は小籐次と共に家島権現へと参った。備讃瀬戸に入ったところで、創玄一郎太が何者かに襲われる事件が起きる。野分が襲いそうな天気のもと、茂は「来島」の語源の説明をしていた。

第五章 先祖の島
種々の事件は起きるものの佐柳島の本浦湊へと入港したおりに、小籐次らは三嶋の大山祇神社に剣技を奉献する。そして三島丸は最後の伊予灘を走っていた。そこに、藩主久留島通嘉と池端恭之助が現れ小籐次に、しかと頼んだぞ、と告げるのだった。

 

狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)』の感想

 

本書『狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)』は、ほとんど全編が森藩の飛び地へとたどり着くまでの船旅の様子が語られまています。

最初は、瀬戸内に至るまでの淀川での船旅です。

そこでは、反対派によると思われるに六、七人の剣術家の襲来がありますがこれは駿太郎の敵ではありませんでした。

また、野分が襲い、小籐次親子によるほかの船の船客の救助や剣技の奉納などの出来事があります。

この大阪までの物語は、なんとなくですが半端な印象もあって、言葉は悪いですがどうでもいい描写だったという印象です。

 

その後、瀬戸内海での船旅の様子が描かれます。

ここでの旅は各土地の来歴、例えば「淡路島」との名前は「阿波への道」から来ていることの解説など、ちょっとしたトリビア的な文章があり、それなりの面白さを持っていました。

この三島丸に関しては、異人帆船の作り方でできていること、つまりは長くて二十年と言われる和船の寿命よりも倍以上の寿命を誇ること、その理由の一つとして船体を支える竜骨が通っていることなどが記されています。

また、瀬戸内の海を灘と呼び、摂津大坂から和泉灘、播磨灘、水島灘、備後灘、燧灘、斎灘、安芸灘、伊予灘などの名称も記されているのです。

 

本書『狂う潮』の物語としての面白さに関しては、本『酔いどれ小籐次シリーズ』の作品と比較すると面白さが増しているとは言えません。

ただ、森藩内の江戸藩邸派と国家老派との対立が明確になる面白さはあります。

しかし、この点は、藩主を前にした御用人頭の水元忠義と船奉行の三崎義左衛門が、藩主の問いを無視した振る舞いをするなど、時代小説では普通は考えられない行動をとっているなどの疑問な点もあります。

でも、こうした疑問も後の展開の中で解消されていく事柄かもしれず、またもしかしたら痛快時代小説の流れとして声をあげるべきところでは無いのかもしれません。

 

いずれにしろ、本書『狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)』はシリーズの中では特別に面白い作品だということはできないと思います。

シリーズの完結が近づいています。今後の展開を楽しみにしたいと思います。

風に訊け 空也十番勝負(七)

風に訊け 空也十番勝負(七)』とは

 

本書『風に訊け 空也十番勝負(七)』は『空也十番勝負シリーズ』の第七弾で、2022年5月に345頁の文庫本書き下ろしとして出版された、長編の痛快時代小説です。

何となくどこかで読んだような場面が続いた前巻『異変ありや 空也十番勝負(六)』と異なり、本書は痛快時代小説の定番ともいえるお家騒動ものと言えるそれなりにまとまった読みやすい作品でした。

 

風に訊け 空也十番勝負(七)』の簡単なあらすじ

 

七番勝負は新たな武者修行者の登場で幕を開ける。
老爺、愛鷹とともに旅を続けるひとりの武芸者。
安芸広島藩の重臣の息子で、間宮一刀流の達人でもあるその男は、江戸を訪れた折に、自ら同様に命を賭して武者修行の旅を続ける空也の存在を知る。
己と空也はいつの日か相まみえると確信し、旅を続けるが……。

一方、異国での戦いを終えた空也は、船に乗りこみ、数年にわたった修行の地である西国をはなれる。下船したのは長州萩。ここが新たな修行の地となった。
稽古の場を求め、萩の道場を訪れた空也は、ひょんなことから藩主派、家老派による萩藩の対立に巻き込まれるが、家老派と自らの因縁を知り、藩主派に力を貸すことに。
金も力もない藩主派の同年代の仲間たちと共に家老派を倒すための策略を巡らせる空也たちは目的を達することができるのか?

十六歳から四年を過ごした西国をついに離れ、新たな武者修行者が登場するなど、空也の新たな冒険が始まり、驚きに満ちた七番勝負の行方はーー。(内容紹介(出版社より))

 

風に訊け 空也十番勝負(七)』の感想

 

先にも書いた通り、本書『風に訊け 空也十番勝負(七)』は、典型的な痛快時代小説というべき、長州藩の政争に巻き込まれた主人公の活躍を描く作品です。

これまでは薩摩の追撃を受けていた坂崎空也ですが、本書ではその流れも一応の区切りを見たのでしょうか、薩摩の襲撃は見られません。

代わりに本書での空也は、通常ではない剣の技量を身につけた修行者として長州萩藩の政争に巻き込まれる、というよりも自分から乗り込みこれを解決しているようにも思えます。

 

空也は長崎を後にしてのち、長州は萩の地に降り立ちます。

そもそもここ長州へとやってきたのは、『未だ行ならず 空也十番勝負(五)』で登場してきた長州藩士篠山小太郎こと菊地成宗のことがあったからでした。

空也自身が、一年前に海賊船フロイス号による三度目の長崎会所の交易船襲撃の折にイスパニア人の剣術家カルバリョと立ち会いこれを倒した際、菊地成宗は高木麻衣の堺筒で撃たれ身罷ったのです。

 

萩の地では、空也は宍野六乃丞と名乗りながら藩の剣術指南役であった平櫛兵衛助の営む平櫛道場を訪れます。

そこで知り合った藩士の峰村正巳に萩城下を案内してもらいながら、藩主を中心とする藩政を確立しようとする当役派と呼ばれる藩主派と、毛利佐久兵衛という国家老の一人を中心とした一派即ち当職派とが対立している藩内の事情について教えてもらいます。

当の峰村は何とか若き藩主を盛り立てたいと考えているようですが、藩校の明倫館を訪れた際に、藩主の毛利大膳大夫斉房と会うことになります。

ただ、当時の藩士が身分もよく分からない武者修行と称する浪人に藩内を案内する設定には無理がありはしないかとも思いましたが、痛快小説でそこまで文句を言う必要もないのでしょう。

そののち、空也と峰村は当職派の隠れ家を見張り、毛利佐久兵衛や当職派の腕利きである表組頭の難波久五郎、それに札座用達を務める御用商人浜中屋七左衛門、用心棒の長とみられる東郷四方之助という人物が集まるのを確認するのです。

こうして、長州藩内の抗争にかかわることになる空也です。

 

一方、江戸では神保小路にある尚武館道場では、空也の父である坂崎磐根、母おこん、それに妹の睦月や空也の想い人である渋谷眉月を始めとする空也の身を心配する面々が集まり、空也や高木麻衣らからの文を開く様子が描かれています。

空也の物語である本『空也十番勝負シリーズ』で描かれる江戸の様子は、空也の身を案じる家族や仲間の様子が描かれているばかりですが、本書『風に訊け 空也十番勝負(七)』では空也の武者修行の旅も終わりが近いことが示唆されます。

その後の磐根と空也の物語はどのように展開するものか、私の知る限りは未だ情報はないようですが、空也親子の活躍が続くことを願いたいものです。

 

ちなみに、長州藩萩藩という呼称が出てきたので調べると、萩藩とは長州藩の異名だとありました( ウィキペディア : 参照 )。

独り立ち 吉原裏同心 37

独り立ち』とは

 

本書『独り立ち』は『吉原裏同心シリーズ』の第37弾で、2022年3月に340頁の文庫本書き下ろしとして出版された、長編の痛快時代小説です。

吉原会所頭取八代目四郎兵衛となった神守幹次郎は、苦境に陥った吉原の再生をどのようにして成し遂げるのか、今後の展開が気になる作品でした。

 

独り立ち』の簡単なあらすじ

 

端午の節句のその日、大門前に立った男女。一年余の京での修業を終え、吉原に戻った神守幹次郎と加門麻であった。再会を喜び合う吉原の面々だったが、長い闘いで吉原が失ったものは大きかった。幹次郎は会所を率い、吉原を再生させることを誓う。そんな中、廓で小さな騒ぎが。やがてそれが幕閣を巻き込む大騒動へと発展していく。新しく始まる吉原の運命やいかに。(「BOOK」データベースより)

 

一年という期間を経て、幹次郎と加門麻がやっと吉原に帰ってきた。

そして、町名主の面々も幹次郎が吉原会所八代目頭取となり、四郎兵衛を襲名することを受け入れることとなる。

ただ、裏同心としての幹次郎の存在をすぐになくすわけにもいかず、幹次郎は裏同心を兼ねることとなるのだった。

ところが、そんな幹次郎が正体不明の浪人者に襲われるという事件が起きた。

その浪人者から辿っていくと、吉原の大見世「豊游楼」を買い取ったという三左衛門という主へとたどり着いた。

その三左衛門の正体は海賊商いをしているらしく、蜘蛛道から天女池へ行った幹次郎を黒子衣装の女が襲って来るのだった。

 

独り立ち』の感想

 

本書『独り立ち』で、神守幹次郎と加門麻はやっと江戸吉原へと帰ってきます。

そして、前巻の『陰の人』において、吉原会所頭取の七代目四郎兵衛は、上様御側御用取次という重職にある朝比奈義稙一派の手により吉原の大門に吊るされるという最期を遂げてしまいましたが、今般、神守幹次郎が八代目四郎兵衛に就任することになったのです。

ただ、新しい顔も入った町名主の旦那衆の集まりではすんなりと認められたわけではなく、また、楼主の中には幹次郎を快く思わない者もいました。

そうしたなか、諸々の困難を乗り越え吉原のために尽くす神守幹次郎の姿が描かれているのが、本書『独り立ち』です。

 

新しく頭取となった幹次郎は、加門麻の力を借りて京の祇園との交流を考えたり、切見世女郎となっていたお里香という女郎が内藤新宿から逃げてきたことを知ってその逃亡の原因を取り除いたり、と早速に動き始めます。

また、新しく吉原京町二丁目の大見世「豊游楼」の楼主となっていた三左衛門が、大砲を備えた船で海賊働きをしていることを探り出し、これに対する策を練ることになります。

 

同時に、この時代の背景として老中の田沼意次のあとを受けて就任した松平定信による「寛政の改革」による極度の緊縮政策により吉原も苦境にあえいでいました。

その松平定信とは、先代四郎兵衛が陸奥白河へと密かに送っていた当時は禿の蕾といっていた定信の想い人のお香を通じて知己がありました。

というのも、定信の子を腹に宿した側室のお香を田沼意次の残党の襲撃から守りつつ江戸まで連れ戻したことがあったのです。

 

このようにして、新しくなった吉原の復興のために早速動き始める幹次郎ですが、新たな敵となった三左衛門が敵役として小粒であったことや、松平定信との関係も思ったほどではなかったことなど、思いのほかにあっさりとした処理でした。

やっと八代目四郎兵衛として動き始めることになった幹次郎ですから、かつての田沼一派のようなそれなりの敵役の登場を期待していただけに残念に思ったのです。

ただ、まだ新生吉原の最初ですので状況説明というか、今の幹次郎の背景を整理しているとも捉えられます。

次巻から、八代目頭取としての幹次郎の活躍をしたいしたいと思います。

光る海 新・酔いどれ小籐次(二十二)

光る海 新・酔いどれ小籐次(二十二)』とは

 

本書『光る海 新・酔いどれ小籐次(二十二)』は『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第二十二弾で、2022年2月に345頁の文庫本として刊行された長編の痛快時代小説です。

 

光る海 新・酔いどれ小籐次(二十二)』の簡単なあらすじ

 

森藩藩主の命により、参勤交代に先行して国許の豊後国を訪れることになった小籐次。降って湧いた千両の使い道に頭を悩ませながらも、元服して「平次」の名を得た息子・駿太郎、妻・おりょうとともに江戸を留守にする。三河国で子次郎・薫子姫との再会を喜ぶ一家だったが、姫の身にまたしても危険が迫っていることを知り…。(「BOOK」データベースより)

 

第一章 月代平次
文政十年(1827)春、南町奉行筒井政憲は小籐次と元服をして平次となった駿太郎への礼のために久慈屋を訪れた。その翌日、駿太郎は、北町奉行与力の岩代壮吾から、札差から大金を搾り取る蔵宿師が出現しており小籐次の力を借りたいと伝言を頼まれた。

第二章 蔵宿師民部
小籐次は中田新八とおしんから、蔵宿師の菅原民部が老中青山忠裕に棄捐令を出すようにと言ってきたことを聞いた。菅原民部は、元御側衆陣内甲斐守道綱と同じ遊び仲間の伊勢屋次郎兵衛という札差と組んで互いの利を図っていたのだった。

第三章 漁師見習い
三河国にいる子次郎は三枝家所領に近い小さな漁村の網元である卯右衛門に自分の正体を明かして頼み、漁の手伝いをさせてもらうことになった。その子次郎を待っていたのは小籐次たちが薫子姫のもとを訪ねてくるとの手紙だった。

第四章 子次郎の思案
子次郎とお比呂は小籐次たちの泊まる部屋に苦慮していたが、子次郎は庭の楠木に、卯右衛門の四男の波平とその朋輩の与助の手を借りて小屋を作り上げてしまう。一方、江戸では年少組の八人が望外山荘に寝泊まりし、剣術の稽古をするのだった。

第五章 薫子との再会
老中青山忠裕の道中手形を持った小籐次一行は、三河の三枝家へとやってきて、薫子を始め、お比呂そして子次郎や波平、与助らの出迎えを受けていた。早速木の上の小屋に登り三河の内海を眺めた駿太郎はその美しさに感動を覚えるのだった。

 

光る海 新・酔いどれ小籐次(二十二)』の感想

 

本書『光る海 新・酔いどれ小籐次(二十二)』での小籐次たちは、豊後森藩第八代目藩主の来島通嘉から命じられた参勤下番へ同道するように命じられた旅と、大身旗本の身分と名を借りて札差から大金を搾り取る蔵宿師の問題とが中心となっています。

小籐次の剣の力の発揮場所としては菅原民部という蔵宿師の始末です。

この男は老中青山忠裕に棄捐令を出すように求めてきたりと、やりたい放題の悪行を重ねています。

また、もう一方は、三の在所に引っ込み暮らしている薫子姫子次郎との話です。

森藩の参勤下番へ同道することになった小籐次親子は、おりょうをも伴い三河の薫子姫と子次郎のもとを訪ね、小籐次親子の旅の間、おりょうは薫子姫のもとに滞在することになったのでした。

 

まず、蔵宿師の菅原民部の問題は、単に旗本という身分を振りかざし無理難題を通してきた不良旗本だけの問題ではなく、老中青山忠裕の進退問題まで絡んだ話になり、小籐次としても動かざるを得ません。

といって、なんとも半端な話であり、単純に小籐次の腕の見せ所をつくったにすぎないとも言えそうな展開です。

 

ただ、薫子姫と子次郎との挿話は何ともほほ笑ましく、木の上の小屋で三河の海を眺める場面など、自分の子供の頃を思い出す場面でもありました。

次巻から、森藩国許での困難な出来事が小籐次親子を待っていることでしょうが、その嵐の前の静けさを描き出した一編だと言えそうです。

このように、本書での出来事はある意味薫子姫と子次郎との話だけだとも言えそうな物語でした。

雪見酒 新・酔いどれ小籐次(二十一)

雪見酒 新・酔いどれ小籐次(二十一)』とは

 

本書『雪見酒 新・酔いどれ小籐次(二十一)』は『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第二十一弾で、2021年11月に文庫本で刊行された343頁の長編の痛快時代小説です。

 

雪見酒 新・酔いどれ小籐次(二十一)』の簡単なあらすじ

 

日課の研ぎ仕事に精を出す小籐次親子の前に現れた貧相な浪人。駿太郎の大切な刀・孫六兼元を奪おうとして番屋にしょっ引かれたが、なんと仲間を殺して逃亡した。残された刀は、あの井上真改なのかー名刀を巡る真相と浪人の正体を追う一方で、立派に成長した息子の元服に頭を悩ませる小籐次。誰に烏帽子親を頼むべきか。(「BOOK」データベースより)

 

第一章 奇妙な騒ぎ
久慈屋の店先で研ぎ仕事をする小籐次親子のもとに人者たちが押しかけ、井上真改という名刀を研ぎのために預けたと騒ぎはじめた。番屋へ引き立てられて行った浪人たちだったが、その中の相良大八という人物がほかの浪人たちを殺して逃走してしまう。

第二章 活躍クロスケ
翌朝は大雪で駿太郎だけが研ぎ仕事を為しその夜も久慈屋で相良らの襲撃にそなえるのだった。ところが、相良大八なる浪人の本名も判明し、その者が所持していた井上真改は尼崎藩を巻き込んだ問題となるのだった。

第三章 蛙丸の雪見
望外山荘に戻った小籐次らは、雪景色を描きたいというおりょうを連れ、川向うへと渡り挨拶回りをなして久慈屋へとたどり着いた。

第四章 二口の真改
晦日のこの日もあい変らず雪が降り続き、小籐次は駿太郎の元服の儀式で頭を悩ませていた。文政十年(1827)の正月元旦、南町の近藤同心が連れてきた出羽米沢新田藩の用人によれば、相良大八に新田藩の有していた井上真改をだまし取られたというのだった。

第五章 駿太郎元服
小籐次は、駿太郎が乗せてきた御歌学者の北村舜藍とお紅、それに既に来ていた新八とおしんと共に、駿太郎の元服の話を始めた。その後、小籐次らは駿太郎の元服の挨拶も兼ねて、呼び出しを受けていた八代目森藩藩主久留島通嘉と会うのだった。

 

雪見酒 新・酔いどれ小籐次(二十一)』の感想

 

相変わらずに平穏な日々を送るというわけにはいかない小籐次とその子駿太郎です。

本書『雪見酒 新・酔いどれ小籐次(二十一)』では、メインとなる事件は久慈屋の店先で研ぎ仕事をする小籐次親子に刀の研ぎを依頼したと言いがかりをつけてきた浪人たちの騒ぎから始まります。

結局は二つの藩を巻き込んだ井上真改という刀を巡る騒動へと発展するのですが、ここで登場する井上真改という刀剣は実在する刀のようです。

詳しくは下記を参照してください。

 

本書を通した事件というわりには、あまり大きな出来事というわけではなく、ただ井上真改という刀だけが気になる物語でした

 

本書では駿太郎の元服という出来事も描かれています。シリーズとしてはこちらの方が大きな出来事というべきかもしれません。

駿太郎がその体の大きさも勿論、剣の腕もずば抜けているために、まだ十四歳だとは誰も思わない成長ぶりを見せています。

しかしながらこの正月で十四歳になった駿太郎は大人になるための儀式の元服の儀を終えねばならず、それには烏帽子親が大切な役目であり、その烏帽子親を誰に頼むかが非常に重要になります。

ここで烏帽子とは「成人男性としての象徴」であり、元服する男子に烏帽子をかぶせる役目を負うのが「烏帽子親」(えぼしおや)です。( 【刀剣ワールド】元服とは : 参照 )

 

本書『雪見酒 新・酔いどれ小籐次(二十一)』では、最後に小籐次の旧主である豊後森藩の第八代目藩主である来島通嘉に面会することになります。

そこで、次巻からの展開に大きくかかわるであろう事柄が示されます。

 

ともあれ、物語として軽く読めてなお且つ面白さを十分に保っているシリーズの一つであるのがこの『酔いどれ小籐次シリーズ』です。

ところが、本シリーズもこの八月をもって終了するとの告知がありました。

六月から三ヶ月の連続刊行し、第二十五巻をもって終了とのことです。

詳しくは下記を参照してください。

三つ巴 新・酔いどれ小籐次(二十)

三つ巴 新・酔いどれ小籐次(二十)』とは

 

本書『三つ巴 新・酔いどれ小籐次(二十)』は『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第二十弾で、2021年2月に文庫本で刊行された341頁の長編の痛快時代小説です。

 

三つ巴 新・酔いどれ小籐次(二十)』の簡単なあらすじ

 

大切な舟が水漏れするようになったが、金の工面に悩む小籐次。舟づくり名人・亀吉親方が思い出したのは、かつて小籐次が助けた花火師親子のことー人の縁が繋がってお目見えした新舟「研ぎ舟蛙丸」が江戸を大いに沸かせる中、ニセ鼠小僧の悪事が止まらない。奉行所と小籐次、そして元祖鼠小僧がタッグを組んで成敗に乗り出す!(「BOOK」データベースより)

 

第一章 新しい工房
船頭の兵吉から小籐次の仕事船は買い替えた方がいいとの忠告を受け、仕事船の持ち主である久慈屋の了解を得て新造することとなった。北割下水の船大工の蛙の親方こと亀作親方を紹介してもらい、蛙の親方のところにあった船を譲ってくれることとなった。

第二章 火付盗賊改との再会
小籐次のもとを火付盗賊改与力の小菅文之丞と同心の琴瀬権八とが二人が訪れ、小籐次と鼠小僧治郎吉との付き合いを話せと言ってきた。その後、子次郎を望外山荘の屋根裏に泊めることにした小籐次だった。

第三章 研ぎ舟蛙丸
新しい船が望外山荘に届き、蛙丸と命名されたその船で皆に挨拶回りをする小籐次だった。その後、駿太郎が一人で望外山荘へ帰ると、火付盗賊改の手先が蛙丸を盗み出そうとするのだった。

第四章 虫集く
小籐次は、火付盗賊改にとらわれている子次郎の仲間を助け出し、また偽物の鼠小僧治郎吉は表火之番の井筒鎌足とその三男坊の八十吉がだとの話を聞いた。翌日、仕事を終え望外山荘へ帰った小籐次と駿太郎の前には、おりょうに刀を突きつける小菅文之丞がいた。

第五章 三河の菓子
中田新八らに相談し、老中青山忠裕の命で両替商の錦木に莫大な金子が集まるその夜、小籐次親子や子次郎らは襲い来た井筒鎌足ら偽鼠小僧一味を一網打尽とするのだった。ことが終わり、三河の吉田宿の近くに子次郎の姿があった。

 

三つ巴 新・酔いどれ小籐次(二十)』の感想

 

本書『三つ巴 新・酔いどれ小籐次(二十)』では、小籐次親子の足ともいえる研ぎ船がいよいよ水漏れをし始め、新しい船を手に入れることになります。

と同時に本書でのメインの出来事である鼠小僧治郎吉の偽物は、とうとう人殺しまで犯してしまいます。

また、火付盗賊改が小籐次に狙いをつけ、鼠小僧との関連を疑い始める事態も起こります。

火付盗賊改とは、あの池波 正太郎の『鬼平犯科帳』という作品で高名な火付盗賊改ですが、本書に登場する火付盗賊改はかなりのワルとして描かれています。

同時に偽鼠小僧も登場し、本書ではこれらの火付盗賊改と偽鼠小僧が敵役となっています。

 

 

ただ、今回登場の敵役はあまり魅力がありません。

とくに、表火之番の井筒鎌足とその三男坊の八十吉に関してはあまり書き込みもなく、その人物像が明確ではありません。

勿論、それなりの背景は書いてはあるのですが、何となくの印象であって小籐次に対峙する悪役としてはよく分かりません。

加えて、彼らに関しての出来事ももう一方の敵役である小菅文之丞と琴瀬権八という火付盗賊改の二人の存在と出来事とに分散されており、若干分かりにくい部分があります。

たしかに、毎回毎回新たな事件を設け、小籐次に相対するそれなりの敵役を設けなければならない作者はさぞや大変だろうと思います。

でも、この敵役がそれなりに魅力が無ければ主役のヒーローが目立たないのです。

 

とはいえ、新たな研ぎ船の「蛙丸」に関する話が設けられており、その船にまつわる人物や会話はいかにも『酔いどれ小籐次シリーズ』らしく、ほほ笑ましくもあります。

あと数巻しかないこのシリーズです。

最後まで丁寧に読んでいきたいものです。